時は瞬く間に進み行き、季節がまた移り変わった。
今は冬―――それは死の季節。美しき白銀の雪とは裏腹に知恵なき者、貧しき者、そして運なき者に例外なく死を配る残酷な季節だ。
ベルンの南部、「殿」が存在する山岳地帯も山頂よりも尚高き場所に存在する雲々から降り注いだ雪に余す所なく覆われ、今や一面銀世界となっている。
「……はぁ」
そんな一種の神々しい景色を、ピッチリと隙間無く締め切った窓から眺めていたイデアが小さく溜め息を漏らした。
吐かれた吐息が窓を曇らせる。いや、もっと正確にいうなら窓の曇りと同化したというべきか。
眼を動かし、上空を覆う鼠色の雲を見て憂鬱を含んだ声で疲れたように一言呟く。
「早く止まないかなぁ……」
最初の頃こそ雪だ雪だとはしゃいでいたが、それが何日も続けば飽きて嫌になってくる。
ましてやこの景色が続いている間はあのエイナールに会えないなら尚更だ。
そう、氷竜エイナールはこの雪と寒さから人を守るためにイリアに戻ってしまった。帰ってくるのは春になってからだろう。
特に意味もなく手で窓の曇りを拭き取り、もう一度外を見ようとする。曇りが無くなった窓に映されるイデアの顔の後ろに、もう一つ彼に似た顔が映った。
一瞬ドキッとしたイデアだったが、直ぐにそれが誰だか分かり直ぐに気を取り直す。
「何見てるの?」
後ろの人物、イデアの姉が不思議そうに弟に話しかけた。
「外の雪だよ。止まないなぁって思ってた」
「綺麗だよね。白くて、フワフワしてて」
トトトと、イデアに歩み寄り彼の後ろ髪を指でクルクルと弄くる。
イドゥンと違い定期的に髪を切り落としているイデアの髪はそこまで長くないが、それでも艶やかなそれはサラサラと指の動きに合わせて動く。
切った髪はナーガが何処かに持っていったが、どうなったかはイデアの知ったことではない。
「暇だねぇ……」
イデアが溜め息を吐き、愚痴るように呟く。本を読みすぎるのは眼に悪いから現在休憩中だ。
窓の外には変わらず世界を染め上げる雪が降り続いている。恐らくこの窓をあければ部屋の温度は一気に10度近く低下するだろう。
最もそんな事したら冬の山々の冷気によって凍死しかねないので絶対にやらないが。
憂鬱気なイデアの背中を黙って見ていたイドゥンはやがて何かを思い出したかのようにポンッと手を叩きあわせると、弟の手を引っぱり始めた。
そのまま部屋の中央辺りにあるテーブルと椅子に向かう。
「どうしたのさ、姉さん?」
姉の意図がわからないイデアが問う。最も大分予想そのものはつくのだが。
「お父さんが来るまで、遊ぼうよ」
ふむ、と少しだけ考えたイデアだったが特に断る理由も無いし、何より退屈でしょうがなかったので素直に姉の提案を受け入れることにした。
「うんいいよ。で、何するの?」
「それはねー……」
イドゥンが何かを操るかの様に指小さく何度か動かす。
ガタンと言う音と共に物入れの扉が勝手に開き、中からマスが刻まれた白黒模様の板とこれまた白黒の様々な種類の戦場の兵士の種類を模した駒が大量に出て来た。
出てきたのは遊戯板。イデアが元いた世界で言うチェスに近いルールの遊びだ。人竜問わず頭を使って手軽に遊べるという事で人気のゲームである。
ただの暇つぶしの他に金や命、情報などを賭ける者もいるそうだが、勿論神竜姉弟はそんなことはしない。ただ純粋にゲームとして遊ぶだけだ。
イカサマなど不可能に近いこのゲームは純粋に頭の回転の速さ、先を見る才覚などが問われる。それ故に知力を比べるのにこれ以上ないほど適している。
「久しぶりに、やろ?」
何度も弟とこのゲームで戦っても、彼女は未だに一回も弟に勝てないでいたので、この機会に弟から白星を勝ち取りたいのだろう。
そんな姉の内心を手に取るように読めていたイデアは逃げも隠れもせず受けて立つことにした。
外見こそ同じだが精神年齢は自分の方が上なのだ。絶対に負ける訳がないとイデアは自分の勝利を硬く信じていた。
(第三者からみれば大して外見上の精神年齢が変わらないという事を彼は知らない。最も知らない方が色々と都合が良いが)
「いいよ。それでハンデはどうする?」
ニタリと挑発的な笑みを浮かべてイデアが言う。2~3駒ぐらい使用を禁止されても勝つ自信が彼にはあった。
そんな弟の言葉にイドゥンが少しだけ怒った顔で答えた。
怒った顔と言っても100人に聞けば100人が「怖い」というよりも「微笑ましい」もしくは「かわいい」と答える顔であるが。
「ハンデなんて要らない! 今日は私が勝つの!」
必死に自分の勝利を宣言する姉にイデアが心底その様子を楽しんでる笑みを口元に貼り付けた。
そして、彼には珍しく何処か挑発的な口調で
「いやいや……それはどうだろ?」
人差し指を立てて左右にそれを軽く振りながら言う。
「じゃ、私が勝ったらどうする?」
「……どうしよう?」
手をパタパタと振りながらイデアが、からかい半分の笑みで答えた。その様子から自分が負ける可能性など無いと信じきっているのがイドゥンにはわかった。
その動きが彼の姉の対抗心に火をくべ、燃えあがらせる。それと同時に込みあがる弟遊べる事に対しての喜びの感情。何だかんだ言っても嬉しいものは嬉しいのだ。
特に最近だとイデアは魔術とか、歴史とか、それ以外にも様々なジャンルの本を読み漁って、あまり構ってくれなかったのだから。
イデアの手を離して、向かい側の椅子に腰掛け白の駒を手に取り、それをマスの上に配置していく。
イデアも向かい合って椅子に座り、黒いキングの駒を手に持って指で一通り弄くった後、決められたマスの上に置き、他の駒も配置していく。
「じゃ、始めよっか?」
イデアの楽しそうなその声を合図に、ゲームは始まった。
「………」
いつもの通りに昼の分の食事と、エイナールからの手紙を持って双子の部屋を訪れたナーガが眼にしたのは中々に面白い光景だった。
一言で言えば、イドゥンが燃え尽きていた。真っ白に。ぐったりと力なく椅子に腰掛け、「あう~」とか哀れな声で唸っている。
そしてそんな彼女の後ろに立っているイデアが姉の肩を何回も優しく叩いて励すような動きをしていた。その顔には疲労が少しだけ浮かんでいる。
そして彼女の前にある机の上には遊戯版、盤の上の形勢は完全に黒が圧倒していた。駒の配置から察するに白がイドゥン側だろう。
それならばこの彼女の状態にも説明がつく。大方何回も何十回も弟に完膚なきまでに叩きのめされたのだろう。そしてそれに付き合わされたイデアに合掌。
イドゥンとイデアが暇つぶしにこのゲームを何回も楽しんでいたのをナーガは知っていた。
「昼食と手紙だ」
「待ってた……!」
食事と聞いた瞬間イドゥンが放たれた矢の様な速度で白い燃焼状態から回復する。
その回復速度の速さといえばまるで上級回復魔術の【リカバー】を掛けられたかのようだ。
余りの立ち直りの早さにイデアがぼそっと「食い意地はってるなぁ……」、と呟いたのが父には聞こえたが、それはご愛嬌。
ナーガが力を使い机の上の遊戯版をまとめて浮かばせて端によせる。
そして空いたスペースに食事の乗った盆を載せ完成。
「手を洗ってこい」
シャキシャキとした動きでイドゥンが部屋から出て、手を洗いに行く。その後にイデアがもはや癖になったとも言えるため息を吐きながらついていった。
「「ごちそうさまでした」」
今日の昼食である暖かい野菜と肉のスープ、焼きたてのパンとソーセージ
そしてデザートのりんごを無事に完食した双子が既に日課となっている食物に敬意を表す動作をして、食事と言う行為を終わらせる。
「ねぇねぇ、お父さん……ちょっといい?」
「なんだ?」
食事の光景を黙って見ていたナーガに食事を終わらせたイドゥンが話しかけた。
好物のリンゴを食べて弟にコテンパンにされた気分が大分回復したのか、今の彼女は平素通りの様子だ――つまり、子供特有の活発さに満ちている。
「あの遊戯版で何回やってもイデアに勝てないの。どうすればいいかな?」
言われてナーガが先ほど食事を置く際に退けた遊戯版に眼をやる。白の王の駒が黒の駒にチェック・メイト(将棋で言うところの詰み)を掛けられていた。
恐らく黒がイデアで白がイドゥンだろう。それに娘の話を聞くにあの状況に追いやられたのは何も今回だけではないらしい。
「ふむ……」
ナーガが眼を細めて考える。彼もこのゲームは暇つぶしで時々やるのだ。それなりに腕は立つ。
いや、むしろかなり強いと言えるだろう。
「イデア。お前はどうであった?」
不意に話しかけられたイデアがビクッと肩を跳ねさせる。
「どう……って?」
首を傾げて言葉に含ふんだ意味を問う。
「どの様に勝ったか言ってみろ」
うーん、と暫く唸って考えた後、イデアが答えた。
「分かんない。気がついたら勝ってた」
「だろうな。言葉で簡単に説明出来る物ではない」
「まぁ……ねぇ」
イデアが渋々頷く。こういった事はやっぱり言葉にしづらいのだ。どうやって勝ったか? 質問なんて尚更答えづらい。
少なくとも自分には具体的な言葉には出来ない。
それと同時に眼の前の男がどれだけこのゲームが強いのかイデアは気になってきた。見かけはポーカーフェイスの権化とも言える男だが
もしかしたらこう言ったゲームは案外弱いのかも知れない。
そうと決まれば勝負に誘ってみる。何、負けたとしても何もデメリットは無いのだ。ここは好奇心に負けても問題はないだろう。
「ねぇ」
「何だ?」
イデアの声にナーガが反応する。
「一戦、してみない?」
「……」
ナーガが無言で遊戯版に眼を移し、そして次いでイデアに眼を移す。
好奇心と期待に満ち溢れた息子の色違いの瞳がキラキラと輝いていた。
時間は……まだ問題ない。一戦くらいなら余程勝負が長続きしない限り大丈夫だろう。手紙はその後に渡せばいい。
「いいだろう。好きな色の駒を使うといい」
食器が載った盆を浮かばせ、遊戯版を盆のあった場所に持って来る。遊戯版の上の駒が独りでに所定の位置に戻っていく。
あっという間に全ての駒が配置され、いつでもゲームを開始できる状態になった。
イデアがさっきと同じ黒の駒を手に取る。ナーガが彼の向かいに座り、腕を組む。
「先手は俺からでいい?」
イデアの問い掛けにナーガが無言で頷く。それを合図にゲームが始まった。
「あーーうーーー……」
イデアが枕に突っ伏して情けない声を上げる。奇しくもその声は先ほどのイドゥンに限りなく近い声だ。
勝負の結果は惨敗。三回戦って三回ともボロ負けだ。見事に三回ともチェックメイトされて負けたのなんて始めてだった。
自分の強さにそれなりの自信は持っていたが、ナーガの強さは異常だった。それこそ彼に勝つのを諦める程に。
手も足も出ない程の強さ、絶対にこのゲームを100年単位でやり込んでるのだろう。
それほどの経験を積んで腕を磨き続けて来た彼に勝てる訳がない。
それでもあふれ出る悔しさにイデアは唸り続ける。
「まーけたー……」
「あー、よしよし」
恨みがましく唸り続ける彼の頭をイドゥンが慰めるように優しく撫で続けてあげる。
その表情は面倒見の良い姉そのものだ。
「最低でも後100年は経験を積むのだな」
勝利者であるナーガはと言うと、装飾の施された椅子にゆったりと腰掛け、何処から持ってきたのか紅茶を優雅に飲んでいる。その仕草は絵画に出来る程に美しい。
正に勝者の余裕という奴と言えよう。
クイっとカップの中の紅茶を飲み干すと、先ほど渡し損ねたエイナールからの手紙を双子に向けて飛ばす。
ヒラヒラと羊皮紙の手紙が二人の下へと飛んでいき、直ぐ近くに落ちる。
「ほ、ほらイデア! エイナールからの手紙だよ! 一緒に見ようよ!!」
イドゥンが何処か取り繕った表情で必死にイデアに手紙の存在をアピールし、何とか立ち直らせようとする。
イデアがエイナールからの手紙と聞いて、耳がピクッと反応する。顔を上げて、直ぐ近くに置いてあるそれを確認する。
同時に唸るのを止める。
「ほら、読もっ!」
イドゥンが手紙を広げて、イデアの前に持ってくる。
イデアが起き上がり、姉と寄り添いながら手紙に眼を通し黙読する。
一回眼を通す。双子が書かれている言葉の意味があまり理解できず、目を揃ってパチクリさせる
二回眼を通す。徐々に内容が頭の中に浸透してきて、イデアの顔の色が青ざめる。イドゥンはというと、余りよくわかってない。
三回眼を通す。「うっそぉおおおおおおおおおお!!!??」「きゃっぁ!?」イデアが奇声を上げ、イドゥンが驚きの悲鳴を上げる。
ナーガはその光景を二杯目の紅茶を優雅に飲みながら見ていた。あの手紙の内容は既に読んだので知っているのだ。
そう、彼の記憶が正しければあの手紙の内容は―――。
『子供が出来たので、しばらく殿には帰れません。落ち着いたら子供と一緒に会いに行きますね』
「……それが貴女の選択ね……エイナール」
今朝届いた親友からの手紙を読みながら、火の様に紅い眼、火炎の様に紅い髪をした女、火竜アンナは一人呟く。
そして小さく溜め息を吐き、首を左右に力なく振るう。
もう一度眼を通すと、手紙を小さく畳んで懐にしまい歩き出す。
「それにしても……子供、ね。早く会って見たいわね……」
フフフと妖艶に笑うとアンナは手紙に軽く口付けを落とし、その紅い唇を動かして言った。
「……幸せにね。エイナール」
友を祝福する言葉が響き渡った。
あとがき
今年中に更新出来てよかった……。年末の忙しさは異常だと思う今日この頃。
2009年はお世話になりました。
2010年もよろしくお願いします。
後、次話更新の前に気晴らしにチラシの裏に何かネタ作品を投下するかも知れませんw