シュリヒテが非業の死を遂げてあっさり復活した翌日。
一行はアラニアの、ロードス北端の村、ターバ村はマーファ本神殿に移動していた。
マーファ神官の専用魔法、あらかじめ指定しておいた安全な場所へ瞬間移動できるという「リターンホーム」をニースが使い、それはもうあっさりと一行はマーファ本神殿に着いていた。それこそ、瞬き一つ程度であっさりと。
本当であれば、リターンホーム→本神殿で余裕を持ってシュリヒテの復活、の手順の方が正しいやり方だったのであろう。が、そうしなかったのはサシカイアらのパニクリぶりのせい。狼狽え喚き嘆き叫びと大騒ぎ。とにかくシュリヒテを何とかしないと立ちゆかない。使い物にならない。そうニースが判断した為である。
そんな感じでやってきたマーファ本神殿でのサシカイアらの立場は、ニースの賓客。
マーファの愛娘なんて言われる程の重要人物であるニース。その客である。神殿外にテント何かを立てて難民キャンプ状態の避難民を差し置いて、神殿内に部屋何ぞを用意してもらえている。シュリヒテなどは身体がろくに動かないこともあって、年若い神官見習いの少女なんかを世話係に付けられて上げ膳据え膳状態である。ブラドノック辺りは、これを非常にうらやんでいる。
「だって、あんな若くて可愛い子に下の世話をしてもらえるんだぜ? それってなんて素敵な羞恥プレイ?」
との言葉は、残念ながら当人以外には理解し難かった。どこまで行くつもりだ、お前、とヌルイ目で見るばかりである。
そして賓客であると同時に、サシカイアらはマーファ神殿に借金返済の義務を持つ、債務者であった。
シュリヒテに施してもらった蘇生の奇跡は無料では無く、サシカイアらはそれを支払えるだけの金銭を持ち合わせていなかったのだ。
ニースなどは別に無料でも構わないという風であったが、同行していた神官戦士がそれを認めず、きっちりと料金を請求してきた。神の奇跡で金取るのどうよ、と言う人もいるかも知れないが、無料にすれば無料にしたで奇跡を求める人が列をなしてしまい、神殿の通常業務が立ちゆかなくなる。これは最近の救急車の利用者事情なんかを聞けば納得いくだろう。安易に奇跡を求められ、本当に必要な人が割を食う。そんな本末転倒な事は避けたいという事情。だから、マーファ神殿に限らず、神の奇跡の行使に際して料金を取り立てるのは一般的だ。別段、マーファ神殿が特別金にうるさいというわけではない。
そして、当然の事ながら難しい、レベルの高い奇跡程、請求される料金は高くなる。同時に、奇跡を行使してくれる神官の徳が高ければ高い程、やっぱり料金は高くなる。蘇生の奇跡は9レベル。しかも超英雄11レベルプリースト、マーファの愛娘ニースの手による奇跡の行使。当然、すばらしい程に高価である。
更に今回、確実を期すために力を入れて貰った為にオプション料金まで付いて、神官戦士が請求してきたのは銀貨約2万枚。実はこれでも随分おまけして貰っている。いるのだが、それでも思わず目眩を覚える程の高額である。
元々の値段設定からしてぼったくりだろう、と内心思ったにしろ、シュリヒテを助けて貰ったのは事実。しかも、自分たちが確実に助けて貰える様に懇願したのも確か。更に言えば通常支払うべき前金すら払わずに全額後払い、しかも借金を許して貰っているという弱みもある。
そんなわけで、マーファ本神殿にたどり着いたサシカイアらは、料金分の仕事をすることを求められていた。働かざる者食うべからず、おファンタジックな世界とはいえ、金がないのは首がないのと一緒。世知辛いのは変わらないらしい。
ロードス島電鉄
14 はじめの一歩
トイレから出て、サシカイアはマーファ神殿の通路をふらふらと自室に向かう。
何とか時間ぎりぎりで、ウサギにとどめを刺すことに成功した。しかし、そこから解体できる程の余裕はなく、後を任せてトイレに飛び込み、胃の中身を全てぶちまけた。みっともないことこの上ない。
それでも、これは偉大な一歩である。人類にとっては僅かな一歩かも知れないが、自分にとっては画期的で、すばらしい程の一歩だ。そう、アームストロング船長の一歩などより、わかりやすくて身近な分、すばらしい一歩なのだ。千里の道も一歩から。この一歩を最初の足がかりとして、更に次の一歩を踏み出し、そこから更に一歩を、そして更に一歩を──そうやってゆっくりとでも先へ進む。一足飛びに全てを解決できる程、自分は──自分たちは出来が良くないのだから。ゆっくり段階を踏んでいくのが一番である。
とにかく今日はこれで満足しても良いだろう。大きな達成感と、大きな疲労感。その二つを抱えながら、サシカイアは自室に戻ることにした。今日は本当によく働いた。気持ちよく睡眠が取れること間違いない。──間違っても、ウサギの死体を夢に見そうだとか、ネガティブなことは考えない。考えないったら考えない。……だって怖いし。
「あら、サシカイア」
と、通路でばったりであったのはニース。
こちらに戻って来てからは忙しく働いていて、顔を合わせる機会も珍しくなっている。高司祭ともなれば、色々な責任、仕事もあり、日がな一日のんきに祈っていれば良いわけではない。割と毎日忙しいらしい。更に、もともと、アダモ村の事件について、ニース程の大物が出張ることに関して神殿内で反対意見も色々とあったらしい。それでもニースが今の内に一度、魔神と相対してみたいとの希望を押し通して出撃したとの事。さらには緊急事態と言うことでろくな引き継ぎもできなかったそうだ。当然、仕事は滞り、戻ってきてデスクの上を見たときは軽く絶望したという話も聞いた。どんな組織も書類仕事とは無縁ではいられない。今も背後に部下らしき者達を従え、両手にちょっとその量どうよ、と言うくらいの羊皮紙の山を抱えている。
「よう、ニース」
気楽に声をかけたら、背後の部下らしき連中に睨まれた。あまりに気安すぎる、と言うところか。しかし、サシカイアは気にしない。
「今日も仕事、忙しそうだな」
「ええ、避難民が多くて大変。アダモ村の人たちが来る前に、その居住スペースも考えておかないといけないし」
ニースのリターンホームは、アダモ村の人たちをあっさり追い越した。彼らは、未だ街道をえっちらおっちら進んできている。そのほとんどが女子供、そして老人ばかりであること。更に逃げ出す際に抱えられるだけの荷物を抱えて来ているために、どうしたってその移動はゆっくりになる。アダモ、ターバ間は本来一週間もあればたどり着ける距離だが、その倍くらいを見ておくべきだろうという話。あれからそろそろ一週間、ちょうど半分くらい来ている所だろうか。
それでも、各地から難民が流れ込んできている昨今、受け入れ準備を今から初めて早すぎると言うことはない。
「東の森を少し切り開いて、仮設住宅を建てる計画もあるの」
へ~、と頷く。そうしたら、ニースはちょっと変な顔をした。
「てっきり、サシカイアは反対すると思ってたわ」
そう言えば、エルフは森を切り開くとなると、いい顔しないんだった。サシカイアの認識はその程度。中身がコレなので、所詮はなんちゃってエルフなのである。本物のエルフみたいに、心底森を大事に思ってたりはしないのだ。
「無駄に切り開かなければ良いんじゃないか? そうしなければ立ちゆかないという事情も分かる」
と、内心慌て気味に付け足す。変に思われてはまずい。何しろ人に化けるダブラブルグやドッペルゲンガーなんてやばい連中もいるし。こいつ変だぞ怪しいぞ、と疑われて魔女狩りの対象になっては洒落にならない。
「そう言ってもらえるとありがたいわ」
と、ニースが安堵した風に頷く。
「ところで、他の人たちは?」
「ん~。シューは大分回復してきている」
歩ける様になるためのシュリヒテの努力は涙ぐましいまでのモノがあった。羞恥プレイが嬉しい、等というのはブラドノックくらい。とにかく自分でトイレに──と言うのがモチベーションを高め、経過を見ていた神官の驚く程の早さでの回復となった。今日あたりは中庭で剣を振っているところも見た。寝っぱなしで多少身体が衰えているモノの、ほぼ復活したと見てもいいだろう。
「すごいですね」
と、素直にニースが感心している。
「ブラはそっちに言われた、ブラムドの財宝の目録作りに精を出してる」
ニースが手に入れたブラムドの膨大な財宝は、ほとんどが手つかずのままで神殿の宝物庫に眠っている。その中の魔法の道具類は、アラニア賢者の学園への売却が決定している。──が、あまりに数が多すぎ、価値が高すぎるために一括で、とはさすがに行かず、毎年少しずつの取引をして行こうと言う契約がなった程度。今頃、賢者の学園では、購入のための予算のやりくりがなされているだろう。
これで一見問題なさそうであったが、実は大きな問題があったりした。
それは、マーファ神殿側では、魔法の道具類の価値がよく分からないと言うこと。
やはり餅は餅屋と言うべきか、古代魔法王国期のマジックアイテムについてよく分かるのは魔法使い達である。それも所詮は比較してであり、完璧に、と言うのには遠いが。それでも、専門に研究しているだけのことはあるのだ。専門外のマーファ神官とではその知識量が違いすぎる。
だから、魔法の道具類の値段については賢者の学園の言い値に近いモノがあり、それを懸念する向きもあったのだ。騙される、とまでは行かないにしろ、あちらに都合の良い値段設定にされるのでは?、と危惧を抱くのは当然のこと。そこへ、賢者の学園とは関係のない高位の魔法使いであるブラドノックがニースとともに現れたのだから、この機会に目録を作ってもらおうと神殿側が思い立ったのだ。大きな貸し付けがあり、こき使うのに躊躇う必要がないのがすばらしい。
かくして、ブラドノックは使い魔契約の儀式どころではなく、それどころか女子更衣室や女風呂に近付くこともできず、本神殿についたその日から宝物庫に放り込まれて目録作りに精を出している。
「……大変みたいですね」
財宝の量を知るニースが、ちょっと同情するみたいな声を出す。
「大丈夫大丈夫」
しかし、サシカイアはあっさりと手を振って、同情の必要はないと告げる。
「アレはアレで楽しんでるし。と言うか、ロードス最後の太守って、なかなかイイ趣味してたみたいで、ろくでもないアイテムも少なくないから……」
ブラドノックがニコニコしながら持ってきたマジックアイテムの数々を思い出して、サシカイアは顔をしかめる。魔法のパンツとか魔法のドロワーズとか魔法のタンガとか魔法のブラジャーとか魔法のペチコートとか魔法のコルセットとか魔法のガーターとか魔法のニーソとか魔法の猫耳とか魔法のメイド服とか。何というか、古代魔法王国は滅びるべくして滅びたんじゃないだろうか、そんな風に思わせるキワ物マジックアイテムの数々。ソレらがやけに高い魔力が付与されていたりするからまた困った話で。是非に身につけてくれと言い出したブラドノックの言葉をはね除けるのに、少し悩んでしまった。低い生命力が悩みの種のサシカイアには、ダメージ軽減の大きい+3で品質のやたらといい魔法のメイド服とかは、ものすごい誘惑であった。
「………そう言えばそうでしたね」
と遠い目をするニース。こちらも多分、手に入れた時にその種のアイテムを目にしているんだろう。
「で、ギネスの方は──」
と、間抜けな方に話が行きかけたので、軌道修正。
「あいつは、ドワーフの鍛冶屋の手伝いをしてる」
マーファ本神殿周りで、鍛冶の仕事をしているドワーフがいて、ギネスはそこで手伝いをしている。あるいは、そのまま弟子入り就職する気かも、なんて懸念も。だが、それならそれもアリじゃないか、そんな風にサシカイアは思っている。もちろん、仲間の戦力減少は痛いが、ギネスにはそちらの方が向いているのではないかとも思うのだ。
そして、自分自身にも。
あるいは、冒険者なんてマネをするのはやめて、どこかで平和に暮らすのもアリじゃないか。そんな風にも考えている。殺しに慣れようとウサギを捌くのに挑戦してもみた。確かに一歩先へ進んだが、先がとてつもなく長いのも理解した。あるいは別の、もっと向いている仕事があるのであれば、そちらへ向かうのもアリじゃないか。そんな思いも小さくないのだ。
そして、こんな事を考えているときに限って。
「それじゃあ、この話はどうしましょうか?」
う~ん、と少し考えてたニースだが、そちらに結論は委ねます、とばかりに口を開いた。
「言われていた、ゴブリン退治の依頼がこちらの方に入ってきたんですよ」
ええと、と、ニースは苦労しながら手持ちの羊皮紙の中からその依頼書らしきモノを取り出して、こちらに手渡してくる。
ニースの言葉通り、サシカイアはそう言った仕事があったらこちらに回して欲しいとニースにお願いしていた。この先冒険者として身を立てると仮定して。それならば、まずはその登竜門、初心者の仕事として、ゴブリン退治をすべきだろう。いや、ゴブリンにこだわるわけではないが、何か簡単な仕事を。魔神相手に戦った後でゴブリン退治というのは順番が違うかも知れないが。とにかく、自分たちが冒険者をやっていけるのかどうか、その辺りの確認をしたかったのだ。巻き込まれたわけではない。勢いとノリで突き進むわけではない。しっかりと考えて。己にその意味を問い。殺したり殺されたりする覚悟を持って。冒険者という仕事に向き合う。その必要を感じ。そのための仕事がゴブリン退治だ。
全身の血が冷えていく。つばを飲み込む音が、大きく響いた様な気がした。
「今回、私は同行できません。あなた達4人で、この仕事をして貰うことになります」
ソレはあたりまえだろう。そして、そうでなければいけない。
ニースが。ニースに限らず他の者がいれば、そちらにきっと頼ってしまう。
ただ、自分たちだけの力で、この仕事をしなければならないのだ。仕事に向き合わなければならないのだ。
冒険者として身を立てようと言うのであれば、それだけの覚悟が必要なのだ。
「……とりあえず、保留で。とにかく、他の3人の話も聞いてみなければならないから」
とか言いつつ、サシカイアの口から零れたのは問題の先送りだった。