淡く白い輝きを宿すシュリヒテの剣と、赤い光を灯す魔神将の三日月型ポールアックスが打ち合わされて、魔力の火花を飛ばす。返す刃が再びかみ合う。一合、二合、三合、稲妻のごとき斬撃の応酬が繰り返され、その度毎に両者の気迫は高まり、戦いは激しさを増していく。
シュリヒテは強かった。
人はこれほどに強くなれるのか。
そう感心してしまう程に。
反射神経、運動神経は冗談じみたレベル。今の攻撃を何故かわせる?、何で今の攻撃で頭を持って行かれないですむんだ?、と見ているサシカイアは感心することしかできない。
はっきり言って、ベルドとかファーンとか、これ以上に強い人間が存在することが信じられない。
それほどにシュリヒテの強さは極まっていた。
しかし。
それでもなお。
魔神将には届かなかった。
ロードス島電鉄
24 激突─DUEL─
「ベルドはどんだけ化け物だよ」
思わずそんな言葉がサシカイアの口から零れてしまう。
魔神将を魔法の援護を受けているとは言え、一騎打ちもどきで下す。そんな真似のできるベルドの強さとは、一体どれだけのモノなのか。上には上がいる。そんな言葉があるが、それにしたって限度があるだろう。
一騎打ち、激しい戦いを繰り広げているシュリヒテと魔神将。
サシカイアのレベルでは、その剣尖の煌めきを目で追うのがやっと。身体なんてあたりまえに付いていかない。振り回される刃の範囲内に入ってしまえば、為す術無く切り刻まれて終わりだろう。文字通りにレベルが違いすぎる。
シュリヒテの強さはまさしく極まっている様に見える。これまでいささか持て余していた感のある10レベルファイターと言う技能を、十全に使いこなしている。あるいは、それ以上に。ここに来てようやく、心と体が噛み合ったとでも言うべきか。力に振り回されることなく。精神に引きずり降ろされることもなく。その高いスペックを見事に発揮している。
だが、それでもなお、魔神将には届かない。
鋭く横殴りに振られたポールアックスの刃が、シュリヒテの鎧の胸甲を掠め、耳障りな擦過音を立てて通り過ぎる。至近を掠めた死に萎縮することなく、この隙にとばかりに踏み込み、全身の体重をかけるようにして振り下ろしたシュリヒテの剣は魔神将に届かず。不十分な体勢から振り回されたポールアックスにはじき返されてしまう。今度はシュリヒテの体勢が崩れかけ、そこへ鋭すぎる刺突。なんとか盾を割り込ませる事に成功するが、足が浮いて短く空中遊泳。すぐに着地するも後方へ向けて数歩下がる事になる。そこへ踏み込み魔神将が斬撃。無理矢理踏みとどまったシュリヒテも渾身の斬撃を返し、かみ合う刃と刃、魔力の火花が散り、お互いに数歩ずつ後ろに下がることとなる。
「ふわっ」
一度間を取って伸し切り直し。サシカイアは気づかず止めていた呼吸を再開する。
心臓に悪い。悪すぎる。
スピードだけであれば、シュリヒテは魔神将に引けを取っていない。だが、体力はもちろん、筋力も大きく水をあけられている。シュリヒテが全力、思い切り体重を込めての斬撃を繰り出しても、魔神将の方は腕先だけのスイングで容易くはじき返してしまう。
おまけにリーチが違う。身長で負けている上に、相手は身長に比して長い腕を持っている。おまけに武器も長柄のモノ。シュリヒテとしては相手の懐に飛び込みたいところだろうが、魔神将は容易に許さず。結果、遠い間合い、相手の武器は届いてシュリヒテの武器は届かないという距離での戦いを強制されている。
幸いなのは。
いや、幸いと言っていいのか。
魔神将はどこか、戦いそのものを楽しんでいる風がある。
追撃がどこか控え目で、一気に畳み掛ければいいのにそれをしない、そんな場面も何度と無く見えた。逆に、それが故に堅実で隙が無く、なかなかシュリヒテが効果的な反撃に出られないというデメリットもあるが。少なくとも、こうして長く戦えているのは、理由の半分以上をそれに求められるだろう。
そして、幸いと言いきれないのは、魔神将が勝つためにはそれでも十分だと言うこと。
シュリヒテの息が荒くなってきている。
こちらは先から戦い詰め。いい加減疲労もたまってきている。今はまだ、シュリヒテ本人が疲労を大して自覚していないだろう。かなり感情的に突っ走っていることもあるし。己の疲労度になんかに無頓着、気が付いていない様に見える。だが、いずれ気が付く。気が付かないはずがない。体力は無限でないし、気持ちだけで何時までもごまかせるモノではない。そして気が付いてしまった時、それで一気に崩れる可能性が高い。
魔神将はまったり戦いを楽しみつつ、のんびりとその時を待てばいいのだ。どう見たって、魔神将の方がシュリヒテより体力がない、なんて大どんでん返しはあり得なさそうだし。
「くそ、なんて役立たずだ」
己を罵る。
戦いを見ていることしかできない。その不甲斐なさ。これ以上の魔法行使をすれば限界を迎えてダウンしてしまうか、あるいはあの咆哮でとどめを刺されてしまう。時折、魔神将はこちらへ視線を送ってくる。警戒か? とにかく、こちらが魔法を使えば、待ってましたとばかりにあの咆哮がくるだろう。かといって短剣握りしめての参戦も無謀。どう考えたって一撃で開きにされる未来しか予想できない。あるいは、最悪シュリヒテの足を引っ張る結果にもなるか。無力で無能。涙がこぼれそうだ。
サシカイアの視線の先で、シュリヒテが相手の攻撃の力を利用し、盾で受け、受けたその勢いのままに大きく後方に飛ぶ。距離を取って仕切り直しか。
「は~っ」
大きく伸びをするように息を吸い、そのまま身体を縮め、力を束ね、弾ける。シュリヒテは一気に魔神将に向かって飛び込む。
自分が不利とかそうでないとか、そんなことは全く考えていない。シュリヒテは何処までも前がかり。
しかしこれは無謀とも思われる突撃。万歳、神風アッタク。
魔神将は慌てず騒がずにポールアックスを振り下ろす。
その凶悪な斬撃を──
「くぐった?」
ブラドノックの歓声。
シュリヒテは身をかがめ、髪の毛を吹き散らされながらも際どく頭上にやり過ごす。
「入った!」
一気に魔神将の間合いの内側へ。
慌て気味に返されてくる魔神将の攻撃を更に身を低くして再びくぐる。今の距離だと、今度はこれまで利点だった武器の長さが邪魔になって持て余すことになる。今の攻撃は正確さも力強さも欠いていた。
これが最初で最後のチャンスとばかりにシュリヒテは全力の斬撃を魔神将に振り下ろし──かけて慌て気味に首をねじ曲げる。
がつん。
と、シュリヒテの顔の横でかみ合う牙。
「かみつき?」
ライオン顔は伊達じゃない。とばかりに、魔神将のかみつき攻撃。食らい付けば肉どころか骨までごっそり持っていきそうな凶悪な牙が、口の中に覗いている。
無理矢理顔を背けたシュリヒテの斬撃はそれでも魔神将の右の肩口に叩き付けられ、止まった。バランスの崩れた状態からの、ろくに力も体重も乗せられていない一撃は、魔神将の身体を浅く切り裂いたのみ。ほとんど当たっただけでダメージは皆無に近い。
がつん、がつんと追いかけてきて顔の至近で噛み合う牙を必死で避けながら、シュリヒテはほとんど無効と終わった剣を引こうとするが、魔神将がそれを許さない。あっさりと貴重な得物であるポールアックスを投げ捨てた右腕で、刀身を押さえて離さない。
「──!」
シュリヒテが力を込めて剣を引く。が、彼我の筋力の差がここで響いた。両腕で対抗しても剣を取り戻せない。
そこへ牙が迫る。
のけぞるようにしてかわすシュリヒテの顔の真ん前、本当の鼻先で牙が噛み合う。
ほとんど倒れかけのシュリヒテ、体勢が拙い。
そこへ、かぎ爪の生えた左腕が振り下ろされようとしている。
長柄の武器だから懐へ飛び込めば何とかなるかも知れない。
そんなモノは幻想だった。
こいつは、武器なんて持って無くても十分以上に戦えるのだ。
為す術もなくかぎ爪に切り裂かれるシュリヒテを幻視するサシカイア。
しかし、シュリヒテの方はそんなにあきらめが良くなかった。
崩れた体制、のけぞって後ろに倒れかけの体勢から、地面を蹴りつけて飛び上がる。ちょうどうまい具合に剣を魔神将がつかんでくれている。そこに半ば体重を預け、さらに魔神将の膝を蹴って高く身体を持ち上げる。
ほとんど地面に対して身体が真横になりつつ、背中の下に魔神将の左の一撃をやり過ごす。
さらに。
重力に引かれて落っこちる前に剣に身体をたぐり寄せ。剣の鍔を掴み、身体を丸めて両足を束ねると、思い切り魔神将の胸を蹴りつける。
伸び上がる全身の力。
流石に片手でこれに対抗することは魔神将にもできず。
その手から剣を引っこ抜くことに成功。
思い切り胸を押された格好の魔神将は後ろへ蹈鞴を踏み。
その間にシュリヒテの身体は短く空中遊泳した後、地面に落っこちる。しっかり受け身を取り、ごろごろと転がって距離を取ると、すばやく立ち上がる。
これなんてワイヤーアクション?
インド人も吃驚。じゃなくて、シーフ技能持ちのサシカイアでも吃驚してしまう程のアクロバット。
しかし、それでもなお、仕切り直しただけ。魔神将は懐に飛び込んでも容易く倒せるような相手ではないとわかってしまっただけの結果。
構えるシュリヒテの視線の先で、魔神将はゆっくりと投げ捨てたポールアックスを拾い上げる。
隙だらけ?
いや、悠然としたその動きが、容易に飛び込ませない。飛び込めない。わかってしまうのだ。できるならやってみろと、相手がそれだけの余裕を見せられる、強者であることが。
魔神将はポールアックスを担ぐと、右手の平をぺろりとなめる。先に剣を引っこ抜いた際に、その掌を切り裂くことに成功していたのだ。──とは言え、大局に影響のないかすり傷であるが。
己の血をなめ取った魔神将は、獰猛に笑う。楽しそうに。嬉しそうに。
「GAOOOOOOOOOOOOOO」
今度の雄叫びは、魔力を伴わない純粋な歓喜の雄叫び。
戦いを楽しんでいる。戦いそのものに喜びを見いだしている。そんな確信を新たにする。
魔神将はゆったりとした動きから急転。神速の踏み込みでシュリヒテに襲いかかる。
嵐の様な斬撃、斬撃、斬撃。その全てが、当たれば必殺の一撃。
シュリヒテはそれをかわし、はじき、いなし、盾で受けて防いでいく。
しかし、徐々に押し込まれていくのが傍目にもわかる。魔神将の重い攻撃に押され、反撃の手数が目に見えて減っていく。あっという間に防戦一方になってしまう。そしてその防戦も危うい。
盾は魔力を帯びた素性のよろしい逸品だが、そんなこと無関係とばかりに今にも叩き割られそう。実際、表面が傷だらけに、縁も欠け始めてきている。剣の方も同様か、気のせいだと思いたいが、魔力の淡い光が弱まってきているようにすら思える。
がしんと、激しい音を立てて一撃がシュリヒテの鎧、その右の肩当てをすっ飛ばす。
必死で割り込んだ返す斬撃は、激流のごとき魔神将の攻撃の前にはじき返され、お返しの一撃が頬をえぐる。血が舞った。体勢が崩れたところへの攻撃を何とか盾をかざして受けるが受けきれず、身体ごとすっ飛ばされてしまう。
地面をごろごろと転がるシュリヒテ。
魔神将はそれを傲然と見下ろす。
今追撃すれば確実にシュリヒテを倒せたのに、それをしない。
もっと自分を楽しませろと、その顔が命令している。
「くそ、むかつく顔しやがって」
その顔の意味を悟り、シュリヒテは罵りつつも立ち上がろうとして。
膝が崩れた。
限界。
「まだだっ!」
どなり、己で膝を殴りつけて叱咤。シュリヒテが立ち上がる。
まだ戦える。そう言って前に出る。
しかし。
シュリヒテは自覚してしまった。
己が疲れていることを。疲れ果てていることを。
激しい呼吸に肩が揺れ、あえいでいる。動きは軽やかさを失って、重い荷物を背負っているよう。
「──くっ」
ダメだ、もう、魔神将の相手にもならない。
それを悟ったサシカイアは、矢も楯もたまらず、己の短剣を握りしめて前に出ようとする。
その肩を、ブラドノックが捕まえる。
「よせ、無理だ」
そう無理だ。指摘されるまでもなくわかっている。
自分程度では、高々五レベルシーフでは、相手にもならない。そうでなくても脆弱非力なサシカイアである。魔神将の重い一撃の前に、抗する術はない。よしんば攻撃を当てたとしても、分厚い防御力を貫く力はない。
わかっている。
そんなことは先刻承知。
しかし。
それでも。
たった1人。
勝ち目の欠片も見えない敵に。
全身細かな傷だらけ。
満身創痍で疲労困憊。
それでもまだ向かっていこうとする馬鹿を。
──放っておくことなどできない。
「ダメだ。お前が行っても足を引っ張るだけだ」
ブラドノックの叫びがサシカイアの足を止める。
前に出ても、助けにもなれない。
それどころか、足を引っ張ることしかできない。
残酷な現実。
「くそっ」
それが自分でもわかってしまう。わかっているのだ。
だから、サシカイアは罵ることしかできない。
できなかった。
絶望的な状況。
それをひっくり返す奇跡を起こすのは。
誰からも、すっかり存在を忘れられていた男だった。