加速。トップスピードまで刹那に至り、バーダックの視界から消える。
バーダックに捉えられることはない。戦闘力は俺の方が圧倒的に上だ。
反応させる前に、俺の攻撃が決まる。
全力の蹴り。後ろに回り込み、拾い上げる様に下から上へ蹴り上げる。
ゴム毬のように、バーダックの身体が跳ね上がる。
このままでは終わらせない。熱く冷たくピリピリとする感覚。
離れるバーダックの足を掴む。僅かに抵抗する意思は力で押し潰す。
そのまま筋肉を発起させ、振り回して身体を床に叩きつける。
鈍い音。肉が床と接触する音。そのまま数度リバウンドし、仰向けにバーダックが転がる。
飛び上り、寝転がるバーダックの直上に位置する。
俺の勝ちだ。勝利の確信。
落下、加速。重力加速も入れてのトップスピード。
直上から直下へのまっすぐなラインを描き、最高の一撃を落とす。重力負荷により一段と脅威となったその威力は、絶大。
だが決まる直前、バーダックがパチリと目を開ける。ほんの少しだけ身体をズラし、一撃が外された。
腕が床を貫き埋没。すかさずその腕がホールドされる。
顔面に食らう衝撃。片腕を封じられ、執拗な殴打を受ける。
煩わしい。戦闘力に差があるゆえにダメージは少ない。だが、いいようにされているということに腹がつ。
ホールドが解かれる。腕を引き戻し、素早く距離を取る。
頭を振って意識を冴えらせる。散々言いようにやってくれたお返しを、たっぷりとくれてやる。
が、目を開けば離れてた筈のバーダックが、すぐ目の前に張り付いている。手が顔にかざされていた。
迸るエネルギー波。すぐ眼前で発せられた光に目を射られ、その場に蹲ってしまう。
腹部に一撃が入る。視界が閉じたままに衝撃に身体が流される。身体が部屋の端の壁にぶつかり、ダメージに咽る。
「下手くそが。そんな有様じゃ、せっかくのパワーも宝の持ち腐れだな」
声がかけられる。上から見下したその発言。癇に障る言葉だ。
睨みつければ、コキコキと身体を鳴らし待ち構えている姿。余裕と嘲笑の表情。
酷く苛立たしい。
「舐めるなよ」
弾かれたように飛び出す。
高速、一撃。シンプルな理屈。単純な力を叩き付けて黙らせる。
戦闘力差は圧倒的スペックの差を顕す。バーダックとの距離を刹那に詰めて拳を身体ごと突っ込ませる。
が、バーダックは避けた。圧倒的速度の一撃を、まるであらかじめ分かっていたように宙へ飛び避ける。
「分かり易いんだよ、ガキが」
嘲り笑うバーダック。
宙で両手を組み、そのまま直下の俺の脳天へ叩き下ろそうと振り上げる。
面を上げて、その顔を視野に捉えた。
―――吠える。
「ぐッ!?」
バーダックの身体が吹き飛ぶ。叩き付けられた気合に押し飛ばされ、体勢を崩す。
ざまあみやがれ。表情で嘲りながら掌中にエネルギー弾を形成。
そのまま投げ付けて、追い打ちをかける。
宙を吹き飛ばされているバーダックに、かわす余裕はない。
爆発し、さらに吹き飛ばされて、今度はバーダックが壁に打ち付けられる。
「何時までも、ただ闇雲に攻めるだけだと思うなよ」
「ガキが……生意気言いやがって」
殺意が視線に籠もる。今更、仲良しこよしなんて思う訳がない。
バーダックが両掌を上に向け、エネルギー弾を生み出す。
構え、備える。
もう長く闘って、身体も疲れ果てている実感があった。
だが、戦いを止める気は欠片も起きなかった。
ただ、目の前の奴をぶちのめすことだけしか、頭には思い浮かばない。
バーダックがエネルギー弾を投げ付ける。
吠えて、駆け出した。
一年が経った。
ベジータ王は先の第一子に続き、第二子を得ていた。
その子供は第一子であるベジータ程の戦闘力も、潜在能力も持ってはいなかったが、それでも王族に連なるものとして相応しい能力を持ってはいた。
この子もまた、兄であるベジータをよく助け、一族の栄光に貢献するだろうとベジータ王は考え、期待を寄せた。
子の名はターブル。兄であるベジータを将来、よく補助してくれるだろうとの思いを込めて、ベジータ王はそう名付けたのであった。
が、しかし。残念なことにこのベジータ王の期待は叶うこととはならない。
数年後、成長し自我を持ったターブルの人格は、とてもではないがサイヤ人らしかぬ軟弱なものであったからだ。
サイヤ人特有の凶暴性はおろか、闘争心の欠片もない、戦いを厭い嫌う気性。
戦闘力もその性格を現したかのように小さく、とてもではないがそれはベジータ王の期待に応えられるどころか、戦闘民族サイヤ人の王族にあるまじき醜態であった。
ゆえにベジータ王は後年、落胆と失望を抱きながら自らの第二子を半ば追放のような形で、下級戦士の子供と同じように遠い辺境の星へ送り出すこととなる。
そしてその子の存在については忘れ、有望である己の第一子に全ての希望と期待を注ぐこととするのであった。
これは物語の本筋には一切触れぬ、関係のない小事である。
リキューは研究に関し、進退窮まっていた。
この一年、スカウターの研究について、全くと言い切ってしまっていい程に進展がなかったのだ。
勿論、リキューとて何もせずに座して過ごしていた訳ではない。役に立ちそうな資料を掘り出し、独自に理解を深めようと様々なアプローチを試みてはいたのだ。
しかし、その上で全く進展がないのである。
さすがに事ここに至って、リキューは事態が洒落にならないことに気が付いてきた。
別に気にしなくて何とかなるだろうと、そう抱いていた楽観が払拭されてきたのである。
まだまだ大丈夫だろうと思っていたリミットも、すでにかなり喉元まで迫っている。そうと感じさせる怪しい雰囲気らしきものを、リキューはここ最近感じ取っていた。
命の危機、死神の鎌。それがすぐ近くに佇んでいたのである。
机の上に実際の品であるスカウターを置き、隣に紙媒体で記されたスカウターの資料類が無造作にばらまかれている。
加えて携帯端末にプログラム内容を表示させながらも、しかしリキューは黙考して微動だにしていなかった。
最近、ようやく本気で問題の研究に取り組もうとしてはいたが、だからといってすぐに妙案が思い付く訳ではなかった。
当然である。
例え本気ではなかったとはいえ、別に今までの研究に手を抜いてた訳ではないのだ。
リキューは、確かにその思考の大半を戦闘力の上昇に関して偏重されてはいたが、だからといって馬鹿という訳でもない。
むしろ遠回りをせずに着実に己に課した仕事をこなしているため、頭の出来や仕事の能率といった面で言えば、至極真面目で良好な人材であったのだ。
それこそ、単純にテクノロジストとして生きていれば、今後もフリーザ軍の中で堅実にそこそこ成り上がって生きて行けるほどの能力である。
それがこの状況に陥っているのも、一重に領分も弁えず楽観のままに“借し”を作りまくったリキュー自身の自業自得。
わざわざ自分で自分の首を絞めているのである。その上に自覚に欠けているため、繰り返す。
頭がいい馬鹿の典型である。
資料を覗き、隅々まで目を通して見るが、もうすでにこれまで何十回と行った行為である。やはり良いアイディアはない。
次いで、スカウターを実際に身に付けてみる。やはり不具合らしきものの一つも見つからない。非人間型の種族にも対応しているほどなのだから、当然である。
機能面もレスポンス良く、改良面は見つからない。端末に表示されているプログラムコードも見てみるが、そもそも内容がツフル人独特の記述式である。理解するにはリキューの知識が不足している。
お手上げであった。ある意味ここまで先の見通しが立たないことも、珍しいことではないだろうか。
端末の電源を切り、机を立つ。
すでに机に向って数時間は経っていた。気分転換の一つでもしたかったのだ。
部屋を出て広間へ出る。
コキコキと軽く全身を揺らし、凝った身体をほぐしながら体勢を整える。
準備ができると、リキューは手を伸ばし一念。伸ばして広げた掌からエネルギー光球を形成する。
そのまま表情を固めながら、繊細なコントロールを意識し、エネルギー光球を身体から離して動かし始める。
リキューはこの一年で、以前とは比べ物にはならない劇的な速度で戦闘力を成長させていた。
現在の戦闘力は8500、設定重力は25倍である。たった一年で、これほどまでに戦闘力を増大させたのだ。
こうに至った原因。それはこの一年の間に度々繰り返された、バーダックとの模擬戦にあった。
バーダックとの模擬戦は、リキューに足りていなかった戦闘経験を積ませるだけではなく、思春期に入った肉体ゆえに増大していた闘争本能の猛りを、リキュー自身の倫理観を侵さずに解消することが出来たのである。
このことが、リキューに鬱積されていた情動の捌け口となり、精神的にも肉体的にも極めて健やかな作用をもたらしたのだ。
加えて、長きに渡り戦い抜いてきた生粋の戦士であるバーダックの、膨大な戦闘経験から構築された、泥臭さに塗れながらも強力な戦法を相手に戦いを重ねることは、サイヤ人の血に秘められた天性の戦いのセンスを、誘発させるように目覚めさす方向にも働いていた。
未だ未熟であれど、リキューは戦士としての実力や“気”の扱いなどを加速度的に上達させていたのだ。
バーダックとの戦いは、リキューにとって一石二鳥どこらか、三鳥や四鳥にも働いていたのである。
低速で広間を一周させていた光球を、慎重にコントロールしながら身体まで誘導し、手で受け止め、そのまま握り潰す。
その“気”の扱いは拙いにも程があったが、それでも一年前に比べれば恐るべき成長であった。
今では“気”のコントロールの精度はともあれ、操作の両立については、ほぼ確立できるレベルに行き着いていたのである。
このように戦闘面だけに限って言えば、リキューは至極順調ではあったのだ。
無論、だからどうしたとも、現状では言うしかないことではあるのだが。
ちなみに、リキューは戦闘力の向上について最終目標は53万であったが、当面のクリアすべき第一目標としては3万を目指していた。
その理由は、最初期にリキューが参照としたツフル人の遺す、サイヤ人の生態データに記述されていた内容に依る。
ツフル人の遺された生態データには、様々なサイヤ人の生態特性に関しての言及に加えて、算出された戦闘力の種族限界値についても記されていた。
種族限界値とは読んでそのままに、その種族が修練によって向上できる戦闘力の、その予測される限界のことである。
サイヤ人の、それこそ遺伝子アルゴリズムの細分からDNAの一片まで解析したツフル人が算出したその値が、3万であったのだ。
そのことがデータには記されていた。またこの数値が妥当であるかのように、現に過去のサイヤ人を振り返っても戦闘力3万を超えるものはいない。
最も戦闘力の高い、現サイヤ人の王ベジータ王とて、その戦闘力は12000なのだ。数値の正当性は高かった。
だがしかし、これはおかしいとデータを参照したリキューは思った。
なぜならば、原作において当のサイヤ人であるベジータや悟空は数々の強敵を倒し、そしてその中の敵にはフリーザとて含まれている筈だからだ。
フリーザの戦闘力は53万とリキューは認識していた。とてもではないが、たかが3万程度の戦闘力では太刀打ちなどできはしないだろう。
ならばこれはいったい、どういうことなのだろうか?
明らかな矛盾に対面し、しばし頭を悩ませていたリキューであったが、さほどの間も置かずに答えは出された。
簡単なことである。限界が定められているということは、悟空やベジータは限界を超えたということだ。
そう単純に片付けられることではないのだが、大きな納得とともにリキューはそう結論付けた。
そしてならばと、自分も第一目的として3万の値を目指し、戦闘力の向上を図ったのである。
実際リキューの考えはテクノロジストとして規格外にも程があったが、しかし本質的なところで間違ってはいない。
現実に断然たる大きなる壁として、戦闘力3万の値が存在しているのは事実であり、そしてその壁を原作の悟空たちが突破したことは本当なのだ。
限界を超える。
この言葉がZ戦士を、そしてこの世界のその本質、真理を突く言葉なのである。
さらにエネルギー光球を生み出しながら、リキューは訓練を続けた。
数時間後。一通り身体を動かし汗を流したリキュー。だがしかし、いまいち気分転換ははかどらなかった。
それは真面目に現状の不味さをリキューが理解していたことの証ではあったのだが、しかし同時にストレスの原因でもある。
僅かな苛立ちと共に溜息をつき、リキューはコンソールへ向き直る。
盤面を操作し、重力制御を解く。
ほどなく稼働音が停止し、身体に圧しかかっていた負荷が取り除かれる。同時に安全装置も解かれ、部屋のロックが外された。
久しぶりの開放感に身体を馴染ませながら、リキューはそのまま扉の外へ出かけるのであった。
バーダックとの接触の後、深夜過ぎに限定してだが、リキューは時折重力室から外に出歩くようになっていた。
それは数年来の引き篭もり生活から比べてみれば、驚くべき変化であった。
久方ぶりに味わった外の快適さと、バーダックとの接触による鬱蒼の解消など、それに生来の楽観性がこの変化を与えたのだ。
元々リキューが外出を控えていたのは、単純に身体を鍛えるためだけが理由ではなく、サイヤ人との交流による情の発生を避けるためでもあった。
精神的に打たれ弱いくせに割り切りや妥協といったことが出来ない潔癖症染みた性格のために、サイヤ人に対して複雑な思いを抱いているリキューである。
さら加えて誰かに情を持つことなぞは、より精神に負担をかけるだけでしかない。そしてそんな事態、リキューは望んじゃいなかった。
よって単純に引き篭もるという手段で接触を断つをことで、精神の安定を保っていたのだ。
しかしリキューは元来、その性格は楽観的なものである。
つまり、反省性が欠けているのだ。
外出による快適感という、いわば禁断の果実を味わってしまったリキューは自己保身のために行っていた自らの行動も忘れ、以前よりも頻繁に外に出歩くようになってしまったのだ。
すでにサイヤ人との交流を絶つという大前提すらも忘れ、バーダックとも幾度も会っていた。それも会う度に行われる、模擬戦の楽しさゆえにである。
これらの行動を、後々リキュー自身を苦しめるだろうと分かり易過ぎるものであったにもかかわらず、自分から行っていたのだ。
つくづくリキューという人間は、自爆的な行動ばかりに満ちていたのである。
なおこの性格ないし性質を指して、後々リキューはある人間にマゾ体質ではないかと言われるが、その発言をした人間はリキューのサド体質の片鱗を垣間見ることなる。
電灯も落とされ、外側からの月明かりと柔らかな案内灯だけが明かりとして取り入れられている通路をリキューは歩く。
そこはツフル人が作った一種の展覧室の一つであり、外側の壁は全て強化ガラスで覆われ夜景を眺めることが出来るブロックであった。
しかし、そんな情緒に満ちた感性なぞサイヤ人が持ち合わせる訳もなく、当然人の姿は常にない。
時折存在そのものが雰囲気をぶち壊しにしている爬虫類系メカニックの姿を見ることがあるか、そんなものがいた場合は発見と同時に始末である。工廠付近に犬神家一つ追加である。
ともあれ、現在このブロックに人の姿はなく、リキューが余計な心労をこうむる心配はなかった。
仄かな月明かりと、僅かな人工の明かりだけに彩られた夜景を、リキューは眺めながら歩く。
リキューとて、その感性の大部分は他のサイヤ人と相違ないものとなっている。
骨子となっている日本人の部分が景観を楽しむ気質を持っていなかったというのもあったが、なによりも転生してから過ごした年月が、曲がり並にも“サイヤ人としてのリキュー”とでも言うべき情緒の部分を養ってきたのだ。
今こうして景色を眺めているのも惰性にしか過ぎず、一見して心をくすぐる価値がある夜景にも、リキューはさしたる感想も持っていなかった。
そのまま無感動に外の眺めを見続けながらリキューは歩き続け、やがて通路の空間が僅かに開けた場所に出る。
そこには足休めと憩いのためのベンチが置かれてあり、幾つかの観葉植物が飾られてあった。
リキューはベンチに腰掛け、コキコキと首を動かし身体をほぐすと、その場に止まり身体の力を抜く。
仄かな光源だけで、暗闇ばかりに染まった空間の中、ただガラスの向こうの夜景を眺める。
時折夜空に走る一筋の光は、はたして何処から何処へと目指す宇宙船のものか?
リキューの脳裏に浮かぶ思いは、せいぜいその程度であった。
虚無感とも形容することも出来る、空虚に支配された状態。
ただ無感に、リキューは誰も来ず誰もいない場所で、身体全体でひたすら自由という感覚を味わっていた。
生産的な意味も意図も、そこにはなかった。
自分の存在意義について考える訳もなく、将来の不安に疑問を投げかける訳もなく、研究の新しいアイディアを考える訳でもなく。
ただ彫像の如く、リキューは微動だにせずに夜景を瞳に収め続けていた。
幾許の時間が経っていた。
詳しく把握はできていなかったが、それなりの時間が経ったということだけはリキューは分かった。
建設的な思考を取り戻し、身体を動かす。
ベンチから立ち上がり、すっかり暗闇に慣れた瞳で周りを見渡すと、重力室へ向かい歩き出す。
常人のリラックスとは少しばかり一線を隔した様相ではあったが、それがリキューなりの気休みであることに変わりない。
数時間前よりも幾らか軽くなった足取りで、また研究について頭を悩ましながらリキューは帰路へ着く。
今日この時の、あるいは数分の行動のずれが、リキュー自身の運命を決定的に変えたのである。
ふと、リキューは眉を顰めた。
違和感。
なにかしら変化、それもこれまで感じたことのないような、奇妙な感覚を感じ取ったのだ。
とはいえ、暗闇と僅かな明りに照らされた通路に目立った変化はない。
しかしリキューは五感、およびそれらを統合最適化し導き出された直感に、確かな違和を感じ取った。
疑問が頭を埋め尽くしながらも、胡乱な目付きで周りを見渡す。
目につく範囲に、異常はない。
疑問が片付かないまま、怪訝な表情のまま口をへの字に曲げる。直感は何がしかの事態を伝えてはいるのだが、肝心の根本が視認できないのだ。
喉元に突き刺さる魚の骨のような引っかかるものを覚えてはいたが、しかしリキューはそれを気のせいだと片付けざるを得なかった。
そのまま疑念を圧し殺して、リキューは再度歩き出す。
が、最後にと歩みを止めて、通路の後ろへと振り返った。
「!? なにッ!?」
思わず声が漏れた。
その瞳が、驚愕に開け広げられる。
リキューの目の前に、“穴”が広がっていた。
それは、そうと表現するしかないものだった。
暗闇の中にあってなお、さらに暗い色をした“穴”。
黒よりも黒い、漆黒よりもさらに漆黒とでも呼べる、黒い“穴”。
目の前の空間に虫食いのように突如として現れていたそれは、不気味に沈黙して佇んでいたのだ。
(なんだ、これは!?)
即座に飛びずさり、距離を取って警戒しながらリキューは混乱していた。
目の前にある“穴”が、直感に訴えかけていた元凶であったのは明確である。
しかし、そうだとするならば、一体これは何だというのだろうか?
音もなく、光もなく、意思もなければ原因もない。
全く、これが現れるということ自体が、リキューには理解できなかった。
訳もなくただ警戒し、構えながら視線を“穴”に送る。
“穴”は、最初からそれだけ大きかったのか、あるいはいつの間にか成長したのか、通路の上から下まで満たすほどの大きさであった。
異質な怖れが、リキューの身体に走っていた。
“穴”に変化が起きる。
水面のような波紋が、その黒い面に起こった気がした。
そしてリキューが注視する次の瞬間には、人の姿をしたものが飛び出してきたのだ。
「!?」
リキューが驚愕する視線の中、飛びだしてきた人型の主は地に着地すると、そのまま立ち上がり目を開ける。
目を向ければ、“穴”はいつの間にか跡形もなく消え失せていた。
発生から消失まで一切の能動的現象を示さず、それは存在を消していたのだ。
代わりとでも言うのか、リキューの視界に残されたのは“穴”から現れた、一人のヒトだけ。
それはリキューの目から見て、ただの人間に見えた。この世界の宇宙に存在する人間の中でも、極めて標準的なヒューマノイド。
その人間は、暗闇に目が慣れていないのか幾度も瞼をしばたかせ、きょろきょろと視線を彷徨わせている。
服装は見慣れない、ジーンズとジャケットらしき動き易い服装。
その意匠は、この世界では珍しい奇抜なもの。むしろそのセンスは、かつての日本人としての記憶にあるものに近いものを感じ取れた。
「………誰だ、お前は。何者だ?」
リキューの問いかけに、弾かれたようにすぐ目の前のリキューのいる空間へその人間はピントを合わせた。
今ようやく、その問いかけによってリキューの存在の気付いたようであった。
目が慣れてきたのだろう。しっかりとその目の照準を合わせて、人間……まだ年若い、リキューと同世代かその前後程度の少年が、見つめていた。
同じように見返しながら、正体不明の上に怪しいことこの上ない少年に対しリキューは距離を詰める。
「誰だ、と聞いているんだ。おとなしく答えろ! さもなければ、痛い目を見てもらうぞ」
語気を強めて迫るが、しかし少年が応答に応じる様子はない。歯切れなく呟きとも取れない声を洩らしながら、視線を逸らしている。
先程まで身体を占めていた、怖れの反動というのもあった。その様子に怒気を強めながらさらにリキューは距離を詰め寄る。
何者かは知らないが、少なくとサイヤ人でもなければフリーザ軍関係者でもないことは、その服装を見れば明快であった。
捕まえておいて間違いはない。リキューはそう考える。
相も変わらず困惑した様子を示し煮え切らない態度を取っていた少年も、動きだしたリキューに対して焦った様子を見せる。
焦ったまま激しく視線を上下させるが、しかしリキューの手が自身に掛かりかけたことで、吹っ切れたのか叫びを上げた。
『!?~~$%&#*+‘‘~~ッ!!!』
「なにッ!?」
少年が発した言葉に驚き、思わずリキューの動きが止まる。
その隙に、少年は身を翻すと脱兎の如く駆け出した。
しばし呆然としていたリキューだが、ふと我に返って少年の後姿を追う。
その内心は、激しく混乱したままであった。
少年が発した言葉はリキューをはじめ、この世界の宇宙の多くの人々が使っている共通語ではなかった。
それは別段、珍しいことではない。
共通語以外にも、宇宙には種族独自の固有言語という代物も数多く存在する。共通語の方が汎用性が高いために使用されないだけで、その数は膨大なものなのだ。
ちなみに、この共通語。これはこの世界のほぼ宇宙全体の、知的生命体の存在する星々において伝承、使用されている言語である。
その由来にはいくつか説があるが、現在はとある一つの説が有力なものとして支持されている。
ある程度文明が進み、星間交流が活発となった星の考古学においては、とある考え方が一般的なものとして提唱される。
それは、この宇宙は過去に二度か三度、あるいはそれ以上の回数で、超凡宇宙的規模での文明圏が形成されていたというものである。
これはある程度の文明を持った星では決まって一様に提唱される学説であり、そしてこのことが示しているように、この学説は決して的外れのトンデモ説という訳でもない。
何故かといえば、宇宙各所の星々にそれらしい痕跡が数多く散見されるからである。
ある星に住む航宙技術を持たぬ種族が、遠く銀河を離れた星とそこに住まう種族のことを知識として伝承していたり、明らかにオーバーテクノロジーと分かる技術が使われた遺跡が、未発達の文明惑星に存在していたりなど。
共通語の存在も、この学説を裏付ける確固とした証拠の一つであった。
過去存在していた、何かしらの原因で滅亡した見られる超巨大文明圏。その遺物として、この宇宙全体に遍く頒布し伝えられたと見られているのが共通語なのである。
それゆえこの世界の知的生命のほとんどは、さして言葉の壁に悩むことはなく宇宙進出し、そして交流を持つことが出来ているのである。
閑話休題。
リキューが驚いていたのは、少年が共通語ではない言葉を発していたからではない。
少年の発した言葉、その言語が、自分の遠い記憶の中で使われていたものと同じものだったからだ。
少年は、こう次のように叫んでいた。
『だぁ~!! もうどうにでもなれぇ!!』
それは、日本語だった。
少年を追う理由をさらに別のものへと変えて、リキューは駆けた。
少年とリキューにでは、地力に差がありすぎたのだろう。あっさりとリキューは追いついた。
展覧ブロックを抜け出すまでの距離も稼げず、少年の背中にリキューが接近する。
「止まれ!」
『っげ!?』
呼びかけに少年が振り向き、すぐ傍にまで迫っているリキューの姿に呻きを上げる。
だがすぐそばまで追い付かれているにもかかわらず、なおも少年は逃げる姿勢を崩さない。
舌打ちし、仕方ないとばかりに荒っぽい手段を行使しようと手を伸ばす。
が、手が少年を捕らえようとしたした瞬間、少年が叫んだ。
『ブリティッシュ・インヴェイジョン!!』
同時、いきなりリキューの手が弾かれた。
なにもない空中で、少年を捕らえようとした伸ばした手が、まるで“見えない何かに叩かれたように”、だ。
「なんだと!?」
弾かれた己の手を見て、思わず足を止めるリキュー。合わせて少年も逃げるのを止め、距離を取って向かい合う。
少年の表情は、相変わらず焦りと混乱に満ちたまま、一人百面相している。
何をしたのか、されたのか。警戒心も加えながら、リキューの視線が少年を射抜く。
とはいえ、この膠着状態はリキューにとっても幸いである。
心に浮かぶ最も大きな疑惑を解消するために、リキューはさしあたっての疑問には蓋をして、少年に問いかける。
「貴様、なぜ日本語を使える? どこでその言葉を覚えたんだ? 答えろ!」
語気荒く問い詰めるリキューだが、やはりと言うべきか少年な答えない。
変わらず表情をシロクロさせ、言葉とも呟きとも言えないあやふやな音を口から漏らしている。
じれったい上に、はっきりしない。
そんな少年の煮え切らない態度に、リキューは不快な感情を高まる。
「はっきりしろ! 答えるのか答えないのか!?」
幾度目かの勧告。が、変わらず。
はっきりとした舌打ちをし、不愉快極まる表情でリキューは行動を決断する。
元より、そうそう悠長な性格でもない。
先程の手を弾いた不可解な技のこともあり、実際に行動に移りながらもリキューは慎重に動いた。
掌を掲げ軽くパワーを集中し、エネルギー弾を生成する。さして威力は存在しない、見かけ倒しのものだ。
そして驚きに少年が目をまばたかせる中、見せつける様にスローな動きでそれを少年へ放った。
投げつける動作の動きとは裏腹に速い速度で、エネルギー弾が少年に迫る。
『く!? ブリティッシュ・インヴェイジョン!!』
リキューははっきりと見た。
放ったエネルギー弾は少年に接触する瞬間、またしても先程の自身の手と同じように、その手前でまるで“弾き落とされた”ように向きを変えられたのを。
少年が叫んだのをキーに、何かしらの変化が生じたのは明白であった。
目を細め、表情に僅かな好戦的な彩りが現れる。
能力か、技か。どちらにしろ、目の前の少年が下手人であることに違いはないようであった。
リキューはちょっとした期待を沸かせていた。
少しばかり話を聞こうと思っていた事柄が、思った以上にお楽しみな事態になったようで、心が浮き立っていたのだ。
「仕方がない。力尽くで取り押さえてから、話を聞かせてもらおうか」
どんな種の代物にせよ、リキューはそれによって自分が倒されるとは毛筋ほどにも思ってはいなかった。
ただ勝利を前提とした戦いが舞い降りたと、喜びながら構えを取り、少年と相対する。
『ああもう、何でいきなりこんなことになるんだ!? チクショー!!』
うだうだと後ろ向きな思考をそのまま言葉に漏らしながらも、少年もその姿勢を改める。
意思はともあれ、その身体は戦うことを決意しているようであった。
この時が、今後のリキューの運命の趨勢を定めた、決定的な時。
異世界間組織トリッパーメンバーズ構成員の一人である、時間と空間を操る『ブリティッシュ・インヴェイジョン』のスタンド使い、勝田時雄と接触した瞬間であった。
―――あとがき。
遅れたー。
その上内容が薄くなったー。
スランプ? 筆が進まねー。
やっぱり時期を見て総改訂する必要が大だわねー?
以上愚痴終わり。
感想ありがとうございました!! 見捨てないでくれたら私はとてもうれしい作者です。
今日は短め。理由は上記。すみません。
目標の十話いったから、次の投稿あたりで板変更しようかな?
感想と批評待ってマース。