風巻流也を媒介にした強大な力を有した妖魔が、神凪の一族が宴会を開く広間を襲った。いや、それだけではない。
流也には劣る物も、百鬼夜行と見間違わんばかりの数の妖魔と、反旗を翻した風牙衆もそこにはいた。
優希は唇をかみ締める。「考えが足りなかった」と言うしかなかった。
広間の天井は半壊し、その役目を果たしていない。それどころか、神凪邸そのものが既に半壊状態だった。
自分という存在が介入すれば、本来の話の流れとは違いが出る。よくよく考えてみれば、それは当たり前の事だ。
それなのに、分かっていたつもりでも、優希はここが「風の聖痕」の世界だと言うことを、本当の意味で理解できていなかった。心の何処かで、今いる此処と物語の世界を区別していた。つまりはそういうことだったのだろう。
「敵襲だっ! 敵襲だぁっ!」
大きな声で、男が叫んでいる。
ちなみに、先程響いた女性の悲鳴は、もう聞こえなくなっていた。何故なら彼女は、既に風の刃によって切り刻まれ、哀れな肉塊とかしていたからだ。弱者として神凪一族によって虐げられていた風牙衆は、積年の恨みを晴らすかのように、その力をここに示していた。そして、神凪の名を持つ人々は、妖魔相手ならいざ知らず、人を殺すには「たかが風牙衆」の放つ風の刃で十分だという事を、身を持って知る羽目になった。
最初の悲鳴から数秒後。襲撃者の攻撃によって、既に神凪陣営の死傷者は数十人に上っていた。
「落ちつけぃっ! 息があるものは私の元へ!」
重悟が巨大な紫炎を妖魔の軍勢に向かって放ちながらも、声を張り上げた。
「ちっ」
突然のことに上手く反応できないでいる優希の隣で、和麻は焦りと苛立ちを混ぜたような表情をしながら立ち上がる。それと同時に、和麻に向かって膨大な量の風の精霊が集まっていった。
そして、空中で何かが弾けるような音が断続的に響く。和麻が放つ風の刃が、妖魔の放つ風の刃を相殺しているのだ。
「おい宗主! 俺一人じゃあの妖魔には勝てねぇぞ! どうする!」
そう叫びながらも、和麻は風の刃を相殺し続けていた。
「……お前はこのまま敵の攻撃を防いでくれ。私は宗主として一族を守らねばならん。先ずは皆をここに集め、結界を発動する」
「防御に専念しても、もたねぇぞ。時間はっ!?」
「十分……いや、五分で構わない。間に合わなかった者は切り捨てる」
「了解だ。いくぜっ!」
和麻が空へと上っていく。直接対峙するつもりなのだろう。それを見届ける前に、重悟は信頼の念を置く、自分の部下へと指示を出した。
「周防、炎陣結界を発動する! 主要な術者を集めろ! その上で余裕があれば、ここにいない者を含め生存者を私の元へ!」
「畏まりました」
一瞬でどこからか現れた周防は、重悟の命令を受けて、また掻き消えるように姿を消した。それを見た重悟は一つ頷くと次に、和麻とは別に押し寄せる妖魔の軍勢を相手にしていた己が娘。神凪綾乃を呼んだ。
「綾乃!」
「はいっ、お父様! 」
それは太陽のような輝く霊威を放つ、長い黒髪の少女だった。綾乃は重悟の声に小気味良い返事をした。
「私は今から結界を構築する。お前は、和麻と共に敵を迎撃してくれ。……出来るな?」
重悟の言葉の最後には宗主としてではなく、死地へと赴く娘を思う、父としての気持ちが込められていた。その思いを正しく受け取った綾乃は嬉しそうに笑い、力強く宣言する。
「任せて、お父様! あの和麻さんだって戦ってくれてるんだもん。私だって……。あんな奴消滅させてやるんだから!」
そして強力な炎術師であり、次代の神凪を担う炎の姫巫女、神凪綾乃は走り出した。
正直に言えば状況は最悪だ。あれだけの妖魔は、綾乃と和麻が協力しても倒せないかもしれない。ましてや、綾乃は和麻の実力を話でしか知らない。不安は募るばかりだ。
それでも、綾乃の戦う意思は折れなかった。なぜなら自分は炎雷覇の継承者であり、次代の神凪家宗主なのだから。
その姿を見届けた重悟は、己の周りに集まった者たちを見回した。元から広間にいた者も、この場にいなかった者も。術者も唯の使用人も、大勢の物がいた。
それを見る重悟の姿は、威厳ある宗主としてのものに変わっていた。
強力なあの二人が迎撃に向かったとはいえ、悠長にしている時間は無い。だからこそ、急がなくてはならなかった。重悟は何とか無事だった術者達の顔を見渡して、に声を上げた。
「今から炎陣結界を発動させる。それぞれ陣を組め! 誇りある神凪の術者たちよ! 一族の命運、この一戦にあると知れ!」
「「はっ!!!」」
術者達は重悟の言葉に力強く答えると、それぞれの呼べる限りの炎の精霊を召喚した。宗家も分家も関係なく、唯ひたすらに。その中には煉の姿もあった。
そうして呼ばれた精霊の量は、火山の火口に集まる精霊の量を遥かに超えていた。それは仮に精霊が具象化し物質的な炎と化したならば、この場から半径500メートル内にいる者が、一瞬で蒸発してしまう程の量だ。
この集まった精霊を攻撃に使い、和麻たちに加勢すると言う手段もあったが、守る立場である重悟としてはその方法は取れなかった。術者だけなら討ち死に覚悟の総力戦をすることも出来たが、非戦闘員である女、子供が一緒である以上、そうはいかない。一族を守る為には、次代に繋がる女、子供を見捨てるわけには行かないのだ。
だから、重悟は当初の予定通り結界を発動する為に、精神を深く集中させていく。これほどの炎の精霊は幾ら宗主である重悟であっても制御しきれない。それを制御下に置く為に、熟練の術者たちは重悟が結界を構築する為の下地を作っていく。そして、その下地を元に重悟が結界を構築していく。重悟の口から、真言が響き始めた。
「ナウマクサラバタタ、ギャテイビャク」
深く精神を集中させた状態で、重悟は呪文を唱えていく。呪文自体に霊的な意味はさして無い。重悟にとっての呪文とは、自己暗示のキーワードだ。
手の空いている者は、和麻と綾乃の隙を縫って襲ってくる者を迎撃していた。
「サラバボッケイビャク、サラバタタラタセンダマカロシャダケン」
通常、複雑な術は呪文と起動手順を、セットで覚えることによって反射行動化する。何千回、何万回と繰り返すことによって、呪文を唱えることと起動手順をこなすことをイコールで結ぶのだ。
「ギャキギャキ、サラバビキンナンウン」
重悟を中心として、溶岩のような緋色の線が地面に魔方陣を描いていく。そして魔方陣が完全に描かれると、床一面が緋色で塗り替えられた。
「タラタ! カン!」
重悟はこの数分の間に随分と疲労していた。自分の呼べる精霊の範囲内の力ならいざ知らず、今行っているのは一族総出で行う大規模術式だ。無理も無い。
「マン!」
そして、重悟の一声と共にその陽炎はやがて密度を増し、硝子で出来たようなドームを作り上げた。それこそが美しくも強大な、触れる物全てを消滅させる結界。神凪宗家が秘術。炎陣結界だ。
愚かにも、その結果胃へと突き進んだ妖魔が、その身を溶けるかのように消失させた。
「……綺麗」
今まで恐怖に怯えていた、和服を着たおかっぱ頭の少女がそう呟いた。実際、その光景は少女の心からそれ以外を締め出すほどに美しかったのだ。
「たとえ流也の身体に宿った妖魔であろうとも、これは破れまい。風牙衆なぞ論外だろう」
今まで術を組み上げるのに協力していた術者の一人が、脱力しながらも、顔を綻ばしてそう言った。
その様子をみてようやく肩の力を抜き、その場にへたり込んだ煉はあることに気が付いた。
「……あれ? 優希さんは?」
先程まで傍にいた筈の優希の姿は、どこにも見えなくなっていた。