陶謙への宣戦布告を行うや、曹操は即日、五万の兵を率いて、許昌を進発した。 この時期、曹操の最大動員兵力が二〇万に達することを考えると、この数はやや少ないように思われる。 だが、軍隊とは、兵士を集めるだけで成り立つものではない。戦略戦術はもとより、武器、糧食をはじめとした物資がなければ、どれだけ精強な兵士であっても、実力を発揮しようがない。 ことに、外征においては、この物資をいかに滞りなく運ぶかが勝敗を決する重要な要素になる。 兵法に親しむ曹操は、当然、そのことをわきまえていた。それは、その配下の諸将にも同様のことがいえる。そういった準備をせずに兵を発し、士卒に飢えを強いるがごとき愚将は、曹操軍には存在しない。 それを考えれば、急報を受け、即日、五万の軍勢が動員されたという事実の、いかに恐るべきかは瞭然としていよう。すなわち、それだけの物資、それだけの準備が、常に許昌では整えられているということの証左なのである。 軍隊を増強させるだけではなく、それを支える内治における曹操軍の充実ぶりが、この一事を見るだけで明らかであった。 当然ながら、五万の軍勢が出陣しても、それで終わりではない。 各地で動員された兵は、準備を終え次第、許昌をはじめとした曹操領から次々に出撃し、本隊に合流していく。 曹操の本隊は見る見るうちにその数を増し、徐州国境にさしかかった時には、その兵力は十万に達していた。 一方、迎え撃つ徐州の陶謙は、曹操とは対照的な動きの鈍さを見せていた。 より正確に言えば、徐州側の人々は、動こうにも動けなかったのである。 徐州牧陶謙が、病に倒れてしまった為に。 父として子の暴挙を察せなかったこと。 州牧として徐州の治安を疎かにしたこと。 さらには、それらが原因となって、漢帝を擁する曹操と敵対することになってしまったこと。 そのどれをとっても、陶謙の余命を削り取らずにはおかない重大事であった。 当初、陶謙は、息子たちと襲撃に加わった兵、さらには自分自身の身柄も含めて、曹操の陣営に差し出すつもりであった。 陶家の家長として、そして徐州の州牧として、今回の一件が申し開きのしようもない失態であることは、誰よりも陶謙は理解していた。それゆえ、自らの一命を賭して、曹操の怒りを解き、徐州へ向けた矛先をおさめてもらおうとしたのである。 だが、これには陶謙の配下から一斉に反対の声があがる。 公子たちの罪は否定しようもないが、陶謙自身が命をもって償う必要があるだろうか。 これまで陶謙は、徐州牧として、徐州の地を見事に統治してきた。多くの配下が、陶謙の徳を慕い、忠誠を捧げている。次代の権力奪取を狙い、公子たちに近づいた者たちでさえ、それは例外ではなかった。彼らが狙うのは、あくまでも次代の権力。陶謙個人に対して歯向かう気持ちを持っているわけではないのである。 多くの配下の反対にあい、陶謙は即座に行動に移ることが出来なかった。 孫乾、陳登らは、襲撃を実行した者たちの身柄を曹操に引き渡すことは当然としながらも、曹操がそれ以上を求めるようなら、戦いもやむなしと訴えた。今回の襲撃に対し、徐州側に全ての責任があることは確かだが、だからといって徐州が曹操の言うなりになる必要はない 一方で、曹豹などは、活発化している曹操領内の動きに注意を喚起し、曹操軍が大動員をかけてくるであろうことを予測した。曹操軍が本格的に動き出せば、徐州の軍が太刀打ちすることは難しい。無用な抗戦は、戦禍を大きくするだけであると主張した。 降伏を主張する者、河北の袁紹に救援を求めようと言う者、あるいはこの際、南の偽帝と手を組めないものかと口にする者等が入り乱れ、軍議は収拾のつけようがないように思われた。 そして。 唾を飛ばして自説を主張する彼らの耳に、奇妙に鈍い音が響く。 何事か、と音の聞こえてきた方向に目を向けた徐州の高官たちは、そこにうつぶせになって倒れ込む、州牧の姿を見つけたのである。◆◆「――さすがは曹操。疾風迅雷とはまさにこのことだな」 小沛城内における軍議の間で、開口一番、趙雲がそう口にした。 徐州国境に姿を表した、雲霞の如き曹操の大軍と、その大軍をこの短期間で集め、編成し、移動せしめた曹操軍の実力に敬意を表してのことであろう。「敵を褒めている場合ではなかろう。孔明、士元、何か策はないのか。このままでは、この城は瞬く間に曹操軍に囲まれてしまうぞ」 趙雲の言葉に、苛立たしげに反論した関羽が、二人の軍師に視線を向ける。 だが、当の軍師たちは、力なく頭を振る。「残念ながら……小沛の軍を動かす準備は出来ていますが、今の曹操さんの軍勢と正面から戦うのは、危険が大きすぎます」「……かといって、ここまで時間がないと、ほどこせる策も限られてしまいます。それに、曹操さんの軍は、進軍こそ速いですが、油断も隙も見当たりません。報告によれば、騎兵、歩兵、皆、整然と行動し、まるで一つの生き物のように、徐州めがけて進んでくるとのこと。小細工を弄せば、痛い目を見るのは私たちでしょう」 諸葛亮と鳳統の言葉に、関羽のみならず、周囲の将軍たちも、うめきにも似た声を搾り出すことしか出来なかった。 鳳統が口にしたように、曹操軍の進撃ぶりは素早く、隙のない見事なものだった。 猛々しさもあらわに、復讐に燃えて殺到してくる狂兵の群れ――そんなものはどこにもおらず、粛々と、まるで潮が満ちるように静かに、しかし着実に徐州へと侵攻してくる曹操軍。 それはあたかも巍巍たる城壁が迫ってくるかのような威圧感を伴い、小沛のみならず、徐州全土を押し潰さんとしているかのようであった。 劉家軍の諸将にとって、曹家襲撃の凶報に始まった今回の戦いは、予想だにしないものであった。 それゆえ、戦いの備えが不十分であることは否定できない事実である。 だがそれ以上に、劉家軍には、ある感情が燻っていた。 それは――「しかし、ですな。そも、我らが曹操と戦う必要があるのでしょうか?」 遠慮がちに、しかし、はっきりとそう口に出したのは、馬元義であった。 劉家軍を率いる五人の将軍――関羽、張飛、陳到、趙雲、馬元義――のうち、もっとも目立たない人物である。 それは無理からぬことであった。馬元義の主な任務は、陣地の設営であったり、後方の警戒であったり、あるいは補給路の確保であったりと、重要ではあるが、功績が目立たないものばかり。戦場で華々しく敵将と渡り合うような場面には、ついぞ出くわさずにここまで来たからである。 くわえて、もともと黄巾党の一兵卒から、張宝によって大抜擢された馬元義は、将軍としての知識、手腕、経験などがほとんどなく、勝敗を決するような重要な局面を預けるには、やや頼りない人物だと考えられていた。 しかし、河北からこちら、馬元義はうまずたゆまず将軍として研鑽を積み、経験を重ね、功績の目立たない裏方の仕事であっても誠実に勤め上げてきた。 その堅実な仕事振りは着実な成果を示し、将軍としての信頼を、周囲の人々に植え付けていった。 馬元義の存在は、未だ脚光を浴びるには至っていないし、おそらく今後もそうなることはあるまいが、、しかし、劉家軍の作戦行動において、欠くことの出来ない人物であると目されるようになりつつあったのである。 そんな馬元義のもう一つの特徴。それは、その忠誠が劉家軍の長である玄徳様ではなく、張角たち三姉妹に向けられている、ということであった。 とはいえ、誰かがそれを問題視している、というわけではない。馬元義が三姉妹に忠誠を尽くすのは、その出自から言って当然のことであったし、玄徳様に隔意を抱いているわけでもない。むしろ、こんな自分が将軍職についていて良いのだろうか、と気にしているような人柄であるから、問題など起こりようがなかったのである。これまでは。 しかし、今回は状況が違いすぎた。 関羽らは玄徳様の性格を知るゆえに、陶謙に属して曹操と戦うということに異論は唱えない。しかし、馬元義にしてみれば、どう考えても理は曹操にある。その曹操と対立し、張家の姉妹や、あるいは自分の部下たちを危険に晒すことは避けたいと考えるのは、自然なことであったのだろう。 誰もが口に出そうとしなかった言葉を口にしたのは、そういった背景があってのことだった。 そして、口にこそ出さないが、馬元義と同じ感情を持っている者は少なくなかったのだろう。誰よりも、玄徳様自身、迷いを覚えていたに違いない。 馬元義の言葉を聞くや、さっと曇った表情が、その心中を如実に表しており、その口から出る言葉にも、いつもの明瞭さが欠けていた。「そ、それは、その……」「――もちろん、あるに決まっているでしょう」「え?」 玄徳様が、唐突に口をはさんできた人物に、驚きもあらわに視線を向けた。 つまり、おれに、ということだが。 相手は将軍。こちらは将軍(趙雲)の部下。立場としては、当然、向こうが上なのだが、おれを見る馬元義は気分を害した様子はなかった。 劉家軍に加わった時期がおれの方が早いこともあるし、あるいは三姉妹とも近しい関係にあるため、おれには一目置いてくれているのである。「む、北郷殿、しかしですな。どうみても、今回の件、相手に理がありはしませんか? まして、相手は漢帝を擁し、朝廷の威光を背負っている曹将軍の軍勢です。ここは相手に従うのも、一つの方法だと思うのですが」「確かに、強風に煽られた際、すなおに屈服するというのは、一つの見識ではあるでしょう。流れる血も、少なくなるかもしれない。それに、馬将軍が仰るとおり、今回の発端、明らかにこちらに非がありますしね」 おれは馬元義の言葉に頷いてみせた。 それを聞き、玄徳様が顔を俯かせる。 馬元義が、何か言おうと口を開きかけたが、おれはそれを押しかぶせるように、さらに言葉を続けた。「では――」「でも、です。曹将軍が、家族の仇を討たんとするのは、当然のことで、当然の権利であるでしょう。しかし、それと徐州を侵略する権利とは異なるのではないでしょうか。今、馬将軍は朝廷について言及されましたが、今回の曹将軍の行動は、一族の仇を討つという私(わたくし)のもの。漢朝の臣として徐州を征するに足る公(おおやけ)の理はありません」 言ってから、おれは肩をすくめた。 詭弁である、と自分でも思ったからだ。「……まあ、陶州牧は、ばか息子どもの親という意味で私の存在であり、州牧という立場で公の存在です。あちら側からすれば、おれの言っていることは、罪をごまかすための詭弁になるのでしょうね。けれど――」 気が付けば、いつのまにか、室内にいる人々の視線は、ことごとくおれに向けられていた。 そのほとんどが、多かれ少なかれ、驚きの色を浮かべている。これまで、おれは軍議で発言することはあっても、他者の会話に割って入ったり、あまつさえ玄徳様の言葉を遮るような真似をしたことはなかった。 そんなおれが、滔々と自論を述べ立てることに、皆、驚いているのだろう。 だが、それと知ってなお、おれは自分の口を塞ごうとは思わなかった。先日来、頭の中が奇妙なまでに冴え渡っており、気分が高揚する一方なのである。状況が状況だったせいもあるが、眠る時間もほとんどなかったにも関わらず、眠気がまったくと言ってよいほど襲ってこないのだ。試験期間など、徹夜明けでハイになることがあるが、あれと同じ理屈なのだろうか? ともあれ、おれはなおも言葉を続けた。「行くあてのない私たちを、確かな縁がないにも関わらず、受け容れてくれた陶州牧や、徐州の人たちをここで見捨てれば、劉家軍の旗は泥に塗れてしまいましょう。まして、今、陶州牧は病で倒れ、徐州は混乱しています。いかに曹将軍に報復という理があり、また徐州側に非ありと言えど、ここは屈してはならないところだと私は思います」 すなわち。「襲撃した奴らをひっとらえ、曹将軍に差し出すのは当然。同時に、曹将軍の徐州への侵略は、この地で食い止める。言っていて、自分でも呆れるくらい、難しい戦いです。しかし、徐州の人々の恩に報い、なおかつ天下に義を示すには、そうする以外ないのではないでしょうか。私はそう考えます」 おれの言葉に、場が静まりかえった。 呆れられたかな、と少し不安になるが、まあ一つの意見として聞いてもらえればいい。 それに、自分で言うのもなんだが、実はあまり建設的な意見ではなかった。 というのも、襲撃者をひっとられることに関しては、彭城の孫乾や陳登らに任せるしかなく、劉家軍は曹操軍を食い止める役割となる。 そして、その曹操軍を食い止めることは至難である、というのは、とうに語られていることだ。 つまるところ、全然、具体的な案を出せていないのである。 今更、おれに戦う心構えを説かれれば、歴戦の将軍たちは苦笑の一つも漏らして当然であった。 そんなことをおれが考えていると。「――ふむ。確かに、曹家襲撃の愚劣さに目を奪われていたが、一刀の申しよう、一理あるやもしれんな。曹操の恨みは、あくまで私のこと。徐州侵攻を正当化する理由にはならんか」 趙雲は言いながら、幾度か頷いてみせた。 無論、違う意見を口にする者もいた。「それはどうかな。父母を殺されたとあらば、その仇を討つのに、私も公もない、人として当然の行動であろう。その相手が州牧であれば、その州に侵攻すること、これまた自然なこと。民がそれを是とするか非とするか、安易に結論を出すべきではなかろう」 そういったのは関羽である。 それを聞き、趙雲が小さく笑った。「つまり、どちらに転ぶかは民のみぞ知る、ということか。であれば、ここで我らがあれこれ憂えていても仕方のないこと。玄徳様の命に従い、迫る曹操の大軍をいかにして追い返すか、そのことにのみ、心を向ければ良い」「そうだな。どのみち、小沛というかけがえのない領地を譲ってくださった陶州牧の恩には、報いずにはおけぬ。それはお主たちとて同意見ではないか、伯姫殿?」「んー、そうだね。公演も大盛況だったし、のんびりもできたし、ここはとっても居心地良いな~。州牧さんには、感謝しないといけないよね」「ま、公演の成功はあたしたちの実力だけどねッ」「それはそうだけど。あれだけの人が集まったのは、平和な徐州だからよ。戦で疲弊した土地なら、そもそも公演に来るお金だってないんだから」 張角たちは、それぞれに言い分を口にしたが、総じて徐州には居心地の良さを感じているらしい。その土地に住まうことを許してくれた陶謙のために戦うことに、否やはないようだった。 そして、三姉妹の意見がそうであるなら、馬元義も、これ以上言うべきことはないようだ。頭をかきながら、申し訳なさそうに口を開いた。「伯姫様方がさようにお考えならば、私がとやかく口を出すことはありませんな。無用の言を申し上げてしまったようで、皆様、申し訳ございませんでした」 そう言って、馬元義は慌てて頭を下げたのである。 結局、この日の軍議で決まったことは、明朝、小沛の全軍を挙げて兌州との州境に出陣することだけであった。 鳳統が言うように小細工がきかないのなら、正面から当たるしかない。侵攻してくる敵の陣頭には、間違いなく曹操がいる筈。その語るところを聞き、こちらの主張を伝える。 曹操を説き伏せることは至難の業であろうが、それでも、曹操の侵攻を食い止めるためには、まずはそこから始めなければならないと、将軍たちの意見は一致を見たのである。◆◆ その夜は、明日の出陣に備えて、ささやかながら宴が催された。 兵士たちにも酒や肉が振舞われ、将と兵とを問わず、明日の出陣に備えて英気を養う。 一昔前は、こういった時は、裏方で走り回っていたものだが、劉家軍が大身になったおかげか、そういった雑務からは少しずつ解放されつつある。 それはそれで少しさびしいなあ、とか思いつつ、おれは軍議での無礼を玄徳様に詫びたり、曹家の襲撃時、一人で敵中に突っ込んだ無謀さを関羽に叱られたり、あるいは田豫と太子慈、王修、董卓らに身体の心配をされたりしながら過ごした。 やがて、酒を飲みすぎたのか、すこし視界が揺れるのを感じたおれは、いまだたけなわにある宴から離れ、自室に戻ることにした。 部屋に戻ったおれは、崩れるように寝台に倒れ込む。 だが、疲れ、酔っている筈なのに、一向に眠気が訪れない。相変わらず、目が冴え、心が滾るような感覚が、胸奥で繰り返されている。「……明日の出陣に、興奮してるのかな」 おれが、ぼんやりとそんなことを呟いたときだった。 ためらいがちなノックの音が、扉から響いてきた。 はて、誰だろうと首を捻りながら「どうぞ」と声をかける。田豫か、簡擁か。何か連絡でも伝え忘れていたのだろうか。そんなことを考えているおれの視界に、扉を開けて中に入ってきた人影が映る――「って、げ、玄徳様ッ?!」 おれはあわてて寝台から跳ね起き、部屋に入ってきた人物の姿をまじまじと見つめた。 灯火に映る髪は柔らかい輝きを放ち、女性らしい丸みを帯びた身体が扉のすぐ前に浮かび上がっている。うん、間違いなく玄徳様だ。 どうしてこんな夜中におれの部屋に、と顔中に疑問符を浮かべたおれは、ようやく玄徳様が両手で抱えている盆に気が付いた。 その上には、おそらく宴の席から持ってきたのであろう料理が数皿、置かれていた。「あ、あの、玄徳様、どうしたんですか?」「えーとね、一刀さん、宴であんまり食べてないようだったから、お腹空いてるんじゃないかなー、と思って」 そう言って、えへへ、と玄徳様は相好をくずしたのである。 言われてみれば、確かにおれはほとんど腹に物を入れた記憶がない。 別に体調が悪かったわけではなく、単純に空腹ではなかったからなのだが――どうやら、玄徳様は、おれが遠慮をしているとでも思ったのだろうか。わざわざ手ずから運んできてくれるとは恐れ多い。 とはいえ、それよりも言わねばならないことがあった。「玄徳様、年頃の女性が、こんな時間に男の部屋に一人で来るのはやめた方が良いです」「へ??」 何のことだろう? という感じで、玄徳様が首を傾げる。 その反応を見れば、玄徳様にそういう含みがないことは明らかで、その信頼が嬉しくもあり、また少し悲しくもあり、複雑な心境だ。 だが、さすがにあの劉玄徳といえど、今は年頃の女の子。間もなくおれの言いたいことを察したのか、両の頬を真っ赤にさせて、慌て始めた。「え、いや、あの、一刀さん、そんなつもりはないんだよッ?! あ、いや、まったくないかっていうと、それはそれで、少し疑問に思わなくもないんだけど、でもほら、その……そう! とりあえず、これを食べてッ!」 しばし、一人で言い訳と弁明を続けた挙句、玄徳様は、ずいっと盆をおれに押し付けてきた。 赤く染まったままの頬が可愛いな、と思ったのは内緒である。 だが、折角の玄徳様の心遣いだったが、食欲がないのに、物を食べる気にはなれなかった。 もっとも、素直にそう言う必要もない。おれは玄徳様に礼を言って、頭を下げる。「ありがとうございます、後でいただきますね」 ――それで終わり、とおれは思っていた。玄徳様は部屋を出て行き、おれは再び寝台に倒れ込む。料理は、おきてから食べれば良いだろう。もっとも、ここ数日、朝もほとんど食欲がないままなのだが…… だが、玄徳様は、おれが盆を机に置いた後も、部屋を出て行こうとはしなかった。 むしろ、さらに一歩、おれに近づいてきたのである。その顔は、先刻までのそれとは、どこか違って見えた。「ね、一刀さん」「は、はい、なんでしょう?」「正直に答えてね」「は、はあ?」 何だ、何だ? 玄徳様の顔が強張ってるところなぞ、滅多に見られるものではないのだが。 最近、何か失敗しただろうか。いや、失敗といえば、曹家の襲撃は色々な意味で失敗だらけだったが、しかし、玄徳様はおれに対して責めるようなことは一言も言わなかったのに。 あるいは、と、おれはある可能性に気づく。 もしかして、一番の問題に気づいてしまったのだろうか――つまり、どうしておれが都合よく曹家の襲撃を予測できたのか、ということである。 事態の大きさにうやむやになったとはいえ、あの時点でおれが曹家の襲撃を予測できたのは、明らかに不自然なのだ。下手をすれば、おれも計画に一枚噛んでいたのではないか、と疑われても不思議ではないほどに。 そこを問い詰められると、おれは言葉に詰まるしかなくなる。まさか、歴史知識があったからとはいえないし。 だが、玄徳様の問いは、幸いにもおれの案じていたものとは違った。「最後にきちんとご飯たべたの、いつ?」「……はい?」 玄徳様が案じていたのは――「鈴々ちゃんから聞いたんだけど。曹家の人たちを護衛している間も、ほとんど食事、してなかったんだよね?」「は、はあ、まあ」 不幸にも、おれの案じていたものとは違った――「私、城に帰ってからも、一刀さんがきちんと食事してるところ、見てないんだ」「そ、そうでしたっけ? たまたま、玄徳様がいなかっただけだと思いま――」 玄徳様が案じていたのは――「ごめんね。田くんに、こっそり見てもらってたんだよ。一刀さん、ちゃんとご飯食べてるかどうか」「あ、そうでしたか。でもほら、部屋で、一人で食べた時もありましたし……」 おれが、見ることさえ拒んでいた事実――「ご飯を食べたのに、何で食器がないのかな。侍女の人も、一刀さんの部屋で食器を片付けたことはないって言ってたよ」「……は、はあ」 おれは――「もう一回聞くね。最後に、きちんとご飯たべたのはいつ?」「……」 おれは――「もしかして――あの襲撃の日から、ずっとそうなのかな?」「……」 玄徳様の問いに、ただ、口を閉ざすことしか出来なかった――