良心はこう叫ぶ。
所詮は同類、容赦なぞ必要ない。
良心はこうも叫ぶ。
同族だ、同じように扱うべきではない。
良心とは、なんだ?
それは従うべき指針だろう。
良心がなければ、俺は俺でありえない。
それは分かっている。はっきりと自覚している。
だけど、それでも分からない。
………良心とは、なんだ?
「俺は、どうするべきなんだよ」
答えを教えてくれる奴は、いない。
惑星ベジータ、技術研究区画。
フリーザ軍傘下のテクノロジストが大半を占め、サイヤ人はあまり近寄らないブロック。
その中に、ここで働くものとして非常に珍しい、サイヤ人の姿があった。
バトルジャケットも他のサイヤ人のものと異なり、テクノロジストを示すローブ状の構造のものを着用している。
ヒゲを生やしたその顔には幾条もの傷痕が残っており、データ端末を保持している右手は、手首から先がメカニカルな外見の義手となっていた。
彼の名はガートン。エリートの階級であり、現在は一線を退きテクノロジストに専念している稀有なサイヤ人である。
ふと手を止めると、ガートンは画面から顔を上げ、部屋の入口へ振り返った。
そこには、また珍しいことに、子供のサイヤ人の姿があった。
ガートンは予想外の来訪者に、目をほんの少し大きくした。
「リキューか?」
「…………親父」
普段よりも暗く重い表情で、リキューは呟くように声を出した。
サイヤ人の中に十数人しかいない、希少なテクノロジストであるガートン。
彼がこの世界での、リキューの父親であった。
ニーラとの会話から、二日経った。
リキューは答えを未だに出せていなかった。
決して曖昧にはできない問題であるが、そうであるがゆえに苦悩は深かった。
リキューの、日本人としての意識とサイヤ人としての意識の両方が融和し、変質した価値観に従えば、サイヤ人は許せない存在である。
許せない存在、つまり己の凶暴性と闘争心を開放してもかまわない存在。
殺したところで、良心の痛まない存在。
リキューはフリーザを、その基準に従い許せない存在として断定し、打倒するべき輩とした。
しかし、サイヤ人はそうとはしなかった。
それは保身的な、自分恋しさの理由でだ。
いくらリキューがサイヤ人の中で、孤立気味なスタンスを取っているとはいえ、完全に接触を絶っているわけではない。
サイヤ人は少数民族である。総人口は400人にも満たない。
大げさでも何でもなく、リキューにとってサイヤ人という種族は、一人一人に至るまで顔見知りなのだ。
この世界に生まれて、九年あまり。それだけの間があれば、たかだか400人程度しかいないサイヤ人全ての顔と名前ぐらい、外部に排他的な種族ということもあって覚えることはできる。
もちろん、それは全員と親しい親交があるということを意味しているわけではない。
……だが、全員を知ってはいるのだ。
曲がり並にも顔見知り、ということである。
良くも悪くも、日本人としてのメンタルを要素に持ったリキューに、そんなサイヤ人をフリーザと同じ扱いにはできなかった。
しかし、それは矛盾である。
比較すれば、確かにフリーザの方がサイヤ人よりも悪であろう。
しかしそれは比較の話である。最悪と比較した話をすれば、何もかも善良になってしまう。
サイヤ人が悪であるという事実は、一切変わらないのだ。
あるいは二日前のまま、サイヤ人の仕事を回されないままに済んでいたら、まだこの問題を先まで誤魔化せていただろう。
サイヤ人の所業には見て見ぬふりをしながら、来るべきフリーザの打倒、その後まで、矛盾を意識しないで済んだ筈である。
しかし、そうはならなかった。
皮肉にも、普通よりも早熟な戦闘力の有無が、リキューに矛盾の存在を早々に意識させたのだ。
自分に、星の地上げが任される。
それはリキューとして、断じて認められない最後の一線。
たとえ他人が手を下している様を見て見ぬふりで誤魔化せても、自分が手を汚すことまでは精神を誤魔化せないのだ。
これもまた、自己保身に塗れた想いではあっただろう。
しかしそれがリキューの心が許す、限界の一線であったのだ。
仮に、ここでリキューが妥協、あるいは諦めて仕事に従事するとしよう。
その瞬間、リキューのアイデンティティは崩壊し、その在り方・精神はただのサイヤ人となる。
それはリキューが消えると言っても過言ではない表現である。
今のリキューは日本人としての人格を骨子に、サイヤ人という種の生理本能でデコレイトされているのだ。
色々と屈折した内面となっているが、主体が日本人であるということに変わりはない。
リキューがリキューであるためには、星の地上げを肯定することも実行者となることもダメなのだ。
なぜならば、それは主体である日本人を否定することに繋がる。
リキューの日本人としての部分は、罪のないものの命を奪うこと、大量虐殺を認めていないのである。
――単純に仕事を拒絶する。
リキューがもっと孤独主義であり、一切の交流を絶っていたのなら、その行動もとれただろう。
しかし現実は違い、リキューは中途半端な生き方で日々を過ごし、そしてサイヤ人に情を移してしまった。
それでもあるいは、まだ二日前のリキューならば可能だったかもしれない。
全ての人間と顔見知りであるとはいえ、まだギリギリ切り捨てることに割り切れるレベルだったから。
罪の在処を明確にし、己の価値観に従ってサイヤ人をフリーザと同じ扱いにすることを、大変な心的徒労を伴うだろうができたであろう。
しかし、リキューは知ってしまった。
自分が愛されているということを。
ニーラとの会話と、予想外の言葉は、リキューに自分が愛されているという望外の事実を認めさせた。
本来ならば、ただ喜ぶだけで済んだその事実。
だがそれがこの問題を、より複雑に、重要に、残酷なものに変えていた。
今まで親とも思っていなかった。ただ、親と子という記号があるだけだった。
そんな認識であった関係の変化。
どこまでいってもこの世界にとって異物でしかない、頼れるものも繋がる関係もない、たった一人だけの人間だと思っていたリキューに、一人でないと教えてくれたもの。
はじめて母だと思い、拠り所になるかもしれない、なってくれるのではないかと思ってしまった存在。
しかし彼女はサイヤ人であった。
リキューにとって、許せない存在であった。
星の地上げを、自分への仕事を拒否することは簡単である。
しかしそれは、あえて抽象化し避けていたサイヤ人の問題を、直視するということでもある。
そしてひいては、サイヤ人を“別に殺してもかまわない”対象とすること、つまり完全な決別をも意味する。
母と認識してしまった人を、今まで共に同じ場所で住み、育ってきた人間たちを、その対象としてしまうのだ。
今のリキューの精神は、極めて歪な形にある。
一度敵対対象として認識してしまえば、もうその対象は理性の働かない領域のものとして心に置かれるのだ。
それは闘争本能が一切の枷をなしに解き放たれる、ということを意味する。
分かりやすい例として、フリーザがいる。
対象として認識したフリーザに対して、今のリキューは無条件の敵愾心・闘争心を抱いている。
もう敵対対象として、認識した存在だからだ。
その行為への猜疑心すら沸かず、それが当然のものとして、一種の思考停止状態に置かれているのだ。
リキューは自分のその精神を、無意識下で理解していた。
だからこそリキューは、決断する前に、あらゆる煩悶から解き放たれて行動する前に、自分の理性を使って敵対するかしないかを判断する必要があったのだ。
しかし、リキューに判断を決するだけの覚悟も勇気も、あるいは意地も、なかった。
それは、優柔不断と称する行動だっただろう。
決断のための基準は明確にあり、フリーザに対してはあっさりと判断しているのにもかかわらず、身内に対しては躊躇う姿勢。
他者が見れば、十人の内十人全員が卑怯、あるいは自分勝手だと罵倒したことだろう。
リキュー自身にも、そういう少なからずの自覚があった。
しかしそれでも、決めることはできなかった。
そして苦悩し、煩悶しながらも、答えが出ないまま二日が経った。
もう、残された時間もなかった。
リキューはまともに眠れず過ごしたために、精神的にも肉体的にも極度に疲労していた。
答えは出ない。流されるわけにもいかない。時間がない。
そんな様々な悪条件の中、リキューはふとある人間を思い出し、半ば縋る思いでその人物のもとへ赴いたのだ。
リキューが思い出した人間。ニーラについて考えていた時に、ふと連想された人物。
それが、ガートンだった。
リキューの姿に、ほんの僅かだけ驚きを示したガートンであったが、それだけだった。
すぐに視線を外すと、また端末に目を向け作業を再開する。
「貴様が私に、何の用がある」
作業を続けるその姿に、リキューへの思いやりは感じ取れなかった。
少なくとも、リキューはそう見てとった。
だが、逆にその無関心な態度の方が、今のリキューにとっては心安らぐ反応だった。
「………アンタに、聞きたいことがある」
「私は暇ではない。戯言は別のところでしていろ」
「何で、アンタは戦わない……何で、戦うのを止めた?」
無視して問いかけられる言葉に、ガートンの動きが止まる。
端末を持ったまま、ガートンがリキューへと振り返る。
その表情は憮然としており、面倒臭さが滲み出ている。
「そんなことを聞いてどうするつもりだ。私が戦いを止めた理由が、貴様に何か関係あるとでも言うのか?」
「頼む、答えてくれ」
精気の欠けた表情のまま、リキューは懇願する。
溜息と舌打ちを漏らすガートンだったが、聞き届ける気になったのか完全に作業を中断し、リキューへ身体ごと向き直る。
「面倒な子供だ……」
エリートであるガートン。
彼のことを、元々は生粋の戦士であり、前線でその力を思う存分奮っていた人間であると、リキューは聞いていた。
しかし、ある時に受けた負傷が原因で一線を退き、そしてテクノロジストに転向したと。
これが地球人、現代の人間ならば納得できた話の流れであった。
しかし、ガートンはサイヤ人である。この流れは不自然であった。
サイヤ人は回復力が高く、大抵の傷は適当な時間の経過によって治癒することができる。
また、仮に回復しきれない深刻な深手を負ったとしても、それを理由に戦いを止めることはまずない。
例え戦闘力が少々低下しようとも、戦いを求める本能が身体を突き動かすからだ。
“死ぬまで戦うことを止めない”というのは、サイヤ人にとって比喩でもなんでもない慣例であるのだ。
サイヤ人という人種にあって珍しい、戦うことを止めた人間。
問題の答えが出せないリキューは、そんなガートンの話を聞きたかった。
話を聞けばあるいは、答えを出せるのではないか? その糸口を掴めるのではないか?
そんな思いがそこにあった。
しかしリキューは、例え話をしたとしても、それが問題の助けにはならないことに気付いていなかった。
ガートンがいかなる理由で戦いを止めたとして、そしてその内容を知ったとしても、リキューの悩みの根源である“サイヤ人が悪である”という事実に変わりはないのだ。
そのことに気が付かないほど、リキューは疲れ果てていた。
「私が過去に重傷を受けた………そのことは貴様も知っている筈だ」
右手の義手を暗に示しながら、ガートンが話す。
無言で頷き、リキューは続きを求める。
フン、と鼻を鳴らす。
「ならばそれが答えだ。他に言うことなどない」
「嘘言うなよ、それだけじゃない筈だ。それだけで戦いを止めるわけがない」
「知った口を利くな、子供が。貴様がサイヤ人らしかぬ者だという話程度、私も知っているぞ」
「だが、サイヤ人だ。俺も、サイヤ人なんだよ………親父」
リキューの言葉は、本人の思い以上に万感の込められた言葉だった。
そのことに、特に意味はなかった。
ガートンも別に、その言葉と表情に、心動かされるものはなかった筈である。
彼もサイヤ人らしく、目の前にある己の次男に対して一切の興味を持っていなかった。
だから結局、ガートンがその後に言葉を続けた理由は、気紛れにしか過ぎなかったに違いない。
「………私が重傷を負った時、すでに戦線は片付いていた。傷を受けたのは、敵の最期の抵抗に不意を突かれたに過ぎない」
リキューは、黙って話を聞いていた。
「しかしツフル人はとっくに戦闘が終わり、惑星を全て制圧下に置いたにもかかわらず、私にはおざなりな応急処置だけで放置した」
その結果がこれだ、と右手の義手を見せる。
右手の義手だけではなく、他にもガートンの身体には、目に見えない多くの部分に後遺症が残っている。
今のガートンの戦闘力は、全盛期の三分の二程度しかない。
サイヤ人の戦闘民族としての特性があるがため、多くの後遺症を抱えながら、これだけの戦闘力を保持していられるのだ。
「そのときの衝撃は、私にとって初めてのものだった。ツフル人に対しての怒りなどではない、呆気なく奪われた己の戦闘力に対してだ」
ぐっと、ガートンは右手の義手を動かし、握り拳を作る。
ギリギリと特殊合金の擦れる音が響く。が、すぐに力は抜けた。
「しばらくして、私は考えた。何故こんなにも簡単に戦闘力が消えたのか、何がゆえにこうなったかをだ」
「……それで、どういう答えを出した?」
リキューの問いを鼻で笑いながら、ガートンが答える。
「簡単な話だ。奴らツフル人には技術があり、我々サイヤ人にはなかった……それだけの話だ」
ガートンは、視線の動きで部屋の全てを示す。
一昔前のサイヤ人にはなかった設備、文明の証。
「だから私は選んだ。奴らツフル人が持っていた技術を、科学を。手っ取り早く奪い、我々のものにするということをな」
それが今の私の理由だ。
そう、ガートンは締め括った。
リキューは、愕然と目を開き、呆然としている。
「それが、理由なのか? 戦うことを止めた?」
「そうだ。ベジータ王も愚かではないからな、数少ない科学者を前線に送ることもない。戦いを止めるのは必然だった」
そして言い切ると、ガートンはリキューに背を向け、落としていた端末の電源を入れる。
「話は終わった、とっとと出て行け。貴様は邪魔だ」
もう蚊程の興味もないのか、ガートンはリキューを無視し、作業に没頭している。
リキューの望む答えは、結局得られなかった。
そして失望と落胆を抱きながら、リキューは部屋を後にした。
ガートンは、その姿を振り返って見てやることもしなかった。
ここに、失意に包まれたリキューが気付かなかった、一つの重要な事実があった。
それはガートンが、サイヤ人として精神的解脱を迎えた存在だということ。
つまりリキューにとって、己を悩ます煩悶を超えた先、問題の原因である生理衝動と決別した、一歩先を行った存在であるということだ。
サイヤ人にとって、闘争本能とは決して断ち切れない関係にある。
原作のサイヤ人らしかぬ存在である筈の孫悟空ですら、闘争本能は根ざしていた。
しかしこれだけならば、別にさしたる問題はない。
過剰反応気味であるリキューであるが、これだけならば、ただ趣味に“戦うことが好き”ということが付け加えられるだけで、今ほど内面が複雑にならなくて済んだ筈だ。
問題は、もう一つのサイヤ人由来の特性である、人格に表れる凶暴性である。
この二つの本能が組み合わさったことが、リキューの内面を殊の外に複雑化させることになったのだ。
凶暴性とはつまり、暴力の肯定であり悪性の容認である。
これに戦いを求める闘争本能が併さるために、サイヤ人は種族単位で画一的に残虐非道であり続けているのだ。
しかし、この生来の凶暴性を抑制したサイヤ人もいない訳ではない。
孫悟空という例外以外にも、多数存在しているのだ。
その数少ない一人が、原作におけるベジータであり、現在テクノロジストを専攻しているガートンである。
ベジータの場合は、長年の平和な生活と家庭を持ち愛情を抱いたことが、精神に変革を与え凶暴性を抑えることとなった。
ガートンの場合は、負傷によるこれまで拠り所にしていた戦闘力の喪失と、それによって気付いたツフル人とサイヤ人との間にある圧倒的な格差に一種のカルチャーショックを受けたことが、その切欠となった。
他にも年月を経て老境に至り、若さを維持できなくなった古参のサイヤ人などが同じ精神となることもある。
いずれの場合にあっても共通しているのは、彼らはリキューにとっての問題の根源である凶暴性を完全に抑制した、いわば理想形だということだ。
もしこの事実にこの時リキューが気が付いていれば、あるいはこの後の彼の運命も、大きく変わっていたかもしれない。
しかし残念ながら、リキューがこの後もこの事実に気が付くことはなく、そして彼はある選択をするのである。
結局のところこれは、人の運命はなるべくしてなるのだ、ということを示しているのかもしれない。
ふらふらと安定しない足取りで、子供が歩いていた。
見るからに注意力散漫であり、見てて不安しか抱けない有様であった。
案の定、少年は向かいから現れたサイヤ人の一行と衝突した。
「ん? なんだぁ、お前は?」
ぶつかった巨漢のサイヤ人が、訝しげに問う。
だがそれにも大して注意を払う様子を見せず、衝突したことにも気付いていないのか、ふらふらとした様子のまま少年は脇を通り過ぎていった。
癇に障るものがあった男であったが、その様子に不気味なものを感じ、思わずそのまま少年を見送る。
「………何なんだぁ、奴は? 変なガキだぜ。見覚えがある奴だが……」
「あれだろ? 確か、リキューっていう、一人で変なことをしてるっつうエリートの子供だ」
「へえ、あいつが噂の?」
女のサイヤ人が声を上げる。
彼らは各々、先程の少年――リキューの姿を思い返し、確かに変な子供であると納得していた。
仲間と群れず、一人で何をやっているかと思えばエネルギー弾の発射やよくわからない座禅のような行動。
最近では、地味な筋トレも始めたという話も聞く。
何をやりたいのか、そもそも何を考えているのか分からない奴。
サイヤ人の間でのリキューについての評価は、精々がこの程度。
奇妙な行動の多い、戦闘力が高めのおかしな子供という認識だった。
「ま、あんなガキなんてどうだっていいよ。バシレイ、マッピン、とっとと目的の惑星へ行くよ」
「へいへい、まったく休む暇がないったらありゃしねぇぜ」
「ッケ、何言ってるっつんだ。いの一番に暴れまわる奴がよ」
そして彼らも、リキューについてあっさりと忘却すると次のターゲットの星について、それぞれ考えを馳せながら去っていった。
所詮、サイヤ人の間でリキューなど、その程度の扱いでしかなかったのだ。
自室へと戻ると、リキューはベッドに飛び込んだ。
日本人であった時の記憶よりも遥かに快適であるベッドであるが、リキューの疲れが取れることはなかった。
疲れ果てているのだが、眠りに誘われる気配はない。
過剰なストレスが緩やかな頭痛を呼び覚まし、さらに精神の不安定化を招き連鎖する。
不安定化した精神は凶暴性の手綱を容易く緩め、そしてストレスの捌け口を求めて溢れる衝動を自戒することで、さらなる軋轢を精神に招いた。
悪循環である。
「チクショウッ」
苛立ち紛れに振るった拳が、壁にめり込んだ。
自制が効かなくなってきているのが、リキューにも自覚できていた。
が、だからといってそう易々と解決なんてできないのだ。
リキューは今、一種の潔癖症にある。
主体である日本人の部分を守るために、サイヤ人としての悪辣な面に過剰反応し嫌悪しているのだ。
そのために現在の複雑な精神の内面を構築し、そして割り切りや妥協といった中途半端な行動の選択を不可にしていた。
リキューの行動論理に従って言えば、自分がこれから生きるために星の地上げを行うことを選べば、それは同時にサイヤ人の罪を肯定し容認するということになる。逆を言えば、星の地上げを拒否することはサイヤ人の罪を認め、フリーザと同じく断罪するということになるのである。
答えが直結しているのだ。
もちろん妥協や割り切りといった行動が正しいという訳ではないが、少なくとも今ほどのストレスからは解放された筈である。
どちらがリキューにとって幸せであったかは、今となっては本人とて知る由はないが。
「どうすりゃ、いい……」
ありていに言って、リキューは限界であった。
ギリギリまで張り詰められ、さらにその限界まで引き延ばされた極限の状態。
日本人としてもサイヤ人としても経験のしたことのない重大な選択の重みは、リキューの精神へ指数関数倍に負担をかけていた。
今のリキューは、理性の途切れる一歩手前だった。
だがこの時、リキューの脳裏に、つい先ほどの、ある会話が再生された。
それは、父・ガートンとの会話であった。
『そうだ。ベジータ王も愚かではないからな、数少ない科学者を前線に送ることもない。戦いを止めるのは必然だった』
それは、まさしく天啓だった。
閃光のように走るアイディア、今の状況を打開する機転。
限界まで追い詰められたリキューがそれを思い付いたのは、ある意味当然か。
急に身を起こし、ふらりと足並みを僅かに乱すも、すぐに体勢を整えてリキューは歩き出した。
意見を、自らの意向を上申するためである。
その足取りは軽く、先程に比べ重圧は表情から消えていた。
宇宙空間に、ぽつりと単独で航行する宇宙船がある。
それはフリーザだけに使用が許された、ツフル人の遺した最新のテクノロジーを導入し改良された、円盤型の巨大宇宙船であった。
しかし、その宇宙船に乗っていたのはフリーザではなかった。
宇宙最強の力を誇ると、自他共に認められているフリーザ。
そのフリーザだけに使うことを許された宇宙船と同型のものに乗るものは、しかしその力が、圧倒的にフリーザを超えた存在であった。
「………クウラ様」
展望エリア。
宇宙船の主が、フリーザと同じマシンに乗ってくつろいでいるその場所へ、整った顔立ちの男が報告に現れる。
主……フリーザの実兄であり、宇宙最強である筈のフリーザを凌ぐ力を秘めた男は、視線すら向けずに応えた。
「なんだ?」
「以前、御所望しておられた惑星マウが手に入った、とのことです」
「ほう、早かったな」
僅かに興味が惹かれたのか、クウラの声に興が乗る。
その報告は、決められていた期日よりも一ヶ月早かった。
男――サウザーは、主の興味に応え、報告を続けた。
「地上げを担当したのは、サイヤ人である、とのことです」
「――――サイヤ人、か」
ゆっくりとマシンが回転し、サウザーの方へ顔を向けると、そのままクウラは展望エリアを後にする。
サウザーは邪魔しないよう一歩引き、その姿を見送った。
「超サイヤ人伝説などという、子供のお伽話を信じる気などないが………サイヤ人か………」
表情を一片も動かさず、鉄面皮を維持したままクウラは吐き捨てた。
「不愉快な話だ」
かつて隆盛を誇りながら、“超サイヤ人”に滅ぼされたという、彼の一族。
現在、その数少ない生き残った一族を統率しているのが、フリーザとクウラの父、コルド大王である。
彼はすでに全盛期を過ぎ、力は衰弱傾向にあった。
彼の一族は特徴だった生態の一つに、年月を経るごとによる形態の退化がある。
コルド大王も忘年は、長い年月により生来の莫大なパワーのコントロールを習得し、五回の変身を可能とした猛者であった。
しかし老化による肉体の衰弱によって、その形態は著しく退化し、現在では見る影がないほど極端にパワーが減少していた。
だが長年かけて習得したパワーコントロール技術は無駄ではなく、単純なパワーでは息子たちに劣っても、未だに実力については一族のトップを維持しており、長としてコルド大王は君臨していた。
そして地に伏するのは止め、宇宙の表舞台に台頭を決意したコルド大王は、その旗頭として次男であるフリーザを掲げることとしたのだ。
このことに少なからずの反発は、当然発生した。
しかし一切の反論は、コルド大王が己の力でねじ伏せた。
そしてフリーザには東の銀河を、クウラには西の銀河をそれぞれ活動領域として割り当て、両者の住み分けを行ったのだ。
この住み分けと意図的なプロパガンダによって、一般的に一族のもので認知されている存在はフリーザだけとなっていた。
このコルド大王の行動の意図は、両者の切磋琢磨、あるいは生存競争であった。
フリーザは一族の最有力株、寵児であった。
その保有パワーは一族を振り返ってみても随一であり、未だパワーコントロールは未熟であれど将来への期待性は最も高かった。
しかし長男のクウラはクウラでまた、まだ年若いながらも四回目の変身を可能としたつわものであった。
フリーザとは別に、将来の期待性は高かった。
ゆえに一族の繁栄を重視するコルド大王は、フリーザに期待の比重を傾けながらも、両者に機会を用意し、宇宙の覇を競わせながらその成長を促していたのだ。
その心の内に秘められた野望は、一族の再興。
かつて失われし栄華を取り戻し、宇宙最強の覇者として一族を降臨させることである。
とはいえ、それはコルド大王の思惑であり、フリーザやクウラの思惑とは異なっていた。
クウラは元より、自らを押さえ付ける父の存在を目障りに思っていたし、資質的に自らに等しいあるいは凌駕するフリーザの存在は気に喰わなかった。
フリーザはフリーザで、自らを持ち上げる父に感謝はしていたが、それとは別に自分の上に立つ存在を無用と考え、クウラのことはチンケな変身ができるだけに過ぎないくせに偉ぶる、目障りな存在と認識していた。
誤解を恐れず言うが、彼らは決して身内の間に情を持たぬ種族ではなかった。
互いの間に少なからずの親愛なり友愛なり、身内として相応しい感情を抱いてはいるのだ。
しかし同時に、それはそれ、これはこれとして、感情を別のものとして扱うことができる人種でもあったのだ。
知ればリキューが羨むほど、感情の扱いに長けて、自分の欲望に素直で忠実である種族なのだ。
だからこそリキューが彼らの価値観を理解することが、これからの生涯決してないのでもあったのだが。
「リキュー!?」
地上げを終え、惑星マウから帰ってきたニーラは、その足でリキューの元へ向かっていた。
声に反応したリキューが、振り返って呟く。
「ニーラ……お袋か」
ニーラの目に映ったリキューは、バトルジャケットがローブ状の構造のものとなっていた。
その姿を見て、ニーラは伝え聞いた噂が嘘でないことを知った。
予想外の展開に驚きしか抱けず、ニーラは思わず言葉が漏れた。
「お前、科学者に志願したって話は本当だったのかい?」
「ああ、本当だ」
リキューは肯定した。
ニーラの言っていることに、一切の嘘は交じっていなかった。
進退窮まり、袋小路に追い詰められたリキューの脳裏に閃いた、父・ガートンとの会話。
彼はその内容を改めて吟味し、とあることに気が付いたのだ。
『そうだ。ベジータ王も愚かではないからな、数少ない科学者を前線に送ることもない。戦いを止めるのは必然だった』
この中の、さらに一文。
――数少ない科学者を前線に送ることもない。
この部分にである。
彼はその話の中のおまけ程度に付け加えられた情報に着目し、詳細を調べる時間も惜しんで申請したのだ。
すなわち、テクノロジストへの転向である。
それは一縷の望みをかけた博打染みた行動であったが、しかしリキューの望みは無事に果たされた。
リキューはテクノロジストへの転向申請を、許可されたのだ。
これはサイヤ人にとって、テクノロジストが慢性的な人手不足であったからだ。
リキューの知らなかったことであるが、フリーザ傘下のテクノロジストの存在により単純な人材は充足してはいたのだが、フリーザの支配に反感を抱くベジータ王一派の思惑によって、フリーザの傘下ではない人材の確保が裏で求められていたのだ。
露と知れぬその裏での思惑の助けが働いたこともあって、リキューはテクノロジストへの転向が認可されたのである。
そしてテクノロジストに対し図られる便宜として、リキューは星の地上げが免除された。
つまりリキューはようやく、あれほど自分を悩ましていた問題から解放されたのだ。
しかしこの行動は周りのサイヤ人からすれば、どう見ても戦いから逃げたようにしか映らなかった。
そして元々奇抜な子供であると評価されていたリキューであったが、この行動が契機に一つのあだ名が付け加えられることになったのだ。
曰く、“腰抜けのエリート”、リキュー。
よっぽど分かり易く、そしてある意味親しみやすいこのあだ名は、リキューの前評判の不可思議さもあって、あっという間に広がり認知されたのである。
惑星ベジータへ帰還したニーラが最初に聞いたのも、このあだ名であった。
「アンタ、サイヤ人らしくなったと思った矢先に、いったいどうしたっていうんだい?」
「別に………関係ない話だろ」
あんたには、という言葉は呑み込んだ。
今のリキューにとって、ニーラと会話することは苦痛でしかなかった。
溜息をつき、ニーラは疲れたような表情を見せた。
「私には、やっぱりアンタが分からないよ」
「………そうかい」
会話はそれだけ。
ニーラは踵を返し、リキューもまた背を向けて歩き出した。
ここに、話が終ると同時に親と子の関係も断たれた。
リキューは一人、そう感じ取った。
リキューはニーラについての考えを早々と忘却することに励み、懐から取り出したテキストを読解しながら歩く。
問題の解決法として選んだテクノロジストであるが、転向した以上は成果を出さねばならない。
リキューは自然と鍛錬の時間を削り、勤勉に勤める必要性ができていた。
この後も、一人リキューは、腰抜けのエリートと呼ばれながら、黙々と学習を続けるのであった。
リキューが選んで選択は、結局のところ、その本質は“逃げ”でしかなかった。
彼は結局答えを出せなかったのだ。
星の地上げに対する、その自分の答えを。
リキューが行ったことは、サイヤ人の所業から硬く目を逸らし、その事実を半ば意図的に見過ごすということである。
答えの正否がそのまま行動へと直結する。
ならば、答えを出さなければよい。
単純な、論理の穴を突いての行動であった。
しかし、このリキューの行ったことは究極的な自己保身に他ならない。
彼はあまりに精神的負荷の重いこの選択から、逃げたのである。
自分が手を汚すことを認められなくても、他者が手を汚すことは容認する。
リキューの中に少なからずあるこの利己的思いが、この選択をさせたのである。
この行動によって、リキューは己の内にある“悪”としてのサイヤ人に対する“善”としての日本人の意識を、“サイヤ人の罪に対して自分のするべき行動”というのを確定させることをせずに守ったのだ。
人によっては、もはやリキューも他のサイヤ人と同罪というかもしれない。
現実問題、リキューの行ったことは非常に汚い行動であろう。
自分がするのは嫌だが他人がするのを見過ごす。
これはいわば、規模が違うが、隣で誰かが虐められているのを見過ごしている、というようなものである。
そしてこのようなことをしていながら、自分は正義の領域の方へ立っているのだと心に言い訳しているのだ。
社会通念で言えば、同罪とは言わないまでも性根の腐った人間と言えた。
しかし、それでもリキューは、その手を汚してはいなのだ。
優柔不断であり、自己保身にも走ったが、それでも凶暴性と闘争心に苛まれながらも、他のサイヤ人と同じように罪ない命を奪うことはしなかったのだ。
もちろんこれは、いちいち言われずとも守って当り前のルールである。
破ることがおかしく、守ったところで特別に称賛される行動でもないのだ。
なぜなら、“守って当然”なのだから。
だが、リキューははち切れそうな理性の中で、このルールを必死に遵守した。
そのことに、意味はないのだろうか?
――あとがき
こんにちわ、作者です。
感想が多くて感謝感激が溢れています。ありがとうございます。
オリ設定は相変わらず連発。オリ設定が尽きた時がこの作品の終わりです。
今回もかなりクドクド主人公の内面描写を盛り込む。
うちのリキューは一に不安定、二に倫理、三四が闘争心で五が潔癖で構成されています。
自分が同じ境遇だったらアッサリ流されること請け合い。ま、リキューは主人公だからガンバ。
今回でそろそろリキューの内面描写も区切りを付け、もちと作品のノリを重視する予定。
いいかげん内面を読むのメンドいだろうと思うこの頃。
感想・批評待ってマース。
追伸。
今回の話に出てきたオリサイヤ人の名前の元ネタ、分かった人はいるかな? かな?