19
差し出された杯にトクリ、トクリと霊酒が注がれる。
徳利の口から流れ落ちた清水は底に書かれた円をきれいに写したまま中で小さな渦を作った。
ほのかな酒の香りが漂い、コクリと小さく俺ののどが鳴った。
そしてお酒が杯の8分目までを満たすと、くいっと徳利の口が上を向いた。
「はい、どうぞグイッと呑んでください。」
早苗は胸元に徳利を抱えてそう言った。
彼女の顔は自信にあふれつつ、すこし緊張気味だ。
俺は杯をスッと一度掲げた後、その杯に口をつけた。
コクリと口の中に酒を流し込む。
口内に酒が満ちた瞬間俺はビックリした。
霊夢からもらう霊酒と味が全く違う。
もちろん酒の味の違いだけ驚いてるのではない。
霊気の味といえばいいのだろうか?それが全然違うのだ。
霊夢の霊酒は一口飲むと奥の方にしみわたる芳醇な味だった。
それに対して早苗の霊酒の味は真逆の味だ。
一口飲めばサッと広がる爽やかさは軽やかに、抜ける香りはとても清々しく。
そしてすっとキレよく引いていく。少し辛みの強い酒の味もよく合っている。
じっくりとお酒と霊気の味を味わった後、
徳利を傾けている間ずっと期待を込めた眼で見つめてくる早苗に俺は電子辞書を開いた。
=けっこうな おてまえで=
「ふふ。ありがとうございます。あぁ~、よかった。
お酒に霊気を入れるのは初めてじゃなかったんですけど、飲む為に籠めたのはあまりやったことなくて。」
俺の評価にホッとした様子で胸をなでおろした早苗は、
あっと小さく感嘆符をこぼしながらもう一度徳利を小さく掲げる。
俺もその動きに答えるように手にした杯を掲げて早苗に差し出した。
早苗の霊酒が再び杯を満たす。
二口目はすぐに喉を通し、口から鼻に抜ける残り香を楽しむ。
ん?
=この さけは じかせい? みずは この やまの?=
「えぇっ!?すごい、クロさん。よくわかりましたね」
素直に驚いた表情を浮かべる早苗に対して俺は素直に胸をはった。
この身体は液体の味、『力』の味に敏感だ。
一度飲んだものの味は覚えている。
妖怪の体液の味も霊夢の酒の味も妹紅と魔理沙の血も味も覚えている。
そして妖怪の山から流れる川の水の味もだ。
ん?川の水を何時飲んだか?
多分あの崖から落ちた時に水を思いっきりかぶってしまったときにちょっと飲んじゃったんだろう。
そのことを電子辞書でカタカタと説明をすると
(もちろん崖から落ちた~の部分は省略している)
個人的に「へ~」で終わりそうな内容にも関わらず早苗はまるで心底感心したような視線を俺に向けていた。
「クロさん、タイピングすごい早いですね…。」
あ、そっちか。
「ちょっと『こちやさなえ』ってうってみてください」
カッ
=こちやさなえ=
「はやっ・・・ちょっと貸してもらっていいですか?」
そう言って差し出された彼女の手に電子辞書を手渡す。
すると彼女は左手で電子辞書を持ち右手をそっと持ち上げた。
そしてその電子辞書を見つめ…。
「むん!」
カッカカ・・・カカッカ
・・・。
=こちあyさあんw=
最後wとeを打ち間違えたな。
「あぅ」
=かたてうちは なれないとはやくできないさ=
特に小さい電子辞書のキーボードを片手で打つことは、
パソコンに慣れきっていてかつめんどくさがり屋じゃないとまず【やろう】と思わないだろう。
「はぁ、・・・クロさんって外では何されてたんですか?ずいぶん使い慣れてますけど」
すこし肩を落としながら早苗はそう聞いてきた。
=だいがくせい ぱそこんせんこうの=
「え?大学生だったんですか!?もっと私と同じくらいだと思ってましたけど」
=こうこうは 2ねんまえに そつぎょう した=
「じゃあえっと・・・だいたい十九か二十歳ぐらいですか?」
=だいたいそれぐらいだ=
「へぇ~、じゃあ私と4つも違うんですね。」
・・・ってことは
=こういち ?=
「だいたいそれぐらいです。去年高1の時にこっちに引っ越してきましたから
向こうにいたら4月に高2になってたと思いますよ。」
・・・最近の女子高生って大人っぽくて困る。
17歳かぁ~。あぁ、あの頃は部活で馬鹿したりして一生懸命で楽しかったな~
俺が一人あっという間に過ぎ去っていった10代を懐かしんでいると、
ふと隣に座る早苗の視線がそっと揺れた気がした。
「ねぇ、クロさん」
ん?
そっと呟くように問いかけた彼女の声に俺は軽く首をかしげて見せる。
「クロさんって向こうにその・・・好きな人とかいるんですか?」
・・・初対面から3、4時間の女子高生にそんなこと聞かれるとは思いもしなかった。
あまりにも質問が突拍子しすぎて思わず俺は電子辞書を取り落としかけた。
いや、今縁側の下に落としたら雨水でアウトだったぞガチで…。
=なんでそんなことを?=
「へ?ぁ、あぁあ!いえ!別にそのやましい気持ちで聞いたんじゃないですよ?
ただその、クロさんって外に帰りたがっているって諏訪子様から聞きましたので
なんか特別な理由でもあるのかなぁ~って思っただけです。ほんと、それだけ・・・です。」
外に帰りたがる事と外に好きな人がいることが=でつながるのか。
俺の思考回路ではパッと思いかばないんだがこれは俺がおかしいのだろうか?
=べつに りゆうはない=
「え…?なにもないんですか?」
早苗はキョトンとした顔で首を横に傾げた。
しかし俺は逆に早苗が何故首をかしげているかがわからなかった。
いや、だってここ(幻想郷)にいつづける理由が俺にはない。
気付いたら俺は幻想郷にいて、気が付いたらこんな体だったんだ。
それで元いたウチに帰りたいというのがおかしなことだろうか?
「あの・・・クロさんは向こうに帰ってどうするんです?」
どうする?
=ふつうに がっこうに=
「じゃあ大学に行きたいから向こうに?」
いや・・・そんなに学校に行きたいという気持ちは一切ない。
「じゃあどうして・・・?」
=たぶん--------
電子辞書にそう書いたっきり俺の指がピタリと止まった。
いやぁ、・・・・・・どうして。
そう言われると少し困る。帰ることが当たり前と俺は思っていたが。
しかしここで答えられないと何か俺が考えていることがおかしいということになりそうな気がする。
だけど頭ん中の「当たり前」を説明しようがない。
そんな一人押し問答が頭の中でぐるりと回りかけたその時、
無意識のうちに俺の指がカタリとキーボードのボタンを押した。
-----なにかやりのこしたことがある-----きがして=
「やりのこしたこと・・・ですか」
早苗の呟きを聞きながら俺は自分が電子辞書に打った文字をジッと眺めていた。
やり残したこと?
いったい何をやり残したんだっけ?
確かにあの時週末の課題はやれなかったがそんなこといつものことだ。
やり残したこと・・・、いやそんな具体的なものははっきり言ってないと断言できる。
しかし何か喉の奥で突っかかっている。
そう言えば早苗も向こうに住んでいたんだったよな?
ふとそう思った俺は電子辞書に再び文字を打ち込んだ。
=さなえは ?むこうに やりのこしたこと ないか?=
「え?私ですか?えっと・・・やりのこしたこと・・・。」
=なんでもいいなにか未練みたいな=
ここで俺はてっきり「そんなのありません」とでも帰ってくるのだろうと予想していた。
だってさっきまで俺が向うに帰るのを不思議がってたのだ。
おそらくもう未練とか乗り越してここに永住することにしたんだろうと俺は思った。
しかし予想に反して早苗の視線は再び宙をさまよい。
「・・・そうですね。すごくいっぱいあります。」
え?
予想外の答えに俺は思わず彼女の顔をガン見した。
通常形態でいたのならガン見していても眼がないため気付かれにくいのだが、
早苗の姿を映した今の姿ではあっさり視線に気づかれてしまった。
クスリと早苗は俺の顔をみて笑った。
「クロさん、また顔が呆けてますよ。」
おっと
「私なら無いっていうと思いましたか?」
=いや、そんなkとぁ=
おぉう、最悪のタイミングでミスった。
思わぬタイプミスに固まった俺の視界に向かい合う彼女のほほにちっちゃな笑窪を視認、
だんだんそれが恥ずかしくなってきて俺は思わず視線を泳がせて外の方へ向けた、
しかし耳から入る笑い声に関してはなんの対策もしていなかったため早苗の笑い声がよく聞こえた。
「ふふ、だからクロさん顔にすぐ出るんですから隠さなくていいですってば
え~と、そうですね~。
あ、そう言えばこっちに来る前に見ていたドラマとかアニメとかの最終回が見れませんでしたね。
あとこっちに来た後気付いたんですけど学校に私の・・・
それに私・・・。
あと~、あ、あのお店の・・・。」
早苗は指折りながら外の世界でやり忘れたことを次々とあげていった。
学校のこと、友達のこと、その友達に借したCDのこと、ひとつひとつ思いだし、懐かしむように数えていった。
思い出すように、懐かしむように、ひとつひとつ。
折る指が一往復した時だったか、ふと彼女は小さな息ふぅを吐いた。
そしてその頬に小さなくぼみを作りながら口を開いた。
「すごいですね・・・。」
ん?
「私、こんなに向うでやり残したことあったんですね。」
早苗はそうはにかんだ笑みを見せた。
その表情は嬉しそうで、悲しそうだった。
自分より年下であるはずの彼女が見せたその年不相応な笑みを浮かべる横顔に
俺は一瞬思わず見惚れてしまいそうになった。
=それでも かえりたいとは おもわないのか ?=
そしてふと気がつくと俺の手元の辞書にはそんな文字列が浮かんでいた。
今回に限ってなぜ俺はこんなにしつこいんだろうか。
まるである答えを期待するかのようだと一瞬の自己嫌悪。
そして俺はすぐその問い消そうとした。
だがその前に視界いっぱいに若草色の絹糸が写りこんだ。
隣から身を乗り出すように辞書をのぞきこんだ早苗がクスと笑う。
「帰るも何もクロさん、私の家は“ココ”ですよ?
それ以外に帰る場所はもうありません。」
さも当たり前のように彼女は言った。
なぜ彼女はこんなに綺麗な顔でいいきれるんだろう。
なんであんなに未練があると言っておきながらこんなに綺麗に笑えるんだろう。
=むこうに ・・・
どうやら俺という者は理解できない物に対して意地を張ってしまう性格の持ち主のようだ。
それを感じながらも俺は指をそっとキーボードの上を滑らせた。
=むこうに すきなひとが いたんじゃないのか?=
「へ?」
障子越しの明りの中できょとんと呆けた表情がとても愛らしく、とても可笑しかった。
一拍間をおいた次の瞬間カァッと彼女の顔に表情と顔色が激変する。
「え?ぁ、え?く、クロさん?へ?なんでそんなけつろんがでててたんですか?」
舌は噛むわ、視線は泳ぐわで、どっからどう見てもキョどっているようにしか見えない言動をする早苗。
少女の様子を楽しみつつ俺はトントンと鍵盤を弾くようにローマ字を打っていく。
=さっき おれのかえる りゆう =
あ、と彼女の小さな口からかすかに音が漏れる。
彼女が俺に帰る理由を聞いた時まっさきに好きな人がいるのかと聞いてきた。
何でそんな質問をするか。
外も中身も柔らかい頭で考えた結果が彼女も外に好きな人がいるからじゃないか、
というのが俺の推測だった。
「あー・・・あぁ・・・えっと・・・どうなんでしょうかね?」
言葉を探すように視線を外に向かって泳がせた後、
彼女はコクリと首をかしげ、困ったような笑みを浮かべながら頬をかいた。
否定せず、疑問に思うということは想いを寄せてくる異性がいたということか?
さて、俺にどうなんでしょうかねと聞かれても困るわけで。
とりあえず彼女を見習ってコクリと首をかしげつつ再び電子辞書を持ち上げた。
=ともだち いじょう こいびと みまん ?=
よく恋愛物のドラマや小説で耳にするフレーズをあげてみる。
すると彼女から予想外な反応が帰ってきた。
フッと笑みをうかべて笑い飛ばしたのだ。
「いえ、恋人未満友達『以下』!でしたね!」
そう自信満々に宣言した。
・・・なんともかわいそうな言われ方である。
しかしここで疑問が浮かび上がってくる。
友達以下だと宣言するのであればなぜ「好きか」の問いにNOといわないのだろうか。
=きらいでは なかったんだろ? =
頭の中で勝手に推測しながらそう書いてみる。
しかしまたも予想外の返答。
「いえ、大っきらいでした!」
今度は満面の笑みを浮かべてそう豪語する東風谷早苗。
その彼女に再び注意されるまで俺は思わずポカンと口を開けて呆けてしまった。
開けっ放しで引き攣りかけた頬をモニュモニュと揉み解すとクスクスと笑われた。
「ふふ、えぇ、ほんと大っきらいでしたよあんなバカの事なんか。
小さい頃からずっと私にちょっかい出してきて、何度泣かされたか思い出せませんよ!
蛇を投げられたり、髪飾りを壊されたり…!」
そう笑いながら忌々しげに、懐かしげに、
「でも…」
そして愛おしそうに彼女は言った。
「私を・・・本当に最後まで理解しようとしてました。」
「アイツはホント勝手だったんです。
人のことさんざんいじめておいて、いきなり私の事好きだって言ってきて・・・、」
「こっちに来るって決めた時、一度うっとおしくなって私の現人神の力を見せつけた事があるんですけど・・・。
でも、それでも最後の時まで私のとこに来て・・・。」
「ほんと、わたし・・・アイツのことなんか・・・。」
彼女の言葉最初は苦情を訴えるように強く、途中から何かこみあげてくるものを押さえるようだった
しかし最後の言葉は小さくて俺の耳には届かなかった。
そういうことにしてくれ。
俺は縁側に足をぶら下げたまま腕の力でスッと彼女の近くへすり寄り、
少し視線と肩を落とした彼女の背中をポンポンと優しくたたく。
そしてそっと顔をあげた彼女に俺は電子辞書をさしだした。
=みれんを もうひとつ みつけられたな=
すると最初は少し固めに結ばれていた口元に、柔らかく小さな笑窪を作ってくれた。
いやはや、こういう話は少々苦手だ。
そう心の中で呟きながら彼女の笑窪を確認して俺はホッと胸をなでおろす事が出来た。
だがその時、中の方からちょっと慌てたような高い声が響いた。
「さなえ~!さなえ~っ!!
もみじがぶっ倒れた!!お布団おねがーい!!」
・・・・・・もみじぃ。
はぁ、俺と早苗は全く同じタイミングで呆れ、そして同じタイミングで吹き出した。
「ふふっ、はーい!!ちょっと待っててください!すぐしきますから!」
大きく張りのある声で返事を返した早苗はぴょんと軽く飛び跳ねるように立ち上がった後、
俺に向かってにっこりと悪戯っこじみた笑みを浮かべてこう言い放った。
「クロさん、残念でした。これは未練じゃありません、私の大切な思い出です!」
そう言い放った彼女はタタッと軽い足取りで廊下の奥の客間へと消えていった。
彼女の背中を見送った後、今日見た中で一番綺麗だったその表情を思い出しながら
俺は徳利をそっと傾け、空になった杯を満たした。
幻想郷の女の子は本当に強いなぁ。
すこし辛口のスッとしたキレ味が火照りを感じる体にとても心地よかった。
>あとがき
10月 中間試験
11月 新しいバイト&椛×触手のエロ妄想開始
12月 姉の結婚式&冬休み前大量課題
1月上旬 お正月実家帰り成人式
1月中旬~下旬 期末試験 ←今ここ
いや~、ね、マジで妄想する暇がありませんでした。
さて、今回の早苗さんのお話からお分かりになる方はいっぱいおられるでしょう。
ここのその他SS投稿掲示板の地雷G氏作『ネイティブフェイス』より設定をお借りしております。
地雷Gさん許可本当にありがとうございます!
そして許可をもらって半年以上もこの話を描けなかったという土下座物の失礼をしてしまいましたほんと申し訳ございません!
そして更新もできずarcadiaに顔を出せずに3ヶ月、
いつのまにか東方2次創作小説がいっぱい増えていて浦島太郎気分。
自分が触手録を書き始めたころは東方の連作物が2つ3つ在るか無いかだったので
東方仲間が増えた気分で(一人勝手に)うれしい!いいぞもっと増えれ!できれば才能わけて!