赤壁の戦いに勝利し、残る戦いは最後の決戦を残すのみとなり、戦続きだった日々もいったんの休止を迎えた。
多忙な日々が続く中、珍しく非番を与えられた私は時間を持て余していた。沙和や真桜と違いこれといった趣味を持たない私は一人では特にしたいこともなく、なんとなく足の向くままに散歩していると城壁にある人の姿を見た。
最近は忙しく警邏の時くらいしか話す機会もなかったのでひさびさに二人でいられるかもしれないと思うと自然とそちらに足が向かっていた。
城壁を上ると先ほど見かけた場所にその姿は変わらずに佇んでいてこちらに背を向けている。
どうやら街を眺めていたらしく私は心を弾ませながらもそれを抑え、いつも通りの調子でその背中に声をかけた。
「隊長。ご休憩ですか?」
そう呼びかけると隊長はゆっくりと振り返り私の姿を見て微笑んだ。私は自分に向けられた笑みを嬉しく思いながら隊長の隣に並び同じように街を眺めた。
雲ひとつないほどの青い空ににぎわう街の様子、果てしなく続く地平線。この景色を飽きずに眺めていた隊長の気持ちも分かる気がする。
「ああ。少し煮詰まったから抜け出してきた」
内緒だぞ、と付け足すと隊長はいたずらっぽく笑った。この人は時々とてもズルイ人だと思う。きっと私がそんな顔をされたら逆らえないのを知っていてやっているのだから。それだけで見逃してしまう私も私なのだけれど。
「凪は今日非番だったっけ?」
「ええ。ですが一人だけ非番というのも時間を持て余してしまって」
それには沙和と真桜が真面目にやっているかが心配だ、という気持ちも込められていて隊長もそれを察したようで苦笑をもらしていた。それは私たちのことを理解してくれている証拠でもあって長い付き合いの証明でもあった。感情表現の苦手なわたしにとってわかってもらえるという事は素直に嬉しく感じられる。
「まぁ、最近忙しかったから多少は大目に見てあげてもいいんじゃないのか?」
「あの二人は忙しくなくてもサボりますから」
結局のところ叱るはずの立場である隊長がこんな調子だから二人も改めないのだがそれを隊長にいっても無駄だということは身にしみている。しかしそんな隊長だったからこそ今の自分たちの関係があると思うとそう悪いことでもないのだろう。
隊長は再び街に目を向けると目を細めた。
「長かった戦争ももうすぐ終わりだな」
こぼす様に呟いたその言葉は私に向けられたものか独り言かは分からなかったが遠くを見ているようなその表情はなぜだか私をひどく焦らせた。
隊長は最近よくこんな顔をする。
穏やかな、大切なものを見るような眼で周りを見ている。それはどこか憧憬のそれに似ていてなぜそんな顔をするのか私には分からなかった。
この人はこんな顔をする人だっただろうか?
どちらかといえば裏表のないまっすぐなところが隊長らしさだと感じていたのに今の隊長はひどく大人びて見える。隣にいるはずなのに、どこか遠い。
「ええ。ですがまだ最後の戦いが残っています。それに私たち警備隊の仕事は終わりませんよ」
まだまだこれからです、と慌てたように言葉をつづけた私の姿は少し不自然だったかもしれないがそれを気にする余裕もない。
そうだな、と穏やかに相槌をうつ隊長からはいつもと変わった様子なんてどこにもないのにひどく胸が締め付けられた。
その姿は隣にいるはずなのに存在が希薄に感じられた、そこにあるのに手の届かない空のように。
澄み切った空の青とその表情はとても調和しているように見え、このまま空に溶けて行ってしまわないだろうか、そんな子供じみた考えが浮かんだがそれを笑い飛ばすことはできそうになかった。
なぜそんなに悲しそうな顔をするのですか?
そんな言葉が浮かんだがそれには何の根拠もなく口にすることはなかった。
どこにも行かないようにとほとんど無意識のうちに隊長の袖を握ると隊長はきょとんとした顔でこちらを見た。
「どうした?」
困ったように笑いながらそう問いかけてくる。
どこにも行かないで。
そう言いたかったけど何かを言えば泣き出してしまいそうで何も言えなくなり、私はうつむくばかりだった。すると下を向く私の頭に温もりを感じ、それが隊長の手だと理解するのに時間はかからなかった。
「今日は珍しく甘えん坊なんだな」
からかうような隊長の声に無性に悔しさを感じたが、私は頭を撫でる心地のいい手の感触と温もりにただ身を任せていた。
北郷一刀は天に帰った。
そう告げられたのは皆がようやく平穏を手に入れたと喜んだ翌日だった。
隊長、あの時見ていたのは街ではなく空だったのですか?
遠い空の向こうにあるという天の国を、あなたの帰る場所を見ていたのでしょうか?
泣きながらでもあの言葉を言っていればあなたはそこに帰らずにいてくれたのでしょうか?