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No.5244の一覧
[0] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 【第一部 完結】[月桂](2010/04/12 01:14)
[1] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(一)[月桂](2008/12/14 13:32)
[2] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(二)[月桂](2008/12/14 13:33)
[3] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(三)[月桂](2008/12/14 13:33)
[4] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(四)[月桂](2008/12/14 13:45)
[5] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(一)[月桂](2008/12/17 00:46)
[6] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(二)[月桂](2008/12/17 23:57)
[7] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(三)[月桂](2008/12/19 22:38)
[8] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(四)[月桂](2008/12/21 08:57)
[9] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(一)[月桂](2008/12/22 22:49)
[10] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(二)[月桂](2009/01/01 12:04)
[11] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(三)[月桂](2008/12/25 01:01)
[12] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(四)[月桂](2009/01/10 00:24)
[13] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(一)[月桂](2009/01/01 12:01)
[14] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(二)[月桂](2009/01/02 21:35)
[15] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(三)[月桂](2009/01/04 02:47)
[16] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(四)[月桂](2009/01/10 00:22)
[17] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(五) [月桂](2009/01/10 00:21)
[18] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(一)[月桂](2009/01/12 18:53)
[19] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(二)[月桂](2009/01/14 21:34)
[20] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(三)[月桂](2009/01/16 23:38)
[21] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(四)[月桂](2009/01/24 23:26)
[22] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(五)[月桂](2010/05/05 19:23)
[23] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(一)[月桂](2009/02/08 12:08)
[24] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(二)[月桂](2009/02/11 22:33)
[25] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(二・五)[月桂](2009/03/01 11:30)
[26] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(三)[月桂](2009/02/17 01:23)
[27] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(四)[月桂](2009/02/22 13:05)
[28] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(五)[月桂](2009/02/22 13:02)
[29] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(六)[月桂](2009/02/23 17:52)
[30] 三国志外史  六章までのオリジナル登場人物一覧[月桂](2009/02/26 22:23)
[31] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(一)[月桂](2009/02/26 22:22)
[32] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(二)[月桂](2009/03/01 11:29)
[33] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(三)[月桂](2009/03/04 01:49)
[34] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(四)[月桂](2009/03/12 01:06)
[35] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(五)[月桂](2009/03/12 01:04)
[36] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(六)[月桂](2009/03/16 21:34)
[37] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(七)[月桂](2009/03/16 21:33)
[38] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(八)[月桂](2009/03/17 04:58)
[39] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(一)[月桂](2009/03/19 05:56)
[40] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(二)[月桂](2009/04/08 23:24)
[41] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(三)[月桂](2009/04/02 01:44)
[42] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(四)[月桂](2009/04/05 14:15)
[43] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(五)[月桂](2009/04/08 23:22)
[44] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(一)[月桂](2009/04/12 11:48)
[45] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(二)[月桂](2009/04/14 23:56)
[46] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(二・五)[月桂](2009/04/16 00:56)
[47] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(三)[月桂](2009/04/26 23:27)
[48] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(四)[月桂](2009/04/26 23:26)
[49] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(五)[月桂](2009/04/30 22:31)
[50] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(六)[月桂](2009/05/06 23:25)
[51] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(一)[月桂](2009/05/06 23:22)
[52] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(二)[月桂](2009/05/13 22:14)
[53] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(三)[月桂](2009/05/25 23:53)
[54] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(四)[月桂](2009/05/25 23:52)
[55] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(一)[月桂](2009/06/07 09:55)
[56] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(二)[月桂](2010/05/05 19:24)
[57] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(三)[月桂](2009/06/12 02:05)
[58] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(四)[月桂](2009/06/14 22:57)
[59] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(五)[月桂](2009/06/14 22:56)
[60] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(六)[月桂](2009/06/28 16:56)
[61] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(七)[月桂](2009/06/28 16:54)
[62] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(八)[月桂](2009/06/28 16:54)
[63] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(九)[月桂](2009/07/04 01:01)
[64] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(一)[月桂](2009/07/15 22:34)
[65] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(二)[月桂](2009/07/22 02:14)
[66] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(三)[月桂](2009/07/23 01:12)
[67] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(四)[月桂](2009/08/18 23:51)
[68] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(五)[月桂](2009/07/31 22:04)
[69] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(六)[月桂](2009/08/09 23:18)
[70] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(七)[月桂](2009/08/11 02:45)
[71] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(八)[月桂](2009/08/16 17:55)
[72] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(一)[月桂](2011/01/09 01:59)
[73] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(二)[月桂](2009/08/22 08:23)
[74] 三国志外史  七章以降のオリジナル登場人物一覧[月桂](2009/12/31 21:59)
[75] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(三)[月桂](2009/12/31 22:21)
[76] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(四)[月桂](2010/01/24 13:50)
[77] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(五)[月桂](2010/01/30 00:13)
[78] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(六)[月桂](2010/02/01 11:04)
[79] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(七)[月桂](2010/02/06 21:17)
[80] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(八)[月桂](2010/02/09 00:49)
[81] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(九)[月桂](2010/02/11 23:24)
[82] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十)[月桂](2010/02/18 23:13)
[83] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十一)[月桂](2010/03/07 23:23)
[84] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十二)[月桂](2010/03/14 12:30)
[85] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (一)[月桂](2010/03/22 15:41)
[86] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (二)[月桂](2010/03/26 02:19)
[87] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (三)[月桂](2010/03/31 03:49)
[88] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (四)[月桂](2010/04/09 00:37)
[89] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (五)[月桂](2010/04/12 01:13)
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[5244] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (三)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/03/31 03:49


 昨日まで傍らにいた人が、今日はもういない。それも一人二人ではなく、数十人、数百人。河北の頃から顔見知りであった人も少なからずいた。だが、今、彼らはその屍を無残に野天に晒している。袁術軍の将兵の死屍は、それに数倍するかもしれない。いずれも埋葬する暇はなく、悼む時すらわずかしかなく。
 おれは劉の牙門旗の下で目を閉じ、両手で顔を覆う。この場に他の人間がいれば、おれが避けられない死に涙をこらえているように見えたかもしれない。
 それは半ば当たり、半ば外れている。おれは確かに胸奥からこみあげるものをこらえていたが、それは死への恐怖や、別離の悲しみ、あるいは肩の傷の苦しみとは別の感情に由来するものだった。
 この時、おれを苛んでいたのは、ただひとえに羞恥の感情だったのである。


「……一体どれだけ、玄徳様たちに甘えていたんだろうなあ」
 思わず声に出してしまう。つまるところ、そういうことだった。


 広陵を脱してから、もう幾日経ったことか。砦に篭り、呂布と戦い、その最中に高順と再会し、戦って、戦って、ついには十万をこえる大軍を一手に引き受ける羽目になり、それでもなお戦って。自らの手を血で染め、あるいは指揮をとって多くの敵を殺し、そして味方を殺された。
 傷つき、嘆き――もう何度目のことか、母さんの言葉が胸によみがえる。
 あの言葉。おれが背負うべき重みは、直接手にかけた相手に限った話ではない。この手で斬り捨てた相手はもちろん、劉家軍が討った袁術軍の将兵も、あるいは袁術軍によって討たれた劉家軍の将兵も、等しくおれが背負わねばならない重みであった。
 ただ、それは長史になったから、兵を指揮する身分になったから、だから背負わねばならないというものではない。指揮官ゆえの責務ではなく、戦い――殺し合いに関わった人間がわきまえるべき、それは当然の覚悟であったのだろう。少なくとも、おれはそう思うのだ。


 そして、おれは気付く。
 戦いたくない、死にたくないと言って戦場から身を遠ざけつつ、それでも劉家軍に協力することで自分の居場所を築いてきたこれまでの自身の行い。
 直接、手を下していないから、自分の手は血塗られていないのだと、疑うことなく信じていた自分の、無邪気なまでの愚かさに。


 直接、人を手にかけたわけではない。策を講じて、戦いの絵図面を描いたわけでもない。
 しかし、それでもおれは劉家軍に参加し、劉家軍の戦いに関与してきたのだ。
 それも、おれがやったことは雑用の一言でくくられるようなものではなかった。兵の士気を保ち、不満を鎮め、不安をなだめた。人を推挙したこともある。敵であった人物を味方に引き入れたこともある。時に他人の策に口を出したことさえあった。
 にも関わらず、おれは、自分は戦っていません、殺していませんと、劉家軍が流してきた敵味方の血に対し、頬かぶりをしてきた。
 敵を斬る痛みは関羽らに任せ、その死を背負う役割を玄徳様に押し付けて、まるで自分一人が無垢ででもあるかのように。



「顔から火が出るとはこういうことか」
 恥ずかしさと、情けなさと、申し訳なさと。戦っている間はあえて考えずにいた。廖化や兵士たちと話している時も。しかし、わずかとはいえ、こうして考える時間を得られた今、胸奥からあふれ出すように湧き上がってくるこの自責と羞恥の念は押さえようがなかった。
 このことに、関羽たちが気付いていなかったとは思えない。気付いて、それでなお見守ってくれていたのだろう。小沛から撤退する最中、関羽が口にした言葉からも、そのことは明らかだった。


 その優しさと、それを可能にする強さが、万言を費やすよりもはっきりと、関羽らの人としての器の大きさをおれに教えてくれた。
 無論、もとより歴史にその名を刻む英傑たちが稀有な人物であることは承知していたが、それを自覚しながら、無自覚にその背におぶさっていた事実が、おれのなけなしの自尊心を刺激してやまないのだ。
 そしてもう一つ、おれを打ちのめしたもの、それは――


「やっぱり、玄徳様は、あの劉玄徳なんだな」
 何を当たり前のことを、と聞く者がいたら呆れられたかもしれない。だが、これが今のおれの偽らざる本音だった。
 玄徳様の器量、その志は理解しているつもりだった。
 それは時に偽善と、夢想とそしられるほどの彼方を望む、高きの心。
 この乱世にあって、その思いを抱き、その言葉を口にし、そのために戦うことがどれだけ険しい道であるのかは考えるまでもないだろう。
 その一方で、玄徳様は、関羽らほどに英傑としての強さを身に付けていないように、おれには思えていた。玄徳様ご自身もそのことを知り、またみずからの志が今のままでは到底果たされないことを知るがゆえに、懸命に自身を高めるために日々努めておられるのだ、と。
 根拠地を持たない流浪の軍に、多くの人たちが身を託したのは、それを率いる者が玄徳様であればこそであるとおれは考えていたし、その考えは多分間違っていないだろう。


 間違っていたのは、玄徳様の器量を測ったつもりになっていたおれ自身。
 玄徳様は確かに未熟ではあるかもしれない。しかし、それすらおれにははるか高みであったのだ。
 ――いつか小沛の城で、人を殺した重みに潰されかけていたおれに、玄徳様はたとえ無理やりにでも食事と睡眠はとるように、とそう言った。身体をいつもどおりに保っておけば、いずれ心も戻ってくるから、と。
 あの時、玄徳様は何故ああも確信を持っていたのだろう。玄徳様が医療に心得を持っている話は聞いたことがない。
 であれば、答えは一つしかないだろう。
 玄徳様もまた、人の死を受け止めるために傷つき、嘆き、のたうちまわったことがあったのだ。それをおれよりも早く乗り越えていたからこそ、その対応を知っていたし、おれの様子に気がつくこともできたのだろう。
 自身で剣を振るわない玄徳様が、人の死を背負ったというのならば、それは劉家軍という、自身の志を果たすために立ち上げた軍が為した行いによるもの。
 すなわち――


「楼桑村で決起したその時から、ずっと……」
 玄徳様は背負い続けていたのだ。自身の志を、それに殉じた味方の将兵の命を、その途上で戦わねばならなかった敵の将兵の命さえも。
 この砦でのほんの短期間の戦いでさえ、おれの心身にかかる負担は筆舌に尽くし難い。
 玄徳様は、桃園の誓いから今日に到るまで、今、おれが感じている以上のものをずっと背負い、その上で語っていたのだ。



 誰もが笑って暮らせる世の中を創る。
 多くの人々が望み、しかしその多くが実現は不可能と首を振る、そんな儚い志を。



 その儚さを知り、その遠きを知りつつも、決して諦めることなく、走り続けていた玄徳様。
 おれは、そんな玄徳様に全てをおしつけて、自分は戦いたくないなどと言っていたのだ。その志の尊さを知ったような気になって、自分に出来ることであればと中途半端な妥協をして、懸命に自分一人傷つかないように立ち回った挙句……おれは玄徳様と笑って話していたのだッ!




 その無知が、その無恥が、その無様が、情けなくて、恥ずかしくて、おれは懸命に嗚咽をこらえねばならなかった。
 泣いているわけではない。泣いている暇などない。泣く資格すら、今のおれにはない。
 母さんは言っていた。
 決して退かぬと。決して屈さぬと。敵の咽喉笛に喰らいついてでも生き延びると。それだけの戦う理由があるのだと示しなさい、と。
 今のおれにとって、その理由を見出すのは、空に太陽を見出すと同じこと。
 だからこそ、皇天后土に吼えたのだ。
 だからこそ、この身は怖じていないのだ。
 肩の傷など、この胸を苛む焦燥に比すれば生ぬるい。


「さあ、いくぞ」
 声を高める必要はない。誰に宣言する必要もない。それはもうやってしまった。
 だから、後は行動で示す。



 ――劉旗を背負う今この時、玄徳様がこの場にいれば守ったであろう全てを、この北郷一刀が守り抜く。



◆◆◆



 月毛(つきげ)とはクリーム色の馬体を示す言葉である。
 その名を与えられた、言葉どおりの柔らかい色の毛を持つ馬は、無論、人の世の事情などわからない。
 彼ないし彼女にわかったのは、ようやく自分が働ける時が来たのだ、ということ。
 そして、主が自分に何かとても大切なものを託してくれたのだ、ということであった。
 『頼む』と頭を下げた主の姿が、そのことを教えてくれたのだ。懸命に自分を乗りこなそうと努め、きめこまやかに世話をしてくれていた主の願いである。ぶるりと大きく身体を震わせながら、月毛は思った。
 ご主人様のために頑張ろう、と。


 そうして、飛ぶように野を駆けながら
 今、自分が乗せているのが主でないことだけが、少し残念だった



◆◆◆



 曹操軍、淮河を渡って広陵を占領す。
 急使によってその事実がもたらされたとき、李豊は小さく舌打ちした。ただ、それはこの後の展開を予期したわけではなく、広陵を陥落させた自分の軍功に、最後の最後で傷がついたことへの不満を示したに過ぎない。
 曹操軍の兵力は精々一万程度。その程度の軍勢であれば、高家堰砦を陥とした後、全軍で広陵に向かえば、すぐにも奪還することは出来るだろうと考えたからであった。
 逆に、この曹操の動きによって、諸将が高家堰砦から兵を退かせた分、李豊にとっては吉報とさえ言えたかもしれない。この戦の後に曹操軍との戦いが待つと知った梁剛らは、これ以上の損害を嫌って、李豊に攻撃を委ねたからである。


 先の戦闘では不覚をとったが、それでも敵の将帥に深傷を負わせることはできた。将は傷つき、兵力のほとんどを失った敵には、もう抗戦する力はあるまい。
 立て篭もった内城はろくな備えもなく、あと一押しで、あの忌々しい連中を皆殺しにすることもかなうと、そう考えた。
「火矢を射掛けて焼き殺してあげるのもいいですが、それでは面白みがないですね。于吉殿の言葉もある。確実に殺すならば、やはりこの手で首を刎ねてやるのが一番でしょう」
 逃げ込んだ連中が、弓箭兵の待ち構える外に突出してくるとも思えず、首を刎ねるには内城に突入するしかない。
 呂布たちを焚きつけようかと考えないでもなかったが、すでに抗戦する力などない敵である。李豊は先刻の失態を糊塗する意味もかねて、麾下の直属の兵士たちに攻撃を命じることにした。


 これで終わりだと、そう李豊が内心でほくそえんだ時。
 一頭の騎馬が突出してきた――宙を裂く飛矢の如くに。


◆◆◆



 それは袁術軍にとって慮外の出来事であった。


 もはや戦う力もないと考えていた砦から飛び出してきた一頭の騎馬。ただ、それが攻撃のためであれ、逃走のためであれ、一頭で何ができるわけもなく、たちまち矢の雨を浴びて、人馬共にハリネズミの如き肉塊と化すはずだった。
 しかし。
「速い……」
 高順は、思わず感嘆の息を吐く。月毛の馬は、人を二人も乗せているとは思えないほどの驚異的な脚力をもって、飛び交う矢に影すら射抜かせぬ。中華随一とも言われる赤兎馬を間近で見てきた高順をして、その脚力は驚嘆に値した。
 あるいは赤兎馬に迫るか。そんなことを高順が考えている間にも、件の騎馬は李豊軍の動きの鈍さを嘲笑うように大きく弧を描きつつ、弓箭兵の注意をひきつける。それと悟った兵士たちは意地になって矢を射掛けるが、それでも馬の脚はいささかも衰えを見せず、人馬一体と化して、袁術軍の陣営を切り裂いていく。


 わずか数名の敵に、将を奪回される醜態をさらした李豊にとって、たかが一騎に陣容を崩されるなど許せるはずはない。高順はそう考え、事実、李豊は度重なる失態に歯軋りしながら、敵の射殺を命じた。
 どれほど優れた脚力を持つ馬であろうと、生物である以上限界は存在する。ただ一矢でも身体に命中してしまえば、それで終わりだろう。そのようなことは、あの騎手も、また内城の中にいる北郷たちも承知しているだろうに、何のためにこんなことをと考えた高順は、一つの可能性に思い至り、息をのむ。


 すると、あたかも高順の考えに呼応するように、新たな喊声が高家堰砦に轟き渡る。
 内城から、喊声と共に劉家軍の将兵が突出してきたのだ。
 ざっと数えただけでも、総数は三十たらず。砦の内外に布陣している兵とは比べるべくもない小数の兵は、しかし、恐れなど微塵も見せず、猟犬のごとく猛然と李豊の陣に襲い掛かっていく。
 その軍装は今日までの戦いのために汚れ、汗血で染まった顔はまるで野盗のようであったけれど。
 爛々と輝く眼差しを見れば、彼らの戦意がいまだ尽きていないことは明瞭で、わずか三十余名の小さな軍の突進は、鋭鋒となりて李豊の陣を食い破る。
 その光景を見て、高順の脳裏には死兵という言葉が浮かんだ。


 知らず、口から声がもれる。
「どうして……」
 戦の先にある死を見据え、なおそれに臨むだけの気概をもって戦う者たちに、勝利に奢った者たちが敵う道理がどこにあろう。高順は、劉家軍の、おそらくは最後の力を振り絞った猛攻に押されまくる李豊の姿を不思議には思わなかった。
 だから、高順が不思議に思ったのは、そこではなく――
「どうして……」
 その彼らと敵対する側に身を置く、今の自分たちの姿。
 それは自分たちの決断の結果。于吉の存在があったとはいえ、それでも高順たちの前には選択肢があったはずだった。民を殺す側ではなく、守る側の陣営に身を投じている可能性があったはずだった。
 それを選ぶことができなかったのは、どうしてなのだろう。
 あの砦の人たちと自分たちでは何が違うのだろう。
 高順は半ば呆然としながら、そんなことを考えていた。



◆◆◆



 洪沢湖の河畔。
 大きな焦燥と、小さな諦めを抱えた張紘の耳にも、その喊声は届いた。
 そして、傍らに立つ人の小さな感嘆の声も。
「自棄になった声じゃない。まだ、士気を保っているんだ、この戦況で……恐ろしい人だね、太史子義。それとも、北郷一刀の方なのかな」
「子敬姉様、あの……」
 請うような張紘の声に、魯粛は小さく首を横に振った。
「確かに信じられない戦いぶりだけど――結局は、ただそれだけ。この戦況をひっくり返すには、到底足らない。私たちが動いたところで、それは同じだよ。あと二手、ううん、せめてあと一手だけでもあれば、なんとかなったかもしれないけれど……」


 正直なところ、魯粛は砦が今日まで持ちこたえるとは考えていなかった。それはつまり、あの砦に篭る将兵は、魯粛の思惑を越える力を持っているということ。あるいは、彼らの長たる劉備の薫陶が、それを可能としたのか。
 そのいずれにせよ、砦にいる太史慈と北郷に対して、そして彼女らを従える劉備に対して、魯粛は深い興味を抱いた。見殺しにするには、あまりに惜しい。


 だが、魯粛の手はそこまで長くはない。太史慈たちは惜しいが、しかし、自分たちの命を賭けるほどの情誼はないとの考えは揺らがず。
 結局、この時、魯粛は動かなかった。



◆◆◆



 広陵から発した漢の軍旗は、征矢となって淮南の地を駆ける。その先頭に立って、馬を駆るは黒髪も美しい女将軍である。
「急げ、急げ、急げッ!」
 関羽、字を雲長。今や河北のみならず、中華全土に勇名を轟かせつつある劉家軍、一の将。
 常は凛とした面持ちを崩さぬ美髪公であったが、今、軍の先頭を駆ける姿は冷静さとは対極にあるもののように思われた。


「まあ冷静でいられぬのは当然か」
 関羽の傍らを、ほとんど遅れずに馬を駆けさせながら、趙雲はひとりごちる。
 漢の軍といえど、その兵は曹操のもの。つい先ごろまで、命がけで戦っていた相手に膝を屈し、その手勢の中に身を置いているのだ。関羽ほど豪胆な者であっても、平静ではいられまい。
 もし今、関羽に問いを向けたら、そんな答えが返ってくるに違いないと趙雲は思う。
 もっとも、それは表向きの理由に過ぎない。関羽が常になく、ほとんど狼狽しながら馬を駆けさせている理由はもっと別のところにあるものと趙雲は睨んでいた。
 それは――


「えーい、遅いのだ遅いのだおーそーいーのーだーッ! 愛紗、子竜、鈴々、自分で走って先に行くのだッ!」
 そう言って、本当に馬から降りようとする張飛を、趙雲は真面目な顔で制する。
「待て待て、確かに益徳なら馬より速く走りかねんが、ここから高家堰まではかなりの距離があるぞ。着いたは良いが疲れ果てて戦えぬなど、笑い話にもならん」
「そんなことを言ってたら、おにーちゃんが死んじゃうのだ!」
 その張飛の叫びに鋭い反応が返る。趙雲ではなく、これまでひたすら馬を駆けさせていた関羽の口から。
「鈴々! 縁起でもないことを言うなッ!」
 頭ごなしに怒鳴られ、張飛の頬が膨れる。元々、一時的とはいえ曹操に屈する道を選んだことへの不満もわだかまっていたのであろう。張飛が何か言い返そうと口を開きかけたとき、趙雲が機先を制して口を開いた。
「雲長も、益徳も落ち着け。高家堰には十万を越える兵と、あの飛将軍がいると聞く。一人で行っても、疲れ果てた状態で行っても勝ち目はないぞ。一刀と子義を助けたければなおのこと、冷静になれ」
 その言葉はまぎれもない正論。関羽と張飛が口を噤んだのは、しかし、その内容もさることながら、そこに込められた趙雲の語気を感じ取ったからであった。
 三人の中ではもっとも冷静に見える趙雲であったが、その瞳には炎が躍るような激情がちらついていた。




 郭嘉、程昱らの周到な準備によって奇襲を敢行した曹操軍は、落城後数日を経過してなお略奪の炎が消えない広陵城を急襲する。
 漢朝に従う、という形で曹操軍に参じていた関羽らもこれに加わり、曹操軍は瞬く間に袁術軍を駆逐した。曹操軍の軍紀は厳正であり、袁術軍などとは比較にならぬ。広陵の城民は予期せぬ曹操軍の到来にはじめは怯え、その後、曹操軍の軍紀の厳しさを知るや、誰からともなく歓呼の声があがり、それは瞬く間に広陵城を包み込んだのである。
   

 曹操軍および関羽らが高家堰砦を巡る一連の攻防の詳細を知ったのはこの時だ。
 広陵の民、逃げ遅れた袁術軍の兵、そして捕虜となっていた陳羣麾下の城兵たち。彼らの口から砦に劉備がいないことも、代わりに誰が立て篭もり、どのように今日まで持ちこたえてきたのかも聞くことができたのである。
 そして、砦を救うためには、もはや一刻の猶予もないことを知った関羽たちは、郭嘉と程昱に了解を取るや、休息もとらずに洪沢湖へと馬を駆けさせた。そして、その後ろには、曹操軍の精鋭二千が続いたのである。

 
 拙速も甚だしい行軍。そして、曹操軍にとって、高家堰砦の安否はさほど重要な関心事ではないことを考えれば、これだけの兵を預けられたのは僥倖といってよかった。
 無論これは郭嘉、程昱の二軍師による差配であり、さらにいえば関羽に執心する曹操の許可であったのだが、その思惑はともかく、兵を貸与してくれたことに関しては関羽は心から曹操に感謝していた。
 この兵は絶対に必要だったからだ。高家堰砦を守るために。そして、そしてその劉旗の下で苦闘を続けているであろう者たちを救うために。


 関羽が本当の意味で許昌へ赴くことを決意したのは、あるいはこの時であったかもしれない。
 無論、約定をたがえるつもりはなかったにせよ、心底から曹操の申し出に肯ったわけではなかった。しかし、ここまで借りをつくってしまっては、それを返すまでの間、曹操の下で青竜刀を振るうことも致し方なしと関羽は心密かに覚悟を定める。
 そして――


「……子義、無事でいてくれよ」
 そんな関羽の呟きに、両脇から声がかかる。
「何もこんな時まで意地を張ることもあるまいに」
「にゃはは、愛紗、素直におにーちゃんも心配だって言えばいいのに」
「え、えーい、うるさいッ! しゃべっている暇があるなら、少しでも馬脚を速めろ!」
 そう言うや、関羽はみずからその言葉を実践し、さらに速度を上げた。追随する趙雲と張飛、そして遅れてはならじと駆ける二千の騎馬兵。
 淮南の原野は、数千の馬蹄の轟きに、その身を震わせるのであった。



◆◆◆◆



 定められた終局に向かって動き続ける戦況。
 それを覆さんと望む者たちは多けれど。
 その手を差し伸べる者は多けれど。
 張り巡らされた策謀は、それら全てを遠ざける。
 ゆえに、外史はここに終焉を



 ………………?



◆◆◆◆ 
 


 視界に映る、地に倒れふした劉家軍の兵士たちの姿。
 その周囲には、それに倍する袁術軍の兵士の死屍がある。絶望的というのも憚られる勝敗の定まったこの戦で、最後の最後まで戦い抜いた兵(つわもの)たちの神武の証。
 そして。
 今、おれを取り囲むのは、地に倒れた兵士たちに数倍する無傷の敵兵である。つまりはそういうこと。どれだけ抗おうとも、どれだけ奮戦しようとも、変えられないものは変えられないのだという、それは厳然たる証左であった。


 彼らを統べる女将軍が、忌々しげにはき捨てる。  
「……よくも、ここまで悪あがきができるものです。付き合わされる配下にとっては、たまったものではないでしょうね」
 正直、今のおれは立っているにも辛い身体だった。
 先に呂布によって射抜かれた右肩の痛みは、引くどころかますます強くなり、熱をもって苛んでくる。利き腕が使えない以上、剣を振るうにも限界がある。事実、この攻撃で、おれはただの一人も敵兵を斬ることができなかった。おれに出来たのは、ただ陣頭に身を晒して味方の士気を盛り上げ、指示を下すだけだったのである。
 口を開くのも億劫であったおれだが、しかしそれでも、その李豊の言葉は聞き捨てならなかった。


「……劉家軍の誇り、たとえ一兵卒であっても、貴様ごときに計れるものじゃないぞ。子義が言っていただろう。誇りを知らぬ貴様と話す言葉は持っていない、と」
「ふん、そのように無礼な口を聞けばどうなるのかも、あの小娘に教わったはずですが」
 言いながら、李豊はみずからの剣の切っ先を、おれの右の腿に突き立てる。
 咄嗟にあがりかけた悲鳴を、おれは奥歯をかみ締めることで堪えきる。たわむれるように李豊が剣先を揺らす都度、激甚な苦痛が全身を貫くが、おれは意地になって、その痛みに耐え、悲鳴を押し殺す。
 そうして、崩れ落ちそうになる身体を懸命に支えていると、なおも李豊の嘲弄は続いた。


「誇り、誇りと小うるさい者たちですね。その誇りとやらのために、勝算のない戦いに臨み、味方を全滅させた愚か者が、何かを成し遂げたかのような顔をすることこそ笑止というもの。あなたたちが素直に地に頭をこすりつけて慈悲を請えば、少なくとも兵士たちは助かったかもしれぬものを」
 そういって、李豊は周囲を見渡し、口元を歪める。
「これだけの血を流し、死を生んでおいてなお戦況はかわらない。広陵の民の生き残りも、あなたたちの無益な抗戦のために死を免れなくなりました。この抗戦に何の意味がありましたか? 何もありませんよ。つまりは、犬死です。そして、そうさせたのはあなたです。誇りとは、無用な戦を引き起こし、配下の将兵を犬死させるものだと、あなたは言っているに等しい。いいかげんに、その無様を自覚したらいかが?」


 ――知らず。おれの口から笑い声が漏れていた。 
 それを聞きとがめ、李豊が眉をしかめる。
「何がおかしいのです?」
「いや……はは、無様を自覚する、か。言っていることは見当違いだけど、その言葉だけは正しいな」
「何を、言っているのです?」
「あんたには関わりないことだ。ついでに言えば、一生わからないことでもあるかな。無様を自覚したからこそ、おれは戦ったんだ。誇りという言葉が気に食わなければ、最後の最後に勝つためにと言い換えよう」
 そのおれの言葉を聞き、李豊は舌打ちでもしそうな顔で吐き捨てる。
「結局、戦況は覆せないという厳然たる事実さえ認められないのですか。もはや狂っているのですね」
「――この砦で、戦い抜いた事実は覆らない」 
 李豊の言葉を無視し、おれは最後の意地とばかりに口を開く。
「勝ち目などない戦いにあって、なお偽帝の軍に抗い、民のために戦い抜いた。たとえここで、おれたちが死のうとも、その事実は中華全土に知れ渡り、それが計り知れない価値を持つ。玄徳様が、関将軍らが生きてあるかぎり、その評価を背景として、劉家軍はいつか必ず貴様らに勝利する。みな、そのことを信じているからこそ、最後まで戦い抜くことが出来たんだ」


 それは、最悪の結果を糊塗しているだけなのかもしれない。無論、おれも太史慈も、勝つことを目的として剣を握っていた。できうれば、広陵の人たちは、陳太守たちは逃がしてあげたかった。それら全てが叶わなかったから、最後に負け惜しみを口にしているだけなのかもしれない。
 それでも、それが負け惜しみで終わらないことを信じている。きっと、倒れていった兵士たちも、みな、おれと同じ気持ちだったのだろう。不思議と、そう信じることが出来た。


 あるいは、これが生涯最後の言葉になるか。
 疲労と苦痛の果て、ぼんやりと揺らぐ視界に李豊の剣が煌く。その輝きを他人事のように眺めながら、おれは腹の底から声を絞り出し、それを解き放った。
「もう一度、言う。貴様ごとき下郎が、その豆粒ほどの視界で、おれたちを測れるものか! 身の程を知れッ!」



 ――視界を染める白銀色の輝き。迫り来る李豊の剣刃が、おれの意識に残った最後の光景だった。









◆◆◆◆



 ゆえに、外史はここに終焉を



 ………………?



 地軸を揺るがし、疾駆するは騎馬の軍。
 その数、万に達するか。
 張り巡らされた策謀を越えるための、最後の一手。
 なれば、終焉はいまだ到らず。
 外史はなおも紡がれよう。



◆◆◆◆





 高家堰砦外周。
 はじめにそれに気付いたのは、張勲麾下の兵士の一人であった。仲間内でも神経質な奴だと評されていたその兵士は、足元から響く振動にいち早く気付いた。何かが――途方もなく数多くの何かが地面を強く蹴りつける振動の正体に、しかし、その兵士は気付かない。淮南の寒村出身であった兵士は知らなかったのだ。数千の騎馬が地を駆け、疾るその様を。


 時と共に、振動は強く、大きくなっていく。その兵士ほど聡くない者たちも得体の知れない揺れに気付き、怪訝そうに顔を見合わせる。否、揺れだけでなく、何処からか鳴動するような音までが響いてくるではないか。
 淮南にも騎兵がいないわけではない。兵の誰かが呟いた。
「随分な数の騎兵みたいだが、どこの軍だ?」
 曹操軍が広陵に達したという情報は、すでに通達されていた。だが、張勲の軍勢は高家堰砦の南に位置し、広陵との間には呂布と李豊の軍勢が布陣している。両軍から急使も来ておらず、また時間を見ても、曹操軍が襲来したとは考えられない。であれば、味方の軍が近づいているのだろう。
 その兵士が、そんな推測を口にし、周囲の動揺を鎮めようとした時。


 一本の矢が宙をはしり。
「――え?」
 兵士の首筋を、正確に射抜いていた。


 声もなく崩れ落ちるその兵士。周囲の兵士たちは咄嗟に声が出なかった。これが呂布や、あるいは李豊の軍であれば、ここまで呆然とすることはなかったであろう。良かれあしかれ、戦っているという自覚がある軍と違い、張勲の兵士たちは、戦場にありながら、自分たちが安全な場所にいるのだという油断があった。
 その油断を衝かれ、兵士はおろか指揮官たちまでが動揺する。そして、その動揺に追い討ちをかけるようにさらに幾本もの矢が飛来し、そのことごとくが正確に将兵の身体に突き立っていった。
 いや、幾本どころではない。降り注ぐ矢の雨は、今や幾十、幾百に達し、あるいは千をすら越えたかもしれない。にも関わらず、その命中率はほとんどかわらなかった。ただそれだけで、相対する敵の錬度を知ることが出来たであろう。


 今や馬蹄の轟きはすべての将兵の耳と身体を揺らし、飛来する矢は動揺を混乱へとかえ、混乱は加速度的に拡がっていく。迫り来る騎兵が敵であることは誰の目にも明らかで、指揮官たちは怒号と共に応戦を指示していく。
 しかし、遅い。
 迎撃の指示を下しても、それに従うべき兵士は混乱して咄嗟に陣を組むことも出来ない有様であった。だが、かりに素早く陣を整えたとしても、この敵の鋭鋒を凌ぐことは不可能であったろう。


 殺到する騎兵集団。その先頭を駆けるは、鮮やかな金色の髪を一つに束ね、それを風にたなびかせる猛き将。
 その旗印は――『曹』
「馬鹿な、何故ここに曹操の軍がいるッ?!」


 驚き慌てる袁術軍の中央に、黄金色の髪の将は高らかに名乗りをあげ、突っ込んでいく。
「我が姓は曹、名は仁、字は子孝。偽帝に従いし下郎ども、その身命をもって叛逆の罪を償うがいいッ!」


 そして、曹仁のすぐ後に、同じ黄金色の髪の将が続く。こちらは曹仁と異なり、髪を結えることなく風になびかせるままにしていた。
「同じく曹洪、字を子廉。曹家が旗、ひとたび戦場に翻る時、何を以っても敵すべからず。道を開けなさい!」




 曹家の柱石として知られる二将の突然の襲撃に、この方面の袁術軍はたちまちのうちに壊乱の態を見せたかに思われた。
 しかし、錐をもって薄紙を突き破るごとき容易さで張勲の陣を打ち破るかに見えた曹操軍であったが、曹軍襲撃の報告を受けた張勲は、ただちに麾下の将兵を掌握すると、五万の軍勢をもって曹操軍を重囲に置くために動き出す。
 この包囲が完成してしまえば、騎馬の利である機動力を殺がれ、四方から数に任せて押しつぶされてしまうだろう。曹仁と曹洪はそう判断すると、すぐに部隊を分けて包囲をきり散らしにかかった。
 一方の張勲は、当然、そうはさせじと軍を展開させようとする。
 そうして、張勲と曹仁らが鎬を削っている最中。
 曹仁らが現われた場所からわずかに離れた地点から、突如曹操軍の一隊が躍り出るや、一路、高家堰砦へ向けて突き進んだ。その数はわずか三百に過ぎなかったが、その部隊が事実上曹操軍の最精鋭であることを、間もなく袁術軍は知ることになる。


 率いる者の名は曹純、字を子和。
 その麾下には許緒、字を仲康。
 そして、二人が率いる部隊の名を『虎豹騎』といった。








◆◆◆








 時を数日さかのぼる。



 淮河下流域において、主君である曹操の許可を得ずに渡河を果たした曹純は、その秀麗な顔に戸惑いを浮かべつつ、姉である曹仁に幾度目かの問いを投げかけていた。
「姉上、よろしかったのですか。孟徳様の許可を得ずに渡河するなどと」
 すると、曹仁は呆れたような眼差しを向けてくる。
「子和、しつこいぞ。母者(曹凛)の命の恩人を救いたいと言ったのはおまえだろうに」
「たしかに、それはそうなのですが。何も騎兵すべてを渡すことはないのでは……」
 曹純としては、自身と直属の部隊のみでの独立行動を許してもらえれば、と思って口にしたことであったから、万に及ぶ騎兵をすべて渡河させてしまった曹仁らの決断に対し、なかなか戸惑いを消せなかった。
 すると、それまで黙っていた曹洪が小さくかぶりを振って口をはさむ。
「聞けば、その方は何万もの軍に囲まれた砦におられるとか。子和さんの虎豹騎は確かに精鋭ですが、数百の軍で、数万の軍が取り囲む砦を救援できるとお思いですか?」
「それは、確かに難しいでしょうが、時間を稼ぐ程度のことであれば可能でしょう。どのみち、偽帝の非道を聞くかぎり、孟徳様が淮南に討って出られることは明らかですし、それまでの間、耐え凌げば」
 ただ一つ、自分はともかく、部下たちまで背命の罪におとしてしまうことが気がかりであったが、それは自身の命にかけても寛恕を請うつもりであった。もし、どうしても曹操が部下まで罪に問うというのであれば、曹凛にとりなしを頼むという手を用いるつもりの曹純だった。


「数は力だ。そうそうお前の思うとおりに戦が進むものか。それに、自分の恩義にばかり目がいっているようだが、母者を助けてもらった恩があるのは私も同様。くわえて、偽帝の所業には我慢がならん。姉者(曹操)の許可なく、とお前は言ったが、戦場にあって、時に将は主君の命に背く場合もあるのは承知していよう」
「そのとおりです。もし姉様がどうしても私たちを許せないというのであれば、その時は共に罪に服しましょう。多分、そんなことにはならないでしょうけれど」
 曹仁と曹洪のかわるがわるの言葉であったが、なお曹純はためらいを消せなかった。
 それでも、ここでためらっていては機を逸するという確信があるのも、また確かであった。


 女と見まがう曹純の顔から憂いが消えたことを悟り、曹仁は話題を転じた。
「で、子廉。偽帝の放った斥候に、我らの渡河のこと、掴まれてはいないだろうな」
「はい。念入りに潰しておきました。斥候であれ諜者であれ、私たちの動きを偽帝に知らせることは出来ません」
 兵の指揮はともかく、諜報にかけては曹仁も曹純も、曹洪には及ばない。その曹洪が自信をもって断言している以上、それを信じるだけである。
 曹仁は頷いて、出発を口にした。
「ならば良し。ただちに出るぞ」
「はい」
「承知しました」
 かくて、曹操軍の別働隊は、淮北に鮑信率いる九万の軍勢を残し、一万の騎兵を渡河させて袁術軍の側面を衝くべく移動を開始する。
 それを知らせるべき斥候は、ことごとく曹洪に排除され、その動きを知る者は袁術軍には誰一人としていない。
 ――そのはずであった。




◆◆



 ――そのはずであったのだが。
「ふん、さすがに曹子廉といえど、方士の存在までは掴めんか」
 その人物は、曹操軍を見下ろす小高い丘の上にいた。
 眼下に騎兵の大軍を見やりながら、白装束の方士は愉快そうに笑う。
 于吉が耳目の代わりに各地に散らした方士の一人である。
 この場所にも曹洪の配下は来ており、それを力づくで片付けることは容易かった。しかし、配下が帰って来ないとわかれば、曹洪に不審に思われるであろうと考え、あえて手出しせずに見逃したのである。


 結果として、その判断は功を奏した。
 この曹操軍の動きを于吉に知らせれば、一万の騎兵といえど、地の利を得ずに袋の鼠となることは明らかであろう。
「所詮は泡沫の命、精々苦しんで死んでいけ。その様、ゆっくりと見物させてもらおう。その程度の楽しみがなければ、このようなこと、やっていられるものかよ」
 忌々しげに吐き捨てるや、その方士は何かの印を結びはじめた。おそらくは于吉と連絡をとるためのものであろう。
 そうして、その印が完成しようとした、その時。
 



 不意に、方士の背後で声がした。
「……まったく同感だ。こんな面倒なことをやっていられるか、という点に関してだけはな」
「なッ?!」
 自らが背後をとられるという有り得ざる状況に、思わず方士は声を高め、後ろを振り向こうとする。
 しかし、勝敗というものがあるならば、それは背後を取られた時点ですでに決まっていた。
 頚骨を蹴り砕くような重い一撃を首筋に受けた方士は、声もなく地面に崩れ落ちる。意識を失う寸前、方士の目には、襲撃者の額に奇妙な印が映し出されていた。


 瞬きのうちに方士を制した若者は、そちらには見向きもせず、眼下の曹操軍を冷たい表情で見下ろす。
 その顔を見れば、若者が別に曹操軍のために行動したのではないことは瞭然としていた。
 すぐにそれにも飽きたのだろう。若者は踵を返すと、その場から姿を消してしまう。
 それはこの場から立ち去ったという意味ではなく。
 文字通りの意味で、宙に溶けるように姿が消えていったのだ。
 そうして、完全に姿が消える寸前、若者の口が小さく開かれ、短い言葉が発された。



「始まりの終わりか、終わりの始まりか。いずれにせよ、後は貴様次第だ……」




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