「ま、負けた? ば、バーダックがか?」
「嘘だろ………あいつは、あいつは超サイヤ人じゃなかったのか!?」
ざわりざわりと、騒ぎが広がる。
超速の戦いの決着が着けられ、勝者が明るみになるにつれて、動揺と絶望が観衆の中に広がっていた。
当然であった。
超サイヤ人の敗北はフリーザの勝利を意味し、そしてそれはそのまま自分たちの破滅にも繋がるのだ。
戦いが終わり、現実へと意識の焦点が戻り始めた皆の精神に、否応なく危機感が高まり始めていた。
逃げる、という選択肢が浮かんだ。
しかしそれを実行する前に、一人のサイヤ人が放った言葉が行動の指針を変えた。
「いや、見てみろ。あのフリーザの様子を! 見たところボロボロだ、へとへとの死にかけた状態だぜ!? 今なら、俺たちの手で奴を倒すことが出来るんじゃねえか!?」
「なに?」
その言葉に今気が付いたように目を剥き、逃げようと後ずさり始めていた者たちがフリーザを注視する。
確かに。その言葉は偽りではない、真のことであった。
皆の視線の先にいる、ふらりと宙から地面に着地したフリーザは、目に見えて分かるほど荒い呼吸をし、全身からはその白い肌を塗り替えるほどの血が流れている。
明らかに重傷だった。それこそ、早く治療ポッドに入り治療を受ける必要があるほどのレベルの。
ごくりと、唾を飲み込む音が響いた。恐れしか浮かんでいなかったサイヤ人たちの心の間に、欲が生まれていた。
フリーザを、この手で倒す。自分たちの上で踏ん反り返っていた、あの宇宙の帝王を、この手で。
その普段ならば妄想と片付けるしかない考えを、妄想ゆえに甘く美味いその考えを、現実に手の届く範囲で、実行に移すことが出来る。
あまりにも心を惹く、その魅惑。
欲が、心を静かに、だが確実に焚き付け、熱く燃やし始めていた。
「へ、へへ………」
一歩、一人のサイヤ人の男が踏み出していた。心に宿った魅惑的な欲に惹かれるまま、男はそろりそろりと、だがすぐに力強く歩き始めた。
その男だけではない。
男が最初の一歩を踏み始めるのに合わせ、皆が合図を切ったかのように動き始めていた。
獲物を狙うハイエナの如き目をしながら、サイヤ人たちがフリーザの元へと近付いていく。
やがて、十分な間合い。彼らにしてみれば一足で詰めることのできるほどの距離を置き、足が止まる。
一拍の間が置かれる。その静寂は、ほんの少しの間だけのこと。
次の瞬間、先頭切ってサイヤ人の男が飛びかかっていた。
「はァーーーッッ!!」
「なに!?」
その存在に今気が付いたかのように、フリーザが驚きながら男へと振り向く。
無防備なその姿。その顔面に、男のパンチが打ち込まれた。
その不意打ちにフリーザの身体は抵抗できず、派手に大きく吹き飛ばされる。
「っきィ!」
気を持ち直し、ふわりと回転し地面に着地するフリーザ。
顔を向け、その時ようやく、自身を囲んでいるサイヤ人たちの存在に彼は気が付いた。
「下等生物どもが………性懲りもなく、まだ近くをうろちょろしてやがったのか」
「へっへっへ…………そんな大口が叩けるのかよ、フリーザ様よォ? 見たところ、随分とズタボロな有様じゃねえか」
「今まで随分と扱き使ってきてくれたが、それももうお終いだ。これからは俺達サイヤ人の天下だ。あんたを殺し、俺たちがこの全宇宙を支配してやるよ!」
ニヤニヤと笑いながら、サイヤ人たちはフリーザを見下していた。最大の好機を前にして、心が躍っていた。
サイヤ人は反骨心を秘めた種族である。従わなくていい理由が出来れば、容易く下剋上を狙う様になる。
フリーザという絶対者が今自分たちの前で傷付き膝を着いている状況というのは、まさしく二度ということのない格好のチャンスであった。
見逃す手は、ない。
「くらえェーーーーーー!!!!」
その叫びが合図となり、一斉にエネルギー波が放たれた。
四方八方から、フリーザ目がけて雪崩の如くエネルギー波が降り注いでいく。
それをするのはサイヤ人ばかりではない。フリーザ軍傘下の兵士たちもまた参加し、共に攻撃を仕掛けている。
どさくさに紛れての行動。何もサイヤ人ばかりが手柄を得ようと突き動かされている訳ではない。自分たちもまた甘い汁を吸おうと、意地汚く行動するものは腐るほどいた。
フリーザの姿が光と爆煙の中へと消えていく。それでも留まることなく攻撃は続けられ、さらなる閃光と土煙が上がっていく。
やがて、攻撃が止む。かれこれ、一分ほどの時間が経過していただろうか。
クレーターが出来るほどの攻撃を浴びせられ、巻き上がった粉塵がフリーザの姿を覆い隠していた。
「はぁ、はぁ、はぁ…………どうだ? 流石にこれだけ攻撃を集中されりゃ、死んだだろう」
「アッハッハッハ、これでこの宇宙は俺達、サイヤ人のものって訳だ!」
「あっけねえな、フリーザの奴も。これが宇宙の帝王だったとはな。がははッ!」
勝利を確信したサイヤ人たちの笑い声が響く。
今の今まで自分たちを支配していた、傲慢で強大な独裁者を打倒したという喜びが、彼らに甘露な夢を与えていた。
これでまた、自分たちの時代が始まるのだと。好きに戦い好きに食う、自由気ままに争い愉しむ愉快な日々が来るのだという。
最も、所詮それは実現しようのない、都合が良すぎる妄想だということに、すぐに気付かされるのだが。
「ハハハハ、は………は?」
笑い声が、止まった。
一人のサイヤ人が声を失って固まり、釣られてその視線の行く先に目をやった仲間の一人もまた、動きが止まる。
風に流され、視界を覆い隠していた粉塵のカーテンが取り払われる。
そこに、全く変わった様子もなく、フリーザが存在していた。
薙ぎ払われクレーターが出来るほど地面が抉れている中、それの立つ場所の部分だけ円柱状に破壊が免れていた。
全身から血が流れ満身創痍な様相を晒しているが、それは攻撃を受ける前からのこと。
あれほどのエネルギー波の一斉攻撃をまともに受けていながら、それでフリーザが新たに傷付いた様子は一切なかったのだ。
「そ、そんな馬鹿な………あれだけの攻撃を受けて、し、しかもそんなボロボロな身体なのに!? な、何で!?」
「舐めるなよ、虫けらどもがァ!」
フリーザが怒りを迸らせながら一喝し、腕を叩きつける様に突き出す。
腕から気功波が瞬時に放たれ、真っ直ぐに伸びるそれは、棒立つ愚かな数人のサイヤ人を呆気なく呑み込み消滅させて、大地に破壊の溝を刻んでいった。
爆裂が生じ、爆風がその場にいる皆を撫で払う。
「ひ、ヒィ!? うあ、うあぁああああああああああ!?!?」
一人が逃げ出した。それをただフリーザは一瞥し、即座に撃ち落とす。
爆発し混乱しそうになった場が、一気に静まり返った。
動けば死ぬ。
皆が脳裏に、その冷酷なる現実が刻み込まれていた。
「確かにダメージは深い………だが、貴様らゴミどもを消し潰す程度はわけはないぞ!!」
それは痩せ我慢でも誇張でもない、純然たる事実であった。
確かにフリーザの消耗は激しい。全身に負った傷はかつてなく重傷であり、フルパワーを使った反動で余すところなくボロボロであった。疲労など極みの極限にまで達し、今にも気を失いそうになってしまう程深刻である。
もはや、現状ではMAXパワーの半分。50%ほどの実力が出せればいいところなのが、フリーザの現状であった。
だがしかし、それでも50%である。
全盛から見れば見る影もないほど落ちぶれてしまってはいるが、それでもまだ50%程度の余力は残っているのだ。
それだけの力があれば、たかが目の前に並ぶハイエナの如きゴミの性分を持った有象無象どもなど、軽く消し炭にできた。
「サイヤ人どもが………もう絶対に貴様らの存在など許しはせんぞ? 皆殺しだッ、一人たりとて生かしておくものか!! この宇宙から完全に消し去ってやるッ!!」
腕を広げ“気”を抜き放った。
宣言通り実行するとでも言うのか、強烈な爆発が発生し群衆をまとめて吹き飛ばす。
フリーザの手によって行われる嵐の如き猛威は留まるところを知らず、さらなる苛烈さを増して一人一人を確実に滅殺せんと振るわれていった。
事ここに至り、全員が悟った。動かなくても殺される、と。
硬直が解かれ、狂騒が場を埋め尽くした。
我先にと逃げ出す者、あるいは無駄と分かっていながら立ち向かっていく者、何も出来ず足を止めたまま慌てふためき、そしてそのまま死んでいく者。
その場にいる者たちは皆が皆、生き残ろうとそれぞれ足掻き始めた。醜く見えるほど、ただ生に執着した行動を取っていた。
しかし、フリーザはそれを見逃さない。許さない。
立ち向かう者も逃げる者も立ち止まっている者も、平等に死を与えぶち殺していく。
サイヤ人は殺す。サイヤ人以外であろうとも殺す。
もはや誰一人とて、フリーザは見逃す気がなかった。全てを抹殺し、そして無に帰すことを考えていた。
フリーザが一際強力な気功弾を形成し、撃ち放つ。
それは緩慢な速度で、しかしその実かなりの高スピードで飛来し、逃げ去ろうとする集団の中心に着弾し、大爆発。巨大なキノコ雲を上げ、そのあまりの威力は地殻を吹き飛ばし、瞬間的な大地震を惑星ベジータに発生させた。
凄まじい大破壊を引き起こしたのにもフリーザは頓着せず、次々と狙い撃ち、殴り砕き、踏み潰し、命の駆除を行っていく。
星の終わりが、足音を立てて近付き始めていた。
遠くから、腹に響く重い音が響いていた。
暗闇に包まれた狭い空間であるそこで、まるでその音に目覚めさせられるかのように身動ぎ、動き出す人の姿があった。
その者はサイヤ人だった。普通のサイヤ人たちは装束の異なる、王の傍で文官として働いていた、エリートの階級に属する男であった。
男はピクリピクリと震えたかと思うと、苦悶の声を洩らしながら必死に面を上げ、動き始めた。
男の倒れている場所は、薄汚く狭い、本来ならば人が立ち入ることもない、廃棄物処理区画であった。
何故、男がそこにいるのか?
それはひとえに、男が廃棄物―――ゴミとして、その場に捨て去られたからに過ぎない。
男の名は、パラガス。
ベジータ王がフリーザに対して反逆を決起する前に、その意に反する者として危険視され、そして処刑された男である。
彼はベジータ王の手によってその命が断たれた後、後始末を任された側近たちの手により、無造作にこの場所へと捨て去られていたのであった。
命を絶たれた筈のパラガスが、何故生きているのか?
それはサイヤ人という種族の持つ、強大な生命力ゆえのことであった。
彼は廃棄物として破棄された後、その強大な生命力によって停止した心臓を動かさせ、奇跡的に蘇生を果たしたのだ。
これは原作において、孫悟空がピッコロ大魔王と戦った時に起きたものと同じ現象であった。
悟空はピッコロ大魔王との戦いに敗れ、確かにその心臓が停止したことを確認されたが、その後に数分のタイムラグを置いて自律的な蘇生を果たしていた。
これはいわば、一種の擬態死とも言えた。高度な“死んだふり”を行うことによって、真の命の危機を回避したのである。
とはいえども、幾ら“死んだふり”とはいえ、実際に紛れもなく心臓が停止し、死んでいたことには違いない。
息絶え絶えとした様子を見せながら、パラガスは必死の体で瀕死の身体を引き摺り、汚い汚物の重なった地面を這って進む。
何処へ向かっているのか。
パラガスの進む先。そのほんの数m先に、その答えがあった。
「ぶ………ブロ、リー………」
そこには赤子がいた。
尾を生やした、特徴的な長い黒髪をした、生後間もない小さな赤子が、そこにいた。
赤子は重体だった。パラガスと同じく、その胸は短剣によって付けられた傷跡が痛々しく残り、しとしとと血を流していた。
生まれながらにして1万もの戦闘力を持っていた、信じ難い赤子。それがブロリーであった。育てば将来、必ずしや絶大な栄光をもたらすだろうとパラガスに目された、凄まじい存在が彼であった。
だが、しかし。その存在は野心溢れるベジータ王にしてみれば、自身の王位を妨げかねない存在でしかなかった。
ゆえにブロリーは、幼い身でありながら抹殺された。その小さい身体を短剣で突かれ、逆らった父共々奈落の底に葬り去られていたのだ。
予想外であったのは、そのブロリーもまた父と同じように蘇生し、生き延びていたことか。
その内在する脅威的な生命力は、自身に付けられた短剣による致命傷を、もうその大部分を塞いでしまっているほどであった。
しかし、いくら凄まじい潜在能力を秘めているとはいえ、やはりまだ子供。
傷による消耗は極度の衰弱をブロリーにもたらし、その息は今にも止まりそうなほど弱まっていた。
その手を握ろうと、パラガスが必死に手を伸ばす。
親子の情が薄いサイヤ人でありながら、相反するように取っているその行動。それははたして如何なる感情に基づくものなのか。
愛情なのか、はたまた全く別種の、利己的なものに連なる感情からなのか。
それは分からなかった。だがしかし、確かなことは今、パラガスは死に瀕している己が息子に対して、必死に手を伸ばそうと足掻いているのだということだけであった。
四苦八苦の、苦しみの末に伸ばされたパラガスの手が、ようやくブロリーのその手に、届いた。
力の入らない指になけなしのパワーを込めて、そっと掴む。
ブロリーの浅く早かった呼吸が、僅かに緩み楽になった。
「ブロリー、よ…………」
それを見て、ただパラガスはブロリーの名を呟く。
もう、彼に出来ることは何も残されてはいなかった。何かが出来るだけの力も残っていなかった。
このまま死を待つだけが、汚く暗い廃棄物処理区画にいる親子に残された道だった。
が……しかし、その道は塗り替えられる。
数奇なる運命の巡りが、親子を生かす道へと誘った。
一際大きな激震が襲った。
巨大な震動が山を作るゴミを揺らし、轟音が破滅的なイメージを親子の元へと叩きつける。
それはフリーザの放った破壊目的の気功弾が、すぐ近くに着弾したものだった。
外壁が呆気なく破れ、外から破壊の閃光が薄暗い区画の中を照らす。
その、激震が。震動が、轟音が、光が。
ブロリーの目を、開かせた。
「ふぇぁ…………ああぁぁ………………」
声が漏れる、ブロリーの口から、まだ生まれて間もない幼子の口から、声が。
それは泣き声か? 歳を考えれば珍しくとも何ともない、極々当たり前のことだった。
―――否。それは泣き声ではなかった。
歳を考えれば不思議でも何でもない、むしろ泣かないことの方、そっちの方こそが不自然なそれ。幼い赤子に許された、唯一のコミュニケーション方法。
だがしかし、赤子の、ブロリーの口から放たれた声は、決して泣き声ではなかった。
「あああッ!! ああああァーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
「おお………おおお……………!?」
それは咆哮だった。
呆然とした様子のまま、パラガスはそれを見た。
幼い筈の赤子が、まだ己の力のコントロールはおろか、そもそも立つことも言葉を介すことすらない筈の、そんな歳の赤子が、己が強さを誇示する咆哮を放つ様を。
自身に迫る破滅の足音を認めぬと、それを掻き消すだけのあらん限りの咆哮を、世界すらひれ伏させ破壊し尽くすのだという凶悪な意志の発露を。
「あああああッッ!! ああッッ! あああああァーーーーーーーーーーーーー!!!!」
ブロリーの髪が、逆立ち金に輝いた。金色のオーラが迸り、その瞳から瞳孔の輝きが消え去る。膨大な埒外のパワーが、幼子の身体を中心に発露されていた。
ふわりと、身体が浮いた。パラガスの気付かぬ間に、何時の間にやら強力且つ強固なバリアーが球状に展開されていた。
バリヤーは、使うのには膨大なエネルギーと特別なコツを求められる、サイヤ人の中でも使う者がほとんどいない技だった。それをこんなまだ幼い赤子が、しかもこれほど強力なものを展開しているという現実に、パラガスは場違いな驚嘆を抱き目を開く。
ふと気付けば、ブロリーの小さな手に、パラガスの手が強く握り締められていた。パラガスが掴んでいた筈のその手が、逆に今ではブロリーの方から握り込まれていたのだ。
展開された強固なバリヤーが、次々と崩れ去り落ちてくる瓦礫類を弾いていく。
そして、二人の姿が消える。目にもとまらぬ超スピードでバリヤーを纏ったまま、二人は障害物を無視し上昇した。
フリーザの振るう破壊行為の中に紛れ、天井を破壊し堆積する土壌部分も一気に貫いて、そのままさらなる加速を行って惑星ベジータの重力圏すら突破し、宇宙へと飛び出る。
一秒とかけずして大気圏すら突破した彼らは、そのまま超々光速の世界へと突入する。
はたして、その行き着く先はいったいどこなのか。
親子二人は、誰にも知られることなく静かに、ひっそりと、宇宙の果てを目指し惑星ベジータを脱出したのであった。
激震が轟く。
ただ音だけではない、物理的にも大地が震え、その震えの伝わりを感じ取っていた。
五感が刺激され、リキューの意識は緩やかに覚醒に向かって動き始めた。
「う………あ…………う………………?」
けぷと息が吐き出され、とくりとくりと心臓が動き始めた。
心臓が動き出すとともに、身体中に付けられた大小様々な傷口から血が流れ始めた。
ぼんやりとしたまま、半ば夢心地の心境のまま、リキューは開いた瞳を右往左往させ、彷徨わせる。
自分はどうやら、すり鉢状に抉られた場所に。さながら、クレーターとも称するべきかのような場所の、その最も深く中心に位置する場所に、寝ているらしかった。
身体を動かそうと身動ぎするが、しかしほんの少し動かそうとしただけにもかかわらず、まるで鉛かのように指先一つが重く、動かすのが億劫だった。
痛みは、なかった。感覚が麻痺しているのか。
リキューは夢心地な心境のまま、まるでフワフワとした感覚のままに現実を見ていた。
出来れば、このまま寝ていたい。リキューはそう思った。身体の億劫さが、その思いにより拍車をかけていた。
しかし、リキューはそう思いながらしかし、自分自身のその思いを自分で裏切る様に、動き始めた。
動かなければならない。そう心を突き動かす、無意識の深層からの訴えがあったのだ。
反応の鈍い、全てが重く節々の動きに支障のある身体を、その一動作に多大な時間を払いながら動かしていく。
ようやく身を起こし、手を付いて足を立てようとしたした時、がくりとリキューはバランスを崩した。
着こうと思った右手が予想外に宙を泳いでしまい、そのままぐしゃりと顔から地面に倒れる。
なんだ、と呆けたまま、リキューは己の右手をその目で確認した。
右手が、なくなっていた。
つい先ほどまであった筈の、その手首から先が見事に消え果ててしまっていたのだ。
丁度重力コントローラーを巻いていた辺りの部分から綺麗さっぱり吹き飛ばされており、僅かに黒ずみ炭化した傷跡が、幸いにも出血をさせず傷口を覆っている状態であった。
道理でと、呆けたままの思考で納得がいく。着こうとする手がないのだ、バランスが崩れる筈だった。
納得し、今度は右手のことを注意に入れながら立ち上がる。
今まであったものがないというのは、思った以上の手間をリキューに与えた。ふらふらと身体がただ立つだけでふらつき、全然しっかりとしない。
改めて見てみると、バトルジャケットがほとんど全て消し飛んでいて、上半身の大半が露出された状態であった。慎みのない、下品な姿である。場違いにそう考えた。
さてと、リキューはよろりよろりと右に揺れ、左に揺れ、今にも倒れそうな雰囲気を常に発しながら歩き出した。
傾斜のある坂を登り、ふうふうと言いながらクレーターの底から這い上がっていく。
やがて少なくない時間をかけ、ようやくリキューは地の底から地上へと、出て来れた。
遠くで強く重い音が響いていた。大地も合わせる様に震え、その揺れをリキューの元まで伝えてきている。
時折鋭い閃光も走る中、リキューはふらりふらりとした足取りのまままた歩き始めた。
何処へ向かっているのか。それはリキュー本人にすら分かっていなかった。夢心地な曖昧な意識のまま、ただ心が突き動かすままに歩いていた。
目的地など思い付く筈もないのに、ただ動かなければならないという欲求だけが、リキューの心にあったのだ。
轟音が響く。地が震える。その度に体勢を危うそうに崩しながら、ふらりふらりとリキューは歩く。
まるで、何かを探しているかのように。
人気が皆無の、目に付くビルというビルのほとんどが倒壊し、崩壊した町並みの中を、夢遊病者のように歩き回る。
何故、という疑問が浮かんだ。何故自分はこんなところを歩いているのか、という疑問が。
リキューの意識が、徐々に夢から現実へと戻り始めていた。まるで幻想の世界から眺めていた視点が、色を付け現実という重みを背負い始める。
それに伴い、リキューの身体から億劫さは消えてゆき、代わりにただひたすら苦しい鈍重さと激痛が、身を覆い始めてくる。
もう、止まろうか。
戻り始めた理性が、苦痛を訴える身体の求めに従って、歩みを止めようとしていた。
そうして、最後に惰性で巨大な瓦礫の隣を通り抜け、角を曲がったその時。
目に入ったその光景に、リキューの瞳孔が拡大し、息が止まった。
「あ―――――――――」
破壊の跡が目の前にはあった。
道路の真ん中に唐突に、長大に地に刻まれた底深い穴が、その地の底を覗かせない程の深さをリキューへと晒していた。
その穴の、すぐ近く。
そこに無残な、無残にも程がある亡骸が、二つ。存在していた。
その亡骸の名を、存在を、リキューは知っていた。
「う――――あ――――――あ―――――――――」
片方の亡骸は男であった。体格の良い、筋骨隆々とした男であった。男は全身をずたずたに引き裂かれ、骨を打ち砕かれ、肉を潰され、見るも無残な有様となって、白眼を剥き完全に絶命していた。
もう片方の亡骸は、さらに悲惨な様相であった。死因は焼死だろう。全身が焼き爛れ、その姿は正視するのに耐えられないほどであった。元は女であっただろうに、見る影もなかった。
その男をリキューは知っていた。その女をリキューは知っていた。何故ならば、男はリキューの身内だったからだ。女はリキューの身内だったからだ。
否、否、否。それよりも何よりも、リキューは知っていて当然だった。何せ、リキューはその二人が死んだとき、殺されたときのその姿を、殺した者の姿を、見ていたのだから。
止めようとしていた身体を、激痛を無視して動かす。よろめきながら、ふらつきながら、二つの亡骸の元へとリキューは近付いていく。
声を出そうとして、失敗していた。喉元がまるで引き攣った様に動かず、しゃっくりみたいな音だけが漏れていた。
感情の波が、心の奥底から溢れて来ていた。それはいったい何の感情か。
怒りか? 憎しみか? 憐れみか? それともそれとも、恐怖か嫌悪か絶望か?
違う。どれもこれも違う。リキューを襲っている感情。溢れだそうとする巨大な波。それは、そんな今まで経験してきた感情などではない。
声ならぬ音が漏れる。喉が震える。心が苦しみ、頭が真っ白に染まっていく。
怒りなぞではない。憎しみなぞではない。そんな利己的な、自助的なものではない。
ようやく、ただようやくして、リキューは震える喉から言葉を絞り出せた。
「お、とう―――さん――――――――――おかぁ、さん―――――――――――――」
頬を、一筋の滴が伝った。
溢れだそうとしていた感情が、爆発した。
「うぁああああああああああァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!!!」
膝を着き、腕を地面に叩きつけた。地が粉砕され、直接地に打ち付けられた炭化した傷口が激痛を発するも、それに気を割くだけの余裕もない。
まるでそれは懺悔するかのような格好だった。誰に向けるかも知らないが、土下座しているかのような格好であった。
声が、ただ壊れた蛇口のように口から駄々漏れ状態となっていた。
それは嘆きだ。
後悔に蝕まれた者が発する叫びだった。
無力に支配された者の叫びだった。
怒りでも憎しみでもない、哀しみという感情が発する、見栄もない醜くだらしのない、無様な泣き声だった。
リキューの泣き声が、天まで響いた。
頬を伝う滴が、涙が、滝のように流れて地に落ちていった。
後悔が、無力が、これまでの自分の行いが、そのそれら全てを包括し頭の中に乱舞させながら、ただただリキューは哀しさに咽び泣いた。
―――そして、その身体を金色の光が包み込んだ。
地に頭を伏せて泣き続けるリキューの身体から、金色のオーラが立ち昇る。
ツンツンとした特徴的なその黒髪が、天を向いて逆立ち、金色となって輝き始める。
滂沱の涙を流し続ける焦点失ったその瞳が、碧眼の瞳へと色を変える。
筋肉が鋼のように張り詰めて、今にも力を失いそうだった身体に活力が漲っていた。
子供のように泣き続けるリキューは、哀しみに包まれ嘆いている中、超サイヤ人へと覚醒を果たしていた。
超サイヤ人へと覚醒するために求められる、最後のきっかけ。
いと激しい、感情の激化。それこそがサイヤ人の限界を突破し、超サイヤ人へと至らしめるスターター。
だがそれを達成することは、単純に文字として表わすこと以上に困難であった。
なぜならば、ただ単純に激しく怒るだけ、哀しむだけでは、絶対に超サイヤ人へと至ることは不可能だからだ。
最後のきっかけ、覚醒のスターターとして求められる、感情の激化。
それは本人にとって未経験の、未体験に属する領域での、深く激しい感情の揺れ幅を求められる代物だからである。
怒りっぽい人間が、怒りで超サイヤ人へと至るのは不可能なのだ。なぜならば、この場合本人にとって“怒り”という感情は、決して未知なるものではないからだ。
激しやすい人間では、憎しみで覚醒することは出来ない。
悲しみやすい人間では、悲しみで覚醒することは出来ない。
戦いを嫌い厭う者が、殺意を纏い怒り狂うことで超サイヤ人に覚醒することが出来るのだ。
勇猛果敢な恐れを知らぬ豪胆な者が、悲しみ涙に暮れることで、超サイヤ人に覚醒することが出来るのだ。
そんな本人にとって、未知領域に属する感情こそが超サイヤ人への扉を開くのである。
あるいは、雑念の混じらない純粋な人間ならばこれに当て嵌まらず、怒りで覚醒することが出来るかもしれない。雑念という異物の混じらない、ただただ真っ直ぐな感情の波が強きうねりとなって限界を打破する、覚醒のスターターとなるやもしれなかった。
だがしかし、リキューは残念ながら純粋な人間ではなかった。様々な雑念が混じり、自らの意に沿わぬ出来事からは目を背け、逃げ続ける愚かな男であった。
ゆえに、リキューは超サイヤ人になることが出来なかった。
両親が己の目の前で殺されたのを見て、我を失う程怒り狂っても変身することは出来なかった。
当然の帰結だった。リキューにとって怒りは見知らぬものではない。元々短気の気がある人間でもある。怒りで覚醒することなぞ出来る筈がなかった。
ボロボロに敗れ果て、意識も退行しあやふやなまま見た、両親の亡骸。
その改めて見せつけられた、自身のこれまでの行いの結果。自身の選択の結果。失わされた、今まで目を背けてきたものの重み。
それを認め、初めて襲いかかってきた膨大なまでの哀しみの感情。激しい後悔の思い。無力への悲痛。
それを以って、初めてリキューは超サイヤ人へと至れたのであった。
声が、小さくなっていく。未だ咽びながら、しかしのっそりと、リキューは動き始めた。
ゆっくりと長い時間をかけながら、徐々に徐々にと身体を伸ばし、そしてその両の足で立ち上がる。
その動きに、その所作に、もう先程までの脆弱な気配は存在していなかった。頬を濡らす涙の痕をそのままに、その目はもう流れる滴の動きを止めていた。
空虚な面持ちのまま、リキューは両の足でしっかりと大地を踏み締める。その碧の瞳を動かし、ただ二つの亡骸を見つめていた。
ふと、リキューが何かに気が付いたように顔を動かす。
顔を向けた方角では、今も変わらず轟音と激震、そして閃光が走っている。
リキューの中の、止まっていた時が動き始めた。
まだ、自分にはやるべきことが残っていた。やらなければいけないことが、あった。
最後にと、リキューはそっと亡骸の姿をその瞳に収める。
その顔を、その姿を、その最期を。一寸違わず、忘れることが決してないように、脳に焼き付けて。
そうして、リキューはその場を後にした。
暴虐を振るうフリーザの元へと、二人のサイヤ人が飛びかかっていった。
すでに目に付く辺りに、他の生きている者たちの姿は残っていなかった。殺され消され、多くの者たちの命が失われていた。
逃げる暇もないと判断した二人のサイヤ人は、互いに目配せし、無茶と分かっていながらもフリーザへと向かわざるをえなかった。
「うぉおおおおおおッッッ!!! フリーザァーーーッッ!!!」
「覚悟しやがれェーーーーーッッ!!」
渾身のエネルギー波を放ちながら、拳を振り上げて二人のサイヤ人は突っ込んでいく。
だがしかし、その程度がフリーザにとって、どれほどのものか。
放たれたエネルギー波を呆気なく弾き飛ばすと、フリーザは軽く手を振るい、向かいかかってきた二人のサイヤ人の首を撥ね飛ばした。
「バシレイッ、マッピンッ!?」
容易く屠られた二人のサイヤ人を見て、残されていた女のサイヤ人が叫びを上げる。
殺された二人の男と、残された女。彼ら三人は昔からの幼馴染であった。常にチームを組み、星の地上げなども行ってきた親しい仲であった。
だがしかし、フリーザに狙われ、もはや他に手はないと判断した二人の男たちは、女を逃がすために自身らを捨て駒とし、特攻を仕掛けたのである。
愛情があった訳ではない。三人の間にあったのは確かな深い友情であった。そうであるがゆえに、彼らは自分たちの間の唯一の女を生かすために、男として命をかけたのである。
その結果は無残なものであった。
男たちの死は一切の時間を稼げず一蹴され、フリーザは背後にいた女へとその視線を向ける。
「っく、くそ! フリーザめッ! 舐めんじゃないよ………私がただで死んでやるものか、最期に目に物見せてやるッ!!」
仲間が、親友たちが殺られても絶望に沈まず、女のサイヤ人は戦意を燃やしフリーザに相対する。
もはや命を繋ごうとする思いはなかった。死の覚悟を決めて、ただ最期の力を振り絞って痛手を与えてやろうと、それだけを考え心構えていた。
フリーザは虫を見る目で女を見ていた。それに女は気付くこともなく、地を蹴り特攻する。
「はぁッ!!」
後を考えぬ最大級のエネルギー弾が、女の掌の上に作り出される。
勢いのままそれを女は叩きつけようとし、叫びを上げながら振り下ろそうとする。
が、しかし。エネルギー弾が着弾する前に、その手首を女はフリーザに掴まれた。
自身を上回る力で軽く捻られ、手があらぬ方向へと向けられる。無造作に込められた力に手首が悲鳴を上げ、エネルギー弾は見当違いの方向へと飛んでいった。
膝を着き、抵抗を一切許されずねじ伏せられる。
「ぐ、ぐぅううッ!!」
「貴様程度が命をかけたところで、どうにかなるとでも思っていたのか。馬鹿な猿め」
圧倒的な、絶対的な戦闘力の差を、たかが命をかけた程度で埋められるのならば苦労はない。
女の行いを真実無駄であった。彼女のために命をかけた、仲間の男たちの行為と同じようにだ。
フリーザは言葉を語るも面倒に、指を突き付ける。
「死ね」
「ッ、ちくしょう―――ッ!」
何も出来ず、ただ迎えさせられる惨めな最期に、女は心底悔しがり歯を食いしばりながら目を閉じた。
フリーザの指先に“気”が集まり、光が灯る。
放たれる光は、女にいっそ慈悲深いと思わせるほど確実且つ瞬時に、その命を刈り取る筈であった。
しかし、その光は何時まで経っても放たれることはなかった。
代わり、女の耳に別の、それも予想外な音が入り込んで来た。
それは苦悶に満ちた、悲痛な叫び。
フリーザの声で、そのような叫びが上げられていた。
「え―――?」
死を覚悟していた女はその叫びに驚き、不意を打たれながら、目を開いて状況を確認する。
そして視界に入ってきたその光景に、呆然とした。
「がぁ、ハァ! ハァ! ハァ! ば、馬鹿な…………な、何故だ!? き、貴様が、何故貴様がいる!? ここにいる筈がない、確かにこのオレがこの手で、貴様は倒した筈だ!?」
フリーザが、恐怖に慄いていた。二歩三歩と後ろへと後退りながら、狼狽し混乱していた。
そのフリーザの、右手。女に突き付けていた、死を告げる指先があった右手は、ネジ切られたかのような傷口だけを残して消え、血をぼたりぼたりと流している。
女のすぐ傍に、見知らぬ誰かが立っていた。フリーザのその恐怖に満ちた視線は、その人間に向けられている。
女もまたフリーザと同じように、面を上げ傍に立つ人間の顔へと視線を向けた。
目が見開かれる。フリーザとは別種の感情に支配されながらも、女もまたフリーザと同じように驚愕に打ち震えされた。
「お、お前は―――――ッ!?」
女が驚きに言葉を詰まらせ答えを出せない中、フリーザが代わりにそれ口に出して、そして問うた。
有り得ない。ただそんな意思だけを込めて。
「何故お前がここにいる!? 超サイヤ人ッ――――!?!!?」
その問いを、その疑問を投げかけられ、当の本人は一切反応を返さないまま沈黙していた。
フリーザを睨み付け動かない碧眼の瞳。天を向き逆立った金の髪。全身から沸き立つ様に現れ出でる金色のオーラ。その鋼のように引き締められた筋肉に覆われた身体で、左手にはネジ切ったフリーザの右手を掴んだままで。
葬り去られた筈の、超サイヤ人。それがフリーザと女の目の前に、存在していた。
興味もなさそうに、あっさりとその手でネジ切ったフリーザの右手をリキューは横に放った。
宇宙の帝王のその右手が、ただのゴミと同じように地面の上を転がる。
それはリキューにしてみれば、特に意趣返しだという意識もない行為の結果だった。ただ単に目の前にいた、殺されそうになっていた女。それ助けるに当たって、突き付けられていたフリーザの右手をどう処理するか考えた結果、払い除けるよりもネジ切った方が早いと考え付いただけの話であった。
超サイヤ人化による、凶暴性の増加。それはリキューにも少なからず働いていた。あっさりと他人を痛めつける選択肢を思い付き、それを苦もなく実行を移せるようになるといった具合に。
「お前は……そうかッ!? さっきの奴とは別のサイヤ人ッ………あ、あの時始末した筈の奴の方か!?」
初めは混乱し狼狽していたフリーザだったが、リキューのその右手や細かい装束を見て、バーダックとは別人であるという結論に至り納得の様子を見せる。
だがしかし、それは何故生きているのかという疑問だけに、答えが出たに過ぎない。
もう一人の超サイヤ人が目の前にいるという、根本の疑問。それには答えが、一切出ていなかった。
「た、確かに………貴様の死を確認した訳ではなかった。サ、サイヤ人どもはゴキブリ並みにしぶとい………生き延びた可能性は十分にあった………だ、だがしかし! 何故、そ……その生き延びた死に損ない風情が、超サイヤ人になっているッ!? つ、次から次へとポンポンポンポンと、何故こんなにも急に現れてくるのだッ!?」
錯乱の様相を少なからず出しながら、フリーザは言い募る。
伝説に謳われていた存在だ。それすなわち、それだけの長い期間、当の本物が現れていなかったことをも示すのだ。
何かしらの障害があった筈である。現れるために必要な絶対条件が、それもどうしても達成することが出来ないほどの困難な、限界があった筈である。
だからこそ伝説となる。だからこそ長い間現れることがなかったのだ。
なのにも、なのにも。
こうしてフリーザの目の前に、二人もそれは現れた。伝説の存在が、フリーザという宇宙最強を脅かす存在が、立て続けに現れた。
何故だ。あったのではないか。どうしても達成することのできない条件が。越えられない筈の、厳然と横たわる限界という壁が。
フリーザのその思いは、正しい。
錯乱し混沌とした思考から捻り出されたその考えは、決して間違っていない。
超サイヤ人と化すための条件。それは本来、今のサイヤ人たちでは決して達成することのできない条件ばかりだ。
古き時代よりも安定とした世の移りによって起こった、種としての衰退。それによって低減し定められた、3万という戦闘力の限界値。
未知領域に属する感情の激化という、体験することそれ自体が極めて難しい、必要とされる覚醒のスターター。
どれも一つでは成し遂げられず、全ての条件がクリアされ始めて成される、その覚醒。それは本来ならば伝説となったまま、世には現れることのない存在でしかなかった。
だが、伝説は伝説のままで終わらなかった。
こうして現実に姿を現し、フリーザの目の前にその足で立ち、存在していた。
厳然とする限界という壁を突破し、ここにその威容を示していた。
―――それこそが、“ドラゴンボール”の世界が持つ二大ワールド・ルールが片割れ、最後の一つ。
ワールド・ルール、『限界突破』。
決して限界が存在しない、という訳ではない。越え難い、越えてはならないとされる、厳然たる限界という壁は存在するのだ。越えれば代償を取られ、時には死にも至るという限界が。
しかし、その限界の壁を突破するのである。自身を鍛え上げることで。練磨し、より高み高みへと目指し、一心不乱に修練することで、厳然と存在する限界という壁を。
ただの地球人である筈のクリリンやヤムチャなど、原作におけるZ戦士たちが、修行によってサイヤ人すら凌駕する戦士となったように。
下級戦士というサイヤ人の落ちこぼれである、孫悟空が修行を飽くことなく続け、宇宙最強の戦士となったように。
それこそが『限界突破』。
向上心ありし努力する者を、ただひたすら、どこまでも強く強くさせることを可能とする、基本にして究極のワールド・ルール―――。
幾ら考えようとも、フリーザがその懊悩の答えを知ることはないことであった。
それに仮に答えを知ったところで、無意味極まることでもある。
答えを知ろうが知らなかろうが、フリーザの目の前に今存在しているリキューが、消え失せることは決してないのだから。
フリーザに勝ち目は、ない。
その身体はバーダックのとの戦いの結果、もはや限界の極みまで疲弊し痛み付けられている。
出せたとしても、精々がフルパワーの50%程度の力が限界。それも一瞬だけの、閃光の様な瞬きだけのこと。常に出せるであろうパワーは、さらに下回る。
勝てる筈がなかった。戦えば確実に負ける。それが決定だった。
だが、それを、フリーザは認める訳にはいかない。
たかが、たかがサイヤ人などという下等生物如きに負けるなどという事実は、一片たりとて認めることが、あってはならないことであったのだ。
例え理性が完全なる負けを宣言してようとも、認める訳にはいかなかったのだ。
「お、オレが負けるものか………オレは、オレはッ、フリーザだッ! 宇宙最強の!! 超サイヤ人ですら、このオレは倒したのだ!!」
残った左手を、フリーザは握り締めた。
全身の力を高める。“気”を励起させる。苦痛に呻き崩壊の衰弱がのしかかるも無視し、引き出せるだけの限界の、そのギリギリにまでパワーを抽出する。
握り締められたその拳に、集める。集める。集める。エネルギーを集める。“気”を収束する。全ての力を一点に練り上げ固め上げ、結晶させる。
その無茶に、またさらに一つ身体の崩壊が進み軋みを上げる。深刻な後遺症すら残すほどの反動が、身体を蝕む。
その全てを、無視する。
「断じてこのオレが、貴様なんぞに負けるものかァーーーーーーッ!! 超サイヤ人ーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!」
拳を振り上げ、フリーザが大地を蹴った。
数mもない間合いが一気に詰められ、振り上げられた拳が渾身の力を込められて突き込まれる。
リキューはそれに対し、一切身動きすることがなかった。ただ座して待ち構え、睨んだまま微動だにしなかった。
拳が、リキューの顔面に叩き込まれた。凄絶な音を立てて拳が打ち込まれ、傍で見ていた女が声を上げる。
にたりと、勝利の確信にフリーザが微笑んだ。
その腕を、一切の淀みのない動作でリキューが掴んだ。
叩き込まれた拳の向こうで、彫像のように微動だにしないまま、リキューの瞳がフリーザを貫いていた。
「な、―――!?」
ぐいと、腕を掴んだまま無造作に動かす。
抵抗することすらできず、フリーザは身体全体を返され地面に叩きつけられた。
「げはァッ!? ち、チクショ――――ッ!?」
咳き込みながら慌てて立ち上がろうと、四肢を付きその面を上げた瞬間、フリーザの眼前に広げられた掌が突き付けられた。
愕然とした様子でフリーザはそれを見て、広げられた掌の指と指の間。その向こうに、冷徹に、虫を見る目で己を見る、超サイヤ人の碧眼を認めた。
意図を悟る。怖気が走る。抑止の声を出そうと、慌てて声が口から出ようとした。
「ま」
「死ねよ、フリーザ」
気功波が、放たれた。
それは無慈悲な、激烈な威力持った気功波だった。至近距離でそれを浴びたフリーザの末路などは、もはや語るまでもない。
フリーザは断末魔の叫びを残す暇もなく、塵一つ残さず消え果てた。
パラパラと、灼けた土の残りが崩れ落ちる音だけがする。
リキューの広げられた掌の、先。
そこには僅かに土が抉れた跡だけを残して、何も残ってはいなかった。
それが、宇宙の帝王フリーザの、最期であった。
リキューはそれを無感動に見たまま、手を下ろす。
何もその口から言葉を吐き出すこともなく、ただ沈黙し何処を見る訳もなく、視線を置いていた。
フリーザの打倒。それは十年以上に渡る、リキューの悲願であった筈だった。
にもかかわらず、リキューは何も示さなかった。困難であった筈の目標を、目的を、見事に達成できたのにもかかわらず。
まるでそのことに、何の価値もないのだと言わんばかりに、沈黙し続けていた。
「な、なあ………ちょっと、あんたッ」
ふと、沈黙し静寂が漂っていた場に、唐突な声が投げかけられた。
リキューはそれに反応したのかどうか、無表情なままその顔を声の元に向ける。
声を投げかけたのは、先程フリーザから助けた、あのサイヤ人の女であった。
「あんたは、もしかして………リキュー、なのか? あの、“腰抜けのエリート”、の?」
かつて付けられたリキューの、その懐かしいと本人がふと思ってしまったあだ名を出しながら、恐る恐るといった様子で、女は確認を取って来ていた。
サイヤ人というのは、狭く閉鎖されたコミュニティである。そもそもの総人口が400人程度の集団なのだ。それゆえ、大抵の人間と親交の有無はともあれ、顔と名ぐらいは知り合っている。
女もまたそれは同じなのだろう。リキューの顔と名程度は記憶に残っており、超サイヤ人という変貌した姿とはいえ、当て嵌まるものを感じたに違いなかった。
「そう、なのか? それじゃ、その姿は………それが、やっぱりあの、超サイヤ人………?」
何を話しかけたらいいのか、女自身思い付かないのだろう。具体性のない呟きの様な言葉を切れ切れと、意図も持たせず口から出していた。
それを碧眼の瞳で、ただ無表情のままリキューは見る。
女が殺されようとした場面を見た時、リキューの目には女の姿が、その瞬間ニーラに見えていた。
言うまでもなく、それはただの錯覚だ。
女は今改めて見てみても、髪型も顔の造りも、ニーラとは似ても似つかない姿をしている。精々が同じ民族であるがゆえの共通性が感じ取れる程度しか、両者に似た部分は存在しなかった。
けれども、その瞬間だけに限って、リキューの目には女がニーラの、母のように見えた。そして思わず即時に行動に移し、気が付いた時にはその命を助けていたのだ。
リキューは女から視線を外すと、残された自信の左手で懐を漁った。
そのほとんどが砕け、消え去ってしまっているバトルジャケットの、僅かに残された部分。そこに収められ、奇跡的に残っていたある物を取り出す。
それは黒い色をした、掌の中に収まる程度のサイズをした小さな長方体であった。ふと壊れてないかとも思ったが、どうでもいいことだとすぐに片付ける。
「おい」
「! な、なんだ!?」
「やるよ、これ」
と、思考の追い付いていない女に、リキューは黒い物体を放ってやった。
戸惑いながら、慌ててそれを女はキャッチする。手に取って眺めてみるが、それが何なのか分からず女は不可解そうな表情のまま眺める。
当然だった。その黒い物体の所有権はリキューにある。例え女が手に持って疑問を思い浮かべようとも、その脳裏に解説が示されることはない。女にとってそれはガラクタでしかなかった。
リキューは女から背を向けると、どこかへと飛び立とう構える。
「な………お、おいッ! リキュー、お前何処へ行く気だ!? それにこれは!?」
その時、リキューはそのことに今思い至ったかのような仕草をして、女へと視線だけ向けた。
いまさらの話であったが、目の前の女。その名前を、リキューは知らなかった。何とはなしに記憶には残っているのだが、どうにもド忘れしたのか、記憶を引き出すことが出来なかったのだ。
黒い物体を見せながら詰問する女に対して、リキューは言葉を発する。
「お前………名前は、なんだった?」
「ッ、急に何を言うかと思えば、私の名前を知らないっていうのか!? ……ツバミだ、私の名前はツバミっていうんだ! 二度と忘れず、ちゃんと覚えてな!!」
「ツバミか…………そっか」
呼び覚まされた記憶と一致する名を聞き、合点がゆく。確かにその名を持った女のサイヤ人を、リキューは知っていた。
これで、もう特に思い残ることもなかった。とりあえず思い付く限りの疑問も行動も全て終えて、リキューはそう思う。
ふわりと宙に浮く。ツバミがそれを見て、まだまだ言い尽くせぬことがあるのか、慌てた風に話しかける。
「ま、待てリキュー!? ま、まだ聞いてないことがッ――――」
「じゃあ、な」
取り合うこともせず、ただ一方的に行動するだけしていって、リキューは空を翔けてツバミの目の前からあっという間に消えていった。
伸ばした手がむなしく宙を切り、一人ツバミだけが人気のない廃墟の中に取り残される。
ツバミはふと、手の中にある、リキューから貰った謎の黒い物体を見つめた。
キュッと、それを握り締める。
「っち…………命を助けて、訳も分からない物を渡すだけ渡しといて、そんな散々好き勝手しといて、後はまた勝手にオサラバするだって? そんなの、絶対に認めないからね…………リキューッ!」
決意の籠った宣言しながら、ツバミはリキューの名を呼んだ。
その手の中で、黒い物体が鈍く光を照り返していた。
宇宙に浮かぶ円盤状の大きな宇宙船があった。
近くに赤茶けた痩せた星―――惑星ベジータを置いて、船は静止している。
その船の中は、にわかに狂騒に包まれ始めていた。
原因はブリッジのスクリーンに映されていた、惑星ベジータにて起こっていた戦闘。その余すことなく仔細に伝えられた、それの結果にあった。
全宇宙から選りすぐられ、結成されたほんの数人による精鋭戦隊。その者たちが、スクリーンを見て激しい動揺を示し取り乱していた。
「ふ、フリーザ様が!? ま、まさかッ!? た、たかがサイヤ人如きに!?」
「超サイヤ人ッ、で………伝説は、本当だったのか!? う、宇宙最強の、超戦士………ッ」
最初に現れた二人のサイヤ人。その予想外にも強大な戦闘力の発露に驚くも、所詮はフリーザに一蹴される程度の雑魚に過ぎないその戦いを見て、その時はまだ、ただの観戦ムードが広がっているだけであった。
その次に訪れた思いもがけない急展開。何者かも知れない未知の存在が救援に現れ、そしてあろうことかブラックホールを造り出し、それをフリーザにぶつけるという行為。予想なぞ出来る筈もないその事態に、戦隊はフリーザの無事を見てひとまずの安堵を得るも、もはや観戦ムードでいられなくなってきた。
そして、その次。完全に観戦していた戦隊の平常心を奪い去った、信じられる筈のない事態の到来。
超サイヤ人の出現。そして、その規格外の戦闘力の発露。
あろうことか、フリーザすらも打倒し消してしまいかねない、たかがサイヤ人如きから生まれたその生きた伝説。それを見て戦隊の者たちは一人として例外なく、言葉を失ってしまっていた。
この戦い自体は、まさに負けが決まりそうだといったところまで戦況が運んだところでの急な逆転劇により、なんとか勝利を収めることが出来た。戦隊の者たちもそれで心底胸を撫で下ろしたのである。
しかしその後に続いて現れた、悪夢。新たなる超サイヤ人の出現。
その新たなる超サイヤ人の手により、フリーザは呆気なく、真実塵一つ残さず、消し飛ばされてしまったのだ。
動揺が広がる。混乱と狼狽が場を支配する。
彼らは全宇宙から選出された精鋭である。その戦闘力は他の一般兵どもとは比べ物にはならないものだ。
しかしフリーザは、その彼らすら歯牙にかけない存在だったのだ。それをいとも容易く、呆気ないにも程があるほど簡単に屠った、超サイヤ人の存在。
そのとんでもなさをより理解できる分、彼らの混乱はより一層深刻なものとなっていた。
だが、その混乱を鎮める者がいた。
「うろたえるな、馬鹿者どもが」
「!? く、クウラ様ッ!?」
床を強く叩きつける音が響いた。
声と音に戦隊の者たちが顔を向けると、そこにはマシンを降り、苛立たしげにその尾を床に叩き付け仁王立ちしている、彼らが主の姿があった。
強大なる戦闘力を秘めた存在。彼ら精鋭たる機甲戦隊の主にして、フリーザが実の兄。
クウラ。彼が凍てついた視線で、各々を睥睨していた。
「すぐに船を動かせ。目標は惑星ベジータ。超サイヤ人………奴の存在をこのオレ自身の手を使い、抹殺する」
「は、はいッ!」
告げられた命令に慌てて返事を返しながら、戦隊の人間たちは動き始めた。
船の舵を取り、その巨大な船体が動く。
スクリーンの中の、倍率補正のされていない画面に映る惑星ベジータの姿が徐々に大きくなっていく。
クウラは映されたままとなっているスクリーンの中の超サイヤ人の姿を、その目でじっと見たまま口を開く。
「フリーザ、愚かな弟め。あまりにも奴は甘すぎたのだ。だから超サイヤ人などというものの台頭を許し、挙句命を落とした。我ら栄光の一族の血を引く者でありながら、たかが猿風情なぞに殺されるという、有り得ない屈辱を味わうこととなったのだ」
星が近付く。
宇宙船はあっという間に惑星ベジータ付近にまで到達し、スクリーンいっぱいにその巨大な星の輪郭が埋め尽くす。
「屈辱は雪がねばならない。フリーザのことなどはどうでもいい。死んだのは奴自身のミスだ、このオレの知ったことではない。だがしかし、我ら栄光の一族の者がたかがサイヤ人などというクズに敗北を喫したなどという事実は、断じて見逃すわけにはいかん。そして、オレはフリーザのように甘くなどない。奴は勝利に執着し、その己の手によって超サイヤ人に引導を渡すことを求めた。それが間違いなのだ。オレはそのような執着なぞ持たんぞ。超サイヤ人………オレは奴をこの手で始末する前に星を破壊することに、一切の躊躇いなど持たん」
「わ、惑星ベジータを消すおつもりですか、クウラ様!?」
「そうだ。その方がいちいちサイヤ人どもを一匹ずつ駆除していくより、よっぽど確実で手間が省けるからな」
その言葉に驚きながら傍でコンピュータを見ていたサウザーが問い、クウラはそれに応じ返していた。
フンと、クウラは吐き捨てる。
ただしと、付け加える様にさらに言う。
「星を消す………それはあの超サイヤ人を、この手で始末してからだ。オレは愚かな弟とは違う。一族の寵児として甘やかされて過ごし、持って生まれた強大なパワーに溺れ日々のパワーのコントロールの鍛錬を怠ってきた、あの愚弟とはな。だが、どれだけ愚かであろうとも血の繋がった弟だ。せめての手向けとしてこのオレが奴の仇を取ってやり、その末に惑星ベジータをこの宇宙の塵とする」
それは絶対の自負があったから言える台詞であった。
実弟を打ち負かし打倒した超サイヤ人。それを真っ向から戦い、そして討ち取れるだろう。そうと断言するだけの自信があったからこそ、その行動を選択したのだ。
仮に勝つ自信がなければ、クウラはわざわざ真っ向から戦おうなどという選択なぞしなかったに違いなかった。無感情に星に一撃を撃ち込み、破壊していただろうことに疑う余地はない。
船が、近付く。
惑星ベジータは、もう目の前にあった。
空を翔けながら、リキューは見るともなしに眼下の破壊された都市の光景を見ていた。
元々無人のまま過去のツフル人殲滅計画時のまま放っておかれ、廃れ果てていた都市ではあった。それがフリーザとの戦いの余波や破壊行為によって、ほとんど再起不可能なレベルにまで蹂躙し尽くされ、瓦礫ばかりの風景となっている。
元々寂れ、空虚な印象の残る町並みではあった。しかし今では、もはやそれすらも残っていない。全てが終わった後の光景だ。
その時、リキューは本当に偶然に、その瓦礫ばかりが連なる光景の中、ぽつりと動いているものがあることに気が付いた。
高度を下げて、それの元へと近付いていく。
すたりと地に着地し、それの正体をリキューはすぐ間近で認めた。
それは、美麗な男であった。純白の腰まで伸びた長髪、見惚れるほど整えられた顔の造形。すらりと細く引き締まった肉体。それら全ての造りが見てて感嘆の出てくる男であった。
だがしかし、男は美麗であることと同時に、無残な姿も晒していた。
全身に深い負傷を負っており、片足を引き摺っている状態で、さらには纏っている白いコート状の羽織もボロボロで、それに自身の流した血で赤黒いシミを作っている。見てて最も目を惹く純白の長髪もほつれにほつれ、泥と埃で汚れ見る影もない。そして何よりも見てて痛々しいのが、その顔面の傷だった。
完全に潰された右目。ヘテロクロミアである、神秘的な雰囲気を醸し出していたその瞳は片方が潰れて滂沱の血を流し続けており、左の緑色の瞳だけがリキューを窺っていた。
リンである。
「生きていたのか…………」
「ああ………当然だろ。と、言いたいところ………だが、な……………ギリギリ、だったよ。本当に、間一髪、に。紋章の発動が、間に合ってな。治癒魔法を、重ねがけ、して………何とか、生き延びた、ぜ」
そう言うリンの額には、光を発し輝いている紋章の姿があった。
リンがその額に宿す、覚醒の紋章。それは発動した時、宿主の放つ全ての魔法の効果を1.5倍とする。
フリーザに胸を射抜かれ、地上に一切の受け身を取れず落下したリンは、そのままでは成す術なく死ぬしかない状態であった。いくらギフトで吸血鬼並の再生能力を持っているとはいえ、それは急所を射抜かれても問題なく再生させるほどまで、強力な代物ではなかったのだ。
しかしなんとかギリギリ、その時に紋章の発動が間に合った。それによって死ぬ気で回復魔法を使用した結果、元々の身体の再生能力と併せて、どうにか持ち直せたのである。
それは文字通りの、ギリギリの瀬戸際だった。あと十秒紋章の発動が遅れていたら、完全にリンは死んでいたに違いなかった。
ふと、リキューはリンのボロボロの姿を見て違和感を覚えていたのだが、その原因に気が付いた。
リンの相棒であり得物である、ジェダイトの姿がなかった。
「ジェダイトは、どうした?」
「あいつなら、ここだ」
ちゃりとストラップチェーンを鳴らして、リンが懐から翡翠色の十字架―――スタンバイモードとなっているジェダイトを取り出して見せた。
リキューが眉を寄せる。
ジェダイトの様子もまた、主と同じように無残なものであった。十字架の四方に伸びた長方体の内、一番長い一端の部分が中ほどから欠けてしまっていた。全体的にもどこか薄汚れ、覆い隠すように縦横無尽に罅が入ってもいた。時折不気味な電子音がブツ切れに発せられたりもし、それがさながら、壊れたラジオをリキューに連想させた。
リキューの意図を悟ったのだろう。先回りするようにリンは言った。
「最後の、一撃。それを咄嗟に、庇ってな。リペアが働かないレベル、だが………基幹中枢は、幸い無事だ。修理すりゃ、元に戻せる」
「……そうか」
リンがげほげほと血の塊を吐き出す。呼吸器官だけは何とか回復させたのか、その吐息が正常なものへとなっていった。
未だ辛そうに満身創痍な姿を晒しながら、しかし何時も通り敵愾心に満ちた視線をリキューへと送り、口を開く。
「それで? その姿を見るからに、フリーザの奴は倒したってことで合ってるのか?」
「ああ、そうだ」
「そうか………ハハ、くそ。やっぱとんでもないなぁ、チクショウ」
悔しそうに、だが納得した風にも見せながら、リンは独白した。
マイクロブラックホールを受け止め、あろうことか握り潰したフリーザ。
その規格外を体現しているフリーザを、さらに上回り打倒してしまった超サイヤ人。
その胸に飛来する想いはあまりにも桁違い過ぎるその能力へのイチャモン付けばかりだが、しかしそれだけではない。一種の感嘆も混じっていた。
それがいかなる由来からなるものか。答えは単純なものだ。
リンは身体の痛みに辛抱するまま、金色のオーラを発しているリキューの姿を眩しそうに見つめる。
「くそ………やっぱりかっこいいなぁ、それ。超サイヤ人に、なりやがって………くそ、羨ましいよ、お前」
その言葉に、リキューは意外だといった表情を作った。
何時だったか、確か四年ほど前だかに交わされ会話の、その古い記憶がリキューの脳裏に蘇る。
表情をそのままにして、リキューは尋ねた。
「ただの格闘漫画は、好きじゃなかったんじゃ?」
「ッハ………古いことを覚えてるな。けど誰が、何時そんなことを言ったんだよ。俺は、今時ただの格闘漫画は流行らない、って言ったんだ。ドラゴンボールは、俺だって大好きさ。かめはめ波とか、界王拳とか、超サイヤ人とか…………ハマったに決まってるだろ、俺もな」
「そう……か」
どーだこーだと、リキューとは常にいがみ合ってるしぶつかり合ってる。フリーザ相手に、必ず倒せるだろうとパターンB・H・Sの絶対性を確信していたりもした。
しかしその裏では、リンだって“ドラゴンボール”という一つの作品を、心底楽しみ、好んでいたのだ。
だから必殺魔法を破られ、そして心底気に喰わない相手がよりパワーアップしたのだという事実がありながらも、それらを悔しがる一方で感動したりもしたのである。
かつて紙の向こうに見たお伽話のヒーローたちの、その存在に、その技に力に、ただ心震わせていたのだ。
この時、リキューは唐突に直感した。悟ってしまった。
何故、あれほどまでに自分が、目の前の男に……リンという存在に対して、心底から敵愾心を沸かせていたのかを。
閃光のように閃き理解に至り、そしてリキューは同時に、その内容の愚かしさを痛感した。思い知らされた。
心に積もる澱を、さらに一つ増やすこととなった。
「にしても、散々な目にあったよ、本当に。それもこれも元はと言えば、無謀な挑戦をしてくれた誰かさんのせいでな? けふ………で、その誰かさんは、わざわざ文字通り骨を折ってまで助けてやったこの俺に、何か言うことはないのかよ? ええ?」
「すまなかった、ありがとう」
「……………………………………え? ………………………あ、そ、そう。な、何だよおい、やけに素直というか、物分かりがいいというか………ど、どうした?」
「別に、何の裏もない」
これまでの経緯から有り得ないようなリキューの返事を聞いて、誇る前に不気味そうにリンは訝しむ。
それを見ながら、リキューはただ思っていた。
自分の愚かさを。
積み重ねてきた業の深さを。
何故、リンの存在がこうも鬱陶しかったのか。何故、こうもリンの存在が憎たらしかったのか。
一目見た時から気に入らなかった。会話を重ねてもそれは治らず、その後の出来事によって関係はもはや修復の余地のない、両者ともに共通し固定されたものとなった。
その理由をリキューは、リンが自分のことを心の底で舐めているからだと思っていた。人当たりのいい仮面を被って接する中、その下で他人を自分よりも下に見て舐めているからだと。
だがそれは違ったのだ。それはリキューがリンを嫌っていた、本当の理由ではなかったのである。
今この瞬間、リキューが悟った、リンを厭うていた理由。
その原因とは、何か?
それは、同族嫌悪だった。
リンとリキューという二人の男は、全く異なる人格を持っているように見える一方で、その実全く同じ行動原理を持った男たちだったのだ。
リキューはそうとは気付かず、愚かにもリンのことを毛嫌いし、敵愾心を燃やしていたのである。
人当たりのいい面をしている裏で、他人を自分よりも下だと見下し接している。そう思い、リキューはリンを蔑んでいた。
だがしかし、それはリンだけのことではなかった。リキューだって同じことをしていたのだ。
サイヤ人としてのプライド。強さへの自負。リキューは心の底で常にその意識を持ったまま他者と接し、内心で見下しながら付き合っていたのだ。
それはそれこそ、どんな時だって変わらずずっと貫かれてきた。
命をかけた真剣勝負の時も、ただ雑談に興じ和んでいる時も。意識の裏で、常にその思いを抱いていたのである。
リキューは、基本的にトリッパーメンバーズに在籍し“開通係”として過ごしていた時期も、誰かしらと戦う機会があった場合、その相手に合わせて手加減し相手をしてきた。
真祖の吸血鬼を相手に戦った時も、魔界の大魔王を相手に戦った時も、神代の英霊と戦った時も、目の前のリンと戦ってきた時も。
そのいずれも同じく、一切の例外なく、相手に合わせた力量で戦い続けてきた。
それはリキューにとって、より戦いを楽しむための必要事項であり、いわば当然のものとして片付けられる行為であった。
しかし、だがしかし。
それこそが、相手を舐めている行為の、その意識の現れに違いなかったのだ。手加減する理由など、そもそも根本に、自分が全力を出せばとてもではないが相手は耐えられないだろうという、そんな傲慢な思いがあるからこそ行われていたのだ。
リキューとリンの、その思考形態は驚くほど同じであった。
その同一性が顕著に表れていないのは、ひとえに両者の人格が違うからに過ぎない。
直情的で物事をすぐに行動に移し表すように見えて、その実、真に重要で重大な事態には口を閉じ心に溜め込む性質のリキュー。
一見して人のいい人間の仮面を被り本心を隠して接しているように見えて、その実、付き合えばあっさり自分の内面を大っぴらにする性質のリン。
上記のような、一見とは正反対な人格を両者が持っているがために、似た者同士であることが目立っていなかったに過ぎなかったのである。
そして本人たちですらそのことに気付かず、ただただ双方のその行動原理に嫌悪し反発し、いがみ合い続けていたのだ。
なんという茶番、なんという道化。そしてそのことに、リキューは気が付いた。気が付かされてしまった。
なんと、愚かな話か。なんと、滑稽な話か。
リキューはただただ、己の無様な行いを、後悔と屈辱を、そして何処にも向けることなど出来ないやるせなさを感じながら、その過去を反芻するしかなかった。
「おい………リキュー? お前、本当にどうしたんだ? 超サイヤ人になって、なにか、反動でも来ているのか?」
リンが、歯を食いしばってただ耐え続けている状態のリキューに対して、声をかける。
その声色には純粋に気遣う素振りだけがあって、持っている敵愾心についてはその瞬間、忘れ去っているようであった。
気持ち悪さややるせなさの類を、リキューは一息で飲み干し、抑え込んだ。胸焼けの様な錯覚が襲うも、無理矢理ねじ伏せる。
そのまま無言でリキューはリンに背を向け、ふわりと宙へと浮かびあがった。どこかへと向けて、飛び立とうとしていた。
「お、おい。ちょ、ちょっと待ちやがれ! てめえ一人だけで、どこに行くつもりだッ………こっちはまだ峠を越えただけの重傷なんだ、肩を貸すぐらいしや――――」
「頼みがある」
リンの言葉を間から割り入って、リキューは背を向けたまま言葉を発した。
いきなりを何を言うのか、突然の急展開に付いていけないままリンが動きを止める中、リキューが続きを述べていく。
「サイヤ人のことを………この星の後について、お前に任せたい。何とか、してほしい」
「は? え、はい? な………い、いきなりお前、何言ってやがる!? 何とかって、いきなりそんなことを言われても……………」
目を白黒させながら、リンが混乱したように口が止まる。
リキューの言ったことは、それだけ突拍子のない、さっぱり訳の分からない発言であった。
何かの悪ふざけか冗談ではないかと疑い睨むも、背を向けたまま宙に静止するリキューが、何かを新たに告げる気配はない。
まさか………本気、なのか?
リンはまさかのその考えを思い、そしてそれが正解だと判断せざるをえないと、そう分からさせられた。
だが、だからとって納得できる筈もない。
サイヤ人を、というかこの星、惑星ベジータについて後を任せるとは、いったいどういうつもりなのだ? 政治でもしろと、そうでも言うつもりなのか?
なんにせよ、そんなことをリンがする必要も義理もないことは明白だった。加えて、本人にやる気なども一切なかった。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、何で俺がそんなことしなくちゃならないんだ! 絶対に頼まれないからな、そんなことッ! というか、そんなこと俺にさせるぐらいなら、お前がすればいいだろうが! お前は俺にそんなことをさせといて、いったいどうするつもりだ!ッ!」
「俺は、戦いに行かなければならない」
「………は?」
激しすぎて重傷の身体から激痛が迸り、咳込みながらリンは顔を伏せた。
落ち着き、改めて顔を上げてリキューの背を見る。リキューは遠く果ての空へと視線を向けていると、ッスと左手を伸ばし、指先を彼方へと指す。
「あっちの方角、それもかなり遠い距離から……………多分、宇宙からだろう。巨大な“気”の持ち主が、接近してきている。味方ではない……絶対に。邪悪な“気”の持ち主が………それもフリーザに匹敵する大きさの“気”の持ち主が、近付いてきている。俺はそれを、倒さなければならない」
「フリーザに匹敵する、だってッ!? …………ッ! くそ!! そうか、クウラか!? しくじったッ、この世界が原作だけでなく、劇場版も含めた世界だとしたらその可能性も十分にあったッ!!」
その正体に見当が付き、失敗したとリンが激しく毒づく。
クウラという言葉に、リキューは聞き覚えがあった。しかし具体的な記憶がサルベージされることはなく、やはりどうでもいいことだと片付ける。
思い出せそうと出せなかろうと、敵はすぐ近くにまで接近してきているのだ。会えば済む話であった。
飛び立とうとするリキューの背へと、慌ててリンが声をかける。
「ちょっと待て! リキューお前、帰ってこないつもりか!? だから後を頼むって、そんなことを言いやがったのか!? 冗談じゃないぞ、こんな頼み方があるか! 俺は嫌だぞ! 絶対にお前の頼みなんぞ受けないからな!! 俺にだって目的はあるんだ! お前の頼みを聞いて時間を潰している暇なんてッ――――」
「頼む、リン」
「ッ!? ―――お前、俺の名前をッ?」
リキューが、飛び立った。
思わず追ってリンは一歩踏み出そうとするが、身体はまだ激しい運動が出来るほど回復してはいない。すぐにたたらを踏んで、動きは止まった。
ちくしょうと、言葉に出しながら遠ざかっていくリキューの後姿を見つめる。
「リキュー、あの野郎……人の名前を、初めて呼ぶのがこんな場面だと? くそっ、ふざけやがって!! こんな頼み方をされて、こんな別れ方をされて、断れるかよちくしょうッ!!」
視界の中の、リキューの姿が点となって消えていく。
空の果て、雲の向こう、星の楔が最も緩い、宇宙と空の境目へと。
その消えていく姿に、背に、リンは叫んだ。
「冗談じゃないぞ、絶対にこんな形で、こんな一方的に約束させられたまま、終わらせてたまるかッ!! てめえリキュー!! お前も約束しろよ! 絶対にもう一度帰って来い! 俺の前に顔を出しやがれ!! こんな面倒な頼みを俺に任せといて、自分だけ逃げようってするんじゃねえぞ!! 分かったか!! 約束だぞッ! これは約束だッ!!!!」
その叫びが届いたかは、リンには分からない。距離を考えれば届いてない方が自然であった。しかし関係ないと、荒く息を吐きながらリンは断言する。
聞こえようが聞こえまいが、約束したのだ。ならばリキューはそれを守らなければならないのである、絶対に。それが卑怯極まる頼み方で面倒事を押しつけた、リキューへの当然の要求なのだ。リンは揺るがず、断として構えたままそう考える。
リンの視界の中から、リキューの姿が空に溶けて消える。
リンはそのリキューの消えた空を、身体が完全に言えるまでの間、苛烈な視線のままずっと、睨んでいた。
それが、リンがその生涯で見た、リキューの最後の姿であった。
リキューは遥か天空の彼方へと目指し、飛翔していた。
すでに高度は雲を突き抜けた位置にまで至り、下方には雲の平原が広がっている。
視線を遠く、感じ取れる宇宙から近付いてきている巨大な“気”の存在に向けて定めたまま、空虚な心境で空を翔けている。
考えているのは、父のことだ。母のことだ。
いったいなにを、どこで間違えたのかだろうか。リキューはただそれだけを考えていた。
何故死んだ。二人は何故死んだ。何が間違っていた。俺は何処から間違えていたのだ?
―――決まっている。
(最初から、だ。俺は、最初から間違っていた)
二人は、悪だった。どうしようもない、悪辣極まる悪であった。
サイヤ人として生き、その人生を謳歌した人間たちだった。
その手で多くの罪もない人間たちを、幾つもの星を、侵略し蹂躙し破壊し尽くしてきた、おぞましい悪だ。
どれほどの悲劇を招いたか。どれほどの未来を奪ってきたのか。彼らは悩むこともなく、逆に楽しみながらそれを成してきたのだ。
死んで、当然の存在だった。死んだのは、至極真っ当な因果応報だった。
それに関してはリキュー自身、意義の挟みようがない純然たる事実であった。
だが、しかし。
そうだとした上で、矛盾だと分かった上で、どうしようもなく愚かで卑怯なことだと分かった上で、リキューは思っていた。そう思っていたことに、気が付いてしまった。
(死んで、ほしくなかった。俺は、あの二人に死んでほしくなかったッ―――)
吐き気がするほど、それはずるく、卑怯な考えだった。
リキューはかつて、フリーザを悪と決めた。殺したところで一切の問題のない、むしろ殺した方が世のためとなる、害悪でしかない存在だと。
幼少の頃、まだサイヤ人というよりも日本人という意識が強かった時期。溢れだそうとする種族的な特性である凶暴性の発露を抑制するために、自身の倫理への拘りを守るために、フリーザにその捌け口の役割を担わせたのだ。
しかしそれは矛盾を招く決定だった。フリーザだけじゃない、サイヤ人だって分かり易く身近な、絶対的な悪なのだ。
フリーザを悪と断言しながら、サイヤ人を悪とは断じないその行為は、著しい論理的な矛盾があった。
サイヤ人を悪とみなすか、みなさないか、求められた最低限の決断。今後の一生を左右するであろう、その重要な選択の岐路。潔癖なリキューの精神が、倫理を無視した己にとって都合の良い選択を、許さなかったのだ。
そしてリキューはそれから、逃げた。悪と断定することも、身内と庇うことも、そのどちらも選択せず答えを出さないことを選んだのだ。そのまま選択を保留したまま、どっちつかずなままにしてサイヤ人に対する己のスタンスを決めなかったのだ。
その選択を今の今まで、ずっと押し通し続けてきた。その結果がこれだった。
二人は死んだ。ニーラは死に、ガートンも死んだ。
死んでほしくないという自信の醜い願いにすら、気付かないふりをして蓋をしてきた報いが、それだった。
ニーラは、リキューを愛してくれていた。それは間違いのない真実であった。
悪であるという事実は変わらねど、その一方で確かに、彼女はリキューという存在を愛してくれていたのだ。
けれどもリキューは、ただ己の事情だけに構い、それを受け取ろうとは決してしなかった。
何が間違っていたのか。どこで間違っていたのか。
もはやそんなこと、言うまでもなかった。最初からだ。サイヤ人を断罪するか、容認するか、その選択から逃げたこと。その時からもはや全ては間違っていたのだ。
初めに間違いがあったのだ。ならばその後の行動など、その全てが間違っていて当然であった。
きちんとその時の選択が出来てさえいれば………どちらであろうとも、選ぶことさえできていれば、リキューは今の事態に陥らないで済んでいた筈であったのだ。
だが、それは全て後の祭りでしかない。
時間は巻き戻らない。過ちは覆されない。過去は変わらない。死者は蘇らない。
否―――違った。少なくとも、死者は蘇った。
少なくとも、それを可能とする手段は、この世界に存在している。
リキューはそのことに気が付いた。
ドラゴンボール。一切の偽りのない、正真正銘の願望実現器。死者さえも蘇らせる、最大最高の秘宝。
それを使えば二ーラも、ガートンも、それどころかフリーザに殺された全てのサイヤ人を生き返させることだって出来るだろう。
そのことにリキューは思い至る―――が、歯を食いしばって、彼はそれを否定した。
それは出来ない。それは認められないと、後悔と未練に苛まされる中、はっきりと断言する。
リキューは確かに、親の、ニーラとガートンの生を望んでいた。死んでほしくないと、浅ましくも思っていた。だがしかし何度も言う様に、彼らが悪であるという事実は変わらないのである。
悪、なのだ。仮にドラゴンボールに、神龍に“悪人以外を蘇生してくれ”と願えば、確実にそれに該当し除外されてしまう存在なのである。
ゆえにリキューの倫理は、それを認めることは出来なかった。両親の蘇生、それを心の片隅で望みながらも、それ以上に、決してしてはならないという、確固たる意識が存在していたのだ。
悪である存在の蘇生を認めることは、絶対に出来なかったのである。
だって、そうでなければ殺され者たちが、あまりにも報われないではないか。
ただただ屠殺されていった彼らだって、未来はあったのだ。日々の生活があったのだ。それを一方的に奪われたのだ。
にもかかわらず、奪った側の存在が、殺されても生き返させられる。そんなの、本当に死んでも死にきれない思いだろうに。
悪の死とは、悲劇などではない。因果応報、報いなのだ。過去の己の悪行の、その積み重ねられた罪科の執行なのである。
リキューに、そのことを無視して厚かましくも両親の蘇生を望むことなど、出来はしなかった。
「うぅぅ…………ぁぁ……………………」
大気が薄まる。
惑星ベジータの輪郭が浮かび、衛星軌道上という高度にまでリキューの身体が到達する。
目の前に、リキューの目で届く範囲に、敵がその姿を現し始めていた。
フリーザが乗ってきたものと同じ、同型の巨大宇宙船。その開放された上部ハッチから、浮き出てくる一つの人影。
リキューは肉眼で目標を確認できると同時に、さらなる加速を行い、突撃した。
因果、という言葉があった。
原因があり、結果があるという意味の、そんなシンプルな意味を表す単語が。
それはかつて、リキューが好んでいた言葉の一つであった。
両親は死んだ。自身の愚かなる、最初の最初に誤った道を、目を背けて歩き続けた結果、死んだ。
そしてリキューに、両親の蘇生を願うことは出来なかった。願う訳にはいかなかった。
間違っていた。全ては間違っていた。初めから間違っていたのだ。
全てが間違っていたことに気付かさせられたリキューに、残されたものなど何もなかった。
だから、出来ることは戦うことだけだった。戦って、そして勝つことだけだった。
それだけが唯一、リキューに残された、やるべき行動だった。リキューが得たものだった。
「うぁああああああァァァァアアアアーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
咆哮する。咆哮する。
ただ咆哮する。
リキューはあらん限りの叫びを上げながら、敵へと向かい突撃していった。
エイジ737。
この日、惑星ベジータにて起こった数々の出来事は、甚大な被害と混乱を発生させながらも、同日の内に終着を得ることが出来た。
宇宙の帝王を称するフリーザ軍のトップであるフリーザが死んだ、超サイヤ人が現れた、などの様々な風説が流れるも、それら噂の確かなる真相が解明されることはなかった。
なお、一連の事態が終息したとされる時間の前後、惑星ベジータの衛星軌道上において正体不明の大爆発が発生したことを、辛うじて残存していた管制塔施設の機器がレコーダーに記録していた。
その原因に対しては一切解明されず、今もまだ原因不明のままとされ処理されている。