青州黄巾党が曹操に降ったことにより、曹操軍の戦力は飛躍的に強化されることとなった。 ただし、そのためにしなければならないことは山積しており、それが完了しなければ、戦力の強化も絵に描いた餅になってしまうだろう。 両軍の死者を埋葬し、負傷者を治療する。その一方で、軍の再編成にも着手しなければならない。 曹操は青州軍を独立した部隊として用いるつもりはなく、曹操軍の一部隊とする考えであったから、青州軍の指揮系統を一から組み直さねばならず、軍令も周知徹底させねばならなかったのである。 青州黄巾党の、兵としての強さに疑問の余地はない。しかし、それは略奪や殺戮を公然と行う獣性を伴うものであった。曹操が欲したのは精強な兵であって、野獣の群れではない。そのため、曹操は自軍の軍律を参入したばかりの青州軍に知らしめ、彼らの意識を根底から変える必要があったのである。 しかし、当然のごとく、青州軍からは反発が沸き起こった。青州軍の将兵にとって、曹操が課した軍律は、極めて重いものに思われたのだ。 この時代、軍律を厳しくする将は、むしろ少数派である。略奪暴行は、命をかけて戦った兵士たちの権利として暗々裏に黙認される風潮であった。しかるに曹操軍の軍律は厳正を極める。 簡潔に言えば、略奪は斬首、暴行は斬首、押し買いは鞭打ち、という具合である。 これでは、戦うことの報酬が何もないに等しい。青州軍の兵士たちはそう考え、新しい主君のやり方に不満を覚えた。くわえて、両軍はつい先日まで矛を交えていた間柄であり、戦友や親兄弟を失った者も、とくに黄巾党側には少なくない。 勝者の立場になった曹操軍と、元黄巾党の兵士らの小競り合いは毎日のように発生し、張り詰めた空気が漂うようになったのは、必然のことであったかもしれない。 ここで、曹操は断固たる態度を取る。 曹操が受け容れるのは「我が民として我が律令に従い、我が兵として我が軍令に従う者のみ」と布告し、騒擾を起こそうとする者には厳罰を下すと宣したのである。 曹操は青州黄巾党と戦い、これを降した末に受け容れた。それは青州軍の力を認めたからであり、曹操自らが赴いたのも、相手に対して礼を尽すために他ならない。 しかし、だからといって、横暴な振る舞いを見過ごすほど、曹孟徳という人物は甘くなかった。青州軍の力は、これからの曹操にとって欠かすことの出来ないものとなるであろうが、それに驕った態度を見せれば、次の瞬間、粛清の刃を振るうことに躊躇いはないのである。 おりしも、曹操軍の兵士が、諍いの末に、青州軍の若者に腕を斬られるという事件が起こる。 片腕を斬られた兵士が上官に訴えでたことで、その青州軍の若者はすぐさま捕らえられ、公衆の面前へと引き出された。 曹操の面前で、相手の非を一方的に詰る兵士に対し、若者はひと言も発さず、ただ俯くばかりであった。軍令に照らし合わせるまでもなく、若者の罪は明らかである。すぐにも誅戮の刃が振り下ろされるものと思われた。 だが、周囲の予想に反し、曹操は若者にいかなる罰も下さなかったのである。 当然、訴えた兵士は不満をあらわにする。だが、曹操はその兵士を冷たい目で見据えるだけで、口を開こうともしない。 かわりに動いたのは、夏侯惇であった。 夏侯惇は声高に述べた。 そもそもの発端は、その兵士が、若者の妹に対して戯れかけたことが原因である、と。 兵士の誘いを拒否した娘に対し、勝者としての意識が肥大していた兵士が乱暴につかみかかり、それを見た兄が止めにはいった、というのがその場の状況であった。 聞くうちに、兵士の顔がみるみる青くなっていった。 無論、少し調べれば、この程度のことはすぐにわかる。だが、それにも関わらず、兵士が訴えに及んだのは、勝者としての驕りか。あるいは若者に剣で敗北したことが許せなかったためか。 いずれにせよ、その兵士は、曹操の軍律の厳しさを甘くみた。元々、涼州軍の一員であった兵士は、実際に曹操の下で敵と戦ったのは、この戦いが初めてであり、他軍と同じように、勝利後の騒ぎは大目に見られるものと思い込んでいたのである。 しかし、曹操と夏侯惇の様子を見れば、それが思い違いであったことは明白であった。 誅戮の刃が振り下ろされたのは、その兵士の頭上にであった。 軍内での虚偽の報告は重罪である。くわえて、この重要な時期に、味方同士の不和を醸成する行いをしたことは、利敵行為に類するものと考えられたのである。 さらに、曹操は兵士の直属の上官に降格処分を下した。理由は、部下の訴えを調べもせず、鵜呑みにしたことである。 指揮官と配下の間に信頼関係があるのは好ましい。だが、馴れ合いは不要。曹操は平伏する上官に、短くそう口にするのだった。 この事件で、曹操の厳格さを改めて思い知ったのは、青州軍よりも、むしろ元涼州軍の兵士たちであったかもしれない。彼らは股慄し、曹操の統制がいかなるものかを理解することになる。 一方で、青州軍の中で、曹操の評価がうなぎのぼりになったのは、当然のことであった。 典老をはじめとした長老たちも、青州軍の若者たちに対して、状況の変化を受け容れるように説き聞かせ、青州軍の不満は、一応の沈静をみたのである。 そして、曹操は間髪をいれず、次の布告を出す。 済南郡の山砦に暮らす青州軍の非戦闘員に、許昌への居住許可を出したのである。 他者からの攻撃に対抗するための山砦であったが、暮らし向きの不便さは言うまでもない。 衛生面から疫病の発生が囁かれることもあったし、兵士たちの3倍近い女子供老人を養えるだけの恵みが、山中にある筈もない。青州黄巾党が戦に強いとはいえ、略奪した物資で、すべての者たちの腹をくちさせることは不可能であり、飢えに苦しむ者も少なくなかったのである。 だが、許昌という都に住むことが出来るのならば、そういった苦しい暮らしからは解放される。それにくわえ、賊として官に怯える必要もない。 青州軍と、その家族にとって、それは万金にまさる褒賞であった。 曹操自らが、飴と鞭ね、と苦笑したこの布告によって、青州軍の不満は一掃された。 編成作業も滞りなく進むようになり、曹操軍の将帥たちは、ようやく人心地がつけるようになったのである。 そんな曹操軍のもとに、青州軍から1つの情報がもたらされた。 北海郡攻略のために分派行動をとっていた一軍が、劉備という者の軍に敗れたという、それは知らせであった。◆◆ 青州軍からその知らせを聞いたとき、曹操は諸将と共に今後の方針について、話し合っているところだった。 その瞬間の曹操の顔を見た夏侯惇らは、一様に嫌な予感に襲われた。曹操は人材を収拾することに関して、異様なまでの執着を示すことがあるのだが、この時の曹操の顔は、正しくそれだったのである。 北海攻略軍の指揮官である管亥の下からやってきた使者は、山砦が陥落し、青州黄巾党が正規軍に編入されているという事態に驚愕しながらも、北海城を巡る攻防について、詳細に報告した。 それを聞き、夏侯惇が首を傾げる。「確か劉備は、寡兵ながら、黄巾党の主力を破る功績をあげたのではなかったか? てっきりどこぞの太守にでもなったと思っていたのだが、なんでまた青州の救援になど来たのだ?」 その疑問に対して、夏侯淵が腕組みしつつ、口を開く。「ふむ。考えられるとすれば、袁紹から要請されて断れなかったか。袁紹としては、黄巾党に荒された領土の復興が急務であり、北海救援のための援兵を出すのは気が進まないだろう。そこで、劉備をあてがったというところではないかな。劉備軍は元々、戦う理由に正義を掲げていると聞くし、劉備本人も柔弱そうでいて、芯はあるように見えた。北海郡の危急を聞き、その援軍を頼まれれば、否とは言うまい」 かつて、反董卓連合の時、わずかだけ相まみえた少女の姿を思い起こしながら、夏侯淵はそう言った。「むう、私には、それほど骨のある奴とも見えなかったがな。しかし、配下にはなかなか歯応えのありそうな奴が揃っていたから、黄巾党如きでは太刀打ちすることはできんか」「劉備殿の状況については、河北へ出した密偵により、ある程度は掴むことが出来ております」 夏侯姉妹が発言する中、河北の状況について口を開いた人物がいる。 曹操と同じ金色の髪は、曹操と違って癖がなく、背中を覆うように伸ばされている。 曹洪、字を子廉。真名を優琳(ゆうりん)。その名の通り、曹家の一門である。そして、曹操の義妹でもあった。 元々、曹洪と、もう1人の一門衆である曹仁は、曹操と血の繋がりはない。それぞれの生家は後漢の政情の波にのまれて没落しており、2人の幼少の頃の記憶は悲惨なものが多い。 そんな彼女らに救いの手を差し伸べたのが、曹操の母 曹凛(そうりん)である。 2人の幼女を自邸に引き取った曹凛は、実の娘である曹操と全く同じ待遇で彼女らを育てあげた。甘やかすことなく、疎むことなく、まっすぐな愛情をこめて。 曹操たちが悪戯をすれば、曹操も曹洪、曹仁も区別なく本気で叱り付けたし、彼女らが私塾で褒められれば、我がことのように喜んだ。 そういった幼少時代を過ごした為、曹洪、曹仁の曹家ならびに曹操への忠誠と献身は、夏侯姉妹に優るとも劣らない。 この場にいる曹洪も、そして許昌で荀彧の補佐をしている曹仁もまた、将として、相として、有能と称するに足る実力をもっている。元々の資質もあるが、何より曹凛の薫陶を受け、曹操を間近で見て育ったことが、2人の才能の幅を大きく広げたのである。 2人は、だからといって驕ることなく、曹操のため、曹家のために黙々と己が責務をこなし続けており、そういった2人の態度が、曹操軍における曹家一族への敬意と尊崇につながる結果となっているのである。 その曹洪の口から語られたのは、波才戦後、南皮城で開かれた会議の顛末であった。 黄巾党党首 張角を助命するため、劉備が太守就任を辞したこと。 劉備と張角の存在を危険視した袁紹の一党が、半ば追放目的で劉備を青州に派遣したこと。 それらのことが、ここではじめて、曹操軍の諸将の前に詳らかにされた。 曹洪の偵知は正確無比。それは曹操軍における常識である。 偵知のみならず、輸送部隊の護衛、敵の援軍の阻止、誤情報の流布といった、賞賛や注目を浴びることこそ少ないが、軍事において極めて重要な役割を、曹洪は堅実に行い、そのほぼすべてを成功に導いてきた。 外から見た場合、曹操軍の主力は夏侯姉妹であり、また主君である曹操自身が挙げられることが多いのだが、逆に曹操軍の諸将がしかるべき者の名を挙げよ、と問われれば、曹洪の名もその中に含まれるであろう。「――今回の北海郡の救援に関しては、劉備軍は大清河のような奇略は用いなかったようです。用いるまでもなく包囲を破れる、と判断したのでしょう。兵の数もそうですが、将もまた良質の膨張を遂げており、いまだ寡兵ながら、劉備軍の動向、注意した方が良いかもしれません」 そういって、曹洪は報告を終え、判断を促すように主君である義姉に視線を向けた。 その曹操は、曹洪の報告を聞きながら、苦々しい表情を浮かべていた。 無論、それは曹洪に向けたものではない。 勝利を得ながらも、勢力を肥らせようとしない軟弱者に向けたものであった。 曹操は思う。 誰もが瞠目する勝利を得たというのに、得たものは袁紹から与えられた都尉の官位のみとは、迂遠もきわまるというものではないか。 張角を救いたいのであれば、それこそ琢郡に張角と共に篭れば良い。城中の民は、度重なる勝利を挙げた劉備を歓迎するであろうし、遼西の公孫賛も劉備の側につくだろう。 袁紹は遠征を終えたばかりで、すぐに兵を催すことは難しかろう。その隙に、勝利の名声と、張角の名望をもって勢力を広げることは難しいことではない。 仮に袁紹との間で刃を交える事態になろうとも、劉備配下には関羽を筆頭として人材が揃っている。戦い方次第では、袁紹の勢力を併呑することとて不可能ではないだろう。 そうして河北を制すれば、劉備は天下を望むことが出来る立場に立てるのである。 そう。英雄という名の。 だが、劉備はその道を採らなかった。唯々諾々と袁紹側の言い分をのみ、言われるがままに北海へと転戦し、そこで黄巾党の一軍を撃破しただけである。 これとて、おそらく雄飛の機会とはなりえまい。孔融は劉備の援軍に感謝するだろうが、だからといって自領に劉備を迎え入れるほど甘い人物ではない。戦が終われば、劉備軍は、またいずこかの兵乱を鎮定するために転戦を繰り返すしかないだろう。 曹操の目から見れば、いかにも温い。 これが、劉備1人のことであれば、それでも構うまい。むしろ、こんな乱世に、そんなお人よしがいることに、苦笑の1つも漏らしたかもしれない。 だが、そんな柔弱者の陣営に、天下に双びなき豪傑がいるとなれば、話は違ってくる。 曹操は、かつて劉備に言った。 一刻も早く名を挙げ、英雄として私の前に立ちはだかれ、と。 そのあなたを完膚なきまでに叩き潰して、私は関羽を手に入れる、と。 あの時から、どれだけの刻が過ぎたのか。 曹操は、劉備が己の言葉を理解していないことを悟った。 いや、あるいは、劉備は理解はしているのかもしれない。しかし、曹操の期待に沿うことができるだけの器量が欠けているのか。 いずれにしても、そんな輩を相手に、時を貸しても意味がない。あの時から今日まで、すでに十分すぎるほどの時間が過ぎた。これ以上、待つことに意味があるとは思えなかった。「……所詮、あなたもその程度だということ、劉玄徳?」 曹操の顔に、つかの間、失意に似たものが浮かぶ。 だが、次の瞬間、その顔には猛々しいまでの覇気が躍っていた。「ならば、これ以上、関羽をあなたに委ねておく必要もない。あなたが掲げた正義の旗、我が馬蹄にかけてくれよう」 劉備の陣営に張角らがいる以上、討伐の名分はなんとでもつくることが出来る。勅命を発すれば、孔融軍との分断も容易であろう。 どれだけ優れた将が揃い、錬度の高い兵がいても、所詮、劉家軍は3千の寡兵。 一方、いまや曹操の動員可能兵力は10万を優に越えるのだ。劉家軍を、一戦の下に蹴散らすことは可能であった。 曹操は決断を下しかけた。全軍をあげて、北海郡に駐留する劉家軍を討ち滅ぼす、と。 もし。 この時、曹操が軍を出していたのなら、おそらく、劉家軍の命運は、北海の地で尽きていたに違いない。 曹操は、波才などとは格が違う。その曹操の下に、歴戦の勇将と智略縦横の智将たちがずらりと居並んでいるのだ。 圧倒的な兵力差と、それを完璧に活かしきる錚々たる陣容。この2つを前にして、この時の劉家軍に対抗する術はなかったのだから。 だが、その事態は寸前で食い止められる。 ある意味で、歴史を左右することになったその知らせは、遠く許昌から駆けつけた早馬によってもたらされたものであった。 それを聞いた瞬間、曹操軍の将帥たちは、1人の例外もなく、愕然としてしまう。 早馬はこう告げたのである。「陳留郡太守 張莫、叛す」と。 ――後に、曹操軍の諸将が等しく「前半生、最大の危機の1つ」と語ることになる受難の時が、訪れようとしていた。 ◆◆ 陳留郡太守 張莫叛す。 その知らせをもたらした使者は、続けて、張莫の軍勢が兌州各地に兵を発し、次々と城砦を陥とし、領土を広げていると伝えた。 兌州は天下の要地。くわえて、曹操が今いる青州と、本拠地である許昌の中間に位置する土地である。 もし、張莫の謀叛が真であれば、曹操は帰路を失ったことになる。無論、それだけに留まらない。曹操を知る張莫が、分断された曹操の勢力を放って置くことはありえず、必ず何らかの行動に出るだろう。 許昌を衝くか、あるいは孤軍となった本隊を討つために、この地に攻め寄せるか。 朝廷内には、曹操への反感を持つ廷臣は少なくない。青州軍とて、曹操の窮状を知れば、足並みを乱すこともおおいに考えられる。 これまで積み重ねてきたものが、一朝の下に潰え去るかもしれぬ。 張莫の謀叛は、それだけの危険を内包する事態だったのである。 当初、曹操は張莫謀叛の知らせを頭から信じようとはしなかった。 張莫は曹操の信頼する配下であり、親友である。だから、張莫が自分を裏切るわけはない――などという甘ったるい考えによる否定ではない。「黒華(張莫の真名)は誇りを知る者。私の行いが、その誇りを汚したならば、叛旗を翻すことは十分に考えられる。だが、たとえその時でも、黒華は正面からその旨を私に叩きつけ、堂々と戦いを挑んでくるだろう。味方を装い、遠征中の空家を漁るがごとき下種の行いをする者では、断じてない」 曹操はそう言うと、更に詳しい情報を求めて、次の使者を待った。 同時に、曹洪には、こちらから情報を集める手筈も整えるよう指示を下す。 指示を受けた曹洪は、青い顔をしながら、地につくほどに深々と頭を下げた。兌州の情報を掴むことが出来なかったのは、自身の情報網に粗漏があったためである。これは曹洪にとって、自分自身を斬り捨てたくなるほどの、許しがたい失態であった。◆ ここで、これまでひと言も発言せず、会議の様子を見守っていた鮑信が口を開く。 済北郡の太守である鮑信は、曹操の麾下ではなかったが、青州軍討伐戦以後、ずっと山砦に留まり、曹操の下で働いていた。無論、それは今後、曹操に従うという意思表示に他ならない。 その仕事ぶりは、さすがは済北郡に鮑信ありと称えられるだけのことはあり、曹操は頼もしい味方を得たことを喜んでいた。 その鮑信の口から、この時、1つの事実が語られた。 済北郡が青州黄巾党に攻撃を受けた際、陳留の張莫に援軍を求める使者を出していた、と。 その事実を知った曹操は、驚いたように目を見開く。 鮑信としては、当然、曹操は知っているものとばかり考えていたのである。だが、張莫謀叛の知らせを聞き、ようやく己の早合点に気がついたのだ。「それは本当なのね、鮑信殿?」「はい。青州軍の動きを知って、すぐに陳留に使者を発したことは事実です。あの時点で、私は曹将軍とはいかなる繋がりもなかったので、無益かと思ったのですが、打てる手はすべて打っておこうと考えました。そこに、于禁殿が現れ、夏侯将軍の作戦を伝えてくれたので、てっきり、孟卓殿から、曹将軍へ知らせが届いたものとばかり……ご存知なかったとは存じませんでした。申し訳ありません、もっと早くお伝えするべきでありました」 語るうちに、鮑信の端正な顔は徐々に血の気を失っていった。 気づいたのだ。あの時点で、張莫からの知らせが、曹操の下に届いていないという事実が、何を示すのかということに。 先刻までの和やかな雰囲気は、すでに一変していた。 曹操は鋭い視線を夏侯淵に向けた。「秋蘭」 曹操の問いを察した夏侯淵が、すみやかに口を開く。「黒華様の軍勢は、対董卓戦以来働きづめであり、今回の戦に参戦は無用。その件を陳留に知らせた使者は、黒華様から、華琳様の配慮に感謝する、との言葉を頂き、無事に戻って参りました。陳留で不穏な動きがあったとは聞いておりません。ただ――」「ただ?」「使者は、黒華様本人ではなく、妹の張超様から、黒華様の言葉をお聞きしたと申しておりました。黒華様は、少し体調が優れないとのでしたが……」「そう。張超が……」 張超は、張莫の妹である。 姉の張莫は、公私ともに曹操との関わりが深かったが、妹の張超はそうではない。むしろ、曹操には敵意に近いものを抱いている節があった。 その件に関しては、曹操は張莫からも幾度か頭を下げられている。張超にしてみれば、れっきとした太守である姉が、曹操に私淑し、配下のように扱われていることが我慢ならないのである。くわえて、張超は曹操に対して、生理的ともいえる嫌悪感を持っていた。 姉には従うが、曹操には従わない。それが張超の態度であり、その傲慢さに、夏侯惇などは何度も不満をもらしていた。 だが、これも言い過ぎれば、姉である張莫を謗ることになってしまう。そのため、曹操軍の中で、張超の名は禁句に近かった。 今回、曹操が張莫の軍を用いなかった理由は、夏侯淵が口にした通りである。反董卓連合以降、陳留の軍勢は曹操の指揮下で戦い抜いた。その疲労はかなりのものであろう。 ようやく故郷に帰った彼らは、武器を置いて農具をとったところだ。そこに再び戦に出ろと命令を下せば、人心が曹操、ひいては張莫から離れることになりかねないと、曹操は判断したのである。 鮑信からの救援要請を受けたとき、張莫がこれとまったく同じことを考えたであろうことは、想像に難くない。しかし、だからといって、そこで要請を握りつぶす張莫では、断じてなかった。 曹操の知る張莫であれば、少なくとも、曹操に報告を入れる筈だし、おそらくは、自身の直属の兵だけを率いて、済北郡に出陣してしまっただろう。 張莫は、太守としては冷静であり、武将としては勇猛である。多少の不利を見たくらいで、救援を求める者を見捨てるような真似は決してしない。張莫はそういう人物であることを、曹操は知悉していた。 そこまで考えを進めれば、事態の輪郭はある程度見えてくる 次の使者の報告を待たねば断言は出来ないが、おそらく――「春蘭」「はッ」「青州軍の編成、あとどれほどで終わりそう?」 曹操の問いに、夏侯惇はわずかに顔を強張らせた。「敵がそこらの有象無象であれば、今すぐにでも用いることが出来ますが、万全を期すなら、あと半月……いえ、10日は必要かと」「結構。あなたに全権を委ねるわ。一刻も早く、我が軍に相応しい精鋭を編成しなさい」「ですが、華琳様。それでは、私にこの地に残れ、と? 兌州に戻られるなら、是非、私に先鋒を――ッ!」 身を乗り出しかけた夏侯惇の肩を慌てて掴んだのは、夏侯淵であった。「姉者! 華琳様の命令に逆らうつもりか。落ち着け」「し、しかし、あの腹黒女が何の勝算もなく、華琳様に叛旗を翻すとは思えん。どんな汚い罠を張っているかわからんのだぞ。そんなところに、華琳様を向かわせるなど、承知できるものか!」「姉者!」 檄しかけた夏侯惇に対して、夏侯淵がさらに声を高めた、その時。 くすくす、と少女のような笑い声をあげたのは曹操だった。 内心、曹操は怒り狂っているであろうと夏侯惇は考えていたのだが、曹操の笑い声には、怒りをこらえている様子が微塵もない。「ふふ、腹黒女、ねえ。単純だけど、張超のことを言い表すには、これ以上ない名称だわ」 曹操の様子に、夏侯惇たちはどう反応してよいかわからず、口を閉ざさざるをえない。 そんな臣下に向けて、曹操は小さく肩をすくめた。「春蘭。あなた、まさか私が張超ごときにしてやられる、などと考えているのではないでしょうね?」「も、もちろん、そんなことは微塵も考えておりません! ですが……」「なら、素直に私の命令を聞きなさい。私を案じてくれる春蘭も可愛いけれど、あまり聞き分けが悪いと、お仕置きしなければいけなくなるわよ。そうね、桂花あたりに命じてみるのも一興かしら」「ぐぐ……」 曹操の言葉に、夏侯惇が声を詰まらせる。夏侯淵も心配そうに姉を見つめるばかりだった。 冗談のように聞こえるとしても、やると言ったらやる人であることは、2人とも承知している。これ以上、命令に抗えば、本当に荀彧に命じて、夏侯惇に罰を与えようとするだろう。その内容がどんなものになるか、正直、想像したくもない夏侯姉妹であった。「か、かしこまりました。夏侯元譲、青州軍の編成任務に就きます。ですが、華琳様、私がお守りできないのであれば、せめて秋蘭をお傍にお置きください。これだけは、何としてもお聞き届けくださいますよう……」 懸命な夏侯惇の進言に、曹操はかすかに顔をほころばせた。「我が軍随一の将にそこまで言われては、首を横に振ることはできないわね。秋蘭は、私と共に本隊を率いてもらうわ」「御意。姉者になりかわり、華琳様の御身、必ずやお守りしてみせましょう」 静かに、けれど深い決意を込めた夏侯淵の言葉を聞き、曹操は満足げに頷く。「ええ、期待しているわ。それから、藍花は残って、春蘭を助けてあげてちょうだい。青州軍を統御するのは、春蘭1人で十分務まるでしょうけれど、その先の行動に関しては、藍花の思慮が必要になる。2人で最善と思った行動を採りなさい」「――御意にございます。必ずや、ご期待に沿う働きをしてみせます」 荀攸は一瞬の間を置いて後、曹操に向かって、静かに頭を下げた。 その頭の中では、今後、起こりえる事態に対応するための戦略が、凄まじい速さで組み立てられつつあった。「鮑信殿は、そろそろ自領に戻られよ。あまり長く太守を引き止めては、この孟徳が済北の民に恨まれてしまう」「御意。お言葉のとおりにいたします。ですが、わたくしの力、必要でしたら、いつなりとご命令くださいませ。済北郡に住む者は、民と兵とを問わず、此度の御恩を忘れることは、終生ございません」 そういって、一礼する鮑信の言葉には実がこもっていた。それを感じた曹操は、この地において、青州軍に劣らぬ勢力を引き込んだことを確信したのであった。「優琳」「……は」 最後に、曹操は、己の失態に顔を蒼白にさせたままの義妹に向けて、一際厳しい声で命令を下す。「あなたが率いた後詰の5千は、我が軍の中で最も疲労が少ない部隊。ゆえに、帰路はあなたを先鋒に命じる。いいわね」 曹操の言葉は短く、その語調は叱咤するにも似たものだった。 しかし、言葉の表面はどうであれ、先鋒を委ねるという言葉に込められた曹操の意思に気づかない曹洪ではない。 血の気を失った頬に、再び血潮が流れ始めた。「ははッ! 必ずや、失態を償う働きをお目にかけてみせます!」「ならば、ただちに準備をはじめなさい。これは一刻を争う事態よ。すでに先手をとられた以上、敵に時間を与えれば後手になるばかりだわ。神速の行軍をもって、敵の肝を潰しなさい!」「御意!」◆ 命令を下し終えた曹操が、行動に移るよう口にしかけた時だった。 不意に、場の緊張感にそぐわない、穏やかな声が戸口からかけられた。「何やら、容易ならぬ事態のようですな、将軍様」「典老でしたか。どうしたのですか、このようなところへ?」 曹操は典老への敬意を保ったまま、丁重に問いかける。 それというのも、曹操に降って以後、典老がこういった場に現れることは滅多になかったからだ。 典老が表立って動いたのは、、不平不満を口にする者たちに対して、状況の変化を説き聞かせ、曹操らに従うように諭してくれた時くらいだろう。 いまだ青州軍の将兵からは、長老として慕われてはいたが、自身の立場をわきまえ、曹操軍の働きを妨げるような真似をしないように努めていることは明らかであり、曹操軍の諸将も、典老には敬意をもって接していた。 無論、それは君主である曹操も同様である。むしろ、曹操の方が、配下の者たちよりも人一倍、典老への敬意が強かったと言ってもいいかもしれない。 その典老が、軍議の場に足を運んできたのだ。何事か起きたのかと曹操が案じても仕方がないことであった。 その曹操の問いに、典老は予想だにしない言葉を口にする。「このような重要な場にしゃしゃりでてきたこと、許してくだされ。実は、1つ、将軍様に願いたいことがござってな。何やら御身の軍から、鋭気が感じられたゆえ、今日を逃すと、またいつ機会が来るかもわかりませぬゆえ、場所柄もわきまえず、ここに参った次第でござる」「願い、ですか。それは典老の願いとあらば、喜んでかなえてさしあげたいが、どのような願いなのでしょう?」 曹操の言葉に従い、典老は己が背後に控えていた、一人の少女に声をかけた。「韋や、おいでなさい」「は、はい、お爺さま」 典老の言葉に従って進み出たのは、典老の孫娘である典韋であった。 曹操たちも典韋のことは知っている。典老の傍で甲斐甲斐しく世話するところをずっと見てきているし、なにより、このような山砦で出るとは信じられないくらいに美味な料理を、毎日つくってくれている少女なのである。 その腕には曹操も感嘆しきりで、かなうなら許昌に連れ帰りたい、と口にするほどであった。 もっとも、典韋が祖父である典老の傍を離れるとは考えられないため、あくまでかなわぬ希望を口にしてみただけだったのだが。 典老は、あっさりと言った。「我が孫を、将軍様のお傍に仕えさせていただきたいのです。身の程を知らぬ、と思われようが、どうか、聞き届けていただけまいか」 その典老の言葉を聞き、思わず口を開いたのは、夏侯惇であった。「ほ、本当か?! あ、いや、本当ですか?」 典韋の料理に、もっとも魂を奪われたのは、他ならぬ夏侯惇である。思わず喜悦の言葉が出てしまったようであった。 夏侯淵も驚きをあらわにしながら、口を開く。「それは、我らにとって願ってもないことです。しかし、お孫様を手放されることになりますが、本当によろしいのですか?」 曹操の傍近くに置く、ということは、典老と離れ離れになる、ということである。 くわえて、曹操は味方も多いが、敵も多い。その身に危険が迫ることがないとは言えず、その危険が典韋に及ぶ可能性は否定できない。 もちろん、夏侯淵はそこまで口にしなかったが、曹孟徳に付き従う、ということは、それだけの覚悟が必要となる。そのことに注意を喚起したのである。 夏侯淵の問いかけに、典老はためらいを見せずに頷く。 ここで、はじめて曹操が口を開いた。「それは侍女として、ということですか。それとも、武人として、ということでしょうか?」 典老は、それを聞いて、呵呵と笑った。「さすがは将軍様。すでに見抜いておられましたか」「ええ、典韋が並々ならぬ武芸の腕を持っていることは、少しその仕草を見ていればわかります。おそらく、我が軍でも指折りの武勇でしょう。秋蘭が申したとおり、私の配下に加わってくれるのならば大慶です。しかし、それが典韋にとっても同じであるかどうかは、保証できかねます」 曹操の言葉に、典老は小さく首を横に振る。「なんの。この子は小さいながらに、物の道理をわきまえておりまする。自分の道は自分で決めたいと、わしに申してきたのは、誰あろう、この子自身なのですよ。たとえ将軍様に従うことで、傷つくことがあろうとも、それはこの子自身の責。将軍様が気にされる必要はありませぬ」 その典老の言葉を聞き、曹操は典韋自身に向けて、問いを向けた。「典韋」「は、はいッ!」「この地にいたのなら、戦の何たるかはもう知っているでしょう。私に従うということは、その戦を繰り返しその眼で見て、その手を血で染めていくということ。あなたに行動を促した理由は、その重荷を背負うに足るものなのかしら?」「は、はい! あの、私は――」 曹操の真剣な眼差しに応えるように、典韋は訥々と語りだした。 青州黄巾党の暴虐ともいえる戦いに、ずっと疑問を抱いてきたこと。 祖父にそのことを話そうとしたこともあるが、そうしなければ皆が飢えてしまうということもわかっていたし、何より、典韋自身も、そうして得られた食料を口にして生き長らえているのだから、と考え、何も口に出来なかったこと。 その疑問を振り払うために、武芸の腕を磨いたこと。 けれど、押し殺され、腹の底にたまった疑惑と不信は拭われることはなく、それは、最近では耐え難いまでに大きな感情になっていたこと。「そこに、将軍様の軍勢がやってきたのです」 典韋は目を輝かせて、曹操を見上げた。 青州黄巾党を、ものともしない圧倒的な強さ。それなのに、略奪もせず、暴行も行わず、人としての尊厳を失わずにいる、将兵の姿。そして、そんな将兵の先頭に立って、天道を歩むと昂然と宣言した曹操の姿が、典韋の瞼の裏に焼きついて離れなかったのだ。 この人についていけば、少なくとも今までのように、自分の感情を押し殺して生きていく必要はなくなる。典韋はそう考えたのである。「祖父君とは、滅多に会うことは出来なくなる。それでも良いのね?」「……は、はい。もちろん、寂しいですけど、でも、将軍様についていけば、平和な世の中がやってくると信じます。世の中が平和になれば、またお爺さまと一緒に暮らすことが出来ますから」 曹操は、典韋の目をまっすぐに見つめる。かすかに揺れてはいたが、その奥底にある真摯な思いは本物だ。曹操はそう判断した。「よいでしょう。そこまで考えた末の決断ならば、あなたを受け容れることに否やはない。典韋、あなたの真名を、私に捧げなさい」「は、はい! 流琉(るる)と申します!」「では、流琉。今ここで、あなたを私の親衛隊に任命する。親衛隊の任務は、我が牙門旗を支えること。曹家の牙門旗が倒れること、それはすなわち我が覇道が潰えること。そのことを肝に銘じて、私に仕えなさい。いいわね」「はい! 頑張ります!!」 目を輝かせて、典韋が曹操の前に跪く。 典老は、そんな孫娘の姿を誇らしそうに、そして少しだけ寂しそうに見つめていた。◆◆ 新たに典韋を加え、さらに厚みを増した陣容を従え、曹操は済南郡から移動を開始した。 曹洪の5千を先陣として、そのすぐ後ろに曹操みずからが率いる3万の本隊が続く。 青州戦において、もっとも奮闘した夏侯惇の隊1万は、青州軍の編成が完了し次第、後詰として行動することになっていた。 この頃には、すでに陳留ならびに兌州の状況を知らせる使者は、次々に飛び込んできていた。すでに陳留の軍勢は、兌州各地に侵攻を開始しており、その勢力は着々と広がっているという。 対董卓戦において、張莫は1万の軍勢を徴募したが、補給その他の手間を度外視すれば、その倍は集めることが出来る。くわえて、曹操は勢力こそ巨大だが、一足飛びに成り上がった観は否めない。曹操の下につくことを潔しとしない者たちの中には、太守として実績を持つ張莫へ心を寄せる者も少なくないだろう。そういった勢力も合わせたとすれば、陳留軍の破竹の侵攻も頷けるものであった。 もっとも、それは張莫が起兵したとすればの話である。 曹操らの推測どおり、この叛乱が張超によるものであれば、また別の理由が考えられるのだ。 端的にいって、何者かに唆された可能性が高い。否、おそらくその通りだろう、と曹操は考えていた。 張超は曹操を嫌ってはいたが、決して無能ではなかった。陳留の軍政両面において、姉である張莫を補佐し、善政を布いていたという実績は確かなものである。それゆえ、曹操の力と自分の力を比べ、いずれが強者であるかという程度の判断は下せるし、また、それが出来るゆえに、これまで表向きは曹操の麾下に留まっていたのである。 それが、実際に叛旗を翻すに至ったとすれば、張超は、曹操を凌駕するだけの力を得たと判断したのだろう。それは具体的な兵の数なのか。あるいは、名声や権威であるのか。 後者だとすれば、許昌の堀に垂らした釣り糸に、魚が喰いついたのかもしれない。陳留まで巻き込むとは、よほどに大きな魚なのか。 曹操はそんなことを考えていた。 いずれにせよ、陳留郡が叛旗を翻した以上、制圧するのは当然のこと。 破竹の勢いで兌州に攻め込んでいるのならば、本拠地たる陳留の防備は手薄であろう。一路、陳留を目指しながら、曹操は唇の端をかすかにつりあげた。「ふむ。春蘭の二番煎じというのも、なかなか新鮮な体験ね」「仰るとおりかもしれませんね」 夏侯淵は小さく微笑んで頷いた。 しかし、すぐに表情を一転させ、気遣わしげに曹操に問いかけた。「華琳様、いささか容易すぎるように思えるのですが、いかがお考えですか?」 夏侯淵の危惧は、陳留が近づいているにも関わらず、曹操軍が、いまだ一度も敵部隊と接触していないことを指していた。 時折、偵察兵らしき少数の部隊を見かけることはあるのだが、彼らはこちらの姿に気づくと、すぐに背を向けて駆け去ってしまい、追跡することも容易ではなかった。 曹操たちにとっては、勝手知ったる陳留の沃野である。主要な城や砦を避けて、主城を直撃するのは難しいことではない。 だが、相手はこちら以上に地理を知悉している筈。曹操軍がとる進路を読むことが出来ないとは思えないのだが。「誘っているのでしょう、この私を」 曹操はあっさりと相手の思惑を断定してみせる。 夏侯淵は、半ば予測していた答えに、困ったような表情を見せた。「――では、やはり承知の上で、敵の誘いに乗ってみせるおつもりですか?」「ええ。時を与えれば、相手はますます勢力を広げ、防備を固めてしまうわ。なにより、獅子身中の虫に対して、石橋を叩いて渡るような戦い方をすれば、天下の諸侯の物笑いの種になるは必定。裏切り者には、それに相応しい戦い方で、相応しい罰を与えてやる必要があるのよ」 夏侯淵は、曹操の言葉に理を認めざるをえない。 諸侯の中には、勝利を得ることが出来るなら、どんな戦い方でも構わないという者もいるだろう。 しかし、天道を歩む曹操にとって、ただ勝てば良い、という戦い方は出来ないのである。 勝敗にも貴賎というものがある。 曹操がどのような戦い方をして、どのように勝利するのか。それはすなわち、曹操が歩む天道の何たるかを示す指標の一つ。ここで戦い方を誤れば、後々まで禍根となって残ってしまう。そしてそれは、曹操にとって、兌州を失陥することにまさる汚点となるであろう。 夏侯淵にはそれがわかる。わかるからこそ、曹操の言葉に頷かざるをえない。たとえ、先刻から胸騒ぎが一向に消えないとしても、姉の代わりに曹操に付き従う夏侯淵が、曹操の道を塞ぐことは出来ないのである。「――構うまい。変事あらば、この身命を賭して華琳様をお守りするのみだ」 夏侯淵は、誰にも聞こえない声で、古い誓約を口にした。 幼い頃から守り続けてきたもの。今では魂にまで結びついた、自身の誇りを口にして、夏侯淵は来るべき戦いを待ち受けるのであった。◆◆ かくて、曹操軍は陳留城を指呼の間に捉えた。 先鋒を率いる曹洪からは「陳留城外に敵影なし」との報告が届いている。 城内は静まり返り、遠くから眺めるかぎり、まるで無人の城のようであった。 あたかも、本当に全戦力を兌州攻略に向けてしまったのかと錯覚してしまいそうなほどに…… 曹洪からの報告を受けた曹操は、本隊を前進させ、先鋒部隊と合流した後、整然と軍列を保ったまま、陳留城との距離を詰めた。 そして、城壁を間近に望む位置まで近づくと、全軍を止め、絶影を進ませる。 それを見て、慌てて曹洪が止めようとする。「姉さ……いえ、華琳様、お待ちください。華琳様が出るのは危険です!」「優琳、心配は無用よ」「しかし――ッ?!」 曹洪は気づいていた。肌をひりつかせるような圧迫感が城内から発せられていることに。 その覇気に、知らず気圧されている自分自身に。 これは、張超などではない。仮に――本当に仮に、張莫が謀叛したのだとしても、曹洪はその姿を見ないうちに、ここまで気圧されることはないだろう。 曹洪と同じものを感じている将兵は他にもいた。みな、歴戦と称するに足る者たちばかり。その彼らが、はっきりと不安をあらわにしていた。 ――誰かがいるのだ。陳留には。 ――歴戦の将兵を、その気配だけで竦ませるような、誰かが。 曹洪が気づくことが出来たのだ。曹操が、気づかない筈はない。 しかし、曹操は気負う様子もなく、背後に控える典韋に声をかけた。「流琉、ついてきなさい。曹家の牙門旗を背負う重み。あなたが知るに、相応しい戦いになるでしょう」「は、はいッ!」 続いて、曹操は夏侯淵に短く命令する。「秋蘭、後ろは任せるわ」「御意、お任せください」 その意味を問い返すことなく、夏侯淵は静かに頷いた。 曹操軍の陣列から、曹操と典韋ら親衛隊が駒を進める。 高々と翻った『曹』の牙門旗が、陳留の地で誇らしげにはためいた。 その旗の下で、曹操は城内に向けて呼びかける。「陳留の民よ! 多言を弄する必要を認めぬ。問うのは、ただ1つ! 汝らは誰が旗の下で戦うのかッ!」 短い問いかけ――否、それは断罪であった。 叛旗を翻した者たちには、その理由を囀ることさえ認めない。 ただ、その結論だけを口にしろ、と曹操は言ったのである。 その曹操の叱咤が轟いて、わずかに後。 はじめて、陳留城の中で気配が動いた。 堤防に堰き止められていた水が、奔騰する寸前のような、そんな気配。 間をおかず、陳留の城門が、鈍い音をたてて開かれていく。 そして。 咄嗟に武器を構える親衛隊を背後に控えさせ、曹操は勁烈な視線を城門からあふれ出てくる部隊に向けた。 否、部隊に、ではない。 その部隊が掲げた牙門旗に向けたのだ。 その色は深紅。 そこに記されるは『呂』の一文字。 智将 曹操。 そして――猛将 呂布。 兌州の覇権を賭けた、両雄の死闘の火蓋が切って落とされた瞬間であった。