「ご相談があるのですが」
12月も半ばの雨の日。そう言って、優希は重吾に話を切り出した。
「ふむ、お主が相談とは珍しい。何かあったのかね?」
「いえ、大したことではないと思います。ただちょっと、……仕事を斡旋して欲しくて」
自分で望みながらも若干嫌そうな優希の言葉に、重吾はあごに手を当てて考える。
目の前の娘は、綾乃と同年代に見える外見を持つ才能ある魔術師だ。魔術師ならば実年齢と外見年齢に差があることは珍しくないが、「宿神」を名乗る彼女は外見年齢そのままの少女であるように感じる。
……宿神、優希か。
重吾は心の中でそう呟く。重吾には、その名に心残りがあった。
常に首都から離れた里に隠れ住むという、「こちら」の世界では伝説というか、迷信のような一族。「優れた子孫を産む」という特性を持ち、その特性ゆえにモルモットとして、または次代の苗床として狙われ、遂には根絶したという一族。その一族の名こそが宿神だった。彼らは自身の「神」を信望し、その加護と特性によって育まれた実力を持って、外敵を排除しながらひっそりと生きてきたという。
そんな迷信のような一族の実在を重吾が知ったのは、重吾が当主となり数年が経ったあとの話。重吾の父であり先代当主、頼道の業績を調べなおしている時期のことだった。
頼道は炎術師としての才能がない代わりに、謀略の才を持った人物だった。そんな彼が行ってきたアレコレの中には、重吾の治める神凪に禍根を残していることもあるかもしれない。という訳で資料を眺めていた重吾だったが、そんな中に頼道が調べた宿神一族の情報が載っていたのだ。
――其処に書いてあったのは、ある意味当然とも言える悲惨な歴史だったのだが。
簡潔に言えば、宿神一族は滅んだ。数十年前の話だ。彼らは魔術組織「アルマゲスト」によって「捕獲」され、その身と歴史を悲惨な影の中に落としたらしい。彼らがその後、どうなったのかは知らない。
だが、そんな一族の姓を名乗る彼女が、堂々と(和麻や綾乃によって無理やり連れてこられた感はあったが)この神凪を訪れ、その実力を発揮した事件の数々は重吾にとっても記憶に新しく、また何の因果か仮住まいとはいえこの家で寝食を共にするようになってから、もう一月は過ぎていた。
そしてその間に重吾は、彼女のことを「おかしな娘だ」と思いながらも、少しづつ理解してきたのである。
だからこそ重吾は、妙だと思った。
「お主が自分からそう言って来るとは、思ってもおらんかったよ。面倒ごとも、神凪と関わるのも、お主は快く思っていなかっただろうに」
「まあ、確かにそうなんですけどね」
目の前の優希は、頭をぽりぽりとかきながら、「ばれてたんだ」と呟いた。それに重吾は「隠す気も無かった癖に」と笑う。
「まあ良い。お主の実力は信頼に足る物だし、代打として出した所で神凪の名に恥を塗ることはなかろう。どんな仕事が望みだ? やはり安全な、浄化の仕事にでもしておくか?」
「いえ。それはそれで魅力的なんですが、寧ろ思いっきり危なくて、それなりに敵の数が多い仕事がいいです。あっ、殺しは極力したくないので、妖魔相手のお仕事でお願いします」
「ふむ。まぁ、いいだろう。最近は部屋に閉じこもって色々やっていたようだし、魔術の試運転でもするのかな?」
「そんなところですよ」
思考を巡らす。重吾からすれば、先ほどからの優希は予想外を連発しており、やはり変だと思う。
だが、彼女はまだあらゆる意味で「成長期」のようだ。考えが変わることも多いだろうし、本人が望んでいるのだ。叶えてやってもいいだろう。彼女には恩もある。
「分かった。実は風牙衆の事件前から依頼されていた仕事がある。『百鬼夜行の討伐』。忙しいのと人手不足もあって保留していたのだが、依頼主が他の家に任せても、死人が出るだけで解決しない、相当に強力な相手のようだ。家が復旧し始めてきた今こそ、綾乃にでも任せてみようかと思ったのだが。――受けてみるかね?」
「……お願いします」
一瞬の照準のあと、優希は頭を下げた。重吾は鷹揚に頷く。
「ならば任せた。……お主が無事に帰ることを、信じておるぞ」
その言葉に、目をぱちくりさせて優希が驚いた。重吾も自分の言葉に、少しの疑問を覚える。だが、そんなことは置いておこう。重吾が秘書である周防に声をかける、と何処からとも無く現れた周防が資料を持ってきた。その中から件の依頼に関する物を優希に渡そうとした所で。
「ふふふ、帰る、ですか。分かりました。ちゃんと帰ってきますね」
優希は悪戯な笑顔でそう続けて、立ち上がると重吾に背を向けた。囲われるつもりはありませんけど、今回だけは。そんな呟く声が聞こえる。
「じゃあ、失礼します。詳細はあとで資料に纏めて、部屋に置いといて下さいね。あっ、できれば自分の身を守れる程度の、接近戦が得意な人をお供に付けてくれると嬉しいな。あと報酬が気に入らなかったら呪うから。覚悟しといて。それじゃあ」
勝手なことを言い連ねて、優希は部屋を後にする。重吾はその姿に苦笑を漏らした。
「話し言葉に少し、地が出ておるぞ。ばか者が」
静かな和室の中。苦笑しながらも、重吾は穏やかに笑っていた。
――それから三日後。優希は煉と共に百鬼夜行を退治する為、長野県にあるとある町を訪れていた。
「ここが依頼主がいるっていう町かぁ。……長かったなぁ」
「新幹線と電車、バスを乗り継いでの旅ですからね。少しお尻が痛いです」
そう言って煉は、自身の尻を撫でるようにさする。それを見た優希も、んー、と伸びをした。ここまで来るには長かった。そして駅弁は美味しかった。
精神的には疲れたのだが、肉体的な疲労は優希の魔術のおかげもあり、実際はほぼ零だ。優希と煉は戯れを止めて、依頼主が待つ神社へと向かった。
そして、以前の物よりも少し大きなアタッシュケースを引きずる優希を、哀れに思った煉が代わりに持つ様になって数十分後。
「ようこそお越しくださいました、神凪のお方。私がここの責任者ですじゃ。神凪のお方、件の妖魔。我々の力ではもはや、抑えること構いませぬ。どうか、どうかあの鬼女を退治してくだされ」
山奥の神社にたどり着いた二人は、神職の衣に身を包んだ多くの術者に出迎えられ、その奥へと案内された。そこにいたのは、この神社の「現在の」最高責任者でもある、葉霧と名乗る静かな目を持つ老人だ。
この神社は特殊な使命を持つ為、明階(どこの神社でも宮司がやれるレベル)以上の階位で尚且つ優秀な術者でなければ働けないらしいのだが、この人物はその中でも神職の最高位である浄階であるという。はっきり言って、中々の大物である。
かなりの高齢に見えたが、よくよく観察してみると「抑えている」印象を受けるにも関わらず、煉と同程度の呪力が感じ取れた。つまり、一般的な術師と比べても相当に高い呪力の持ち主だということだ。優希はそんな人物から受ける依頼の難度を思い計って、内心で溜め息を吐いた。自分で決めたこととはいえ、死地に自分から飛び込もうとしているのだ。覚悟はとうに決めたとはいえ、仕方が無いことだろう。
そして、「百鬼夜行の討伐」という依頼の詳細を葉霧に聞いた所で、優希は溜め息をはいた。
「――鬼女、紅葉。平安時代に第六天魔王の加護を受けて生まれ、八幡の神より授かった神剣を持った平維茂によって退治された『筈』の妖魔ですか。……そんなものの封印が、どうして解けちゃったのかなぁ」
疲れたように言う優希に「本性漏れてます」と煉が腕を引っ張って諌める。ごめんごめん、と小さな声で言い、優希は真面目な顔で話を聞く。口調を改め背筋を正す。まずい、最近は地が出てしまっている。
依頼の詳細を聞いた二人の感想とは「予想以上に大変そうだ」という物だった。紅葉狩という、能の一曲にもなっている伝説。それに出てくる鬼女「紅葉」。この神社ではその存在が封印されていた。しかし、二ヶ月前に封印は解かれ、紅葉は開放されてしまったという。その存在の討伐こそが、百鬼夜行退治の詳細だったのである。
「確かに、滅してしまえば良かったのかも知れんのう。だが紅葉の力は凄まじく、術者としての修練よりも剣士としての修練を積んだ平維茂では、心の臓に神剣を突き刺し続けることによって封印を成すことしか、出来なかったのじゃ」
「実際は、神道の『正邪関わらず神として祀り加護を得る』っていう一つの特性から考えても、鬼女紅葉を『町を守る為の術式に組み込んだ』って所かな。それだけの力を持った鬼が都合よく封印できたんだもの。僕だったらそうするね」
「優希さんっ」
「ああ、そんなに堅苦しくせんでもよいよ」
それに、その通りじゃからのう。葉霧はそう言って申し訳無さそうに微笑んだ。神木に神剣で縫い付けられた紅葉。当時の術者はその状態の彼女を触媒に、この町を守る術式をくみ上げた。
そしてそれにより、町を他の妖魔から守り、発展させていったのだろう。
「ほらね?」
「……あとでお説教です」
悪びれない優希の態度に煉は怒りを示すが、ぷんぷん、と形容できるような可愛らしいそれでは、優希の反省を促すことは難しい。優希は内心で「相手が怒ってないのだから、いいじゃないか」等と思っていた。
そんな二人を穏やかな目で見た後に、葉霧は疲れたような声で話を続けた。
「わしは術の触媒となり、封印の中で長い時間を過ごした紅葉に若干の哀れみも覚えた。じゃが、我々にも使命がある。この町を守るという使命が。そして術が続く以上、この町の平和は保障された筈だったのじゃ。じゃからこの神社の者は皆、術の維持と町の安寧に身を捧げてきた。……じゃが、それも二ヶ月ほど前の話じゃ」
「何があったんですか?」
悔しそうに目を細めた葉霧に、煉が聞く。葉霧は話を続けた。
「突如として現れた魔術師により、神剣が奪われてしまったのじゃ。当然、我々は封印を維持する為に全力を尽くしたが、要の神剣無ければ術の維持は不可能じゃった。徐々に綻びは広がり、町の結界は弱まって妖魔が集まった。――そして遂に、紅葉は復活したんじゃ」
「なるほどね、分かったよ。ようするに、どっかの欲深な馬鹿の所為で大迷惑ってことだね。……資料に書いてあった、死人が出たって言うのは?」
優希はそう言うと、眉をひそめて葉霧を見た。葉霧は一つ頷くと、お茶を一杯すすって言う。
「この神社にはわしを含め12名の術者がいたが、紅葉が開放された際に三人喰われた。残りは紅葉退治の為に雇ったフリーの退魔師が六人、神社本社から来てくれた増援が二人、百鬼夜行を操る紅葉に襲われて死んだようじゃ」
ふーん、分かった。葉霧の口から犠牲者の数を聞いて、優希は呟いた。
「その魔術師のことも気になるけど、とりあえず。――煉くん、鬼退治といきますか?」
「――ええ、いきましょう。優希さん。これ以上、被害は出させません」
二人はそう言って立ち上がる。意気込む二人に、葉霧は深々と頭を下げた。
「――宜しくお願いいたします。我らの思い、お二人に任せましょう」
「「我らからも頼みましょう。宜しくお願いします」」
葉霧に追従するように、隠れて話を聞いていた神社の者達が現れ、また頭を深く下げる。優希と煉は、顔を見合わせた。
負けるわけには、いかない。