ギネスからプリースト技能が失われる可能性。
それについては考えていた。心配していた。
そうなった場合について、覚悟もしていた──つもりだった。
そう、「つもり」だったのだ。
それでも何とかなるだろう。まだしばらくは大丈夫だろう。そうした、根拠のない楽観。自分が、世の中を甘く見ていた、それを思い知らされる。
世の中はそんなに都合良くできていない。楽観をあざ笑うような現実のしっぺ返しは珍しい事じゃない。たとえば学校の試験なんかで、何度も味わったこと。何とかなるだろうと考え、何ともならなかったことなどいくらでもある。別段、これはサシカイアにとってと言うだけではなく、満遍なく、万民に共通しての話。責任を求めるのであれば、それは自分たちの楽観にこそ求めるべきだろう。
だが、それでも。
それを承知でも。
何故今ここでこうなるのだ?、何故自分に、自分たちに不幸が降りかかってくるのだ?、と神を恨まずにはいられない。
なにしろこのロードスには、本当に神様がいるのだから。
「糞ったれ」
だから、その神様に罵りの声を捧げる。エルフだから──なんて理由じゃなく、サシカイア個人として、もうこれから絶対に神を信じることはしないと、心に誓う。誰が信じてやるモノか。
だが、残念なことに、思いつく限りの罵倒を神に向けても、事態の改善には全く役に立たない。
ゾンビの群は村を守るべく作られた柵の向こうにまで迫っており、既に自警団との間で命のやりとりが始められている。
そして、残念なことに自警団が抜かれるのも時間の問題。何しろ自警団の練度なんて知れたモノである。その上に、数が違いすぎるのだ。抜かれるならまだ幸い。むしろ、押しつぶされてしまう心配をしなければならない。
だから、今は頭を切り換える必要がある。
どうやって生き残るのか。そんな手段を使えば生き残れるのか。
そうしたことに限られたタスクを振り分ける必要がある。神に文句を言い連ねるなんて、時間の無駄。愚の骨頂。
それを承知の上で。
「くたばれ、マイリーっ!」
サシカイアは、心からの罵りを高々に叫んだ。
ロードス島電鉄
021 残酷な神が支配する
とにかく、生き残るために何をすべきか考えろ。
光の5大神の一柱に罵りの声を上げたサシカイアに、ぎょっとした視線を向ける周りをよそに、必死で頭を働かせる。
すでに、戦端は開かれている。防御用の柵を挟んで、自警団が必死でゾンビを倒そうと奮闘している。
しかし、悲しいかな自警団の練度が低い。悲しいかな装備は劣悪。悲しいかな数が違う。
ほとんどラッシュアワー時の通勤電車並みの密度で押し寄せるゾンビの群。自警団はそこへ向かって即席の槍を突き出し、古びた剣を振り下ろししているが、今ひとつ、効果は薄い。何しろ相手は既に死んでいる。今更刺し傷の一つや二つ増えたところで、一向に痛痒に感じない。文字通り痛感だって無かろうし。声すら上げずに柵に向かい、その圧力で押し倒してしまいそうな勢い。
時間の余裕はほとんど無い。
柵が倒れれば、殺到する数の圧力に、味方はあっさりと押しつぶされてしまうだろう。味方が強いとか弱いとか問題じゃない。あれだけ密集して押し寄せる数の圧力に抗しきれるはずがないのだ。戦いは数だという偉い中将閣下の言葉が酷く実感できる。
「ど、どうする?」
ブラドノックの声。こちらも予想外の──「予想をしていたつもり」だけだった、この急な事態に声が上擦っている。
「どうするも何も、倒すしかないだろう」
そう、倒すしかない。どんな手を使ってでも。
サシカイアはぐるりと視線を巡らせる。
シュリヒテは剣を抜き、しかし腰が引けた格好で控えている。能力だけならばシュリヒテは強い。だが、中身が何処まで信用できるか。それに、いくら強くとも単騎では多寡が知れている。
ギネスはダメ。その場にしゃがみ込み、頭を抱えて嗚咽を漏らしている。ここは使い物にならないと見た方がいいだろう。
他に神官戦士、そして冒険者たち。何故かサシカイアの方を見ている。指示待ちか?
何で自分が──と思うが、要するに「戦乙女」なんてろくでもない二つ名をゲットしてしまったせいだろう。
なんて罰ゲームだ。
口の中でののしりつつ、更に視線を巡らせ。
煌々と焚かれたかがり火に視線を止める。
ああ、そうだ。今はどんな手を使ってでも、ここを切り抜ける。後のことは後で考える。本当のところを言えば、後ろに控えている魔神との戦いがある場合を考えて、精神力は温存しておきたかったが、そんな贅沢を言える状況じゃない。半分は、ゾンビを相手にしたくない言い訳だったし。乾電池──トラスファーで精神力を補充してくれる神官の数は足りている。
ならば。
「火を焚いてくれ。盛大に、派手に」
やってやる。やってやろうじゃないか。
すとんと、腹が決まった。
ゾンビ? 人の死体?
それがどうした。
己を鼓舞するように、乱暴に吐き捨てる。
今は何より、己が生き残ること、それが大事。きっと後悔する。後で夢に魘される。だけど、どちらも所詮は後のこと。まずは目の前、この場を切り抜ける。
そう決意したサシカイアの眼は、酷く座っていた。
村人たち──自警団の男たちは奮闘していた。
凶悪な濁流の如く村を飲み尽くそうと押し寄せてくるゾンビを、即席の柵を間において、何とか押しとどめていた。
もちろん、彼らだってゾンビが平気なわけではない。あたりまえに気持ち悪く感じているし、怯えている。おまけにその数は圧倒的。動きが鈍く大して強くないとは言え、何の訓練も積んでいない村人よりは強い。それでも彼らは、挫けずに武器を振るう。自分の村が襲われる。自分の背後に大切な人がいる。そう言う理由は、わかりやすく彼らを覚悟させる。わかりやすく力を与える。
涙目になりながら、自警団は柵の隙間から槍を、剣を突き出す。幸いと言うべきか、敵は密集していて、目を瞑っていたって必ず当たる。逆に不幸なことは、その効果が見えにくいこと。前述の通り、一度や二度武器を突き立てたところで、ゾンビは気にしているようには見えない。逆に柵の隙間から手を突き出して彼らを捕まえようとしてくる。捕まったらどうなるか、それは不幸な隣人が教えてくれた。勢いよく槍を突き出したはいいが勢いがつきすぎ、柵に近付きすぎてしまった隣人は、ゾンビに捕まり引き寄せられ、揉みくちゃにされて囓られて──と、酷い目に遭って死体となった。絶対に我が身では体験したくない。
柵の向こうのゾンビはまるで減らず、逆に密度を増している。一途に命令を遵守し続けるゾンビたちは、前が詰まっても構わずに前進してくる。その結果、押し合いへし合い、中には同じ仲間のはずのゾンビに押し倒され、踏みつぶされてぐちゃぐちゃになってしまうようなモノまで出している。しかし、それでも彼らは全く気にしない。ただただ前へ前へと進もうとする。
その結果、即席の柵が悲鳴を上げ始めた。繰り返し繰り返し、絶えること無く加えられ続ける圧迫に、即席の柵ではそう長く保ちそうもない。
そして柵が倒れてしまえばそれで終わり。
柵を押し倒す程のゾンビの圧力に、何の遮蔽物もなく晒されることになれば、耐えきれるはずがない。あっさりと押し込まれ、踏みつぶされて蹂躙される。必死で戦っている彼らはもちろん、その背後の村まで。
自警団は涙目で、必死で武器を振るう。それは破滅を先送りできているかすら定かではない、絶望的な行動。しかし、彼らにはそれしかできない。できることがない。
益々柵は絶望的な軋みを上げ始め、限界はすぐそこに来ている。
それを悟り、自警団は浮き足立つ。ここでこれ以上ゾンビを止めるのは不可能。ならば、柵が壊れてゾンビに飲み込まれる前に逃げた方がよいのではないか。幸いゾンビの足は速くない。必死で逃げて、逃げまくれば助かるのではないか。
そんな弱気に飲み込まれそうになったとき。
彼らの背後から風が吹いた。
「うわっ」
「あちぃ」
思わず悲鳴が零れる程の熱風。
振り返れば、彼らの背後で赤々と燃えさかる炎。
「──なっ?」
いつの間にこんな炎が。
村と自分たちを分断するようにも見える盛大な炎に、彼らは狼狽える。
通りのど真ん中、ちょっとやそっとでは越えられそうにない壁とも見える盛大な炎。
その存在理由は?
もしかして、自分たちは見捨てられたのか?
自分たちを見捨て、村を、村だけを守るためにこの炎の壁を立てた?
そんな思いが頭を掠め、彼らは狼狽える。
──が。
「アレは?」
誰かが、声を上げて指をさす。
天を焦がさんばかりに燃え上がる炎の壁の前。
そこに堂々と立つ1人のエルフ娘を彼らは見つけた。
名は知らない。しかし、そのエルフ娘が「戦乙女」と呼ばれていることは彼らも知っていた。その可憐で瀟洒で華奢な見栄えに似合わず、アダモ村を襲った魔神を撃退した勇者の1人。その勇名は、彼らにも聞こえている。その様を実際に見たという、避難民と同道していた冒険者たちの中には彼女の親派、ほとんど信仰していると言っていい程の者もいる。
ところが見た目、そのエルフ娘は全然強そうに見えない。おまけに容姿が整いすぎている。実力は二の次、ただのアイドル的な人気ではないのか? この村の者達の中には実物を見たことでその活躍について半信半疑になった者もいた。
が、それも今、この時まで。彼らはその名の意味を実感することになる。
そのエルフ娘が炎の壁の前に、足を開き、薄い胸を張り、その前で腕を組んで堂々と立っている。
「エフリート」
まっすぐに正面を見据えたままの、その呼びかけは決して大きな声ではなかったが、彼らの耳にはっきりと聞こえた。
そして見よ。
エルフ娘の言葉に応え、その背後の炎が大きく脈動する。盛大に火の粉をあげて、歓喜の声を上げるが如くに膨れ上がる。黄金色の輝きを上げ、踊るように大きくうごめく。
そしてそれが現れた。
でんでんでんでんでんでんでんでん……なんてBGMが聞こえそうな勢いで、炎の中から巨人が登場する。エルフ娘同様の格好、胸を張って腕を組んだ炎の巨人が、ゆっくりと炎の中からせり上がってる。
圧倒的なまでの存在感を持つ、炎を全身に纏ったその巨人。
それは破壊を司る炎の精霊王、エフリート。
唖然とすることしかできない村人たち。
「なぎ払え!」
呆然と彼らが見つめる先、背後の巨人を振り向くことすらなく、エルフ娘が腕を組んで前を見据えたままで指示をだす。
それに従い、腕組みのままでエフリートがゾンビの群に視線を巡らせる。
直後、唐突に、ゾンビの群の中で炎が膨れ上がった。
「うわっ」
と、押し寄せる熱風に思わず顔をかばう自警団の前で、炎が踊る。ゾンビを飲み込み、巻き上げて、真っ赤な炎の竜巻が蹂躙する。彼らは知らないが、それは専門用語でいえば精霊魔法ファイアーストーム。その、あまりに圧倒的な光景に、彼らは呆然と口を開けて見守ることしかできない。何故、冒険者たちが彼女を「戦乙女」と呼ぶのか。何故、崇拝に近い感情を抱くモノまでいるのか。彼らはそれを、この上なく理解した。理解させられた。
強大なる炎の巨人を従え立つエルフ娘。エルフ娘の容姿が天国的な程に整っていることもあり、それは一幅の名画のようで。まるで美しい幻想のようで。──まるで、神話の一場面のよう。
思わずその場に跪き、崇拝の念を示してしまいそう。そんな事を考えた村人もいた。
──なのに、更に続きがあった。
「ゴッド、バード!」
エルフ娘が叫ぶと、エフリートの巨体が宙に舞う。空中でその巨体を一際大きな炎が覆い尽くし、天に巨大な炎の球体が出現する。火球は金色の輝きを放ち、それはまるで太陽のごとし。次の瞬間、その火球がさらに輝きを増し、ほどけて巨大な炎の鳥を顕現させる。金属を打ち鳴らしたような甲高い叫びを上げ、その炎の鳥は大きく羽ばたく。破壊と再生、二つの事象を司る炎の精霊王。その二面性の内、破壊を司るのが炎の巨人エフリートであれば、こちらは再生、そして浄化を司るモノ。聖なる炎の鳥、フェニックス。
「行けっ、科学忍法火の鳥!」
エルフ娘が腕組みを解き、まっすぐにゾンビに向けて神の造形、細く、しなやかな腕を突き出す。
その指示に応えるが如く、もう一声鳴き声を上げると、フェニックスが炎の矢となる。地表すれすれ、一直線にゾンビの群を貫いていく。その進路をふさぐモノを一瞬で焼き尽くし、ゾンビの群を蹂躙する。盛大な炎の柱がいくつも立ち上がり、ゾンビを巻き上げて燃え上がる。
敵陣を突き抜けた炎の鳥は、それで役目を果たしたとばかりにもう一声上げると、中空で炎と転じ、すぐに消えていく。
残されたモノは呆然と口を開けている村人、自警団と、あれだけいた数を大きく減じたゾンビの群。
「勇者たちよ!」
そこへ、エルフ娘の声が響き渡る。
美しきかんばせは凛々しく引き締められ、振り上げたショートソード、そして戦場によく通る澄んだ声。これはまさしく戦乙女。そう彼らに納得させる。その二つ名に嘘はない。
「邪悪なる技によって眠りを妨げられた同胞に安らぎを! 悪逆なる魔神どもに正義の鉄槌を! 全員抜刀! 今こそ、我らが力を思い知らせてやれ!」
戦乙女が剣を振り下ろし、まっすぐに未だうごめくゾンビに向けて号令を下す。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
それに応える雄叫び。
戦乙女の後ろから、それぞれの獲物を構えた冒険者たちがゾンビの群に向かって突撃を敢行する。いつしか、自警団の者達も同様に雄叫びを上げ、彼らと並んでゾンビに向かう。
最早何の心配もない。
彼女はまさしく戦乙女。彼女がいる限り、彼女が導いてくれる限り、我らに決して敗北はない。
そんな確信を抱いて、彼らはゾンビの群を駆逐にかかった。
膝を落としかけて、サシカイアは堪える。
見た目派手だが現実はファイアーストームの連打は、サシカイアをかなり消耗させた。
疲れた。もう動きたくない。働いたら負けかと思う。自分の仕事は果たしたと、ひっくり返って休憩したい。
だが、今はまだそれをなしていい時ではない。
そして疲労以上にに恐ろしいのは、その魔法行使の結果。目の前に突き付けられる現実。
未だ何処彼処で燃え続ける炎。その炎に照らされた地獄絵図。そこら中に目に付く死体、死体、死体、死体。真っ黒焦げになった人の死体、死体、死体、死体。真っ黒の棒のようになった手足をつっぱらかせ、目鼻立ちもわからない程に焼け焦げた死体、死体、死体、死体。己の招いた凄惨な状況。死体、死体、死体、死体。地獄をひっくり返したような、この有様。
臭いもいけない。肉の焼ける臭いが、胃の中身をはき出せとばかりに刺激してくる。きっと、しばらく焼き肉は食べられそうにない。
疲労、そして恐怖から来る全身の震え。連続して襲ってくる吐き気。今更の後悔。他にもっと冴えたやり方があったのではないかという疑念。男が泣いて良いのは急所を蹴られたときと親が死んだとき、後は蜂に刺されたときの三回だけだというのに、またもや涙がこぼれてきそうになる。
そうした一切合切のマイナスの感情を押し隠し、サシカイアは堂々と立つ。
似合わないと承知の上で号令をかけるなんて真似をしたのだ。ならば最後までやりきらねばならない。ここで自分がぶっ倒れてみせれば、きっと前線で戦っている者達は動揺する。だから、サシカイアはここに堂々と立っている必要がある。絶対に揺らいではならない。
「男の子には、意地があるってもんだ」
「いや、今お前女」
己への叱咤へ、すかさずのブラドノックのつっこみ。
む~、と睨む視線には応えず、ブラドノックは背後に振り返り、神官戦士ズにサシカイアと自分にトランスファーするように指示を出す。ちなみにブラドノックも地味にエンチャントウエポンなんかで冒険者を支援していた。こちらが派手な攻撃魔法を使わず補助に回ったのは、単純に、どちらに華があるかという話。正直火を盛大におこす必要のある精霊魔法より、ブラドノックの古代語魔法の方が準備要らずで簡単だった。だが、ブラドノックよりも美少女エルフ娘サシカイアの方が華やかで、士気高揚に向いているだろうという判断だ。戦乙女、と言う以前からの知名度もあるし。
駆け寄る神官戦士をよそに、サシカイアとブラドノックは視線を前線に送る。
大きく数を減じたゾンビを味方が駆逐していく。問題は数の差。それさえ緩和されれば、状況はひっくり返る。まだまだ敵ゾンビの数は多いが、これくらいの差であれば今の勢いなら何とかできると期待してもいいだろう。中には素のゾンビではなく、もうちょっと強力なブアウゾンビや、暗黒魔法サモンアンデッドあたりで呼び出したのであろうカボチャ頭の死霊──ジャック・オー・ランタンなんかの姿も散見したが、全てを承知の上でサシカイアに騙された振りをして、己をごまかしつつも覚悟を決めたシュリヒテが向かっている。見たところ、村人、冒険者と揃って雄叫びを上げながら敵を倒している。だから、このままで何とかなるだろう。
そんな風に安堵した瞬間。
順調に敵を下していたシュリヒテが、一体のゾンビの前で唐突に動きを止めた。
そして無防備に立ちつくす。
「──?」
何をやっているんだと首をかしげ、次の瞬間サシカイアは顔色を変えた。
「なっ!」
同時に気が付いたらしいブラドノックも声を上げる。
シュリヒテの前のゾンビ。
その性別は女で。
生前の名を、トリスと言った。
世界は、サシカイアが考えている以上に悪意に満ちていた。