張超の蜂起に始まる兌州の動乱により、小沛をはじめとした徐州の国境付近は長らく緊張を強いられてきた。 しかし、一時は兌州を席巻する勢いであった叛乱軍は、濮陽城の戦いを契機として、その勢いを大きく減ずる。そして、一度、受身にまわってしまえば、再度の挽回を許すような曹操ではなく、叛乱軍は、曹操軍の圧倒的な戦力の前に、敗亡を余儀なくされたのである。 張超の死と共に許昌に戻った曹操は、ただちに四方に使者を発する。 すなわち、今回の動乱が張莫ではなく、その妹であった張超によるものであったこと、その張超は雍丘城で敗死したこと。 張超の背後には、曹操の専横を恐れた朝廷の大官たちがいたこと、証拠を掴んだ上で、彼らを処罰したこと。 そういった事実を詳らかにした曹操は、ここに兌州の乱の終結を宣言したのである。 時を前後して、朝廷は、今回の乱の速やかな鎮圧と、青州黄巾党の鎮定の功績を以って、曹操を兌州牧に任じる旨、天下に公表する。 その裏に、曹操の報復をおそれた宮中の高官たちの思惑があったことは、誰の目にも明らかだった。 この知らせは、当然のごとく小沛城の玄徳様の下へももたらされ、安堵と、そして警戒の念を育んだ。 安堵は言うまでもなく、戦火が徐州から遠ざかったためである。 張超なり、呂布なりが徐州を自分たちの側へ引き込もうとして、兌州の動乱がこちらに飛び火してくることは、十分に予想できることであったから、そういった事態が起こる前に、叛乱が終結したことに、少なからぬ人々が安堵の息を吐いたのである。 警戒の念は、無論、曹操の勢力が更なる飛躍を遂げたことによる。 青州黄巾党を従え、兌州牧の地位に就いた曹操は、叛乱以前よりも確固たる地盤を築き上げており、その配下には勇将、智将がずらりと居並ぶ。 朝廷は、曹操の顔色をうかがうことに終始する有様であり、今や曹操の勢力は中原を覆わんばかりであった。 そして、諸葛亮が予測したとおりであれば、その曹操は遠からず、東を目指して動き始めることになり、徐州軍は、正面から曹操軍と対峙することになるのである。 徐州の敵は曹操だけではない。今や、その曹操に並ぶ勢威を誇る南の袁術とて、いつまでも静穏を保っているとは考えにくい。 両者と国境を接する徐州にとって、兌州動乱が終結した今なお、油断して良い状況でないことだけは確かであった。◇◇ 降り注ぐ日差しが、盛夏のそれにかわりつつあった、ある日のこと。 午前中の仕事を終え、街に戻ったおれは、先日来、新しく加わった務めを果たしているところであった。 務めといっても別に大仰なものではなく、小沛に暮らす子供たちの、剣の稽古を見てあげることである。「将来の将軍様を育てる大切なお役目なんだよ」 とは先ほどまで一緒にいた玄徳様の弁である。そういう風にいってもらえれば、やる気も出ようというものであった。 切っ掛けは、まあ、言うまでもない気がするが、玄徳様であった。 徐州でも相変わらず民衆に人気のある玄徳様は、やはりというか、ここでも子供たちの人気はずばぬけて高かった。 子供好きの玄徳様は、政務の合間をぬっては街に繰り出し、子供たちと遊んだり、あるいは文字を教えたりしているのである。 子供たちが、なんやかやと騒ぎつつ、しっかりと話を聞いているあたり、つい先日までは子供たちに遊ばれてばかりであった玄徳様も、ずいぶんと成長なさったものだ、と感涙を禁じえないおれと関羽であった。 そんなおれたちに、玄徳様はどこかじとっとした眼差しを向ける。「……なんだか、二人の視線が、とっても納得いかないのは気のせいなのかな?」『無論です。気のせいです』「う~ん、そうかな~?」 おれと関羽が異口同音で否定したのだが、やはり納得いかなそうな玄徳様であった。 それはさておき、おれが教えているのは、勉学や、文字ではなく、身体を動かす方――要するに剣術であった。 玄徳様の勉強会は、子供たちにもなかなか好評なのだが、やはり、時間が長くなればなるほど、身体を動かしたくてうずうずしてくるのが子供というもの。勉強飽きたー、と騒ぎ立てる子供たちが、玄徳様の授業を邪魔しないように、おれが剣の稽古をつけてやったのである。 まあ、稽古といっても、それこそおれの感覚で言えば、小学生低学年、もしくはそれ以下なお子様たちに、親父や爺ちゃんに仕込まれたような、本格的な稽古をつけるつもりはない。基礎の、そのまた基礎といったところだ。 元の世界では、田舎の甥っ子に似たようなことをしていたこともあって、この手の稽古には手馴れている。 単純な反復作業を延々と続けさせても、すぐに飽きてしまうだろうから、時折、鬼ごっこや缶蹴り的な遊戯も混ぜてみたり、色々工夫してみたおかげか、おれの稽古も、玄徳様の勉強会と同じく、なかなかに評判はよろしかったりする。 今では、幼い子供たちだけでなく、年嵩の少年たちも、おれの稽古に参加するようになっていた。 やはり、戦乱の空気を肌で感じる年頃になれば、思うところもあるのだろう。 そんなわけで、今日も今日とて、子供たちに稽古をつけていたおれは、日差しが強くなってきたこともあって、午前中の稽古を終了させた。 一部の稽古熱心な生徒たちからは、ぶーぶーと文句が出たが、そこは教師の威厳で黙らせ――ることは出来なかったので、穏やかな笑みを浮かべつつ、騒ぐ生徒のこめかみをぐりぐりして納得してもらった。体罰にあらず、スキンシップである。「あれ、北郷さん?」 井戸で冷やしておいた手拭で汗をぬぐっていると、怪訝そうな声が背後からかけられた。 振り返ってみると、そこには黄金色の髪と、晴れ渡った青空にも似た碧眼の少女――太史慈がいた。「子義殿、訓練はもう終わったんですか?」「はい。つつがなく――とは、残念ながら行きませんでしたが」 太史慈は頬を掻きながらそう言うと、小首をかしげて問いかけてきた。「北郷さん、確か田殿(田豫)と一緒に軍馬の買い付けに行かれたのでは? ずいぶん、早いお帰りですね」 太史慈は、田豫の名前を口にする時、すこしだけ憮然とした表情をする。実は、これは田豫も同じで、初対面の時にやりあったことが、お互いに微妙に尾を引いているらしい。 もっとも、深刻なものではないし、互いに改めようとしているようなので、外野からあれこれ言う必要もあるまい。おれは気づかなかった振りをして、話を続けた。「いつも、一番時間のかかる価格交渉が速やかに終わったもので、時間が余ってしまって。国譲のお墨付きの良馬が格安で手に入りましたので、交渉自体は大成功でした」「それは重畳です。そんな良馬を、格安で譲ってもらえるなんて、北郷さん、すごいですね」 太史慈は賛嘆の視線でおれを見たが、正直言って、それはおれの手柄ではない。一緒に行った田豫のものでもない。 では誰のお陰か、と言えば……「今日の取引相手、『数え役萬姉妹』のファンだったんですよ」 で、秋ごろに予定している公演に融通をはかるのと引き換えに、軍馬の調達に便宜をはかってもらったのである。 おれが頭を掻きつつ、そう言うと、太史慈は真相を悟って、楽しそうに微笑んだのであった。 城の軍資金を投じて、建設していた馬具の生産所が、小沛城内に完成したのは、つい先日のこと。 これにより、これまで用いられていた鞍、蹄鉄、馬銜(ハミ)等に加え、鐙の生産も独自で可能となった。 鐙は、従来に比べ、騎兵に必要とされる技術習得の難度を、大幅に引き下げる馬具である。それはつまり、習熟に必要な期間を縮め、円熟に至る時間を早めることが出来ることを意味する。 機動力に優れた騎馬部隊は、軍略において切り札となりうる兵科である。それを良く知る諸葛亮、鳳統の軍師コンビが、玄徳様の許可の下、騎兵の充実のために、多大な人員と予算を割いてくれたお陰もあって、小沛城の騎馬部隊は良質の膨張を遂げていた。 今や、趙雲麾下の騎馬隊は、その数、千に達するまでになっていたのである。。 だが、ここで一つの問題が発生する。 騎兵となりえる人員がいても、肝心の軍馬が不足しはじめたのである。 元々、准河、泗水流域にある徐州は、幽州をはじめとした河北諸州に比べ、騎兵に力を注いでいない。徐州では騎兵よりも歩兵、水兵の充実こそが急務なのである。 無論、騎馬部隊が皆無というわけではないが、軍馬を育てる牧場の数は、河北に比べて目だって少なかった。 そちらの方はこれからの課題ということにして、とりあえず、近隣の牧場から軍馬をかき集めてはみたものの、今度は馬自体の錬度が問題となった。田豫曰く「伯珪様の領内だったら、駄馬扱いされかねない」程度の馬ばかりであるらしい。 もっとも、田豫はその後でこうも言ってくれた。「これを何とかするために、私がいるのですよね」と。 うむ、頼もしい限りである。 そんなわけで、田豫はここしらばく馬の調練にかかりきりなのだが、一朝一夕で良馬を育てることは不可能であり、持ち馬を鍛えることと平行して、他州から軍馬を買い入れることも必要となってくる。 おれたちの今日の任務に至る背景は、そういったことであった。◇ なんとはなしに連れ立って歩くことになったおれと太史慈は、時間も時間だったので、一緒に昼食をとることになった。 朝からの仕事や、さきほどまでの稽古で身体を動かしていたので、おれはけっこう腹が減っている。くわえて、隣にいるのが太史慈とくれば、さて、財布の中身が心細い――「――なにか、ひどく失礼な心配をされているような気がするのですが?」 そんなおれの心中を察したのか、とても良い感じの笑顔を向けてくる太史慈。 なんだか、急にあたりの気温が下がったような気がして仕方ないおれであった。 ともあれ、おれたちはかろうじて席の空いている食事処を見つけて、そこに滑り込むことが出来たのであった。 適当に料理を注文してから(ちなみに太史慈はごくごく普通の食事量でした)、色々な話をしていたおれたちだったが、やはりというか、話題は自然と軍務に関係するものとなっていた。 太史慈は小沛城に入ってから、陳到麾下の部隊長の一人に任命されている。 劉家軍の四将軍――関羽、張飛、陳到、馬元義――のうち、関羽と張飛は主に前線で敵と渡り合い、馬元義は後方を堅守する。陳到はそれらの均衡を保ちつつ、援護する役回りであることから、弓を得手とする太史慈にとっては適所であろうと考えられた。 ただ、劉家軍は女性の立場が強い軍であったが、太史慈の年齢、そして劉家軍に加わってから、まだ日が浅いことを考え合わせると、これは抜擢といって良い人事であろう。 組織において、抜擢と嫉視は分かちがたく結びつくもの。それは劉家軍とて例外ではなかったらしく、太史慈も色々と苦労しているようだった。 一昔前であれば、おれがこっそり部隊に紛れ込んで、そのあたりの嫌な空気を消して回ることも出来たかもしれないのだが、玄徳様の周囲をうろちょろしているせいか、最近、おれも顔と名前を覚えられてしまったので、それも出来なかったりする。 とはいえ、おれのそんな心遣いは、多分、太史慈にとっては余計なお世話だろう。何故といって、当の太史慈は、その点についてはあまり気にしないようにしているらしいからである。むしろ新参の自分が妬まれることは当然のことと受け止めている節があり、このあたり、年齢に似合わぬ落ち着きと風格さえ感じられて、さすがは名将太史慈だ、と感心しきりのおれだった。 それに、戦に出るまでもなく、太史慈が訓練しているだけでも、その実力は否応なく目につくだろう。今は太史慈の力を疑っている者も、遠からず、己の不明を恥じることになるだろうと思われた。「叔治ちゃんも頑張っているんです。私も負けていられませんッ」 むん、と勢い込む太史慈の顔は真剣で、思わず見とれてしまうほど凛々しかった――頬にご飯粒がついていても気にならないほどに。 顔を真っ赤にした太史慈をひとしきりからかった後、おれたちは城に戻り、玄徳様に午前中の任務の報告を行った。 午後になったら、書類仕事を片付けて、また子供たちのところに行く予定だと言ったら、玄徳様が「私も行く」と口にしかけたが、関羽のひと睨みで撃沈されていた。どうやら、午前中のお忍びで、大分苦労していたらしい。 玄徳様から、なにやら援護を期待する眼差しが向けられたが――すみません、無理です。 すばやく踵を返すおれ。あ、太史慈もついてきた。「あー、一刀さんッ?! 子義ちゃんも逃げたーッ」「桃香様!」「ふえ~ん」 ――ご武運を、玄徳様。 心中で涙を流しつつ、おれは残された主君の無事を祈るのだった。 多分、横で懺悔するように両手をあわせている太史慈も同じ気持ちだと思われた。 重要だけど退屈。 面倒だけど必要。 そんな書類仕事は、だらだらやるより、さっさと片付けるが吉。 というわけで、太史慈と別れたおれは、執務室に入るや、頑張って仕事を片付けていったのだが、予想よりも随分と量が少ない。おかしいな、と首をひねっていると、今日は午前中からこの部屋に詰めていたという簡擁が笑いながら教えてくれた。 なんでも、王修が出来る範囲でおれの分も片付けてくれていたらしい。 ……なんか、不覚にも目頭を押さえたくなりました。なんて良い子なんだ。これからは、なるべくからかうのを控えよう。後でお礼も言っておかねばな。 あと、明らかに王修がわからない部分も片付いていたので、簡擁にもお礼を言っておいた。何のことやら、と惚けられたけれども。 で、約束通り、子供たちとの稽古に来たわけだが、そこには驚いたことに、さっき別れた筈の太史慈の姿があった。 太史慈の方は、早朝から訓練をやっていたので、午後は休みの筈であった。 不思議に思って聞いてみると、前々から興味があったので、様子を見に来たとのこと。わざわざ訓練後の休みをつぶしてまで来るとは、真面目な子だなあ。◇◇ 太史慈が北郷と共に子供たちに稽古をつけることしばし。 自然と担当が出来て、北郷は年長の少年たちを、太史慈は年下の子供たちを、それぞれ重点的に見るようになっていた。 子供たちの目は真剣そのもので、日差しを浴びて、その顔には、玉の汗が光って見えた。 そんな子供たちを見てまわりながら、太史慈は時折、北郷の方に視線を向ける。 そちらでも、基本的にやっていることは同じなのだが、北郷は、時折少年たちと手合わせをしてやっているようだ。 二度、三度と相手の剣を受けてから、軽やかな足捌きで少年たちを手玉にとる姿は、年齢差を考えれば、当たり前とも思えたが、北郷の動きは、そういった年の差以上のものを感じさせた。 やはり、修練の面だけで言えば、北郷はそれなりのものを積んでいるのだろう。北海の城で、祖母が太史慈に言ったように。 太史慈はふと、その時のことを思い出していた。 あれは、劉家軍によって北海城の包囲が解かれて数日後――◇ 太史慈は、烈火のごとく怒っていた。 それは、祖母の礼を失した発言をうけてのものだ。「おばあちゃん、いくらなんでも失礼すぎるでしょッ?! 初対面の人に55点ってなにッ?!」「う、うむ。それはなんというか、率直な感想というか、年寄りの茶目っ気というか、そういったところではなかろうかと――」「前者でも後者でも、失礼なことに変わりはありませんッ!! 北郷さんがいなかったら、玄徳様たちだって話を聞いてくれたどうかもわからないんだよ?!」 祖母の暴言に怒り心頭の太史慈に、さすがの太史家の現家長もたじたじとなっていた。 それでも、なんとか孫娘の怒りを抑えようと、再度口を開く。「ほれ、言われた当人も苦笑しておったではないか。そんなに気にすることは……」 ないのではないか、と言おうとした祖母だったが――「おばあちゃんッ!!」「――うむむ、わしが悪かった。そろそろ勘弁しておくれ。このままでは持病の発作が……」 それを聞いた太史慈は、今度は一転して、にこりと微笑んだ。「私が生まれてこの方、病気らしい病気をしたことがない人が、何の持病を持っているの?」「……それはほら、あれじゃ」「あれって?」 あくまで笑顔の太史慈。一方、額に冷や汗をにじませる祖母。もはや勝敗は明らかであったが、家長として無条件降伏だけは避けねば――「いかなる薬も効果をあらわさぬという、おそるべき病気でのう」「うん、それは?」「それは、じゃな……」「なにかな?」「いわゆる一つの……恋?」「………………」「ま、待て、待つのじゃ、慈や。さすがのわしでも、そなたの弓で射られたら避けられんッ?!」「――じゃあ、言うべき言葉があるよね?」「――申し訳ありませなんだ」 まなじりを吊り上げて、一喝する孫娘の前に、ついに無条件降伏を余儀なくされた家長は、目上の者に弓を向けた無礼を怒るべきか、祖母をやりこめた孫の成長を寿ぐべきか、しばし真剣に悩むのであった。 祖母の口から、後日、北郷へきちんと詫びる、という確言をとった太史慈は、ようやく怒りの矛先を収めた。 すると、今度はどうして祖母があんなことを言い出したのか、その原因が気にかかる。 問われた祖母は、あっさりとこう言った。「ふむ、まあ、我が孫を添わせるには、まだまだじゃな、と言いたかっただけだがの」 はじめ、何を言われたのかわからない様子であった太史慈だが、その言葉がようやく腑に落ちるや、一瞬で顔を真っ赤に染めた。「そ、添わッ?! お、おばあちゃん、いきなり何を言い出すの?!」「なに、いつまでも浮いた話の一つも持ってこない孫を、ちと応援してやろうかと」「――――ッ、ほ、北郷さんと会って、まだ半月も経ってないのに、そんな関係になれるわけないでしょ?!」「ふむ、では時を重ねれば、そういう関係になれそうなんかの?」「そ、そんなことわかりません!」 頬を紅潮させて、そっぱを向く太史慈の姿に、祖母は内心で手を叩いていた。 時々、突っついてやらないと、本当に婚期を逃しかねない孫への、ささやかな後押しだったのだが、これは案外、もしかするともしかするやもしれん。そう思ったのである。 願わくば、年寄りのお節介で終わりませんように、と半ば本気で願った祖母だったが、しかし、今の時点では、まだ北郷を太史家に迎え入れる気には、なれそうもなかった。 その理由を考えるとき、思い出されるのは、北郷の眼差しだった。 それは、穏やかな――幾度もの戦を経てきた軍の一員とは思えないほどの安穏とした眼差しだと、祖母には感じられたのである。 はじめは、まるで軍とは関わりない人間かと思ったのだが、聞けば、すでに何度も功績をたてているのだという。 その上で、あの眼差しが出来るということは、それこそ古代の聖王に匹敵する器の持ち主か、あるいは――己の所業に、何一つ自覚がないかのいずれかであろう。祖母はそう思ったのである。そして、おそらくは後者であろう、とも。「このまま平穏な日が過ぎれば、あるいは何事もなく生涯を終わらせることも出来たかもしれぬが、戦乱は深まるばかり。いずれ、その時はやってこよう。それまでに己で気がつくことが出来れば、あるいは化けるやもしれんがの……」 その呟きは、低すぎて、目の前の孫娘にさえ届かなかった。「おばあちゃん、何か言った?」 怪訝そうに問う孫に、首を横に振って見せると、祖母は改めてこう言った。「じゃからして、今の時点では、まだ婿には物足りぬ若者なんじゃよ」「だからお婿さんとしての評価をする必要はありませんッ!」 もう何度目のことか。太史慈の大声が、周囲の家具を震わせるのだった……◇ 太史慈の視線の先にいる北郷は、楽しげに子供たちと戯れている。 それを見る太史慈の目には、かすかな不安が見て取れたかもしれない。 太史慈は祖母が口にした55点という数字の意味を、理解出来ているわけではなかった。不当に低い評価ではないか、と思う反面、人生の先達として、太史慈とは比較にならないくらいの、たくさんの人を見てきた祖母の言を、完全に否定することも出来ずにいたのである。 そのことが、北郷を見る太史慈の視界に、不安の影を生じさせているのであろう。「ねえねえ、お姉ちゃん」 そんな太史慈に向けて、子供たちの一人が話しかけてきた。 はっと我に返り、その子供と目線を合わせるために、太史慈は腰をかがめた。「ん、なあに?」「お姉ちゃんと、あっちのお兄ちゃん、どっちがつおいの?」 その質問に、周囲の子供たちは静まり返り――次の瞬間、それぞれ自分の思うところを大声で主張しはじめた。 「お兄ちゃんだろ、男だし」「お姉ちゃんだよ。だって本物のブジンなんでしょ?」「うーん、多分互角なんじゃない?」などなど、喧々諤々の議論になってしまい、それはやがて一つの結論に収束していった。 すなわち――実際に戦ってみてもらおう、と。 そして、数分後。 子供たちで出来た輪の中心で、向かい合う北郷と太史慈の姿が目撃出来た。「……これはあれですか。腹ペコ疑惑への意趣返しと見てよろしいでしょうか?」「そんなつもりはなかったんですけど――言われてみれば、良い機会ですね」 おそるおそる訊ねる北郷に向け、にこりと微笑む太史慈の顔は、限りなく真剣に見えた。 北郷は思わず天を仰ぎながらも、持っていた木剣を正眼に構えなおす。「藪蛇だったか……でも、北海の太史子義殿と剣を合わせられるとは、こちらにとっても良い機会かもしれないな」「そんな風に思っていただけるとは光栄です。しかし、こちらも、謂れなき誹謗を排する絶好の機会。手加減はいたしませんよ」 北郷の額に、汗が流れた。多分、日差しのせいではない。「……あの、さすがに子義殿に本気で来られると、危ないのですけど。主に命の面で」「何を仰いますか。あの関将軍の一撃にすら耐えられる御仁が、私の一撃に耐えられないわけがないでしょう」 至極、真面目に返され、北郷は頭を抱えたくなった。「うあ、本気で言ってるよ、この人――って、ちょッ?!」 だが、北郷がぼやく間もなく、いつのまにやら、俄然やる気を出していた太史慈が、勢い良く前に踏み出してくる。 ここまできたら仕方ない、と北郷も覚悟を決めて、金色の旋風に対抗するために前に出た。 弾けるような音を立てて、二人の木剣がぶつかりあう。 この時、北郷は、太史慈の剣が、弓ほどの腕前ではないことに、一縷の望みを託していたのだが。 それは結論から言えば、見当違いもはなはだしかった。たとえ、弓には届かずとも、太史慈の剣技は尋常の腕前ではなかったのである。 かくして、この日、北郷は打ち身と擦り傷で寝られぬ夜を過ごすことになるのであった。 ――余談であるが、この日以降、太史慈が大食漢だという噂はぴたりと止まることになる……