一般人には決して辿り着けない店、トリメギトスという名の店が存在する。
都内に存在するそのマジックショップにて、優希は「むむむっ」と可愛らしく唸り声を上げながら、手に持った二冊の魔導書を見比べていた。
(アガルス・フェイバー著作の『魔学の歴史と衰退』に、ウィリアム・L・アドニス著作の『西洋魔術概論』。ううっ、どっちも欲しい、けど高い! アーティファクトとしての効果もないただの本の癖に、一冊で百万以上するなんて、詐欺だ!)
そう。一月に数回「客の都合など一切気にしないぜ!」と言わんばかりに不定期に開かれるこの店で、優希は只今、絶賛買い物中だったりする。
そして、その理由は風牙衆の反乱により、優希の手持ちの符がほぼ無くなってしまった事にあった。
けれど、いきなり輪切りにされたビルが落ちてくるような世界で、最低限の自衛の手段も持たずに、のんびりと生きていられる程、優希は楽観的な性格ではない。従って優希は、ホテルに移動してからずっと、インターネット等を活用し、魔術用品を取り扱う店を探していた。
その結果ようやく発見したのがこの店だ。所詮ネットと舐めてはいけない。この世界では、魔術師やら異能同士がコミュニケーションを取るサイトが、色々と存在しているのだ。
二つの本を見比べる優希。その見つめる視線は、真剣そのものだ。
既に優希の買い物カゴの中には、数十冊もの魔導書やら魔術の触媒やらが、無造作に詰め込まれていた。
(これ全部買ったら、マンションならともかく一軒家は買えなくなる……)
しっかりと神凪から、報酬を受け取ってはいた優希だったが、それにしてもこれらの品々は高額である。これだけの数を買えば、報酬の半分は消える事になってしまうだろう。だが。
「あーもう、面倒くさい! どっちも買っちゃえっ!」
そこは何だかんだ言っても、生粋のお嬢(?)様な優希である。
「欲しい物は欲しいのだ!」と呟くと、二つの本はカゴの中へと放り投げられた。
そして、その様子をずっと観察していた店主は、店の奥に引っ込むとにやりと微笑んだ。そして思う。
(こいつは上客だ!)
――笑顔の店主の視線の先で、優希の買い物はまたまだ続く。結局、優希が会計を済ませたのは、それから二時間程後の事だった。
「一杯買ったなぁ。ていうか、正直買いすぎたかも」
所変わって、夕方過ぎのビジネスホテル。
自分が先程買った大量の荷物を鞄から取り出し、整理していた優希は、その量の余りの多さに思わず苦笑していた。
「……買い物なんて、久しぶりだったもんなぁ」
感慨深い、という表情を浮かべた優希の口から、溜め息が溢れた。
中学卒業後から、優希は宿神家によって、半ば軟禁されているような生活を送っていた。
そして、そんな劣悪な環境下で心を守る為に、自分はネットの世界に逃げていたのだと、今の優希は思う。
(自分はオタクだから、インドア派だから大丈夫。外に興味なんて抱かない)
そんな風に、自分の惨めさから目を反らしながら生きてきたのだ。
「そんな自分が今は、物語の世界にいるんだから、人生って分からない物だよね」
ほんの表紙をなぞりながら、優希は呟いた。既にホテルに「これから先、自分の部屋に一切立ち入るな。電話をかけるな」と連絡はしてある。
優希は目を細めると、深呼吸をし、魔術師としての自分へと意識を切り替えた。
一秒を一分に、一分を一時間に、一時間を一日に。
それが、魔術師の集中力。異端の世界に生きる者なら、程度の差はあれど、誰でも最低限は習得しているはずの力だ。
優希は事件の後から、ずっとこの訓練を重点的にやってきた。独学には限度があり、最低限の教材がなければ魔術の勉強は進まない。だから、教材を得た時に効率よく学べるように、優希は努力をしていたのだ。
その結果、今の優希は万全の状況で集中すれば、一秒を十分程に感じるレベルに達していた。あれから数日で、そこまでのレベルに向上した事を考えれば、正直、自分は天才なのではないかと優希は思う。
けれど、その度に自分よりも遥かに高みに生きる彼らを思い出して、優希は慢心しないように自分に言い聞かせるのだ。
「さて、と……」
優希は呟くと、速読をするような速さで本を捲っていく。
次々にページを読み進めていくその目は、まるで硝子のように澄んでいた。
――それから三日後の昼過ぎ。優希は自らの身体の上げる悲鳴に気づき、ようやく集中から醒めた。
(……一応、買ってきた本は一通り、読み終えることが出来たな)
指一本を動かす事さえ億劫な状態で、優希はぼんやりと視線をめぐらせた。その行動に特に意味は無いが、衰弱している体とは裏腹に、優希の心はある種の充実感で満ちている。
本から得た知識。それらは大いに、優希を成長させていたのである。
先ず、優希のいた世界とこの世界では、やはり差異がある事が分かった。この世界は物理法則と「それ以外の法則」。つまり「例外法則」との、二つによって構成された存在であるらしく、更にこの世界においては、物理法則と例外法則には貴賎が無く、片方の法則で起こる事象は、必ずもう片方の法則で再現できるというのだ。
それはつまり、科学で達成可能なことは魔術でも再現可能であるし、魔術で達成可能な事は、科学でも再現可能だという事である。優希のいた世界と比べると、この世界の魔術は可能性に満ちているといえるだろう。
また、魔術が科学と肩を並べる存在である故に、この世界では「魔学」という分野が発展しており、魔術学校なるものまで創設されているというのだ。秘匿され、一部の特殊技術であった優希の世界の魔術とは、これもやはり、大きく異なっている。
それら「世界」に関する知識のほかにも、優希は様々な知識を手に入れた。魔力に魔術、概念と伝承、西洋魔術に異界、普遍的無意識に下層世界。それらの定義等。それは短時間で覚えるには、膨大すぎる知識だった。従って、まだ整理しきれない情報も多い。
だが取りあえず、今はもう、優希の身体は限界を訴えていた。
「……おなかすいた」
その言葉ともに、優希はお腹に手を当てる。
優希はのろのろと立ち上がると、ルームサービスを取る為に電話を取った。