全てが終わった後、和麻は悠然とした態度で僕たちの前に姿を現した。奴は腹正しいほど爽やかに、ゆっくりと此方に足を進めてくる。
正直ふざけるな、と思う。
だって、偶然というには余りにも、タイミングが良すぎる。まるで、狙ったかのようじゃないか。
いくら和麻が最高の風術師だと言っても、小説での描写から推測するに、風による移動の速度が新幹線を越える程だとは思えない。にも拘らず、この結界が解けた直後に和麻が間に合うというのは、少しおかしい。
つまり、この男は結界が張られる前から、もしくは張られた直後から空で事態を観察していたという事である。全く、度し難いと思う。
優希はそんな複雑な感情、大雑把に言うのなら「怒り」が篭った視線を和麻に向けた。だが、向けられた方はといえば、まるで視線に気がついていないかのように振舞っている。そうして、ついに和麻は優希の目の前にたった。
「よぉ」
その様子を見て優希は、この男にそんなことを言った所で、全くの無駄だということを、改めて気づかされた。
はぁ、と思わず溜息が出る。だが、優希は疲れた心に鞭打つと、背筋を伸ばして和麻へとしっかり向き直った。対等な存在でいようとしても無駄なのは理解したが、良いように扱われるのも癪なのである。
すると、和麻は一瞬何かを考えたかのような素振りを見せ、唐突にこう言い放った。
「つー訳で、犯人の居場所が分かった。今からぶちのめしてくるわ」
何言っているんだ、こいつ。
優希の視線があほの子を見るようなものへと変わる。そして、色々なものを諦めて、再び溜息をついた。
先程も結論付けたとおり、この男を相手に張り合おうとした所で、その報酬は全く労力に見合わないのである。つまり、時間の無駄。体力の無駄だ。
だったら、適当に話を合わせてしまおう。どうせこの男は、人がどのレベルで癇癪を起こすか分かっていてやっているんだろうし。わざわざ和麻のからかいに反応してやる筋合いはない。
そうして見ると、優希は和麻の視線がふと、自分ではなくここから少し離れた場所で、友人達と話をしている綾乃の法を向いている事に気がついた。優希と和麻の今いる場所からでは、その詳しい内容こそ聞こえない。だが。
だが、遠目からでも、彼女らの友情がこれからも続いていくだろうということは、場の雰囲気で把握できた。
いいなぁ。
優希は横目にその光景を見て、内心でそう呟く。女性化していく奇怪さなどで孤立し、中学卒業後は宿神家で軟禁状態にあった優希に友達などいない。だからこそ、遠めで見る彼女らの青春劇は、優希にとって羨ましい限りだった。
こういう光景を見てしまうと、心のどこからか優希にとっては未知である、高校生活への憧れという物が出てしまう。
そんな風に考えていると、表情でも歪んでいたのだろうか。既にこちらに向き直っていた和麻が、自分を観察していることに気づいた。 あっ、駄目だ。
気づいてしまってはもう駄目だった。今の自分はきっと、物欲しそうな表情をしていたに違いない。
優希はこほん、と喉を鳴らすと、再び和麻に向き合った。
「……それで、その場所はどこなんですか。糞チートさん?」
「まあいいが、お前も結構口が悪いな。俺としては、別に構わんが。……あー、そんな目で睨むな。場所は、池袋にある教会だ。ちなみに操は無事だぞ。――ああ、それと、伝えなきゃならないことがあってな」
そういうと、和麻はにやりと笑った。それを見て、優希の中の巫女としての素質が警鐘を鳴らす。
あれっ、何やらおかしいぞ。逃げろ、と。本能がそう伝えてくれた。
――つまり、これはまずい事態なのである。即ち、一刻も早くこの場から離れなくてはならない。
「そうですか。それは良かったです。それに、やっぱり場所は教会でしたか。分かりました。では、僕もちょっと修行中で本調子ではないので、帰らせて貰いますね、いやー、トラブル続きだと疲れますね。あー、報酬は気にしないでいいですよ、前に言ったとおりただの善意ですから。そういえば明日の天気はどうでしょうか。僕としては麗らかな晴れた日だといいなー、なんて。……ここ最近ニュースの確認してなくってー。……というわけで、ここら辺で失礼しまっす!」
「まあ、ちょっと待てや」
自身の感覚を信じて、取りあえず、適当に言葉をまくし立てて逃げようとした優希は、服の襟をがしっ、と捕まれて捕縛された。
「はっ、放してください!?」
「まだ話すことがあるんだ。逃げるなよ」
止めてくれ、と優希は思った。先ほどから感じる嫌な予感が、足早に自分に迫ってきているのを感じるのだ。
何がいけなかったのだろうか、と、とうとう逃亡を諦めた優希は、襟首を和麻に摘まれ脱力した状態で考える。それというのも優希にはもはや、ひとつの確信があったからだ。
つまり、恐らく和麻は自分を決戦の場所に連れて行こうとしているのだという、そんな確信が。それは自身の霊的な感覚と、これまでの経験から導き出された物だった。
でも、それは何故なのだろうか。
和麻が警護を行っている今、アルマゲストの魔術師が操に接触するのは無いだろうとは思っていたし、事実、操は無事だった。そして奴の拠点も見つかって、和麻はこれからそこに乗り込むつもりである。
だったら、優希が巻き込まれる必要性なんて、ないではないか。
綾乃クラスならともかく、自分の力量じゃあのレベルの魔術師には敵わない。付け焼刃の修行で上がった程度のレベルでは、俺tueeeeeをするには不十分なのだ。そしてそれならば、足手まといの優希が戦場に赴く必要などありはしない。そう、足手まといなのだから、寧ろつれてかない方がいい。
そんな事実、和麻程の人間ならば、ちゃんと理解している筈だ。それなのに、何故?
そんな風に考え込む優希を見下ろして、和麻は笑った。
「おっ、もう俺の言いたいことは分かっているようだな。理解が早くて何よりだ」
「……そういうおべっかはいいですから、早く僕を連れてく理由を教えてください」
褒められたが、何も嬉しくない。寧ろ憂鬱ですらある。
そんな感情が思いっきり現れていたのだろう。心底嫌そうな優希の態度を見て、流石の和麻も苦笑した優希の頭を撫でた。
「まあ、俺が言うのもなんだが、少し元気出せ。……お前に話っていうのはな、宗主からの依頼なんだ。『お前に依頼内容を伝え、納得させてほしい』っていうな」
「あの糞ダンディっ!!」
瞬間、優希の身体から強烈な怒気が発される。
そうか、この流れはお前の仕業か。明日から悪戯で済む程度の呪いを延々掛け続けてやるからな、覚悟しろ。
優希は口の中で小さく、そんな恨み言を呟きながら、重悟の姿を思い描いた。想像の中でデフォルメされた重悟は、こちらを見て好々爺といった表情を浮かべ、笑っている。ああ、なんて腹立たしいのだろう。
気に入られたのか、それなりに使えると判断されたので、使い潰そうとしているのか、優希にもそれは分からない。
だが、その思惑は兎も角として、和麻経由で逃がさないように、断れないようにして依頼をしてくるとは、流石非常識集団である神凪の宗主。とんでもない奴である。
優希は唇を少し噛んだ。
「分かりました、受けますよ。その依頼」
「おっ、本当にいいんだな?」
「もういいです、いいんです。そっちがその気なら、こっちだって考えがありますから」
絶対、搾り取ってやる。
優希は心の中に生じた、めらめらと燃える何かを握り締めるかのように拳を閉じて、そう誓った。
すると、優希がある意味で決心をつけたと見たのだろう。和麻は少し真剣な表情を作った。
「じゃあ、依頼内容を伝えるぞ。――風牙衆の娘が魔術師に捕まった。そのうえ、その娘を助けようと神凪宗家の男が単独行動。結果、あっさり捕らえられたらしい。お前の任務は、綾乃と協力してそいつらの救出をすることだな。……ちなみに今回の事件には、警察の特殊資料整理室が熱烈に援助を申し出てきたらしいから、ある程度の雑務はそいつらに任せていいそうだ」
「……それって、マジですか?」
「ああ、真剣(マジ)だぞ」
「なんでそんな事態に!? ていうか、貴方はどうするんですかっ?」
優希は盛大に取り乱した。操が救えたと思ったら、こう来たか!
頭痛を抑えるかのように手を頭に乗せ、空を仰ぐ。どうして、彼らが選ばれたのか、その真相はわからない。だけど、彼らが選ばれる原因の一部には、間違いなく自分の行動がある。優希が情報を和麻に伝えなければ、被害者は操だけだった筈なのだ。
今回は操が無事ならいいと、優希はそう考えていた。だが、それは随分と楽観的な考えだったらしい。事件は予期せぬ方へと進んでいた。
先程まで「これでようやくゆっくり出来る」と思っていた優希は、溜息をついた。
「当初の神凪は自分たちだけで事件を抑えようとしたようだが、結果は大失敗。様子見に出された風牙衆3人が死亡。神凪分家の人間も、一人死んだ。その報告を受けた神凪は、復興途中の現在の戦力では、無駄な犠牲が出ると判断。それなりの実力と、信頼が置ける術者を綾乃に付けて、二人を救出させようって話になったらしいな。ああ、お前が選ばれたのは、前回の事件での功績が認められたんだろう。組織に無所属で交友があり、戦闘面で神凪の補助が出来る術者なんてのは、そうそういないからな。ちなみに魔術師の相手は俺がするから、そこは気にしないでいいぞ?」
「いや、その。まあ、救出がメインなら別にいいんですけど」
「そうか? 俺から見てお前、あんまり『オッケー』っていう顔には見えないがな」
「……だって」
優希は和麻の言葉に言いよどんだ。だって、過大評価だと思うのだ。
この世界に来て、いや、恐らくだが世界に『再構成』されて、優希の能力値はこの世界の基準値とすり合わされ、変更された。その結果、仮にも次期宿神家の当主である優希は、この世界で生まれていたであろう自分としての、飛躍的なパワーアップを遂げていた。これは推測だが、もしも和麻たちが優希の元いた世界に呼ばれたとしたら、その実力は優希の場合と同じように、世界に修正され現在の数分の一になるのだと思われる。恐らくそれこそが、世界移動の際のルールなのだと思う。
だから、少し観察してみても、現状での綾乃と優希の霊力の生成量に、さして差があるようには見られない。けれど、それは戦闘力とは別物だ。
こと攻撃という一点において、綾乃は一の霊力から万の破壊を成すことが出来る女なのである。そんな綾乃と自分では、一時的な協力体制ですら足をひっぱる恐れがある。そもそも、優希は戦闘など碌に体験したことのない人間なのだ。
優希は自分の魔術師としての才能には、正直疑いを持っていない。だが、一人の戦士としての自分の実力を信じきれずにいたのである。
優希の胸にひやりとした風が入り込んだ。そして、疲れた表情で和麻に苦笑を見せる。
「なんかもう、平和が恋しいです」
「お前、幸薄そうだもんなぁ」
「しゃらっぷ。余計なお世話です」
そう言うと、優希は会話を切り終えて自室へと戻った。
なんだか、疲れることばかりだけれど、もう少しだけ頑張ろう。全部終わったら温泉にでも行こう。
そんな事を考えながら、優希は荷物をまとめる。
だが、運命は優希に更なる追い討ちを用意していた。
――最悪の再開は、刻一刻と近づいていたのだ。