時刻は夕方の四時過ぎ。
優希は衰弱した身体を癒す為に湯船につかり、ルームサービスで食事を取り、つかの間の急速を取っていた。
本音を言えば、術を使って手っ取り早く、体力の回復に努めたかったのだが「風邪の聖痕」原作二巻での敵は、美少年の姿をした外道の魔術師と、その使い魔であるスライムだ。しかもそのスライムは、生気を吸い取る能力を持っていて、一般人より遥かに強い気を持った優希には、奴らに狙われる危険性があった。
その為、優希は自身の気が周囲に気取られないよう、極力気を抑え、自らの自然治癒力に任せ休息を取っていたのである。
「それにしても、残念だなぁ」
優希はベッドにごろりと横になりながら、呟いた。
疲労していた優希には都合の良いことに、このホテルにはマッサージ師がついていたのだが、その事を知り嬉々としてフロントに電話した所、マッサージ師は男だということが判明。
「男に身体を触らすだなんて、とんでもない!」と、いう結論に達した優希は、泣く泣く全身マッサージを諦めたのだ。
「……おばさんだったら、触られても大丈夫なのになぁ」
もう一度ごろりと回転すると、優希は溜息をはいた。
しかし、いつまでもぐちぐちとしていも、しょうがない。優希は改めて自分の体調を確認した。
(うーん)
やはり、まだ快調とは言いがたい。意識が少しずつまどろんでくる。
はっきり言うと、眠い。まだおやつの時間を過ぎたばかりだというのに、眠すぎる。
(まあ、一応お風呂の後だし、歯も磨いたし、いっか)
こんな時間に寝るのもどうかと思ったが、身体は正直である。優希は余計な事を考えるのを止め、疲労を訴える体の要求通りに、急速に意識を手放した。
翌日の四時過ぎ。まだ眠っていた優希は、フロントからの電話で起こされた。
「神凪綾乃様がフロントにお見えになっております」
「……ええっ!?」
予兆など無かった。残念ながらこんなときに限って、優希の巫女としての霊感は働かないらしい。
――覚醒した優希の意識に、発炎筒よりも分かりやすい、綾乃の強大な気が知覚された。
「なんでこう、貴女って言う人は……っ」
一般人である友人、篠宮由香里と久遠七瀬を連れた綾乃は、申し訳なさそうな顔に、ぎこちない笑顔を貼り付けながら、非常に不機嫌そうな顔をした優希の前に、その姿を現した。
「いやー、突然ごめんなさい。覚えてるかな? 前にちょっと、一緒に戦った事があるんだけど。あっ、私は神凪綾乃っていいます」
「……覚えてますけど。ご用件はなんでしょうか」
無表情で抑揚を抑えた声を使う優希の態度に、気まずい空気が場に満ちる。言いたい事が色々と出来た優希では、大人げないとは思っても、どうしても綾乃に寛容な態度を取れそうに無い。
(ていうか、人が回復魔術使うのも我慢して身を隠しているときに、何を太陽みたいな存在感全開なんだよこの人はっ! それ以前に仕事の話なら、一般人を連れてくるんじゃねぇっていうか! あー、もう! これだから世間知らずのお嬢様は嫌いなんだよっ!)
自分もれっきとしたお嬢様である事を忘れ、優希は内心で悪態をつく。ちなみに現在、由香里と七瀬はロビーの少し離れた場所に座っていた。此方をちらちらと窺う表情からは、申し訳なさそうな雰囲気が滲み出ている。
「あー、友達を連れてきてしまって、本当にごめんなさい。あの子達、どうしても付いていきたいって聞かなくて。――その、私。今日は仕事の話で来たんです」
「……わかりました。お話を窺いましょう」
あまりにも「ごめんなさい」と言う雰囲気を表に出してくる綾乃に、気勢をそがれた優希は、綾乃の話の続きを促す。
だが、やはり寛容にはなれそうにない。自然と優希の態度は傲慢なものになる。
しかし、そうしていても、優希は内心で冷や汗をかいていた。嫌な予感がするのだ。
そうして語られたのは。
「実は二日前から、この東京で原因不明の衰弱死を向かえるものが、続出しているんです。被害者は、いずれも若く健康的な人間ばかり。私たちは彼らの生気を奪った何者かが存在していると予想しているのですが……」
「相手は中々尻尾を見せないと。そういうことですか?」
「はい。そうなんです。それで、宿神さんの力を借りられないかと思って、ここにきたんです。陰陽術を使える宿神さんだったら、相手の居場所を占う事も出来るんじゃないかと思って」
「なるほど。経緯はわかりました」
大体、優希の予想通りの展開だった。しかし、綾乃の言葉には、若干の疑問が残る。
「でも、すっごい疑問があるんですけど」
「はい? なんでしょうか」
先ほどからずっと、優希は仕事用なのか、お嬢様じみた態度で会話を進める綾乃に、違和感を抱いていたが、これは中々に真面目な話である。
優希はその事は気にせずに、自分の疑問を伝える事にした。
したのだが。
「和麻はどうしたんですか?」
優希のその言葉に、綾乃の作り笑いに亀裂が走った。
「和麻がいれば、私なんか必要ないですよね?」
綾乃はぷるぷると震えている。その様子を見て、即座に優希は状況を理解した。
「もしかして『邪魔だから』と置いてかれて連絡がつかないとか。それで和麻の鼻を明かしてやる為に、僕の力を借りようと思ったとか?」
綾乃の反応を見るに、大方優希の言葉通りの事があったのだろう。
何だか楽しくなってきた優希が、更に言葉を重ねようとした所、遂に綾乃が切れた。
「――うっさいわねっ! そーよ! どぉーせ、私は直接戦闘以外脳の無い女ですよ! 何よ、和麻さんとおんなじように、アンタまで私を馬鹿にするわけ!?」
ふぅ、ふぅと、息を盛大に荒げて語り終えた綾乃は、何だか危険な目つきで優希を睨みつけた。
「いや、ごめんなさい。なんか、すっごい僕が悪かった」
怯える優希が、謝罪する。綾乃はふんと、鼻息を荒げた。
こうなると、とびっきりの美少女であっても般若に見えるから不思議だ、と、優希は内心で呟く。
「それで、宿神さん。この依頼、受けて貰え――っ! 何!?」
少し気分を落ち着けた綾乃が話す最中に、突如として空気が変わった。
綾乃は言葉を途中で中断し、周囲への警戒を始める。向こう側では、由香里達を含め何人かがあたりをきょろきょろと見回している。それは霊感の有る無しではなく、生物であるのなら、まず気づくであろう違和感だった。
綾乃はソファーから飛び上がると、友人である由香里たちを守る為に、駆けた。そして。
――世界は一変し、ホテルは異界へと包まれた。