徐州広陵郡。 関羽、張飛、趙雲らの抗戦によって、曹操軍の追撃から逃れることが出来た徐州の水軍は一路、南へと船首を向けた。 入り組んだ水路を、巧みな操船で停まることなく進んでいく徐州水軍の錬度の高さは素人のおれにもはっきりとわかる。 そのおれの視線の先では、身動ぎ一つせず小沛の方角を見つめている玄徳様の姿があった。祈るように両の手を合わせている姿は、声をかけることをためらうほどに真摯で、そして儚げに見えた。 二人の妹と、一人の将。彼女ら自身が望み、指示したこととはいえ、その彼女らを置いて逃げ出したことを玄徳様が気にしていない筈はない。 そんな玄徳様の心を和ませることが出来れば良いのだが、それは今のおれには無理なことだった。玄徳様だけではない。おれもまた、内心忸怩たるものを抱えているからである。そんなおれが声をかければ、余計に玄徳様に気を遣わせてしまうだけだろう。これ以上、玄徳様に重荷を負わせるようなことはしたくなかった。 今、おれが乗っているのは艨衝(もうしょう)と呼ばれる中型の快速船である。 船戦においては突撃の主力となって、敵船を破砕する役割を担う。収容人数はおおよそ三百人程度であろう。 周囲に展開している艨衝以外の船種としては先登(せんとう)というものがある。これは船戦において、敵船への切り込みを主任務とする船であり、おおよそ二百人が乗り込むことが出来る。 これ以外にも徐州の水軍には、斥候(せっこう)と呼ばれる偵察巡視船、走舸(そうか)と呼ばれる軽舟、赤馬(せきば)と呼ばれる数名乗りの小型舟から、露橈(ろとう)と呼ばれる五百人規模の大船、さらに最大で八百人以上を収容する楼船とよばれる大型艦もあるという。 もっとも、今回は露橈、楼船の姿は見えない。淮河本流ならばともかく、支流を進むためには、大型船はかえって邪魔になってしまうのである。 おれが大型船を目の当たりにしてその偉容に息を飲むのは、数日後、徐州水軍が淮河本流までたどりついてからのことであった。 淮河本流にたどり着いたおれたちは、そこで待機していた大型艦に分乗し、さらにその足を速めて淮河を東に下る。この時、陳羣は劉家軍を大型船に乗せ、かつ大型船の人員を数隻の艨衝と先登に乗せ替えると、これを北に向かわせた。 北――つまり、小沛の方面である。 陳羣はこの行動の意図を口にしたりはしなかったが、船舶の動きを見ていれば、いかに素人であるおれたちであっても察しがつく。 玄徳様は、めじりに雫をうみながら陳羣に向けて頭を下げ、おれもまた出来るかぎりの敬意を込めて、陳羣に頭を垂れるのであった。 不幸中の幸いというべきか、賊や敵勢力の妨害はなく、おれたちは淮河を下ると、広陵郡の中心であり、太守の政庁が置かれている広陵城へと到達した。 曹操軍はまだ淮河を越えてはおらず、広陵郡にその姿を見せてはいない。 にも関わらず、広陵城に入ったおれたちが目の当たりにしたのは、殺気だった容貌で動き回る人々の姿であった。声高にかわされる幾つもの会話の断片を、聞くともなく聞かされたおれは、彼らがどうしてここまで慌て、そして怯えているのか、その理由を知った。 仲帝袁術の淮南侵攻が始まっていたのである。 ◆◆ 北の曹操、南の袁術。 二大勢力に挟まれていた徐州にとって、最悪の事態とはすなわち、その両者を同時に敵にまわすこと。 州牧である陶謙はその事態を避けるために曹操に近づき、そして件の襲撃で道を絶たれてしまった。では翻って袁術と結ぶか、という話になれば、これはほとんどの人間が首を横に振るだろう。 袁術の勢力がいかに大きく、また勢いが盛んであるといっても、まぎれもない漢の叛臣となることはあまりにも危険が大きかったのである。それは自家の保全や、自己の栄達という意味でもそうであったし、さらには士大夫として、今後数百、数千年に及ぶ歴史の中で叛臣として自分の名を刻んでしまいかねない決断であったからでもある。 しかしだからといって、曹操と袁術を敵にまわして徐州が独立自尊の道を歩むことがいかに至難であるかは言を待たない。現在の情勢で判断を誤れば、誇りと共に火中に沈む悲運が待つばかりである。 士大夫に限って言うのならば、その結論も誤りではない。国難にあって粉骨砕身するためにこそ、日ごろ高い禄を食んでいるのだから。 しかし、民はそうではない。そして士大夫の務めの中で最も重要なものは、民の安全を守ること。 陳羣は言う。 それゆえにこそ、陳登は降伏という手段を採ったのだ、と。 広陵城に到達するや、早速行われた軍議の席で、陳羣はこれまでの経過をおれたちに説明してくれた。「元龍殿の申しようが、主に背いて降伏するための口実か、それとも心底からのものか、その判断は話を聞いた方によって異なってくるでしょう。私は心底からのものと信じます。それゆえ、元龍殿からの要請を受けました」「それが、私たちを救援に来ることだったのですか?」 陳羣の言葉を聞き、問い返したのは諸葛亮だった。 その諸葛亮の問いに対し、陳羣は小さく首を傾げて見せた。年が年だけに似合わない、と言いたいところなのだが、やはり美人は何をしても映えるもんです。「――何か不届きな言葉が聞こえた気がするのですが?」「気のせいだと思います、陳太守」 くるりとこちらに視線を転じる陳羣に、おれは真顔で言い返す。 たまに思うのだが、玄徳様たちといい、なんで女性陣はこの手の話になると人の内心が読めるのだろうか。 どこか納得いかない様子の陳羣だったが、内心の不満を振り切るように一度首を振ってから、言葉を続けた。「その通りです、諸葛軍師。しかし、より正確に言うのならば、皆様方のところに赴くことは、元龍殿の頼まれごとの半分です。水軍を出した理由は、もう半分あったのです」「……もう半分、ですか。もしかして、淮河で待機していたのは、私たちを待つだけではなく、彭城へ?」 鳳統がそう言うと、陳羣は一瞬、虚を衝かれたように目を瞬かせた。 だが、すぐにその目には率直な感嘆の色が浮かぶ。「そのとおりです、鳳軍師。ふふ、私と元龍殿にとっては秘中の秘だったのですが、お二人にはお見通しだったようですね」「お見通しというわけでは、ありません。ただ、可能性の一つとしてあるかな、とそう思っていたんです」 そう言いながら、鳳統ははずかしげに面を伏せた。 可愛い軍師の可愛い仕草に、陳羣と諸葛亮はくすくすと笑みをこぼすが、生憎とその三人以外は話の展開に微妙についていけていない。 玄徳様が物問いたげにおれの方に視線を向けた。「えーと、ねえねえ、一刀さん。微妙に話についていけないんだけど?」「ご安心ください、おれもついていってないです」 陳登は、陳羣に対し劉家軍の救援と同じ、あるいはそれ以上に重大な何かを託したのだろうことはわかった。 しかし、それが何かがわからない。 陳登が曹操に降伏すると決めた以上、物や人を広陵に流すことは曹操への背信に繋がる。であれば、それ以外の何かということになるのだが。 おれと玄徳様が、仲良く顔を見合わせ、同時に首をひねった時だった。 慌てた様子の侍女が部屋に飛び込み、陳羣に向けて上ずった声をかけた。「た、太守様、お客様が、ぜひともこちらに連れてきてほしいと申され、部屋を出て向かわれております! い、いかがいたしましょうか」「それは本当ですか?!」 侍女が頷くのを見ると、陳羣も慌てたように立ち上がる。「わかりました、すぐに私が行きますので、あなたは戻ってお客様についていて差し上げて」「しょ、承知いたしましたッ!」 そう言うや、侍女は入ってきた時と同様に慌しく室外に出て行ってしまった。 侍女だけでなく、陳羣もおれたちに少し待っているように伝えてから、早足で入り口の方に向かう。 お客様、というと誰のことか。陳羣の口ぶりからして、陳羣よりも上位の人間だろうと思うが、太守より上というと、州牧や、あるいは朝廷の高官ぐらいしかいない。 自然、一同の視線が入り口に向けられる。諸葛亮と鳳統は席から立ち上がり、入ってくるであろう人物に礼を尽くそうとしている。二人は、どうやらその人物のめぼしがついているらしい。 やがて、一度部屋の外に出た陳羣が、とある人物の手をひくように姿をあらわす。 その人物とは――「と、陶州牧ッ?!!」 期せずして。 玄徳様とおれ、そしてその場にいた人たちの声が重なりあう。 現れた人物は、言葉どおり、彭城で焼死したとされていた徐州牧、陶謙その人であった。◆◆ 彭城における陳登の行動は、単純といえば単純なものであった。 徐州の民のために、勝ち目のない抵抗は諦める。そのためには障害でもあり、元凶でもある公子たちを排除しなければならない。 だが、彼らを排除したところで曹操の動きは止まらない。結局のところ、罪は罪として残り続ける上に、州牧である陶謙のためとあらば、抵抗を試みる者は、官民を問わずいくらでもいるだろう。その抵抗が実を結ぶ可能性があるのならばまだしも、今の徐州には、曹袁両者の攻勢を撥ね返すだけの力はない。 単純な国力の違い。名分の違い。勢いの違い。あるいは、乱世における立場の違い。何もかもが劣っていることを承知すればこそ、排除するべきは公子だけではないことが陳登にはわかってしまったのである。 否、正確に言えば、公子たちなぞどうでもよい。今、徐州を守るために真に必要なのは、州牧である陶謙を排除することであった。 答えにたどり着いてしまえば、決意を固めるまでに時間はさほど必要ではなかった。 陳登はそう考えたが、あるいは、決意はとうの昔に固めていたのかもしれない。これまでは、ただ、その手段から目を背けていただけだったのかもしれぬ。 かくて、陳登は彭城の実権を一夜にして奪ってのけた。 公子たちは首を刎ねられ、陶謙は猛火の中で没し、淮北の徐州勢は抗戦の意味を失って陳登の統制に服することになる……「――それゆえ、ここにいるは彭城より逃れた一人の年寄りに過ぎぬ。州牧なぞというものではないのじゃ。そうお考えくだされい」 卓についた陶謙は、明らかに体調が優れない様子であり、その傍らには侍女が付き添うように座っている。 一方のおれたちは、なんと声をかけたらよいやらわからず、口を引き結んで与えられた情報を整理するしかなかった。 といっても事は単純である。陳登は徐州のために陶謙を除き、しかし命まではとらずに広陵へ逃がしたということであろう。そして陳羣はその陳登の意を汲み、陶謙を匿った。そういうことなのだろう。 その陶謙の前に、顔中を涙と鼻水で歪ませた孫乾が額を地にこすりつけ、州牧の無事を祝う。 それに陶謙が応じたのが上の台詞である。 劉家軍の中で、はじめに口を開いたのは玄徳様だった。「あ、あの、陶州ぼ……じゃない、えーと、陶翁(陶家のおじいさまの意)、この度は、その……」 そういって玄徳様が顔を伏せてしまったのは、今回の争乱における陶謙の心身の痛みに思いを及ばせたからであろう。 これまで守ってきた徐州を失い、息子たちを喪い、徐州を守るためとはいえ配下に叛かれ――その心痛はいかほどのものか。 それを思えば、安易な慰めの言葉など出る筈がない。また玄徳様のみならず、おれたち劉家軍には、陶謙より任された小沛の城を放棄したという罪がある。陶謙の信頼に応えられなかったという意味では、おれたちも陳登らと大してかわらないのかもしれない。 信頼を裏切られ、配下であった者に州牧の座から力ずくで逐われ、息子たちを処断された陶謙の内心が穏やかであろう筈はない。 しかし。 今、目の前にいる老人の目に憎悪はない。 ただ何か大切なことをし遂げたいという明確な意思だけがそこにある。何故か、おれにはそんな風に感じられた。 また、それを裏付けるかのように、恐縮する玄徳様に向かって発せられた陶謙の言葉は、ややかすれてはいたが、これまで――彭城で相対していた時と同じように、温かく好意に満ちたものであった。「顔をあげてくだされ、玄徳殿。貴殿がそのように恐縮する理由などありませぬでな。頭を下げねばならぬのは、わしの方なのです」 そう言うと、陶謙は深々とため息を吐いた。「半ば強いるように小沛の地を委ねたわしらに対し、玄徳殿や配下の方々はまことによう務めてくれた。その善政を称える民の声を、彭城で聞かぬ日はなかったぐらいじゃ。わしは、貴殿らに城を与えてやったなどと恩に着せるつもりはないが、仮に恩というものがあったとしたところで、貴殿らはとうに報いてくれておるよ。見事に小沛を治め、国境を安定ならしめてくれたことでのう」「も、もったいないお言葉です」 これ以上ないという賛辞に、玄徳様は喜びに顔を輝かせ、再び頭を下げる。 だが、一方の陶謙の顔は冴えなかった。その顔には苦く、辛いものがまざまざと見て取れた。「貴殿らがそこまでの誠意と成果で報いてくれたというに、こちらは要らぬ労苦ばかりを押し付けてしもうた。我が子らの不始末はいうにおよばず、その結果として攻め寄せた曹操軍と刃を交え、その進軍を止めようと努めてくれた。相手は勅命をも持ち出したと聞く。この老父を守らんがため、漢の旗に抗してくれた貴殿らの仁義に、この陶謙、心より感謝しておる」 そう言って、陶謙は静かに、深く頭を下げた。玄徳様にだけではない。その場にいたおれたちに向けても、同様に。「陶翁、そのようなッ?!」 思わぬ陶謙の行動に玄徳様はあわあわと両手を振って慌てている。 だが、その玄徳様の驚きっぷりを笑ってはいられない。相手は仮にも州牧。その州牧に頭を下げられて平静でいられないのは、おれたちも同様であったからだ。「劉家軍の方々だけではない。わしが不甲斐ないばかりに公祐(孫乾の字)にも、長文(陳羣の字)にも迷惑をかけてしもうた」「も、もったいないお言葉ですッ」「主君に忠を尽くすは当然のことです。お気になさる必要はございません、陶翁」 孫乾と陳羣が、同時に下げた。「長文の言葉は嬉しく思うが、気にせざるをえぬよ。彭城の元龍には特に、な。あれには辛い役目を背負わせてしもうた。今の状況では、自分がどのような評価を浴びるかなど百も承知していように、徐州の民のためにためらいなく貧乏くじを引いてくれたのじゃから」 それだけではない。 虐殺を実行した陶商と陶応の処罰は不可避であり、それは死罪以外にない。 だが、それを命じる者は必要になる。黙っていては、いつまで経っても刑は執行されないだろう。その刑に諾を与える役割は、本来、陶謙のもの。 だが陳登は彭城の主権者の位置に座ることで、逆にその責務から陶謙を解放してくれたのである。 父が子を殺す。そんなあまりにも悲しい痛苦を、余命の長くない陶謙に味あわせないために。 それだけではない。 本来、陶謙は彭城で死んでいなければならなかった。少なくとも、陳登が自身の筋書きを貫くつもりであれば、実は州牧が生きていた、などという破滅の種を放置しておく理由はない。 だが、陳登は陶謙を救った。そして陶謙だけでなく、劉家軍をも救った。曹操に猜疑されるであろう危険を冒してまで。 それは何のためなのか。 その答えを語るために、陶謙はゆっくりと口を開く。「玄徳殿」 決して強い口調ではなかったが、そこに込められた威厳にうたれ、玄徳様は背筋を伸ばす。「は、はいッ」「貴殿にもらってほしいものがあるのじゃ。そのために、ここまで生き恥をさらしてきた」 そういって、陶謙は懐に手をいれると、一つの布袋を取り出し、その中身を出す。 それは、掌ほどの大きさの小さな箱であった。おそらく、陶謙が肌身離さず持っていたのだろうその箱に、陶謙がここまでして玄徳様に渡したいものが入っているのだろう。しかし、一体何が入っているのか。 その疑問は、おれだけでなく、この場にいるほぼ全員が共有するところであった。 そして、陶謙は特にもったいぶることもなく、その箱をあけ、中のものを取り出してみせる。 それは――「『徐州牧之印』――と、陶州牧、これは……ッ」 玄徳様の驚きの声を聞き、おれはそれが何であるかを知る。 州牧の証である印章。おそらくは、陶謙がずっと玄徳様に譲ることを欲していたもの。 それを渡したいがために、陶謙はここまで逃れてきたのだろうか。 その陶謙の心を知る陳登は、陶謙を広陵に逃し、そしてまた劉家軍を広陵へと逃げるよう指示してきたのだろうか。 ――正直なところ、少し首を傾げてしまった。 徐州の今の状況を鑑みれば、印章の授受に実質的な意味はない。玄徳様が印章を得ても、曹操が占領した領土を返す筈がないし、それは侵攻を開始した袁術も同様だろう。 玄徳様に徐州を譲りたいと願い、それがかなわなかった陶謙は、せめて印章だけでも渡そうと考えたのだろうか。そして、陳登や陳羣はそれを察して協力した。そういうことなのか?(ただの感傷、そう思ってしまうな) 陶謙の命が長からぬことを思えば、その配下の人たちが主君の願いのために動くことは不自然ではない。むしろ称えられるべきことかもしれない。 だが。 おれはそれとわからぬくらい、かすかに眉をしかめた。 今の徐州にあって、いかに州牧とはいえ、一人の心情を満足させるために多数の人を動かすことが正しいのか。 それこそ、そのために割く力を民衆の避難や、防備の強化に使えば、より多くの人々を救うことも出来るのではないだろうか。 そんな風に考えてしまうのは、劉家軍に根拠地を与えてくれた恩人に対して不敬なのかもしれないが――そう感じていたおれの耳に、陶謙の言葉がすべりこんできた。 そして、その言葉を聞き、おれは自分の小ささに赤面するしかなくなってしまう。 すなわち、陶謙は次のように述べたのである。◆◆「実はの、子仲(糜竺の字)を荊州に遣わしておる」 件の襲撃の後、すぐにな、と陶謙は言った。 戸惑う者たちに対し、陶謙はさらに説明を続けた。「袁術と荊州牧の劉景升殿は長年荊州を巡って争った間柄じゃ。当然、袁術が勢力を広めることを快く思う筈はない。だが、なかなかに腰の重い御仁での。とおりいっぺんの使者を遣わしても動くとは思えなんだゆえ、子仲に動いてもらった」 陶謙に視線で促され、心得た陳羣が卓上に地図を広げる。 淮河を中心として、淮南、淮北、江南、そして西の豫州、荊州までも含めた地図であった。 自然、皆の視線がその地図に集中する。 その地図の上で、陳羣の細い指がある一点を指し示す。 荊州襄陽城。 陳羣が口を開いた。「袁術が徐州に動けば、その背後を荊州に衝いてもらう。無論、その逆の時もまたしかり。その盟約を結ぶことが出来れば、袁術軍の動きを大きく制限することが出来ます。実のところ、袁術が淮河流域に進出してこの方、我らは幾度も劉州牧に使者を遣わしているのですが、陶州牧――あ、いえ、陶翁のお言葉どおり首を縦に振ってはくれませんでした」 陳羣の言葉に、諸葛亮と鳳統が顔を見合わせ、小声で囁きあう。「確かに、劉州牧様だったら動かないだろうね」「……うん。攻め込んできたら戦う。でもこちらからは攻め込まない。専守防衛は、国を保つ立派な方針ではあるんだけど」「うん、それだと平和なのは荊州だけだもの。それに、荊州の外に目を向けない以上、荊州を狙ってくる人たちを抑えることも難しいし」 その言葉を聞いて、そういえば二人は荊州出身だったな、とおれは思い出した。当然、二人は劉表の施政を目の当たりにしてきた筈だ。 その上で荊州を出たということは、二人の目には、劉表が乱世を鎮めることが出来る可能性は映らなかったのだろう。二人と、そして陳羣の話を聞くかぎり、ここの劉表は、おれの知る歴史の劉表と大差はないようだった。 しかし、ならばいかに糜竺の弁舌の才が卓越していようと、彼を遣わしたところで劉表が動くことはないのではないか。 そう考えるおれの前で、再び陶謙が口を開いた。「近年の袁術の勢力の伸張は、劉州牧とて心安からぬ思いでおろう。まして玉璽を掲げて帝号を称したとあらばなおのことじゃ。いきなり荊州軍をもって袁術と矛を交えることはしてくれぬだろうが、荊州の戦力を増すための働きかけであれば、耳を傾けることはしてくれようよ。ゆえに、子仲を派遣したのじゃ」 そう言うと、陶謙は骨ばった指で地図上を流れる一つの河を示した。 淮河ではない。その南、淮河とは比較にならない水量を誇る、文字通りの大河――長江である。「袁術は淮河の水軍を有しておるが、いまだ長江には達しておらぬゆえ、あの大河を渡ることは難しかろう。一方、江夏、江陵を有する荊州には長江を渡る大規模な水軍がある――玄徳殿」「は、はいッ」「貴殿らをこのような不利な戦場に誘っておきながら、さらにこのような頼みをするは心苦しいのじゃが、まげてご承引願いたい。この印章を受け取り、徐州牧として江都へ赴いてくれまいか」 江都とは、長江の北に位置する陶謙領最南端の都市である。「我らが長江に有する水軍の全てを江都に集結させておる。おそらく今のうちならば、袁術軍もそちらまで軍を進めてはおるまい。荊州の援軍が来るか否かはわからぬが、子仲の手腕であれば、荊州が貴殿らを受け容れることは間違いないと思うておる。劉家軍の勇名は荊州にも響いておろうし、徐州の水軍を得られるとあらば劉州牧が拒絶する理由もない。元々、袁術とは不倶戴天の間柄ゆえにな」 陶謙の言葉は明快であった。 そして、きわめて説得力に富むものでもあった。 袁術が勢力を伸ばし、その配下に呂布まで抱え込んだ以上、劉表は新たな戦力を咽喉から手が出るほど欲している筈。その呂布と互角に戦ったという噂の劉家軍を拒絶するとは考えにくい。 もっとも、今の劉家軍には関羽も張飛も、さらには趙雲までいないのだが、劉表はそのことを知らないし、たとえそれを知ったとしても、劉家軍五千の兵力はそれ自体が大きな力である。まして、徐州が有する長江の船団を無償で手に入れられるとあらば、拒絶する方が難しいだろう。 仮に。 劉表が厄介事を嫌って、劉備軍の受け入れを拒絶したのならば、そのまま南下して江南の地で力を蓄えても良い。 袁術軍の追撃があったとしても、長江の存在はそれ自体が巨大な防壁に等しい。場所によっては対岸が見えないほどの幅があると聞くし、陶謙が言ったとおり、今の袁術には長江を渡る術がない。その侵攻を防ぐことは不可能ではない。少なくとも、淮南の地で袁術軍を迎え撃つよりは、はるかに容易であろう。 もとより、江南は孫家が一国を打ち立てたほどに豊かな地。もちろん幾多の群雄が割拠しており、皆それぞれに手ごわいが、劉家軍の力をもってすれば彼らを駆逐することも出来るだろう。 そう考えると、荊州を頼るよりもそちらの方が良いような気さえしてくる。 いずれにせよ、南に――江都に逃れることを反対する理由はない。 同時に思い当たる。 あの襲撃後、すぐに糜竺を派遣したと陶謙は言った。それはすなわち、現在の情勢を、完璧にではなくとも、ある程度予想した上で玄徳様たちを徐州の争乱から逃すだけの手筈を整えていたということである。 猫の手も借りたかったであろう状況で、最有力の重臣を手元から離してまで陶謙がそれを行った理由。 それは――「劉玄徳殿。わしは戦乱を望まぬ。徐州の民が、ひいては中華に住まう民が平穏に暮らすことが出来る世の中こそ望みであった。それは貴殿と同じものであろうか?」 その言葉に、玄徳様は深く頷いてみせた。「はい。私は、力のない人たちを苛める世の中を変えたかったんです。そして、みんなが笑って暮らせる世の中をつくりたかった。その一念で立ち上がりましたから――それはきっと、陶翁が夢見たものと同じ筈です」「うむ。じゃがそれを貫くことの厳しさはわしが語るまでもあるまい。今の体たらくが全てを物語っておるよ。結局、数十年かけてわしがたどり着いたはここであった。中華の民どころか、徐州の民すら守りきれなかったのじゃ。否、民だけではないな。わしは父として、息子たちさえ導くことが出来なんだ……」 その陶謙の言葉に、玄徳様は首を横に振って反論しようとする。 だが、陶謙はそっと右手をあげて玄徳様の言葉を遮った。そして、なおも口を開く。「じゃが、全てが無駄であったとは思わぬ。忠実な配下を得ることができた。わずかなりと、民の笑顔を守ることができた。そして、わしと同じ志を持つ貴殿と出会い、力を貸すことができた。同じくらいに厄介ごとを押し付けてしまったことが悔やまれるが、わしはそう思っておる」「はい。私も、陶翁――いえ、陶州牧と同じ気持ちです。この徐州の地にこられたことは、かけがえのない経験となりました」 その玄徳様の言葉に、陶謙は相好を崩した。 なんというか、可愛い孫娘を前にした好々爺といった感じである。いや、あるいはそのものかもしれんが。 そうして、陶謙は最後にこう口にした。「関将軍らが淮北に残されたという話は聞いておる。彼女らはわしが一命にかえても貴殿の下にお戻ししよう。どうか江都に行き、荊州で再起を図ってもらいたい。今のわしや貴殿では、曹将軍にも袁術にも勝ち得ぬが、それは未来永劫そうであることを意味するものではない」 陶謙はそう言うと、持っていた州牧の印章を玄徳様に向けて差し出した。「わしが夢見た中華の地……長の年月、追い続けた志を、この徐州牧の印章と共に、そなたに託したい。受け取ってくれようか。我が……我が、娘よ」 返答は、差し出された陶謙の手を、印章ごと包み込んだ玄徳様の掌。 万言を費やすに優る返答に、陶謙の目に涙が浮かぶ。そして玄徳様の目にも。 否、それはこの場にいるほとんどの者たちに共通するものであった。 誰もが感じた――いや、わかっていたのだろう。 陶謙が渡そうとしていたのは、ただの州牧の印などではない。中華の平和を願う、貴く尊い志であるということを。それがいつか、この暗い乱世に曙光をもたらすであろうことを。 それゆえにこそ、多くの人々がこのために動いたのである。 ただ一人の例外であるおれを除いて、皆、そのことを知っていたに違いなかった。 おれは自分の小ささを自覚し、赤面せざるをえない。 そして、知らず呟きがこぼれでた。「でかいなあ……この差は」 玄徳様たちは言葉にしなくても理解していた。おれは言葉にされなければ理解できなかった。 この差は、きっとおれが思う以上に大きいのだろう。そう考えての呟きであった。