赤茶けた色をした球体が、暗黒の宇宙空間にぽつりと浮かんでいる。
荒廃し実りのない星。惑星ベジータ。スクリーンに投影されたその姿を、宇宙船の主は無表情なままに眺めている。
スクリーンが一部の画像を拡大し、内容の仔細を露わにする。
惑星ベジータへと向かっていく、個人用の宇宙ポッド。その少し後に続くように迫る、自身の乗っている船と同型である巨大な専用宇宙船。
「どうやら、御推察は当たっていたもようで………その鋭い洞察力、恐れ入ります」
「世辞などいらん。フリーザとて、特別隠れて行動していた訳ではないからな」
背後から投げかけられる言葉を、一言で切って捨てる主。
フリーザの乗る専用巨大宇宙船。それの同型艦に搭乗している主の名はクウラ。
最強を称する宇宙の帝王、フリーザ。その実兄であった。
若い身空でありながら、すでにもう一段階の変身を加えて行うことが出来る一族の秀才であり、そして単純なパワーだけを言えば、現一族最強の存在。
彼はフリーザが普段から愛用しているマシンと同様のものに座りかけながら、スクリーンを眺め続ける。
背後に膝を付き控えている、直属の親衛隊であるクウラ機甲戦隊、そのリーダーであるサウザーが質問を投げる。
「フリーザ様の作業を手伝うおつもりはないので?」
「このあたり一帯の宙域はフリーザの管轄だ。このオレがいちいち手を貸してやる義理はない。それにこの程度の雑事、わざわざこのオレが手を貸さずとも奴だけで出来る」
サウザーの言をそれだけで切って捨て、クウラは観戦の姿勢を崩すことはなかった。
部下たちもクウラの意を汲み取り、沈黙したまま控える。
別銀河にて活動している筈のクウラが、なぜ此度のフリーザの活動を察知し、こうもすぐ間近まで来訪していたのか?
それは数か月前からフリーザ自身の命令によって生じている、一部の不審な動きが組織の中にあったからだ。
不審な人材、物資の動き。しかもそれらはフリーザ直々の命令として下され、動かされていた。
そしてそれらを訝しげに思ったクウラが全体の流れを探り、狙いとするところを洗った結果、クウラはフリーザのやろうとしていることに気が付いた。
クウラ自身も常々思っていた、不愉快な存在。戦闘民族サイヤ人。その母星、惑星ベジータの破壊であると。
これはつまり、フリーザはベジータ王の反逆があろうとなかろうと、どのみちサイヤ人たちを抹殺するつもりであった………ということである。
そういう意味ではベジータ王の反逆も、無謀な試みであるという事実は変わらねど、最もベストなタイミングでの決起ではあったのだ。
この思惑をフリーザは特に隠しだてする気もなかったのだろう。そして割合簡単に導き出されたこの答えに対し、クウラは興味を示した。
ゆえに今、予定していた星々の侵攻作業を全て切り上げてこの場に静止していたのだ。
前門のフリーザ、後門のクウラ。
惑星ベジータは今、人知れずに現宇宙有数の圧倒的二大強者に包囲されていた。
このことに気が付いているものは、当のサイヤ人たちの中に一人として存在していなかった。
『フリーザ様、惑星ベジータ付近にまで到着いたしました。もう目視で確認できる距離です』
「ふむ、ご苦労様です。このまま丁度良い位置まで接近を続けなさい」
了解という部下の返事を聞き届け、フリーザは不敵な表情を浮かべたままスクリーンを見上げる。
倍率加工がされるまでもなく、そのままただの球面ガラスとしてしか機能していない表面には赤茶けた惑星の姿が映る。
惑星ベジータ。戦闘民族サイヤ人の母星。
すでにレーダーでこの宇宙船より先に先行させていた、仕留めそこなったサイヤ人の乗る宇宙ポッドが惑星へと突入したことは確認されていた。
幾つか手の行き届いていない個体も存在してはいたものの、これでほぼ全てのサイヤ人たちは目の前の星に集結したことになる。
万事順調。途中に挟んだハプニングも気にせず、フリーザはそう思う。
そうして持ち直した機嫌なまま作業が続けば、本人にしても周りの部下たちにしても良かったのだろうが、しかしそうはならなかった。
報告が入る。それはフリーザの機嫌を損ねる、不愉快な内容であった。
『フリーザ様、ご報告が』
「なんですか、いきなり。エンジントラブルでも発生しましたか?」
底冷えた声色で、フリーザが返事を送る。
部下はその言葉に命の危険を感じ、慌てて声を上ずらせつつ報告する。
『い、いえ!? 違います! そ、それが惑星ベジータの衛星軌道上に、サイヤ人らしき者の姿が………』
「なに?」
スクリーン上の惑星ベジータへと、フリーザが視線を戻す。
赤茶けた地表を持つ星。その一角に存在する小さな影。スクリーンが影を拡大し、より鮮明にその正体を晒す。
フリーザは眉を顰め、不愉快気にその姿を確認した。
惑星ベジータの衛星軌道上。宇宙と大気の境目とも言える地点。
そこに一人のサイヤ人が、不敵な面構えのままに浮遊し、静止していた。
その鋭い眼差しは、明らかに惑星へと接近しているフリーザの乗る宇宙船を捉えてる。
『ど、どういたしましょうか?』
「兵士たちを出撃させなさい。目障りなハエ一匹、さっさと目の前から排除するのです」
『ハイ! 了解しました!!』
通信が切れる。フリーザの命を受けて部下たちは動き始め、宇宙船はさらに惑星へと近付いていく。
フリーザはスクリーンに映るサイヤ人を見る。その顔つきを、眼差しを、あたかも自分に向けられたかのようなものに感じながら。
気に喰わない。そう、内心で思った。
リキューは衛星軌道上に静止しながら、接近してくる宇宙船の姿をようやく肉眼で捉えていた。
おおよそ今いる付近に接近するであろうことは、感じ取っていた“気”の動きから判じてはいた。予想通りにいき、満足そうにリキューは頷く。
惑星ベジータの大気圏は、標準的な惑星の基準よりも非常に厚い。10倍の重力の影響により、より強く広く大気を星の表面に押し留めているからだ。
加えて、着込んでいる戦闘服の補助もあった。戦闘服の素材である超質ラバーには、粒子レベルで簡易的な生命維持機能を持つマイクロチップが封入されている。持って二時間程度しか効力は発揮しないが、最悪砕けたバトルジャケットの一部でも見に付けてさえいれば、宇宙空間でも活動は可能であった。
宇宙空間で生命活動を維持することが出来ないサイヤ人でありながら、衛星軌道上にリキューが存在できた理由がこれである。
リキューの視線の先に存在する宇宙船は、瞬く間に距離を詰める。
対比物の存在しない宇宙では容易く遠近感覚がマヒする。ゆえに突然間近にまで迫っていたかのような、そういう錯覚を抱く。
五感だけに頼らず、“気”を察知する技能を鍛えたリキューは惑わされず、落ち着いた格好のまま待ち構えていた。
そして、惑星ベジータのすぐ近くまで近付いてきた宇宙船に、動きが生ずる。
フリスビー状の形をしている巨大宇宙船。その円周下部のハッチが開かれ、わらわらと大量の兵士たちが現れ出でた。
まるで栓を抜いた浴槽のように宇宙船から次々と姿を現してくる兵士たちの姿に、リキューは口笛を吹く。それは一種壮観な眺めだった。
放出された戦闘員たちが散開し、布陣とも言えぬ布陣を取る。たかが一人のサイヤ人を相手にすることに驕りが生まれ、連携を取ることなど微かにも思い浮かばせなかった。
「ッケ、なんだこりゃ? 戦闘力たったの800だとぉ? 雑魚にもほどがあるぜ」
「サイヤ人の出来損ないかよ、こいつ」
けらけらと、スカウターに表示された戦闘力の数値に笑い声が周囲から響く。
平均的な下級戦士以下の数値である。用心する余地など一片もなかった。
一人の戦闘員が、背後に控えるフリーザにアピールでもしようかと思ったのか、リキューの元へと向かい加速した。
「あ、てめっ!?」
「待ちやがれッ!」
行動に気付いた他の戦闘員たちもまた、黙って見ていられるかと後を追いかける。
リキュー一人の存在に対し、散開している全ての戦闘員たちが殺到し始めていた。怒涛の如き流れが発生し、リキューを呑み込もうと押し寄せる。
その中、最初に加速を行った先頭の一人がリキューの元へと到達しようとし、乗った勢いのまま一撃を叩きつけようと拳を振り上げた。
「ヒャハッ! フリーザ様に取り立ててもらうためだ、死んじまいなァッ!!」
「そうかい、それはご苦労だな。無駄な努力をよくやるぜ……」
「ギャハハハ!! 何言ってやがるゴミ野郎がッ!」
リキューの挑発的な言動に腹を立てることもなく嘲り笑って、戦闘員は拳を振り抜いた。
呆気なく決まる筈であったその拳は、がしかし、目標を捉えることはなかった。
するりと、リキューが動く。
トンと軽く顔の目の前へと迫っていた拳の横を叩き、それだけで攻撃の軌道を逸らしてしまい、かわしていた。
そのままはへと、腑に落ちないと言った様子で疑問視を浮かべる戦闘員の懐に、流れる水のように自然な動作で踏み入る。
そして一拍。
裂帛の撃音が響き、戦闘員の目玉が飛び出らんがばかりに瞼が見開かれた。
戦闘員の腹へと、リキューの手首までが埋まるほどめり込んでいる。
一撃。それだけで勝負は決していた。
そのまま地獄の苦しみの中意識を飛ばした戦闘員の身体は浮力を失い、重力に引かれて一人寂しく惑星ベジータの地表へと落ちていった。
ざわめきが走る。予想外の展開に、我も続けと奮っていた戦闘員たちの足が止まった。
どういうことだと、真っ当な疑問が皆の胸中を貫いていた。
「何だ? 何がどうなってやがる? いったいどうしたってんだ?」
「戦闘力には別に変化はねぇ………どうせ油断し過ぎちまってただけだろうよ」
「間抜けな野郎だぜ」
普通じゃ有り得ないその光景を、しかし彼らはただの偶然だとあっさり片付けた。
当然と言えば当然な判断ではあったが、しかし同時に愚かでもあった。
リキューは挑発的な表情を不敵に浮かべたまま、唇の端を釣り上げる。ちょんちょんと人差し指を伸ばし、敵意を煽っていた。
戦闘員たちの沸点が容易く超過され、一気に弾けた。
「うらぁああァアアアアーーーッッ!! 叩きのめしてやれぇえええええーーーーッッッッ!!!!」
群衆の重なった咆哮が轟きとなって響き、堰を切って流れが再開される。
リキューが接近してきた数人の戦闘員をまたそれぞれ一撃で沈めるも、今度は止まることなくその姿を呑み込まんと迫る。
上等だ。リキューは原始的な本能の疼きを感じながら、独白する。
そして自身もまた進んで、濁流の中へと身を投げ込んでいったのであった。
かくして、戦闘を開始して数十秒。
次々と宙に出来た戦闘員たちの雲霞から、ぽろぽろと意識が断ち切られた者たちが地表へと落下していく。
それらは全員、リキューの手によって仕留められた戦闘員たちであった。
立て続けに押し寄せる者どもを意にも返さず、リキューは一切触れられることもなく攻撃をいなし、逆に一撃を以って戦闘員たちを仕留めていたのだ。
流れる様に動き続け、まるであらかじめ打ち合わせた演武かのように次々と無駄なく攻撃をかわしていく。
目の前から迫るストレートを首を横にずらすだけで避け、そのまま片足を上げたかと思った次の瞬間には丁度それまで足のあった空間を蹴りが薙ぐ。
勢いよく後方から両足を揃えて放たれてきた蹴りをひょいと上体を傾けてかわし、狙いを外された蹴りがリキューの前にいたストレートを繰り出していた戦闘員の顔面にヒットする。
真横から繰り出されてきた手刀に対してはほんの少し手を添えてやり、くるりそのまま手刀の勢いを利用して身体全体を回転。
コマ回しのように攻撃をいなして、手刀を素気無く回避。
さらにそのまま回転した状態で足を伸ばし、一挙に纏わりついていた戦闘員たちへ各々に一撃叩き込んでやって意識を刈り取る芸当をも披露。
リキューは敵の位置を完全に把握し、見切っていた。
背後から不意を突こうと接近した戦闘員に見もせずに裏拳を叩き込むリキューの姿を見ながら、一人の戦闘員が狼狽しながらスカウターを操作する。
奇怪な熱狂に支配された場の中では、まるで流れ作業のように呆気なく戦闘員たちが倒されまくっている。
それは戦闘力1000以下の雑魚相手にである。異常極まる光景であった。
熱狂に乗り損ね、ふと我に帰ってしまった戦闘員は錯乱気味にスカウターを凝視する。
「な、何でだ!? いったいなんだってこんなことがッ!? スカウターの故障かよ!?」
表示されている数値は、相変わらず800前後をマークしたまま。
にもかかわらず当たらない。そして逆に反撃は決まり、しかもその一撃だけで勝負は決している。
まるでてんで違う実力者同士が戦っているかのように呆気ない有様に、不気味な違和感が戦闘員の背筋を駆け廻った。
何故だ。何故こうにも、まるで歯が立たない状態に?
答えのない自問自答が戦闘員の胸中を貫く。が、それに長く煩悶する必要はほどなくなくなった。
ひゅんと、間隙に滑り込むかのように戦闘員の目の前へ、リキューが現れた。
驚く暇もなく、眉間辺りを狙う様に軽い掌底打が打ち込まれる。
そして空気が破裂するような音を最後に聞き届け、件の戦闘員は何一つすることなく走った衝撃に意識を飛ばしその場から退場するのであった。
一息鋭く吐き出し、何発もの拳を打ち出す。そうして次には弾ける様に纏めて十人以上の人影が吹き飛び、そのまま地表へと落下していった。
真上から奇襲をかけてきた戦闘員を避けながら交差際に股間を蹴り上げてノックアウトし、リキューは辺りを見回す。
すでにもう、優に50人以上の戦闘員たちを自分一人で片付けていた。だがしかし、視界に映る敵の数は衰えるところを知らんとばかりに変わってはいない。
キリがないな。内心でそう嘆息しながら、また一人飛びかかってきた敵をスライドしながらかわして、その後ろ首に手刀を叩き付ける。
かくりと力を失った人影がまた一人追加され、惑星ベジータへと落ちていく。
闘争という環境が与えられたことによって、リキューはすこぶる精神が昂ぶっていた。
普段理性で抑制せんと努めている本能が目覚めの声を上げて、相手に振るう攻撃の動作一つ一つに解放感が付き纏う。
が、しかしである。それもいい加減に飽きてきた。
いくら戦いという行動を心底から楽しめる人種とは言え、延々と同じことを繰り返すかのような機械的作業に楽しみを見出せるほど、逸脱しちゃいない。
圧倒的なまでの物量差の多対一による一方的な殲滅戦というのも愉しくはあるのだが、しかしそのパターンならば過去の“開通”の際に赴いたとある世界で、すで散々経験していたのだ。
リキューはかつて訪問した、地球外起源種の侵攻によって地球人類の総人口が10億にまで減少していた世界での戦闘を回想しながら、思考する。
もう充分に前菜は味わった。そろそろメインディッシュに移ってもいいだろう。
リキューはそう一人結論付け、そして“ほんの少しだけ”、力を解放することにした。
ぞわりと、波紋のようにリキューを中心に感覚にだけ伝わる“波”が走った。
ピーというエラー音。そして爆発。
全ての戦闘員たちのスカウターが、一気に戦闘力の計測が振り切られ、そして即座にオーバーフローを起こしていた。
「な、ィ?」
瞬く隙間に捉えた戦闘力の数値に皆が意識を取られながら、そしてそれを認識するだけの暇もなく、もう全ては終わっていた。
リキューの姿が消失する。
そして間を置かずして黒い線らしきものが空間に走ったかと思ったと同時、包囲滞空していた戦闘員たちが軒並みぶっ飛んでいた。
バラバラと落下していく人影を背に、少しばかり離れた位置にリキューが再出現する。パンパンと手を払う様に打って、息一つ乱さずくつろいでいた。
ちらりと墜落していく兵たちの有様を最後に一瞥し、死ぬことはないと再度確認し意識から外した。
そう。死ぬことはないのだ。
何故ならば、リキューは己がこれまで叩きのめしてきた全てのフリーザ軍戦闘員を、一人たりとも殺してはいないのだから。
それは、類稀なる鍛え抜かれた手加減の技術と、そしてリキューの潔癖症染みた精神性が結び付き具現化した産物であった。
その奇妙極まる環境に由来して、リキューの精神的な構造は歪なものとなっている。特に倫理観に関しては一部の観念が大きく拡大され、突出していた。
つまりリキューにとって、“殺人”というアクションは何よりも避けるべき忌憚となっていたのである。
それゆえにリキューは基本的に、いかなる戦いに臨む時も相手を倒そう、あるいは楽しもうという気持ちは持てど、殺そうという明確な殺意を抱くことはなかったのだ。
それは年を経た現在でも変わってはいない。
それこそ例えば、心底から気に喰わない人間であるリン相手だろうが、もしくは人間の屑とも呼べるような者たちが相手であろうとも、リキューは半殺しにすることはあっても殺害にまで至ることはほとんどないのである。
不殺主義者。
自分の手を汚すことを厭い逃げる、無意識化の醜い願望の賜物であったのだが、それがリキューの戦闘スタイルであったのだ。
そして、月日の積み重ねによる研鑚が加えられたそれはより完成度を高め、今この時にも戦闘員たち相手に過不足なく発揮された。
死亡者ゼロ。遥かな高度から地表へと叩きつけられているようではあったが、その程度ではフリーザ軍所属の戦闘員である。死にはしないということはすでに確認済みであった。
リキューはだれ一人手にかけることなく、戦いを完全に制していたのだ。
リキューは心構えにリセットをかけて、自然と構えを取った。
視線を遠方に静止する宇宙船へと注ぎ込む。熱烈に沸き立つ感情がその身を焦がしていた。
そこに、存在しているのだ。リキューの知覚は、鮮明にその気配を捉える。
リキューの精神的な抑制に囚われない、絶対悪と認識された存在。この宇宙に存在する最強の存在であり、そして際立って邪悪なる化身。
例え、殺したところで文句の存在しない存在。むしろ、殺した方が世のためとなる害悪。
宇宙の帝王、フリーザ。
不殺主義者であるリキューがその殺意を遠慮なく開放できる、数少ない存在である一人。“敵”と認識した、最初の一人である。
散々長い間待ち構えたメインディッシュ。リキューは溢れ出る情動のままに、口から言葉を吐き出していた。
「さあ出て来いフリーザッ!! 早く俺の前に出て来い………それとも怖いのか? この俺のパワーが!!」
傲慢不遜なる態度での挑発。フリーザを知る者にとって考えることも出来ない愚行。
ほんの暫くして、ハッチが開く。果たして、その挑発に応えるように宇宙船の上部ハッチが開放された。
そしてついに、悠々と、かの存在は姿を現した。
虫を見るかのような視線。小さな体躯。そして圧倒的な威圧感。
愛用のマシンに乗ったまま、ふわりと宇宙船の中から浮かび上がる。
かつての在りし日、おおよそ今から十二年ほど前のその日。この世界にて生まれ落ちて初めて目にした時と、全く変わらぬその姿。
フリーザ。
視野に入るその存在の有無に、否応なくリキューは高揚する。
「やれやれ………ほとほと呆れますね、あなた方サイヤ人の存在には。そんな世迷言を、まさか本気で仰っているおつもりですか」
首を振りながらフリーザは言葉を述べる。
しかし覗かれるその視線は底冷えて、自身の心境の程を何よりも雄弁に語っている。
リキューは視線を真っ向から受け止め、その上で不敵に笑う。
ふと、フリーザが腕を上げた。その指先には、ビー玉ほどのサイズしかない、極小のエネルギー球が浮かんでいる。
そのままエネルギー球を浮かべたまま、フリーザは人差し指を伸ばし、天へと向ける。
「? 何をする気だ?」
リキューは率直に疑問を洩らしながらも、しかしふと、デジャ・ヴらしき奇妙な感覚を覚えていた。
どこかで見たことがある様な、そんな光景。
フリーザが、嗤った。
同時―――指先に浮かべられていたエネルギー球が、一挙に巨大化した。
ほんの蛍火程度しか光量のなかったエネルギー球が、まるでさながら太陽の如き莫大なエネルギーと光を放射する。その全長、推定して100mを優に超越する巨大さを誇っていた。
リキューは驚愕しながら、フリーザの意図を電撃的に理解する。
(惑星ベジータを消すつもりか!?)
部下がまだ全員生きていることは把握しているだろうに。リキューはそう思い信じられないとする中、チョンとフリーザは人差し指を折る。
特大のエネルギー球が、動き出す。
それはあっという間に加速し、巨大ゆえに鈍足と錯覚させながらも、その実かなりの速度でリキューの元へと向かい飛翔する。
リキューは舌打ちし、その場に留まったまま動かない。
背後には惑星ベジータがある。避ければ星が破壊され、自分は宇宙空間の中で死んでしまう。避けるという選択肢はない。
それに、だ。
たかがこの程度の攻撃、避けるまでもない代物である。
リキューは片手を握りしめ、気合を込める。
目の前にまで迫るエネルギー球の輝きを目にしながら冷静な心境のまま佇み………そして、動いた。
「ハァッッ!!」
拳を開き、掌を押し出すように宙へと突き出す。
刹那。
数百m以上の巨体を誇っていたエネルギー球は爆砕した。
「なんだとッ!?」
嗤っていたフリーザは、あまりにも予想外の展開に表情を崩す。
そのフリーザの元へ、声が投げかけられる。
「いきなり星ごと消そうとするとはな………やってくれるじゃないか、フリーザ」
「貴様………」
片手一本、気合一つでエネルギー球を破壊せしめたリキューは、変わらぬ様子でその場に座していた。
フリーザの視線が鋭くなる。リキューへの認識がただの不愉快なる路傍の石から改められた様子が、その雰囲気からありありと伝えられていた。
ふわりと、腰かけていたマシンから全身が浮かび上がり、宙へと全身を躍り出す。
「どうやら、ただのサイヤ人ではないようで………その戦闘力、明らかにそこらの存在から抜き出ていますね。ホホホ………正直な話、先程のには驚きましたよ」
「ふん。その余裕、何時まで保てる?」
「いいでしょう。不甲斐ないベジータ王の代わりに、私の運動にはあなたが付き合ってもらいましょう」
ゆらりと、空間が歪む。
フリーザを中心として、フリーザそれ自体が発信源となって、空間に軋みは生じる。
それは錯覚だ。徐々に開放されていくフリーザのパワー。その漏れ出す余波によって生じるプレッシャーが、そう見させてるに過ぎない。
リキューは少しばかり目を見開く。
(フリーザも、戦闘力のコントロールが出来るのか?)
フリーザが複数段階の変身によって、その戦闘力を圧倒的に倍化させることは知っていた。
しかし変身せずとも戦闘力のコントロールが可能だとは、知らなかったのだ。予想外の情報に、場違いな感想をリキューは抱く。
フリーザが告げる。
「さて、では行きますよ」
帝王が動く。
その目に見えるかと思えるほどの威圧感を放つ禍々しいエネルギーを身に纏ったまま、フリーザはリキュー目掛けて突進する。
強者としての余裕を顔に張り付けたまま、フリーザは振り上げた己の右拳を叩き込む。
その速度はまさに規格外であり、音速など果ての彼方に捨て置かれていた。しかしリキューは、常人では絶対に捉える事の出来ないだろうその動きを捉える。
激突する爆音。リキューは己の開いた片方の掌でフリーザの拳を受け止める。
静止する二人。だがそれは戦いの応酬まで止まった訳ではない。
パチリと、空間が帯電する。その火花は収まらずすぐにより激しく数を増やし始め、嵐の如く荒れ狂う。
フリーザが受け止められた姿勢のままパワーを注ぎ込み、リキューもまた対抗して同等のパワーで押し返している結果、両者の間で衝突し行き場を失ったエネルギーが空間に過負荷を与えていたのだ。
無言のままに続けられる静かな凌ぎ合い。そのままの体勢を維持したまま、フリーザが口を開く。
「ホウ! まだ粘りますか! 素晴らしい実力ですよ、サイヤ人にしておくのが勿体ないくらいです。どうです? 私の部下になりませんか? それだけの実力があれば、私直属の配下である特選隊のリーダーにもなれますよ? オホホホホホ!!」
フリーザが賛辞の言葉を進呈する。それは嘘偽りのない言葉であった。彼は本心からそう思っていた。
全力を出し切った訳ではないし、“真の力”を披露した訳でもない。しかしそれでも全力の半分程度のパワーは発揮していた。リキューをそれと真っ向から張り合っているのだ。その時点で既に、現在の特選隊のリーダーであるギニューを上回った実力を持っている筈であった。
もちろん、所詮は気紛れに出した言葉であり、実際にリキューが応じたところで配下に迎えるかどうかは、また改めてフリーザのその時の気分次第ではあろうが。
リキューは答えない。沈黙したまま力比べを続行し………喋る。
「この程度か、フリーザ?」
「………なに?」
「もしこれが全力だって言うなら、拍子抜けにもほどがあるぜ?」
みしりと、フリーザの拳を受け止めていた掌が閉じられる。強烈な握撃。その圧迫は想像を絶し、フリーザの拳そのものが耐え切れぬ悲鳴を上げた。
リキューは握り締めた掌をそのままに動かす。大きく引き込む様に後ろへと引っ張りフリーザの身体を牽引し、そしてそのまま無防備な腹へと折り畳んだ膝を打ち込んだ。
フリーザの身体が折れ、同時に握り締められていた掌を解放され、遥か遠くまで吹き飛ばされた。
「ガァッ!?」
強烈なダメージを被り、一瞬フリーザは何が起こったのか、理解に及ばなかった。
くるりと回転して自身の運動エネルギーを打ち消して体勢を整え直し、ダメージに苦しむ様子を見せながらリキューへと視線を向ける。
しかし、もう視線を向けたところにはリキューはいなかった。
「ここだ」
「ッ!?」
背後。声はフリーザのすぐ後ろから響く。
即座にフリーザは反転し、そのまま悠然と背後に構えていたリキューを視認したと同時に抜き打った。
受け止めるまでもなく、リキューは手の甲を少し当てるだけでそれを弾く。
口火を切り、さらなる連撃を加えてゆく。十を超え百を超え、あまりの速さにフリーザの乱打が分身を起こしているかのように残像を残す。
その速度はそれだけで空気を掻き分け、完全な真空が出来上がるほど。しかしリキューは怯まない。変わらず手の甲で、しかも片手で全てを捌き切る。
「シィ!」
舌打ちし、フリーザは瞬時に間合いを取った。
人差し指を突き出し、その指先をリキューの眉間にと狙い付ける。
一閃が生じる。フリーザの突き付けられた指先からレーザーの如き収束された気功波が、超速を以ってリキューに肉迫する。
しかしそれすらも、リキューは頭を傾けるだけで難なく避けた。
フリーザの表情が驚愕を示す。
リキューは話にならない。そうと言わんばかりの内心を動作で不足なく表しながら、言った。
「本気を出せよ、フリーザ。俺は弱い者いじめをする趣味はないんだ」
「ふ、ふふふ………いいでしょう。そこまで言うのならばお見せしてあげましょう! この私の恐るべきパワーを………この身の程知らずの下等生物がッ!!」
フリーザが激昂の叫びを上げ、同時にその身に纏う禍々しいオーラがより一層濃く、そして猛々しく唸りを上げた。
解放される内在されていた全ての“気”の大きさを、対峙するリキューは己の知覚でしかと感じ取る。
それこそが、戦闘力53万という数値の放つ力の大きさ。宇宙の帝王を名乗る、恐るべきフリーザの実力。
空間が鳴動する。成層圏の最上層部分に存在する僅かな大気が共鳴し、放電現象が頻発する。
「さぁ光栄に思いなさい、名もなきサイヤ人のお人。これが私の全力です。ふふふふ、まさかたかがサイヤ人風情にここまで力を披露することになろうとは、思いもよりませんでしたよ」
リキューは静かに観察する。フリーザの本気。その放たれる威圧感の全てを。
その表情が実に冷めていた。彼が今現在、その内心で思っていることは単純に一つだけ。
(この程度か、フリーザ)
そしてリキューの拳が、嘲笑を浮かべていたフリーザの横っ面を力一杯殴り抜けた。
一瞬にして両者の間に存在していた間合い、それを詰めフリーザに反応させる間もなく打ち抜いたのだ。
殴り抜けられた勢いがそのままに、フリーザは吹き飛ばされる。そして数百mほどの距離を駈けたところで立ち直り、静止する。
その口の端から、紫色の血を一筋流れていた。
「な、何だと!? 馬鹿な!? この私がこんなッッ!?」
「フリーザ。ちゃんと理解できていなかったようだから、今度ははっきりと言ってやるよ」
ッキと、殺意と敵意に満ちた視線が声の源へと送られた。
発したものはリキュー。自身の満ちた態度のまま、扱き下ろすかのような表情をフリーザに向ける。
それは、確実にフリーザの誤算であったのだろう。
たかがサイヤ人風情が、自分を圧倒する。本領を発揮した己を、かくも格下として扱えることなど。よもや戦闘力53万という実力に対し、喰らい付けるどころか凌駕するなど。
目に見てとれる屈辱がフリーザの表情から、全身の動きから発せられていた。認められ得ぬ事実であったのだ。しかし現実は変わらない。
リキューは現時点において、完全にフリーザを超越していた。それこそ、片手間扱いでフリーザという存在を消し炭にすることが出来るほどに、だ。
しかし彼はそうとはしなかった。
そして代わりに、衝撃的な言葉を発した。
「変身しろ、フリーザ。俺はそう言ってるんだ」
場の空気が、凍る。
フリーザの表情が、雷に打たれたかのように固まった。
それだけのショックと、そして同時に冷静さを、その言葉はフリーザに与えていた。
スゥと、フリーザのいきり立っていた雰囲気が収まっていく。
理性の占める冷徹な視線が甦り、それは冷やかにリキューを見つめる。
「…………その情報、何処で知りましたか。そうそう知ることなど出来ぬ筈のことですが」
「さぁな。自分で考えろよ」
詰問に対しまともに取り合うことなく、リキューは悠然と構える。
フリーザのパワーについて、その要でもある変身という生態について、リキューはよく知っていた。
一回の変身毎に倍増されていくという強大な戦闘力。それは元来持ち得ていたリキューの数少ない“ドラゴンボール”の知識でもあり、トリッパーメンバーズに在籍していた間の期間に同じトリッパーから知り得た情報でもある。
しかしそうでありながら、何故わざわざ己が不利になるであろう事態になるのにもかかわらず、リキューは変身の催促を行うのか。
自分の首を自分で締める愚行。正気とは思えない決断。
それは一重に、サイヤ人の持つ本能故のものであった。より強き者との戦いを欲する戦いの本能が、リキューをより困難とさせる戦いへの選択を取らせていたのだ。
もちろん、理由はそれだけではない。
サイヤ人とて生存本能がない訳ではない。闇雲に勝算のないレベルの戦いにまで挑んで行くほど、生命として壊れている訳ではない。
そう。勝算があったのだ。
勝算があったからこそ、たとえ変身したとしても勝てるだろうという予測があったからこそ、リキューは余裕をもってフリーザの変身を促したのである。
その勝算。即ち自身の戦闘力への自負と確信を得た理由は、リターン・ポイントでの時雄との会話にあった。
その中で交わされた会話で得られた情報が、リキューの背を押しこの行動へと踏み入らせたのであった。
わいわいガヤガヤと、人の出入りが多い食堂らしき場面の風景。
リターン・ポイント、その食堂区画。少しばかり昼時の時間は過ぎてはいたが、相変わらず人の出入りが欠ける様子は見られることがなかった。
その中の一角。様々な人種と装束の者たちが多くいる中であって、それでもなお一線を画すような様子の老人がそこにいた。
その老人の一目見た印象は、“黒くて白い”といったものだった。
真っ黒な肌。顔をはじめその覗かれる肌の全てが塗り潰されたかのように黒くなっており、その中で紅く輝くように光る瞳は一層に際立っている印象をもたらす。
頭髪は綺麗さっぱりないスキンヘッドとなっており、その肌の黒さが全身にあるものとより具体的に視覚へ訴えていた。
典型的なネグロイド系の人種である。しかしそれだけならば、この場でさして目立つという訳ではなかった。
その老人は、全身を白一色で飾られた紳士服で着飾っていたのだ。
シャツは元より上下の服から、その蝶ネクタイまで。シューズすら真っ白であり、傍らに置いてあるステッキもまた同様。
極めつけと言わんばかりに、今まさに手に取って味わっている紅茶、そのカップを掴んでいる手も上質そうな白絹で編まれた手袋で覆われていた。
一人で白と黒のコントラストを形成していたその老人は、この個性に満ち溢れた群衆の中でも一際飛び抜けた注目を浴びていたのであった。
「ふむ……?」
ふと、老人は何かに気が付いたかのようにカップを卓上の小皿へと置き、その紅眼を遠くへとやった。
そこには今まさに食堂区画に姿を現しこちらへと歩いてきている、一人の青年の姿が見えた。フラフラとした様子ではあるが、足腰はきちんとしっかりした様子ではある。
純白の腰まで伸びた長髪。170cmを越える身長と、女が羨むほど淡麗な顔。黒いレザー材質で作られた身動きの取り易い服装をしており、胸には翡翠色をしたクロスが揺れている。
老人は彼の姿を認めると、片手を上げて声を上げた。
「リン、こちらだ」
「? ああ、“紳士”の爺さんか」
リン・アズダート。名を呼ばれ、美貌を持った人間が老人へと振り返った。
“紳士”と呼んだ老人の招きに応じて、卓へと近付き適当に椅子を引いて、席に付く。
顎に手をやりながら、“紳士”が問いかけた。
「どうも、疲れた様子が見て取れるのだが。いったいどうしたのかね?」
「ッケ」
リンの端正な顔が、その瞬間荒んだ形へと崩れた。
露骨に毛嫌いしている様子を隠そうともせず表し、舌打ちのように息を吐き捨てる。
まともな言語を返さぬリンの代わりに“紳士”へ応えたのは、その胸にかけられたクロス―――リン専用デバイスであるジェダイトであった。
《Mr.リキューとの模擬戦で撃墜されまして。それで現在この腐れマスターは不機嫌となっているのです》
「てめぇはどっちの味方だッ!!」
「なるほど、そういうことだったか」
己の胸にかかるクロスを引っ掴みながら叫ぶリンに対し、納得したように“紳士”は頷く。
リンとリキューという二人の関係がすこぶる最悪であるという事柄は、リターン・ポイントではもう大抵の人間が知り得ているところとなっていた。“紳士”は内心でよくも飽きないものだと感心しながら、それが若者かと、見た目通り老けた結論を出す。
そんな“紳士”の純白の紳士服の胸元には、これまた対照的な黒い色をした小さな物体が付けられていた。それはトリッパーメンバーズという組織特有のアイテムであり、このリターン・ポイントで様々な役割を担う汎用小型携帯端末であるイセカムである。
黒いイセカムの持ち主。つまりこの老人もまたメンバーズであり、そしてトリッパーの一人であった。
「あんの単細胞馬鹿が………今度会った時は絶対に痛い目を見せてやる」
「無理はしない方が良いかと思うがね、私は。確か私の記憶が正しければ、君のリキューに対する勝率はここ一年で二割を切っていなかったかね?」
「まだ三割だッ!」
《ただし、四捨五入してのギリギリの数値、ですが》
「ジェダイト、お前少し黙れ」
《拒否します。思わず思ったことが口から洩れてしまうのは私の基本仕様です》
自身のデバイスと不毛な口論をしながら、リンはウェイトレスを呼び注文を済ませる。
猫耳ウェイトレスが注文を承って下がってゆく中、リンは冷水を飲んで口を開く。
「それで、爺さん。あんたあの野郎がどこ行ったか知らないか? まあ、別に知らなくてもどうでもいいけど」
「ふむ………リキューの居場所か。済まんが、分からんな。少なくとも、ここ二・三時間の間でこの辺りでは見なかったが」
「リキューがどうかしたって?」
ふと、外野から入ってきた闖入者の存在に、なんだとリンと“紳士”の二人が振り向く。
そこには一人の眼鏡をかけた少女が、食事の乗ったトレーを持って立っていた。
普段着らしき極々ありきたりな装束の上に白衣を纏っており、胸ポケットには黒いイセカムがぶら下げられている。少女もまたメンバーズであり、トリッパーであった。
少女はトレーをリンたちの着く卓の上に置き、また近くから椅子を引っ張って来て座る。
「私もリキューに用事があるのよ。あの人こっちから声かけないと、うちの部署に全然顔出してこないし」
「?? 技術部があいつに何の用があるんだ? なんか人体実験でもするのか?」
むしろやっちまえと、そう言わんばかりの雰囲気でリンが尋ねる。
少女は何をいまさらといった感じで首を振って否定し、言葉を続けた。
「違うわよ。そりゃ興味はあるけど、あいにくと生物学や遺伝子工学関係は私の専門じゃないし。それにおおよそ一通りの調査ならもう済んでるわ」
私が用があるのはもっと別の件だと、少女は述べる。
何の事だと怪訝そうにリンは顔を傾げる。思い当たる節が思い浮かばなかったからだろう。
当然と言えば当然であった。リンはリキューを心底毛嫌いしているのだ。いちいちそんな対象のことについて詳細を調べる気など欠片たりともなかった。
「雲雀嬢、君の用件とは何なのかね? 差し支えがなければ教えて頂きたいのだが。ふむ、どれかデザートの一つでも進呈しよう」
「遠慮する。というかそれ以上近付かないでちょうだい。別に機密でも何でもないから、用件ぐらい教えるわよ」
ぴしゃりと“紳士”の言をはね付け、加えて冷たい視線を送りながら警戒のポーズを取る少女―――雲雀。
その様子に顎に手を当てて少し考え込む仕草をした“紳士”だが、すぐに思い至ったかのように顔を上げて言った。
「安心したまえ、雲雀嬢。私の欲情対象は最低でも年齢が二十歳以上で、しかも肉体的にもふくよかであるエロティックな魅惑を持った女性だ。加えて言えば私は巨乳派だ。君みたいな幼い上に胸に膨らみの欠片もない少女なぞには、私の全存在を賭けても劣情を抱くことは有り得ないと断言しよう。ただ愛でるだけだから、安心したまえ。まぁ、あと十年ぐらいすれば話はまた変わるかしれんが」
「一昨日きやがれこの“変態紳士”ッ」
菩薩の如く邪気のない優しい笑顔を浮かべたままのたまった“紳士”に対し、流れる様に食い終わった空の皿を掴み投げ付ける。プラスチックに近い材質の皿は叩きつけられた衝撃にも負けず、“紳士”の顔面へと食い込み床へと落ちた。
通称“紳士”と呼ばれる、トリッパーの一人である老紳士スタイルの男性。彼は魔法が公表され世界全体にその存在が知らしめられた、とある世界へとトリップした人間である。
本名は不明。人当たりも良く、また女性に対しても気配りが利く優しさを見せる、まさに紳士と形容するしかない人物像を持つ人格者。
そんな彼の本性は、極々普通にエロトークを会話の中に盛り込ませるという離れ業をやってのける紳士の頂点。“変態紳士”という名の称号であり名誉を持つ男であった。
レディはもっとお淑やかではないといけないと言いながら、“紳士”は皿を拾い卓の上に戻す。
その姿を警戒心を滾らせた視線で射抜きながら、雲雀は口を開いた。
「技術部が年中無休で人手不足なことは知っているでしょう? だから助っ人が欲しくて探していたのよ。リキューにしか出来なさそうな内容のこともあったしね」
「…………は? なんであいつが技術部の助っ人になるんだ? なんかの実験品の試験でもさせる気か?」
「何言ってるのよ? 助けてもらうのはココのことに決まってるでしょう。もしかして知らなかった?」
頭をトントンと指で指し示しながら、訝しげに雲雀は尋ねた。
そして全くもって訳が分からないといった様子のリンと“紳士”の様子を見て、仕方がないと雲雀は説明を始める。
リキューは、その性格と見た目からは予想もつかないことではあるが、実はかなり頭が良いのだということ。
その頭の良さは技術部でも第一線で活躍できる程のレベルであり、単純に比較することは出来ないが技術部でもかなり上位に入る部類の技術者であるということ。
一部の技術解析にもすでに実績を残しており、その功績によるパテント料を受け取っているのだということ。
これら初耳である情報の数々を、リンと“紳士”の両名は驚きながら聞くこととなった。
「嘘だろ? あの…………腐れ単純馬鹿が?」
「ほう………人は見かけにはよらない、ということか。よもやこんな身近に例があろうとは思わなんだな」
あんぐりと口を開けて呆然とするリンの横で、感心したように腕を組んで“紳士”が呟く。
ふと、リンの胸元に揺れていたジェダイトがメッセージを発した。
《戦闘でも負けて、知力にも劣りますか…………マスター、貴方はMr.リキューにありとあらゆる面において負けてますね。まったく、見っともないったらありゃしない》
「や・か・ま・し・いッッ!!」
ガンガンガンと、クロスを手に取り卓の角に叩き付けるリン。色々と余裕が失せている様子であった。
“紳士”はそんなリンの様子を尻目に、雲雀へ尋ねる。
「リキューの凄さについては分かったのだが、それほどとはな。雲雀嬢、彼は君よりも優れた頭脳を持っているのかね?」
「たぶん、そうかも。分野違いもあるからそう断言できることじゃないんだけど、やっぱり基本の文明レベルが違い過ぎるしね。それに私はココだと、ただの頭が良い天才だから」
肩を大仰にすくめながら、雲雀が応える。
雲雀の言葉に思い当たったところがあるのか、“紳士”は納得したように頷き理解する。
「そうか。いくらウィスパードとは言えど、ここまでは“ささやき声”は届かんということか」
「そういうこと。ゼロ・ポイントの特性の一つ、各世界間との完全隔絶。電波や重力は元より、それは思念波などといった非物理法則に則る現象にも及び、遮断される」
そうして、話に一旦の頃合いが付いたころに、丁度リンの注文していたメニューが卓へと届けられてきた。
と、急に雲雀が目の色を変えて椅子から飛び出した。飛び付いた対象は料理ではなく、料理を持ってきた猫耳ウェイトレスである。
ニャニャニャーッ! と悲痛な猫悲鳴が響く中、その垂れ下がる猫シッポから猫耳といったアイテムに雲雀が笑顔一杯の表情でじゃれついていく。
やっぱりメンバーズの人は鬼門にゃのねー! という叫びが響く。その中“紳士”は全く動じる気配を見せず、極めて紳士的な態度で紅茶を手に取り口に含むのであった。ちなみにすでに冷めていた紅茶は、リンの扱うものとはまた異なる魔法を使って、すでに適温にまで変更済みである。
木月雲雀。メンバーズにしてトリッパーの一人である少女。ちなみにケモナー。ただしTSではない。
とある現実に近い世界観の世界にトリップし、そしてギフトにウィスパードという、その世界特有の特殊能力を手に入れた人間である。
このギフトの存在によりその知性は爆発的な増大を見せ、現在彼女はトリッパーメンバーズの技術部に所属し、その持ち味を生かした生活をしていた。
なお蛇足だが、彼女のトリップした世界は現在トリッパーメンバーズの有力な資金源の一つとしてカウントされており、組織由来の企業が立ち上げられ、そして世界を股にかける超巨大企業として成長・君臨している状況となっていた。
閑話休題。
「それで、結局あいつはどこにいるのか分からずと」
もぐもぐとチャーハンを頬張りながら、リンが述べる。
“紳士”も雲雀も揃ってその通りだなと頷き、事態は振り出しに戻る。
ふと思い付いたかのように、“紳士”がリンへと向け問いかける。
「リンは知らないのかね? 君とリキューも長い付き合いだろうに」
「俺が? あいつのことを? ッハ、冗談でしょ? ………まぁ、どうせまたどっか別の世界に行って、喧嘩でも売ってるんじゃねーの?」
鼻で笑って否定し、適当に予測するリン。しかし適当とは言え、それは十分に有り得そうな内容だった。
“紳士”の知る限り、リキューはあまり一か所に留まる様な性格をしているものではなかった。というか落ち着きがあるようでない。動いてないように見えて、常に何かしらの目的に向けて動き続けているような人種であったのだ。ある意味では生真面目とも取れる性格である。
それゆえにしょっちゅう姿を消していたのだ。大抵はそういう場合、どこか別の世界に開通に行っている場合が多い。
そこでふと、紳士はあることに気が付く。
よくよく姿を消すと言えば、リンもまた同様であったのだ。何か用件でもあるのか知らないが、リンは大体一ヶ月ほどの周期を置いて定期的にどこかへと出かけて、姿を消すことが多いのである。
プライベートな事情だろうゆえに干渉する気などなかったが、一体何をしているのやら。“紳士”はその思いを一切面に出すこともなく隠蔽し、呟いた。
「あれ? そんなに集まってどうしたんだ?」
そんな卓に着いていた三人へと向けて、ふと声が降りかかった。
今度は誰だと見れば、ここ数年ですっかり背丈が伸び、リンの身長すらも追い越した元少年の現青年、勝田時雄がそこにいた。
時雄は珍しいなぁと言いながら、自分もまた椅子を引っ張って来て卓に着く。
メンバーズエリアでもないのにメンバーズが四人揃うのは、確かに珍しいことであった。特に事前に打ち合っていた訳でもないので、なおさらである。
「時雄、何やってんだお前?」
「藤戸さんの付き添い。なんか体調崩したらしくて、医療室のところまで連れて行ってた。ほら、あの人改造人間だし、たぶん色々面倒なんだろうさ」
(藤戸か………)
リンと時雄の会話を聞きながら、表情を若干だけ暗くし“紳士”は呟いた。
哀れな奴だと、藤戸というトリッパーの中でも随一の人格者の男を思い浮かべながら、独白する。
藤戸という男の状態、境遇。それを知る者は少ない。“紳士”を含めてもクロノーズや一部のメンバーズ、そして医療セクションと技術部の構成員の一部だけだ。技術部の実力者である雲雀とて、藤戸についての詳細な情報は伝えられてはいない筈だ。
それは藤戸本人の要望ゆえのことである。自身について不必要に喧伝する必要はないという意思が当人にあったがゆえに、それを尊重し情報の規制が行われていたのだ。
そして“紳士”もまたそれは同様。ゆえに藤戸についてその真相の見当が付いていながら、黙ったままで彼は過ごすのであった。
「リキュー? ああ、あいつなら会ったけど? それがどうかしたん?」
「会っていたのかよッ」
ふと、話に進展があったようだった。
少しばかりの回想から帰り、“紳士”は会話を拝聴する姿勢を整える。
注目されている中、時雄はリキューと遭遇した時の状況を思い出しながら語り始めた。
朝方に食堂へ来たところ、なんでも珍しい戦闘服姿のリキューが食事をしているシーンに出会ったということ。
そして一緒に食事を始めたところ、急に聞きたいことがあると言われ質問されたということ。
質問に対して答えたところ、役に立ったらしく礼を言われ、そのまま席を立ち何処かへと出かけて行ったということ。
時雄が知っているのそこまでであり、後はリキューが何処へ行ったのかまでは分からない、とのことだった。
「うーん………それじゃあ、そのリキューに質問された内容ってのは何だったのよ?」
雲雀は結局のところ居所が分からぬという成果に対し、代わりとばかりに質問する。
時雄はその質問に軽く答えた。
「ああ、それは……なんだっけ、確か“自分はフリーザに勝てるか?”っていう質問だったよ」
「そうか………ふむ。こうなると、結局手がかりはないということか」
時雄の言葉を聞き、“紳士”はそう漏らす。
リキューはサイヤ人というだけあって、強さに執着のある人間であった。いつも暇を見ては身体を鍛えていた人間である。
当然その中には、子供染みた“誰それよりも強いか?”などといった興味もあり、そういった内容の質問も珍しくはなかった。
さて本気で手詰まりか。そう場に沈黙が流れだす。しかしその中で一人、動き出した人間がいた。
リンである。
「ちょっと待て、時雄。お前その質問に、結局なんて答えたんだ?」
ずいとその両目に輝くヘテロクロミアな瞳を向け、リンが追及する。その表情は妙に険しい。
時雄は少し首を傾げながらも、その追求に応える。
「いや、勝てるんじゃねって答えたけど?」
「はぁ!? 何でッッ!?」
がくんと口を開けて驚き、リンが叫びを上げる。
少しばかりその反応が過剰だとは思ってはいたが、しかし感想としては“紳士”もまたそれには同じであった。
いくらリキューがサイヤ人でありその戦闘能力には超越したものがある、とはいえだ。さすがにフリーザ相手に勝てるとは到底思えなかった。
“紳士”の知っている範囲では、リキューはまだ超サイヤ人にもなることが出来ていなかった筈だからだ。
「いやいやいや、待て。待たれよ。ちゃんとこれには根拠があるんだって。まあちょっと聞いてくれ」
手で抑止する様に前に構えて、時雄が言い募る。
リンが落ち着いて聞きの体勢に入ったことを確認し、時雄は口を開く。
「とりあえずさ、まずは最終的なフリーザの戦闘力について結論を出そうと思うけど、フリーザの戦闘力は最初の形態で53万だったじゃん? で、確か第二形態で100万以上って言ってた。これはつまり、一回の変身で戦闘力は大体2倍になるってことになる。んで、この形態の戦闘力がMAXで110万か120万ぐらいだと仮定すると、次に変身すればまた戦闘力は倍で、250万前後。そして最後の変身でまた倍。これで戦闘力は最終的に500万前後になるってことに落ち着く訳じゃん?」
時雄が軽くイセカムに触れると、宙にディスプレイが出現する。
その表示されたディスプレイの中、時雄の発言した通りに数値が現れていき説明を補助する。
「そんでもって、確かリキューの戦闘力は本人が言ってた数値で430万ぐらいだとこと。戦闘力が500万と430万の対決になる訳で、まあ多分これぐらいの数値だったらそうそう負けはしないだろうってことになるだろ? んで本人もなにか秘策っぽいのがあるらしかったからさ、多分パワーアップアイテムか何かを持ってるんだと思ってね。それならまぁ、勝てるだろうって判断した訳だ」
どうよ? と自信満々といった風情に時雄が講釈を終えて尋ねる。
ふと雲雀の手が上がり、時雄に対して苦言を呈した。
「その計算の是非はどうでもいいけど、確かフリーザの戦闘力については明言されてなかったっけ? 詳しくは知らないけど」
「うむ。確かに雲雀嬢の言う通り、フリーザの戦闘力は確かに1億2000万と明言されていた筈だ」
まあ本編中に明かされた訳ではないのだがね。その言葉はさすがに引っ込めて、“紳士”は黙る。
さすがに本編などという具体的な言葉を使うのは、この場所ではまずい。
時雄はやれやれという風に首を動かしながら、チッチッチと言う。
「10万の桁で争っていたところが、いきなり一桁値が繰り上がって戦いを始めるんですぜ? んなただですらインフレ過剰になっているストーリーが、さらにもう一つどころか二つも桁が上回ってるとか、例え天が認め地が認め人が認めようとも、俺は認めません。ええ認めませんとも。超サイヤ人4と同じレベルで絶対認めません。反論は受け付けません。ただし異論は認める」
超サイヤ人4はいいじゃない、いやいやないない。雲雀と時雄がそんな会話をしている横で、そういうことかと腕を組む。
確かにその頃の展開からにおいて、ドラゴンボールは過激な戦闘力のインフレが起きていた。作中の展開も顕著ではあるが、この公式設定された戦闘力1億2000万という数値など最たるものだろう。完全に世界が切り替わっている。
現実化という現象が存在している以上、これらの数値に対しても幾らかの現実化が働いた結果による変化が生じている可能性は、否定できなかった。
そんな風に顎に手をやって“紳士”が考えているところ、隣の椅子がガタリと音を立てて倒された。
何だと目を向けたところ、リンが素早い動作で席を立ち動き出していた。もう“紳士”が視界に捉えた時には、リンの後ろ姿しか見えていない。
「リン、どうかしたのかね!?」
慌てて声をかけるも、リンが応えることはなく、その姿はあっという間に食堂区画から消え去っていったのだった。
後にはぽかんとした表情で見送る三人のメンバーズの姿だけが、そこに残されていたのであった。
その端麗な容姿を歪ませ舌打ちしながら、リンは通路を走っていた。
胸元のジェダイトが、主に向けてメッセージを発する。
《マスター、いきなりどうしたというのです? そんな取り急ぐ必要がある用件が出来ましたか?》
「あんの大馬鹿野郎を止めに行くんだよッッ!!」
《マスターはMr.リキューの居場所が分かったので?》
そうだと荒々しく答えながら、リンは走る速度を緩めず疾走する。
目的地はトリップ・システム使用設備室。トリップ対象世界は“ドラゴンボール”の世界である。
リンは時雄との会話の中で、リキューのやろうとしていることを十中八九、現実にはほぼ完璧に推察したのだ。
リキューが時雄に、自分はフリーザに勝てるのかという質問をしたという時点で、嫌な予感はしていた。
確信したのは、時雄がその返事に勝てると返した。そう言った瞬間である。
リキューと遭遇した日から経過した年数を改めて数え直し、またリキューから最後に聞いていた“ドラゴンボール”世界での状況とそれを比較してみた結果、おおよそ今のこの時点がフリーザが惑星ベジータへと来襲する時期である。リンはそのことに気が付いたのである。
もちろん、それだけでは正確ではない。しかし“おおよそそうだと予測される時期”に、“当のフリーザに関係ある内容を質問”し、“姿を消したリキュー”という三つの条件の重なり。
偶然と片付けるには、あまりにも怪しすぎる。
通常、現実化は辻褄を合わせるために働く。経験則的な直感で、リンはそのことを悟っていた。
それはアイテムの効果が変わっていたり、貴重性が増していたりなどである。
それを考えれば現実化の効果により、時雄の言う通りに戦闘力の値が変化している可能性は否めなかった。
しかし、その現実化の条件。基軸となる部分、あるいは優先順位とも言うべきものの存在について、リンは知っていた。否、気が付いたのだ。
それは第一に、ストーリーの存在。第二に、設定の存在であった。
現実化はこの二つの優先順位の順番に沿って働くのである。
例えとして、あるゲームを例として出す。
このゲームのストーリーで、主要キャラクターがイベントによって死んだとする。そしてこの主要キャラクターの死がカギとなってストーリー全体の流れを司り、決着まで持っていくのだ。
そこで、もしこのゲームの中に問答無用でキャラクターを蘇生させる効果を持つアイテムが、普通に店で買えるとしたらどうなるであろうか?
当然、ストーリーは成り立たない。蘇生させることが出来るアイテムを持っているのならば、主要キャラクターが死んだままでいる必要などないからだ。整合性がない。
ゆえにここに辻褄を合わせるために、現実化は働く。ストーリーの成立。それが現実化が働く上での第一優先順位であり、そして最優先事項なのである。
その次。第二優先順位、設定の存在。
仮に、とある技なり魔法なりがあったとする。この力は発動したが最後、全ての生命を奪うとしよう。しかし結局劇中の活躍により発動されることはなく終局したとする。
だがこの力が伊達や張ったりではなく、発動したら確実に前記の通りの効果を発揮すると設定・明言されていたとしたら、この力は現実化によってそれだけの力が発揮できる背景を整えられるのである。
例えその物語の中であらゆる攻撃を防ぐ能力があるとされていても、それすら無視できると趣旨があればそうと出来る理由がある。そういうものとして背景が整えられ、設定通りの効果が発揮できるよう辻褄合わせが行われるのだ。もちろんこの現実化の優先順位はストーリーの方が上回るために、ストーリーが破綻するような辻褄合わせは発生しない。
いわばこの現象は、“現実”という神の視点にいるがゆえに見ることの出来ない部分を用意する、という現象なのだ。
現実では有り得ないものが存在する以上、それを成り立たせるに至る歴史、政治、感情などといった特殊な背景があって然るべきである。そういう働きであった。
以上が、細かい現実化の働く理由である。
リンはこれほど詳細に現実化を理解していた訳ではないが、朧気にそういうものだという認識程度は抱いていた。
ゆえにこそ、焦っていたのである。
何故ならば上記の理由を見てみれば、良くも悪くもフリーザの戦闘力に対して、現実化の働く余地がないのだ。
第一の優先順位は部類としては、積極的なルールの修正に入る。
ストーリーという大木のために、邪魔となる枝葉を切り捨てているのである。戦闘力が修正されるというのならば、こちらの条件に引っかかった場合だろうと思われた。
しかし別にこの項目において、フリーザの戦闘力は別に修正を必要とするものではなかった。弱体化させる必要性など、見当たらないからだ。
第二の優先順位の部類は、第一とは逆にルールの肯定である。
設定として存在している力、あるいは舞台などを成り立たせるため、それらの環境を整えるために発揮される辻褄合わせだ。
こちらの理由で戦闘力が修正される可能性は、第一の優先順位以上に低かった。
これらの理由により、結論として現実化によって戦闘力の数値が修正される可能性は極めて低かったのである。
そして現実化による辻褄合わせがない場合、設定は明言されている内容を重視することになる。
くそと、口に出してリンは毒づく。
リンはリキューが大っ嫌いである。心の奥底から気に喰わず、相対するだけ無性に腹が立ってくる始末だ。それはリキューから見ても同じであろう。
だが、しかし。リンは思う。
だからと言って、死んでしまえとは思ってはいない。
それこそ常日頃から痛い目を見ろと思い、念じ、吐き捨てている関係だ。相手が不幸な目に遇えば、全力で扱き下しながら笑うだろう自信もある。
そうでありながらも、しかし。決して死ねとは言わぬ。死んでしまえとは言わない。
敵意を抱き、時には憎み合うような間柄であっても、殺意を抱くことは絶対にないのだ。リンの意識にリキューが死に果てて喜ぶ己の姿などないのである。
ゆえにこそ駆ける。走り、疾走する。
リンはリキューを死なさせないがために、急ぎ息を切らしていた。
「早まるなよ、あんの腐れ馬鹿猿がっ!!」
(勝てる。フリーザを相手に、この俺がッ!)
腕組みし余裕を見せつけ、リキューはフリーザを見下ろす。
それが時雄との会話にて手に入れた自信であり、確信であった。例えフリーザを変身させたとしても勝つことが出来る。その傲慢なまでの自信。
ゆえがこそ、ここまで不遜な態度を取って変身を促せるのだ。
多少の戦闘力差があろうとも、それを克服するための手段とてある。リキューの自惚れは収まるところを知らなかった。
「っち、ザーボンさん辺りが口でも滑らせましたか………しかし知っているとなれば、ことさら隠す必要もございませんか」
メキリと、音が発する。
フリーザの着込んでいる戦闘服、バトルジャケットに罅が生じていた。音は罅が入るもの。
その罅は尚も増え続け、バトルジャケット全体を覆ってゆく。
「分かりました。大サービスですよ、サイヤ人。あなたのその無謀な挑戦へのご褒美です。見せてあげましょう、真の恐怖というものを!!」
バトルジャケットが、粉々に弾け飛んだ。内側から加えられた圧力に、超質ラバーが耐え切れず破砕したのだ。
戦闘服が取り除かれ、本体をそのままさらけ出すフリーザ。
当然、それは変化の終わりではない。そんなものがフリーザの“変身”などではない。変化はこれより始まる。
ぼぐっと、いきなり眼前でフリーザが爆裂した。リキューはその一瞬を、思わずそう誤認する。
現実には爆裂などしていない。ただ、爆発的にその胸部が膨張しただけである。しかしその視覚的インパクトは、想像を絶する。
奇形の如く変貌したフリーザの異変は、まだまだ止まらない。続いて今度は下半身が一挙に膨張、巨大化を果たし、とりあえずのバランスだけが取られた。
そしてその両腕、両足と、身体の各部位が順々に膨張を行ってゆき、最後に頚骨、首周りが太く大きくなったことで、“変身”は終わった。
フリーザが荒く息をつく。質量保存の法則を無視する巨大な変身には、さすがに疲れを覚えずにはいられぬのだろう。
しかし、それもほんの数瞬のこと。しばしの間を置いて面を上げた頃には、もうフリーザの呼吸は正常に戻り、疲労などという要素は一片も見える隙はなかった。
むしろ垣間見えるのは、活力。巨大化した身長は2mを楽に越え3mにも達するものであり、その身体つきは体格に相応し、極めて筋肉質な外観で覆われている。
変身前の体格とは完全に逆転する、屈強且つ精強な、そんな印象を見る者に与えた。
「待たせたな、猿野郎。悪いがこの姿になったオレは、もう前ほど優しくはないからな。覚悟しろよ?」
「ほう、そうかい」
長大な尾が、蛇のようにくねり動く。その口調も所作も、フリーザの全てががらりと一変されていた。
それは放たれる“気”にしても同様であった。変身前の倍近くにまでその大きさは増し、しかもより深く探ってみれば、未だ発揮されていないだろう潜在パワーの存在すら感じ取れた。
圧倒的な戦闘力の倍増。リキューは身に付けた知覚にて、十二分にそれを感じ取っていた。
がしかし、そうであっても、リキューは特別怯む様子を見せなかった。変わらぬ様子のまま、構えらしい構えも取らずに対面している。
ぽきぽきと噛み締める様に指の骨を鳴らしながら拳を作り、戦意も露わに呟く。
「楽しみだよ、フリーザ」
「くっくっくっく………つくづく癇に障る野郎どもだな、貴様らサイヤ人はッ」
漏れ出る殺気が具体となって現れ、緊迫感が急速に高まる。
一触触発。ほんの数秒の後には激突を開始するであろう、嵐の前の静けさ。
そして今まさに激突せんとした………まさにその時のこと、リキューは何かに突然気付き、目を合わせていたフリーザから視線を逸らした。
「? 何だ?」
フリーザがその場違いな動作に、隙を突くこともなく疑問の声を上げた。しかしリキューはそれを無視し、視線を遠方、背後であり下方である惑星ベジータ、その地表へと向ける。
リキューは感じ取っていたのだ。
今この場、空と宇宙の境目が最も曖昧なこの高度までに、地上から一直線に接近してきているある巨大な“気”の存在を。
今気が付いたその“気”は、これまで気が付かなかったのが不思議なほど大きかった。それは目の前に対峙している巨躯となったフリーザ、それに匹敵しかねないほどである。
やがて、徐々に接近してくる者の姿がリキューの肉眼の中にも捉えられてくる。
その豆粒ほどの大きさの姿を見て、そして感じ取った“気”の質を捉え、リキューは思わず声を漏らした。
「これは、バーダック?」
そしてあっという間に、風を切り捨ててリキューとフリーザの両者が見守る間に、それは身を割り込ませた。
ツンツンと特徴的な形をした、黒い髪。バトルジャケットに身を包んだ隆々とした肉体。頬に走る傷痕。額に巻かれた深紅のバンダナ。
バーダック。リキューの記憶に残る姿のままをしたその戦士が、そこに居た。
時は少し遡る。
リキューが荒野へと身を置き、そして宇宙より接近してくるフリーザの存在を感じ取るその少し前のこと。
一つの宇宙ポッドが、フリーザの乗る巨大宇宙船よりも一足早く惑星ベジータへと降り立っていた。
ポッドに乗っている者の正体は、サイヤ人の下級戦士。その名をバーダック。
フリーザの野望を、迫りくる己が種族の危機を知った彼は、一路惑星ベジータへとその足を急がせていた。
惑星ベジータの大気圏を突破し、ポッドが熱を帯びたまま地へと降る。
規定されたシークェンスに則りポッドは減速され、専用の着陸マットへと大きな音と共に機体を沈める。
余熱が急速冷却され、圧縮空気が放出。ハッチが開放される。
そして間を置くこともなく慌ただしい様子で、バーダックは外へと這い出た。
「おいおい、どうしたんだよバーダック? そんなに慌てて、トーマたちはどうしたんだ?」
「お前、まだ惑星ミートへ出掛けてからそんなに時間も経ってないじゃないのか? 忘れ物でもしたのか?」
今日はやけに珍しいことが多いなと、口に漏らしながら怪訝そうに常駐の警備兵たちが話しかけてくる。
しかしバーダックはそれを無視した。
横柄極まる態度のまま、一人の警備兵の襟首を掴み口荒く問いただす。
「おい! 他の奴ら………出ていないサイヤ人たちは今どこにいる!?」
「へッ!? い、いや。さぁ? どこにいるって、それは、今の時間帯ならたぶん、飯でも食ってるんじゃ………ない、か?」
「飯か、よし!」
目を白黒させながら答える警備兵の言葉を聞き、バーダックは掴んでいた手を解放する。
そのまま警備兵たちには見向きもせずに、とっと走りだそうとする。
声をかける暇もない慌ただしい動作に、その前にと片方の警備兵が待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待てバーダック! せっかく丁度いいタイミングで帰って来たんだ、息子の顔を見てやったらどうなんだ? お前の息子の乗っているポッドにちょっとしたトラブルが見つかってな、まだ発射されないでこの星にいるんだよ」
「知るか! しみったれた下級戦士のガキなんぞに用はねぇ!」
自らの血を引く実子のことにもかかわらず、バーダックは見向きもせず切り捨てる。
彼にしてみれば、それは当り前な反応だった。何の見どころもない最下級戦士のガキである。どこに構う必要がある?
そんなバーダックの素気無い、興味の欠片も抱かれぬ発言にもめげず、警備兵は言葉を続けた。
「いや、そう言うなよ? 発射されちまったら、息子は辺境の地球って星まで送られちまうんだぜ? 十年以上は顔を合わせることができなくなるんだぞ?」
「………なに?」
ふと、バーダックの足が止まる。
どこか引っかかったような表情をしたまま、身体を振り返らせ警備兵へと向き直る。
脳裏を刺激する単語。それが会話の中に不意に混じっていた。バーダックはそのことに気付き、改めて問いかける。
「お前、今さっき、“地球”って言ったか?」
「あ、ああ? そうだぜ? 地球だよ。太陽系の第三惑星にある、青い星。お前の息子が送られる星はそこだって」
どこに喰いつきどころがあったのか分からなそうにしながらも、警備兵は答えた。
そしてその答えを聞き、バーダックは内心で愕然としていた。表にもその動揺の幾許が隠せず、露呈する。
(地球、だとッ!?)
ぐらりとした感覚が、バーダックの身体を走っていた。きっかけが与えられ、芋づる式に記憶が再生されてゆく。
まるで白昼夢のように時折覗く、不可解な光景。見知らぬ者が見知らぬ者と出会い、話し、あるいは激闘を行っているその場面。バーダックがくだらない夢や錯覚と決めつけていた群像。
その中でバーダックは、確かに地球、という言葉を聞いていたのだ。
無論、バーダック自身の記憶にそんな惑星のことなど存在してはいない。
堰を切られた氾濫する川の水のように、激流となって記憶が、場面が、風景が。バーダックの脳を駆け廻る。
見知らぬ星での話。地球と呼ばれる、惑星ベジータとは大きく環境を違えるその星で繰り広げられる、壮大なある人間の軌跡。
子供から大人へ、年月を経て成長していくその人間。バーダックの脳裏に、青い星へと突入していく一つのポッドの姿がフラッシュバックした。それもまた知る筈のない光景。
時を越え空間を越え、その軌跡が映し出される人物。
ある場面において、その者の名はカカロットと呼ばれていた。
(ッ―――夢じゃ、ない!?)
電撃的な閃きが駆け抜けた。
その瞬間、あらゆる理屈を越えてバーダックは真実を悟るに至った。
(あれは、あの幻は本当に、これから先のッ、未来の姿ッッ!?)
幻聴がバーダックの耳に木霊する。
それはあの、バーダックに未来を見通す力を授けた者。カナッサ星人の最後の生き残り、その彼の声であった。
憎きサイヤ人たちの滅びを予期し、嘲笑を以ってそれを祝福した彼の今際の台詞が、バーダックの心に反響していた。
―――その未来の姿を見て、精々苦しむがいい。ふふふ………はーはははははははッッ!!
歯が噛み締められる。沸き上がる憤りに任せて拳を作り、バーダックは己が心に反響する言葉へ黙れと叫び付けた。
そしてもはや一片の視線すら投げかけることもせず、身を翻し走り抜ける。
背後に警備兵たちの声がかかるも、完全に無視し反応せず。
そのままとっとと建物の中へと駆け込み、幻覚の見せる場面を未来の姿である自身で確信しながらも、食堂目指し疾走し続けた。
瞬く間に目的地までの過程にある通路が、流れる様に消化されていく。
室内でありながら風切る速さで移動を続け、そしてバーダックは二分と経たぬ内に食堂の扉前に辿り着いた。
空ける時間も惜しいとばかりに、バーダックは半ば蹴破る様に勢いをそのまま、食堂の中へと突っ込む。弾け飛ぶように扉が開け放たれ、留め金が限界ギリギリの負荷に悲鳴を上げる。
中には警備兵の予想の通り、惑星ベジータに在留している大半のサイヤ人たちが席を並べていた。数はおおよそ200人程。皆が皆、酒精の混じった飲み物を好きに振る舞い、卓に山ほど積まれた食物類を食い散らすなど、その有様はさながら宴会の様でもあった。陽気に包まれ、活気に満ちた喧騒に溢れている。
その彼らの視線が、バーダックに集まっていた。騒々しく現れた珍客の姿に、なんだなんだと目を丸くしている。
「なんだよ、バーダックじゃねぇか? いったいどうした?」
「お前、星の地上げに行ってたんじゃないのか?」
「トーマたちはどうした? 別行動かよ?」
「んな慌てなくても、食いもんならたっぷりあるぜ! だははははは!!!」
胡乱気な言葉に、見当違いな当てずっぽう。様々な言葉が投げかけられる。
バーダックはその厳つい視線を緩めることなく見詰めたままだった。
少しだけ息を吸い込み………そして叫んだ。
「てめら全員、聞けッッ!!」
ビリビリと空気が震え、裂帛の衝撃が食堂全体に伝導された。
馬鹿騒ぎしていた場が一気に静まり返る。遠くで気付かず騒いでいた者は驚いたかのようにバーダックへと視線をやり、近くにいたものは突然のあまりの声量に耳を抑えていた。
注目が不足なく己に集まっていることを理解し、バーダックは伝えなければならぬことを口から紡ぎ出す。
仲間から、トーマから託された願いを。
「お前ら、俺と一緒に来い! フリーザを倒すんだ!!」
「な、何言ってるんだお前?」
ざわりと、その言葉に食堂の中が揺るいだ。
バーダックの言葉に、波の様な動揺が広がる。
それに頓着せず、なおもバーダックは言葉を続ける。そうしなければならないという、使命感染みた炎が身を突き動かしていた。
「俺を信じろ………トーマも、他の奴らもッ! みんな殺られちまった。フリーザの野郎が俺たちを、この惑星ベジータを! 消そうとしているんだッッ!!」
心の内に溜まった全ての思いを口から吐き出し尽くし、バーダックはその場に立ちつくした。
言うべきことは全て伝えた。ありったけの情熱ともいえる熱を込めて、無念すらも込めて叫んだのだ。
しからば、後はただ、結束し纏まったサイヤ人たちの皆の力を出し尽くし、憎き宇宙の帝王フリーザを倒すだけであった。バーダックは何一つ疑う余地なく、それだけを考えていた。
―――しかしそれすらもただの甘い夢でしかないことを、バーダックは突き付けられる。
哄笑が響いた。
一斉に笑い声が食堂の中を駆け廻り、一人残さずさぞおかしそうに大笑いしていた。
男も女も、一人の例外なく。
バーダックの呆然とした表情を前に、一人のサイヤ人が口を開く。
「ギャハッ、ギャハハハハハッッ!! こ、この星が消えてなくなるだとよ? 聞いたかおい、ギャハハハ!!」
「ははははッ!! 大丈夫かよ、お前?」
「しっかりしろよ、バーダック」
「フリーザ様がそんなこと、する筈がなかろうが! ブァハハハハッッ!!!」
愕然とした表情のまま、バーダックは目の前の光景を理解することが出来なかった。
こいつらは何を言っている? 何を笑っているのか?
信じられない光景を前にし自失し、バーダックの思考は停止していた。理解不能な事態であった。
それもまた、仕方のないことであった。
サイヤ人はフリーザに今の今まで、従順に従ってきていたのだ。その忠実なる手足として。
多くの功績を上げ、そしてそれに対する報酬も得ていた。何一つ不自由なく、そして何一つ支障もない関係が構築されていたのだ。一体どこにその関係を壊す理由がある? どこにその安定を崩す意図がある?
加えて、その発言者がバーダックだ。
バーダックはその戦闘スタイル―――スカウターで自らよりも強い反応を探り当て、積極的に立ち向かっていくという姿勢から、仲間内からも常々まともではないと称されていた。
一種のキチガイ扱いだ。そこに来てこの常識離れした発言である。
本格的に狂ったかと、そんな扱いをされても仕方がなかった。
バーダックには決定的に、己の発言を信じさせるだけの信用が足りていなかったのだ。
しかし、現実はそんな事情を鑑みてはくれない。
例えバーダックの発言に信用が足りず、サイヤ人の一人として信じてはくれなくても、その内容に嘘偽りは一片も混ざってはいないのだ。
フリーザは、来る。サイヤ人たちを滅ぼしに。惑星ベジータを破壊しに。
だがしかし。バーダックの目の前には、ともに戦うであろう仲間は一人もいなかった。バーダックを信じ共に戦ってくれただろう仲間たちは、もうすでに死んでしまった。
そして友の言葉に従い集めようとした同族たちには、誰一人とてバーダックを信じるものはいなかった。
「馬鹿………どもが…………ッ」
バーダックの意識が、再び動き出す。
未だ響く哄笑の音に、わなわなと全身を震わせながら、歯を食いしばった。
そして身体の内側を焦がす熱烈な感情の迸りが、そのまま口から飛び出した。
「くそったれェーーーーーーーッッッッ!!」
食堂全体を叩くショックに、哄笑が収まった。
烈火に燃える瞳でサイヤ人たちを見渡しながら、バーダックは吐き捨てる様に宣言する。
「もう、頼まんッッ!! てめえら全員、地獄へ落ちろッ!!」
そうだけ言って、バーダックは踵を翻し食堂を後にした。
思わず一人のサイヤ人が、反射的に声をかけて呼び止めようとしたが、別のサイヤ人が止めとけと静止する。
「ほっとけよ、あいつイカれてるぜ」
それが、残されたサイヤ人たちが抱いた感想であった。
バーダックの言葉が残した結果は、それだけだった。
激しい憤りに蝕まれながら、バーダックは尖塔の階段を駆け上っていた。
より手っ取り早く戦場へと向かうために、いち早く外へと向かい走っていた。
その内心は荒れ狂っている。
フリーザへの怒り。サイヤ人たちへの怒り。己への怒り。
もはや何に対して自分が怒りを抱いているのかすら分からぬほどの怒りを抱きながら、ただ走っていた。
それは一つの想いゆえ。このままで済ましてなるものかという、意地。サイヤ人としての誇り、その輝きのためである。
くそったれ。その言葉を内心で独白し、バーダックはひた走る。
光が視界に差し入る。出口だ。
残った階段を一挙に駆け上がり、バーダックは飛びこむ様に出口から外へと飛び出す。
そしてふと、辺りを見回し、バーダックは異変に気が付く。そこは尖塔の上ではなかった。
バーダックは何故か、いつの間にか惑星ベジータの都市部から離れた荒野の場所に立っていた。
(―――なんだッ、一体!?)
思考が空回る。唐突な変事に付いていけない。
ふと、バーダックは気が付いた。上に何かがいる。ッバと弾ける様に、バーダックは上空へ顔を向けた。
そこにそれは、居た。
のっぺりとした肌。白く彩られ、肩などの一部に結晶の様な彩色のこぶが人体の一部として存在している。
体格も全体的に小柄であり、バーダックは一目見てそれから、ガキのような印象を得た。
それが叫ぶ。
「サイヤ人は皆殺しだッ!! 一人として生かすものかッッ!!」
バーダックはそれの言葉を聞いて、その対象は自分だと思った。しかしすぐに勘違いだと気付く。
それの視線はバーダックからずれていた。まるで気が付いていないかのように、別の方向へと目は向けられている。
そしてまた気が付く。何時の間にか、バーダックのすぐ正面。その目の前に背を向けて立っている、一人の人間の姿があることに。
それは男であった。バーダックと同じ背丈をした、奇妙な見慣れぬ赤い装束を着た男。その装束には見知らぬ言語らしき文字が一字、その背中に縫い編まれている。
筋骨隆々とした体格。とげとげとした特徴的な黒髪。
誰なのか。そのことをバーダックは知る筈がなかった。だがしかし、なぜか不思議と、バーダックはその人間の正体が分かった気がした。
それは何故か。どうしてなのか。いつか見た奇妙な夢か、あるいは幻だからではなかったからか?
バーダックは思わず、手を伸ばした。その背中に向け、その人間に向けて。もどかしそうに、じれったくなるような動きで。
「カ―――カ、ロッ――――――?」
声にもならぬ声が漏れる。何故かバーダックは、碌に身動きも取れぬ状態になっていた。
果たして、その声を聞き届けたのか。男が振り返ろうとする。
スローモーションのようにも見える、遅延した視界の光景。ゆっくりと、じれったく男の顔が――――
そこで、バーダックの視界が一変した。
「な、なんだ!? これはッ――――!?」
地が、裂けた。
惑星ベジータの地殻が崩壊し、滅びの激震が星全体を襲っている。
爆発する。至る所から過剰エネルギーが地を割って表へと噴火の如く噴出し、崩壊へのカウントダウンを加速度的に加速させていた。
バーダックの足元の地面もまた、爆裂した。星を滅ぼす莫大なエネルギーがバーダックの全身を包みこみ、一個の人間というちっぽけな存在を無に帰していく。
「アアアアアァァーーーーーーーーッッッッ!!!!!」
己の存在が無に帰す中、絶叫し続けることだけしか出来ぬ無力な中、バーダックはそれを見た。
惑星ベジータに、宇宙に浮かぶ一つの星の表面に、亀裂が走っていく様を。
裂け、割れ、砕け、そして最後には花火の如く盛大な光となって欠片一つ残さず消えていく、己の母星のその終局を。
同じく無へと帰っていく己が視界の中、見届けていた。
そしてバーダックは、原子一つ残さず消滅した。
「っか!? ハァッ! ハァッ! ハァッ! …………こ、ここは?」
バーダックは全身から脂汗を流しながら、辺りを見回した。
そこには何も起こってなどいなかった。バーダックの身は駆け上った尖塔の屋上テラスにあり、荒野になぞに身を置いていなかった。
もちろん、惑星ベジータが破壊された様子もなかった。大地は今までと同じようにあり、星を滅ぼし尽くすほどの過剰なエネルギーが地を裂いて空を飾ることもない。
ただの白昼夢。
しかしそうだと素直に思う程、もうバーダックは余裕を持っていなければ呆けてもいなかった。
「あれもまた、現実………未来だっていうのか?」
つまりは、惑星ベジータの崩壊。
自分の戦おうという、その意思。それは結局、無駄だと?
バーダックの脳裏に、カナッサ星人の嘲笑が響く。奴の言っていた意味が、実感を伴ってバーダックに襲いかかっていた。
カナッサ星人の幻影が、バーダックの心を折ろうと迫る。
「ふざけるな………ふざけるなよ、くそったれェーーーッッ!!」
叫ぶ。叫び迫る幻影を追い払い、バーダックは気合いを入れ直す。
ふざけるなと、ただそれだけを念じる。未来が何だ。定められた滅びが何だと、心の奥底から吐き捨てる。
そんなものを認めてたまるか。断じて認めてなるものか。苛烈なる意志の閃光が、バーダックを駆り立てる。
(未来は…………)
遥か上空。バーダックは視線を天空のその先、宇宙の方向へと差し向ける。
大気と宇宙の境。衛星軌道上のそこに、フリーザの乗る巨大宇宙船の姿が見えていた。
そっとスカウターを外し、そのままぐしゃりと握り潰す。もうここに至り、スカウターは何の意味もなさない。ただのガラクタだ。
テラスの淵にある柵を両手で掴み、身体全体を沈める。そして数瞬のラグを置き、貯めた力を解放し空へとバーダックは飛び立っていった。
(未来は、この俺が変えてみせるッ!!)
空を駆ける。
惑星ベジータの地表から飛び立ち、その大空のさらに先、大気圏の最上層、宇宙と空の分け目の領域へと上昇する。
目的地には巨大な宇宙船と、見覚えのある人間の後姿。
その人間が振り返る。
「これは、バーダック?」
そして、ドンと急制動をかけて、バーダックは静止した。
見知らぬ……という訳ではない人間と、完全に見覚えのない化け物との間に。
バーダックは予想外の人間の姿を認め、確認するように呟いた。
「お前は、リキューか? あのガキが、よくもまあでかくなったもんだぜ」
バーダックが最後に見たリキューは、身長は160cm程度のチビな部類に入る人間だった。しかし今のリキューのリキューの身長は170cmを越えており、バーダックと同じぐらいの高さまで成長していたのだ。
男子三日会わなければ、とも言う。四年もの月日が間に挟まっていたのだから、ある意味当然なことであった。
しかし、今のバーダックには悠長にリキューなどと友好を改めている暇などない。もはや仲間にも頼らず、己一人で戦い抜くことを決意したバーダックはリキューを無視し、もう一人の異形へ向けて視線を移す。
敵意を隠すことなく示したまま、バーダックは誰何する。
「誰だ、貴様は」
「やれやれ、また一人命知らずな猿がやってきたか」
バーダックの問いに答えず、大柄な化け物は虫けらを見る視線で見下ろす。
その仕草。そして声。なによりもどことなく残る全身の印象から、バーダックは電撃的に悟った。
「貴様、まさかフリーザなのかッ!?」
「その通りだ、サイヤ人。それで、正解したところで貴様はこのオレに対し、何をするつもりなんだ? そっちの猿と同じように、まさかこのオレに刃向かう気だとでも?」
「だとしたらどうする?」
「……………っち、猿が。いつまでも優しくしてやれると思うなよ」
化け物―――フリーザが、無表情となり空気が変わる。
バーダックの飛び入りによって中断されていた戦いの幕が再び開き始め、場に殺気が立ち込め始める。
バーダックもまた構える。そして視線も向けず、隣にいるリキューへと乱雑に言い捨てた。
「リキュー、てめえは手を出すなッ! 奴の相手はこの俺がするッ!!」
「ふざけるなよバーダック。先に戦っていたのは俺だ、後から入ってきたお前が口出しするな!」
「うるせえッ!! つべこべ言わず俺の言うことを聞け!!」
フリーザを無視し、言い争いを始める二人。
バーダックは怒声を張り上げて意見を押し通そうとするが、リキューも引かず叫び返す。
何時の間にか言い合いはただの罵詈雑言の応酬となっていた。
バーダックは眼に力を入れて睨みつける。リキューもまた同じように睨みつけていた。
「てめえ………」
「バーダックッ………」
完全に身体を向け合って、両者は威嚇を始めていた。
そしてその緊張感が高まり始めた時――――――両者とも、横合いから叩きつけられた衝撃に、吹き飛ばされたのであった。
不意打ちの衝撃に、派手な乱回転をしながら落下する。何とか持ち直してバーダックが姿勢を回復させた頃、遠くのリキューもまた同じように体勢を回復させた様子が見えた。
衝撃波の出所を見てみると、そこには片手を広げて突き出しているフリーザの姿があった。
「貴様ら…………ふざけるのもいいかげんにしろよ。このウジ虫どもがッ!!」
ゴウと、物理的な衝撃を伴ってフリーザのオーラが放出される。
そしてフリーザが激怒の表情で突撃を始め、舌打ちしながらリキューとバーダックの二人もまた対応し、動き始めた。
ここに、運命を変えるための戦いが始まったのであった。
―――あとがき。
ようやく戦いが始まったー。
感想くれた方々ベリベリサンッキューッッ!! 作者張り切っちゃうよ? そして書くよ?
文って調子乗るときスンゴク書けるよね? 実質この文章の半分は一日で書いちゃったし。逆に調子悪いと3kbもカケネ。
感想と批評待ってマース。