ターバ村を出発しておおよそ2週間。
一行はようやく、アラニア第二の都市ノービスに到着していた。
ノービスは、アラニア西の国境の街だ。要所であるため基本、アラニア王族がこの街の領主を務める。現在の領主はゲイロード公爵。彼は女性と芸術をこよなく愛し、政治にはほとんど無関心という典型的なアラニア貴族である。
このノービスの街より西に進めば風と炎の砂漠を経由して、将来のフレイム王国、そして自由都市ライデンへ。街道沿いに南へ下れば、ヴァリス王国はアダンの町へとたどり着く。普通に考えればリスクの大きい砂漠越えよりも、安全な街道沿いを選ぶところ。しかしニースはこの時、このまま西進して砂漠越え、道無き道を進み最短距離でライデンへ、そして南下してモス入りするという、男前なルートを考えていたりする。
「それにしても、ここもやっぱり難民キャンプが広がっているなあ」
ニースの考えているルートを知らないサシカイアは未だ気楽なモノで、ノービスの街をぐるりと囲む城壁の外に広がっている難民キャンプを呑気な顔で眺める。
これは、オバマの街でも見た光景だ。辺境、あるいは周辺の村から安全と思われる大都市に逃げてきたのはいいが、結局街中で暮らすことは出来無かった人たち。街中に転がり込む知り合いがいない。宿屋に泊まり続ける金がない。小屋を建てられるような場所は既に同じように逃げてきた他の者に占拠されていた。景観保護のために追い出された。そう言った人々が、城壁のすぐそばで寄り集まって暮らしている。
廃材や安っぽい布きれなんかで作られた、あるいは雨風を凌ぐことが出来るかも知れない、なんて程度の小屋とも言えないような粗末きわまりない家が、互いに寄りかかるように軒を連ねている。栄養状態の良くなさそうな、酷く疲れた顔をした者達が、ノービスの城壁、門へと向かうサシカイアらを見るともなしに見つめている。その瞳に浮かぶ色合いは絶望か。
「アラニア王国は、ちゃんと 難民対策をしているのでしょうか?」
ニースが眉根に憂いを乗せて呟く。
それに対して、至極あっさりとサシカイアらは首を振って見せた。
「期待するだけ無駄無駄」
「だってアラニアだし」
「歴史だけのしょぼい国って印象だよなあ」
「ぶっちゃけ、良く滅びないモノだって思うよ」
4人のアラニア王国の印象なんて、こんなモノである。
そして実際、ここのところ、アラニア王国はまるで良いところがない。魔神の襲撃に対して無為無策。北部を中心に民の心は確実にアラニア王国から離れて行っており、将来のザクソン独立運動の下地が、どんどん作られている状態。
「……そこまで言いますか?」
あんまりアラニア王国に好意を持っているようには思えないニースだが、なんだか逆に弁護の必要を感じてしまった様子。ターバはマーファ信仰の聖地で、半ば独立自治状態とはいえ、それでもアラニア王国内の村である。つまり、ニースだってアラニア国民と言える。愛国心の様なモノの欠片、くらいは存在するのかも知れない。
兎に角、あげつらってばかりも問題。アラニア王国にだって良いところはある。あるはずだ。あるよね?、と首を傾げながら、ニースが良いところ探しを始める。
しかし、うんうん唸り始めてしまい、なかなか答えを出せないニース。
その顔の前でいきなり、鋭い金属質の音を立てて鉾槍が打ち合わされた。
「──!」
これにサシカイアらは素早く反応する。
ぼんくらだって、それなりに場数を踏んできている。それなりに経験し、それなりに学習している。いつまでたっても、緊急事態に驚いて思考停止、ぼんやりするばかりではない。
サシカイアはニースの肩を捕まえて引っ張り、己の身体の後ろへ。その時には既に腰の後ろから得物──アイスエッジを抜き放っている。
シュリヒテは前に踏み込むと同時に、抜き打ちに魔剣フレイムタンを跳ね上げ、左右から通せんぼするみたいにクロスされた鉾槍をはじき飛ばしている。
ギネスも戦槌、盾を構え、シュリヒテとは逆の側、前へ出てサシカイアらをかばう格好に。ブラドノックは後方で杖を構え、何時でも魔法を使えるように集中を始める。
「こいつら、抵抗するかっ?」
臨戦態勢となった一行に向かって叫んだのは、鉾槍を跳ね上げられた男。追い剥ぎ、盗賊等のごろつきではない。きっちりと揃いの鎧を着こなし、その上衣に描かれた紋章はアラニア王国のモノ。
「門番?」
一行は、ちょうどノービスの町の城門の前まで来ていた。鉾槍を突き付けたのは、その城門の守衛だった。
「ああ、悪い。誤解だ」
サシカイアは慌ててアイスエッジを腰の後ろの鞘に収めると、ひらひらひら~っと、手を振って、敵対の意志がないことを示す。同時にシュリヒテらも下がり、構えていた剣を下げる。
「いきなり目の前に鉾槍を突き付けられたモノだから、反射的に動いてしまったんだ。アラニア王国に害をなすつもりはないよ。いや~、アラニアって本当にいい国だよね。治世は完璧、王様はステキ、住民達は恵まれているねえ」
先刻の酷評が聞こえたのか?、とサシカイアは内心で恐れながら愛想笑いを浮かべ、揉み手でもしそうな勢いでアラニア王国を褒め称えて誤魔化しにかかる。
「そちらの女は、マーファ教団の者だな」
しかし、友好的であろうというサシカイアに対して、4人いる守衛の表情は硬い。シュリヒテらの剣の間合いから逃れつつも、鉾槍をこちらに突き付けてきている。その関心の中心は、どうやらニース。アラニア王国の悪口が聞こえたから怒ったというわけではないらしい。
「そうですが……?」
罪人でも見るような目を向けられ、戸惑いつつニースが応える。これがサシカイアであれば、違います、マーファ教団と関係なんてありません、と平気な顔で言いそうだが、ニースはそう言うキャラではない。大体ニースはマーファの聖印──額に付けた三日月型の飾りを隠していないのだから、誤魔化しようがない事でもある。それでもサシカイアなら反射的に否定してしまうだろうが。
「反逆罪で貴様を捕らえる!」
守衛の1人が、大声を上げる。
「反逆?」
戸惑いの声を上げるニース。
「ニース、なにやったのさ?」
「やってませんっ!」
国王の肖像画に落書きでもしたのか?、なんて間抜けなことを言うサシカイアを怒鳴りつけ、ニースは守衛に向き直る。
「サシカイアならともかく、私には心当たりがありませんが」
「黙れ!」
守衛はニースを怒鳴りつけた。
「各地の村を扇動し、住民の蜂起を煽っているのは知っているぞ!」
「その事ですか……」
ニースはため息を零した。
「マーファ教団は、反乱を扇動などしておりません。村人達が王国への不満を募らせ、納める税を滞納しているのは知っています。しかし、それは王国が魔神に対して無策でいるためでしょう?」
ニースの言葉通り、アラニア王国は魔神解放以来、株を下げ続けている。やったことと言えば、王侯貴族の生命財産を守るために、戦力を大都市部に集中させたことくらい。戦力は有限である。それを、過剰なまでに中央に集中させた結果、辺境、地方の村や町を守る戦力が無くなってしまった。地方の村や町は、魔神の前に無防備に、それこそ皿にのせてさあどうぞ、と差し出されたような格好。魔神は当然遠慮などすることはなく、いくつもの村や町が襲撃を受け、甚大な被害を出している。中には、アダモ村のように村は焼かれ、村人は殺され、と、全滅したような所も少なくない。
そんな酷い状況。
しかし、それも最近になって、魔神問題に限れば改善の兆しがある。
もちろん、これはアラニア王国の手柄ではない。
サシカイアらが魔神将を撃退して以来、魔神達の行動に統制が失われたのだ。それまでは、軍団を形成して一気に村や町を襲って大きな被害を与えていたモノが、極々少数、あるいは単独での散発的な襲撃に、やり方が変わってきているのだ。現在アラニアにいる魔神達は、おそらくトップ不在、それぞれが好き勝手にやっているのだろう。
それでも。
たとえ単独でも、魔神は一般人の手に余る。
サシカイアらもラスターへの道中、先のティキラ戦のように、いくつかの魔神による襲撃や陰謀を解決している。しかしそれは、アラニア全体で起きている魔神関連の事件の極々一部分に過ぎない。サシカイアらの能力は優れているが、それでも所詮は1パーティ。しかも他に目的地のある旅の途中。アラニア全土をカバーするには当然足りない。全ての事件に関わることは不可能。
その、足りない部分を代わりに埋めたのは。
マーファ神に仕える神官戦士達だった。
ロードス島電鉄
40 絶望
アラニアの各地で、マーファの神官戦士達は村人を守るために魔神と戦い、治安を維持するために尽力していた。
残念なことに、マーファの神官戦士達は、サシカイアらに比べるとレベル的に低い。能力的に劣っている。下位魔神でいい勝負。上位魔神ともなれば手に余る。むろんこれ以上に強い者もいれば弱い者もいるが、平均すれば大体、こんなレベル域である。自然、神官戦士達にも少なくない数の被害が出ることになる。
とある村で、襲ってきた魔神を倒すためにマーファの神官戦士は命をかけて戦い、破れた。しかし、彼もただやられたわけではなく、魔神を消耗させ、深手を負わせることに成功していた。その後、村人は猟師達を中心にしてほとんど総出で戦い、消耗していた魔神を何とか倒すことに成功した。
その村人達は、倒れたマーファ神官に心から感謝し、本来、アラニア王国におさめるはずの税を、マーファ神殿に寄進した。彼らにとっては、守ってくれない、当てにならないアラニア王国よりも、命がけで自分たちを守ってくれたマーファ神官、そしてマーファ神殿こそが領主にふさわしいという、当然の思いの発露。思えば先の大地震の時も、復興に尽力し、人を出し金を出して助けてくれたのはマーファ神殿で、アラニア王国は何もしてくれなかった。その癖、税だけはしっかり徴収に来るという厚顔さは、彼らに大きな不満を抱かせていた。彼らがアラニア王国を見限る下地は、とっくに出来ていたのだ。
そして、その動きはあっという間に波及した。
最初は、近隣の村々。そしてそれは噂を聞きつけた他の村へと。それだけ、アラニア王国に不満を持っていた者は多いと言うこと。今までは潜在的なモノであったそれが、今回の魔神の襲来によってとうとう表に出てきたと言う話。村人達の堪忍袋も、遂に緒が切れたのだ。
それだけ、住民達の不満は深刻で重い。対処を誤れば、アラニア王国の歴史が幕を閉じるかも知れない。それほどの重大事。
そんな状況で。
期待を裏切らずに下手を打つのが、今のアラニア王国である。
ノービス公ゲイロードは自らの行いを反省することなく、周辺の村や町の徴税拒否をマーファ神殿の扇動によるモノと判断した。この件で利益を得るモノが犯人とでも、彼は考えたのだろう。即座に報復として、ノービスの街のマーファ神殿を封鎖した。
当然の如く、この処分に対する反発が起きる。
領主の館には、マーファの信者達からの抗議が殺到した。国に仕えている騎士や役人の中にだって、マーファ信者はいる。もともと、アラニア国内にはマーファの本神殿があり、信者の比率が高い国なのだ。
また、ノービスの街のマーファ神殿は、難民達に炊き出しを行っていた。それが、神殿の封鎖によって行うことが出来なくなった。代わって街から援助を行えばいいのだが、ゲイロードはこれまで通りにそれを怠った。自然、難民達は飢え、追いつめられてきていた。ちょっとした事件が起これば、彼らは暴発しかねない程、内圧を高めていた。
マーファ信者と難民達。彼らがこぞって反抗したら、あっさりとノービスは蹂躙され、最悪アラニアはひっくり返るだろう。
ゲイロードは恐怖もあり、過剰に反応した。
彼は信者に要求されたマーファ神殿の封鎖を解くことはせず、逆にマーファ神官の拘束を命じた。更に治安維持の名目で兵士達の巡回を密にして、武力で不平不満を押さえつけようと試みた。これにより、ますます両者の緊張は増し、のっぴきならない状況になりつつある。
ニースがノービスにやってきたのは、ちょうどこういう時期だった。
ニースの言葉は、正しい。
ただ、正しいことだからと言って、素直に受け入れてもらえるかというと、そうでもない。怒らせるには本当のことを言えばいい、なんて場合もあるくらい。たとえば、ハゲにハゲと言うとか、デブにデブと言うとか。大巨人に扁平足と言えば確実に激怒させることが出来る。そんな具合に。自覚があるからこそ腹が立つ、そう言うことだってあるのだ。
今回のニースの言葉も、守衛達を怒らせる役にしか立たなかった。
「黙れ、罪人のくせにっ! 偉そうな口を叩くな」
激昂する守衛に、ニースはいささか疲れたように応じる。
「聖職者は、王国の法では裁けないはずです。我々は、神の教えにのみ従っているのですから」
ここで言い争っていても埒があかないと、ニースは守衛を無視して街の中に入ろうとする。言っては悪いが、所詮、守衛は下っ端である。貴族ですらないただの雇われ。事態の解決には、もっと上の方の人間、たとえばノービス公ゲイロードあたりと話し合う必要があるとの判断。
しかし、再び守衛達は鉾槍をニースの前で交差させて行く手を遮る。更に左右からニースを捕まえようとして寄ってくる守衛を視線で制し、ニースが口を開く。
より早く。
「ええい、静まれ、静まれい!」
サシカイアが口を開いていた。
突然の大声に吃驚した顔になったニースの前に出ると、サシカイアは大音量で守衛達に告げる。
「このマーファ聖印が目に入らぬかっ!」
と、ニースの額の聖印を示す。
目に入らぬも何も、別に隠しているわけでもなく、あたりまえに見せているから、見えますよ、と首を傾げる守衛達。
その視線には構わず、サシカイアは続ける。
「ここにおわすお方をどなたと心得る。畏れ多くもマーファ本神殿、次期最高司祭最有力候補、マーファの愛娘、竜を手懐けし者、男殺しの数々の異名を持つ、ニース高司祭にあらせられるぞ」
「誰が男殺しですかっ!」
と真っ赤になって訂正を要求してくるニース。
それはともかく、サシカイアの言葉で守衛の1人の顔色が変わった。
「ニース高司祭?」
「誰だ、それは?」
その一方で怪訝な顔をする者もいる。これを情弱、と切り捨てる訳にもいかない。ロードス島は中世ファンタジー世界。現代日本のように、情報が氾濫している世の中ではないのだ。村々を回る商人達や冒険者、あるいは吟遊詩人達によるうわさ話、そんなレベルでしか、一般人には情報を得る手段がなかったりするのだ。わからないことがあればググればいい、とは当然行かないのだ。……それでも、マーファ信仰のメッカ、アラニア王国でニースを知らないのは問題のような気もするが。
「知らないのかっ!」
教える守衛の顔に呆れが見えたところを見ると、やっぱり情弱と切り捨ててもいいのかも知れない。
「古の呪いから氷竜ブラムドを解放し、ブラムドが蓄えていた財宝で、地震と大雪で困窮していた北部アラニアの人々を救済したお人だ。大地母神の生まれ変わりとまで呼ばれている高司祭様だぞ」
「俺は大地母神の信者じゃない。そして、こいつはただの罪人だ」
あまりに考えの足りない発言に、怒るよりも呆れ、サシカイアらは生暖かい目で男を眺めた。
その視線を受け、説明をしていた男の方が恥ずかしげに顔を真っ赤にする。
「馬鹿か、お前はっ!」
馬鹿と言われて喜ぶ人間は少ない。言われた男は反射的にむっとした顔になるが、それ以上の剣幕に押されて、口を開いて反論するのは堪える。そこへ更に、説明役が言葉をかぶせていく。
「今、この人を捕らえたら、何万人という大地母神の信者が反乱を起こすぞ。この町にだって、何千人という大地母神の信者がいるんだ」
「マーファ信者達が反乱を?」
ようやく事の重大さを理解したらしい男が、顔色を変える。自分が、反乱の引き金を引く。そんな事態はごめん被りたいと言うのは、あたりまえの感情だろう。
「しかもだ」
しかし、説明役は容赦せずに、更に続ける。
「ニース様と一緒にいる美しいエルフ娘と言えば、戦乙女ペペロンチャと相場が決まっている。精霊王を使役し、魔神の軍勢を焼き払った、あのペペロンチャだぞ? こちらにだって、少なくない数の「信者」がいるんだぞ?」
と言いつつ、男が懐から取り出したのは勝利の女神の護符。大事そうに握りしめつつ、視線はサシカイアの顔へ行き、何故か下がって胸を通り越して更に下へと向かう。
説明役の顔が、何だか赤くなってきて、サシカイアはその視線に居心地の悪いモノを感じつつ、言った。
「いや、俺はペペロンチャなんて偉大な人物じゃないから。ただの素エルフで名前はナポリー。ここは可愛らしく、ナポリーたん、と呼ぶのもあり」
その後頭部をニースがひっぱたいた。
「……たっ」
結構いい音がした上に痛かったらしく、サシカイアは涙目で蹲る。
「あなたという人は……。そのいい加減な名乗りはもうやめてください」
サシカイアの後頭部を見下ろしながら、ニースが怒り半分、呆れ半分で言葉を投げ降ろす。
「ちなみに、俺はシュリヒテ・シュタインヘイガーだ」
と、そこでシュリヒテが名乗りを上げる。
「──光の剣っ!」
驚く守衛に、シュリヒテは俺の知名度も捨てたモノじゃないな、と、うんうん頷く。最近、どうも目立たないし、いいところが無いような気がしていたが、コレならば大丈夫。きっとナンパ成功率は維持されているはずだ。なんてろくでもないことを考えていそうな、鼻の穴の広がり具合だった。
それを見た、2人の男も動く。
「ふっ、俺はパーティの知恵袋、二つ名は定冠詞を付けてザ・賢者、ブラドノック・ケルティック!」
「僕はペペロンチャの従者、マイリーの寵児、スーパー・マーベラス・シャイニング・ギネス2!」
「……ええと、誰?」
本気で首を傾げる守衛達に、ブラドノックはドちくしょうと天に向かって吼え、ギネスは地面にのの字を書き始める。
その2人を無視し、説明役の守衛はしゃがみ込んだサシカイアを示しながら、ニースに尋ねる。
「ええと、こちらは?」
「ええ、コレがペペロンチャで間違いありません」
「やっぱり」
と、嬉しそうにお守りを握りしめる。
「ふっ」
そこで素早く立ち直ったブラドノックが笑みを浮かべつつ、おもむろに懐に手を突っ込み、男と同じお守りを取り出した。
「おお、あなたも」
「ちなみに会員番号2番」
「なんと、一桁っ! 私は253番です」
盛り上がる2人に首を傾げ、後頭部をさすりつつサシカイアが立ち上がる。ちょっとニースに視線をくれるが、はたいたことを欠片も悪いと思っている風でもない。文句があるならば受けて立ちますよ、常々あなたには言いたいことがありますから、この機会に徹底的に話し合いましょうか、てな感じで胸すら張っている。サシカイアに文句はあったが、話し合いで勝てる気はしないので、諦めてブラドノックの方に向き直る。
「何の話だ?」
「もちろん、ペペロンチャ公認のファンクラブ会員番号だ」
「一体誰が何時、公認なんてしたよ!」
自筆サイン入りの肖像画といい、聞いていないことが多すぎるとサシカイアが怒鳴るが、ブラドノックは何処吹く風。
「ちなみに、ファンクラブ限定の特別アイテムなんかも販売していたぞ」
「俺はそれも知らないぞ!」
「このアミュレットもそうだ」
「聞けよ!」
残念ながら、ブラドノックは全く聞いていなかった。説明役の男同様、何だか視線が顔ではなく、下の方に向いているような気がして酷く不穏だった。おまけに顔が赤くなってきているのも、恐ろしく不安を煽る。
「そのアミュレット、マッキオーレが用意していたモノですね」
そこで口を挟むのはニース。
「ん? ニースも絡んでいるのか?」
「いえ、そのあたりはマッキオーレの仕事で、私はノータッチです。よくわかりませんが、金髪の信者の皆さんから、髪の毛を譲り受けてましたよ」
「──!」
その言葉に愕然として、ブラドノックと男が激しくニースに向き直る。
その血走った目に気圧され、びくりと肩を震わせてニースが後じさる。
「なんと、言いました?」
「え? あの、マッキオーレの仕事で私はノータッチ……」
「その後です! 金髪の信者の、何ですか?」
「ええと、髪の毛を」
がっくりと、ブラドノックと男が地面に膝を付く。いや、見ればシュリヒテとギネス、更に守衛のもう1人も同様に膝を付いていた。
「な、何事ですか?」
戸惑うニースが、助けを求めるみたいにサシカイアを見るが、残念なことにこちらも事情がさっぱりだ。
「終わった。そう、全てが終わったよ」
「真っ白に燃え尽きちまったぜ……」
「俺の熱い青春の迸りは……無駄撃ち ?」
「……ふふふふふ、ふはははは、とんだお笑いだ。笑えよ、愚かな俺を」
「何だかとっても疲れたよ、パトラッシュ……」
理由は不明だが、膝を付いた男達はすっかり黄昏れてしまっている。深い絶望、この世の終わりみたいな表情で、涙を流している者までいる。
「……よくわからないが、グダグダだな」
説明を受けていた男の呟きが、見事に現状を表現していた。