「ううっ、なんで僕がこんな目に遭わなきゃ……」
青年に恐ろしい一言を放たれ、不覚にも女性らしい悲鳴をあげてしまった優希は、ホテルのベッドに縋るような体勢で泣きべそをかいていた。唯一優希の味方になってくれそうな少年が、「自宅に連絡する」と言って席を離れてから五分余りが経過しているが、その間ずっとこの状態である。
ちなみにその原因になった青年は、その五分間ずっとニヤニヤとしながら楽しそうに優希を見ていたが、いい加減飽きてきたのか、表情を元に戻すと優希に話しかけた。
「おいおい、酷い嫌われようだな」
「この状態で貴方に好感をもってたら、その方がおかしいですから」
「あー、そりゃあそうだ」
もっともな話である。しかし青年は、優希から吹き出ている拒絶の空気を白々しく無視して、話を続ける。
「まぁ、許せって。お前だって、命の危険がある状態で不審人物が近づいてきたら、殺るだろう? 」
「一緒にしないで下さい。しませんよ。……多分」
青年はそれが、まるで一般常識のように言う。優希はそれを完全否定したかったが、出来なかった。この辺りは優希も大概、異常なのかもしれない。
「多分、ねぇ。お前って結構、俺に近いのかもな。気のせいかもしれんが」
「ええ、全くの気のせいだと思います」
「即答かよ。ここはフラグの立つ所だろう? ……まあいいが、真面目な話をするぞ」
優希が「フラグ」発言の件で非常に剣呑な顔に変わったのを見て、青年は話を真面目な物に変えた。その表情は既に真剣な物になっている。
「現状、お前は不審人物だ。しかも実力も見たところ、精々が一流止まりだ。俺の敵じゃねぇ」
「取り合えず普通は、一流の評価は悪い物じゃないと思いますけど。……というか、そう判断してるなら、さっさと僕を解放してくださいよ」
「まぁ待て。だがしかし、お前が敵じゃないという保障もどこにもない訳だ。……という事で、この一件にはしばらくお前も行動を共にして貰う。その結果、お前が完全に白だと証明されれば、その時は神凪っていう家がしっかり報酬を払ってくれるから安心しろ」
「という事で」の件から、青年の言葉には真剣みが薄れ、所々に面倒臭そうな態度が出ていたのだが、優希はその点を頭から追い払い、その内容を真剣に判断した。
(逆らっても無駄みたいだし、こいつの話す条件を飲むしかないかな)
そして、そう思ったところで、見過ごしてはならない一言が会話の中にあった気がして、優希は思わず、青年に向かって問いかけた。
「あのー、何だか最後の一言に、凄い見過ごしちゃ行けない言葉がまぎれている気がしたんですけど? 」
「……『即答かよ。ここはフラグの立つ所だろう? 』」
「ちげぇよ! そこじゃねぇっ! その後っ、ずっと後ですから!」
「あー。『その結果、お前が完全に白だと証明されれば、その時は神凪っていう家がしっかり報酬を払ってくれるから安心しろ』? 」
「そうっ、そこ! ……ていうか神凪!? 神凪ってあの神凪!? 」
「まぁ、多分お前の考え通りの『神凪』だと思うぞ。有名だしな」
思わず叫んでしまった優希だったが、青年のその言葉は、優希にとって最悪ともいえる答えだった。優希の表情が絶望に滲む。
青年の答えが真実だというなら、それはこの世界が優希のいた世界とは別物だと言う事になる。それも、信じたくは無いが「風の聖痕」というライトノベルの中の世界だという事になるのだ。そう断じる理由は幾つかある。
まず、現在の状況の流れと「風の聖痕」の話の流れが一致する事だ。優希が存在する為、細部まで完全では無いが。
ランドマークタワーが切断された後に崩壊するというのが、その一巻の内容だったのだ。好きな作品だったという事もあるが「思いきった事をするなぁ」という感想を持った為、この辺りはよく覚えている。
それに目の前にいる、強力かつ純粋な風の精霊を引き連れる青年と、その弟の、これまた強力かつ純粋な炎の精霊を引き連れる少年。これは「風の聖痕」のメインキャラクターの設定と同一であるのだが、その存在はありえないのである。
世界は精霊で出来ている。これはある意味真実であり、少し調べてみれば、そこいらの書店で買える黒魔術の本にも載っていることだ。そういう意味で見れば、目の前にいる彼らが現実に存在しても、一応おかしくはない。
だが、ここで一つ問題がある。それは直接、精霊と交感出来る人間など存在しないという事だ。少なくとも優希の知る世界では、そんな人間の存在は認められていなかった。精霊とは最小の粒子。カットされた宝石である。だが、人間は魔術という手段をもって、宝石の原石を見つけることは出来ても、それをカットする術は得られなかった。つまりはそういうことであった。
(美少年が兄様発言で、兄様は外道で、主人公勢は全員チートキャラのあの『風の聖痕』の神凪? そんなの)
「……えない」
「ん? どうした?」
青年が尋ねるが、どうしたもこうしたもないのである。優希は搾り出すように声を出した。
「ありえない」
「……何だか知らんが、現実は受け止めるべきだと思うぞ」
青年はやる気の無い表情でそう言う。しかし今の優希には、その表情に対して苛つく余裕も無い。
「一人にして下さい」
「だめだな。立場を考えろ」
「じゃあ完全に気配を消してください」
「我侭だな。……しょうがないか。だが、煉が戻ってきたら出発するんだ。もう時間は無いぞ」
「それでいいです」
ふう、と溜息を吐いて青年の姿は掻き消えた。その身から発する気配ごとである。それを確認した上で、優希は自らの霊的な感覚をオフにした。
ここは虚構の世界の中なのか、それとも「風の聖痕」の話に良く似た、いわゆる並行世界という物なのか。考える事も、叫びだした事も山ほどある。だけど時間は優希の為にその歩みを止めてはくれない。
優希は自身が縋るベッドのシーツを、ぎゅっと強く掴んだ。
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にゃー。バイト疲れた。でも今日もバイト。
あーもう、もっと良いお仕事はないものか。