リズミカルな走りに合わせて、後頭部でまとめた黄金色の髪の毛が揺れる。その髪型の名前の通り、まるで子馬のしっぽのように。
本当なら煩わしいロングは辞めて、ばっさりショートにしようと考えたのだが周囲に駄目出しをされてしまった。ブラドノックだけであれば余計なお世話と突っぱねるところだが、ニースにまで言われては仕方がない。泣く泣くショートは諦めた。──とは言え、運動するのにやっぱりロングは邪魔。それでサシカイアの出した答えがコレ。ポニーテイル。
さて、基本怠け者のサシカイアがわざわざ運動しようなんて考えたのには、もちろん理由がある。
魔神将との戦いではっきりとした自分の問題点、己の肉体の貧弱さを解消するため。
肉体の貧弱さ。それは主に哀れな程の胸のサイズ──ではなく、体力の無さである。
確かに胸の方もかなり貧弱であるのは間違いない。胸を上から撫で降ろせば、ほとんど引っかかりもなく臍まで到達しそうな程の貧弱さ。しかし、サシカイア自身はあまり気にしていない。貧乳はステータスだ、希少価値だ、と声高に主張するつもりもない。どちらかと言えば、どうでもいいことに類する事柄だ。何しろ、見た目がいくら美少女エルフでも中身は男。下手に巨乳だったりしても始末に困る。あれはあれで色々と苦労があるらしいし、我が身で確認したいとは思えない。……我が身ではなかったら、別の感想を抱くかも知れないが。
話を戻す。
サシカイアが弱点解消のために自らに果たしたのは、毎日のランニングを中心とする体力作り。どれだけがんばっても所詮はエルフ、貧弱なのは変わらないかも知れないが、それでももう少し体力──HPが欲しい。文字通り死活問題なのだから。
と言うわけで、今日もサシカイアはマーファ神殿の敷地内でランニングをしていた。
さすがは本神殿、その敷地は十分な広さがあり、一回りするだけでもかなりの距離となる。おまけに山の斜面に張り付くようにして建っているため、起伏にも富んでいる。まじめに毎日ランニングをするだけでも、かなりの体力が付くだろう。
が。
困ったことに、サシカイアの中身はぼんくらである。その能力は高いとは言え、いきなり付いてきたモノ。そこへ至るまでの非常な努力をしてきたわけではない。
要するに、地道にトレーニングを継続する為の根気に欠けている。時間が経つにつれて、当初に抱いた危機感はあっさりと薄れてきている。それに連れて、トレーニングへの熱意もどんどん冷めていく。元々の世界でも、体力作りを考えたことはある。が、その為のトレーニングが長く続いた事はない。中身はそう言う人間である。そろそろ頭の片隅に、もう三日坊主じゃないよね、なんて思いが居座り始めている。天気の悪い日が来れば、嬉々として休養日に当てるだろう。そして、その休養日を過ごした後、トレーニングを再開できるかと問われれば、非常に微妙な感じである。あるいは、特に理由なんか無くても、明日にも休養日を作るかも知れない。
とは言え、今日はまだ天秤が、まじめに走ると言う方に傾いた。
息を荒くしながらも、ノルマとした周回を済ませ、ゴールと定めた本神殿隅の人気のない小さな空き地へ到達する。
人気のない場所をゴールとしたのは、最近、ペペロンチャの名前だけではなく、顔まで売れてきてしまったため。あの酒場、どうやら絵心のある者もいたらしく、ペペロンチャ直筆のサイン付きの美人画が、当人に無断で売り出されてしまったのだ。無断なだけに、もちろんサインが直筆というのは嘘である。マーファ神殿が即座にそれが嘘であることを発表してくれて、それで一山当てようとしていた件の男はつるし上げを食ったらしい。しかし、サシカイアがざまあ見ろと思えたのもつかの間。今度はマーファ神殿がおみやげ物として、ペペロンチャ公認の、自筆のサイン入り美人画を、ニースのそれと並べて販売しはじめたから元の木阿弥。どころか事態は更に悪化してしまった。こちらは交渉の結果、経費を除いたあがりの5割をサシカイアが受け取ることになって話がついた。と言うか、どうやらそのあたりを企画したらしいマッキオーレに文句を言いに行ったはずが、いつの間にか丸め込まれて、その条件を飲まされてしまった。何がどうなってそうなったか、未だによくわからないが、契約書にサインをしてしまったのは確か。ここでごねれば、違約金が発生してしまってよろしくない。
兎に角、下手に顔が売れてしまったせいで、本神殿から出れば非常に煩わしいことになってしまう。否、本神殿内でも、ちょっと油断すると男神官を中心にサインや握手を求められたりして、非常に鬱陶しい。それ故に、こんな隅っこの方へ引っ込んで、トレーニングをする羽目になっている。
ゴールしたらゆっくりと歩きながらクールダウン。
同じくこの小広場で剣を振っていたシュリヒテが、タオルを投げて寄越してくれたので、受け取って汗を拭う。
シュリヒテの事情も似たようなもの。つい先日までは神官戦士と一緒に訓練をしていたが、流石に相手になるレベルの者はいなかった。そして、有名で強いだけに指導を求められる。自分の訓練よりも神官戦士を指導してやる、そんな時間を多く取る羽目になり、それならばいっそ、個人でトレーニングした方が自分の為に時間が使えてまだマシ、なんて判断だ。
ちなみに他の2人、ブラドノックは現在、使い魔を作るための儀式中。どうやら烏を使い魔にすることに決めたらしい。これから先、女子更衣室や女湯周りで烏を見かけたら、問答無用で撃ち落とさなければならないだろう。30メートルまではシュートアローで一撃だが、それ以上の遠距離のことを考えると、レンジャーを伸ばして弓の技術を上げた方がいいかも知れない。
ギネスの方は難民キャンプでマイリーの布教をしている。同じ光の陣営の神様とはいえ、マーファ本神殿お膝元で、くそ度胸な話である。今のところ、マーファ本神殿からの正式な抗議は来ていないが、ヒヤヒヤものであることは間違いない。……なんと言っても辞めそうにないし、困ったものである。
「ふぃ~、あちい」
今、ターバ村あたりは、一年で一番過ごしやすい季節だ。氷の精霊王フェンリルが生息している、なんて言われている白竜山脈を近くに持つせいで、このあたりはロードス島でも一番寒い地域だ。冬は長く雪に閉ざされ、夏は過ごしやすいが酷く短い。今は春が終わり夏に入り始めた頃。寒くもなければ暑くもない、ちょうどいい感じの気温が続く日々。
それでも運動をすれば暑くもなる。サシカイアは徒然考えながら、襟元を開き、ぱたぱたと手で扇いで風を送り込む。
その様子にシュリヒテがぎょっとした顔をして、慌てて視線を逸らすがサシカイアは全く気が付かない。
中身男なだけに、非常に無防備なのだ。
そのまま、サシカイアはストレッチで身体をほぐす。
「あれは男、あれは男」
と現在髪型がポニーテイルなせいもあり、前屈したサシカイアのうなじ、そして汗で張り付いた後れ毛なんかが見えて、ちょっぴりドキリとしてしまったシュリヒテが、小声で自分に言い聞かせているのにも全く気が付かない。
サシカイアは女性としての動きが身に付いていない上に、警戒心が非常に緩い。下手にミニスカートなどはいた日には、サービスショットを連発してしまう事、確実である。
「一回、勝負しないか?」
サシカイアは、シュリヒテが明後日の方を向いて手を休めているのを見て、休憩中と判断。提案しながら模擬剣を取り上げる。
シュリヒテは少し考えると、頷いてこれまで振っていた重り付きの剣を脇の木に立てかけると、やはり模擬剣を取る。それから、にやりと笑って言う。
「何か賭けるか?」
「……一回勝負。俺が一分保ったら、今日の飲み代はお前のおごり」
サシカイアは少し考えて、提案する。
勝ち負けではなく、サシカイアがどれだけ保つことが出来るか。2人の実力差は、そんなモノである。どちらも10レベルとは言え、シュリヒテは戦士でサシカイアは精霊使い。魔法抜きの近接戦闘となれば、サシカイアの使用できる技能はシーフとなり、これは5レベル。素早くて器用なサシカイアは攻撃力や耐久力を問わない当てっこ、避けっこならばかなり強いが、それでもシュリヒテ相手では厳しい。能力値に差はほとんど無いし、レベル差が大きすぎる。ゲーム的な強さ比べ、ごくごく単純にして言えば、レベルと対応能力値ボーナス(能力値を6で割った数字。括弧内の+3とか)の合計にサイコロ二個振って出た数を足して大きい方が勝つと言うルールで、レベル差5。この差は大きい。まともに戦ったら、サシカイアの勝ち目なんて有りはしないのだ。
「じゃあ俺が勝ったら、お前の耳、触らせてくれ」
「……」
サシカイアはジト目でシュリヒテを見つめた。
「いや、だって、エルフ耳なんて触ったことないし、コレは純粋な興味からで不純な動機では……」
ぐだぐだとシュリヒテが言い訳をするが、本当に純粋な興味からかは微妙に信じがたい。
何時までも暗い顔をしているのも鬱陶しいが、立ち直り早すぎだろう。しかし、こいつエルフ耳萌えだったのか。これから先、色々と気を付けた方がいいかも知れない。ブラドノックだけでも大概迷惑なのに、更に面倒くさい話になった。あれ? 最近ギネスも鬱陶しいし、俺って心を許せる仲間いない?
驚愕の事実に一瞬魂を飛ばしかけて首を振り、なんとか気を取り直してサシカイアは口を開く。
「……訂正、俺が勝ったら、一週間お前のおごり」
「いいだろう」
と、シュリヒテは自信満々で応じた。それでも勝てる、と確信している顔だ。
面白い、とサシカイアは唇をぺろりとなめて湿らせる。目に物見せてくれる。
「それじゃあ、これが地面に落ちたら初めと言うことで」
時間を計るための砂時計をひっくり返し、彼我の距離を慎重に測りながら、サシカイアは近くに転がっていた石ころを拾い上げる。
シュリヒテが頷いたので、それでは、とそれを放り投げる。
加減して、シュリヒテの右、1メートルあたりに落ちるように。
そして、石ころが落ちた瞬間。
「あばよ、とっつぁ~ん」
サシカイアはくるりと振り向いて、脱兎の如く逃げ出した。
ロードス島電鉄
31 呪縛の島の魔法戦士
「あれはいくら何でも卑怯だろう」
シュリヒテの当然の抗議を、サシカイアは耳のない様な顔をして無視をした。
追いかけっこになれば、敏捷度の高いサシカイアは一分くらい余裕でシュリヒテから逃げることが出来るのだ。通常、近接状態から逃げるときには回避にマイナス4のペナルティが入るのだが、それを避けるために距離を十分に取っていたし、何より意表を突いたせいで、シュリヒテはろくに反応できなかった。初動で優位を取れば、後はますます簡単な話である。
「一分保ったら俺の勝ち。ルールはそれだけ」
「しかしだな」
「阿呆みたいな事を言うからだ」
サシカイアはにべもなく切り捨て、今度はまじめに模擬剣を構える。
「さあ、今度はまじめにやるぞ」
「それは俺の台詞だろう」
なんかなあ~、と首を振りながら、シュリヒテは剣を構える。
今度は特にスタートの合図も決めず、そのまま始める。
サシカイアはシュリヒテの周りを軽やかなフットワークで回りながら、隙を探そうとする。
しかし、気持ちを切り替え、まじめな顔で剣を構えるシュリヒテに、容易に隙を見いだすことは出来ない。前述の通り、そもそもサシカイアは格下、シュリヒテとはレベルが違うのだから。
このままシュリヒテの周りを回っていても、どうしようもない。バターになってしまう前に行動を開始すべきだ。
そう考えたサシカイアは一瞬身体の力を抜いて、脱力する。これで隙を作ってくれないかな、なんて考えながら、直後、一気にシュリヒテの懐に飛び込む。
のだが、当然シュリヒテは隙なんか作らず、サシカイアを迎撃。
「のわっ」
振り下ろされた鋭い一撃を、悲鳴を上げつつ何とか翳した模擬剣で受けるが、そのまま潰されそうな圧力。模擬剣を斜めにして受け流し、やり過ごそうとするが、あんまり成功したとは言い難い。返す横からの斬撃を模擬剣で受け、その勢いを利用するように横っ飛び。即座に追いすがるシュリヒテの鋭い突きを、肝を冷やしながらぎりぎりで避け、大きく距離を取る。
「こ、殺す気かっ!」
ばくばくと鼓動を高めた胸を押さえながら、思わず文句が口から出てしまう。
「模擬剣だし、死にはしないだろ?」
「最後のクエスチョンマークはなんだよっ!」
「しかし、流石に早いなあ。今の突きは入ったと思ったんだが」
「こっちはエルフなんだよ。華奢なんだよ。貧弱なんだよ。HP少ないんだよ。もう少し気を使えっ!」
「大丈夫だって、今ならニース様もいるし」
「蘇生前提? 冗談じゃないぞっ!」
「じゃあ、今度はこっちから行くぞ」
「話聞けよっ!」
残念なことにシュリヒテは聞く耳持たない。先刻の敗北が、よほど悔しかったのかも知れない。一気にサシカイアとの距離を詰めてくる。
うなじの毛を逆立てながら、最初の斬撃を受ける。その一撃で模擬剣を取り落としてしまいそうな圧力。手が痺れる。次撃はまたもや横殴り。大きく下がってやり過ごす。胸がもう少し大きかったら持って行かれていたところ。サシカイアは密かに己の貧乳に感謝する。一瞬でその距離は詰められ、袈裟懸け。何とか模擬剣を合わせるが、痺れはいよいよ強くなり、その次の一撃で模擬剣は手からすっ飛ばされていた。すっと静かな動きで、シュリヒテの模擬剣の切っ先がサシカイアの胸元に向けられる。
見事なまでにあっさりとサシカイアの敗北である。一分保ってない。攻撃なんて最初から放棄して、防御専念でコレである。まじめに戦えば、2人の実力差はこんなモノである。賭けでシュリヒテが強気になるのは、別段過信でもなんでもないのである。
「これっ位で剣を吹っ飛ばされていたら、話にならないぞ」
「だから、こっちは非力なんだよ」
勝ち目なんて無いと解っていても、それでも負ければ悔しいと、サシカイアはぶすっくれる。痺れる手をひらひら振りながら、すっ飛ばされた模擬剣を拾い上げる。
「もう一勝負するか?」
「もちろんだ、ぎゃふんと言わせてやる」
模擬剣を握りしめる手の調子を確認。とりあえず、痺れは取れた。
「逃げるの無しな」
シュリヒテが釘を刺してくるが、コレは余計なこと。何も賭けていない訓練である。逃げては意味がない。
「卑怯な手も無し」
それは約束できない。と言うか、まじめに戦ったら今の二の舞である。
「それじゃあ──」
始めるか、と言いかけたシュリヒテに、サシカイアは掌を向けて止める。
それから視線を脇の茂みに向ける。
「誰か知らないけど、のぞき見は感心しないな」
性的な視線には元の性別のせいもあって、どうにも無頓着なサシカイアである。あるいは、性的な視線を向けられていることに気が付きたくない、と言う心理が働いているという可能性もある。流石にブラドノックくらいあからさまであれば気が付くが、そうでなければ酷く鈍感で、無防備な動作で頻繁に周囲をどぎまぎさせている。しかし、それ以外の視線には割と鋭い。それは偏に、所持しているシーフ技能のおかげ。そうでなくとも相手がシーフ、あるいはレンジャー技能持ちじゃない素人臭い隠れ方だったと言うこともある。
「ふむ」
と、それ以上誰かは隠れる気がないのか、声を出して茂みを掻き分けてくる。
男とも女とも判別の付きづらい中性的な声。知らない声。
ん?、と微妙に嫌な予感を覚えるサシカイアの前に、その誰かは姿を現した。
その誰かは、一言で言えば不審者。
百人に聞けば百人が、同様の評価をするだろう。何しろこいつ、仮面を付けているのだ。これ以上ないくらい不審だ。仮面ともう一つで顔の大半は隠され、外気に曝されているのは口元くらい。身長は高くもなく低くもなく、ゆったりした格好のせいで身体のラインが見えず、声同様、男とも女とも解らない。腰に佩いた剣の存在もあって、とりあえず戦士であることは解る。身のこなしから見て、シュリヒテと同レベルの戦士。
それだって十分に驚異的な話だが、そんなモノは二の次で、サシカイアの視線はその誰かが顔に付けているもう一つ、額のサークレットに引きつけられた。
不思議な光を宿す宝石を二つ、まるで両の瞳の様に埋め込んだ特徴的なサークレット。魔法のかけられた気配も、びんびんに感じる。
ロードス島シリーズの読者としての知識が、この誰かの正体を簡単に判明させた。
「なっ、カーラっ!」
シュリヒテが驚きの声を上げる。
そう。
この誰かはニースと同じく6英雄の1人、その伝説に名前を残さなかった魔法戦士。原作の戦記でシリーズ通しての主人公パーンの敵役。灰色の魔女カーラだった。