鬼人が舞い降りていた。
その荒れ狂うが如くは、まさに化け物としか形容できず。
縦横無尽にその手は動き、貪り、喰らい、次々と目の前を無に帰していた。
その所業の後に、残るものはなし。
それを周囲から傍観している者たちは、今日この日、抗う術のない圧倒的暴力というものが存在することを、その目に焼き付けることとなった。
―――鬼が、吠える。
「おかわりッ!!」
集団用の、大きな八人掛けテーブル。
その机上を食い尽くした空皿で埋め尽くし、さらになおも皿の塔を積み上げながら、リキューはさらなる飯の追加の要求をした。
涙声で注文を承ったウェイトレスが、厨房へと走る。
遠巻きに様子を見ている人々は、その衰えぬ勢いの光景に戦慄を抱いたのであった。
サイヤ人、リキュー。
すでに100人前以上の量を完食するも、その食欲、未だ留まるところを知らず。
食堂区画は、デパートなどのそれと社員食堂のようなもの、この二つが混じったような代物であった。
様々な大きさの卓と椅子が広く用意されたスペースに置かれ、そのスペースを囲むように周りに様々な料理のカウンターが設置され、注文を受け付けていたのだ。
料理の注文は好きな卓に付いた後、イセカムを使ってウェイトレスやウェイターを呼び出すことで対応する。
そしてここ以外にも別にレストラン街といった場所もあるらしいのだが、しかしそちらはこのイセカムでも有料であるとのことを、リキューは疑問を参照した時に知らされた。
レストラン街というのにも興味はあったが、別にここでもさしたる問題はない。
リキューは不満を持たず適当に空いていた卓へと付いた。
そしてヘルプ通りにイセカムを使ってコールし、近くにいた獣耳ウェイトレスを呼び寄せ、表示されているディスプレイを見ながら注文した。
「とりあえず、このメニューに書いてあるものを上から下まで全部。さしあたっては、それぞれ五人前で」
ぴしりと、ウェイトレスの表情が凍った。
彼女は何を言っているのかこいつはという目で見ていたが、しかし注文を承り下がっていった。
かくして、惨劇の幕は開いたのであった。
「馬鹿なっ!? あの特盛り丼を、一杯僅か三秒で完食だと!?」
「信じられねぇ!? スープとチャーハンと饅頭の三つを、両手だけじゃなくシッポも使って片付けやがった!!!」
「有り得ない!? 明らかに食った量と体格比に矛盾がある、食った物はどこへ消えていると言うんだッ!?」
「俺の胃袋はダイナマイトッッッ!?」
「あら、逞しいボウヤがここに」
「化け物だ………クレイジーな化け物が現れやがったッ!!」
瞬く間に空となった皿が積み上がる。
机上を埋め付くし続々と追加される空き皿に、多くのウェイターとウェイトレスがバケツリレーの様に各々厨房へと運ぶが、片付く様子は全く見えない。
超高速フル回転状態となっている各カウンターの厨房では、ヤケクソ気味にコックたちが死線に近付きつつ調理し、空き皿を下げた給仕たちにとって返して配膳させていた。
「くそったれ、今日はいったいどうなってるってんだ!?」
熱気の立ち昇る厨房の中、中華料理カウンターのコック長が巨大鍋を振るう。
まるで調理担当の人間が数人倒れた時に注文が混雑したかのような、それほどの凄まじい忙しさであった。
すでにどれだけ鍋を振っただろうか? あまりの疲労に腕が痺れ、全身から汗を噴き出していた。
かつてない超過密作業量に、コック長の限界は近かった。
「この野郎………俺がどれだけ鍋を振るってきたと思ってやがる! ぬぉおおおお!!」
朦朧とする意識の中、全力を振り絞って鍋を振るい、火を通し、料理を仕上げていく。
この道に生きて、すでに三十余年。この厨房のコック長となりヒヨッコどもを叩き上げてきたのは、十年にもなる。
その年月が、毎日の月日が、今のコック長の矜持であり誇りであった。
たかが多忙による疲労程度で、その手を止めてなるものか。コック長の目に火が宿る。
手元で踊っている料理が、最後のオーダーである。コック長は彼自身の矜持にかけて、なんとしてもそれだけは仕上げてみせると決意する。
一気呵成に鍋を振るいにかける。
「ぬぁああああああああああ!!!」
具材が踊り狂う。
ダイナミックでありながら繊細なる技巧、綿密に計算し尽くされた加熱時間。
地獄のような熱に炙られ旨みが引き出され、タイミングを見損なうことなく調味料を次々と投下していく。
コック長は覚醒する自らの意識の存在を感じていた。
極限状態にまで追い込まれた、今。今この時こそ、かつてない至高の逸品が出来るであろう、手応えを得ていた。
もはや吠える暇すら惜しい。コック長は無言のままに調理を続行する。
そしてついに、最後の一仕上げを、残った体力の全てを注ぎ込んで完了させたのであった。
流れるような手つきでそれを皿に盛り、ガンッと鍋を置いて、コック長は会心の笑みを浮かべる。
自分は見事、この苦難にも負けずコックの誇りを守り切ったのだ。
すでに限界を超えて力を絞り尽くした身体は疲れ切り、鍋を振るい続けた右手は感覚がない。しかしコック長の心はかつてなく澄み渡っていた。
コック長はそのまま清涼感を胸に抱きながら、良い笑顔で仕上げた料理をカウンターへとやってきたウェイトレスへと差し出す。
おそらくは、生涯最高の逸品となったその一皿を。
「おら、持って行きやがれ! 最高の出来だぜそれはよ!!」
「そうですか分かりました! あとコック長、追加注文らしいです!! 今までと同じ物をあともう一セットてあああああコック長ぉおおお!?!?!?」
もう一皿ではなくもう一セットと言った辺りで、コック長の心はぶち折られた。
良い笑顔のままに、コック長が地に沈む。
中華カウンター、暁に没する。
そんな裏方の涙ながらのエピソードを無視しつつ、リキューはその口へ料理を詰め込み続けていた。
フードバトラー? そんなものは比較対象とはならない。
一皿の完食に五秒とすらかからない。嫌がらせ気味に冷凍庫から取り出した未カットの巨大肉を丸焼きにして出されたりもしたが、それすらおおよそ五分で骨だけにしてしまった。
まさに暴帝。まさに覇王。今の彼奴は世界をも滅ぼせる。そうと思わせるだけの気迫を漂わせていた。
すでに食堂はゆっくりと飯を楽しめる雰囲気ではない。
リキューを中心し空白地帯が出来、その距離を離した向こうではこの場にいる全ての人間が、囲むように人だかりを作ってその一挙一動に注目していた。
リキューの傍に待機している獣耳ウェイトレスは、涙目で笑っていた。
すでに一部のカウンターが、材料不足や限界を超えた仕事量に休業状態へと追い込まれていたのだ。
別にそれは彼女自身に責がある訳ではないのだが、しかし注文を取ってくる人間が彼女であるために、厨房からの非難の視線が一手に彼女へ集中していたのである。
私のせいじゃにゃいのにー。獣耳ウェイトレスは、耳と尾をぺターンと垂れ下げて落ち込んでいた。
モグモグとパスタを頬張り、また一皿を空ける。
塞がっている両手の代わりに尾を使って、リキューがジョッキを飲み干す。中身はノンアルコールである。
ちなみに別にリキューは飲まないが、アルコールは嗜好品に入るため、トリッパーでも飲むには有料だったりする。
リキューは飲み干したジョッキを遠くへ置くと、最後に残った特大丼に箸を付ける。
カッカッカッカと小刻みな音と共に、瞬く間に丼の中身が消えていく。結局これもまた、完食するのに四秒しか経過しなかった。
ごとりと、丼を置いて一息をつく。
獣耳ウェイトレスが緊張する。その丼が今のところ最後の注文であった。
しかし、だからと言ってこれで食事の終わりという保証はない。このまま自然に、おかわりッと叫ぶ可能性は大である。
獣耳ウェイトレスのみならず、辺りの見守る観衆みんなが、緊張しながらリキューの次の言動を待った。
ポンと、リキューは手を自分の腹に当てて言う。
「ごちそうさん。ふう…………ちょっと食い過ぎたな」
≪ちょっとじゃねーよッッ!!!!!≫
今この場のリキュー以外の人間は、確実に心が一つとなった。
ひくひくと震えながらも、しかし気を取り直して獣耳ウェイトレスは端末を取り出し、レシートを表示する。
その額は、一個人が一食で消費したものとは思えない凄まじいものとなっていた。具体的には、0が六つほど並んでいる。
食堂区画の料理価格が安めに設定されていながらの、その額である。いったいどれだけ食べたというのか。
というか、払えるんでしょうね? まさか、食い逃げにゃいわよね? ここまで来て?
そんな内心を呑み込み、彼女はリキューへ端末を差し出した。
「で、では、会計をお願いしますにゃん」
「ん? ああ」
リキューがイセカムのヘルプで知った知識によれば、会計はウェイトレスの差し出したリーダー端末にイセカムをタッチさせればいいとのこと。
リキューはキャッシュ機能をオンにして、端末に自らのイセカムをかざした。
ピンという固有の電子音と共に、レシート内容にCLEARと表示される。トリッパーサービスのため、0六つ以上の料金請求分の食事が全部無料で済んでしまったのだ。
会計処理が終わり、差し出されたイセカムの色を見た獣耳ウェイトレスは驚きに目を瞠る。
「にゃ、ナンバーズの人だったのね!?」
「ナンバーズ?」
ふと聞いたことのある言葉に、疑問が浮かぶ。
そのイメージが起動状態のままであるイセカムへと送られ、回答がリキューの脳へと送信された。
ナンバーズとは黒色のイセカムを持つ人間を呼ぶ名称である。黒色のイセカムを持つ者は普通のイセカムを持つ者と異なり、様々な特権が与えられてその待遇に差があるため、一般構成員の間ではその呼称と共に区別化されている。食堂区画のフードマネーフリーもまた、その与えられている特権の一つである。
脳内に展開された情報について表情におくびも出さず、ふむとリキューはその内容に理解を示した。
ナンバーズの人は化け物にゃのねーと、ひいこらしながら獣耳ウェイトレスは空き皿を持って下がっていった。
他の給仕も手伝いながら、ビルの如く積み上げられた空き皿の回収を続ける。
リキューはその様子を尻目に、熱い茶を一杯飲んで一服していた。観衆となっていた人々も嵐が去ったことを認識し、熱気が収まらぬ様子でありながらも三々五々に散っていく。
思えば、自分は研究に専念していたために昼と晩の二食を抜いていた。リキューはそのこと回想し、思い至る。
さらにその後、時雄との戦闘に重傷を負い、そして回復したばっかりである。昏睡していた時間も含めれば丸一日以上何も食べていないことになるし、身体が癒えたばかりで栄養を欲するのも無理ならかぬことである。リキューは当社比で普段の三倍ほどになった食事量を顧みて、そう言い繕う。
実際は点滴やナノマシンの作用により、栄養的には十分すぎるほど整っていたのだが、それはリキューの与り知らぬことである。
つまり、単に食い意地が張っているだけであった。
気ままにプラプラ尾を揺らしながら、リキューは目に映る食堂区画の様子を見る。
様々な創造物世界の住人というだけあって、先に抱いたように視界に入る構成員に統一性はなかった。
一応制服のようなものはあるらしく共通する意匠を多々感じるが、個人ごとの改造がかなり許されてらしく様相は様々で、中には完全に制服とは関係ないだろう衣裳の者も少なくない。
務めている種族と言う観点ではフリーザ軍と同じように混成しているのだが、この点によりまだフリーザ軍の方が秩序だった印象をリキューには持てた。
しかしそれは別にマイナスイメージという訳ではなく、その雰囲気は活気に溢れていて、フリーザ軍よりもリキューには好ましかった。
「何をやってるんだ、あんたは……」
「ん?」
かけられた声に、リキューが後ろを振り返る。
そこには、呆れたような視線でリキューを見ている勝田時雄が立っていた。服装は病室で見た時と変わらず、リキューと同じ簡素な患者服である。
時雄は引き下げられていく大量に積み上げられた空き皿を横目に見ながら、リキューのすぐ近くの席を引っ張り出して座る。
訝しげにリキューが問いかける。
「寝ていたんじゃないのか、お前は?」
「あんたのせいで叩き起こされたんだよ!」
おかげで眠気がなくなっちまったわと、ぶちぶち時雄が文句を言いながら何かを取りだして差し出した。
それは、とリキューが今気が付いたと声を上げる。
時雄が差し出した物。それはスカウターだった。
すっかり忘れていたと思いながら、リキューはそれを受け取る。身に付けて機能を確かめて見るが、特にいじられた様子もないようであった。
「あんたを診ていたドクターが渡すの忘れてたから、届けておいてくれってよ。あと着ていた服については損傷が激しかったから、破棄したとさ」
にしてもさすがはサイヤ人、サイヤ人の胃袋は化け物か。惨劇の名残を見ながら、妙に濃い表情を作りながら時雄は一人呟く。
スカウターの様子を確かめ終えると、そのまま付けたままにして、リキューは時雄に話しかける。
近くに他の人の姿はなく、聞かれる心配もなかったのだが、心持ちその声は小さいものとなっていた。
「クロノーズから話は聞いた。確か、お前もトリッパーだと言ったな?」
「ああ、そうだよ? 組織に入って、まだ半年ぐらいしか経ってねーけど」
組織について知った時は驚いたね本当。しみじみと時雄は思い出を振り返りながら頷く。
それはそうだろう。時雄だけではなく、話を聞いた時は自分でも驚いたのだから。リキューはその反応に共感した。
時雄は少しばかり考える様に黙った後に、リキューへと提案する。
「そんじゃ、込み入った話でもしたいなら場所でも変える? そんな気を付けなくてもいいんだけどさ、色々と気兼ねなく話したいこともあるっしょ」
リキューはその時雄の言葉の一部に、疑問を浮かべる。
込み入った話という言葉の意味は分かる。要するにトリッパーについての話であり、気兼ねというのは注意事項のことを言っているのだろう。
だが、そんなに気を付けなくてもいいとは、いったいどういうことなのだろうか?
クロノーズにあそこまで念押しされたというのに、気を払わなくていいというのだろうか。
そんな率直な疑問を、リキューは特に隠すこともなく尋ねた。ああそのことと、時雄は何でもないように答える。
「いや、簡単なことなんだけどさ。そりゃトリッパーについては秘密にするように言われているけど、少なくともココにいる人たちは最低限の認識として、みんな他の世界があるってことは知っているのよ。当たり前だけど」
ほらと様々な種族が混在する食堂を指し示されながら言われて、そういえばそうかとリキューは納得する。
リターン・ポイントという拠点が世界と世界の狭間という領域にある以上、ここに勤めている人間はそれぞれの世界の壁を一度は超えているということなのだ。
さすがに勤め先の情報を知らない筈はないだろうし、そもそも先のクロノーズの話の中でも組織運営に手が回らなくなったために人員を導入したというのだから、この組織の形態について、運営そのものに携わる一般構成員が知っていたとしてもおかしくはない。むしろ同僚に明らかに種族の異なる異世界出身の者がいるのだから、知っていて当然だろう。
フリーザ軍が同じように種族の混成した組織であったために、そのことにリキューは思い当たらなかった。
だからと、時雄は言葉を続ける。
「別にトリッパー同士で色々ぶっちゃけた話をしていても、よっぽど核心に迫る言葉……例えば、まあ“現実”だとか“原作”だとか、そういった具体的な言葉でも出さない限り、たいがいは別の世界の話だと思われて、変に思われることはあっても深刻に疑いをかけられることはない訳だ」
さすがにキーワード部分については声を潜めながら、時雄は言った。
つまり例えて言えば、ドラクエの世界についての話がしたいと喋り合って聞かれたとしても、精々そういう名称の世界があるのだろうと思われるだけなのだ。
だからよほど口を滑らせない限り、基本的に秘密厳守でなければならないと言えど、そうばれることはないのだという。
肝心なのは、創作物世界の住人に自身の世界が創作物であるということ。あくまでもこの事実がばれないことであり、それさえ守れれば、極論を言って別にトリッパーが幾つかの世界を知っているような口振りをしたとしても、問題はないとのことだ。
「まあ、トリッパーの立場ってこの組織じゃ結構優遇されてるみたいだから、そのあたりのフィルターもかかって色々誤魔化しが効くってこと」
「なるほどな」
さすがにそれだけで安心するのはまずいのだろうが、しかしそれでも心理的重圧が軽くなったことは事実。
特に意識していた訳ではないが、秘密を守ることがそう難しいことではないということに、リキューは少なからず安堵した。
納得をしたリキューに対し、んでと時雄が続きを言う。
「で、それでもやっぱり最低限は言葉に注意する必要はあるっしょ? だからココにはトリッパーだけが入れる、ナンバーズエリアっていう区画ってのがあったりする。そこだったら別に言葉に気を使う必要もなく、自由に話してもおkってこと」
「そういうことか」
「Exactly(その通りでございます)」
「……?」
時雄の言葉にクエスチョンマークを浮かべながらも、そういうことならば話は早いと席を立つ。
リキューも気兼ねなく話せるというのならそちらの方がよく、時雄の提案に素直に従うことにしたのだ。
リキューと時雄の二人は連れ立って席を立つと、喧噪の残る食堂区画を後にした。
去っていく二人の後ろ姿を眺めながら、獣耳ウェイトレスがようやく片付いた空き皿を届けて息を付いていた。
「にゃー………凄い食いっぷりだったのね」
その凄まじさは、もしかしてこの食堂区画にある全てのカウンターを休業状態に追い込んでしまうのではないかと言う勢いだった。
とはいえ、本拠地内に勤めている数千人の構成員の食いぶちをカバーしている食堂である。いくら大食いとはいえ、さすがにたった一人の暴食闘士《グラップラー》によって食い尽くされることはなかった。
勢いに呑まれて心配こそしたものの、この食堂が完全に閉店営業状態に追い込まれることなぞ、絶対に有り得ないことである。
獣耳ウェイトレスはそう自己完結して、あの人また来るのかにゃー嫌だにゃーと思いながら、仕事へと戻ったのだった。
この時彼女は数年後、自分の目の前で本当に食堂区画の全カウンターが全ての具材を食い尽くされて営業停止に追い込まれる事態になるのだということを、全く知る由もなかったのだった。
すでに道を覚えているのか、時雄は案内を表示することなく先導する。
その道のりの途中では多種多様な施設が見えた。ショッピングエリアらしき場所や、土と緑に加えて天然の空と見紛うばかりの、凄まじく広い公園施設すらも存在していた。
今歩いている通路も縦横の幅がとても広く、乗用車やトラックが通っても問題がないだけの空間が確保されていた。
この施設は宇宙船を元にしていると言っていたが、衛星サイズの宇宙船とはどれほどのものなのか。そこまで大型の宇宙船は、さすがにリキューの認知外であった。
歩いてる最中に、ここは居心地はいいが広すぎて不便であると時雄が愚痴をこぼす。
クロノーズが形容に出した都市という言葉は誇張ではなく、人口的にも面積的にもなんら一都市と変わらない状態であるらしい。それゆえ、徒歩だけでは移動するだけで時間がかかると。
近々に公共移動用の設備を増設するという話自体はあるらしく、それによってようやくこの面倒から解放されるとのことだ。
さすがに広さがあるからと言って、車などをそのまま通路に走らせるには、色々と別な手間と問題があるらしかった。
なお、ナンバーズエリアは居住エリア近くに設置されている、とのこと。
やがて、そういった雑談と景色を見ながらも時間が経ち、通路も小さくなって人通りが少なくなってくる。
そしてある扉の前まで来ると、時雄は立ち止ってイセカムを取り出した。
「ここだ、ここ。ここがナンバーズエリアね。入口は別にここに一つだけって訳じゃないけど、共通して鍵がかかってるから、イセカムを使わないと開かなくなってる」
扉の脇にあるリーダー端末にイセカムを押し付けると、ピンという固有の電子音が鳴ってロックが解除される。
扉がスライドし、二人を中へと誘った。
そしてさらに歩き通していくと、広い空間へと抜けた。談話室らしく、幾つかの椅子や机に自販機類があり、そしてそこには数人の人影が見えた。
時雄はその中の、壁際に立ってコーヒーを飲んでいた男性に近付き、声をかける。
「やほー、藤戸さん。おはようっす」
「時雄か? もうおはようって時間じゃないぞ」
「いや、俺は今起きたばっかりですからー。はっはっはっは」
「おいおい………君が昨日来た、新しいトリッパーか。身体の調子はどうだい?」
「ああ、別に問題ない」
飲み干したコーヒーをダストシュートに捨てて、男性がリキューへと声をかける。
リキューは返事をしながら、その身動きに違和感のようなものを感じていた。
どうも、ただの人間ではないようだと直感的に見抜く。具体的にどう違うのかは、分からなかったが。
時雄はそんなリキューへと、付け加える様に言葉を発した。
「この人は藤戸利光さん。ズタボロだったあんたを医療班まで運んでくれた人なんだぞ、感謝しとけ」
「そうだったのか?」
「そうだったの」
戻った辺りで俺も限界が来てなーと、身体を痛みを思い出したのか時雄がうめく。
昨晩の傷は、さすがに放置されればそのまま死ぬしかなかったとリキューは認識している。
真剣に感謝の念を抱きながら、リキューは藤戸に、サイヤ人に転生してからは本当に珍しく、真摯に礼を言った。
「すまない、助かった。恩にきる」
「別にいいさ。情けは人のためならず、だ。同じトリッパーだし、助け合って当然だろ?」
「すごい良い人だろ、この人?」
時雄の言葉にそんなんじゃないよと藤戸は返すが、内心でリキューは時雄の言葉に同意していた。
ただ言葉だけではなく、実際に行動しリキューの命を救っているのだ。目の前の藤戸は、リキューにとって稀に見るいい人であった。
実際問題、藤戸がいの一番に血塗れのリキューを担いで運んでやらねば、リキューは手遅れになっていた可能性が高かった。
知らぬことではあったが、リキューにとって藤戸は本当の意味で命の恩人であったのだ。
その立ち振る舞いからただ者ではないと睨み、内心戦ってみたいとの思いは少なくなかったのだが、しかしリキューは純粋に感謝の念を以って行動を自重することにした。
「それにしても、たしかそれって………それにそのシッポって…………」
藤戸が、リキューの頭に付けている物へ指を向ける。
指し示しているのはスカウターである。
リキューは何が言いたいのかいまいち分からず、ただ聞き返す。
「スカウターがどうかしたのか?」
「やっぱりか!?」
「レプリカとかじゃなくて本物かい!!」
「どわ!?」
いきなり別方向からかかる声に、驚いてリキューが振り返る。
慌てて振り向いてみれば、談笑していた他の数人の人間の視線が、みんなリキューに集まっていた。
なにやら楽しそうに表情を輝かせながら、彼らがリキューに群がる。
「散々いろんなジャンルのトリッパーがいるとは思ってたけど、ついにドラゴンボールから出てくるとは!」
「シッポがあるってことはサイヤ人!? てことは転生型か!!」
「スカウターを一度使わせてくれ!」
「てかマジでドラゴンボール!? 神龍使えるじゃん! すげぇ、おれハーレム叶っちゃう? 叶っちゃう!?」
「残念ながら、その願いは私の力の限界を遥かに超えている。無理だ」
「俺のハーレムは神の力の上限すら突破すると申したか!!」
ひゃほーいとばかりに、盛り上がるトリッパーたち。
あまりのノリにリキューは付いていけない。あとさり気なく尾を掴もうとしたTS幼女なケモナーがいたので、無造作に手刀を打ち込んで意識を刈り取る。
神龍のくだり辺りで、時雄も俺の嫁が具体化できるじゃんとか言い始めて沈黙したため、全く頼りに出来ない。
頭を抱えたまま、リキューは視線を藤戸へと移して助けを求める。
視線に気が付いた藤戸が、リキューに顔を合わせる。
困ったような笑顔を浮かべながら、一言。
「……………あー、がんばれ?」
「どうしろと!?」
吠えた。見捨てられても困る。
はっきり言ってこの異様な雰囲気とノリは、リキューにとってサイヤ人としても日本人としても未知のもの。ぶっちゃけ不気味である。
リキューは色々な意味で、健全な人間であった。
藤戸はうーんと悩みながらも、ポリポリと頬を掻きながら言う。
「まあ、トリッパーだからねぇ………仕方がないさ」
トリッパーだと仕方がないのか。
その言葉にリキューは戦慄を抱く。自分もトリッパーなのだが、まさか目の前の騒ぎを起こしている輩とそう言う意味で同類だと?
ひとりではないと思った心の感動が台無しであった。実は自分は結局ひとりではないのかと思ってしまったりする。
目の前には未知の情熱に支配された集団。彼らはリキューをその情熱の中へと誘い続けている。
結局頼りになるのは自分だけか。無駄に悲壮な覚悟を決めて、リキューはとりあえずやることを決定する。
大きく息を吸い、そして吐き出す。
「やかましいわ貴様らッッ!!」
リキュー自身の手による気迫と若干の実力行使によって、事態は沈静化した。
なお、最後まで長門にルリルリに御坂妹ハァハァと訳が分からない上に生理的嫌悪感を誘発させる言動を繰り返していた時雄は、少しばかり間接に負荷をかけた上で遠くに安置した。
止めを刺した上で捨てたとも言う。
そして現在リキューは、テーブルに座って他のトリッパーたちと自己紹介の後、雑談に興じていた。
主に質問される内容に回答する形であるが、会話は思いの外はかどり、リキューに暇を持たせなかった。
それは今の今までサイヤ人に生まれてから、まともに取れていなかったコミュニケーション分の量を取り戻すようでもあった。
「へー、じゃスカウターの原理がどうなってるとか、知ってるってことか?」
「ああ、まぁな」
「地球には行けないん?」
「星系データに登録されていれば、行けないことはない筈だが。確認してないから分からん」
「ベジータはもう生まれてるの?」
「………確か、一年ぐらい前に生まれたって話を聞いた覚えがあった……………気がする」
「そんなことよりもさ、バーダックには会ったりしてんの!?」
「バーダック? それがどうかしたのか?」
意外と理屈立っているドラゴンボール世界の内容を知って場が賑わったり、逆に知らないことをリキューが問いかけたりなど、時間は思いの外早く過ぎ去っていた。
なお時折しぶとく復活するTS幼女のケモナーが執拗に尾を狙ってきたため、リキューはその眉間にお望みの尾で突きを打って昏倒させたりなどして対抗していた。
そして、やがて勢いも消沈し、集まっていたトリッパーたちもそれぞれの事情で解散し始める。
ふうと一息つくと、リキューは椅子に身を沈めた。慣れぬ長時間の口上に、精神的に疲れていた。最後とばかりにTS幼女のケモナーが挑んできたりもしたが、あえなく尾で払われた。
と、脇からドリンクが差し出された。
その手をリキューが見上げると、差出人は藤戸であった。
「奢りだよ。疲れただろ?」
「すまない、助かる」
素直に受け取り、プルタブを開けて中身を飲む、懐かしい味だった。日本茶の味である。
茶自体は惑星ベジータの食糧プラントで自由に作れていたのだが、やはりこの国独特の味とでもいうものは別であった。
あたたと言いながら、いつの間にか時雄も復活してドリンクを飲んでいる。
茶を飲みながら、憂鬱気にリキューは回想した。
多人数を相手にすることは、やはり精神的な疲労が多かった。ずっと一人で過ごしてきた上に、まともに話して行う交流といったものに全く縁がなかったのだ。
嫌な気分ではなかったし、知識を得るということで有益ではあったのだろうが、率直な感想ではやはり面倒ではあった。
すでにリキューというの人間は、在り方として一人でいることが定着しているのである。
ひとりであることの孤独が原因でそういう在り方となり、そしてその形作った在り方が原因で現在の関わりの問題となっているのだ
難儀な体質である。
「あれ、その姿ってもしかして」
「ん?」
ふと、何度か聞いた反応にリキューは面を上げた。
その先に、驚いたようにリキューを見ている男の姿があった。
うげ、と時雄がその姿を見てうめく。
「来た、チートオリ主筆頭が」
「お前が言うな、このチートスタンド使いが」
《全くです》
時雄の言葉に、その男と何処からか響いた電子音声が即座に反論する。
その男の容姿は驚くほど特徴的で、そしてクロノーズと同じく凄まじい美形であった。
腰ほどまでにある長髪をしており、一目見るだけで分かるほどの素晴らしいサラサラとした髪質。その色は白雪のように純白で、光を跳ね返してその長髪をより目立たせていた。
身長も170cm以上あり、足が長くすらりとした体格をしている。身体の線はリキューの様に筋肉質ではなく、細く整っている。
服装は上下ともに黒のレザー材質で作られた、身動きの取り易いものとなっている。装飾品か、胸には小綺麗な翡翠色をしたクロスを垂れ下げていた。
その顔はハンサムという意味で特徴的であり、鼻が高く目端がきりりと釣り上がっている。
リキューに男の顔が向けられる。この時、リキューは男の瞳が左右の色が違う、ヘテロクロミアであることに気が付いた。
男の瞳は右の目が青、左の目が緑であった。
「なあ、やっぱり彼は?」
「察しの通り、正真正銘本物のサイヤ人だよ」
「やっぱりか。まさか、ドラゴンボールから出てくる奴までいるとは……」
《マスター、一人で納得していないで、早く私にも説明してください》
「ああ分かった分かった、ちょっと待てって!」
男が時雄と話している最中に、また電子音声が何処からか飛んでくる。
リキューは観察していると、それが男が首からかけているクロスが発生源であることに気が付く。
AI、人工頭脳が搭載されているのか。リキューは珍しいものを見たと、興味深げに眺める。
一個の確立した人格を保持するレベルの人工知能の技術は、フリーザ軍の手元にはない。
時折発見される、遺跡施設などの先史巨大文明の名残から発見されることがある程度で、量産・流通化するほどの解析は出来ていないのだ。
別に必要とされてないために発展していない技術であるのだが、しかしあればあったらで使い道は十分にある代物である。
本当に多種多様な技術が混在しているなと、リキューは呆れと共に感服した。
《私に何か? そんなに凝視されて、用でもあるのでしょうか》
「ん?」
ふと、クロスを見ていたリキューに電子音声がかけられる。どうやら、観察していたリキューの視線に気が付いたらしい。
見た目とは裏腹に、認識機能はそれなりに高度なものを取りつけているようであった。
なんだなんだと、男と時雄もリキューの方へと視線を向ける。
元より知的好奇心から見ていただけで特に含みもないため、リキューはあっさりと答える。
「別に、なんでもない」
《なら見ない下さい、この猿》
ばきりと、手の中のドリンクを握り潰す。
残っていた茶が溢れて手を汚す中、時雄が何をやってんだぁぁああああ、と濃い表情と奇妙なポーズで突っ込みを入れている。
素晴らしい。今実に瞬間的且つ強烈に、かつてない敵意が引き出された。リキューは理性的に、落ち付きながら述懐する。
俺は今冷静だな。リキューは断言する。
そしてこめかみに血管を浮かべながら、リキューは燃え滾る視線で男を見る。
ちょ、おま何てことを、と男が自分のクロスに文句を言うが、リキューの視線に気がついて誤魔化すような笑顔を浮かべ、急いで話を振り始めた。
「あ、あははは~………さ、サイヤ人だってことは、まだ惑星ベジータは消滅してないんだよなッ! なッ!!」
「………………………………ああ」
「そ、そうかそうか! てことは、原作の開始まではまだまだ先だってことだな!!」
まくし立てる様に言い募る男の様子に、ふんと鼻を鳴らすものの、リキューは僅かにクールダウンする。
目を閉じて額に手を当てながら、落ち着けとばかりに自分へ念ずる。
所詮はたかが珍しい人工知能を積んでいるだけの、文字通りの木偶の戯言である。
ここで激昂するのも、大人げないものだろう。
サイヤ人としては十四歳だが、日本人であった頃の記憶も合わせれば、すでに精神的な齢は四十に届こうと言うのだ。
そう。たかが機械細工の玩具の戯言風情など、聞き流せばいいだけだ。リキューは己にそうやって言い聞かせた。
………ふう、とため息をつく。
「もう、別に気にしてはない」
「そ、そうか。悪いな」
男が頭を下げながら、リキューの言葉に感謝する。後ろで見守っていた時雄も安心したように息をついていた。
やれやれといった様子で、藤戸が男のクロスに話しかける。
「ジェダイト。初対面の人間にその口の悪さは失礼過ぎる。もうちょっと君も抑えなさい」
《Mr.フジト、申し訳ありません。思わず思ったことが口から漏れてしまうのは、私の基本仕様ですので》
こいつ破壊した方が良くないか?
おおよそ相対した人間の七割が抱く感想と同じ物を、リキューも抱いた。
手の中で歪に圧縮されてしまったプラスチックに似た材質のドリンクをダストシュートに放り捨てて、怒りを抑えようと努力する。
ジェダイトと呼ばれたクロス、リキューはそれを直感的な感性によるものであったが、人工知能として間違ってるとしか思えなかった。
このリキューの直感は間違ってはいない。
実は、ジェダイトと呼ばれているこのクロス。それ自身の元の世界においては危険物指定されている、超一級の欠陥品である。
そんなことは露知らず、リキューは男へ視線を向ける。
ジェダイトのおかげでリキューにとって男の第一印象は最悪であったが、先に言ったように子供ではないのだ。
それだけでコミュニケーションの全てを拒絶するほど、単純ではあっても短気ではない。
リキューは不機嫌を圧して観察してみると、どうもクロノーズと同じように華奢な身体だと思っていたが、違いがあることに気付く。
見た目は細く、柔な体躯をしているのだが、しかしどうやらその肉体は予想以上に引き絞られているようであった。
細い肉体でありながら、しなやかに限界まで鍛え上げられているのである。
ふむと納得する。見てみれば身動きにも隙がなく、上体がぶれてはいない。見た目以上に身体能力は高いようであった。
とはいえ、それでも細い身体にしては、という前提が付く。リキューにしてみれば藤戸と比べて、戦う相手としてそう食指が働く存在ではなかった。
ふと、そういえば目の前の男の名前を、まだ聞いていなかったことにリキューは気が付いた。
「お前の名前は何なんだ?」
男はリキューの問いに、一瞬クエスチョンマークを思い浮かべるものの、思い出したかのようああと頷いた。
そう言えば自己紹介をしてなかったわと、頭を掻きながら自分の名を名乗る。
「俺はリン・アズダート、こっちは口は悪いが相棒のジェダイト。よろしく」
《マスターが余計な事を行ってくれましたが、相棒を務めているジェダイトです。今後ともよろしくお願いします》
「リキューだ」
自己紹介が終わり、ようやく先の失敬についても流してもらえたのだろうと実感したのだろう。
リンはさっきよりも緊張が取れて、若干馴れ馴れしい態度でリキューへと話しかけてくる。
藤戸と時雄も嵐は去ったのだろうと、それぞれ見て取りくつろぎ始める。
「時雄は今日はどうする予定だ? 家の方に帰るのか?」
「いや、まだ身体が疲れてるんで、今日は居住エリアの部屋の方に泊まってから………」
ゆったりとこれからの予定について話し合いながら、彼らは油断していた。
嵐は去った。その認識は間違いだったのだ。嵐はこれから巻き起こるのである。
主にリンという男の行動によって。
リンがリキューへ色々と話しかけている。それは他愛もない雑談からドラゴンボールの世界についての質問であり、組織についての経験談である。
だがしかし、話を聞きながらもリキューはリンを面倒だと思っていた。
何故かは分からない。第一印象のせいか、もしくはもっと生理的な理由であったのかもしれない。細かい理由は不明であった。
どういう訳かは知らなかったが、リキューはリンとの会話で、リンに対するイメージにいいものが抱けなかったのだ。
とはいえ、自分ですら理由の分からないことである。リキューは我慢してリンとの話に付き合っていた。
そして、やがて話題が戦闘力に関してのことに移る。
「へー、戦闘力の計測ってのはそう言う理屈だったのか」
「単純に言えばな、そうなる」
「そういや、リキューの戦闘力はいくつ何だ?」
ふと、思いついたようにリンが尋ねる。
リキュー自身別に隠す気もないため、素直に答える。
ドラゴンボールの世界において戦いというのは、他の世界みたいに手札を隠す必要性も特にない、基本的に単純でパワー勝負の要素が大きいものなのだ。
「8500だ」
リキューの述べたその数値は、正確ではなかった。
何故ならば彼はすでに一度、その数値を計測した後に時雄の手によって、死に瀕するほどの重傷を負っているからである。
サイヤ人の戦闘民族たらしめる種族特性の一つに、“死の淵から回復することで戦闘力が爆発的に向上する”という、一種の超回復能力があるのだ。
時雄との戦いで死にかけ、その後に死ぬことなく回復出来たリキューは、すでにその戦闘力は10000を突破していた。
とはいえ、そのことは本人は気が付いていなかったし、また気が付いていてもこの後の展開は変わらなかっただろう。
リキューの申告を聞いたリンは、思わずといった感じで言葉を漏らしていた。
「うわ、低いな」
べきゃあッ! と机が破砕される。
すぐ近くで藤戸と談笑していた時雄が、凄まじく濃い表情に冷や汗を幾つも垂らしながら、ドドドドドドと奇妙な迫力と共に二人を見ている。
藤戸自身も、その表情を引き攣らせていた。もはやフォローのしようがない。そう顔に浮かんでいる。
嵐が、超特大級の嵐が発生していた。
主に一人の男の手によって。
その男の胸元に輝くクロスが、簡潔に感想を述べた。
《貴方は実に馬鹿ですね、マスター》
「俺か!? 俺のせいなのか!?!?」
間違いなくてめえのせいだ。時雄のそのセリフをリンはシャットアウトした。
弁明の機会を! リンが慌ててリキューへと向かい合う。
リキューは、二つ三つ血管を頭に浮かべながら、リンへ言葉を発した。
「舐めるなよ、貴様」
リキューは悟った。何故自分は目の前のこいつ………リンが気に入らないのか。
その理由は簡単だった。事実を悟ったリキューは心の中を晴れ渡らせながら腹の底を煮え滾らせる。
(こいつは、俺を心の底で舐めてやがるッ)
ぽきりと拳の骨を鳴らしながら、リキューは憤怒に燃えていた。
ダメだこりゃ。時雄は天を仰ぎ呟いた。
リキュー達は、場所をナンバーズルームから移していた。
縦数十m、横数百mほどの広大な空間の中、今リキューとリンの二人が向かい合っている。時雄と藤戸は部屋の隅の入り口近くに設けられた見学室で、様子を見守っていた。
そこは戦闘訓練室。第一から第二十までリターン・ポイントに存在する施設で、文字通り武装員などといった戦闘技能をもった人間が、その技術を鍛えるための施設である。
現在、その一つである第三戦闘訓練室を貸し切って、リキューとリンの戦闘訓練が始まろうとしていた。
見学室には、さっきまで各自散らばって訓練を行っていた者たちや話を聞き付けた者たちが、メンバーズの戦闘訓練を見ようと詰めかけている。
「やれやれ………まさかこうなるとは」
表示されているディスプレイの中の二人を見て、頭痛を堪える様子で藤戸が呟く。
新しい仲間が来たというめでたい話であった筈が、なんだってこういう事態に発展しているのか。
仕方ないんじゃねと、時雄は言う。
「相性が最悪に悪そうだったからなぁ、あの二人。こう、水と油みたいな? そう、水と油みたいに」
大事なことなので二回言いましたと、時雄が言う。
ふぅ、と藤戸はため息をつき、ディスプレイを見ながら、自分は万が一の場合に備えておくのだった。
広大な空間を持つ戦闘訓練室を貸し切ったのは、藤戸の判断である。
本来ならば数百mの広大なフィールドなのだから、たかが二人が戦う程度で貸し切る必要などない。明らかに空間の無駄使いである。
だが、戦うのがディスプレイに映る両名であるのならば、貸し切る必要性は十分どころか絶対にあった。
藤戸はリキューの実力については知らないが、しかしサイヤ人であると聞けば最低限の想像は付く。
大事にはならないでくれよ。
十中八九無駄になるだろうその願いを祈り、藤戸は訓練室の外壁シールドの出力を上げた。
「なんだってこうなるんだ……」
《自業自得です、マスター》
(白々しい奴め)
20m程の間合いを間に挟み、リキューとリンは向かい合っていた。
リンの態度に対して、リキューは内心で唾を吐く。あの恰好がブラフだということを、リキューは直感で断定していた。
ブラフでないとしても、その行動の根底には非常に醜い、大丈夫だろうというあの男の余裕が位置しているのだ。リキューはそう確信している。
そしてそれはつまり、目の前の男はリキューを、自分を舐めているということだ。
リキューはその事実に思い至るに従い、さらなる憤りを積み上げる。
バーダックへと抱いていたものとは違う、また別種の敵意であった。むしろそれは憎悪に近い。
何故そこまで男の内面を、リキューが察知できるのかは知らない。過程だけを見たらいいがかりに近いというか、それそのものだろう。
だがしかし、リキューは疑いを持つことなく、その自身の直感を愚直に信じる。それがこれまでの生き方であったからだ。
自身の直感は何よりも信じるものに値する。無意識であったが、リキューは確信していた。
ッキと、リンを睨む。
本来、リキューに自分よりも弱いものを嬲る趣味はない。例え相手が多少気に喰わない相手だろうと、それを理由に暴力は振るわないのだ。
にもかかわらず、見た目柔なリンに対してリキューが勝負を吹っ掛けたのは、一重に時雄の存在ゆえにである。
自身の攻撃を完全に防いで見せた、戦闘力とは関係ない“スタンド”を扱う者。そしてその扱う者であった時雄は、トリッパーであった。
その後に会った同じトリッパーである神の眷属であるというクロノーズや、得体の知れぬものを感じた藤戸の存在。
つまりリキューはトリッパーは皆、戦闘力とは関係ない、不思議な能力の持ち主であると勘違いしていたのだ。
あまりにも勘違いにも程がある内容であったが、残念ながら訂正してくれる人間はなく、そしてこの場に限ってはだが、その勘違いもあながち間違いではなかった。
「あ~くそ、仕方がないッ! いくぞジェダイト!!」
《了解しました、マスター》
リキューの睨みを受けて、リンも決意し胸のクロスに手をやる。
そしてクロスを握りしめると、高らかに叫びを上げた。
「ジェダイトッ!! セットアップ!!!!」
光が迸る。
一瞬の強い閃光が走り、思わずリキューは目を逸らした。光の放出はすぐに止む。
リキューが逸らしていた目を戻すと、リンの様子は一変していた。
黒いレザー状の上下は基本変わっていなかった。しかし所々を縁取る様な金糸状のデザインが付け加えられ、身体のラインを模り浮かせていた。
そしてその身体を覆うように、白いコートの様な羽織が現れて、リンの身体を包みこんでいる。
実用的な頑丈そうなシューズが足に巻きついており、手もまた指先までピッチリ覆う黒いレザーグローブが現れていた。
そして何よりも特徴として目に映ったのが、その腕に握られた長大な獲物。
それは刀であった。持ち手の部分は機械的な装甲や機構を備え付けられて、柄から鍔までを完全に機構化されていたが、刃渡り70cmはある翡翠色の刀身が僅かに反りを描いて存在している。
形は異形となっていたが、それは間違いなく刀であった。
ピピピピと、リキューのスカウターが反応を示す。
先のトリッパーたちとの会話の中で、電源を入れてそのままで放っていたのだ。
そしてスカウターは急激に現れた強い反応に対して、自動的にシステムを起動させて戦闘力を計測していた。
計測の終わった数値がリキューの眼前に表示され、リキューは驚きに目を開く。
「馬鹿な………戦闘力2500だと?」
リキューが最初に図った時、リンの戦闘力は精々30前後でしかなかった。
それでも常人より遥かに高い戦闘力を持っていたのだろうが、しかしその程度ではリキューに太刀打ちできない。
そういう意味では今の戦闘力とて、リキューに対抗することは出来ないだろう。リキューが驚いているのは、これほどまでに急激に戦闘力が変動・上昇したことにである。
リンが、締まった表情でリキューを見つめる。
「さすがにサイヤ人相手じゃ心もとないからな、最初から全力でいかせてもらうぞ! ジェダイトッ! リンクモード起動!!」
《了解しました、マスター》
リンが手にしたマシン・ソードが、電子音声を返す。リキューはここで初めて、リンの胸元にクロスの姿がなく、そしてあのマシン・ソードがクロスの変形した姿だと気付いた。
リキューの観察を捨て置き、さらなる変身が始まる。
ゴウッ! と風が吹き荒れた。リキューは咄嗟に腕を顔の前にかざし、突風を凌ぐ。
風の収まりを待って腕を除けて様子を伺い、リキューはまたも驚きを胸にする。
リンのその背中に、“羽”が展開されていた。
膨大なエネルギーが放出されて力場を形成し、白く輝く“羽”を、リンの背中に二対四枚となって展開されていたのだ。
その大きさは一枚の羽が2mほどもあり、常に空間に負荷を与え続けている羽が風を生み出しリキューを叩いていた。
そして最後の変化か、リンの純白の髪は仄かに揺れながら発光し、さながらまるで銀色のように輝いていた。
ピピピピピと音が鳴る。さらなる戦闘力の上昇を、スカウターが計測する。
表示されているリンの戦闘力は、3800を表示していた。度重なる戦闘力の急激な上昇と、リンの変貌にリキューは驚きを隠すことが出来ない。
ブンと、リンがリキューにジェダイトの刃先を突き付ける。
翡翠色の刀身から、“羽”と同じ白いエネルギーが放出され、さらなる巨大な刃が形成される。
「かかって来いッ」
ヘテロクロミアの瞳を輝かせながら、リンが叫ぶ。
その挑発に、リキューは胸に去来していた驚きを忘却し、瞬時に憤怒で頭を満たされた。
ドンと、広大な敷地を誇る戦闘訓練室が、リキューの漏れ出す“気”に共鳴し震え始める。
「でかい口を叩きやがってッ………舐めるなと言っているんだァーー!!!」
音の壁を粉砕しながら、リキューが突進する。
リンとリキュー。後に犬猿の仲となり、悪友となり、そして親友とも呼べるだろう関係を築く二人が、ここに幾度と行う中の最初の激突をした。
激震が走る。
シールドは最大にしてあるため、破られる心配はなかったが、その余波の振動は見学室まで届いていた。
ディスプレイはノイズが混じりながらも、その戦闘を余すことなく見学者たちに見せつけていた。
ごくりと、誰かが息を飲んだ音が、やけに響いた。
「あ、有り得ねぇ………なんて、なんて戦いだ」
誰かが、呟いた。
誰も答えなかったが、内心では皆が頷いていただろう。
それは、とてもではないがたった二人の人間が戦っている光景には見えなかった。
時折空間を無数に駆け抜ける光線が奔ったかと思えば、たった一撃の拳で極太のビームを弾く。
無数の、一発がロケットランチャー並の破壊力を秘めた光弾が、地を埋め尽くすほど無数に、誰が一個人が放てると思うか?
とてもではないが、それは人間業とは思えなかった。
「これが……な、ナンバーズの実力なのか?」
彼ら見学している一般構成員の者たちは、皆戦慄を抱きながら、その恐るべき戦いを目に焼き付けているのであった。
「っはぁ!!」
気合と共に、生成したエネルギー弾を投げ付ける。
リンは“羽”を羽ばたかせながら、不自然なほどの急加速でその場から消え失せる。
ッキとリキューは視線を動かし、叫んだ。
「見えているぞッ! だぁああああああ!!!!」
「っち!」
ぎゅんと、“気”を励起させてリキューが追跡する。
急速離脱していたリンへと追い付き、リキューは近接する。リンは舌打ちながら“羽”をリキューへと叩きつける。
“羽”というエネルギーの奔流に呑み込まれながらも、僅かに姿勢を崩すだけでリキューは喰らい付き続けた。
そして“羽”を浴びさせられながらも、両掌を組んで、気合と共に叩きつける。
「はぁーーーーッ!!!!」
「ぐぁっ!」
どんと、叩き付けられた気合い砲によってリンが空から地へと叩き落とされる。
そのまま地に激突するかと思ったが、しかし上手く体制を立て直してリカバリーする。
けほけほと咳をしながら、リンはうめいた。
「くそ、本当に信じられん。サイヤ人だってことは分かってたけど、たいがい出鱈目にも程があるぞ、あれ」
《同意します。本当に生物なのですか、あれは?》
単純なスピード、パワー、その他全てにおいてリキューはリンを超越していた。
弱点らしい弱点などは見つからない。遠距離だろうと近距離だろうと、関係なく奴は攻めてくる。
プロテクションの同時三重展開を、まさかあっさり破られるとはリンですら思っていなかった。
さすがはサイヤ人。内心評価を舐めていたと反省し、考えを改める。
とはいえ、諦める気はさらさらなかった。
確かに強いのだが、しかしそれだけだ。リンはふんと笑いかける。
「勝てない戦いじゃないな」
《その通りです、マスター》
「よし、なら行くぞ!!」
“羽”が大きく羽ばたく。ジェダイトを構えて、リンは空へと飛翔する。
戦力差は大きい。正直、リンが単純なスペック差でここまで負けたのは初めての経験だ。しかし、それだけである。
スペック差で負けていようとも、いくらでも勝つ手段はある。布石はすでに打ってあった。
孫子曰く、戦いとはすでに戦う前から勝敗が決している。リンはすでに、この勝負の勝ちを確信していた。
「バインド!」
ピピピピとリンの掛け声とともに、スカウターの数値に若干の変動が生じる。
そしてほぼ同時に、リキューは腕を突然現れた白色の光の輪にとらわれる。
「っち!」
舌打ち一つで腕を振れば、あっさりとその拘束は破壊される。
そして余裕を持って振り返り、目の前まで迫っていた白色の刀身を片手で掴み取った。
ギギギギと込められる圧力を何ら痛痒とせず、リキューは力を込めるリンの瞳を覗き見た。
そのまま、事実を叩きつける様に宣言する。
「無駄だ………妙な術を使うようだが、いずれにせよ、貴様の攻撃は俺には通じないッ!」
「っふ!」
掴み取っていたエネルギー刃が消え去り、拘束を失い自由となったリンが後ろへと下がる。
そのリンの姿を余裕を持って見ながら、リキューは腕組みして言葉を叩きつける。
「諦めろ。“スタンド”と違い普通に俺の攻撃が通用する以上、貴様の戦闘力では俺に勝つことは出来ん」
時雄の場合では、“スタンド”によってリキューの攻撃が通用しなかったための苦戦であったのだ。
これまで戦い続けた結果、リキューはリンに“スタンド”のような問答無用で攻撃をキャンセルする芸当は出来ないと判断した。
そして、戦闘力を無視して効力を与えるという例外的な技がないのであれば、単純に戦闘力が高い者が勝つというのが道理なのである。
現にリキューはリンの繰り出した幾つもの光弾や光線を浴びたが、何ら具体的ダメージを食らってはいない。全て避け、弾き、防いでいるのである。
これが戦闘力差というものが示す、絶対的な定理というもの。
本来あるべき、具体化された強弱の関係なのである。
勝利を確信し、リキューは悠然とリンを見下ろしていた。
リキューに嬲る趣味はない。憤りは多々あるが、すでに勝負が決した以上は戦いを無駄に継続する気はなかった。
とはいえ、わざわざ自分が戦いを止めると言うには感情の収まりが付かない。あくまでもリンに降参をさせた上での終着を、リキューは企んでいた。
そのため、リキューは心を折る為の力の誇示を行うことにする。
エネルギー弾を形成して掌の上に光球を作り出すと、リキューはそれを地に向けって放った。
なにを? リンがその行動に疑問視を思い浮かべる。
その表情は、次の瞬間驚愕に打ち消された。
光が溢れた。
そして次の瞬間には爆風と熱が生まれ、地から空に浮かぶリンたちの元へと侵食した。
あまりの爆音に、鼓膜が破壊されない衝撃。
歯を食いしばりながら耐えていたリンは、そのまま視線を下方へとやって……戦慄した。
「………なんだと?」
《―――なんという、威力》
巨大なクレーターが、訓練室の大地に形成されていた。
ほぼ敷地面積全体に及ぶほどの大きさであり、とてもではないがそれは、あんな小さな光球にそれだけのエネルギーが詰まっていたとは思えなかった。
本当に、ただ戦慄だけを浮かべながらリンが、リキューへと口を開いた。
「今まで、手加減していたってのか?」
「そうでもあるが、そうでもない。俺たちは自分の攻撃の威力を調節できる。そうしなければ、自分で自分の攻撃の巻き添えを食らうからな」
これはドラゴンボールの世界に存在する強種族、その全てに言えることであった。
ドラゴンボールの世界を一言で言えば、いわば生命の進化が科学の発展を凌駕した世界である。
強靭な物理法則すら逸脱したレベルの身体能力を持った種族が、全宇宙に拡散し生息しているのだ。
彼ら強種族の、その保有するエネルギー量は凄まじく、戦闘力にして三桁程度の生命体ですら都市を一撃で灰燼に帰すことが出来る。
しかし、だからと言って彼らが常日頃から、それだけの威力を発揮している訳ではない。
当然である。住処が破壊されれば困るのは彼ら自身であるし、近い距離であまりに破壊力の高い攻撃を行えば、巻き込まれるのは自分自身だ。格ミサイルのすぐ傍で起爆スイッチを押すようなものである。
彼らは自分たちの攻撃、その威力もまた物理法則的な観念を全く無視して、自由自在にコントロールできるのである。
具体的な例えを出せば、リキューが一つのエネルギー弾を形成する。
このエネルギー弾には10の“気”を込めるとする。当然、その発揮できる威力の最大値は込められた10の“気”までとなる。
この10の“気”が岩を壊す威力ならば、岩を壊すまでの威力しか発揮できないということだ。
では1万の“気”を、このエネルギー弾に込めたとするならば、どうなるか? 当然威力の最大値もまた、その込められた1万の“気”までとなる。
この1万の“気”が都市破壊レベルならば、都市を破壊できる威力を最大のものとして発揮出来るということだ。
だがしかし、実際にこの1万のエネルギー弾を、そのまま何の考えもなしに至近距離で使えば、当然自分とて巻き込まれるだろう。
ゆえにリキューはこの威力を任意に抑えて、好きに調節することが出来る。
つまり、エネルギー弾に1万の“気”を込めながらも、そのエネルギー弾で10の威力程度しか出さないという芸当が可能ということである。
軽い挨拶程度の攻撃で都市を吹き飛ばす威力を出しながら、全力の一撃ではその効力の範囲が狭いという矛盾の理由が、これである。
はっきり言って、こんな芸当をするのは“気”の無駄遣い。つまり無意味ではないのかと言う意見もあるだろう。
しかし、この余分な“気”を込めることには意味がない訳ではない。“気”を込めると言うことは質が高まるということを意味する。
幾ら威力が高かろうと、たかが1万の“気”を込めた気弾では10万の“気”を纏った人間には一切通用しないということである。
攻撃が通用するか否かは、威力ではなくその質に問われるのだ。
先の例で言った挨拶と全力の、それぞれの両者の攻撃。その違いは、込められた攻撃の中の質にあるのである。
そこまで事細かくリキューは語らず、悠然と構える。
普段は行わないこのパフォーマンス染みた行為も、ただ目の前の無性に気に入らない人間の意思を折るためだけが目的のもの。
実際に相手に対して直接叩きつけるつもりは微塵もないが、わざわざそれを悟らせる必要はないのだ。
圧倒的な実力差に加えて、圧倒的な破壊力の差までもがここまで露呈されたのだ。もはやリンに戦いを継続するだけの気力はない。
リキューはそう確信し、リン自身の口からの降参を迫る。
「まいったと言え。貴様に勝ち目は、欠片も残っちゃいない」
が、しかし。
リキューが見つめるリンの瞳に、戦慄は見えても絶望は見えていなかった。
不敵な表情はなおも変わらず、依然その顔に余裕が伺える。
気に入らず、リキューは奥歯を噛み鳴らした。
「………なあリキュー、確か、お前が教えてくれたことがあったよな」
「……何のことだ」
「スカウターのことさ」
ジェダイトを峰の部分を肩に当てて担ぎ、リンが“羽”を輝かせる。
リキューはリンが何を言いたいのかよく分からず、ただその余裕綽々とでもいう態度に眉を顰めた。
リンはそのままの体勢で話を続けた。
「確かスカウターの戦闘力を計測する理屈は、“その対象がコントロールしているエネルギー量”、によって決定されるんだったよな?」
それは先の雑談で、リキュー自身がリンへと語ったものであった。
スカウターの大まかな戦闘力を計測する理屈は、リンが語った通りである。
対象となる生命から観測されるエネルギーの中から、さらに対象によって統制しているエネルギーの量を計測し算出されている。
単純にエネルギーと呼べるものを観測してしまえば、生命だけではなく、自然界には様々な波長のエネルギーが充満しているのである。とてもではないがそんな状態では、機器が捉える幅が広すぎて、正常に計測することなど出来はしない。
ゆえにスカウターは、計測するエネルギーを意思によって統制されているものに限定し、その量によって戦闘力を弾き出すのだ。
不可解気なリキューへ、リンの言葉は続く。
「たぶん俺の予想じゃ、そのスカウターに表示されている俺の数値は、最初の状態から比べてかなり上下している筈だ。違うか?」
「………ああそうだ。だがそれがどうかしたか? 確かに貴様の戦闘力は揺れ幅が激しいが、それでも俺に勝てないということに変わりはない」
リキューの言葉に嘘はない。
確かにスカウターの数値は、最初の表示からリンの変貌と共にかなり上昇した上に、さらにリン自身が奇妙な術を使う度にも少なからず上下していた。
単純に戦闘力のコントロールが出来る種族であると考えても、その上下の頻度は激しく、一種の独特なものではあるのだろうとはリキュー自身とて思える。
しかしそれでも、その上下の揺れ幅を計算に入れたとしても、その戦闘力は到底リキューには及ばないのである。
そして戦闘力が及ばない以上、絶対に勝ちはしないのだ。
“羽”を大きく羽ばたかせて、リンが言う。
「まだお前は、組織に入ったばっかりで知らないだろうから教えておいてやるよ、リキュー」
「………何を言っている?」
「世界ごとの違いであり特色、“ワールド・ルール”についてさ」
リンの言葉に、さすがにリキューは興味を引かれた。敵意を忘れ、純粋に好奇心が浮かび上がる。
“ワールド・ルール”? いったいそれは何なのか?
リンはその様子を感じ取ったのか、口の端を釣り上げながら言葉を紡ぐ。
「当たり前だが、作品毎にその作品に用意されている設定は異なる。ある作品では魔力は魔法を使うための力であるが、ある作品では魔力は魔族の持つ力のことを指していたりと、同名の言葉があっても意味する内容が違うことは、極々普通にあることだ。これはつまりその作品の設定、その世界固有のルールということ。すなわち、それが“ワールド・ルール”と呼ばれているものの正体だ」
リンの言葉は、確かに興味深いものではあった。リキューは内容を把握しながら、リンの言葉を素直に聞き取る。
なるほど、確かに作品毎に設定が違うのは当たり前だろう。違う内容で、違う作品なのだから。
そしてトリッパーが創作物の世界へ飛ばされる以上、その世界には元の作品として用意された設定がそのまま存在しているのだろう。それはつまりその世界にとっては法則のようなものだ。
前提として存在しているもの、すなわちルールである。
「この“ワールド・ルール”に定義された決まりは、ルールとして存在する以上、絶対的なものとして扱われる。リキュー、お前スタンドについて何か言ってたよな? 例として挙げさせてもらうが、スタンドは作品の設定として明確に決められている設定がいくつも、確実に存在している。“スタンドはスタンドでしか触れられない”、“スタンドはスタンド使いにしか見ることは出来ない”てな。この明確に定められた設定が存在する以上、これらの設定は“ワールド・ルール”として定義され、例え別の世界へとトリップしようとも絶対的に遵守されることになる」
そこまで述べて、意味が分かるか? とリンが問いかける。
スタンドについて、その効力をよくよく身に沁みて味わったのはリキュー自身である。
リキューは不愉快そうに、だが同時に驚いているような、そんな感じに言葉を出した。
「“スタンド”以外の攻撃では、絶対に傷付かない。そういうことか」
「その通り。例えガンダム世界に行ってコロニーレーザーの直射を受けようと、スパロボ世界に行ってグランゾンから縮退砲の直撃を受けたとしても、“スタンドはスタンドでしか触れられない”という“ワールド・ルール”が存在する以上、スタンドがそれらの攻撃によって傷付くことは一切ない。まぁ、実際にそんなことになれば、スタンドに関係なく本体の方が耐え切れないだろうけどな」
なるほどと、幾らかの戦慄と共にその言葉をリキューは呑み込んだ。
いまいちリンの言った例えは分からなかったが、その伝えようとする意味の程はよく理解できた。
“ワールド・ルール”というものの絶対性に対し、リキューは深く理解を示す。
それはつまり、万が一“見るだけで相手を強さに関係なく殺す”などという能力の持ち主がいた場合、一切の抵抗が出来ずにリキューは殺されてしまうということである。
実際にそこまで出鱈目な力の持ち主がいるかどうかは分からなかったが、しかし“ワールド・ルール”というものの意味とはそういうことである。
創作物である作品に用意された設定であり、そしてそれがゆえに絶対に遵守されるルール。それが“ワールド・ルール”。
リンはリキューの様子を眺め、納得したように頷く。
「理解出来たようだな、そいつは重畳」
「“ワールド・ルール”についてはよく理解した。で、結局それがどうしたと言うつもりだ? まさか貴様もそんな、スタンドのような絶対的な“ワールド・ルール”を持っているとでも、いまさら言う気か?」
笑わせるなよ、とリキューは言う。
そんなものがあるのなら最初から使えばいいのだ。しかしここまでリキューが追い詰めて、今までリンがそんなものを使った形跡はない。
それはつまり、持ってないか、とてもではないが使えない代物だということである。
戦闘用ではないのか、消耗が激しすぎて連発出来ないのか。
いずれにせよ、すでに時雄の“切り札”によって痛い目にあったリキューは、みすみすそんな手を食らう気はさらさらなかった。
「何でいきなり、“ワールド・ルール”について説明を始めたと思っている?」
「何?」
担いでいたジェダイトを下ろし、リンが構えを取る。
リキューへその瞳を合わせながら、彼は言った。
その表情は、勝利の確信に濡れている。
「時間稼ぎだ!」
「っな!? ぬぐッ!?!」
ピピピピとスカウターが反応し、瞬間的に戦闘力が増大したかと思ったが次の刹那に、リキューの全身を何十、何百の白色の輪が発生していた。
急激に何百もの紐状に具現化された拘束場が、リキューの全身を縛り上げる。
“気”を励起させて抜け出そうともがくが、その数と質は先程まで度々出されていたものとは段違いのものである。
抜け出せない。脱出しようと足掻くが、ビクともしない。力が、強制的に奪われ抑制される感触を覚えていた。
「改めて挨拶させてもらう。魔導師のリン・アズダートだ。戦闘力についてだがな、俺は魔力を使って魔法を使うタイプの魔法使いだからな。だからスカウターの聞いた計測原理でじゃ、魔法を使う度に戦闘力が変動していたんだろうよ」
そしてその拘束は練りに練った特別製だと、リキューへと言い放ちさらに上へと上昇し、リキューの上を取る。
上段にジェダイトを振り上げて、リンはリキューを見下ろす。
リキューはそれを憤怒の猛りの中、見上げていた。
「貴様ぁッ!!!」
「時間稼ぎは十分だ。すでにこの空間には、俺の放出した魔力が充満している。見せてやるぞ、原作の魔法をモデルに組み立てた俺の必殺技を!!」
ばさりと、リン自身の放出している何かのエネルギーで形成された“羽”を羽ばたかせて、宣言する。
リキューは動けない。抜け出せない。
ただ睨み付けるだけしか、出来ることがない。
ジェダイトを握りしめ、リンが叫んだ。
「スターライトブレイカーのアレンジ!! ジェダイト、スターダストメモリーズ発動!!!!」
《了解しました、マスター。スターダストメモリーズ、スタンバイ》
光の軌跡が、描かれる。
広大な戦闘訓練室の、そのあらゆる空間から光が生まれ、リンの掲げるジェダイトの刀身へと集約されていく。
それはまさしく星の煌めきと言える。神秘的で幻想的な光景であった。
だがしかし、リキューはそれに頓着する余裕などなかった。
スカウターが急激な反応を捉えている。リキューは爆発的に上昇していく数値に、愕然としながらリンを見るしかなかった。
「ば、馬鹿な………6000……7000……8000!? ま、まだ上昇していくだとッ!?」
やがて、空間中の光の軌跡が、全てリンの刀身へと集められた。
すでに刀身だけで、その全長が3mほどまでサイズは伸長している。
リキューのスカウターに計測されている数値は、カウントをようやく止めていた。
その数値、21000。スカウターの計測限界値ギリギリの値であった。
「往くぞッ」
《オールコンプリート。スターダストメモリーズ、リリース》
「ぐ、うぉおおおおおおおおおお!!!!!!」
リンがリキューへと目指し、舞い降りる。
リキューは血管を浮かべながら全力で抵抗するが、拘束を振りほどくことが出来ない。
リンが迫る。リキューは動けない。
白色のエネルギーに全てを包みこまれた刀身が、リキューへと振り下ろされた。
右鎖骨付近から、左脇腹下までを通過する強烈なエネルギーを持った異物。それはリキューの“気”の守りを貫き、ぐちゃぐちゃに内外の神経を乱し尽くす。
尋常ならざるショックが、リキューの意識を叩き潰していた。
拘束場ごと叩き斬られたおかげで、すでにリキューの身を捕える鎖はない。
だがしかし、リキューに反撃するだけの気力は残されはいなかった。直撃を受けて、すでに意識が失せかけていたのだ。
そのまま舞空術を維持することもできず、ふらりとリキューの身体が揺らぐ。
墜落する直前。
リキューは、何処からかかけられるリンの声を聞いていた。
「――――安心しろ、非殺傷設定のままだから、命に別状はない」
その言葉を、そのセリフを聞いて、リキューは確信した。
内臓を引き締められるような墜落感を味わいながら、リキューは紅蓮の思いを抱く。
ただ、リンへ対する強固且つ絶対的な評価で不変の決定。
(こいつは――――心底気に喰わないッッ!!!!!)
そしてリキューの意識は刈り取られた。
一日後、リキューはまた昨日と同じ入院部屋のベッドの上で意識を取り戻し、気絶する前に抱いたその思いの再確認を、改めて行うこととなる。
長きに渡るリンとリキューの二人の衝突。その最初の邂逅。
リキューのリンに対する第一印象と第二印象及び総合的な評価は、その全てにおいて最悪であった。
―――あとがき。
リン登場。この作品でやりたかったことその二。自重を知らぬは作者のみよ。すみません。
やはり賛否両論である評価の模様。それでも見てくれてる人たちがいることに私は心の底から感謝します。
思えばSLBでプチ元気玉だよね原理がと思うこの頃。
容量過去最高。何か今降りてる? 降りちゃってる作者?
感想と批評待ってマース。