注意事項――本編よりもくだいて書いているため、本編の雰囲気を損なうと感じてしまう方がおられるかもしれません。もし、途中でそのように感じられましたら、読むのをおやめくださいますようお願いします。基本的に、すでに本編で書いた、もしくはこれから書くことしか書いてありませんので、この一覧を見なくても、本編にはいささかの支障もありません。◆ 波才 黄巾党大方の一人。その統率力は、党首姉妹を別とすれば、黄巾党随一であり、その麾下の兵は正規軍さながらの装備と錬度を有する。 実は北方騎馬民族の血を受け継いでおり、騎馬帝国からの密命を受け、中華帝国の混乱を広げる役割を担っている。常は慇懃な物腰だが、戦が近づくなど感情が昂ぶった時は、粗野な言動に変じる。 大清河の戦いにおいて敗れた後、袁紹軍の猛追を受けるも、その生死は不明のままとなっている。◆ 太史慈 北海郡の住人。姓は太史、名は慈、字は子義、真名は志遂。 北海城が黄巾賊の包囲を受けたおり、武安国らと共に敵包囲を突破し、その危機を伝えた。 劉家軍を導く役割を担う。 金髪碧眼。北海郡にあっては、その志を果たすことが出来ぬと考えた祖母の計らいによって、劉家軍へ参加する。 その誠実な為人と、卓越した弓術を以って評判を高めつつあり、劉家軍内でも重きをなすようになっている。 真名制定人物その二。ちなみにその一は張莫である。 本人の設定を決めるや、祖母を含めた周辺環境、平原までの道程などがあふれるように浮かんできたため、執筆に苦労することがほとんどなかった稀有なキャラ。神降臨、とか本気で思ったのは良い思い出である。 真面目な人柄だが、とある事柄――主に腹ペコキャラ疑惑――を口にすると、いまだに顔を真っ赤にして怒り出す。普段の冷静な太史慈との落差がほほえましいので、こりずに口にする者が約一名いる。口にする度に(稽古と称して)叩きのめされるのはご愛嬌である。ちなみに、この状況を見ているためか、その人物以外は皆、件の疑惑を口にすることはない。 「弓を持ったセイバー」なる評が出たりもしたが、本物と違い、こっちのセイバーの腹ペコ疑惑は、とある人物の第一印象が尾を引いただけの事実無根(?)である。 ◆ 武安国 北海太守孔融に仕える武人。字は報民。 当初、援軍を呼ぶために、太守に無断で城を出ようとした太子慈を止めようとするが、太子慈の祖母に一喝され、考えを改める。また年若い女性である太子慈の志にうたれたこともあって、その脱出に力添えし、脱出行で倒れた部下ともども、北海解放に多大な貢献を行う。 鉄槌を武器とし、その武勇は一兵士としてはかなりのものなのだが、下層からの人材発掘に興味の薄い孔融軍では、兵長の地位にとどまっている。 北海解放後、命令無視、守備放棄の重罪を問われるも、その功績によって死罪は免除される。しかし無罪放免とはならず、現在も謹慎中である。 筆者がはじめて三国志に触れた光栄ゲーム『三国志Ⅱ』において、一人、北海で気炎をはいていたことを思い出して登場させたキャラ。当初はあっさりフェードアウトする予定だったのだが、副長とのからみ以降、瞬く間に雑魚武将から脱皮を果たし、有望キャラに変身した。副長、あんたすげえよ。◆ 王修 北海太守孔融に仕える文官。字は叔治。真名は淑夜。 才走った所こそないが、地味に、堅実に仕事を片付けていく努力の人。女の身で、しかもまだ若かったため、北海城では仕事らしい仕事を与えられず、その才は埋もれかけていた。しかし、太子慈と共に劉家軍に参加したことを契機に、少しずつではあるが、才能を開花させつつある。 対人関係を苦手としていたが、徐州に移ってからは、随分と改善されているというのが、親友である太史慈の評である。 劉家軍においては、貴重な文の人であり、騎馬隊に所属を移した北郷の後を継ぐ形で、様々な雑務を処理している。今では、北郷はもとより、簡擁からも頼りにされているが、本人、仕事に懸命になっているため、そのことに気づいていない。なお、最近は董卓に仕事の手解きをしたりしている。◆ 管亥 青州黄巾党の将の一人。北海城を攻囲し、落城寸前まで追い詰めるも、劉家軍に蹴散らされる。◆ 荀攸 姓は荀、名は攸、字は公達、真名を藍花(らんふぁ)。荀彧を「姉様」と呼ぶが、血縁上は姪である。 才略は荀彧に迫るものがあり、時に曹操に対しても諫言を行う厳正な為人である。しかし、平常は穏やかで、姉をはじめとした個性の強い周囲に翻弄されることもしばしば。 姉と夏侯惇の険悪な間柄を何とかしたいと常々考えているが、なかなか上手くいかない。 もっとも、荀攸が余計な一言を口にしたせいで二人の間に燻っている火種を燃え上がらせてしまう場面も少なくないのだが……とは夏侯淵のため息まじりの評である。◆ 曹洪 字を子廉。真名を優琳(ゆうりん)。その名の通り、曹家の一門である。 幼少時を曹操と共に過ごし、絶対的な忠誠を誓っている。その偵知は正確無比とうたわれ、曹操軍における情報網を総攬する。 偵知のみならず、輸送部隊の護衛、敵の援軍の阻止、誤情報の流布といった、賞賛や注目を浴びることこそ少ないが、軍事において極めて重要な役割を黙々とこなす縁の下の力持ち。 一族の曹仁と共に曹操からの信頼はきわめて厚く、また諸将からも信頼されており、曹一族の名望を支える存在となっている。◆ 曹仁 字を子孝、真名を鵬琳(ほうりん)。曹洪と並び、曹一族の重鎮として、曹操軍の屋台骨を支える。 夏侯惇には及ばないものの、武勇に秀でた雄将であり、曹操軍の作戦計画において欠かすことの出来ない将軍の一人である。 控えめな曹洪とは反対に明朗快活な為人であり、身分に拘らず配下の将兵と食事をとったり、飲んで騒いだりすることがある。将兵の名前のほとんどを覚えているとも言われ、麾下の兵からの信望はきわめて厚い。 兌州動乱において、許昌で調練した新兵でもって速やかに陳留を陥として張莫を救出、その後も張莫を補佐して張超を追い詰め、乱の早期鎮圧に貢献した。