今回、ゴブリンの退治を依頼してきたのはイルカ村と言う。ターバから1日程南東へ進んだ場所にある小さな村で、人々は畑を作り、キノコを採り、炭焼きなどを生業にして平和に暮らしていた。これと言った特色のない、良くある田舎村である。
この村の近くの山に、一つの枯れた遺跡があった。既に何度も冒険者によって探索され、目新しい発見などついぞ無く、調べ尽くされた遺跡。
その遺跡に、どこからかやってきたゴブリンが住み着いてしまったらしい。
今のところ、村に被害は出ていないが、山に入りづらくなったせいでキノコ取りや炭作りが滞っている。そうでなくとも、すぐ近くに妖魔が暮らしているなんて安心できない。
そんな訳で、村人はマーファ神殿に助けを求めた。
ロードス島電鉄
15 僕たちの失敗
「アラニア王国じゃなくてマーファ神殿に普通に助けを求める辺り、終わってるよなあ」
とはサシカイアの感想。
多分、アラニアのお偉いさんはこの事の深刻さをほとんど気にしていないだろう。今のままで何もせずとも、あたりまえに貴族は民の上に君臨し、民は貴族をあがめ奉る。アラニア建国以来500年あまり、これまで変わらなかったのだから、これから先もずっと変わる事はない。そんな風に脳天気に考えているのだろう。そろそろアラニア北部では王国による徴税を拒否する動きが始まってきているから、それで思い直せばいいのだが──原作を読む限りそれはない。貴族は自分たちの無為無策を省みる事無く、民の反乱とも言えるこの動きに怒りを抱くばかりだろう。
4人は相談の結果、ゴブリン退治を引き受けていた。
サシカイアは自分で頼んだ手前、断りにくかったからと言う理由が多分を占めている。ブラドノックは、倉庫での地味な作業にさすがに疲れ、ちょうど気分転換を求めていた様子。シュリヒテは前回死んだこともあってかなり悩んでいた様だが、リハビリ代わり──精神的にも肉体的にも──に手軽だろうと、結局は依頼を受けることを了承した。最後まで迷っていたのがギネスだが、悩んでいるなら来なくても構わないぞ、と言うサシカイアの言葉が逆に決め手になってしまったらしい。大慌てで来ることに決めている。
イルカの村まで一日。そこで一泊して体調を整える。
村人達は、光の剣に戦乙女が来てくれたと言うことで大歓迎ムード。
いつの間にここまで広まったんだ、その二つ名。
と恐れおののくサシカイアをよそに、既に問題が解決されることが確定したとばかりに、夜には宴まで開いてくれた。
質素な宴だったが、何処を見ても金のなさそうなこの村の人たちにはとびきりの歓迎だろうと言うことは分かったので、素直に感謝してありがたくいただく。さすがに翌日のことを考えて酒は控え目だったものの、シュリヒテなどは村長の娘(村長の年齢如何を問わずに、基本的に妙齢の美女、あるいは美少女であると世界の真理的に決まっている)に酌をして貰って調子に乗りまくり、リュートを取り出して1人リサイタル状態。やんやの喝采を受けていた。
そう言えばこいつ、バード技能を持っていたんだった、とサシカイアは思い出し。そうなると、戦う以外のまともな生業への道が開いていないのは自分だけか、と愕然としたり。
鍛冶屋のギネス、吟遊詩人のシュリヒテ、賢者のブラドノック。対して自分は……泥棒?、となんだか暗澹たる気分になった。
また、寄ってくるのが村の若者、もちろん男ばかりなのも、中身男のサシカイアには非常にとほほな話である。
開けて翌日。
太陽が昇ると同時に、一行はイルカ村を出発。村人の案内を得て移動すること約1時間、ゴブリンが住み着いたという遺跡にたどり着いた。
ここで村人を帰し、作戦タイム。
「……今回の目的は、真正面から戦うことだ。だから、シースルーからの一方的遠距離攻撃は無しな」
はっきり言ってわざわざ効率の悪い戦い方をすることになる。
命の奪い合いなのだ。最大効率で一気に倒す。味方の危険は少なければ少ない程すばらしい。それが一番冴えたやり方。わざわざ危険を求めるなど間違っている。
そんなことは百も承知。
しかし、ここはあえて無駄に危険を求める。
自分たちに足りないモノ、それは命のかかった場面での闘争。殺し合いに慣れる。戦いの経験。その為のゴブリン退治。ヘタレな自分たちでも大丈夫なレベル差。わざわざ、そう言う相手を選んだのだ。ここで安全策をとるのでは意味がない。
「今回俺も前に出て一匹相手取るつもりなんで精霊魔法は期待しないでくれ。ブラも攻撃魔法は間引く程度に控え目で、基本的に味方のステータスアップ系の魔法を中心で頼む」
「了解」
魔法では間接的であるし、現代人にはどこか非現実感がついて回ってよろしくない。己の手で直接敵を倒す。敵を殺す。それが必要だとサシカイアは考えている。そうでなくとも、サシカイアやブラドノックが本気で魔法を使えば、ゴブリン程度一撃で全滅させることだって難しくないのだ。それでは本当にお話にならない。
「ギネスの戦いの歌も今回は無し。素の状態で戦う事が──戦ってみると言うのが今回の目的だから」
「う、うん、わかったよ」
青白い顔をしてギネスが頷く。
最後にシュリヒテに視線を向ける。こちらも、顔色はギネスと大差ない。多分、サシカイア自身もろくでもない顔色をしているだろう。
「シューは今回死なないこと」
「分かってるよ。二度とごめんだ、あんな経験」
ちょっぴりふてくされて応じたシュリヒテの言うあんな経験とは、死んだことか。それとも、動けない間、年若い娘に下の世話をされたことか。
「……勇者様可愛いですね」
「ぐはっ」
ブラドノックが気持ち悪い女声を出すと、シュリヒテは精神的に吐血した。つうこんのいちげき。
「くっくっく、女にモテモテの光の剣も形無しだな」
邪悪な笑みで揶揄するブラドノック。
「俺のは膨張率がすごいんだよっ!」
所詮は仮の身体。しかし、それでもなお男の尊厳に関わる話題に、シュリヒテが大声で反論する。
「何その全く信用できないありがちな言い訳」
そこにギネスまでがぼそりとつっこみを入れる。
「いつでも証明してやるぞ! 何なら今すぐにでも!」
シュリヒテは立ち上がった。既にズボンに手をかけている。そのまままっすぐサシカイアに視線を向ける。
「と言うわけで、サシカイア。俺の名誉と尊厳のために脱いでくれ。大丈夫、お触りも無し、ただ見るだけだから」
「そうだ脱げ脱げ」
「D・V・D! D・V・D!」
シュリヒテに次いでブラドノック、ギネスまで一致団結、悪のりを初めて囃し立ててくる。
「死ぬか? そんなに死にたいのか?」
もちろんそんな義理はないので、サシカイアは3人をにらみつけてやる。
とにかく、馬鹿なやりとりができるだけの余裕はある。ほんの僅か、空元気かも知れないが、今までの経験だって決して無駄ばかりではない。自分たちの状態は少しずつ良くなっているだろう。きっと少しずつでも前に進めているのだ。
──そう思いたいという願望が多分に混じっているが。
決してこれは恐怖や緊張からの逃避行動ではない。みんな微妙に笑顔が引きつってて、冗談が虚しく上滑りしている様に感じても、それはきっと気のせいなのだ。
そんな騒ぎを遺跡の入り口近くでやっていたわけで。
当然と言うべきか、中にいるゴブリン達に気が付かれた模様。ちなみに、問答無用、遠距離、遺跡外からの攻撃を控えるとは言え、シースルーによる透視、偵察をしなかったわけではなく、敵がゴブリンシャーマンをボスとし、他に一般的なゴブリン5匹の集団であることは既に確認している。
ごぶごぶとの叫びとともに、ゴブリン達が飛び出してくる。
今更ながらだがゴブリンの説明をすれば、彼らは赤褐色の肌色をした小型の妖魔である。その顔立ちは豚に似ており、豚頭鬼と書いてゴブリンとルビを振る様な場合もある。ぼろ切れを纏い、ぼろぼろのショートソードなどで武装していたりする。はっきり言って大して強くはなく、たとえばソード・ワールドRPGでは最初の冒険の敵役になったりする場合が多い。要するに初心者の友。だからこそのわざわざの指名。ちなみに弱い妖魔だなだけに繁殖力が高く、ロードス全土に生息していて、人里近くに出てくることも珍しくない。
ゴブリンシャーマンはその上位機種と言うべきか。精霊語を使うことができ、即ち精霊魔法を使うことができる。肉体的な強さはゴブリンと違いはないが、精霊魔法を3レベルで使えるから、初心者冒険者あたりが敵に回すにはいささかやっかいな相手だったりする。一般的なゴブリンと比べて、もう少しましな格好をしており、今回のこいつはよく分からないカラフルな鳥の羽なんかで派手派手しく身体を飾り立てていた。
そんな連中が遺跡から飛び出してきて、こちらを発見すると大声で鳴き始める。見た目頭が悪そうで実際悪いのだが、意外なことに彼らは独自の言葉を持っている。
「威嚇、だな」
そのゴブリン語の分かるブラドノックが要約して伝えてくる。
「ブラ、後ろのシャーマンは要らんし下手するとやっかいなことになる。その辺中心に適当に──」
「分かった」
皆まで言わなくても、ブラドノックは理解し、即座に呪文の詠唱を始める。
それが敵対行動であることを理解したのだろう、ゴブリンシャーマンが一声上げると、一際大きく鳴き声を上げてゴブリン達がこちらに迫ってくる。
「……」
サシカイアはつばを飲み込むと、こちらも上位古代語の詠唱を開始した。今回使うのは古代語魔法、プロテクション。名前の通り防御力をアップする魔法で、新米ソーサラーのサシカイアでも使えるレベル1魔法。本当はブラドノックが使う方が効率良いのだが、ゴブリンシャーマンの始末を任せた今回は拡大して前に出て戦う3人にかける。
その間にシュリヒテはゴブリンと接敵。剣を振り回して牽制する。
次いでブラドノックの魔法が炸裂。ゴブリンシャーマンは雷撃の網にからみつかれ、その場にすっころんだ。前回は見えない場所で使ったライトニングバインドである。すぐにこんがりと雷撃で焼け焦げて、ゴブリンシャーマンは動きを止めた。この程度の相手にはもったいないくらいの魔法である。
「のわああ」
しかし、ライトニングバインドの発動と同時にブラドノックもゴブリンシャーマンの魔法を喰らっていた。足下から飛び上がった石ころがブラドノックに叩き付けられる。ストーンブラスト、LV3の精霊魔法。抵抗に成功して大事に至ることはなかった様だが、それでも無傷とは行かなかったらしく、痛みに顔をしかめている。
ここで、ようやくサシカイアは自分のミスを悟る。
ゴブリンシャーマンだけでも、遺跡の中にいる内に始末しておいても良かったのだ。そうでなくとも、ここは自分がミュートあたりで真っ先にゴブリンシャーマンの魔法を封じるべきだったのだ。実はこのパーティ、サシカイアは突出して早いが、他の者達はさほど敏捷度が高くないのである。ブラドノックでも期待値以下でゴブリンと一緒だし、ギネスはドワーフだからそれ以下、あたりまえに遅い。とにかく自分は直接戦う、と言うことに頭が行ってしまっており、問題になりそうな敵は先に間引いておけばいいと言う発想が出てこなかったし、あるいは自分が魔法を使って敵を攻撃すると言う方法を初手から除外していた。
やはり、無駄に緊張していて、思考が硬直していたのだろうか。これから先、冒険者を続けるのであれば、あたりまえにもっとシビアな状況に置かれることになるだろう。その時には些細なミスが致命的な状況を招くかも知れない。もっともっと頭をしっかりと働かせなければならないと己を戒める。
──と、サシカイアが周りを見、思考を巡らせていられたのもここまでだった。
ボスが一撃で倒され、一度動きを止めたかに見えたゴブリン達だったが、更に甲高い雄叫びを上げてこちらに殺到してきたのだ。ヤケになったか。あるいは、離れているのは魔法の標的になってまずいと判断したのか。
シュリヒテとギネスがそれぞれ2匹ずつを止めるが、残った1匹が2人を迂回してこちらへやってくる。
ショートソードを強く握りしめる。それは望むとおりの出来事。魔法は使わず、剣で片を付ける。
最初にそう決めていたはずなのに、実際こうして対峙すると、誓いを破りたくなる。
と言うか、逃げ出したい。
恐怖が心臓を鷲掴みにし、足が地面に張り付いたみたいに動かない。
「Gobubu~!」
と、セージLVの低いサシカイアには分からないゴブリン語の叫びを上げて、ゴブリンがショートソードを振りかざして向かってくる。
何処かで拾ったのか、錆の浮いたショートソードが振り下ろされてくる。見ただけで分かる。切れ味は最悪だろう。そんな酷い状態のショートソードだが、それでも頭なんかを思い切り叩かれれば十分に致命傷になる。油断は禁物。
ゴブリンの初撃は問題なくかわせる。特筆するところもない速くも重くもなさそうな一撃。そう、全く問題ない。
なのに、サシカイアは泡を食ってぎりぎりで大仰に避ける。軽くかわして逆に攻撃をたたき込むことは十分に可能。頭ではそう判断したはずなのに、身体が裏切った。攻撃するどころではなく、無様に大きく避けてしまった。いや、避けるのがやっと。
身体が重い。手足が震え、思う様に動かない。シュリヒテの言っていたことが思い出される。殺すのも、殺されるのも怖い。
「Gobububu~」
あざける様に、笑われた様な気がした。
こちらの臆病を見透かしている?
馬鹿にされたと感じても、腹も立たない。立てる余裕もない。
「ちょ、こっちに来るな!」
不意に声は後ろから聞こえ、振り向けばブラドノックが一匹のゴブリンに迫られていた。ギネスが抜かれたらしい。
ゴブリンは頭が良くないとは言え、全く知恵を働かせないわけではない。前にいる硬そうな連中を叩くより、後ろの柔らかそうな連中を叩く方が楽だ。そして、柔らかそうな連中の1人も殺すことに成功すれば、前の硬そうな連中も冷静ではいられない。そんなことを見越したのか。
幸い、ブラドノックは回避の重要性を考え、古代語魔法を教える対価としてサシカイアに盗賊流の戦い方、身のこなし方の初歩的な訓練を受けていた。だからへっぴり腰ながらショートソードを構えてゴブリンに対処しようとしている。倒すのは無理かも知れないが、防御専念でしばらく耐えるくらいならば、何とか出来るだろう。訓練をしていなかったらきっと酷いことになっていただろう。先見の明。これは酷く幸いな事柄──
そんな風に考え、サシカイアは大慌てで飛び退いた。
自分は何をやっている? 敵と対峙しているときに、こんな風によそに気を取られて。よそ事を考えている間は、敵が待ってくれるとでも思ったのか?
もちろん、ゴブリンは待ってくれなかった。
サシカイアの隙をついて接近、容赦なく振られたショートソード。
大慌てで避けようとするが避けきれず、その切っ先がサシカイアの脇腹を叩く。
斬られた?
脇腹に感じた衝撃と熱。
全ての思考が頭の中からすっ飛び、真っ白、パニック状態に陥る。
ゴブリンから視線を切ることが出来ず、代わりの確認と慌ててそこへやった手がぬるりとした感触を覚え、ますます混乱する。
やばい、斬られた。血が出た。大怪我? 死ぬのか?
目の前が真っ暗になる程の絶望感。死への恐怖。
「Gobugobu~」
そこへ、かさにかかる様にゴブリンが迫ってくる。振り回されるショートソード。それが、まるで死に神の大鎌の様に見える。僅かに掠めただけでも、こちらの命を奪いかねない恐ろしい凶器に見える。
脇腹を押さえながら、サシカイアは大きく下がる。ゴブリンに背中を向けることだけは何とかこらえた。背中を向けたら最後だ。きっと簡単に頭をかち割られてしまう。それだけは理解していた。
だが。
よたつく様に逃げるサシカイアは、自分の足に蹴躓いてしまった。
「あっ」
と、思ったときには地面が迫っていた。斬られた脇腹を押さえたまま、おかしな格好をしていたせいで受け身を取ることもできず、左肩をしたたかに打ち付けてしまう。
「Gobu~」
苦痛にのたうつ余裕もない。
勝利を確信したかの様にゴブリンが迫ってくる。
立ち上がる余裕はなく、ショートソードをゴブリンの方に突き出して牽制。しかし、そのショートソードを横から叩かれ、あっけない程簡単に、手の中からすっ飛ばされた。
「──!」
「Gobubu~」
無手になった所へ迫る追撃を仰向けに倒れることによって何とか避け。自分がますます致命的な状態になってしまったことを理解して蒼白になる。
そこへ間髪入れず、ゴブリンが顔めがけて剣を振り下ろしてくる。
その瞬間、時間の流れがゆっくりになって見えた。
元々、たいした早さでもなかったゴブリンの斬撃は蠅が留まる如く。下手をしたら真剣白刃取りなんぞ出来るのではないか、そんなことを考えてしまう程にゆっくりに。
これならば、問題なくかわせると考え、実行に移そうとして凍り付く。
白刃取りどころじゃない。己の動きもまた、蠅の留まりそうな程にゆっくりでしかない。もどかしいまでに身体が動かない。
不意に、父母の顔が頭に浮かんだ。幼なじみの顔が浮かんだ。懐かしい思い出が次々とサシカイアの目の前を通り過ぎて行った。