張角の離反により、各地で混乱する黄巾党を引き締めるため、ただ1人残った大方 波才は全軍に平原への再集結を命じる。 これにより、楼桑村ならびに琢郡の県城の包囲は解かれ、人々は安堵の息を吐いた。 だが、これが一時のことであることも明白であったから、周辺の民衆の多くは県城へと避難することとなり、琢郡では物資と人馬の大移動が起こることとなる。 続々と城内に運び込まれてくる物資を見る度に、琢郡の県城からは民や兵を問わず歓声が上がる。 殊に、短い間に幾度も支配者が変わり、税や略奪という形で財貨や食料を毟り取られてきた民衆にとって、玄徳様たちが張曼成の軍から奪い返してきた物資は、干天の慈雨に等しいものであった。 そして、もう1つ、県城に集まってくるものがあった。ただ、こちらは民衆からは歓迎されなかったが。 それは、張角を慕い、その下で働こうとする黄巾党の者たちである。 日々、引きも切らず、三々五々、琢郡へとやってくるその数は、先に張角たちが率いてきた1万の軍と併せると、すでに3万を越える。当然、その軍勢は、県城内における最大勢力となっていた。 今、県城の内にいる兵は官軍3千――劉家軍5百、元劉焉配下の兵2千5百――、そして張角を慕って集まった黄巾党が3万。両者の間には、ちょうど10倍の差がある。 その戦力差をもってすれば、張角たちは、戦いの主導権はもちろん、県城内の支配権さえ奪うことが出来るであろう。すでにそれを警戒する兵士や民衆の間で、黄巾党排除の声が上がり始めているとも聞く。 おれは、それが杞憂であると知っている。あの張角たちが、そんな面倒なことに進んで手を出す筈がない。しかし、同時に、それを声高に主張したところで納得してもらうことは出来ないであろうことも、おれは承知していた。 民の信頼を得るために、必要なのは言葉ではなく、行動。 いかに平和ボケした日本人とはいえ、玄徳様たちと共に行動していれば、その程度のことは理解できるようになっているのである――◆「――と、いうわけで、黄巾党の兵士たちや、城内の人たちの間を取り持つべく、それがし、奔走していた次第に御座候」 正座して畏まるおれ。 そんなおれの前に、腕組みして立ちふさがる羅刹――もとい閻魔大王。「あのね、一刀。その『もとい』は色々な意味で一刀の命数を縮めちゃうよ?」 張角がお茶を飲みながら、そんなことを口にする。 えーい、心を読むな、黄巾党党首! というか、この迫力を前にして、どうして茶なぞ飲んでいられるのですか、あなたは!!「――最後の戯言は措くとして。大体の事情は理解した」 判決を申し渡す、とノタマウ閻魔大王。「あのね、一刀さん。そろそろ現実を認めないと、本当に愛紗ちゃんが閻魔様になっちゃうよ?」 おれの切ない現実逃避を許してくれない玄徳様。 心底心配してくれる様子なのは、素直にありがたいのですが、つまりそれくらい、おれの命は風前の灯火ということですか? というか、おれの内心ってそんな簡単に読めるものなのですか? 首を傾げるおれに、この場にいる皆が一斉に肯定の仕草を返してくれた。 むう、ポーカーフェイスが苦手なのは知っていたが、まさかそこまで内心が筒抜けだったとは……! 玄徳様の指摘にもめげず、懸命に目の前の現実から顔を逸らし続けていたおれだったが。「北郷殿」「はいッ!」 奇妙に静かな関羽の言葉に、逃避も諦めざるをえなかった。 普段であれば、すでに怒号の1つや2つ浴びせられていておかしくないのだが、今日の関羽は一味違った。これはもしかして新スキル「気合溜め」か何かをマスターしたのだろうか。1ターン我慢することで効果が2.5倍になる感じのやつ。 だとすると、関羽の怒りの堤防は、決壊の時を延ばせば延ばすほど被害は大きくなる計算になる。そろそろ、覚悟を決めないといけないようだ。 だが。「――言いたいことは様々にあるのだが。今回の件は不問としよう」「……………………え?」 心密かに覚悟を決めたおれに対して、関羽の口からはありえない言葉が飛び出てきた。 え、不問ってたしか、罪は問わないってことだよな? え、うそ。勝手に黄巾党党首を匿い、兵士たちを城内に入れ、県城の民から陰で非難される現状を招いたおれの行動を、不問にする? もちろん、おれの独断というわけではなく、陳到や諸葛亮らの同意をとり、彼らの協力を仰いで実行したから、おれだけの責任というわけではない。 しかし、発案者はまぎれもなくおれだ。普段の関羽であれば、不問などと口にする筈がないのだが……「マコトデスカ?」 つい言葉がカタカナになってしまうくらい、おれはびっくりしていた。 奇跡の顕現か、神の降臨か。いやいや、そんな都合の良いことが起こる筈がない。きっとこの後、どんでん返しがあると見た!「なんだ、罪に問われたいというなら、希望に沿うのに吝かではないぞ?」 きらりと光る関羽の瞳。黒の双眸が悪戯っぽく煌いている。なんかこう、おれの反応が想像通りで楽しくて仕方ない、みたいな感じだ。気のせいか?「と、とんでもございません! 関将軍の寛大な御心に、感謝いたします!」 しかし、疑問はたちまち感激に押し流された。 今後の人生の、たぶん半分くらいの幸運を一気に使い果たしたような気がしていたが、あるいはおれは関将軍の厳しさを不当に評価していたのだろうか。 玄徳様を押し倒すという最悪の初対面以降、おれは勝手に関羽とは距離があるものだ、と思い込んでいたのだが、今日の関将軍は、何か後光がさしているように見える。綺麗な関羽、降臨。 おれが関羽の優しさに触れて感動している間、視界の片隅で、当の関羽と、見覚えのある女性がなにやら囁きあっていた。「ほれ、言ったとおりであろう。良かったではないか」「う、うむ。貴殿の助言で結論を違えたわけではないが――感謝いたす」「ほほう?」 きらりとまたたく、女性の瞳。「ふむ。それでは、貴殿が楼桑村でどのように激怒していたか、北郷殿に克明に伝え……」「う――貴殿の助言で正しい決断を下すことが出来、感謝の念に堪えませぬ」「はっはっは。なに、礼はメンマ1年分でかまわんよ」「い、1年だとッ?!」「案ぜずとも、劉佳殿なみの一品を、とは言わぬよ」「し、しかし、1年はさすがに……」「では、やはり北郷殿に……」「ぐぐ……承知した」 とか言うやり取りが聞こえたような、聞こえないような。 ――折角の感動が薄れるから、気のせいということにしておこう。うん。◆ ところで、関羽と話している女性はひょっとして? おれの視線に気づいたのか、その女性が軽やかに微笑みと、こちらに近づいてきた。「久しいな、北郷殿。入城以来、何かと忙しなかったゆえ、挨拶が遅れて申し訳ない」「やはり、趙子竜殿でしたか。こちらこそ、色々と立て込んでおりまして、気づかずに済みませんでした」「ふふ、立て込んでいるのは、見ていれば十分に分かったが――なるほど、なかなかに気苦労が絶えぬと見える」「あははは……」 趙雲の言葉に、つい乾いた笑いで応じてしまった。 その言葉は、黄巾党と住民との間を駆けずり回っていたことを指しているように見えて、その裏にまで言及しているのは明らかだった。 弁解させてもらうなら、それにかまけて、玄徳様や関羽から逃げていた――というわけでは、断じてない。 ないのだが、どうやら趙雲の目にはそう映ってしまったらしい。無念だ。 もっとも、案ずるより産むが易しとはこのことか。玄徳様と張角はなにやら意気投合してしまったらしく、随分仲が良さげであるし、張梁は諸葛亮や鳳統を交えてなにやら熱心に語り合っていた。形は違えど、主君を補佐する立場であったことで、相通じるものがあったらしい。 張宝は幽閉時の鬱憤を晴らす、と言ってミニコンサート開催中である。今も、遠くから黄巾党の歓声が聞こえてきている。 ちなみに、一部城内の民衆も参加してたりする。 さすがはアイドルというべきか、おれが奔走するより、張宝が歌った方が双方の溝は埋まりそうな気がするなあ。◆「ようよう兄ちゃん。なにを遠い目をしてるんだい?」 乱暴な口調に似合わぬ可愛い声を聞き、怪訝に思って、おれが振り返ると。「へ?」 頭の上に小さな人形を乗っけた女の子がいました。 人形といっても、元の世界で女の子が遊んでいたような出来の良い物ではなく、ガラクタを無理やりつなぎ合わせただけのものだった。頑張って見れば、人型に見えないこともない、かな? みたいな感じである。 そんなことを考えながら、その人形を見ていると、目の前の女の子が険悪な声を出した。「おうおう兄ちゃん。おれにガンくれるとは良い度胸じゃねえか」「む?」 どう反応すれば良いのか、咄嗟に悩み、思わず女の子の顔をみつめてしまう。 すると、今度はうってかわって、気の抜けるような暢気な声がおれに向けられた。「おにーさん、おにーさん」「な、なんでしょう?」 つい畏まってしまった。決して、目の前の女の子の正気を疑ったわけではない。「宝慧(ほうけい)にきちんとこたえてあげないと駄目なのですよー」「ほうけい?」「この子のことです」 そういって、少女は頭の上の人形を指差した。「なんだ兄ちゃん。おれの名前に文句でもあんのか?」 再びおれに凄む宝慧。しかして、その声は女の子のものだった。まあ、当たり前だが。 しばし考え込むおれ。ようやく混乱がおさまってきつつある。これはつまり――おれが空気を読めば良いわけだな。「……なるほど。失礼した、宝慧殿」「おう、わかればいいんでい」 宝慧は満足そうにそう答え、すぐあとに少女の声が続いた。「ふむふむ。おにーさんは案外、素直な良い人なのですね」 少女の声にふと違和感を覚え、聞き返す。「初対面なのに、何故に『案外』なんでしょう?」「それは星ちゃんから、おにーさんが海千山千の役人たちを、面白いように翻弄した希代の策士だと聞いていたからなのです。さぞや腹黒い人なのだろうと思っていたのですが……」「ですが?」「その実態は、女の子を恐れて逃げ回る臆病者だったのですねー」「――どっちもろくなもんじゃないし」「と思ったら、素直で良い人でもあったのですよ」「どれなんだ、一体?!」「つまり、全部?」「策士で臆病者で素直で良い人ってどんな奴ッ?!」「姓は程、名は立、字は仲徳と言います、ですよ」「文脈おかしいだろ?! 自己紹介の流れ、どっかにあったっけ?! あと、おれは北郷一刀と言います!」「むう、何を言っても怒ってばかり――さては、おにーさんは自分の思い通りに事が進まないと気がすまない、わがままな人ですね?」「呆れられたッ?!」 程立と名乗る少女に翻弄されるおれを見かねたのか、もう1人、傍らにいた女性が、程立をたしなめてくれた。「風、初対面の人をからかうものではありませんよ」「別にからかっているわけではないのですよー、稟ちゃん」「……そうですね、あなたにとっては普通の会話でしたね」「――若干、意図的なのは認めますが」 からかってるじゃねえか、と叫ぶおれは華麗に無視する程立。く、おのれ。 その女性は、そんなおれたちを見て、呆れたように小さく1つ息を吐いてから、口を開いた。「はじめまして、私は戯志才。見聞を広げるため、河北の地を旅している最中、此度の乱に巻き込まれ、星殿と共に行動している者です」 さきほどの程立の言い方からしても、星というのが趙雲の真名であるのだということは察しがついた。 おれは戯志才に一礼する。「はじめまして。劉家軍の一員で、姓は北郷、名は一刀と言います」「北郷、一刀。めずらしい姓と名ですね。しかし、字はお持ちではないのですか?」 怪訝そうに訊ねる戯志才に、おれは用意していた台詞を口にした。「ええ、私は東よりこの地に来た為、字は持たないのですよ」「ふむ。河北より東というと、楽浪、あるいは噂では蓬莱なる島があると聞きますね」 戯志才の問いならぬ問いに、おれは小さく息をのんだ。「多分、おれの故郷の名を口にしても、この地の人にはわからないでしょうね……」 答えながら、不意に、胸裏に家族の顔が思い浮かんだ。 この時代に来てからというもの、郷愁に駆られる暇もなく、駆け抜けるようにここまでやって来たのだが、時折、ふとした拍子に、家族の顔を思い出してしまう時がある。 さすがに、そういう時は胸に迫るものがあったりするのだが、これまでは、状況がそういう感傷に浸る暇をくれなかった。今のように。 おれは軽く頭を振って、親父や母さんたちの顔を振り払う。このことについて考えるのは、もっと落ち着いてからで良い。 今はそれよりも優先しなければならないことがある。状況は好転しているように見えて、実はまだまだ戦力差は絶望的に開いているのだから。 そして、その戦力差を覆すための鍵となる人物が、目の前にいることも、おれは気がついていた。◆ 趙雲といえば、説明不要の蜀漢帝国の勇将。その存在は1万の軍勢に匹敵しよう。 程立と名乗る少女は、多分、魏に仕えたあの程昱のことだろう。日輪の夢を見て改名したという話は有名だが、まだ夢を見ていないらしい。やはり曹操に仕える前あたりに見るのだろうか? 最後の1人、戯志才という人物だが――たしか、曹操に仕えたけど、若くして死に、ほとんど事績が残っていなかったのではなかったかな。曹操が心底、惜しんだという話があったから、有能なことは疑いない。しかし、見たところ病弱という印象もないけれど。 ともあれ、いずれも綺羅星の如き英傑が3人揃い踏みなのである。ここはぜひとも協力してもらいたいところである。 もっとも、聞けば、不落と称えられた楼桑村の奇跡の源は彼女らの智勇であったということだし、ここまで同道してくれているという事実からして、彼女らも、もとよりその心算ではいてくれているのだろう。「無論。黄巾の輩を一掃するこの好機。逃すことはできまいよ」「そうですねー。あの人たちがいると、安心して旅することもできませんし」「賊徒が横行する世相を改善する良い機会です。我が智恵が役立つのであれば、協力は惜しみません」 念のために聞いてみたら、頼もしい返事が返ってきた。 さすがは歴史に名を刻む英傑たち、颯爽とした風姿はまばゆいほどである。 劉家軍の力、張角たちの人望、そして彼女らの智勇があわされば、黄巾賊など恐れるにあたらない。 正直、力を合わせることが出来るのかどうかが、甚だ疑問だったりしたのだが、皆の様子を見るに、なんとなく良い感じである。「まあ、案ずるより産むが易しってやつかな」 おれはほぅっと息を吐きながら、そんなことを呟いていた。◆◆「それでは、第2回劉家軍並びに黄巾党並びに在野の有志の方々を含む合同会議を行いたいと思います」 議長の諸葛亮の言葉に、居並ぶ出席者からぱちぱちと拍手が出る。会議名が長い、という異論は出なかった。 第1回の時――五台山での戦いに先立つ会議――では随分と張り切っていた諸葛亮だが、今回はそれにくわえ、落ち着きと余裕が備わっているように感じられた。軍師としての自信がもたらした変化なのかもしれない。良いことである。 小さい身体を精一杯に伸ばしている姿がほほえましかったりするが、そこは秘密の方向でいこう。 出席者の数も格段に増えた。 玄徳様を扇の要として、武官の席には関羽、張飛、陳到、趙雲、馬元義、鄒靖(すうせい)。 文官の席には鳳統、簡擁、程立、戯志才にくわえて、おれと張家の3姉妹が座す。 鄒靖は、劉家軍が県城を奪回した後、元の守備兵らを組織して協力してくれている人物である。劉焉の下では評価はされず、下級の士官に過ぎなかった。ひげ面のおっさんで、昔は北の異民族とも交わって、あちらで暮らしていたこともあるそうな。 当然、馬術に秀でており、陳到によれば、統率力や状況判断も確かな人物であるという。黄巾党との戦いでは、危なげない指揮を見せてくれたらしいから、陳到の言を疑う理由はないだろう。 この面子で始まった第2回会議の口火を切ったのは、鳳統であった。「――つまり、黄巾党に属していた兵士を、3万から1万に減らす、ということか?」 驚きの表情で関羽が確認すると、鳳統はこくこくと頷いた。「……先刻、現在の物資と、兵数、それに城内の皆さんの今後の備蓄等を計算したところ、現状、今の私たちに3万もの軍勢を養うだけの余裕はないという結論が出ました。現在の物資では、養える兵力は1万。無理をすればもう3千、というところでしょう」 鳳統の言葉に、趙雲が疑問を呈する。「それは妙だな。黄巾党5万の物資がほぼすべて手に入ったはずではないのか? それがどうして、たかが1万を養うのがやっと、ということになるのだ?」「はい。単純に兵のみを見れば、3万が5万でも、1月は優に支えきれるだけの物資はあります。けれど、それはあくまで兵のみを見た場合、です。今、この城には元からいる住民の方以外にも、各地から避難してきた皆さんが大勢いらっしゃいます。今後のことを考えれば、かなりの量をそちらに割かねばなりません」 鳳統の説明に、しかし趙雲はなおも首を傾げる。「無論、それはわかるのだが、それにしたところで、元々、この城にあった備蓄分も、連中から取り返していたのだろう?」 その疑問には、簡擁が答えた。「おそらく、太守殿が遠征に根こそぎ持っていってしまったのでしょうな。あるいは、確かなことは言えんのですが、桃香様方が運んできた物資の総量を見るに、それを考えにいれても、随分と少なかったのは事実なので、黄巾党、もしくは官庫に保管されていた時から、闇に消えていた可能性は否定できませぬ」 張梁が眼鏡の位置を直しながら頷く。「元々、黄巾党は、軍事に関しては大方たちが全て牛耳っていたから。物資の記録なんておざなりなものだったわ」「ふむ。そういうことか。まあ焼き払われなかっただけマシと思うべきか」 肩をすくめて、趙雲は口を閉ざした。「――よろしいですかな、鳳軍師?」 次に控えめに口を開いたのは、当の黄巾軍を束ねる馬元義であった。「……は、はい、どうぞ」「1万に絞り込む理由はわかりもうしたが、残りの2万はどうなさるおつもりで?」 わずかに言いよどむ様子なのは、苛烈な答えが返って来ることを、半ば予期していたからであろう。黄巾党がこれまで何をしてきたかを考えれば、自然、その考えは暗い方向に傾かざるをえない。 だが。 当の鳳統は、馬元義が何を心配しているのかがわからぬようで、小首をかしげたまま、素直に腹案を語った。「……元々、住んでいた所に帰ってもらうつもりです。もし、何かの事情で帰れない、帰りたくないという人がいるようなら、軍の手伝いに廻ってもらいます」 諸葛亮が鳳統の言葉に付け加える。「絞り込む段階で、そのあたりまで考慮してもらえれば、色々やりやすいんですが、可能でしょうか?」「は、はい。多少、時間はかかりますが、問題ないかと。ただ、張角様の下を離れるとなると、どれほどの者が離脱を承知しますか……」 馬元義が不安げに言うと、張梁がそれに答える。「どうしても応じないようなら、直接私たちが説明するわ」「えー、面倒じゃない、それって?」 面倒くさい、と言わんばかりの張宝に、張角が微笑みかけた。「ちぃちゃん、わがまま言わないの。お仕事お仕事♪」「お仕事っていっても、単に雑用じゃない。姉さん、なんでそんなにやる気なの?」「うふふー、久しぶりに一刀に逢えて、お姉ちゃんは元気一杯なのだー♪」 げふんげふんと咳き込む者が、若干1名いたりするが、それは故意に無視された。 張梁も、姉に向かって口を開く。「ちぃ姉さん、ここをうまく乗り越えないと、私たち、本当に手詰まりになっちゃうのよ。そのあたり、きちんと自覚してる?」「ちぇー、まあ仕方ないか。久しぶりに歌ってすっきりできたし、それくらいはやるわよ」 なんだかんだ言いながらも、歌うことで鬱屈が晴れたのか、張宝は随分と機嫌が良いようだった。 そして、張家の姉妹が決断を下せば、馬元義にはそれ以上言うべきことがなく、この件も速やかに処理された。 その後も幾つかの質問や疑問が出されたが、いずれも討議によって解決、もしくは納得のうちに処理されていく。 そして、最後にして最大の議題が詳らかにされる。「……平原郡に集結した黄巾党の軍勢は、およそ10万。彼らは波才将軍の指揮下にあって、冷静にその統制の下に服しているそうです。張伯姫さんがいなくなった事実を知って、なお波才将軍に従っている彼らは、もう黄巾党というより、事実上、波才軍といっても良いでしょう」 鳳統の説明に、張梁が付け加える。「同時に、その10万は黄巾党の最精鋭といっていい。大方の中でも、波才は別格だった。その戦いぶりは残酷だけれど、連戦連勝の名将と思われていて、黄巾党内でも、腕に覚えのある人はすすんで彼の下についていたから」「……そうですね。南皮城では苦戦していたと思われてましたけど、直属の軍は温存していたみたいです。装備も錬度も、もはや賊徒とは思えぬほど充実しており、正面からぶつかるのは避けなければいけないでしょう」 馬元義がおそるおそる口を開く。「波才様は、黄巾党内部では恐れられておりましたが、将帥としては尊敬されておりました。敵から奪った財貨は公平に皆に分配しており、ご自身の懐に入れるようなことはなかったです」「ふむ。民から奪った物を公平に分け与えたとて、何の自慢にもならぬがな」 鄒靖がきつい口調で馬元義を睨む。黄巾党との共闘は了承したとはいえ、当然、感情的にはおさまらないところもあるのだろう。「も、申し訳ありません。ただ、それがしが申し上げたいのは、今、波才様の下にいる者たちは、皆、覚悟を決めているということです。栄達を望むにせよ、略奪に味を占めたにせよ、もはや彼らはその未来を波才様に委ねたということ。彼らには、天和様たちの言葉とて、届きますまい」 鳳統は馬元義の言葉にコクコクと頷き、諸葛亮を見る。 諸葛亮は心得たように卓上に地図を広げた。 皆の視線が、吸い寄せられるように、そこに集中する。「つまり、波才軍にはもう小細工はきかず、実力で破るしかない、ということです。平原で軍の再編成を終えた波才軍の矛先が向けられる可能性があるのは、ここ県城と、南皮城。そして、おそらく、敵はその矛先をこちらに向けると思います」 その言葉に、戯志才が問いを発した。「南皮ではなく、ここを狙うという根拠は何かあるのですか?」「1つは、ここに張伯姫さんがいるということ。今後のことも考えれば、元党首といえど、波才さんにとっては目の上のコブとなりかねません。もう1つは南皮城と、この県城との防備の差です。南皮城は難攻不落の要塞であり、糧秣や武具も豊富にありますが、ここはそうではない。敵にとって、取って利があるのは南皮ですが、より陥とし易いのは県城です。そして、今回は、波才さんがはじめて名実共に総大将として戦う戦、何よりも欲するのは勝利だと思います」「確かに、勝利は、軍内における権威を確立するために最も手軽な手段ではありますね」「はい。もちろん、南皮を放って置くとは思えません。平原には最低限の戦力は残していくでしょう。ただ、袁紹さん配下の留守居の人たちが、一転して攻勢に出るとも思えませんので、あちらはおそらく小康状態となりますね」 その意見に、鳳統が情報を付け加える。「……それに、伯姫さんの所にも来ず、波才さんの配下にも加わらなかった黄巾党の人たちもかなりの数にのぼります。彼らの動静を偽りの情報として南皮に伝えれば、その動きを封じ込むことは、難しいことではありません」 張飛が首を傾げる。「えーと、その人たちはどこに行ったのだ? 真面目に働くことにしたのか?」「そんなわけがあるか、鈴々。それぞれ独立したり、徒党を組んで動いたりしているのだ。わかっているだけでも、黒山に数万。青州には更にその倍近い数が流れていったらしい」「むー、往生際が悪いのだ」「往生際がよければ、そも賊に身を落としたりはせん。戦うことも出来ず、かといって今さら真面目に働くことも出来ぬ、怠惰で、哀れな者たちだよ」 張飛と関羽の言葉に、何人かが口を開きかけたが、結局、言葉を発する者はいなかった。 黄巾党と一口にいっても、その中には当然、様々な人々がいる。公然と略奪出来るからという理由で黄巾党に入った者たちもいれば、強いられて仕方なく加盟した者もいる。あるいは、悪政によって蓄えを根こそぎ奪われ、もう黄巾党に入るしか生きる道はなかった、という者も少なくない。 もし、後漢王朝の政治が適正に行われていたのならば、黄巾の乱がここまで大きくなることはなかったであろう。黄巾党に所属しているから悪人だ、というわけではないのである。 だが、その一方で、彼らが多くの人々に惨禍をもたらしたのは事実。やむをえない事情があったとしても、だからといってその行動が正当化されるわけではない。 つまるところ、関羽の指摘は一面的なものであるにせよ、決して間違ってはいないのである。 そして話は、いかにして波才の軍を迎え撃つのか、という点に移る。 その作戦の概要が鳳統の口から語られだしたとき、会議の出席者たちの口から、驚きの声が幾重にもあがった――