徐州牧・陶謙は、居城である彭城の一室で、疲労した顔の中にも、満足の色を浮かべていた。 先刻、ようやく終わった会議が、ほぼ陶謙の望む結論で幕を下ろしたからである。 その決定は次のようなものだった。 みだりに皇帝を僭称する袁術に対し、徐州は断固として、これを認めない立場を明確にし、許昌の漢帝に対し、この決定をお知らせする。 漢帝を擁する曹操は、今回の袁術の行動を放置しておく筈はなく、必ず戦端を開くだろう。袁術の揚州、ならびに曹操の兌州と、二つながらに接する位置にある徐州の動向は、袁術、曹操、両者にとって無視しえないものである。その徐州が、漢帝に忠誠を尽くすということは、すなわち曹操側につくことを意味する。陶謙の使者は、必ず許昌で歓迎されることになるだろう。 曹操との友好が確立されれば、陶謙は兌州に接する国境の軍備を、大幅に削減することが出来る。兵役に就いた民を、農村に帰せば、生産力の向上につながり、同時に軍備を維持するために必要な資金を削減することも出来るだろう。 無論、それは理想である。現状、軍備の削減など、容易く出来る筈もない。だが、少なくとも、南の袁術への備えを、より堅くする程度のことは可能となるだろう。 陶謙は、これまでの曹操の行動を鑑みた限り、かの者が動くのは、ほどなくのことだと判断していた。曹操は、主導権を他者に握られ、黙っているような人物ではない。時代に従うのではなく、時代を従わせる覇気の持ち主であり、今回のような事態に直面した時、黙って事の成り行きを見守るような消極策を選ぶことはあるまい。 許昌が動けば、当然、陶謙の下にも出兵の命令が届くだろう。それは、曹操の手先となるに非ず。漢の旗幟の下、叛乱軍を征伐する正義の軍の一翼を担うのである。 漢帝に忠節を尽くし、偽帝を討伐する。これほどすっきりとした、名誉ある戦いは、そうそうあるまい。その戦いで武功を輝かせた者の名は、徐州のみならず、中華全土に轟くであろう。 無論、敵は偽りといえど、皇帝を名乗るだけの力を持った者。その麾下には、中華最強の飛将軍さえいると聞き及ぶ。戦い、勝利することは、決して簡単なことではない。まして、徐州軍は、虎牢関の戦で、その飛将軍の軍に鎧袖一触、蹴散らされた苦い記憶があるのだから、なおさら、その観は強かった。 何者をもってすれば、偽帝と互角の戦いを繰り広げることが出来るのか。 何者をもってすれば、飛将軍の神勇に対抗することがかなうのか。 それだけの戦略戦術をたくわえる頭脳を有する勢力。 それだけの武技驍勇を秘める武将を配下に持つ将軍。 ――いずれも、小沛の劉玄徳以外にありえなかった。 小沛の劉玄徳に、徐州全軍の采配を委ねる。 会議の冒頭、そう告げた陶謙の言葉は、居並ぶ群臣を驚愕させた。中でも、最も驚いたのが当の劉備であったことに、陶謙は微笑をもらしたものだった。 とはいえ、陶謙にとっては自然な人選であったが、当然のように、すんなりとは運ばなかった。 瑯耶郡の黄巾党征伐、小沛入城以後の野盗退治や、国境周辺での小競り合いなどで、劉家軍の精強なるを知らない者は、徐州にはいない。だが、徐州全軍を率いるとなれば、ただ戦に強いだけではなく、帥将としての力量が求められる。 それは、戦局全体を見渡す視野の広さであり、的確に将兵を配置し、変事に応じるだけの戦術眼を持つことである。 また、徐州軍の兵力は当然ながら限りがあり、あらゆる戦場の必要数を満たせるわけではない。時に、味方を斬り捨てる決断を強いられることもあるであろう。その時、将が情にとらわれ、ためらいを覚えては、千変万化する戦場の動きに対応することはできず、徐州軍はついには敗亡の淵に立たされることになりかねぬ。 それゆえ、そういった事態にあって、怯むことなく対処できる冷厳さもまた、将たる資格の一つなのである。 ことに、最後の点が、劉家軍の実力を知る者であっても、陶謙の人選に難色を示さざるをえない懸念なのである。 そして、その危惧は、陶謙もまた群臣と等しく持っているものであった。 無論、劉備とて、これまで戦乱の中を、一軍の将として駆け抜けてきた人物である。一瞬の判断の遅れが敗北を招く、峻厳な戦場の理を知らぬ筈はない。黄巾党との決戦をはじめとして、幾度もの激戦を潜り抜けてきた胆力を侮るつもりはない。 だが、百や千の軍将としてのそれと、一国の命運を賭け、万余の軍勢を率いて戦うそれでは、根本的に意味合いが異なる。 敗北は、自軍の将兵のみならず、その背後に控える数十万、数百万の民衆の命運をさえ決する。その重みは、余人の想像を絶しよう。心身に深く重く積み重なる疲弊は、老練な陶謙であっても容易にさばくことは出来ない。いわんや、若く、可憐な乙女である劉備にとっては尚更であろう。 だが、それと承知してなお、陶謙は劉備を徐州全軍の総帥に推した。 それに対する臣下の反応は、当然ながらひとつではない。 孫乾や糜竺、陳登らのように全面的に賛同する者がいる一方で、古参の将である糜芳、曹豹らは新参の将に大役が与えられることに不満の色を見せている。 また、陶商、陶応らに近しい臣下たちは、表立った反対こそしないものの、内心は何を考えているか知れたものではなかった。 とはいえ、彼らが声高に反対を唱えないことは、陶謙、そして孫乾たちにとっても意外ではあった。陶謙の代わりならば、余所者に頼らずとも、公子たちがいるではないか、と主張するに違いないと考えていたからである。 だが、彼らとても、徐州で枢要に携わる身。今回の変事が招く戦乱が、尋常のものではないことを肌で感じているのだろう。陶商たちを担ぎ出すには、危険が大きいと判断したのかもしれない。 あるいは、誰よりも公子たちを知る彼らのこと、このような時、陶商たちを前面に押し出しては、最悪の場合、自らの利益のみならず、自家の安泰さえ覆される事態になりかねないとも考えたのか。 いずれにせよ、積極的な反対がなされないことは、陶謙にとって僥倖であった。 将軍たちにしても、相手が飛将軍とあって、その一番の標的となるであろう帥将の座を欲するだけの気概を有する者はおらず、結局、劉備が自分たちの上に立つことを認めることになった。 諸葛亮に促された劉備が、戸惑いながらも承諾の旨を告げるや、武官、文官を問わず、その場に席を与えられていた者たちは、一斉に頭を垂れ、劉備の指揮に服することを態度で表したのである。 人心の統一なくして、勝てる戦なぞ存在しない。 それは逆に言えば、人心の統一さえ成れば、いかなる戦にも勝機を見出せるということ。 ここに、徐州は指揮系統を一新し、来るべき戦乱に対する体制を確立させることに成功する。 それは、やがて軍のみならず、徐州全土に及ぶ新しい治世の先駆となる出来事であると陶謙は考え、久しく感じることのなかった活力が、身体中を満たしていくのを実感しているところであった。 後は、偽帝を征伐し、その勲をもって、劉備に徐州牧の印を譲り渡せば、自身に与えられた天命を果たすことが出来る。陶謙はそう信じていたのである。 ――暁闇を裂いて、一つの報告が彭城に届けられるその瞬間まで。ずっと。 征東将軍・曹操の父曹嵩、弟曹徳、徐州の軍勢に襲われ、落命す。 その報を受けた時、陶謙はすでに目を覚まし、起き出す寸前であった。 昨夜からの風雨は収まっていたが、徐州の空は厚い雲に覆われ、晩秋の肌寒い寒気が、陶謙の私室にも入り込んでいる。 その部屋の中で、陶謙は、時ならぬ雷鳴を、至近に聞いたかのような表情を浮かべ、咄嗟に言葉も出なかった。 文字通り、寝耳に水の事態である。州牧である陶謙は、当然、そんな命令を下した覚えはない。一体、何事が生じたというのか。 知らせをもたらしたのは、小沛城主であり、昨夜、徐州軍の帥将となった劉備であった。諸葛亮一人を連れて、早急に州牧に会いたい旨を告げているという。 陶謙は一も二もなく頷くと、主だった家臣たちに謁見の間に集まるように命じた。まだ夜明け前の刻限であるが、事態は一刻を争うと、陶謙は判断したのである。 かくて、慌しく集まった徐州の高官たちの前で、先夜の惨劇の概要が詳らかにされていく。 北郷と、そして事が終わった後に駆けつけた張飛から、状況をつぶさに聞きだした諸葛亮が語る一連の出来事は、無駄をそぎ落とし、必要な部分を削らぬ見事なものであった。そして、それだけに、より一層、先夜の凄惨な状況が、聞く者の心に印象づけられていくのである。 諸葛亮が、曹嵩が倒れたところまで語り終えると、それまで無言で話に聞き入っていた陶謙の口から、呻きに似た声が漏れる。 その呻きが明確な声として発されるまで、しばらくの時が必要であったのは、いたし方のないことであったろう。 陶謙の口からようやく発された声は、わずかに震えを帯びていた。「……では、曹嵩殿は、もはや?」「……はい。先刻、息を引き取られました」 諸葛亮の言葉に、陶謙の身体が椅子に崩れ落ちる。慌てて侍女がその身体を支えようとするが、陶謙は腕をわずかに振って、侍女に無用の旨を伝える。だが、その様子は明らかに憔悴しており、一気に十以上も年をとってしまったかのようだった。 諸葛亮が告げた事実が、どのような事態を引き起こすか。陶謙は、瞬時に悟ったのである。 陶謙が崩れ落ちると同時に、駆けつけた高官たちの口から悲鳴じみた声があがり出す。 遅ればせながら、彼らもまた、事の大きさに思い至ったのだろう。「し、しかし、何者がそのような真似をするッ?! 陶州牧はそのような命令を出しておらん。誤報ではないのか?」 曹豹が言えば、それに応じて糜芳が頷いた。「う、うむ。あるいは、野盗どもがでまかせを口にしただけやもしれん。いずれにせよ、曹家の一行をこのまま許昌に向かわせるはまずかろう。我らに、彼らを傷つける意図などないことをわかっていただかねば、許昌の曹操の恨みを買うは必定だぞ」「さよう。玄徳殿、曹家の方々は、今、いずこにおられるのか?!」 曹豹、糜芳は口々にそう言い立てたが、彼らとは対照的に、孫乾や糜竺らは口を噤み、顔色を蒼白にしていた。 どちらが現状を認識しているか。それを比べれば、疑いなく後者に軍配が上がるだろう。 徐州の地で、曹操の一族の血が流れた。それが徐州側の関知しないものであったとしても、それだけの暴虐を許してしまった罪は拭えない。 まして、命を失ったのは曹操の実の父と、弟である。儒教倫理を持ち出すまでもなく、漢民族にとって、父母は、自身をこの世に産み落とした尊貴の存在である。父母の仇とは、共に天を戴かず、というのは当然であり、自然な考えであった。 その父の命を奪われたのだ。例え、徐州側が無関係を言い立てたところで、もはや曹操は止まるまい。 しかも、である。 そも、本当に徐州側は無関係なのだろうか? 孫乾と糜竺は知らず、互いに視線を交わしていた。彼らは互いに、とある危惧を共有したことを、その一瞥で確認しあう。 同時に、それは彼らの主君である陶謙もまた抱えている危惧でもあったようだ。 陶謙が、再び重い口を開く。「玄徳殿。今の孔明殿の言うことを聞けば、貴殿の配下は、曹家の方々と共に賊徒らと戦ったと聞いた。教えてくれぃ。一体、何があったのじゃ? 何ゆえ、徐州の軍が手を下したということになったのじゃ?」 その声からは、いまだに震えが消えていない。 まさか、との疑惑を禁じえずにいることが、その問いに現れていた。 劉備は、咄嗟に陶謙の問いに答えることが出来ない。 だが、問題の大きさと、緊急性を考慮すれば、沈黙を保ち続けることもまた出来なかった。 それでも、自らの口で、そうと口にすることはつらかったのだろう。陶謙の問いに対する劉備の答えは、事情を知らない者の耳には、やや要領を得ないものとなった。「陶州牧、あの、その、ですね。ご子息が、彭城にいらっしゃるのか、確認して頂いてもよろしいでしょうか」 その言葉に対する周囲の反応は、綺麗に二つに分かれた。 一つは、劉備が何を言っているのかわからず、怪訝そうな顔をする者たち。 そしてもう一つは――やはり、と言いたげに表情を強張らせる者たちである。 陶謙は、後者であった。 両手で顔を覆うように俯くと、表情を隠したまま、劉備の問いに答える。「……玄徳殿、もそっと直截に申してくだされ。襲撃の現場に、愚息がおったのですかな?」「い、いいえ。現場にいたのは、陳蘭と雷薄と名乗る賊、あと、もう一人は張凱、という人物だったそうです。ただ、ですね……」 劉備は、つらそうに声を詰まらせた。「わしに遠慮は要りませぬ。今は、一刻も早く真相を究明し、対策を練るが肝要。申されよ」 陶謙の言葉に、劉備はためらいを残しつつ、口を開いた。「鈴々ちゃ――い、いいえ、私の配下の張飛が、知らせを受け、現場に赴く途中、不審な一行を見つけたのです。夜半、甲冑をまとい、武器を帯びていた彼らを問い詰めたところ、彼らは物も言わずに張飛たちに武器を向けてきて」 突然の攻撃であった。 だが、張飛は虎とも渾名される猛将である。そこらの賊相手に遅れをとる筈がなく、たちまちのうちに彼ら全員を叩き伏せ、その隙に逃げようとしていた一行の指揮官らしき人物を捕らえることに成功したのだ。 そして、その人物こそが――「……陶応様、と思しき人物だったのです」 劉備が告げる事実に、それを予想していた者、していなかった者を含め、徐州の高官、誰一人として声を発することが出来ない様子であった。 さらに劉備は、駆けつけた張飛によって、残存していた賊徒がことごとく討ち取られたこと。邸内でかろうじて生き残っていた者たちを救出したこと等を付け加えた。 それから、しばし後。 失意と驚愕から立ち直ったのか、陶謙が静かに配下へ命令を下し始めた。「――公祐(孫乾の字)」「は、はいッ」「子方(糜芳の字)」「はッ」 陶謙の呼びかけに、孫乾と糜芳が慌てた様子で応じた。「すまぬが、そなたたち、急ぎ商を呼んできてくれい。愚息や、その側近たちが妄動するようなら、力ずくで押さえつけてかまわぬ」「ぎ、御意にございます」「曹豹」「はッ」「そなたは、早急に彭城内の軍兵を束ねよ。不穏な動きをする者たちあらば、ただちにわしに知らせるのじゃ」「承知仕りました」 陶謙の命令に、曹豹は戸惑ったような顔をしつつも、その命令に従うため、足早に出て行く。「玄徳殿」「は、はいッ!」「もう一人の愚息を、この場に連れてきていただけまいか。おそらく、貴殿らが匿ってくれているのであろうが、我が身に対する遠慮も斟酌も無用じゃ」 劉備にそう告げた時、陶謙の顔にはすでに当初の驚きはなかった。その声は、どこか淡々としており、この非常時にあって、狼狽の欠片も見当たらない。 その落ち着きを保ったまま、陶謙は念のために、とでも言うように、問いを付け足した。「曹家の方々は、もうすでに許昌に向かわれたのであろうな?」「は、はい。曹嵩様が亡くなられた後、すぐに。私が、ぜひとも陶謙様にお会いになってくださいと申し上げたのですけど、それも拒否されてしまって……」 陶謙はそれを聞き、小さく頷いた。「さもあろう。徐州領内の政変に巻き込まれたのじゃ。その長であるわしを信じることが出来ぬのは当然のこと。じゃが、この上、助かった方々まで、放逐同然に徐州を追い出すわけにもいかぬ……」 苦悩する陶謙に、劉備は慌てて、これまで伝えていなかった事実を伝えた。「ご、ご安心ください。私の護衛として彭城についてきてくれた三〇名、今は曹家の方々をお守りするために、ついていっています。張飛もおりますし、襲撃の場で、曹家の人たちと一緒に戦った北郷という人も、頼りになる人ですから、再度の襲撃の恐れはないと思いますッ」 陶謙にこれ以上の心労をかけまいとする劉備の必死の物言いに、陶謙の顔にようやく柔らかい表情が浮かぶ。それは、笑みと呼ぶには淡いものであったが、凶報を聞いてこの方、陶謙が決して浮かべることのなかったものでもあった。「さようか。貴殿と、貴殿の配下の方には、どれだけ感謝してもしたりぬようじゃ。ともあれ――」 陶謙の眼差しに、鋭い光がよぎる。「不埒者らの処罰は、何にもまして行わねばならぬ。手数をかけるが、応めを連れてきてくだされ」「は、はい、かしこまりました」 陶謙の、州牧としての威に触れ、劉備と諸葛亮は、一斉に頭を垂れたのであった。 そして、劉備たちが去った後。 その場に残ったのは、陶謙と、そして糜竺だけであった。 最後に残った配下に向けて、陶謙は静かに口を開いた。「子仲」「は」 糜竺は、落ち着いた様子で、陶謙に応じる。「そなたには、これより使者として発ってもらう。何処へ行ってもらうかじゃが、わかるか?」「さて、それがし、人の心を読む術は心得ておりませぬゆえ、それだけでは如何とも。ただ、推測を口にすることくらいは出来まするが」 このような事態にあっても、常と変わらない糜竺の物言いに、陶謙は穏やかな表情で頷いてみせた。「推測で良い。申してみよ」「されば――偽帝めの、宿敵のところでございましょうや?」 その糜竺の言葉に、陶謙は、ただ一度だけ、首を縦に振った。◆◆「ここまでで結構です。劉家の方々」 曹純がそう口にしたのは、兌州と徐州の国境にほど近い場所であった。 互いに馬上にあって、何とも言いがたい表情で、おれは曹純と視線をかわした。 襲撃から、すでに数日が経過している。 曹嵩が黎明と共に息を引き取ってからこちら、おれはずっと曹家一行に付き従っていた。名目としては護衛であるが、それは後から駆けつけてくれた張飛と、その部隊だけで事足りる。 おれの役割は、徐州側と曹家一行との間の橋渡しであった。 もっとも、襲撃に関することに、口をはさむことなど、出来るわけがない。夫をなくした曹凛様や、配下を失った曹純、友達を傷つけられた許緒に対して「あれは陶州牧のやったことではない。だから勘弁してほしい」などと口にする蛮勇を、おれは持ち合わせていなかった。 おれがやったことは、襲撃後、徐州側に保護されることを嫌った曹家一行に対して、馬や馬車、あるいはけが人を手当てするための薬や、衣服などを提供することであった。 言うまでもなく、それらの物資は、陶謙からのせめてもの補償の一端であった。徐州の役人から渡そうとしても拒絶されると考えた陶謙は、劉家軍の手を経て、曹家にそれらの物資を差し出したのである。 陶謙の真情としては、みずから馬を駆って、彼らに謝罪したいところなのかもしれないが、すでに彭城では、今回の一件が公子たちの手によってもたらされたことが発覚していた。そのため、城内の人々は大混乱に陥っており、州牧である陶謙が、城を空けられる状況ではなかったのである。 護衛の兵士も、当初の三〇騎から、一〇〇騎近くまで増えていた。これは、彭城からの知らせを受けた小沛の関羽が派遣してくれたもので、それを率いていたのは、趙雲だった。 もっとも、さすがの趙雲も、曹家の人々の沈痛な面差しを前にしては、口を閉ざすことしか出来ぬ。 さらには、徐州側の新しい将軍の到着は、無用に彼らを刺激すると考えたのだろう、関羽から託されていた領内通行の手形をおれに渡し、そして、おれの口から襲撃の一部始終を聞くや、すぐに小沛に向けて馬首を返したのである。 その際、趙雲は、どこか憂うような眼差しで、おれの顔をまじまじと見つめた後、一度だけ肩を叩いたのだが、あの動作の意味は、この時のおれには、まだ理解できなかった。 かくして、ようやく兌州の地を望む場所まで、おれたちはたどり着く。 数日の行を共にしたとはいえ、おれや張飛は、曹純たちとはほとんど言葉を交わしていない。物資を引き渡す際や、あるいは怪我の具合が悪化し、途上で果てた兵士を埋葬する時に、幾度か会話したくらいか。道程のほとんどは、重苦しく、悲痛な沈黙に包まれたものであった。 曹純が、どこか淡々とした様子で、おれを見ながら口を開いた。秀麗な容姿からは、隠しきれない疲労と、そして憤りが感じられる。それは、ここ数日で深まりこそすれ、薄まる気配はまるでなかった。「北郷殿をはじめ、劉家の方々には世話になりもうした。曹嵩様、曹徳様のことは残念でなりませんが、曹凛様お一人だけでもお救いすることが出来たのは、ひとえに貴殿たちのお陰です。このとおり、お礼申し上げる」 そういって、馬上、頭を下げる曹純に、おれは頭を振って応えた。「――お役に立てたのでしたら、何よりです。ですが、礼を言われるようなことは、私たちは、何もしていないと思います」 言葉すくなに応じるおれ。 それ以外に、何を言えるというのだろう。 ここで万言を費やそうと、決して意味をなさないであろうことくらい、おれにも理解できていた。 曹純は、おれと同じ動作をした。つまり、頭を振ったのである。「繰り返しますが、貴殿たちには、感謝しています。これは、私だけではなく、仲康も同じ気持ちです。そして、曹凛様もまた、貴殿らには感謝しておられる」 そう言った後。 曹純は、静かに。静かすぎるくらい、静かに、こう言った。「――もし、貴殿らに会わねば、我らは徐州のことごとくを焼き尽くしても、飽き足らぬ気持ちになっていたでしょうからね。我らだけではない。徐州の民も兵も、州牧でさえ、貴殿らに感謝してしかるべきでありましょう」 それは、刃を示さぬ殺意であり、怒気を発さぬ激語であった。 蒼の瞳が、氷河の凍てつく輝きを具現する。 その総身から発せられる鋭利な迫力は、見る者の心を粉微塵に打ち砕かずにはおかなかった。 おれは、一言もなく口を噤むことしか出来ず、張飛でさえ、厳しい表情を浮かべたまま、口を開けずにいた。 そんなおれたちに対し、曹純は、ようやく感情を顔にのぼらせる。それは、諦めの混ざった、どこか寂しげな表情であるように、おれには見えた。 曹純の口が、ゆっくりと開かれる。「次に会う時は、我らは敵同士となっておりましょう。戦場で見えれば、この場での恩義は意味をなさず、互いの生死を賭して戦いあう道しか残されていないでしょう。我らが恩人の、これからを憂うがゆえに、ご忠告いたします」 一呼吸置いた後、曹純は言う。「一日も早く――否、一刻も早く、徐州から離れられよ。曹家の長たる曹孟徳、その力は中華全土に遍く響き、その気概は天下を覆いつくしてあまりある。卑劣なる策略を用いて、孟徳様に牙を剥いた愚者共は、雷挺の如き怒りに討たれ、ことごとく徐州の地に屍を晒すことになりましょう。そして、このまま徐州にとどまれば、孟徳様の怒りが貴殿たちにまで及ぶは必定。私は、恩ある方々の命を惜しむがゆえに、心より忠告いたします。徐州を、離れられよ。そう、劉玄徳殿にお伝えください」 そう言うや、こちらの返答を聞くこともなく、曹純は馬首をめぐらせる。 その向かう先には、許緒と曹凛様の姿があり、彼女らもまた、気遣わしげにおれたちの方を見つめていた。 だが、それも少しの間のみ。 やがて、曹純らは兌州領内に向けて去っていき、おれたちは、言葉もなく、その後姿を見送ることしか出来なかった。 ……許昌の曹操から、彭城の陶謙に向けた宣戦布告が発される、前日のことであった。