「驚いたぞ。まさか貴様がその姿を本当に取るとは」
殿の玉座に腰掛けた神竜王ナーガは自らの執務室に入ってきた人物を見るなり感情の一切が入っていない声でそう言い放った。
同時に彼の真剣を連想するほどに鋭いながらも、何処か気だるげな眼に水滴一滴程度の量の僅かな感情が宿る。
彼がこういった感情の機微を表に現すのは自身の子供である姉弟と触れ合っている時ぐらいなのだが
今回は本当に驚いたのだろう。ほんの僅かではあるが、『驚き』の感情が彼の顔に微細だが、溢れていた。
「私とて、必要な時は人の姿を取ります。それともこの私が下劣な人間の姿など取るわけがないとお考えですか?」
ナーガに『驚き』という感情を与えた人物が彼の玉座の前までツカツカと大股で歩いていき、膝を勢いよく地に下ろす。
ズンと膝を当てられた石の床に少なくない数の皹が入った。
男の口調こそ丁寧ではあるが、その言葉には隠しきれない侮蔑の感情が宿り、どこかナーガを小馬鹿にする様に言う。
お前は何もわかっていないのだと言わんばかりに真っ赤な眼で自分を睨みつける男をナーガは真正面から見据える。
仮にも、主に対する態度とは思えない程に横暴な所業だが、ナーガは何も言わない。否。相手にするのも馬鹿馬鹿しいのだ。
ナーガの前に膝を付きながらも、彼を何処か馬鹿にしている人物もやはり『竜』だ。
真っ赤な業火を連想させる雄雄しい髪をまるで鬣の様に生やし、その屈強な体格は大の大人を二人並べても軽々と超す長身。
その丸太よりも太く硬い腕は軽々と人を持ち上げて絞め殺すことさえも可能だと見るものに思わせる。
事実、彼がやろうと思えば人はおろか、飛竜だろうと人の姿のまま術も使わずに素手で縊り殺すことが可能だろう。
「何の用だ?」
「はい。単刀直入に言ってしまうと、【魔竜】の創造を許可願いたい」
ナーガがその鋭い眼を更に細め、眼光だけで生物を殺傷しえるほどの激しさを湛えた。
しかし男はソレに気が付いているのか、ナーガの存在を無視して何処か酔った様に言葉を続け、更に神竜王を苛つかせる。
非常に不愉快極まりなく、目障りな男だが、正当な手続きを踏んでここに居るのだ。一応は話を聞かなくてはなるまいて。
……本当に苦行だが。
「あの二人は、まだまだ幼いですが、持っている力はそれなりです。かつての大戦で活躍した完全な【魔竜】程の力は期待出来ないにせよ
そこそこの出来にはなるでしょう。ですから――」
あの二人というのが誰を指すのかは言葉に出さなくても判る。
現在、純血の神竜族はナーガと幼いあの二人ぐらいしか居ないのだから。
「【魔竜】を使い、何をするつもりだ」
最後まで言わせずに問う。声こそ無感情だが、その裏に込められた感情は聞くものが聞けば判る。純粋な『苛立ち』
気にいらない。全く以って気分が悪い。ここまで気分を悪くさせられたのはかつてアウダモーゼという魔道士が訪問した時以来だ。
いや、これは更に上を行く不愉快さだ。
戦争を体験していない、文献でしか戦争を知らない若造がさも自分も戦ったと言わんばかりに戦争を語り
戦争に使われた存在を復活させろと身の程も弁えずに言っているのだ。
しかも、よりにもよって子供を捧げろ等とほざいている。これに不愉快を覚えない者は少ないだろう。
不敬罪でその場で手打ちにしてしまってもいいのだが、今そんな事をしたら騒乱の火種になるのがありありと見えてしまい、出来ない。
それに、もう、そんな事をしなくてもいい時期に来ている。
男、ナーガに問われた竜が不思議そうな顔をする。
「何をと言われましても……そんな事は決まっているでしょう? あの増える事しか取り得の無い下等種族共を駆逐するためですよ。
その後、我ら竜族の恥さらしである竜人と、その系譜を完全に葬るために【魔竜】を『使う』のですよ」
彼の中で決まっているであろう、決定事項を現実でも確定させるために男はナーガに要請する。
貴方の子供を兵器にしてくださいと。冗談でもなく、挑発でもなく、真面目に本心からの要求だから最悪と言ってもいいほど質が悪い。
「神竜は我々竜族の神。故に、我らのためにその身を捧げて貰いたいのです。我らの発展の為の礎となれるなら、本望でしょう?」
「…………」
既に答えを返すのも馬鹿らしくなってきたナーガが黙って男の話を聞く。
冷ややかな眼で見られているのに気が付いているかは知らないが、男が続ける。
「そもそも、我々があんな劣等種と共にこの大陸に居るという事自体が間違っているのです、我らこそ、この大陸の支配者たるに相応しい存在だというにあいつらは――」
「もういい、出て行け。話は終わりだ。ここは議論の場ではない」
ナーガがしっしっと手を払い、男に緩やかに退室を促す。一応は受け入れは聞いた。用件も聞いた。これで用はすんだ。
男が立ち上がるが、言われた通りに退室せずにナーガの眼前まで歩いていく。その顔は自分の我侭が通らず駄々を捏ねる子供の様。
「出て行けと言った筈だが」
「―――――」
男が口をもごもごと動かし、言葉を吐きつけようとするが、必死に動く唇から出るのは空気だけ。
言葉らしい言葉は何も出ない。いや、出させてもらえない。ナーガが無詠唱、無動作で発動させた一つの術のせいで何もいえない。
【サイレス】
煩く、身の程知らずな火トカゲを黙らせるには最適な術だ。
「出て行け。これは命令だ。逆らえばどうなるか、想像は出来るだろう?」
神竜王の一睨み。脅し所か、本気の殺意。竜さえも怯えさせる威圧感。
文字通りの【神の怒り】に触れたらどうなるか想像がついた男がその巨体を縮めるようにして部屋から逃げ出す。
若い竜故に、何処かナーガを甘く見ていた男が脱兎の様な速度で部屋から遠ざかる気配を感じつつナーガが溜め息を吐く。
今の男は極端ではあるが、竜の中にはあの男と同じ様な考えを持っている物も少なくは無い。
竜族至上主義とでも言えばいいか。竜以外の種、全てを軽蔑する者が多いのだ。
最近はあの男ほどでないにせよ、その傾向が更に激しくなっている。
あの男は狂信的に人を見下している様だが。
人が幾ら文明を作っても決して認めず、人が幾ら努力しても嘲笑い。人が精一杯生きているのを虫けら呼ばわりする。
そんな思考を持っている者が若い竜に多いのだ。
中には純粋に竜族の為を思い人を論理的に解析し敵視する者もいるし、彼らの意見には同意する所もあるのだが、
問答無用で排除しようとする輩も多いのが現状だ。
あの者がいい見本だろう。正に体現してくれている。誰も頼んでなどいないが。
そんな彼らの態度は遠い昔、神竜族と始祖竜族しか認めなかったとある竜族をナーガに思いださせ、彼を悩ませる。
あの竜族の辿った道をもう一度見ているようで、恐ろしいまでに既知感を覚え、頭痛さえ感じた。
かの竜族を葬った自分が、守るべき筈の者達にソレを連想させられるとは皮肉が利いているようだ。
いや、守るべき筈『だった』者達か。
竜を恐れ、いつか排除しようと動く人間と、人を見下し蔑む竜族の一部の者達。
正直、千を超える年月も良く持ったものだ。
両者がいずれどうなるかなど、誰が予想しても答えは一つだろう。
また春が訪れ、エイナールが子供達を連れて『殿』に帰ってくる。
そして神竜姉弟がそれを歓迎し、嬉々としてエイナール親子と遊ぶ。
既に何回も繰り返された平和な日常の光景だ。いつまでも続くと信じられている光景。
ニニアンとニルスの氷竜姉弟もイドゥン、イデアの神竜としての力と『殿』の成長促進の効力。
そして何よりもエイナールとその夫の愛によってすくすくと大きくなり、今や4歳程度にまで成長していた。
4歳。人ならとっくに母乳離れして、二本の足で歩き出し、おぼろげながらも確たる自我を手に入れる年齢だ。
「……?」
湯浴みに氷竜姉弟と一緒に入り、身体を清めたイドゥンが自室に戻って見たのは何処かバツが悪そうな表情で苦笑いする椅子に座ったエイナールと
彼女に向かい合って座る、遊戯版を身動き一つせず睨みつけている弟の姿だった。放っておくと眼からブレスを吐き出しそうな形相だ。
そして、顎に指をやり、深く考える仕草。どうやら姉達が入ってきているのにも気が付いていないようだ。
あぁ……負けたんだ。
イドゥンは弟のその表情を見て、苦笑いを浮かべながらも一瞬で遊戯版上の状況を実際に見ずに理解できた。
「ねえ? お兄ちゃんどうしたのー?」
「すっごく面白いかおしてるねー」
イドゥンの左右に立ち、手を繋いでいるニニアンとニルスがきゃっきゃっと舌足らずな口調で感想を言う。
最近は喋ることを覚えたのか、とにかく喋ること喋ること。
かつての自分もこうだったのかな? とイドゥンは氷竜姉弟を見ていると、時々思うのだ。
「イドゥン様、お湯加減はいかがでしたか?」
「うん。凄く気持ちよかったよ」
三人が入ってきていた事に気がついていたエイナールがイドゥンに微笑みかける。
何処か人を安心させる笑みと独特の雰囲気は始めて会ったときから何も変わってはいない。
「……負けたー」
イデアが肩を落として、ようやく敗北と言う現実を認め打ちひしがれている中
氷竜の姉弟が母に走りより、その胸に抱きつく。
二人の子供を優しく抱きとめ、エイナールは膝の上に乗せる。
そして布を取り出し、湯から上がったばかりで湿り気を帯びた髪を優しく拭く。
次いで櫛を使い、乱れた髪を綺麗に、丁寧に整えてやる。
その間、ニニアンとニルスは母の腰に手を回して、力強く抱きつき、母の温もりを堪能していた。
氷竜姉弟が母に抱かれ、愛情を込めて髪を手入れされているのを見て、対抗心に近い物を感じたイドゥンが弟に素早く駆け寄り
その膝の上にゆっくりと座る。そして。
「私もやって~」
「………いいの? 俺、全然髪の扱いなんて知らないよ?」
「イデアがいいの」
背を向けられてるため顔が見えないのだが、その言葉に含まれた強い物を直感的に感じたイデアが
小さく溜め息を吐いて、まずは布を引き寄せて手に取る。
濡れた髪に、いつもよりも火照った体、そしてバスローブの様な衣服だけを纏った姉は寒気が走るほど艶やかだが
それら全てを意図的に意識しないように心がける。
見よう見まねで優しく優しく、出来るだけ姉に痛みを与えないように、ちょっとビクビクした手つきでイドゥンの紫銀色の髪を
拭いて行き、次に櫛で優しく髪をストレートに整えてやる。
サラサラと滑らかに櫛を通すたびに揺れて、輝いて見える髪はまるで上質な絹だ。
「これでいい?」
「うん。ありがとう!」
立ち上がり、弟の隣の椅子に座る。
そのまま何をするでもなく、上機嫌に鼻歌を歌う。何故そこまで上機嫌なのかはイデアには判らない。
リズムに合わせて左右に体を揺らす度にまだほんのりと湿った髪が光を反射して輝き、とても幻想的だ。
「おや……」
「どうかしたの?」
「いえ……ニニアンとニルスが……」
イドゥンとイデアがエイナールの膝の上で全く動かない氷竜姉弟を見やる。
ニニアンとニルスは体が小さく上下しているだけで、何も言わない。遅れて聞こえてくるは小さな寝息。
氷竜姉弟は、母の胸の中で眠りについていた。
二人にとって恐らくは最もエレブで安心できる場所で。
「寝ちゃった……?」
「みたいです……失礼ながら、部屋に戻っても宜しいでしょうか?」
イドゥンとイデアが合図も無しに同時に首を縦に振る。
そんな様子を見て、エイナールは小さく笑うとニニアンとニルスを『力』で包み込み、立ち上がる。
氷竜姉弟は『力』で持ち上げる。起きる気配はない。
母の力に包まれて、安心しきった表情で眠っている。
出口まで歩いていき、エイナールが一礼。
そして。
「それではまたお会いしましょう。イドゥン様、イデア様。貴方達に天下無敵の幸運があらん事を。氷竜エイナールは、いつでもお二人の味方です」
「「……?」」
何か、妙な突っかかりを覚えたイドゥンとイデアが首を傾げるが、それを二人が問う間もなくエイナールは部屋から出て行ってしまった。
何だろう。何かが引っかかる。
だって、あの言葉って……。
もやもやする感情を胸に押し込めたまま、イドゥンとイデアは眠気を感じたのでベッドに潜り込んだ。
明日も変わらない朝が来ると信じて。
あとがき
出来れば4月中には終わらせたいです。
イデアの物語をこれからも読んでいってくださると嬉しいです。