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No.5244の一覧
[0] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 【第一部 完結】[月桂](2010/04/12 01:14)
[1] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(一)[月桂](2008/12/14 13:32)
[2] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(二)[月桂](2008/12/14 13:33)
[3] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(三)[月桂](2008/12/14 13:33)
[4] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 刀花邂逅(四)[月桂](2008/12/14 13:45)
[5] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(一)[月桂](2008/12/17 00:46)
[6] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(二)[月桂](2008/12/17 23:57)
[7] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(三)[月桂](2008/12/19 22:38)
[8] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 蒼天已死(四)[月桂](2008/12/21 08:57)
[9] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(一)[月桂](2008/12/22 22:49)
[10] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(二)[月桂](2009/01/01 12:04)
[11] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(三)[月桂](2008/12/25 01:01)
[12] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 燎原大火(四)[月桂](2009/01/10 00:24)
[13] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(一)[月桂](2009/01/01 12:01)
[14] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(二)[月桂](2009/01/02 21:35)
[15] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(三)[月桂](2009/01/04 02:47)
[16] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(四)[月桂](2009/01/10 00:22)
[17] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 天下無双(五) [月桂](2009/01/10 00:21)
[18] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(一)[月桂](2009/01/12 18:53)
[19] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(二)[月桂](2009/01/14 21:34)
[20] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(三)[月桂](2009/01/16 23:38)
[21] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(四)[月桂](2009/01/24 23:26)
[22] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 洛陽炎上(五)[月桂](2010/05/05 19:23)
[23] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(一)[月桂](2009/02/08 12:08)
[24] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(二)[月桂](2009/02/11 22:33)
[25] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(二・五)[月桂](2009/03/01 11:30)
[26] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(三)[月桂](2009/02/17 01:23)
[27] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(四)[月桂](2009/02/22 13:05)
[28] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(五)[月桂](2009/02/22 13:02)
[29] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黄天當立(六)[月桂](2009/02/23 17:52)
[30] 三国志外史  六章までのオリジナル登場人物一覧[月桂](2009/02/26 22:23)
[31] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(一)[月桂](2009/02/26 22:22)
[32] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(二)[月桂](2009/03/01 11:29)
[33] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(三)[月桂](2009/03/04 01:49)
[34] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(四)[月桂](2009/03/12 01:06)
[35] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(五)[月桂](2009/03/12 01:04)
[36] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(六)[月桂](2009/03/16 21:34)
[37] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(七)[月桂](2009/03/16 21:33)
[38] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 終即始也(八)[月桂](2009/03/17 04:58)
[39] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(一)[月桂](2009/03/19 05:56)
[40] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(二)[月桂](2009/04/08 23:24)
[41] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(三)[月桂](2009/04/02 01:44)
[42] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(四)[月桂](2009/04/05 14:15)
[43] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(五)[月桂](2009/04/08 23:22)
[44] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(一)[月桂](2009/04/12 11:48)
[45] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(二)[月桂](2009/04/14 23:56)
[46] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(二・五)[月桂](2009/04/16 00:56)
[47] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(三)[月桂](2009/04/26 23:27)
[48] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(四)[月桂](2009/04/26 23:26)
[49] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(五)[月桂](2009/04/30 22:31)
[50] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 二虎競食(六)[月桂](2009/05/06 23:25)
[51] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(一)[月桂](2009/05/06 23:22)
[52] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(二)[月桂](2009/05/13 22:14)
[53] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(三)[月桂](2009/05/25 23:53)
[54] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 月志天貂(四)[月桂](2009/05/25 23:52)
[55] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(一)[月桂](2009/06/07 09:55)
[56] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(二)[月桂](2010/05/05 19:24)
[57] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(三)[月桂](2009/06/12 02:05)
[58] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(四)[月桂](2009/06/14 22:57)
[59] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(五)[月桂](2009/06/14 22:56)
[60] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(六)[月桂](2009/06/28 16:56)
[61] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(七)[月桂](2009/06/28 16:54)
[62] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(八)[月桂](2009/06/28 16:54)
[63] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十章 偽帝袁術(九)[月桂](2009/07/04 01:01)
[64] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(一)[月桂](2009/07/15 22:34)
[65] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(二)[月桂](2009/07/22 02:14)
[66] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(三)[月桂](2009/07/23 01:12)
[67] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(四)[月桂](2009/08/18 23:51)
[68] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(五)[月桂](2009/07/31 22:04)
[69] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(六)[月桂](2009/08/09 23:18)
[70] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(七)[月桂](2009/08/11 02:45)
[71] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十一章 徐州擾乱(八)[月桂](2009/08/16 17:55)
[72] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(一)[月桂](2011/01/09 01:59)
[73] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(二)[月桂](2009/08/22 08:23)
[74] 三国志外史  七章以降のオリジナル登場人物一覧[月桂](2009/12/31 21:59)
[75] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(三)[月桂](2009/12/31 22:21)
[76] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(四)[月桂](2010/01/24 13:50)
[77] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(五)[月桂](2010/01/30 00:13)
[78] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(六)[月桂](2010/02/01 11:04)
[79] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(七)[月桂](2010/02/06 21:17)
[80] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(八)[月桂](2010/02/09 00:49)
[81] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(九)[月桂](2010/02/11 23:24)
[82] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十)[月桂](2010/02/18 23:13)
[83] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十一)[月桂](2010/03/07 23:23)
[84] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十二章 悲壮淋漓(十二)[月桂](2010/03/14 12:30)
[85] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (一)[月桂](2010/03/22 15:41)
[86] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (二)[月桂](2010/03/26 02:19)
[87] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (三)[月桂](2010/03/31 03:49)
[88] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (四)[月桂](2010/04/09 00:37)
[89] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第十三章 北郷一刀(序) (五)[月桂](2010/04/12 01:13)
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[5244] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 各々之誇(四)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/04/05 14:15




「兌州(えんしゅう)済北郡太守 鮑信と申します。此度、我らが救援のために、曹将軍御自らの来援を仰げましたこと、まことに感謝の言葉もございません」
 鮑信はそう言うと、曹操の眼前で深々と頭を下げる。曹操の目に、艶やかな漆黒の髪が、天幕の燭台の灯りを映して、鈍く輝いたように見えた。
 兌州八郡の太守を務める者たちの中で、女性の太守は2人だけしかいない。中華全土を見渡せば、あるいは、2人もいる、と言った方が正確であるかもしれない。
 1人は曹操の股肱たる陳留太守 張莫。もう1人が、今、曹操の眼前に参じた済北太守 鮑信である。




 賢主として名高い鮑信は、年齢から言えば、曹操、張莫よりも少しだけ上。
 一見、楚々とした風情の美女ながら、太守の座に就いてからすでに数年。後漢の宮廷を敬して遠ざけ、もっぱら済北郡の発展に努め、見事な成果を出しているなかなかに肝の太い人物であった。
 鮑信の努力の甲斐あって、済北郡は兌州はおろか、周辺諸州を見渡しても、抜きん出て治安が良く、また税も低めに抑えられているため、民は平穏な生活を享受することが出来ていた。
 その意味で済北郡に並ぶのは、張莫の陳留郡ぐらいであろうという専らの評判であった。
 当初は、女性の太守ということで、反発する勢力も多かったが、鮑信は時に強引なまでの力技で、時に柔和な笑みと共に搦め手を用いるなどして、問題を1つ1つ、着実に解決していき、実権を手中に収め、さらにその勢力を伸ばしていき――いまや、兌州において、鮑信の令名を知らない者はいないまでの勢力へと変貌を遂げていたのである。
 だが、その鮑信の名声が、かえって青州黄巾党の攻勢を招き寄せる結果となったのは、皮肉なことであった。



 元々、張角の蜂起によって興った黄巾党は、雑多な勢力の寄せ集めであった。波才麾下の精兵のように、正規軍に劣らない実力を有した部隊もあれば、農民が武器を持っているだけ、という部隊も少なくない。
 それは黄巾党の理念である中黄太乙――黄布を身につけた民による、太平の世の招来という目的が、立場や理念を越えて、多くの人々の気持ちを引き付けたことによる。
 もっとも、実際に画策したのは、張角ではなく、周りの者たちだったのだが、それはさておき、青州黄巾党の存在は、この雑多な黄巾党の中でも、更に異彩を放つものだった。
 青州黄巾党が恐れられた最たる理由。それは、他の部隊ではありえなかった結束力の高さであった。
 曰く「死を恐れず、父や兄が討ち死にすれば、子や弟が群がりおこる」
 青州黄巾党は、済南郡の貧しい民衆を基盤とする戦闘集団であり、それゆえにこそ、他の部隊と一線を画した強さを発揮することが出来たのである。
 自分のためだけではない。彼らの背後には、武器を持たない家族が控えているのである。
 戦で敗れれば、敵の刃が家族に及ぶという脅威。
 敵を打ち破って財貨を得なければ、家族が飢えてしまうという恐怖。
 波才のような図抜けた指揮官がおらず、管亥ら2流の指揮官に率いられているにも関わらず、青州黄巾党を、青州最強の兵団へと押し上げた原動力は、その2つであると断言することが出来るであろう。



 だが、その認識は、他勢力にとっては迷惑なことこの上なかった。領土の支配や、経営といった観点が欠けている青州兵たちは、殺戮と、略奪という手段に訴える術しか持っていないことを意味するからである。
 そんな彼らが、兌州において、もっとも豊かな郡の1つである済北郡に目をつけるのは、自然なことであったのだろう。
 黄巾党の河北一斉蜂起に伴い、彼らは大波となって済北郡に押し寄せた。
 その報告を受けたとき、鮑信は一瞬、奥歯を強く噛み締めた。兌州に名高い鮑信の武略をもってしても、青州黄巾党の猛攻を防ぎとめる術が思い浮かばなかったのである。
 鮑信は、かねてから誼を通じていた陳留に救援を求める使者を発したが、陳留の張莫が、主を曹操と定めたことは聞き知っていた。そして、その曹操が皇帝を保護し、許昌に宮廷を移したことも聞き及んでいた。後漢の王朝から距離を置いていた鮑信のために、彼らが援軍を発するとも思えず、鮑信は先行きの暗さに、人知れず、ため息を吐いたのであった。



 だが。
 そんな鮑信の予測に反し、援軍はやってきた。
 曹操みずからが率いる、漢朝の正規軍。
 しかし、それは陳留からもたらされた情報によって発されたわけではなかった。この時点で、陳留に派遣した鮑信の救援要請は、曹操の下まで届いていなかったのである。 
 では、どうして曹操が援軍として、許昌から離れた青州まではるばる軍旅を催すことになったのか。
 その理由は、朝廷内に蔓延り始めた、曹操の存在を疎む者たちの思惑にあった。



◆◆


 
 洛陽から許昌へ。
 遷都後の宮廷の主宰者は、衆目の一致するところ、曹孟徳ただ1人であった。
 軍権はすべて曹操の掌中にあり、宮廷を動かす財貨は曹操の懐から出されている現状にあって、それを否定することが出来る者は、どこにもいない。
 たとえ皇帝であれ、曹操の行動を掣肘することは出来ないであろう。宮廷の誰もがそう考え、息を殺して、曹操の一挙手一投足に注意を払わなければならなかったのである。


 とはいえ、曹操は、皇帝はじめ百官を蔑ろにしたわけではない。
 曹操は漢の廷臣として朝政に臨み、政策を討議した。
 緻密な政策を立案するに、曹操に優る者はなく、決定された政策を迅速にこなすに、曹操に比肩しえる者もいない。
 曹操の精勤と、それがもたらす種々の成果は、漢朝の権威を確実に高めており、口さがない宮廷雀たちでさえ、曹操の功績を否定することは出来なかった。
 曹操を非難すれば、その曹操に劣る働きぶりしかしていない己の惨めさが際立つのみとあって、小人たちも口を閉ざさざるをえなかったのである。
 だが、それゆえに、一部の廷臣たちの不満は、陰にこもるようになっていった……





 許昌の実権を握る曹操の下には、大小さまざまな案件が持ち込まれてくる。
 中でも最も曹操が注意を払っているのは、許昌の治安であった。
 許昌は曹操が作り上げた新しい都。その住民の多くは、外からやってきた流民である。
 袁紹のように、核となる地盤を持たない曹操にとって、流民の力の組織化は、今後、天下に打って出るに際し、是が非でも成し遂げねばならないことなのである。


「桂花、街の様子はどう?」
 曹操の問いに、許昌建設の全権を委ねられている荀彧は、自信を込めて首を縦に振る。
「万全です、華琳様。流民たちは増え続けていますが、居住地にはまだまだ余裕があります。また、先んじて暮らしている者たちの中から自警団を組織する動きが起きており、自発的な発展を望む良い傾向がうかがえます」
「よし。ただし、行き過ぎて、排他的な力とならないよう、注意を怠らないように。外の力を取り込む襟度のない勢力が、天下を得た例はないわ」
「御意。お任せください」 


 曹操は次に、夏侯惇へ問いを発する。 
「春蘭。流民の中から兵を募る件、どうなったかしら?」
「は! 我が軍に参加を希望する者の数はとどまるところを知りません。すでに数だけは5万を越えております。ただ――」
 そこで、夏侯惇はわずかに躊躇した。
「戦闘経験がある者を優先的に選抜して編成しているのですが、まだまだ烏合の衆です。実際に戦場に立てるようになるまで、まだしばらくはかかるかと……」
 自身の力不足を嘆く夏侯惇に、曹操は、しかし怒りを見せることなく頷いてみせた。
「それは当然ね。いかに春蘭が一騎当千の勇士とはいえ、新兵が1ヵ月やそこらで使い物になる筈もない。慌てる必要はないわ。あなたが納得いくまで、じっくりと鍛え上げてやりなさい」
「御意! おおせのとおり、たっぷりと鍛え上げてやりますよ!」
 曹操の言葉に、たちまち元気を取り戻した夏侯惇の顔を見て、夏侯淵が小さく肩をすくめてみせた。
「……姉者、ほどほどにな。姉者が本気で訓練に身を入れたりしたら、兵舎が怪我人で溢れてしまいそうだぞ。いざ戦という時に、包帯を巻いた怪我人を指揮して戦うなぞ、ぞっとしないからな」
「そ、そんなことはわかっている! きちんと、手加減はする。余計な心配をするな、秋蘭」
 むきになったように言い返す夏侯惇を見て、今度は荀彧が口許を曲げた。
「あら、あなたが手加減なんて言葉を口にするとは思わなかったわ。今日は雪でも降るのかしらね」
「な、なんだとッ?!」


 それを聞いた夏侯惇が激昂する寸前、荀彧を制した者がいる。
 その人物は、荀彧と良く似た容姿であったが、態度は控えめであり、その言葉には棘がなかった。
「姉様、そのような言い方、春蘭様に失礼ですよ」
 この少女、名を荀攸、字を公達、真名を藍花(らんふぁ)という。
 荀攸は荀彧を姉と呼ぶが、実の姉妹というわけではない。荀攸は、荀彧にとって姪にあたり、3ヶ月だけであるが、先に生まれているのである。
 それゆえ、姉という呼びかけは、複数の意味で事実にそぐわないのだが、幼い頃からの関係、そして何より互いの性格の違いが、両者の立場を決定づけていた。


 荀彧と同じ亜麻色の髪を、腰まで伸ばした荀攸は、かすかにその髪を揺らしながら、荀彧を制そうとするが、荀彧はどこ吹く風とばかりに切り返してきた。
「あら、本当のことじゃない。藍花だってそう思うでしょ?」
 荀彧の問い返しに、荀攸は、思わず頷いてしまう。
「た、確かに春蘭様が手加減を知っているというのは驚きました。いつでもどこでも全身全霊、全力を挙げる方だとばかり……って、違います! そういうことを言いたいわけではなくてですね」
「ほら、ごらんなさい。藍花だって同意見だわ」
「ち、違います! 勝手に同意見にしないでください、姉様! 私、そんな失礼なことを考えては……いえ、確かに驚きはしましたが、それとこれとは別の話で――!」
「そうか、桂花はまだしも、藍花にまで私は手加減を知らぬ猪武者だと思われていたのか……」
 力なくうな垂れる夏侯惇を見て、藍花はさらに慌ててしまった。
「ちょ、あの、春蘭様、違います! あ、いえ違わないのかも? あ、でも決して春蘭様のあり方を否定しているわけではなく、むしろその猪突猛進の在り方こそが春蘭様を、春蘭様たらしめているのではないか、と考えていて、その、あのですね」
 フォローしようとしているのか、とどめをさそうとしているのか、わからなくなるような藍花の言動だった。それを聞いて、夏侯惇はますますうな垂れてしまった。


 さすがにこのままでは収拾がつかない、と判断した、夏侯淵がようやく助け舟を出した。
「藍花、後で姉者を立ち直らせる私の苦労も察してくれるとありがたいな。苛めるのは、そのくらいにしてやってくれないか」
「ち、違います、秋蘭様。私、決して春蘭様を苛めているわけでは――ッ?!」
 夏侯淵の助け舟(?)に、何故か横撃を喰らった形の荀攸が、顔を真っ赤にして俯いてしまうのを見て、ようやく曹操がその場を取り静めた。
「ほらほら、まだ話は終わっていないのよ。こんなところでじゃれあうのは止めなさい――本題は、これからなのだから」
 何気ない曹操のひと言に、しかし、この場に集っていた者たちは、たちまちのうちに表情を引き締めた。
 彼らは鋭気を漲らせた表情で、曹操の言葉をひと言たりとも聞き逃さないように、耳をそばだてた。


 そこに、つい先刻まで、この場で戯れていた者たちの姿はなく。
 一国の王朝を支えるに足る気概と能力を兼備した君臣の姿が、そこにあった。







 曹操が本題と口にしたのは、今日、朝廷より下された命令にあった。
 それは「曹孟徳を征東将軍に任じ、兌州及び青州において猛威を振るう黄巾党を討伐せよ」というものである。
 この時期、すでに河北における黄巾党の勢力は、袁紹によって駆逐されつつある。いまだ、黄巾党の残党は平原郡に立てこもっているとのことだが、それもまもなく陥落するであろう。
 しかし、そういった主力の敗退に関わらず、青州黄巾党の勢力は、衰えることを知らず、周囲の太守はおろか、州牧たちも手出ししようとしない状況であった。
 賊徒を公然と野放しにしておけば、漢王朝への信頼は失われてしまう。ついには、賊徒の陣営に駆け込む者たちさえ出てきてしまうだろう。これまでそうであったように、である。



 廷臣たちは言う。
 そんな事態を阻むためにも、しかるべき将軍に兵を授け、黄巾党を漢の御旗の下に跪かせねばならない。それが、宮廷の総意である。
 今現在、許昌における漢朝の戦力は、ほぼすべてが曹操の持つ武力に他ならぬ。
 征討軍の指揮を曹操が執るのは、当然にして自然のことであろう。
 さらに、曹操は皇帝を庇護して以後、いかなる地位も、また恩賞も求めはしなかった。漢朝の臣として、その無欲と謙譲は賞賛に値したが、信賞必罰は宮廷の拠って立つ基盤でもある。
 王朝再興の功労者を賞せざるとあっては、皇帝陛下の不徳ともとられかねぬ。
 曹操殿においては、此度の将軍位授与の件、辞退することのないように。



 曹操から話を聞いた荀彧は、ひと言で百官の思惑を示して見せた。
「体の良い追放、ですね。廷臣たちは、よほど華琳様の存在が目障りになってきたのでしょう」
 荀彧の言に、夏侯惇が首を傾げる。
「華琳様に将軍位に就いて頂き、その御力で、黄巾党を討伐してほしいということだろう。廷臣たちにしては、身の程をわきまえた頼みではないか、うん。ここは快諾を与え、我らの力を示してやろうではないか!」
 自信満々、という様子でそう主張する夏侯惇を、荀彧は呆れたように見た。
「あんた、馬鹿? 宮廷の連中は自分たちの権力を肥らせることしか頭にないことくらい、知っているでしょう。そんな連中が、前触れもなく、漢朝への信頼だの、匪賊の討伐だのと言い出したのよ。裏があるに決まってるでしょう」
「な、なに、そうなのか、秋蘭?」
「ふむ、まあ、十中八九、桂花の言うとおりだろう。付け加えれば、宮廷にいる者たちは、総じて欲が深い。その彼らから見れば、功績が多大であるはずの華琳様が、何の恩賞も求めようとしないことは、不気味に思えてなるまい。今回の件、華琳様を都から追いやると同時に、華琳様が果たして宮廷の命令に素直に従うのか否か、確かめようとする狙いもあるのではないかな」
 夏侯淵の言葉に、今度は荀攸が口を開く。
「今、漢朝が動かせる兵力は5万に足りません。それも、そのほとんどは元董卓軍の兵たちです。漢朝、そして華琳様への忠誠など持っている筈はなく、その統御に苦労するに違いない。朝廷の方々はそう考えていると思われます。軍勢の出立に手間取れば、それを理由に非難してくる可能性もございますね」
 反董卓連合結成時に、曹操軍の主力となっていた1万の軍勢については、すでに張莫と共に陳留に帰還していた。
 この時代、兵卒は、同時に農民でもある。戦が終われば、田に帰らなければならないのである。
 その意味でいっても、董卓軍の兵たちの中で、故郷の涼州へと帰還を望む者は多数に上る筈だ。彼らを統御し、東へ遠征するのは、曹操といえど、容易なことではない。
 廷臣たちはそう考えたのだろう。
 


 3人の意見を聞いた夏侯惇は、なら話は簡単だ、とばかりに腕組みをして、深々と頷いた。
「なるほど。つまり、今回の命令には従わない、ということだな」
「……春蘭」
「は、華琳様、どうかなさいまし……って、痛い、痛いです華琳様。頬をつねるのはお止めくださいッ?!」
 夏侯惇の言葉どおり、曹操はにっこりと微笑みながら、夏侯惇の頬をつねっていた。手加減していないので、地味に痛がる夏侯惇。
「あなた、私に皇帝の命令を真っ向から蹴飛ばせとでも言うのかしら? そんなことをしたら、どうなるか、まさか想像がつかないとは言わないわよね?」
 もし、曹操が皇帝の命令に肯わなかった場合、今はおとなしくしている宮廷の狐狸が、声高に僭越だの不忠だの騒ぎ立てるのは間違いあるまい
 曹操の力をもってすれば、武力も財力もなく、皇帝に寄生する輩など一掃できるに違いないが、今の段階でそれを行えば、今度は曹操が董卓の二の舞になってしまうだろう。
 そして、それを望む者が、舞台の袖に潜んでいることに、気づかない曹操たちではない――若干、1名を除いて。


「で、では、華琳様はどのようにされるおつもりなのですか?」
 なんとなく、蚊帳の外に置かれている自分を認識し、夏侯惇はちょっと寂しそうに問いかける。
「勅命とあらば受けるしかないでしょう。征東将軍の位など、別にほしいとも思わないけれど、くれるというならもらっておきましょう。地位やら官位やらを有り難がる者も少なくないしね」
「そ、そうですか! さすが華琳様です! なんだ、桂花。結局、最初に私の言ったとおりになるのではないか。小難しい理屈で私を惑わせようと思っても、そうはいかんぞ」
「ああ、はいはい。まったく、猪武者は気楽で良いわね。結論だけを見て、そこに至る過程を見ようともしないのだから」
 肩をすくめる荀彧に、荀攸が小さく微笑みかけた。
「ふふ、武人たる者、春蘭様のようにまっすぐに駆けることこそあるべき姿なのでしょう。他の細かいことは、私たち軍師が処理しておけば良いことですよ。それが結果として、華琳様が歩む天道を、もっとも明るく照らし出すことになるのだと、私は思います」
「ふん、春蘭なんかに負けるものですか。華琳様のもっとも近くで天道を歩むのは、私以外にはありえないもの」
「であれば、尚更、不和は謹まねばなりませんよ、姉様」
 荀攸がたしなめるように言うと、荀彧はむっとしたように顔をしかめたが、反論を口にしようとはしなかった。



「では華琳様、軍を出すとして、編成はどうなさいますか?」
 夏侯淵の問いかけに、全員が曹操に注目する。
 不確定要素を抱える朝廷の兵士を用いるか。あるいは、陳留の軍勢のみで討って出るか。最後の手段として、いまだ訓練半ばの新兵を動員するという策もある。
 資金と糧食に関しては問題のない曹操陣営であるだけに、取り得る手段は幾つも存在した。どの道を選ぶにも、一長一短があったのだが、曹操は迷う素振りさえ見せず、決断を下す。
「新兵を用いるは論外。陳留の軍勢だけでは、青州黄巾党との戦いが無駄に長引く可能性がある。ここは、我らが動員できる最大限の兵力をもって、一気に連中を叩き潰す」
 朝廷の兵力を率いて、征討軍を編成する。
 その構成上、全面的な信頼を置ける兵力ではないが、仮にも天下を目指そうという者が、率いる兵士に不安を抱えているようでは、器が知れるというもの。不満があるなら、それを正面から打ち砕き、従わせてみせよう。
 その曹操の決定を聞き、部下たちは一斉に頭を垂れるのであった。




 主君が決定を下せば、あとは全力で任務を果たすだけである。
 勇み立つ部下たちに、曹操は次々に指示を下していった。
「春蘭は、兵1万を率い、先鋒となって山陽郡に進出しなさい。佐には楽、于、李の3将をつける。山陽郡で陣を構え、青州軍の動向を確認し、可能であれば一挙に敵の勢力圏に踏み込みなさい」
「御意!」
「秋蘭は、同じく1万を率い、第二陣として春蘭の後背を固めなさい。道々の領主たちとの折衝は、秋蘭に一任するわ。藍花は秋蘭の補佐をお願い」
「御意、お任せください」
「承知いたしました」
「桂花は引き続き許昌の建設に当たりなさい。無論、朝廷の監視もあなたの任よ。出来るわね?」
「御意、我が能力をもってすれば、容易いことです、華琳様」
「よし。桂花の補佐には、子孝(曹仁)をつける。私は本隊として2万を率い、後詰には子廉(曹洪)の5千をあてる」
 曹仁、曹洪、共に夏侯惇の指揮下にあって、新兵の訓練に当っている将軍である。その名のとおり、曹操の一族である2人だが、実力主義の曹操軍にあっては、一族といえど、優れた人物の下につかねばならないのである。
 もっとも、2人とも、それを屈辱と考えるほど度量の狭い人物ではなく、配置は滞りなく完了することになる。



 曹操が策定した征討軍の総兵力は4万5千。その数は、現在の許昌における、正規の兵力のほぼ全てと言って良い。
 言葉どおり、曹操は動員可能な最大兵力をもって、征討軍を組織するつもりであった。
 だが、それは同時に帝都たる許昌が、手薄になることを意味する。
 曹操の軍が出陣するや、それを知った一部の者たちの動きが慌しくなってくる。
 乱世において、本拠地を手薄にすることが、何を意味するのかを知らない曹孟徳である筈はないのだが――しかし、自らの望む現実のみを見る者たちは、そのことに気づこうとはしなかったのである。



◆◆



「うー、しっかし、夏侯将軍も、人使いの荒いお人やなー。そう思わへん、凪?」
 李典がため息を吐きながら、楽進に同意を求めると、楽進はそっけなく言い返した。
「……荒いんではなく、上手いんだ。放って置くと、真桜も沙和も働かないから」
「うぐ。沙和ー、凪がうちをいじめるんよー」
 于禁は泣きついてきた李典を抱きしめ、背中を叩いてやる。
「あー、よしよし。可哀想だねー、真桜ちゃん」
「ああ、うちのことをわかってくれるのは沙和だけや。薄情な凪とは大違いやな」
「そうそう、凪ちゃんは薄情なの。この前も、約束してた杏仁豆腐をおごってくれなかったしー」
「……給料日前だった。仕方ない」
「おお、じゃあお給料出たら、おごってくれるんだ?」
 于禁が目を輝かせて確認をとってくる。その熱いまなざしから、自然に目をそらした楽進の視界に、捜し求めていたものが映し出された。
「真桜、沙和、あれ」
 楽進が指差した先を見る李典と于禁。
 3人の視線の先には、「中黄太乙」の旗印が翩翻とはためき、その下には無数とも思える軍勢が陣を据えていた。
 済北郡太守 鮑信の城を囲む青州黄巾党の軍勢である。


 3人は、黄巾党の実数、布陣、兵士たちの様子などを確認し終えると、急ぎ、夏侯惇の下へと取って返した。
 夏侯惇は先鋒を任され、張り切って軍勢を進めてくる筈である。
 敵の哨戒網にかかってしまう前に報告しなければ、そのままの勢いで青州黄巾党と戦端を開きかねない、と3人の意見は一致を見たのである。
 しかし、今回は幸いにも、その事態に先んじて、3人は夏侯惇と合流することが出来た。
 夏侯惇への報告の場で、3人は口々に青州黄巾党との戦いが容易でない旨を訴えた。
 済北城を囲む布陣は隙がなく、兵士たちの士気はきわめて高い。何より、8万という大軍なのである。夏侯惇率いる1万では、勝負になる筈はなかった。
 「全軍突撃! 曹家の武力、見せてやれ!」などと夏侯惇が命令した日には、先鋒が全滅してしまうかもしれない。3人は半ば本気で、そのことを心配をしていたのである。


 そんな3人の不安げな視線を浴びつつ、夏侯惇は何やら考え込んでいたが、やがて、1つ、大きく頷くと、3人に向きなおった。
「文則(于禁の字)、おまえ、たしか済北郡で暮らしていたことがあると言ったな?」
「はーい。5年くらい、あそこで暮らしてましたー」
「では、城内にこっそり入ることは出来るか?」
 夏侯惇の問いに、于禁は迷う素振りも見せずに、首を縦に振る。
「簡単簡単、ですよ。子供の頃の遊び場ですから。お間抜けな黄巾賊の目を潜り抜けることくらい、余裕ですのー」
 于禁の返答を聞いた夏侯惇は、小さく頷いた。
「そうか。なら、文則は私の書状を持って、城内に潜入してくれ。城がそう容易く落ちるとは思えんが、万一ということがあるからな。私が包囲を破るまでの間は、持ちこたえてもらわねばならん」


 夏侯惇の言葉を聞いた3人は、互いに視線をかわし合い――そして、自分の聞き間違いではないことを確認する。
「あのー、夏侯将軍、よろしいですか?」
「なんだ、曼成(李典の字)?」
「今『私が包囲を破るまでの間は』って言ってるように聞こえたんやけど……?」
「当たり前だ。そう言ったのだから、そう聞こえるに決まっているだろうに」
「……あのー、まさか、うちらだけで青州の連中とやりあうおつもりですか?」
 李典のおそるおそるの問いかけに、夏侯惇は大きく胸を張って応える。
「はっはっは。曼成はまだまだ猪武者だな。突撃するだけが武将の戦いではないぞ。時には策を用いて、敵を撃破することもおぼえてもらわねば、華琳様の軍勢を任せることは出来んぞ」
 その夏侯惇の台詞を聞いた瞬間、3人の顔に驚愕が走った。


「……夏侯将軍に、猪武者っていわれてもーた……」
 呆然とする李典。
「夏侯将軍が突撃以外をするところを見るのは、はじめてかもー」
 目を丸くする于禁。
「……御教誨、胸に刻んで忘れません」
 感動したように、跪く楽進。


 驚き騒ぐ佐将たちを他所に、夏侯惇は熱心に地図を眺める。
「ふん、私だって策のひとつやふたつ、考えることは出来るのだ。見ていろ、桂花め。それに、先鋒だけで勝利を得られれば、その分、軍の犠牲も減る。そうすれば、きっと華琳様も褒めてくださるに違いない!」
 心中で呟いているつもりだったが、夏侯惇の呟きは駄々漏れだった。
「あー。なるほど、そういう理由があったんね」
「きっと、また会議の場で相手にしてもらえなかったのねー」
「……私は夏侯将軍についていくのみ」
 佐将たちは、それぞれ納得したように頷くのであった。


 そして、夏侯惇は、考えに考えた末の作戦を披露する。
 曹操軍の目的は、青州黄巾党の撃滅であるが、焦眉の急は、済北郡の救援である。
 とはいえ、彼我の戦力差を考えれば、正面からぶつかることは避けたいところだ。では、どうやって敵の包囲を破るのか。
 夏侯惇は、地図上のある一点を指し示した。済南郡――青州黄巾党の本拠地が置かれている場所である。
「私と文謙は、先鋒を率いて済南郡を叩く! これだけの数が出撃している以上、本拠地の防備は薄い筈だ。ここに侵攻すれば、奴らは帰る家を奪われると考え、慌てて軍を退くしかなくなろう」
 敵が退却を始めれば、于禁は城内の鮑信と共に背後から追撃する。
 李典は後続の夏侯淵らに作戦を伝え、協力してもらう。夏侯淵の用兵は神速であり、すぐに援兵を出してくれるだろう。
 済南郡に侵攻した夏侯惇らも、時期を見計らって軍を返し、この包囲軍に加わる。
 かくて、三方から集中攻撃を受け、青州黄巾党は壊滅する、という寸法であった。


 作戦を聞いた楽進たちは、何やら唖然として、言葉も出ない様子である。
 自信満々で説明していた夏侯惇であったが、佐将たちの様子に、やや不安そうに問いかけを発した。
「ど、どうした、何かまずいところでもあったか?」
 楽進らは顔を見合わせ、互いの驚きを確認しあう。
「い、いやー、そうやないんですが……」
「ふわー、夏侯将軍がこんなまともな作戦を考え付くなんて……」
「……完璧です、将軍」
 作戦といっても、あの夏侯惇将軍のこと。「正面突破で城内に突入する!」くらいのものだろうと考えていた李典や于禁は、自分たちが目の前の将軍を、知らず、見くびっていたことを悟る。
 3人は、はかったように同時に頭を下げた。
 夏侯惇の作戦で動くことに、いささかの不満もないことを示すために。





 かくて、先鋒軍を率いる夏侯惇の策によって、曹操軍は動き出す。
 夏侯惇と楽進の率いる1万の軍勢の出現は、黄巾党の留守部隊を驚愕させた。
 まさか、都から長躯、ここまで曹操の軍が出てくるなど考えてもいなかった黄巾党は、ただちに出撃した部隊に対して急を告げる使者を出した。
 済北郡を攻め立てていた軍勢は、留守部隊からの知らせを受け、慌てて城の包囲を解き、退却を開始するが、于禁からの知らせによって、このことあるを予期していた鮑信麾下の済北勢の追撃を受け、多くの死傷者を出すことになる。


 数にまさる黄巾党は、なんとか鮑信の追撃を押し返し、済南郡へと帰路を急ぐのだが、ここで夏侯淵率いる曹操軍第二陣に捕捉されてしまう。
 夏侯淵は黄巾党の正面に立ちはだかることはせず、あえて敵の半ばを見過ごした後、斜め後方から黄巾党を激しく攻め立てた。
 鮑信の時とは違い、この襲撃は完全に黄巾党の不意を衝いた。敵は済南郡を襲った一隊と、済北勢だけと考えていた黄巾党が、夏侯淵の奇襲に対抗しえる筈がない。
 それでも、敗走の中で、なお軍としての秩序を失わないところに、青州黄巾党の真価が見て取れた。


 しかし、それとても、夏侯惇の軍勢が立ちふさがるまでのこと。
 済南郡に点在する諸砦を、文字通りに粉砕した夏侯惇が、時期を見計らい、返す刀で黄巾党の本隊に襲い掛かったのである。
 2度に渡る敵勢の追撃を、なんとか耐え凌いだ形の青州黄巾党であったが、この夏侯惇の一撃が致命傷となった。
 この時点で、曹操の本隊はまだ参戦しておらず、いまだ総兵力は黄巾党が優っていた。
 しかし、夏侯姉妹による挟撃、そして遅れて参じた鮑信の軍も加わった三方からの攻勢により、軍としての指揮系統が寸断されてしまったのである。個々の兵士たちがどれだけ精強であっても、指揮する者がいなければ烏合の衆にかわりはない。
 青州黄巾党はついに軍隊としての形を維持することが出来なくなり、全面的な敗走を余儀なくされたのである。
 彼らは戦場を散り散りになって離脱し、本拠地である済南郡の方角へ向けて落ち延びようとしたのだが、夏侯惇たちがそれを許す理由はない。夏侯惇らの猛追を受け、青州黄巾党は、更なる損害を被ることになった。
 


◆◆



 曹操が本隊を率いて到着した時、すでに勝敗は決していた。
 無論、曹操軍の勝利という形で、である。それも、上に大が付くほどの勝利である。
 その勲の第一が、先鋒を率いた夏侯惇であることは、衆目の一致するところであった。
 しかし、曹操の口から出た言葉は、短かった。
「春蘭――良くやってくれたわ」
 大功を挙げた部下への褒詞にしては、あまりにも素っ気無い言葉である。
 少なくとも、傍らで聞いていた鮑信にはそう思えた。


 しかし。
「はッ!」
 夏侯惇もまた、短く、そう返答しただけであった。もちろんのこと、不平不満など欠片も浮かべてはいない。
 2人の視線は、すでに敵陣に翩翻と屹立する「中黄太乙」の旗印に注がれている。
 その君臣の姿を見て、鮑信は、曹操軍の在り方の一端を、垣間見たように思った。




 青州黄巾党の本拠地である済南の砦を彼方に望みながら、曹操はしばらく無言であった。夏侯惇らに散々に打ち据えられた黄巾党は、本拠地であるこの山砦に逃げ込み、迫り来る曹操軍に対抗しようとしていたのである。
 山中に造られた砦の各処には、幾十もの旗が乱立していたが、それらはいずれも力なく垂れ下がり、それをはためかせる風は、そよとも起こらない。
 あたかも、気候すら黄巾党の落日を悟り、それに追随しようとしているかのようであった。
 

 山砦と一口にいっても、兵士の数よりも多い非戦闘員が暮らしている規模であり、山そのものが敵の攻撃を打ち払う城壁のようなものであった。
 ここは元々、済南郡の貧民たちが、官兵や、あるいは野盗から身を守るために寄り添いあって暮らしていた場所である。そして、一つの山を挙げて、黄巾党の教えに帰依してからは、この場所こそが、青州黄巾党の本拠地となっていたのだ。



 曹操が率いる2万の本隊と、曹洪が率いる5千の後詰が到着したことにより、現在の両軍の兵力は、ほぼ互角となっている。
 具体的に言えば、曹操軍の4万5千に加え、鮑信の軍勢が1万。そして、道々、夏侯淵、荀攸の2人が説いた諸侯らの兵力5千を加え、曹操軍は6万に達している。
 一方、青州側は、度重なる敗戦により、万を越える損害を出しており、結果として両者の勢力はほぼ互角となっていた。
 逆に言えば、曹操側は、夏侯惇らの勝利を経てようやく、黄巾党と互角の形勢に持ち込めるようになった、とも言うことが出来る。
 それゆえに。
 迫る曹操軍を前にしても、砦側に諦めた様子は見えなかった。度重なる敗北に、士気は確実に落ちていたが、それでも降伏など思いもよらない様子である。
 この地で暮らす者の多くは、官軍に搾取され、虐げられてきた者たちである。官の側に立つ曹操への敵愾心の大きさは尋常ではない。
 いざとなれば、女子供に武器を持たせることも辞さない覚悟を秘め、黄巾党は曹操の攻撃を待ち構えているようであった。



◆◆



 夏侯惇らの勝利、鮑信ら諸侯の参戦は、曹操にとって喜ぶべきことである筈だった。
 しかし、今、曹操の顔に笑みはない。むしろ、青州黄巾党と対峙してからというもの、曹操の機嫌は下降の一途を辿っていた。
 鮑信ら新参の諸侯に気づかれるほど、あからさまなものではなかったが、夏侯惇ら古参の面子には、それがひしひしと伝わってくるのである。
「な、なあ、秋蘭。華琳様、何をあんなに怒っておられるのだ?」
「無論、黄巾党の様子を見てのことだろう、姉者」
「それは、あれか。連中が身の程知らずにも、まだ華琳様に刃向かおうとしているから、ということか?」
 夏侯惇の問いに、夏侯淵は小さく息を吐く。
「先の戦であれだけの冴えを見せたのだ。姉者なら、華琳様の心底、察することが出来るはずだぞ?」
「む、そ、そうは言われてもだな」
 敵の立てこもる山砦の様子を見て、微動だにしない曹操の後姿を窺いながら、夏侯惇は困り果てた。


 しかし。
 じっと主の様子を見ているうちに、夏侯惇は、その怒りが向けられた相手が誰なのか、漠然とではあるが、感じられたように思えた。
 その夏侯惇の考えを肯定するように、曹操の口から低い声が漏れてくる。
「これだけの力、あたら黄巾党の如き迷妄の教えによって朽ちさせようとするとは、なんたる愚か。その蒙、この曹孟徳が啓ってくれよう」
 曹操はやおら振り返ると、荀攸に鋭い視線を向けた。
「藍花、どう考えるか?」
 唐突な問いに、しかし荀攸は落ち着き払って返答する。
「青州黄巾党の方々も、党首 張角、大方 波才らが河北で私闘の末にぶつかり合ったのはすでに知っている筈です。その上で、なおこれだけの士気を保つことが出来るのは、彼らが黄巾党の指導者ではなく、黄巾党の教えにすがっているゆえであることは明白。それゆえ、ただ言葉だけでの説伏は困難かと」
 曹操は無言で、荀攸に続きを促した。
「彼らの蒙を啓う方法はただひとつ。黄巾の教えでは、彼らが望む未来は得られないことを知らしめることです。邪教の教えに淫した軍と、天道を歩む華琳様の軍、その格の違いを見せつければ、彼らはおのずと悟るでしょう。そうしてはじめて、彼らは華琳様の言葉に耳を傾けると考えます」
 荀攸の言葉に、曹操は大きく頷いた。
「藍花の言やよし。これより、全軍を挙げて攻勢に出る。青州の愚か者どもに、天道を歩む我らの力を知らしめよ!」
『ははッ!!』
 曹操の号令に、その場にいる者たちが一斉に頭を下げた。



◆◆



 青州黄巾党の将兵にとって、先の戦いの敗北は、不意を衝かれた為のもの。正面から戦えば、朝廷の軍とはいえ、易々と敗れはしないと考えていた。
 まして、こちらは険しい山の地形を城壁代わりとした、堅牢な山砦に篭っているのだ。曹操軍が何度攻め寄せようと、どれだけの奇策を弄そうと、撃退することは可能な筈であった。
 だが、しかし――


「も、申し上げます!! 敵、曹操軍、第2郭を突破しました! 現在、第3郭で迎撃中です!」
「急ぎ、女子供を上層に移せ! すぐにここにもやってくるぞ!」
「第3郭の者たちが、至急、増援を、と。このままでは、第3郭を破られるのも時間の問題です!」
「ええい、敵は幻術でも用いているのか、何故こうも容易く我らが砦を抜くことが出来るのだッ?!」
「そのような繰言を申している場合ではありませぬ! 至急、防備を固めなければ……」
「申し上げます! 第3郭、突破されましたッ! 敵、中層部へ進入してきます!」
「なんだとッ?!! 上層の長老たちに知らせよ! このままでは、我ら青州軍は終わってしまうぞ?!」


 焔が天高く燃え盛るにも似た曹操軍の猛攻撃に、青州黄巾党が鉄壁を謳った山砦の防備は、牛刀で肉を裂く如く、容易く切り裂かれてしまった。
 この時、曹操は、奇を衒わない正攻法を用いた。
 部隊をいくつかにわけ、そのうちの半分を砦の攻略に向かわせ、頃合を見計らって、次の部隊と交代させる。
 交代した部隊は一度、後方に下がり、負傷者の手当てと武器の補給を受けてから、再度、城攻めに参加する。
 これを繰り返せば、敵の正面に立つ部隊は常に気力と体力が満ちた状態になるのは当然であろう。
 正当な――陳腐ともいえる用兵。
 しかし、兵を用いる者の名が、曹孟徳の名を冠する時、凡庸なそれは、姿を一変させる。
 砦の防備の薄い箇所を的確に見抜く眼力、そこに叩きつける戦力の大きさ、その展開の速さ、いずれも黄巾党如きが容易に対抗できるものではなかった。
 部隊同士の入れ替えをするに際しても、曹操がその機を見誤ることは決してなかった。そして、敵との交戦中、整然とそれを行える非凡な統率力――言葉にすれば、簡単なことであったかもしれない。しかし、実際にそれを行える者が、はたしてどれだけいるだろうか。
 


 青州黄巾党にとっては、悪夢に等しい防戦であった。
 どれだけ矢を浴びせても怯むことなく。
 どれだけ石を投げても退くことなく。
 疲労も、損害も感じさせることなく、ただひたすら押し寄せてくる曹操軍。
 その彼らを前に、砦にこもる将兵は動揺を禁じえなかった。自分たちが、人ではなく、悪鬼を相手にしているようにさえ感じられ、それが将兵の動揺をいや増した。
 動揺は疲労を増し、判断に狂いを生じさせる。
 そして、敵はその動揺に乗じて、攻勢を強め、着実に砦の防備を突き崩していく。
 最も防備が固い筈の第1郭が陥落するまで、半刻とかからなかった。そして、それ以後の郭で、第1郭よりも持ちこたえることが出来たところは存在しなかった。
 早朝に始まったこの戦い、日が中天に輝く頃には、曹操軍は、すでに中層を完全に占領し終えていたのである。


 青州黄巾党にとって、最大の誤算というべきは、曹操がいかなる奇策も弄さず、真正面から全戦力を叩きつけてきたことである。
 本拠地である山砦は、一つの山を要塞化したもの。当然、その規模は大きい。それゆえ、守備側は兵力を分散せざるをえなかったのである。
 対して、曹操は砦正面に全戦力を集中させていた。この時点で、曹操軍は敵に対して、数の上での優位を確立させた。
 通常、城を攻めるにおいて、攻城側は、守備側の3倍の兵力を必要とするという。しかるに、曹操軍と黄巾党の兵力は、ほぼ互角であり、曹操軍の不利は免れないものと思われた。
 しかし、戦場を限定してしまえば、局地的にその不利を覆すことは不可能ではない。
 曹操は、これ以上ない形で、それを証明して見せたのである。



◆◆



 山砦の上層部では、将兵とその家族が、不安げに立ち尽くしていた。
 曹操軍の攻勢に、慌てふためいて逃げ続け、ここまで来たものの、曹操軍の魔手は、すぐにここにも届くであろう。そのことを、彼らは悟っていた。       
 それはつまり、青州黄巾党が、今日滅ぶということを悟ったということである。


 文字通り、最後の砦である第7郭には、生き残った将兵が悲壮な覚悟を決めて、守備についていた。
 すでにその数は3万に満たない。逃げ後れた仲間や、戦えない者たちが、どのような末路を辿ったのかは、考えるまでもない。官軍が、賊に容赦する筈がないのだ。
 そして、それは間もなく自分たちの身の上にも降りかかる出来事である。自分たちだけでなく、後ろで怯え、竦む家族の身にも、同様のことが起こるだろう。彼らを逃がそうにも、山頂は、曹操軍の手によって、隙間なく包囲されている。
 もはや、青州黄巾党の命運は窮まったことを、誰もが感じ取っていた。


「長老たちから命令は?」
「なにも。まだ、戦況が理解できてねえのかもしれんな」
「仕方ないか。ほんの何日か前までは、こんなことになるなんて、思いもしなかったわけだし」
 兵士たちは、落ち着いたように静かに言葉をかわす。
 しかし、その落ち着きが諦観ゆえであることは明らかであった。
「一か八か、全員で突撃するわけにはいかないのかな?」
「家族を置いて、か? そんなこと、みんな承知しないだろう。家族を守りながら、突破できるような連中でもない」
「そりゃそうだが、このまま、ここで守っていたって、結果はかわらんだろう。たとえば、そうだな、官軍が火を放ってきたら、おれたちは逃げ場もない山頂で蒸し焼きになっちまう……ぞ」
 言った本人も含め、彼らは蒼白になった顔を見合わせた。
 今、はじめてその危険に気づいたのである。
 黄巾党の教えに従い、家族のために誇り高く戦って討たれるならまだしも、炎と煙に追われた末に、焼き殺されることを望む者などいる筈はない。
 最悪の未来図が、彼らの諦観を払いのけ、戦士としての意識が戻ってくる。
「長老たちに出撃を願い出よう。このままここにいたら、手遅れになる」
「わかった。けど、おれたちだけの意見じゃ、長老は動かないだろう。他の連中にも伝えて、同調してもらおう」
「よし、それじゃ早速――」
 そこまで言いかけた兵士が、不意に、視線を敵陣に向けて凍りついた。
 不審に思った同輩が、その兵士の視線の先を見ると、そこには敵陣から1人、駒を進める者の姿があった。


 金色の髪が、中天で輝く陽光を映して、まばゆく煌く。
 鮮麗な容姿は、凄惨な戦場の中にあって美々しく輝き、敵と味方とを問わず、将兵たちはその輝きに打たれて身動きできぬ。
 駒の名は、影を踏むことなき疾走を可能とする名馬 絶影。
 その背にあって、勁烈な視線で山砦を見据える者の名は曹操、字は孟徳。



◆◆



「青州黄巾党の者どもに告げる。我が姓は曹、名は操、字は孟徳という」
 曹操の声は、決して大きいわけでも、高いわけでもない。
 しかし、その声は戦場の隅々まで響き渡る。いかなる混戦の物音も貫いて、戦場で戦う将兵を叱咤することの出来る、覇王の声であった。
「勝敗はすでに決したこと、すでに理解していよう。汝らに問う。我が旗の下に降る気はあるか?」
 曹操の問いに、兵士たちは互いの顔を見合わせた。


 その彼らにかわって応えた者がいた。
「否とよ。我らが望みは黄巾党の教えに従いて、楽土に至ること。信なき朝廷に屈するつもりはない」
 かなりの高齢と思われるその人物は、腰は曲がり、頭髪は白一色と化している。傍らに立つ少女の支えが無ければ、歩くことも覚束ない様子である。
 周囲からは「長老……」という声が幾つもあがった。
 その姿を見て、曹操はすぐさま馬から降りた。
 呼びかける口調も、改まったものになっている。
「翁よ、尊名を伺わせていただけようか?」
 長幼の序をわきまえた曹操の態度に、長老はわずかに目を瞠った後、ゆっくりと口を開いた。
「この地では、典老と呼ばれておりまする、官の将軍よ」
「では、私もそのように呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
「かまいませぬよ。されど、貴殿の話を肯うことはないと、心得られよ。我らは、官の横暴に苦しめられた末に蜂起した民。今更、官に膝をついて許しを乞おうとは思わぬゆえ」
 典老の言葉に、曹操は小さく首を横に振った。
「典老、御身は1つ、思い違いをされておられる」
「……む?」
「私はさきほど、こう申し上げたのです。我が旗の下に降る気はあるか、と」
 朝廷に、ではなく。
 曹孟徳に降れ、と。
 そう言ったのだと、曹操は口にする。


 後漢の政情不安定な世を生き抜いた典老の眼光が、一際強くなったように思われた。
「……常ならぬ志を秘めておられるようじゃの。されど、我らが答えはかわらん。『中黄太乙』の旗印を掲げ、起ち上がった志、捨て去るわけにはいかぬゆえ、な」
 その言葉を聞き、典老に語りかける曹操の声がわずかに強くなった。
「今、御身は志と申された。それは、太平の世を築くにあった筈。されど、御身らは我が軍に敗れた。それは何ゆえでありましょう? それは御身らの志が弱かったからではない。黄巾党という器が、その志を満たすに足るものではなかったということではありませんか」
 曹操の決め付けるような言葉に、さすがに典老は憤然とした様子を見せた。
「これは暴論を聞くものかな。我らは確かに貴殿に敗れたが、それは黄巾党の教えが貴殿に敗れたわけではない。貴殿の言葉に従えば、力強き者のみが正しい志をまっとうできることになりはすまいか。そんな理不尽な考えが――」


「そんな理不尽な考えがまかり通る――それが乱世というものなのです、典老」


 曹操の静かな断定が、典老の言葉を奪う。
 そして、それを聞く黄巾党の者たちの言葉をも。
「勝者のみが正義を語り、敗者のそれは土に塗れる。乱世とは、すなわち、そんな唾棄すべき世。御身の仰るように、この戦で勝ったからとて、黄巾党の教えが否定されるわけではない。されど、結果として、黄巾党の教えは、今日この時をもって捨て去られるでしょう。それを信じる者たちが破れ、滅びるゆえに」
 曹操の声が、粛々と山砦に響き渡る。


 いつかその言葉は、典老にではなく、その声を聞く全ての者に向けて語りかけるものにかわっていた。
「それが、乱世の理。我はその理に従い、天道を行く。覇道と謗りたくば、謗ればよい。その謗りさえ、我が天道を飾る徒花となろうゆえ。そして、我が天道には、いかなる邪教、邪宗の教えも必要ないのだ」
 乱世そのものを叱咤するかのごとく、曹操の言葉が気炎をまとう。
「汝らが黄巾の教えに見出した、太平の世。それは、我が天道の先にこそ広がる桃源の園である! 汝らは我が民となり、その時を導け。我が兵となり、天道を祓い清めよ。我が手足となって、太平を妨げる者たちを斬り捨てて見せよ!」
 曹操は腰間の倚天の剣を抜き放ち、高々と掲げた。
 稀代の名剣が、陽光を眩しく反射し、黄巾党の者たちの目を灼くように輝く。
「我が名は曹孟徳。我は天道を歩む者、乱世を終わらせるは我にあり! さあ、選択するは今この時ぞ。黄巾の教えに従いて、ここで果てるか。その志を遂げるために、我が下に降るか。いずれの道を選ぶも、汝らの自由なり。青州黄巾党の誇り、我が前に示してみせい!」




 凄絶なまでの曹操の覇気に撃たれ、砦の将兵は声も出ない。
 それは典老もまた同様であった。 
 情も、理もわきまえながら。乱世の惨さを噛み締めながら。
 それでもなお、その乱世を鎮めるために覇道を歩む少女を前にして、何が言えるというのだろうか。 


 がたり、とくぐもった金属音が、典老の隣から聞こえてきた。
 兵士の1人が、持っていた槍を地面に取り落としたのである。
 それを皮切りに、同じような音が各処から響き、やがてそれは、砦全体に波及していった。
 彼らは視線を典老に据えた。万言を費やすよりも、鮮明な意思を込めて。


 やがて、典老は傍らの少女に支えられ、郭の外にゆっくりと歩み出た。
 そして、曹操の前に立った典老が、静かに頭を下げる。
 青州黄巾党が、曹孟徳の下に降った瞬間であった。



 後に、史書は記す。
 「曹魏の強、これより始まる」と。  
 

 


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