日本帝国、首都東京。
つい先日に忌まわしきBETA侵攻を受け、国土の半分を侵略されあわや滅亡間近かと危ぶまれた極東の国家。
その国家の運営を司る武官・文官両方の重鎮たちが、大会議室の一室に集められていた。
その中で白衣を着た一人の男がプロジェクターを使いながら、話を進めていた。
スクリーンに衛星写真を投射しながら、男が解説を続ける。
「人工衛星からの観測情報によりますところ、現時点における西関東から近畿、中国、四国。並びに九州地方からのBETAの撤退を確認しました。撤退を開始したBETAたちは建設していた横浜ハイヴも放棄し、大陸方面へと移動。一部のBETAの佐渡島ハイヴへの移動を確認しましたが、大多数のBETAは日本から撤退しました」
衛星写真に、BETAたちの撤退ルートが重ねられて表示される。
一人の高官が手を上げて発言を求める。どうぞと薦め、高官が発言した。
「BETAどものこの行動の原因は何か、判明しているのか?」
「不明です。現在派遣している横浜ハイヴの調査部隊が原因にあたる要因の調査を行っていますので、その報告を待つ必要があります」
「横浜ハイヴ内に、今回のBETAたちの行動の原因があると?」
「はい。そう我々は考えています」
「それは何かしら、具体的な根拠があるものなのか」
「はい、その通りです」
白衣を着た男―――技研から出向してきた科学者が、高官の質疑に肯定を返す。
プロジェクターに投射される画像が変えられ、男が説明を始める。
「今回のBETAたちの行動原因が、横浜ハイヴにある根拠。それはBETAたちが横浜ハイヴを放棄したことです」
スクリーンに、先行派遣された偵察部隊が撮影した横浜ハイヴ内の写真が次々と映されていく。
ヴォールクデータ以来の貴重なハイヴ内の情報に、居並ぶ武官たちの間からざわめきの声が漏れる。
安全性を重視し未だ碌にまとめられていない情報の集まりだったが、その価値は疑うまでもない稀有なものだった。
そんな時系列や位置などもバラバラで表示されるハイヴ内の写真だったが、共通してあることは一つ。
どこにもBETAの姿が見えないということ。
つまりこれは偽装や騙し打ちなどではなく、本当にBETAたちはハイヴを放棄したということを示していた。
技研の男は周囲を見回しながらよく確認し、意見を続ける。
「これまでBETAたちは我々人類にとって不可解な行動を幾度も取ってきました。その中には唐突な侵攻や撤退行動なども含まれていて、今回の行動もその内の一つのように思えます。しかしながら一点だけ、BETAたちの行動にこれまでのものとは異なる異質な点があります」
「それが、今回の横浜ハイヴの放棄だと?」
高官の一人が言った言葉に、男がはいと頷く。
男はその根拠を強調するように、さらに続けて説明を重ねる。
「未だ検証不十分ですが、ハイヴ内には明らかに作業途中だったと見受けられる構造個所が現時点で多数報告されています。ですので、おそらく今回のハイヴ放棄はBETAにとっても予想外の事態であった可能性が高いと我々は判断しています。これはまだ予測の段階なのですが、おそらく“何か”……ハイヴ内にてBETAたちにとって支障をきたす危険が生じたのではないか。そのような原因を我々は想定しています」
「待て。BETAたちにとって支障をきたす危険だと? それは何だというのだ! 現在ハイヴ内に出向している偵察部隊の者たちに危険はないのか!?」
「不明です。有毒ガスの発生か、あるいは病原の流行か……追って専門の調査部隊の派遣と分析を開始し、特定する予定であります」
「つまりは想像だということか。技術屋が、ふざけるなよ。個人の勝手な想像をこのような場で報告してるんじゃない!」
「予測の段階だと、私は申し上げました。未だハイヴ内の安全が確認されたという訳でもありません。現状で確定した情報を届けることは不可能です」
「ならば最初からそうだと言え! いちいち迂遠な言い回しをしおって、不確かな情報は現場の行動に混乱にしかならんわ!!」
しばらくの間、会議場に野次が飛び交う。
やがて静まり返ってきた頃になって、一人の男が発言する。
日本帝国内閣総理大臣、榊是親だった。
「つまり、現時点で判明していることはBETAたちが横浜ハイブを完全に放棄しているということ。それだけか」
「はい。これ以上の究明については、どうしても時間を待っていかなくてはなりません」
「ならば、もうこの件については終わりにしよう。諸君らについては今後とも研究分析に尽力し、判明した事実について逐次報告してもらいたい」
「了解しました」
技研の男が敬礼し、席へ着く。
そして次なる議題―――今回の会議の本題へと、内容を移す。
榊首相が、議題の口火を切る。
「では、次はハイヴ内で救助されたという“生存者”について報告を聞きたい」
場の空気が目に見えて変わる。
それだけ、この事の重要性が段違いであったということだった。
これまで一切の人類側からのコミュニケーションを拒絶し無視してきたBETAが、捕虜に取るなどという明らかに興味を持ったアプローチを仕掛けてきたのだ。
これをきっかけにBETAどもの生態について、何かしら解明されるのではないかという期待を集めざるを得ない存在。
軍事、政治、外交。
全ての分野において大きな影響を与えるファクターとして、最も注目を浴びている事柄であったのだ。
―――そしてその中の一人には、それらすらさらに上回る衝撃を伴った存在がいる可能性があった。
高官の一人が起立し、榊首相の言葉へと応答する。
「確認された生存者たちの数は全員で54名。内、53名については当人たちからの聞き取り情報を元に戸籍との照合を行ったところ、身元が確認されました。全員が一か月前のBETAの侵攻により行方不明とされていた者たちです」
「健康状態については長期の勾留によって皆なにがしかの不調であり、全体的な筋肉の低下や視聴覚への異常、また少なくない精神的な傷害も確認されました。現在は全員を帝都中央病院へと搬送し、専門病棟に入院させて治療を受けさせています。警備については軍から選抜された人員を200名ほど派遣し、病棟を中心に固めています」
「生存者たちからの聞き取りについてはどうなっている? 捕虜にBETAどもがどんな行動をしていたのか、何か分かったのか?」
「容体に注意しながら聞き取りも行っていますが、なにぶんこれまで長い間監禁されていたようなので……それぞれの証言を照らし合わせた上で妥当な内容などを割り出していますが、あまり芳しい様子はありません。一応聞き取った内容を元に生存者たちが留置されていただろう場所について見当を付けたので、その情報を元に現在横浜ハイヴに派遣されている部隊へ追跡調査を依頼するつもりです。これ以上の進展については、とにかく当人たちの回復を待たない限りは難しいものかと………」
「そうか……分かった、報告御苦労」
榊首相がそう一言労いの言葉を出し、口を閉じる。
自然と場に一拍の間が空き、会議場に静けさが満ちる。
この場に居合わせている人間全てが、次に口にするべき内容を理解していた。
榊首相もそれを理解し、その内容を尋ねた。
「では54名の生存者の内、未だ身元が確認されていない者………例の者について、現在の状態について報告してもらいたい」
「っは………例の者は現在、こちらが用意した部屋で大人しくしています。これまでの間、特に問題的な行動も起こしていません」
スクリーンに、画面が投射される。
それは何処かの室内を映したものなのだろう。部屋を上から俯瞰したかのような構図で映し出された画面の中には、ベッドの上で頭の後ろに手を組んで寝転んでいる少年の姿があった。
リアルタイムの映像らしく、画面の端には刻々と刻まれている日時も一緒に表示されていた。
榊首相が、その報告の内容に眉をひそめて問い詰める。
「問題を起こしていない? 彼はこれまでの間に何か異質な……例えばそう、非人間的な何かとでも言うべきか……そういったことをしていないと?」
「はい。しいて言うならば、常人の基準をはるかに超える食事量を毎食要求することと、鍛錬のような行動を毎日繰り返すことでしょうか。それ以外は特に言及するべきような行動はなく、極めて大人しい生活を続けています。毎日決まった時間に起き、食事と鍛錬を行い、風呂に入り、睡眠をとる。そう、あまりにも“人間的過ぎる”生活習慣です」
歯に何か挟んだかのようなニュアンスを込めながら、報告者が告げる。
まるで人間的な行動を行うことが不自然だと言わんばかりなその態度に、しかし榊首相は疑問を浮かべることもなく当然のように流す。
そういったニュアンスを込めたくなる原因を、この場にいる全員が知っていたからだ。
そしてその原因があまりにも荒唐無稽な代物であったために、未だに半信半疑な者たちが多いことも事実だった。
一人の武官が挙手する。
指されて意見を述べる権利を与えられ、その武官は疑心を隠す様子もなく露わにしたまま質問した。
「今更だが確認させてもらうが、その子供が本当に例のあれだと? それが噂や誤報ではなく確かな事実であるという確認を、貴殿らの口から直接いただきたい」
ざわざわと会議場に騒ぎが広がる。
質問した武官と同じ心境だった者が他にもいたのだろう。
その質問を受けて、報告者と榊首相との間で視線が交わされる。
頷き、榊首相が代わりに立ち上がり述べた。
「それに対して、私が代わりに説明しよう。先だって裏付け調査を行っていた関係各所から、報告を貰っている」
榊首相が、周囲の出席者たちを睥睨しながら確認する。
そして全員からの注意を集めているのを認めて、力強く宣言した。
「それを踏まえて断言する―――彼は紛れもない異星人だ」
どよめきが一気に広がった。
首相から発せられた事実だと断言する驚愕の暴露に、信じ難いという常識からなる騒ぎが起きた。
榊首相は騒ぎを落ち着かせようとせず、話を進めた。
「では詳細な説明に関しては、彼に続きを任せる。よく心に留めて聞いておくように」
「では、首相に変わりまして説明させてもらいます」
話のかじ取りを任された技研の男が前へと出てきて、プロジェクターを弄りスクリーンに新たな画像を投射する。
それは正面から写された、現在リアルタイムで表示され続けている少年の写真だった。
他にもスクリーンには似たような写真がいくつも重ねられて表示され、その全てに少年の姿があった。
その中の一つが拡大されて表示される。
その写真は軍に避難誘導されている生存者たちの集団のもので、その集団の先頭に鎧のようなものを着込み奇妙なモノクルを付けた少年の姿があった。
「例の者……件の少年についてですが、本人自身が証言したところ“サイヤ人”という名の異星人だとのことです」
「人類ではないのか? どう見ても子供にしか見えないぞ」
「見た目で言うなら、確かにそうです。二足歩行であるところから脊椎動物であるところ、その他ありとあらゆる生物学的観点から見て、そのほぼ全てが我々地球人類と合致していることが確認されています」
「ならば何故宇宙人だと断言できる! そんなものただの人間ではないか!」
「異星人であるという決定的な証拠が、複数確認されたからです。物的証拠と加えて、生物的なものもが。こちらがその写真となります」
「なに……っ!?」
スクリーンの写真が切り替えられ、また別の写真が表示される。
新たに写された写真には、これまでの写真とは異なるあるものが写っていた。
入浴中に撮影されたのだろう。全身に筋肉が付いた全裸の少年の姿が、スクリーンに投射されていた。
そしてその少年の臀部に異質なそれ―――尻尾が付いていたのだった。
驚きに目を開いたまま、罵声を上げていた高官が呟く。
「これは………まさか、尻尾か?」
「はい。彼の臀部に対して、地球で言う猿のものに近い尻尾のような器官があることが確認されました。これは装飾品などではなく、実際に神経の通った自在に動かせる人体の一部のようです。この尻尾は普段は邪魔にならないよう、腰に巻いて目立たないようにしているようでした」
連続して表示される写真の中には、器用に尻尾を使って物を掴んでいる様子や腰にベルトのように巻いている様子のものがあった。
リアルタイムで表示されている画面もよくよく見れば、時折ねこじゃらしのように反応し動いている尾があることに気が付く。
紛れもない異星人。その言葉が改めて皆の胸中に広がる。
解説者は例示資料をスクリーンに映しながら、とくとくと説明を続ける。
「彼が着込んでいた衣服から採取した試料や体毛などから行った解析、その他幾つかの分析を彼本人に悟られないよう秘密裏に実行した結果、多くが未知のもの、ないし極めて高度な技術を使ったものだと判明しました。よってこれらの結果から元に、我々は彼の正体が本人の証言通り異星人である可能性が高いと判断を下しました。現在は不用意な接触を避けるため、極力敵意を見せないよう注意した扱いの下、24時間体制の観察を続けています」
「馬鹿な……あんな尻尾があるだけで奴を宇宙人だと判断するのか? あんなもの義肢の応用なりで用意することなど幾らでも出来るだろう! 高度な技術の産物だという話だって、それこそソ連やアメリカが秘密裏に開発していたものなのではないか!?」
「それこそ有り得ないだろう、落ち着け! 何故アメリカやソ連などがそんな極秘技術を持たせて単身潜入などをやらせるのだ!」
「そんなことは知らん! 自分が言っているのは、現実的ではないと言っているのだ! 幾ら高度な技術が使われていると言っても、それを宇宙人由来のものだとと結論するなど早計にもほどがある! まだ大国の秘匿技術だとするほうが説得力があるわ!!」
鼻息荒く否定する高官の弁舌に、表立って賛成の意を表すものはいなかった。しかし言外に同意するかのような雰囲気が漂う。
やはりそれだけ内容が突飛であったということだった。
しかしそれらの意見を、解説者である技術者はばっさりと両断するように否定した。
「いいえ、あり得ません。アメリカ、ソ連、ドイツに中国。この地球上に存在するいずれの国であろうとも、これらの技術を用意することなど出来ません。絶対に」
あまりにも断定的なその口調に、反論していた高官は威勢をそがれる。
淡々と、しかしその瞳の奥に確かな熱意を浮かべながら技研の出向者が解説を始める。
スクリーンに新たな写真が投射される。
皆の前に大写しされたのは、鍛錬のような行為をしている少年の一シーンであった。
その写真の中、焦点は少年の着込んでいる鎧のような意匠をした服へと当てられていた。
「こちらの写真をご覧ください。注目してもらいたいのは、彼が身に付けているこの衣服についてです」
「これは、鎧か? 防具にしては伸縮性が高いように見えるが……」
「当たらずとも遠からずといった感じです。機能としては鎧に近いですが、我々が理解しやすいものとしてはこれは強化装備に近いものです」
「なに!?」
写真が差し替えられる。
拡大された砂粒のような画像がスクリーンに投射された。
まるで雪結晶のように整えられた画一的なデザインが、それら粒の中に揃って存在している。
それらの構造に指示棒を当てながら、男が説明する。
「表示しているものは、彼の着ていた衣服から採取した試料を拡大したものです。これを見てお分かりになりますか?」
「何のことだ?」
「この衣服を構成していた試料に内包されている画一的な構造体。調査してみたところこれは、全て工学的な組成による特定の機能を持たせた物体―――つまり、機械の一種と判明しました」
「な、なんだと!?」
「現在表示している写真の倍率は約6万倍前後。つまりこの物体は恐るべきことに、全長がたった10nmにすらならない細菌よりも小さい微小機械だということです。しかもその上幾つかの耐久実験を行ってみたところ、耐熱、耐冷、耐衝撃ら他多数。それら全ての外的要因に対して一切機能を損なわず、実験前と変わった様子もなく機能を維持し続けている常識外の恒常性も確認されました。………お分かりですか? こんな代物は今現在の地球上で、それこそ例えどの大国が連携し技術と時間を費やそうとも用意することなど出来る訳ないんですよ。これはもはや根本的な領域で異なった、現行の地球人類を遥かに凌駕する超技術の産物だとしか言いようがないんです」
以上で報告を終わります、と頭を下げて技研の男が席に着いた。
会議場は静まり返っていた。
先ほど声を上げた高官を含めて、もはや誰一人として内容を疑う人間はいない。
根拠を伴った説得を受けて認識を改め、そしてその結果緊張と真剣さに顔を固めて皆が榊首相へと注目している。
事の重要性と危険性を皆理解し共有化できたことを認めて、日本帝国内閣総理大臣榊是親は言葉を発した。
「それでは始めようか。初めて人類と接触した“会話の出来る異星人”に対する、我が国が取るべき今後の対応についての話し合いを」
リキューは今現在、ほぼVIP待遇に等しい環境下にいた。
一室などとは言わず、一つのフロア丸ごとを貸し切り与えられ、風呂やトイレにキッチンなどが全て完備された場所を住居として提供。
食事についてもわざわざ自分で調理などする必要もなく、要求すれば時間を問わず届けてくれるサービスが用意されていた。
まだやったことはないが、この分では他にも色々と贅沢な注文をしたとしてもそれに応えてくれる可能性は高かった。
これをVIP待遇と言わずして何と言うだろうか。
そうであるがゆえに、リキューは大人しく過ごしながらも警戒心を持っていた。
(身元もよく分らない怪しいガキ一人のために、何の裏もなくこんな扱いをするだと? 有り得ないな)
リキューが保護されてから、軽く二週間ほど経過していた。しかし現時点において、リキューが知り得ている情報は極めて少ない。
そもそもこの世界にトリップした直後にやったことが、何が何だか分からないままの戦闘への突入である。
そのまま流れに任せて行動していたらどういった訳か戦えない人間の集団を抱え込み、右往左往の末に化け物どもが消えたと思ったら、今度は完全な暗闇中地上への集団行脚である。
休憩を何度も挟みながら数時間以上もの間地下を這いずり回り、いっそのこと地上までの一本道を作ろうかと考え始めた頃になって、今度はまた別の反応をスカウターが感知。
感知した反応へと向かって進んだ末に、現地の軍組織という、ようやく自分たち以外の人と出会うことに成功。そして集団ごとまとめて保護してもらい、都市部へと移送。
そのまま助けた集団とはリキューは分かれて、今いる環境を提供されたのだった。
正直に白状すれば、現在リキューが把握している情報は次の通りしかない。
1.化け物どもの名はBETAである。(助けた人間や軍人などの会話の中で知ったこと)
2.ここは地球の日本の帝都である。(保護された後の軍人の話や、都市部への移送途中で盗み聞きした情報より)
3.この世界では地球人と宇宙人との接触はない。(聞き取りを行ってきた軍人へ行ったリキューの身上説明に対する反応からの推測)
以上である。あまりにも少なく、その上根拠に乏しい推測ばかりの情報である。
これはもはや無知と言っても差し支えないだろう。
現にリキューは今現在の自分の境遇に対する理由を、一切想像することが出来なかった。
不審者として拘束するには待遇が不適切。普通その場合は独房にでも入れられるだろう。
かといって、他の集団の人間と同じく助けられた人間の待遇としてはあまりにも良過ぎる。入院ぐらいはさせても、こんな高待遇を救出者にする必要なんてない。
不審者でもなく、救出者でもない。何故に今現在の自分の扱いがあるのか。その理由はなにか?
まあ少なくとも好意的な反応ではないという程度は、予想していたが。
フロア一つを貸し切る待遇と言ったはいいが、そのフロアには窓がなかった。外部への出入り口であろう扉には外に人が配置されている。
つまり形としては軟禁状態だったのだ。これに好意を感じるのは無理がある。
ともあれ、考えても分からない以上、その理由はリキューの想像を超えているということである。
よってリキューは大人しく過ごしていながらも、無駄な思索を捨てて警戒心を密かに保ったまま生活を続けていたのだった。その内向こう側からアクションがあるだろうと考えて。
ちなみに、敢えて大人しく相手側の反応を待っていたのは、単純にどんなことが起こったとしても自分を害することは出来ないだろうという慢心があったからである。
指一本だけで行っていた腕立て伏せを終えて、立ち上がる。
それなりに気を付けてじっくりとこなして1万回。汗が肌に滲み、息を吐く。
大人しく待ち続けながらもうかなり経つ。その間も時間潰しに体を鍛え続けていたが、いい加減退屈だった。
この世界のインターバルが明ける様子はまだなく、イセカムを弄っても反応は返ってこない。
衣食住が保証されているのだから何の心配もなくただ時間を潰せばいいだけなのだが、わざわざそんな我慢を強いられる選択をする気もない。
待つのをやめて、ここから出て行くか。
用意していたタオルで汗を拭いながら、そうリキューが考え始めたところだった。
丁度リキューの考えを読み取ったかのように、待ち望んでいた相手側からのアクションが起きた。
ポーンとチャイムがフロアに響く。それはこのフロアに誰かが立ち入ることを知らせる合図だった。
しかし今の時間はそれまで来ていたハウスキーパーの来る時間ではなく、リキューが何か料理を注文した覚えもなかった。
となれば、来たのはどのような人か。
(遂に来たか。全く、随分と長い間待たされたな)
タオルを無造作に投げ捨てて、テーブルの上に置いておいたバトルジャケットを着る。
リストバンドに手袋など順々に身に付けていき、最後にスカウターを装着したところで扉からノックが響いた。
扉が開かれ、護衛らしき人間たちとそれに守られたスーツ姿の男が現れる。
そしてスーツ姿の男が、リキューを見ながら口を開いた。
「はじめまして、リキューさん。突然で申し訳ないが、私は貴方と話がしたいと思いましてここに来させてもらいました。これから少し、お時間を頂けないでしょうか?」
「いいぜ。こっちも長い間待たされていたからな……お前らと話がしたいと思っていたところだ」
不敵な笑みを浮かべながら、リキューは了解する。
―――ここに、正式な記録上初めての人類と異星人の交渉が行われた。
日本帝国、帝都内首相官邸。
その官邸の中の一室で、榊首相をはじめとする帝国の主要人物が集められ、一堂に会していた。
先に開かれた会議よりも参加人数は少ないものの、それはより人員が厳選され情報を知るべき人材を絞ったためであった。
これはすなわち、今回の話し合いの重要性は、先の会議を遥かに上回っているということである。
各々の手元には情報をまとめられた資料が配られている。
そして皆の視線は室内に用意されたテレビへと向けられ、再生されている映像を注視しているのであった。
映像は部屋の上方から撮影したものなのであろう。広い部屋の中、卓を挟んでソファーに座った少年とスーツ服の男が対面している。
男は少年へ問いかけ、少年は男の問いかけに答えいる。
『それでは申し訳ないが、もう一度私たちに君のことを教えてもらえないだろうか? つまり、そう…自己紹介してもらいたいんだが………』
『自己紹介だと? ………まあいい。名前はリキュー、サイヤ人だ』
『そのサイヤ人と言うのはつまり、君は異星人だと―――そういう認識で、合っているのかね』
『ああ、その通りだ。そんな聞き方をするということは、この星じゃ他の星の人間と接触がないのか?』
『では君は……この星について、いや我々地球人について、詳しくないということなのか?』
恐々とした、手探りも同然な調子で慎重にスーツ服の男が少年―――リキューへと質問していく。
それに淡々と、特に激昂することもなくリキューは応じていく。
話は特に支障もなく、極めてスムーズな段取りで進んでいく。
『それでは君は、BETAについて全く知らないと?』
『知らん。他の星の生き物にあんな奴らがいることなんて知らないし、そもそも奴らと俺には何の関わりもない』
『ではまとめると……君はこの星について仔細を把握してる訳でもなく、BETAとも無関係な、たまたまこの星に来た異星人であると?』
『ああ、そうだ』
「そんな都合のよい出来事があってたまるか」
画面内のリキューの発言を聞いて、居合わせた面々の内の一人が吐き捨てる。
内心同感ではあったが、表向き賛意を示すこともなく榊首相はテレビへ注視し続ける。
嘘のように話はトントン拍子で進んでいき、聞いている内に本当に相手は異星人なのかと疑問が湧き出てくる。
何せ見た目はただの奇妙な服装の少年にしか見えないのだ。おまけに日本語をぺらぺらと流暢に操っている。この材料では疑わざるを得ないだろう。
しかし、間違いなく画面の中の少年は異星人なのだ。リキューの腰元で揺れる一本の尾の存在が、改めてそのことを教えてくれる。
『結局のところ、君がこの星に来た目的は何なのかね? 何も知らない星に、いったい何をしに来たというのだ?』
『知らないから調べに来たんだ。それ以外の目的はない。調査が終わるまでの間、この星には少しばかり留まらせてもらうぞ』
『少しの間と言うのは、それは具体的にどの程度の期間を指すのだ? 調査と言ったが、どれほどの人数で地球に来ている?』
『他の人間なんていない、俺一人だ。期間については俺も知らん。一ヶ月先か二ヶ月先か……終わったら勝手に帰らせてもらうから、別に気にしなくてもいいぞ』
「―――勝手な言い分をッ」
図々しい言い分の応酬に、憤りが抑えられないと言った有様で言葉が漏れる。
リキューの放った台詞には自分の都合しか込められておらず、日本帝国の事情など最初っから考えられていないものだ。
勝手に調べて勝手に帰る。どこまで身勝手なものか。それに穿って見れば、これは敵情視察ではないのか?
本当にリキューが宇宙人だというのならば、情報を集めて帰った後、その情報を元に宇宙人の軍勢が改めて襲い掛かってこないと誰が言える?
すでにBETAという前提がいる以上、それは誰だって否定することはできないのだ。この星はとっくの昔に、異星からの侵略者を迎え撃っているのである。
この意見は誰かが具体的に具申したという訳ではないが、しかし日本帝国の首脳陣全員に共通して胸に秘めていた懸念である。
今まさに本物の異星人が現れたと聞いて、この地球上にBETAとの関連を疑わぬ者など一人もいない。
短絡的な意見の中には、リキューの存在をBETAが寄こした謀略のための擬態だと断定するものだってある。
そしてこの意見を完全否定する者の数は驚くほどに少ない。この場に会している面々の大半が可能性として考えているものなのだ。
榊首相はテレビの中に写るリキューを観察しながら頭を目まぐるしく回転させる。
彼とてその懸念を同じく抱いている人間の一人だった。
状況証拠や妥当性など、現実的に考えて先の意見は決して否定できるものではない。ならば可能性の一つとして、彼はそのことを視野に含めて考えなければならなかった。
仮にリキューの発言している内容が全て本当なのだとしたら、逆にやりやすい相手だろう。榊首相はそう考える。
身勝手な理屈の言葉に憤りを浮かべている者もいるが、それが全て本音なのだとしたら交渉相手として極めて都合が良い。狸と称すもおこがましい海千山千な各国との外交に比べれば、どれだけ組み易い相手だろうか。本音を並べるだけの稚拙な存在を相手に交渉するなど、百戦錬磨の経験を持つ帝国側としては容易にも程がある。
そう、重要なのは大前提。
つまり彼は本当に、本音を漏らしているのかだろうか? 彼の発言は正しいのか? 重要なのはその一点。
『こちらが調べた限りでは、君はハイヴの中から生存者たちと一緒に出てきたと聞いた。詳しいことは知らないが、生存者たちをBETAから守りながらと。どうしてそうしたか、聞いてもいいかね?』
『どうしてもなにも、成り行きだ。妙な反応があった場所を探してみれば偶然発見したんだよ。最初からあいつらを助けるつもりなんて俺にはなかったし、そもそもBETAとか言ったか? 奴らの巣の中に出たのもただの偶然で、狙ってやった訳じゃない。いくら助けるつもりはなかったとしても、見つけてしまった以上は見捨てる訳にもいかないだろ? だから仕方なく、あいつらを守りながら外を目指すことにしたんだ』
『守りながら外を目指した、ね。その点について聞きたいんだが………君はどうやってあれだけの集団を、襲い掛かってくるBETAの群れから守り抜いたのだ? ハイヴの中にいたんだ。襲ってきたBETAの数は十や百なんてものではなかった筈だ。何か道具でも持っていのかね?』
ここが、もっとも重要なポイントだった。
このテレビに―――いや、記録されているテープの中の画面で、おそらくはリキューという少年をもっとも異星人たらしめている決定的なズレ。地球人類との齟齬。
今まで散々リキューが異星人だと疑っていた者たち全てが、否応なく異星人だと認めざるを得ない分かり易い事実が知らされた時である。
記録映像の中で、リキューは言った。
『どうしたもこうしたも、道具なんてあるわけないだろうが。この手足を使って直接守ったんだよ。近寄ってくるBETAから片っ端にぶっ飛ばしてやったんだ』
『は?』
質問を繰り返していたスーツ服を着た男が、まるで聞き間違えたかのように呆けた声を上げた。
散々現実味のない話を疑う様子もなく表向き真摯に聞き取っていた男が、初めて素の表情を出したかのような印象がそこにあった。
しかしすぐにその表情は真面目なものに取って代わられ、改めて聞き返す。
『失礼ながら、もう一度答えてもらえないだろうか? 君は具体的に、どうやって生存者たちを守ったのかを』
『だから、直接この手で守ったと言っている。絶え間なくあいつらは襲ってくるんだぞ? 碌に休む暇もなく叩きのめし続けなければならなかったんだ』
『………すまないが、発言の意図を計り切れない。叩きのめすとはいったいどういうことを示しているのかね? 武器を使って撃退したという意味なのか?』
『だから何度も違うと言っているだろうが。俺は武器なんぞ最初から持っていない』
会話が止まり、記録映像の中に沈黙が流れる。困惑したかにようにスーツ服を着た男は眉をひそめ、どうすれば良いかを思案している風にリキューを見ている。
お互いに―――この場合はリキューの言葉の認識に対して、いちじるしい誤解が生じているのだろうと、スーツ服の男側が考えているのだろうと見当は付いた。
常識的に考えて、BETAを強化外骨格も身に付けていない生身の輩が素手で叩き伏せることなぞ出来る筈がない。戦術機サイズの要撃級や突撃級を例に出すまでもなく、等身大の兵士級や戦車級だって生身の人間では銃火器を持っていても対抗するのが苦しいのである。ハッタリや嘘として考えるにも馬鹿馬鹿しい内容だった。ならば説明に使っている言葉の意味を履き違えているのだろうと考えるのは、自然な流れであった。
しかしそれらの常識的な考えを、リキューは否定する。
『っち………仕方がない』
『? なにを―――ッ』
舌打ち混じりにリキューがそう呟くと、腰かけていたソファーから身を起こす。
スーツ服を着た男と周囲に待機していた護衛の者たちが、その動きに緊張する。
周囲の警戒をよそに立ち上がったリキューは、無造作にそんな彼らの様子を眺めた。
そして驚くべきことに、次の瞬間その姿が“消えた”。
画面の中で一瞬でフィルムを切り替えたように姿を消し、気がついた時には入れ替わるようにリキューの姿は警戒していた護衛の一人のすぐ近くに現れていたのだ。
目の前にいきなり現れたリキューの姿を認めて、狼狽しながら護衛の男が懐に手を突っ込み銃を取り出して構えようとするも、その手首をリキューが掴み、捻る。
苦痛のうめきを洩らしながら護衛が拳銃を取り落とし、それをリキューは素早く手に取る。
周りの護衛がようやく対応し銃を向けようとした瞬間にはまたもやリキューの姿は消えて、今度は元いたソファーの場所に出現していた。
張り詰めた空気が漂う。いきなり見せた摩訶不思議な出来事に困惑しながら、護衛の者たちは皆忍ばせていた拳銃を引きぬき、リキューへと狙いを付けている。
複数の銃口を向けられながら、当の本人であるリキューはさしたる動揺を浮かべた様子もなく、奪い取った拳銃を無造作に手で弄って遊んでいた。
スーツ服の男が顔を強張らせたまま、リキューへと問いかけた。
『い、いったい………何を?』
『証明だ。こうした方が、いちいち口で説明するよりも手っ取り早いだろう』
適当に手の中でもてあそんでいた拳銃を宙に放り上げ、片手で掴み直す。
そしてその手を見せつけるように突き出すや否や、リキューはまるで粘土細工のようにグシャリと片手で拳銃を握り潰した。
フレームが歪み破片が飛び、スプリングなど細かな部品がバラバラと床の上に転がる。リキューが手を開き、粉々に粉砕された拳銃の残骸が卓の上に放り出された。
にやりと、野性的な獣性を浮かばせた微笑を口元に表しながら、リキューは言った。
『これで分かったか? 俺の言った説明の意味が』
―――そこで記録映像が途切れる。
一室は静まり返っていた。
この場に居合わせている面々は、記録映像の中でリキューの見せた行動がどういったものなのか、全員がその詳細を把握している。
解析し分析した結論が、手元にある用紙に報告されているからだ。
それを実証する別の記録映像が用意され、固唾を飲んでテレビを注視する面々の中で新たな映像が再生される。
テレビに映し出された風景に映っていたのは、先ほどの室内とはまた別の場所だった。開けた広い部屋の中、先と同じ服装のリキューが中心に映っている。
野性的な闘争心に溢れる表情を、リキューはさらけ出していた。
「本人との同意の上で記録した、検証映像です。まず初めに行ったのは、対人白兵能力について」
記録映像を用意した男が説明すると同時に、画像内が動き始めた。
リキューのほかに画面に映ったのは、6名ほどの男たちだった。いずれも鍛えているのであろう軍人のようで、屈強な様相でゴリラも捻るような印象がある。
検証は集団による実戦方式らしく、男たちはわざわざ一対一にならず連携を組み、それぞれが間合いを取って一斉にリキューへと襲い掛かった。
―――だが、次の瞬間には襲い掛かった先頭の男が吹っ飛んでいた。
比喩表現でなく、本当に吹っ飛んでいたのである。体重70kgはあるであろう屈強な成人男性が、宙を飛んで後方へとぶっ飛ぶ。
驚きに身を固める暇もなく次の男へと、リキューが襲い掛かる。
一歩踏み込んだかと思うや否や、目の前の男が跳ね飛ぶ。二人の男の間をくぐり抜けたかと思うと、そのまま通り過ぎた二人は白目を剥いて昏倒した。そして遂には近付いた覚えすらない者が、何時の間にやらすでに倒れている。
残った最後の一人の前に悠然とリキューが現れると、気が付けば他の皆が倒されていることに狼狽している男の顔へと指をさし向け、そのままデコピンを打って気絶させた。
6人の男たちが全て倒され、映像にはリキュー一人だけが立ち尽くす様子が写される。
全ての者が倒されるまでに有した時間は、僅か5秒にも満たなかった。
映像が途切れて、切り替えられた別の映像が映る。
「ハイスピードカメラで撮影したスローモーションの映像です」
亀のように鈍い動きでリキューへと襲い掛かる男たちの姿がテレビに映る。先ほどの映像の焼き増しだった。
じれったくなる様な鈍い流れの中、先頭の男がリキューへと襲い掛かろうとする。そしてその瞬間、リキューが動いた。
周りがスローな流れの中、まるで関係ないと言わんばかりに高速な動きで瞬いたかと思った瞬間、先頭の男が真逆の方向へと吹き飛んでいる。
リキューは残心する間もなく次の獲物へと向かって接近し、十分に近付くと同時に足が瞬き、またそちらの男がほぼ直上に浮かび上がるように吹っ飛ぶ。かろうじて顎を蹴り上げたのだろうと、榊首相はそれを見て分かれた。
二人の男の間をくぐり抜ける時には両手が二人の首を去り際に打ちつけて昏倒させ、5人目に対してはもはや近付いてすらなく、手を向けたかと思うとまるで顔を殴られたかのようにのけ反らせて倒れていた。最後の一人に対しては、もはや言うに及ばず。
言葉も出ない様子の面々を尻目に、記録映像がまた切り替えられる。
「次は、強化外骨格を身に付けた兵士との実戦検証について。使用する強化外骨格は、小型種BETAとの戦闘を想定した陸戦隊仕様のものです」
次に映し出された映像には、機械の四肢に身を包んだ2mを超す兵士が表示されていた。
その強化外骨格は衛士が緊急脱出用に装備するものとは違い、最初から陸戦隊員が装着し実戦を行うモデルのため、衛士のそれよりも重装備かつ堅牢なタイプのものであった。
間違っても強化装備すら身に付けていない生身の人間が立ち向かうものではないそれに、リキューは素手のまま相対している。
ゴングも鳴らず戦いが始まり、強化外骨格がリキューへと向かって一気に迫った。 リキューは迫る強化外骨格を前にして、一切反応を起こすこともなく棒立ちのまま待っている。
巨大な機械の腕が振りかぶられ、リキューへと叩きつけられた。誰もが惨事な光景を想像したが、けれどもその想像はまたもや覆される。
リキューが無造作に上げた上腕に阻まれ、叩きつけられた一撃は完全に止められていたのだ。
ギギギと重機が動く音が響き強化外骨格が力押しをするも、リキューは微動だにせず攻撃を受け止め続ける。小型種BETAを相手にするマシンと力比べをして、勝っているのだ。
リキューが受け止めている腕の反対側の腕を振り上げる。そして手刀の形を作るとそれを振り下ろし、あっさりと力比べをしていた強化外骨格の腕を切断した。
強化外骨格がバランスを崩し、たたらを踏む。リキューは続けて拳を打ち、蹴りを放ち、次々と堅牢な装甲に包まれている筈の強化外骨格を破壊していく。
強化外骨格の頭部が破壊され、中の操縦者の顔が露わになる。その表情はまるで化け物に遭遇したかのように青褪めていた。
遂には完全にハッチ部分が破壊され、ほとんど鉄くず状態になった強化外骨格から半狂乱となった操縦者がリキューの手によって引きずり出される。
映像が途切れ、別の映像へと差し替えられる。
「これで最後の検証映像となりますが、内容は彼のモノの“攻撃能力”についての検証実験です」
その映像の中では、室内に様々な鉄板らしきものが並べられていた。
大きさや厚みなど多種多様な種類の鉄板が揃えられて、リキューの前に立てられている。
「並べられているものは、現在戦術機や巡洋艦などに使われている装甲材と同じものです。それを様々な厚みや細工を行ったものを用意し、彼のモノにそれらの破砕を行ってもらいました」
リキューは並べられている鉄板の端の一枚の前へ移動し、それに向かってパンチを打った。呆気なく置かれていた鉄板は貫通し、ひしゃげ折れる。
その一枚にとどまらず、リキューは貫通した鉄板から腕を引きぬくと次は隣に置かれた鉄板へと移動し、またパンチを放っていく。
ドンドンドンドン流れ作業のように鉄板へと向かって拳を、時には蹴りを放ち、次から次へと破壊していく。破壊される鉄板も徐々にその厚みが増していき、ついには鉄板と呼べないような代物まで出てき始めていた。
そしてリキューの作業は用意された鉄板が全てなくなるまで滞りなく進み、やがて最後の鉄塊が破壊された段階で映像は終わった。
映像が終了したのを確認し、男が告げる。
「最終的には厚さ10cm以上はある鉄鋼を用意したものの、彼のモノはそれらも含めて全て何の支障もなく破壊しました。その時点でこちらの用意した資材は全て尽きたため、検証実験は終了。攻撃能力の限界について、推し量ることは出来ませんでした。もっともそれを言うならば、推し量れたことが一つでもあったのかいう話なのですが………」
男の発言が終わると同時に、不気味な静けさが室内を覆う。何を発言すれば良いのか分からぬが故の静寂。
原因は分かっている。あまりにも異質で非常識な存在との接触に、どう行動すればいいのか分からないのだ。
一人の男が手元の資料を眺めながら、笑ったものか怒ったものか、実に半端な表情をして言う。
「これは、冗談なのか?」
「残念ながら事実です。信じ難いことですが、紛れのない」
「そんなことは分かっているんだッ! くそ、私が言いたいのはそんなことじゃない………ああ、くそッ」
「―――失礼しました」
わしゃわしゃと神経質に頭を掻きながらそう言う高官の一人に、解説をしていた男が頭を下げる。
その様子を見ながら、榊首相は呟いた。
「つまり、こういうことか。サイヤ人という彼………彼のモノは、生身でBETAたちと対抗できる力を持った異星人だと」
資料を見ながら、その報告が嘘偽りではないという事実を今この場で改めて確認し、榊首相は眉をひそめながら熟考する。
結局のところ、交渉を持つために見極めたかった大前提は、記録映像を見て見当をつけることはできなかった。
並べられる情報全てがあまりにも常識外れ過ぎて、どう見極めればよいのか分かったものではなかったからである。
しかし別に彼が本音を話していなかったとしても、会話さえ出来るのならば交渉のしようは幾らでもある。最高ではないだけで、別に事態は最悪ではないのだ。
そして少なくとも分かった点が、一つだけあった。
それは彼―――リキューが、本当に素手でBETAの群れから生存者たちを守ったのだという点である。
(あまりにも危険過ぎる。これは―――劇薬だ。どう転んでも、絶対に大きな衝撃をもたらす存在になる)
すでに異星人だと判定された時から、リキューの遺伝子情報は極めて貴重な研究対象として扱われている。
その体毛から排泄物まで、彼の身体からこぼれおちた構成物は全て回収され研究に回され、その私生活は風呂やトイレに入っている時も含めて24時間体制の監視付きとなっている。そこにプライベートなどという文字はない。初めから与えたフロアに仕込んでいたカメラやマイクに関して、幸いなことにリキューは気付いていないようでもあった。
仮に彼が本当に言っていること全てが正しく本音だとしたら、それだけの能力を持った個体なのだ。おそらくそういった小細工に対する警戒心が鈍いのだろうと予測を立てる。
そうでないとすれば、敢えて無防備な姿を見せて誤った情報をこちら側に植え付けようとしているのだろうか。
榊首相はふと気付く。もうすでに惑わされ始めていると。
(なるほど―――厄介なことだ)
異質な存在が相手に、こちら側としては深読みせざるを得ない。リキューが本当のことを言おうと言わなかろうと、その裏を考えてしまう。
なるほど、上手い手だ。自分がどちらの手であろうとも、相手側が勝手に翻弄するのだから。
いっそのこと、本当にリキューはBETAとは完全に無関係な異星人だと断定してしまえば楽になるのだろうが。榊首相はそう考える。
しかしそれは国を預かる政治家として、許されぬ早計だった。リキューの発言は怪しく、信頼性に乏しい。これを無条件に信じることは政治家として愚行以外の何物ではない。
榊首相は黙考し熟考し、思索する。リキューの価値と危険性を考え、どうすることが最善な判断かと、五里霧中の中から模索する。
(私は内閣総理大臣として、軽々しく判断してよい立場ではない。綿密に考えた上で、この国のためになることを、国民一人一人のためになる選択をしなければならない。相手は人類初の遭遇となるかもしれない異星人であり、同時に恐るべきBETAの尖兵であるかもしれぬ存在。どちらの側の存在としても、選択を誤った場合その戦闘能力はいちじるしく高く、敵対するとなれば凄まじい脅威となることが明白の劇薬)
―――どうするべきか。
首相官邸の一室に集められた国家首脳陣は、自分たちが取るべき最適解を求めて苦悩する。
劇薬であると同時に、場合によれば特効薬にも化ける可能性のある異星人の扱い。
彼らの懊悩は尽きず、リキュー本人を置いておきぼりにして錯誤していた。
リキューはその居場所をまた新たに変えながら、変わらぬ快適な生活を続けていた。
こちら側の国家からの使者との対談から、適当に自分の実力を披露してやった後、要望として外の見える場所を要求したのだ。
そしてその要望は受け入れられ、リキューは軟禁されていたフロアから庭のある一戸住居へと移され、また短い時間だが外出もできるようになっていた。
(やっぱり、力を見せてやったのは正解だったな)
改めて自分の待遇を見直し、判断が正しかったことをリキューは確信する。
所詮どれだけ功績があろうが、身元不明の何の後ろ盾もない怪しいガキでしかないことはリキュー自身理解していたのだ。
自分で理由を把握していない厚遇である。砂上の楼閣だということは言及するまでもない。
どういった点に価値を見出していたのか知らないが、明日にでもいきなりこれまでの高待遇が手のひらを返し、放逐される可能性だってゼロじゃなかったのだ。
結局のところこの世で我がままを通すには、根本的なところで力を示す必要があるのだということを、リキューはこれまでの生涯で身に沁みて理解していた。
価値だけがあっても、力がなければ所詮操り人形の域を出ることは出来やしないのだ。
だからこそリキューは、敢えて挑発するように力を誇示してみせ、相手側の提案に乗りテストを受けてやったのだ。
戦闘民族サイヤ人の実力の一端を示してやり、容易ならざる相手だということを周知させてやったのである。
この行為による成果は、結果を見れば分かるだろう。
リキューの要求が受け入れられた点から見て、その重要性が格上げされたことは疑うまでもない。
少なくとも、一方的に従属させ利用しようという扱いからは脱却したと考えてよいだろうとリキューは考える。
(あとは、せいぜいこの状態がインターバルが明けるまで維持できるよう、適当に気を付けていればいいか)
リキューが使者に対して言った言葉は、全て本当のことである。そもそも、わざわざ嘘をつく理由もない。
トリッパーメンバーズや異世界についていちいち解説するのは面倒であったため、この宇宙のどこからか来た異星人だと説明したが、それもサイヤ人であることを考えれば決して嘘ではない。
この世界に来たのは“開通係”という役職上の調査であるし、BETAなどという化け物とは何のかかわりもないのは事実だった。そしてインターバルが終わる時間の詳細はこちらでも不明だし、終われば終わったで留まる理由もない以上勝手に帰らせてもらうつもりである。
リキュー当人としては余計なトラブルを起こすつもりもなく、ただ単に衣食住の確保と一定の自由させ保証出来るのならば良いと考えていただけだったのだ。
つまり突き詰めて言ってしまえば、無関心だということである。
リキューが目を向けている事柄は全て自分の欲求に繋がる方向であって、それ以外の情勢については自分から首を突っ込むこともない。
実際それを証明する事実として、リキューは使者との会談で碌に質問もしなかった。ただ問いかけられた内容に答え、そして自分の要求を述べただけである。
驚くべきことに現時点においても、未だリキューはBETAについてもこの星にいる外敵程度の認識で、詳細を把握していなかったのだ。
そんな有様であったがゆえに、リキューはこの世界の人類にとって自分がどれほどの衝撃を与えていたか、全く気付いていなかった。
それこそまさしく想像の埒外だったのだ。
まさか異星人の存在がそこまでこの世界の人間にとって非常識的で信じ難く、且つ不信と反感を抱かれるものとは思ってもいなかったのである。
これはリキューの感覚がサイヤ人のものに近くなっていたことが原因の一つでもあったが、しかし何より、きちんと情報を集めて考えていれば分かっていたことでもある。
現在進行形でこの新しい住居に24時間体制の完全監視体制が築かれていることも知らなかったし、今後とも外出の際には、決して気付かれぬよう配慮した監視の目が付くことを予想していなかったのだ。
そしてこの周囲との認識のズレが原因で、後の日本帝国との撃発事件を招くことになるのだが、それは現在のリキューに知る由のないことだった。
だらりと脱力させていた尾を、腰にまわして固定する。
気分転換に外に出ることにしたリキューは、特に目的もなく辺りをぶらつくことにした。
玄関から出たところで、外で待機していた兵士が目ざとく見付けリキューの下へ駆け寄ってくる。
「外出ですか?」
「ああ、そうだ」
「時間や目的地はどういったもので?」
「そんなもの決めてない。適当に辺りをぶらつくだけだ」
「了解しました」
手早く話を済ませて礼をすると、兵士は素早く下がっていく。
ご苦労なことだと思いながらそれを見送り、リキューは町の中へと繰り出していった。
リキューは宣言した通り目的もなく歩きながら、周囲の様子を観察していた。
その服装はそれまで着込んでいた戦闘服ではなく、向こう側が用意してきた服を着用している。
さすがに戦闘服姿では町中で無駄に目立つということぐらい、リキューも分かっていたからだ。
スカウターも外し、無用なちょっかいを避けるために尾だって目立たないよう腰に巻き付けている。顔つきや髪の色から見て、こうすればもうただのアジア系の子供にしか見えなかった。
そうして現地に溶け込む衣装をしながら、しかし鋭い目つきで見回すリキューは胸中で失望のため息を漏らす。
(町並みを見ても、大して科学力が高い様子には見えない。そもそもテストを受けた時の様子では、碌な科学レベルじゃなさそうだった。これじゃあまりこっちの世界で期待できそうにないな。BETAとかいう奴らだって、前に戦った手応えじゃ数が多いだけの雑魚だった)
リキューの目的はサイヤ人らしく、ただ単純に強くなることであった。ある意味で男の欲望をストレートに吐き出した目標だったが、リキューはそれを真面目に追求していたのだ。
そしてただ単純に一人でひたすら鍛え続けることに限界を感じたために、こうして“開通係”として他世界へのトリップを行う役職についていたのである。
より自分が強くなるための切欠。陳腐で馬鹿らしいものだが、リキューが求めていたのはそれだった。未知の環境に身を投じることで、それを掴もうと期待していたのだ。
そうであったのだが………どうにも、その期待は望めそうになさそうだと感じていた。
この世界の技術レベルは非常に低いようであり、敵対者であるBETAにしてもその力は小さい雑魚だった。リンが言っていたような独自のワールド・ルールといったものも見受けられず、リキューにとって本音をぶち上げてしまえば、正直魅力がない。
ハイヴで保護されてから帝都まで運ばれる途中に、リキューは巨大なロボットである戦術機をその目で見たものの、それにだって脅威を感じることはなかった。
ここがどんな創作物世界かは知らないが、少なくとも自分にとって得るものはない世界だ。
それがリキューが感じたこの世界の印象であり結論だった。
加えて蛇足だが、出される食い物が極めて不味いこともリキューのテンションを下げる要因の一つであった。
(おおよそ人工的に合成した食い物か何かなんだろうが、もっとマシな味にはならないのかあれは)
無駄に高性能なサイヤ人の身体は味覚も凄まじく鋭く、彼らは実は口に含んだ料理に使われている調味料をg単位で正確に判別することが出来たりする。
目隠ししてテイスティングしワインの産地を当てるゲームが世の中にはあるが、サイヤ人ならばワインどころか水のテイスティングすら出来る鋭さを持っているのだ。
まあそのせっかくの天性の味覚も、同じぐらい味に頓着しない民族的雑食性により一切効力を発揮していない、文字通りの豚に真珠の状態であったのだが。
そしてその高性能な味覚により食品の正体が合成食材だと見抜き、元来の好き嫌いのない雑食性で何も言わず平らげていたリキューだが、やはりいくら雑食とはいえ不味いメシより上手いメシの方が食っていて嬉しいことに変わりはない。
食いはしないということはないが、嬉しくない。リキューの正直な感想である。
惑星ベジータにある食べ物も全て人工合成によって作られた食べ物なのだが、どうしてここまで雲泥の差が出ているのだろうかと胸中で愚痴る。
どうでもいい余談だが、リキューがこの世界での技術格差をもっとも強く感じたのは、この食べ物の差を味わった時であった。
閑話休題。
町を観察し見て回った結果、興味をひかれるどころか逆に失せてしまった。
そうなると元々観光などに興味のないリキューにしてみれば、せっかくある程度の自由を手に入れたというのにこの世界でやりたいことが全くない。
こうなったら世話になってる手前、適当に向こう側の要求に応えてやりながら過ごしてやるか。
そんなことをつらつらと考えながら散歩を切上げ、帰路につく。
帰り道の途中、リキューは大きな建物に目を付ける。
建物の頂上には大きく赤十字の看板が掲げられ、白衣を着た者たちと簡素な入院服を着た者たちが敷地内をたむろしている。
(病院か)
随分と大きな病院らしく、敷地内には通路で繋がれた複数の棟が立ち並んでいる。
入口の開かれている門構えには中央総合病院と彫られたプレートが飾られていた。
気分転換に付き添いといっしょに歩いているらしき患者や、リハビリ中らしき者など様々な人々の様子が、敷地の外のリキューから窺えた。
そしてよく見れば、解放されている敷地は病院の裏の方の入口とも繋がっているらしかった。リキューの住居がある位置は丁度その方向である。
(近道になるか)
そんな安直な発想の下、リキューは病院の敷地内へ踏み込んだ。
安らぎのために作られた木々やベンチなどといった公園スペースを素通りし、病院棟を迂回して裏口へ目指す。
本来ならばこの時、ただの子供が病院内を横切っているだけなので誰もリキューに声をかけることなく済んだ筈であったのだが、しかしそれはリキューがただの子供ではないと知っている人間がいたことにより、覆されることになった。
「ちょっと、待ってくれ!」
「………ん?」
いきなりかけられた呼び声に、リキューは声元へ振り返る。
そこには走ってきたのだろう息を乱している少年―――だいたいリキューと同じぐらいであろう年代の子供がいた。平均よりもリキューの身長が低いため、目の前の少年の方が傍から見て年上のように見えてはいたが。
見覚えのない人間であったために、警戒した様子を隠しもせずにリキューは喋る。
「誰だお前は」
「ハァ、ハァ………あんた、確かあの時俺たちを助けてくれた人、だよな?」
「……助けた? 何のことを言っているんだ、お前は?」
意味が分からず眉をひそめて、困惑に満ちた視線を少年に注ぐ。
少年は真剣な目をリキューに向けてくるも、やはりリキューはその顔に心当たりが浮かばない。
そうやってリキューが悩んでいる間に、少年の後ろから少女が走り寄ってくる。
「待ってよー、タケルちゃん! もう、いきなり走ったりしてどうしたの?」
「純夏! ほらこっち、この人! 俺たちを助けてくれた人だ! BETAたちから俺たちを守ってくれた!!」
「え!? あ、ほ、ホントだ!?」
「だから何を………BETA?」
ふと耳が拾った言葉を聞きとめ、リキューは思い至る。
この世界でリキューがこれまで戦った機会なぞ一度しかない。その上BETAともなれば確定だった。
「お前らは、あの時奴らの巣から助けた人間か」
「ああ、そうだ。あんたのお陰で助かったんだ。と、えーと、その……ありがとう! 本当に感謝してる!!」
「ありがとうございました!」
「別に礼なんて言わなくてもいい。俺がやりたくてやったんだ、最初からお前らを助けるつもりなんてなかった」
二人の少年少女がリキューへ向けて頭を下げるのに対して、リキューはこそばゆそうな表情をしながら、内心の照れを隠すように鬱陶しげに言う。
今生でストレートな感謝を示される経験なんてとんとなく、全く落ち着かない面持ちだった。
気まずさが込み上げてきて、とにかくさっさとこの場を後にしようと逃げを選択する。
「それじゃあな、俺は帰らせてもらうぞ」
「あ、ちょ、待ってくれ!」
「うわ、タケルちゃん!?」
「? ………何だ? まだ何か用があるのか?」
踵を返したリキューを、少年が呼び止める。
怪訝そうな表情を向けるリキューに対して、少年は決意を決めたような表情を浮かべて言った。
「頼みがあるんだ、聞いてくれないか!」
「え、え? ど、どうしたのタケルちゃん?」
「頼みだと?」
リキューと少女の戸惑いをよそに、少年がある一つの一大決心の内容をリキューへと告げる。
その内容はリキューにとっても、少女にとっても、そしてリキューを監視している日本帝国政府にとっても、非常に驚くべきものだった。
少年が、周囲にもよく聞こえる大声で叫んだ。
「俺を………俺を、あんたの弟子にしてくれ! 頼む、この通りだッ!!」
「え、えええぇぇーーーー!?」
「な、なにィッ!?」
少女とリキューの、衝撃的な内容に驚愕する叫びが青空に響いた。
これが後に興るリキュー門下勢の、その最初の一人となる白銀武が、リキューに対して自ら師事を願った時であった。
時はリキューがこの世界にトリップしてから、3週間ほどの月日が経過した頃。
リキューがトリッパーメンバーズに戻るまで、残り約2ヶ月と少し。