幽州・易京城。 太守である公孫賛の下に、曹操の檄文が届いたのは、洛陽の政変が伝わってまもなくのことであった。 その文面は、董卓の暴政と都の惨状を克明に記し、今にしてこの巨悪を討たねば、洛陽の惨状は中華全土に広まるであろうと告げていた。「……父祖代々の重恩を鑑み、漢朝の臣たる我は、かかる悪逆を座視することあたわず。曹と同じく忠を戴く英雄諸侯は、よろしく義の旗の下に参集されたし、だそうだ」 公孫賛は、曹操より送られてきた檄文を臣下たちに披露すると、腕組みをして群臣たちを見回した。「さて、私たちはどう動くべきか、または動かずにいるべきか。皆の意見を聞かせてくれ」 公孫賛の一言を皮切りに、群臣たちからは興奮したように、次々と意見が飛び出してくる。 参加を声高に叫ぶ者がいれば、それに対し、様子を見るにしかず、と言う者が出る。その意見に対して、また反論が出て、その反論にもまた反論が出る、という状況で、傍で見ているおれから見ても、結論が容易に出ないであろうことは明らかであった。 そう、太守の御前での会議であるが、客将の一行の1人として、おれも玄徳様たちと一緒に参加していたのである。 もっとも、おれはもちろん、玄徳様とて発言が出来る雰囲気ではなく、そろそろ退席したかったりするのだが。「百家争鳴、だな」 欠伸をこらえつつ、ぼそりと言うおれ。「ですねえ……」 諸葛亮が少し苦笑しながら頷く。その横では、同じく鳳統がうんうんと小さく賛意をあらわしていた。「収拾がつきそうもないね……」 玄徳様も困り顔だ。 ちなみに、関羽と張飛、そして簡擁はここには来ていない。 公孫賛の配慮で劉家軍に譲られた騎馬隊の軍事教練中なのである。 公孫賛は北方の騎馬民族から白馬将軍の異名で恐れられており、そちらの方面から多くの産物を得ている。その中でも、もっとも重要なのは軍馬であった。 元来、草食動物である馬は、わずかな物音にも驚き騒ぎ、これをそのまま戦に連れて行ったとて、物の役には立たない。必然、馬を調練しなくてはならないのだが、それが一夕一朝に行くものではないことは、素人でもわかる。それゆえ、訓練された軍馬というのは非常に高価であり、かつ重要な軍事力であるのだ。 公孫賛は、その指揮下に白馬のみの騎馬部隊を持っているように、騎馬部隊に関して大きく力を入れていた。軍馬の保有量も多い。領内には牧場も多く、軍馬の教練技術も、積極的に北方から取り入れて、精強な騎馬軍団を形成している。 一方、劉家軍には騎馬隊を持つための、金も技術も伝手もない。 そのため、公孫賛から100頭の軍馬を譲り受けたのである。普通、軍事力の源である軍馬を他人に譲るような人物はいないのだが、その点、公孫賛の懐の広さは敬意に値するものだった。 だが、おれがそう言うと、玄徳様は微妙に困った表情で、「う~ん、引渡しのとき、伯珪、ちょっと顔が引きつってたんだけど……」 それに同意する軍師たち。「笑い顔も虚ろな感じでしたよね」「……笑い声も乾いてました」 3人の非難するような視線が、一斉におれに注がれる。「そ、そんなことはないと思うけどなあははは」 いや、ほんとに。 お酒の席で、白馬隊の自慢をしはじめた公孫賛を称えつつ、ちょっとでいいから劉家軍にもまわせないかな、と遠まわしに言ったら、向こうが頷いてくれただけじゃないか。「……見方を変えれば、お酒の席で絡まれた際、言質を得て、掠め取ったとも言えますね……」「何か言ったかね、軍師殿?」 にっこりと笑顔で聞き返すと、鳳統はなぜか怯えたように帽子で顔を隠してしまった。「こら、一刀さん、士元ちゃんを苛めちゃ駄目だよ」「い、いじめてなんかいないですってば」 玄徳様にじっと睨まれ、おれは大慌てで両手を横に振るが、玄徳様の表情は変わらなかった。 隣の諸葛亮も、玄徳様と同じような眼差しでじーっと睨んでくる。ううう。「……ごめんなさい、士元」 圧力に屈して、頭を下げるおれ。すると鳳統は更に顔を赤くして、ますます深く帽子をかぶってしまった。それでも小さく「……いいえ」と返してくれたので、許してはもらえたらしい。よかったよかった。「……確かに、今のはおれが悪かったんだけど。結局、玄徳様も孔明も、受け取ることは受け取るんですよね」 ぽつりと呟くおれ。一瞬、2人の顔に動揺が走るのを確かに見た。「そ、それはほら、折角くれるというのに、断るのは申し訳ないかなー、って」「そ、そうです。客将である玄徳様への、伯珪様のご厚意をつき返すのは失礼ですし」「……まあ、良いんですけどね」 2人の慌てぶりに少しだけ溜飲を下げたおれは、話を元に戻すことにした。「しかし、参加するかしないかを決めるだけなのに、よくここまで話がこんがらがるものですね」 おれの視線の先では、連合への参加を決めるために議論が、今まさに最高潮に達するところだった。 どこをどう巡ったのか知らないが、文官の1人が光武帝の事績を披露し、漢朝へ尽くすことの正統性を謳っている。さすがに公孫賛も疲れた顔を隠せないようだ。 まあ、それはおれたちも同じなわけだが。しかもおれたち劉家軍の場合、もう結論は出てるから、余計に疲れるのだ。「え、結論って? これから、みんなで話し合うんじゃ?」 驚いた顔をする玄徳様。 しかし。「出てる、よな?」 2人の軍師に問いかけるおれ。頷く軍師たち。「出てますね」「……出てます」 おれたちの様子を見て、思いっきりあせった顔をする玄徳様。あたふたとしながら、こめかみに手をあて、記憶を掘り返している様子だった。 それでも、どうしても心当たりがない様子で、玄徳様が改めて驚きの声をあげた。「え、ええ?! いつのまに決まったの?」 一方、おれたち3人は互いに顔を見合わせつつ、首を傾げる。「いや、いつのまに、というか……なあ?」「そ、そうですね。それが当然の帰結といいますか……」「……そうですね、必然の結果といいますか……」 いまだに得心がいっていないように見える玄徳様に、おれが質問する。「玄徳様、行くつもりなのでしょう?」「そ、それはもちろん! 都の人たちがひどい目に合っているなら、私は行きたい。で、でも、みんなの意見だってちゃんと聞くつもりだよ?」「ちなみに、全員が反対だって言ったら、行くのやめますか?」「そ、それは……そのときは、みんなにわかってもらうために、ちゃんと説明して、一緒に来てくれるように頼むことになると思うけど……」「それでも反対したら?」「そ、その時は、私1人でもッ!」 拳を握り締める玄徳様を見て、おれは軽く肩をすくめる。「ほら、長がそこまで決心しているのだから、もう決まったと同じでしょう?」「う、それは、その……」「何より、反対する人なんて、劉家軍の中には1人もいないでしょう」 そういう意味で言えば、良く似た主従なのだ、劉家軍の面々は。そんなに長い付き合いではないが、その程度のことがわからないほど、短い付き合いでもない。 幸い、というべきか。 劉家軍は放浪軍。公孫賛と違って守るべき領土も城も持たない流浪の軍の身軽さが、今回に関しては利点となる。 幽州とて、まだまだ不安定な状況が続いている。幽州の民と都の民に優先順位など存在しない以上、連合には参加せず、幽州の治安維持に専念するという選択肢もあるし、黄巾の乱は、未だ終息していないのだから、それは非難されるべき選択ではないだろう。 だが。 劉玄徳という人物が、今現在、惨禍に喘ぎ、命の危機に瀕している洛陽の民を見捨てるという選択肢を選べるか否か。劉家軍に参加している者たちにとって、それは愚問と呼ぶにも値しない問題なのである。というより、正解が明記されている以上、問題ですらないというべきか。 だからこそ、劉家軍にとって、結論など、とうの昔に出ているとおれは言い、諸葛亮たちも同意したのである。 知らぬは本人ばかり、というやつだった。 「まったく、ああも延々と似たようなことを繰り返されると、頭が痛くなってくるよ」 深々とため息を吐く公孫賛に、玄徳様は困ったように微笑んだ。「でも、みんな伯珪や、領民のことを考えて、智恵を絞っているんだと思うよ」「もちろん、それはわかっているんだけどな。平時は知らず、今みたいな緊急の時に毅然とした態度で道を示してくれるような有為な人材がいないんだよね、うちは」 これといった人材がいないので、こういう時の話し合いは小田原評定になってしまうらしい。 おれも自分の知識を掘り返してみたが、確かに公孫賛のところに有名な武将や軍師はいなかった気がする。いや、そういえば趙雲はこの時期、公孫賛の配下ではなかったかな……でもこの前会ったときは放浪してたし。実は公孫賛の間諜だった、とかは、多分ないような気がする。となると、公孫賛陣営で、もっとも秀でた人物は主の公孫賛ということか。それは大変だろうなあ。「で、玄徳たちはどうする……って、なんか聞くまでもない気がするな」「うう、伯珪までそういうことを……私って、そんなにわかりやすい?」「玄徳以上にわかりやすい人間がいるなら、是非あってみたいと思うくらい、わかりやすいぞ」 その言葉に、がくりと肩を落とす玄徳様。 悪い悪いと笑う公孫賛と、後ろで苦笑を押し殺すおれたちに気づき、玄徳様は小さく口を尖らせた。 しかし、それも長続きせず、玄徳様は気を取り直して口を開く。「……みんなの予想通りなんだけどね。うん、伯珪。私たちは洛陽へ行く。董将軍、じゃないや、もう太尉様なんだっけ。董太尉が暴政を布いているっていうのは、正直、信用できないんだけど、それでも洛陽に住む人たちが苦しんでいるのなら、私は助けてあげたいって思うから」「そうか、玄徳らしいな。確かに、玄徳から聞いた董卓の為人からすると、伝えられている情報の信憑性には疑問が残るけど、洛陽が混乱しているということだけは間違いないようだ。ただ……」 公孫賛は、考えを確かめるように顎をなでる。「檄文を発した曹操ってやつ。私も深い付き合いがあるわけじゃないが、それでも凡物じゃないってことはわかる。こいつの思惑に乗れば、よいように使われるだけになるかもしれないぞ?」「それでも、だよ、伯珪。曹操って人がどういう思惑だったとしても、今、大切なのは都の混乱を鎮めること。そして、罪もないのに、虐げられている人たちを助けることなんじゃないかな」 そう、迷いなく言い切る玄徳様を見て、公孫賛は呆れたような、けれどどこか暖かさを感じる笑みを浮かべた。「そういうところは、本当に変わらないな、玄徳。ただ、私も太守である以上、都のこと以上に、この地に住む民衆のことも考えないといけない。黄巾のバカどもだって、まだまだ侮れない勢力を持ってるしな。本来なら、そのあたりをお前たちに任せ、私が連合に参加する、というのが戦力を考えると妥当なんだが……賛同はしてもらえなさそうだ」「うん……ごめんね、伯珪」「かまわんさ。お前たちは客将。私の臣下じゃないし、それを請うたのは私だ」 そう言うと、公孫賛は、自身の決意を確かめるように少しの間、瞼を閉ざした。 やがて、瞼が開かれた時、そこには揺るがぬ意思が、煌くように踊り、その輝きを宿したまま、公孫賛は配下の者を呼び寄せ、決然と命じた。「陳留の曹操に使者を出せ。遼西太守公孫賛、諸侯連合に参加させて頂く、と」「はは!」「文武の諸官を集めろ。参加するとなれば、一刻も早く出陣せねば、参集する諸侯の後塵を拝することになる。また、黄巾の賊徒どもや、他の領主たちへの対応もしなければならん。猶予はないぞ!」「承知いたしました!」 配下の者たちが駆け去っていくと、公孫賛は玄徳様に視線を向けた。「劉家軍は私と共に連合に参加してもらおう。こちらの準備が整うまでには、数日かかるだろうから、それまでにそちらも準備を整えておいてくれ」『はい!』 その言葉に、おれたちの返答が重なった。 連合に参加することが決まった劉家軍。 これまで連戦連勝であったとはいえ、それは黄巾賊を筆頭とする野盗を相手とした戦いに過ぎない。 連合に参加すれば、相手となるのは正規軍。それも精強を以って知られる董卓軍である。これまでの戦いと同じように考えていては、手痛い目に遭うのは火を見るより明らかであった。 そして、それは劉家軍の誰もが承知するところでもあった。皆、来るべき戦いに備え、訓練し、武芸を磨き、戦術を練るのに余念がない。 ことに、公孫賛の厚意(?)によってまとまった数の騎馬を得たことで、戦術面に関しては幅のある戦いが出来るようになっていたから、そのあたりの詰めは特に入念に行われた。 だが……「えーい、だから馬は脚で乗るものだといってるだろう! 漫然と座っていれば、振り落とされるのは当然というものだ!」「お馬さんは生きているから、ちゃんと気を配ってあげないといけないのだ。乱暴に乗ったら、怒られるのは当たり前なのだ」 劉家軍の誇る関、張2将軍の叱咤が草原に響き渡る。 2人の周りには志願して騎馬の訓練に望んだ面々が、累々たる負傷者の山を築いている。馬に振り落とされ、踏みつけられ、蹴飛ばされ、まさに気息奄々という感じであった。 と、他人事のように言っているが、おれもその屍山のひと欠片であったりする。 度重なる失敗のために、すでに来ている服はぼろぼろで、廃棄処分が決定していた。 決して乗馬をなめていた心算はない。ただ、乗る馬が、元の世界で、競馬中継の際などに見かけていたような立派な馬ではなかった為、多少、甘くみていた部分は否定できない。さすがにサラブレッドはこの時代にはいなかった。 しかし、馬が大きかろうが小さかろうが、乗りこなす難しさに大差はないようだった。 一方、苦労するおれの近くでは、玄徳様と、2人の小さな軍師が同様に乗馬の訓練をしている。 ただ、訓練とはいっても、玄徳様は、2人の教師役も兼ねるくらいの腕前は持っているところが、少し意外だった。「この広い大陸を旅するのに、馬は欠かせないお友達だからね。戦場を走り回ったりはさすがに無理だけど」 照れたように笑う玄徳様。むしろ売りをしていた時分に頑張って習得したのだそうだ。乗馬の腕前もさることながら、乗る馬にとても好かれる性質なのだろう。馬に語りかけながら、歩を進ませる姿は、普段の玄徳様よりはるかに落ち着きを感じさせた。 ちなみに、その玄徳様に教えを乞う2人の軍師は、というと。「は、はわわ、お、お馬さん、もうちょっとゆっくり! ゆっくりお願いしますー?!」「……ゆっくり、ゆっくり……あわわ、お、お腹すいたんですか? もうちょっと我慢してください」 なんだかんだ言いつつ、良い感じで馬に乗れているようだ。より正確に言うと、馬が乗せてあげている、という感じ。 なんとなくだが、2人の馬の表情に「仕方ねえなあ」みたいな感情が読み取れるような気がするのは、おれの気のせいだろうか。 むむ。 このまま、おれだけ馬に乗れないままでは、男子の沽券に関わるというもの。せめて並足くらいは出来るようにならねば。 とはいえ、どうするべきか。この時代、馬の乗り方とは、馬上、両脚で馬の胴体部を挟んで身体を安定させるというものである。騎馬兵ともなれば、その体勢を維持しつつ、戦闘時の激しい動きに耐え、馬上で武器を扱うことが求められるのだから、並大抵の教練では養成できない。 それを思えば、ほぼ人生初チャレンジのおれが乗れなかったところで、別に恥じることはないのだが、やはり悔しいものは悔しいのである。「……鐙(あぶみ)でもつくってみるか」 ふと思いついて、おれはそう呟いた。 鞍につけ、騎乗時の助けとするアレである。細かい作りは知る由もないが、体勢を支えれば良いのなら、工夫次第で作ることもできるだろう。幸い、馬具の職人は易京城に多くいることだし。「よし、善は急げだ」 おれはひとりごちると、玄徳様に声をかけ、ざっと事情を説明してから、訓練の場を離れた。もちろん、関羽に見つからないようにこっそりと、である。 鐙が思ったとおりの効果を発揮したならば、独自の騎馬隊を編成してみるのも良いかもしれない。 白衣白甲の公孫賛の白馬部隊に対抗して、黒馬黒甲の黒旗軍、とか格好よさそうだ。まあ、今の劉家軍は人員、資金とも不足しているから、出来るとしても、当分、先の話だろうけれど。 ――この時。 おれは未来を見通そうとしていたわけではない。鐙についても、単に自分に役立てるために思い出しただけで、それ以上の意味はなく。 その思いつきが何をもたらすのかを知るのは、まだ先の話であった。 そして、出陣の日。 易京城外の野原は、公孫賛軍の人馬で埋め尽くされていた。 各処に乱立する公孫の軍旗と、忠と義の旗。 公孫賛ご自慢の白馬隊1千を先頭に、展開するは1万2千の大軍勢。 数のみ見れば、五台山で相手をした黄巾賊がはるかに勝るが、統制のとれた正規軍の威圧感は、数だけの賊軍など足元にも及ばない。 全軍の前に公孫賛が現れると、大きな歓声が将兵の間から沸き起こり、その響きは大地をさえ揺るがすようであった。「ふわー、すっごいねえ」「はい。さすがは伯珪殿。将兵の人望は厚いようです」 感心したように呟く玄徳様と、それに頷きで応える関羽。 劉家軍500も、すでに出陣準備を整え、公孫賛軍のすぐ横に布陣している。 間近で見る大軍勢の迫力に感嘆しているのは、張飛や、2軍師も同じであり、先刻から幾度も感心したように声をあげていた。 そんな彼女らの姿を、やや後方で見つめながら、おれはこれから始まる大戦を思い、身震いを止められなかった。 霊帝の後を継いだのは、弁皇子ではなく協皇子であるという事実。 黄巾の乱が治まる前に発された曹操の檄文。 それらの意味するところは、すでに今いるこの国の歴史が、おれの知る三国時代の歴史とは大きく乖離しつつあるということである。 無論、玄徳様たちが女性であることからして、初めから乖離していたといえばそれまでなのだが、それはつまり、おれの知る歴史知識は、もはや無用の長物であるということを意味していた。 これから始まるであろう泗水関、虎牢関の戦いにしても、連合軍側が敗れることもありえるだろう。逆に予期せぬ大勝を得られる可能性もある。 いずれにせよ、この時代に生きる人たち次第、ということだ。小賢しく未来を口にすることは、もう慎まねばなるまい。「まあ、今までだって吹聴していたわけではないけどな」 おれは苦笑しながらひとりごちる。 と、おれのすぐ隣から、予期しない声があがった。「お兄ちゃん、何を1人でにやにや笑っているのだ?」「うん――ちょっと不気味かも」「大方、城に残してきた女子のことでも考えていたのでしょう」『えーーッ?!』 えーい、何を好き勝手なことを。それとそこの2人、関将軍の言葉を鵜呑みにしない!「は、はわわ、じゃあ違うんですか?」「当然!」「……胸を張って肯定するところでもない気がするんですが……あわわ、な、何でもありません」 2人の様子を見た関羽が、更に言葉を重ねる。「2人とも、謝ることはない。先日の訓練も、さっさと抜け出していたのだ。そのあたりの理由に決まっている。それに桃香様とも何やら密議して、資金を頂いていたようだが?」「げ」 ばれてるし。 玄徳様に視線を走らせると、顔の前で両手を合わされた。問い詰められて白状してしまったらしい。「桃香様は、理由までは教えてくださらなかったが、私に内密で何をこそこそしているのだ、お前は?」 何を、と言われても、易京の馬具職人に鐙の制作を頼んだだけである。 が、基本的に楽したいという発想で頼んだだけに、関羽には知られたくなかったりする。「そんなものは訓練で克服すべきことだ! ただでさえ資金は限られているというのに!」とか言われるのが目に見えていたからである。「つまり、愛紗は仲間はずれにされて怒っているのか?」 じりじりと追い詰められながら、さてどうやってごまかそう、と冷や汗流していたおれに、思わぬ援護をくれたのは張飛だった。「なッ?! そそ、そんなことはない! 私はただ、兵たちを率いる身としてだな」「噛みながら言っても、説得力ないのだ」「あ、そうだったんだ。なーんだ、愛紗ちゃんってば、可愛いんだから♪」「と、桃香様まで、何を?! わわ、私は別にそのようなことを考えて問い詰めたわけではなくてですね」 いつの間にか。 当事者であるおれを脇に置き、盛り上がる姉妹たち。 な、何とか助かった、かな?「そうみたいですね。そ、それで、その……」「な、何だい?」「そのですね、お城に残してきたっていう女性とはどこまで……」「だから残してきてないって言ってるだろうがッ?!」 おれは声を大にして反論するが、どうもその言葉は届いていないっぽい。 何やら常ならぬ迫力で迫ってくる諸葛亮。そして、それを抑えようとする鳳統。「しゅ、朱里ちゃん、だ、駄目だよ。急いては事を仕損じる、だよ?」「いいえ、雛里ちゃん。これは好機だよ! 機を見て敏ならざるは勇なきなり!」「あわわ、朱里ちゃん、混ざっちゃってるよ?」 何やら混乱状態の2人。とても口を挟める状況ではない。 普段は冷静な2人なのだが、一体どうしたのだろうか?「しかしまあ、平和なことだ」 これから、空前の規模の戦いに赴こうというのに、この緊張感の無さはいかがなものかと思う。周りで見ている兵士たちからは笑い声があがってるし。 けれど。 今から緊張でガチガチになるよりは、はるかに良いことなのかもしれないな。 いつのまにか、身震いが止まっていたことに気づき、おれはそう思うことにした。