砦には慎重に接近した。野外生活の専門家、レンジャーレベルの一番高いのはシュリヒテだが、残念な事に彼は金属鎧、歩けば当然やかましい音を立てる。なので、先陣切るのは次点のサシカイアの役目になった。狩人さんには、ここから先戦闘になった場合には足手まといになるため、一足先に帰って貰っている。
なんてこったと内心ぼやきながら、サシカイアは慎重に砦に近付いていく。時々止まって周囲を伺い、適当速攻で決めたハンドサインなんぞを後方に送りながら、ゆっくりと砦に向かう。
慎重に動物たちの足跡、ふん、マーキングなどの痕跡を調べ、危なそうな場所は避けて移動したため、予定よりは時間がかかったものの途中変なエンカウントは無く、無事に砦近くにまでたどり着く。
ここからが本番。サシカイアは一つ大きく深呼吸して、これまで以上に慎重に歩を進める。
近くで見る砦の壁は大分壊れているが、かつては高く堅牢だったんだろうと思わせる。いくつもの大きな石を組んで積み上げしたそれに、攻め寄せるのにはどれくらいの度胸が必要なんだろうかと考え、自分にはたぶん無理だと結論する。
後方を振り返って、ブラドノックを見る。
砦が近付いた事もあり、ブラドノックは先刻、シースルーの魔法を使用している。30メートルの範囲内を障害物すら透過して見る事の出来るというこの魔法は確かに便利だが、使い手の事を考えると酷くやばい魔法だと思う。とりあえず、女風呂のそばをブラドノックが彷徨いていたら殺しても構わない程度にはやばい。なるほど、魔法使いが忌み嫌われるわけである。
しかし30メートル、微妙な距離である。小さいとは言え砦の全てを見通すには距離が足りないが、とりあえず防壁の上とかを見て貰い、何かおかしな生き物がいないかを確認する。
大丈夫とのハンドサインを受けて、慎重に防壁の下まで接近。何も怪しげな部分がない事を確認して、後続を呼び寄せる。
「……入り口に回らないのですか?」
ニースが声を抑えながら質問してくる。
サシカイアが選んで接近したのは、まだ完全に近い形で防壁が残っている一角。入り口は別にあるし、他にも防壁が崩れた場所なんていくらでもある。一見、内部に侵入するには一番適していない場所としか思えない。しかし、サシカイアには便利な精霊魔法がある。
「大丈夫、石壁だからトンネルで穴があく」
この砦跡に魔神がいると仮定して。ならば、出入りしやすい場所には、やっぱりそれなりの対処がされているだろう。だから逆に、出入りしにくい場所こそ安全ではないか、そうした判断である。そして、精霊魔法のトンネルであれば石の壁に半径1メートルの穴が容易に開けられるから、この場合たいした障害物にはならない。
「そうだったのですか」
それを簡単に説明すると、ニースが思った以上に感心してくれた様子。なんだか微妙に喜べない。それくらい、感心しすぎだと思う。考えてみれば、ニースの前では間抜けなところしか見せてこなかった。それを思えば、これくらい感心されてしまうのも仕方のない事かも知れない。……理解は出来てもやっぱりへこむけど。
「──で、ブラ、どうなの? いないよね、敵」
緊張で顔を青ざめさせているギネスが願望たっぷりに質問する。是非ともいないで欲しい、そう考えている事は一目で知れた。全く、それくらいならば、初手からここに来る事を賛成しないで欲しかったと改めて思う。
「あ~」
しかし、願いは叶えられない。
「残念。ビンゴだ。魔神がいた」
ブラドノックは大きく首を振った。
ロードス島電鉄
10 隠し砦の4悪人
「ど、どうするのさ」
「落ち着けよ」
ますます青い顔になったギネスにサシカイアは素っ気なく告げると、ニースに砦の見取り図を広げて貰う。
表面上は平静を装っているが、実はサシカイアも心臓がドキバグだ。しかし、こちらが慌てるとギネスが恐慌を起こしそうなのでがんばって表には出さない。こんな敵のそばでパニックを起こされ、騒がれてばれて用意もないままに戦わなくちゃならない、なんてのは絶対に勘弁だ。
ブラドノックに見取り図を示し、何処に何がいるかを教えて貰う事にする。
「ええと……」
ブラドノックは目を細め、まるで近視の人が遠くを見る様な顔になり、ぐるりと視線を巡らせていく。
「ここと、ここ、これはアザービーストだな」
そんな具合のブラドノックの報告を、ニースが見取り図の上に書き込んでいく。敵の配置から見るに、予想通りと言うべきか、門や壁の崩れ目なんかを警戒していて、きっちり壁の残っているこちらにはほとんど注意を払っていない。
要するに考え方に間違いはなかったと言う事。
ふふん、と薄い胸を張ってみせるサシカイアだが無視された。ちょっと悲しい。
その横で、ブラドノックが更に詳細にチェックをし、中の様子を知らせていく。
「敵のレベル的には大したこと無いのか?」
「アザービーストメインなら、この人数でも大丈夫か?」
そんな相談をシュリヒテとしていたのだが、早計だった。
「いや、まだ地下が──」
と、呟いたブラドノックが嫌な感じに沈黙。
「どうした?」
「あ~。やばそうなのがいた」
ここ、と、地下の一室を指さしていった。
「ミミズク頭に山羊の身体──マリグドライか? いや、何か微妙に強そうな気もする。うまく言えないが、なんとなく下位魔神と言うよりも上位っぽい感じ? あと、同じ部屋にケルベロスがいる」
マリグドライがやっかいなのは、幻覚攻撃を仕掛けてくる事。それで精神力にダメージを与えてきて朦朧とさせ、最終的にはマリグドライに自由に操られる下僕状態にされてしまう。そうなると、トランスファーで精神力を譲ってやっても回復しない。唯一マリグドライを倒すしか、その状態から脱却する方法はない。また、マリグドライがケルベロスを従えているというならば、それよりも強そうだと推測する。ケルベロスのモンスターレベルは確か8。それより強いとなると、かなりやばそうだ。チートな自分たちの能力でも、油断は出来ない。少なくとも、アダモ村を襲ってきた連中とは比べものにならないこと確実。
ちなみにケルベロスの方は首三つの黒犬で、なんと火まで吹くという怪物である。簡単に言えば、アダモ村に攻め寄せたヘルハウンドの首の増えた奴。上位機種といったところか。
「さて、帰ろうか」
サシカイアは回れ右をする。
その肩をやっぱりニースが掴まえる。
「いい加減、まじめにやってください」
「いや、まじめな提案なんだが…」
眉根を寄せて窘めるニースにサシカイアは言い返す。
「この部屋の構造みると、かなりやばくないか?」
さすがは砦、と言うべきか、マリグドライが陣取った部屋へ至る道はうまく計算されて作られている。複数人数並んで戦うには難しく、対して、待ち受ける側は部屋への侵入者を囲む様にして戦う事が出来る様になっている。ぶっちゃけ戦争でそこまで踏み込まれれば勝敗なんて明らかだろうから、無駄なあがきにしかならないだろうに。もっとシンプルで攻めやすい構造にして欲しかった、とは勝手な感想。
この場合、こちらの攻撃に気が付けば、近場のアザービーストやグルネルあたりもその部屋へ移動して待ち受けるだろうし、先頭切った人はタコ殴り。かなり厳しそうだ。また、ケルベロスに火を吹かれたら、後ろで渋滞している者ごと、全員巻き込まれました、なんて事になりかねない。いや、気を付けないときっとそうなる。
そうでなくとも、マリグドライの幻覚も多人数をいっぺんに巻き込む攻撃だし。レベル的にサシカイアらやニースはもしかしたら大丈夫かも知れない。だが、他の神官戦士やドワーフはかなりやばそう。かと言って彼らを戦力に数えないと壁役、いや前衛が足りなくなる。
戦うとすれば、シュリヒテの突破力に期待して何とか部屋に突入。他の者も続いてのガチンコ。こんな形になるだろう。いつまでもシュリヒテ1人だけ突出させておく訳にはいかないから、並んで戦う前衛が必要になる。しかし、それでニースやサシカイアが前に出るには不安がある。ニースはプリーストとしては超一流だが、戦士としては3レベル程度。サシカイアはシーフで柔らかすぎる。そうでなくとも貴重な癒し、魔法戦力だし後方からの援護をすべきだろう。……決して自分が安全地帯にいたいからと言う理由だけではない。
ギネスなら十分に壁役をこなせそうだが、戦いの歌や、てんぱっている事を考えるに、こちらもやめておいた方が無難だ。まともならレベル8ファイターですごく期待できる戦力なのだが……
「それは…」
と、ニースも顔を曇らせる。攻めない、と言う選択肢はないにしろ、苦労するだろう、と言うのは共通見解らしい。それは幸いだ。楽勝ですから突っ込みましょう、とか男前な事を言われても困る。
「だから──」
と、口を開き、ブラドノックがにやにやしているのに気が付く。なんだかこいつ、余裕がある。おまけになんか非常にむかつく。そう、プリーズを言わせられたときの事を思い出す笑みだ。
「サシカイア、頭を使えよ」
案の定と言うべきか、まるで物わかりの悪いワトソンに向かってホームズが嘆いているみたいにして告げてきた。
「良いか、俺はシースルーで敵が見えてるんだぜ?」
「…………」
ぽくぽくぽくぽくと木魚の音が響く様な沈黙。
「あ、そうか」
とブラドノックが何を言いたいのか理解したらしいギネスの声。
「なるほど」
と、シュリヒテも頷く。
「ほら、サシカイア、オフィシャルなリプレイを思い出せ。あのシチュエーションだ。敵も同じだろ」
「おぉ」
さすがにここまで言われれば思い出す。しかし、自分の頭の巡りが一番悪いみたいなのはむかつくなあ、と内心では嘆いてたり。
「それじゃあ、みんなで言うぞ」
そんな必要は全くないのだが、ブラドノックが提案し。
「せーの」
「ライトニングバインド」
揃って唱和すると、にやりと笑う。そう、新ソードワールドリプレイの、魔女ラヴェルナのやり方。ライトニングバインドは、視界内の任意の場所に突然出現するたぐいの魔法である。つまり、見えていれば遠距離から、壁を通り越してでも攻撃が可能なのだ。全く、なんてすばらしいインチキじみた魔法だろうか。そして更にすばらしきはこの方法を最初に思いついた人たち。さすがはプロ。
それにしても3人ともなんて悪者の笑みだろうか、とサシカイアはちょっぴり引いた。端で見ていたニースは事情が分からず「?」を頭の上に浮かばせていたが、この笑みに僅かにのけぞっていた。それくらいの悪者の笑みだった。
そう思っていたのだが。
「しかし、サシカイア、お前の笑みは黒いな」
「俺か?」
吃驚してサシカイアは聞き返す。
見るとニースも大きく頷いていた。
残念な事に、ライトニングバインドは単体を攻撃する魔法なので、マリグドライのみにしか効果はない。対象を拡大したいところだが精神力的な問題がある。射程距離の問題から魔力の拡大をせねばならず、それをすると神官戦士にトランスファーして貰って精神力を満タンにしても、対象を増やすには足りなくなるのだ。とは言え、ボス敵がいるといないでは大きく話が変わってくるだろう。先制で一方的に倒せるのだから、それで十分とすべき。これ以上贅沢を言っても仕方がない。さらにはその後の戦い方についてもいくつか確認、アイデアを出し合う。
相談がまとまると、早速ブラドノックが呪文を唱え始める。移動や偵察にかなり時を費やしている。早めにけりを付けたい。身振り手振りの、もにょもにょと詠唱。
「よしっ」
そしてガッツポーズ。かなり良い具合に魔法が成功したらしい。
見えないが、この瞬間、建物の中ではマリグドライが雷の縄に捕らわれているはずだ。この縄は18ラウンド=3分束縛を続け、同時にレーティング表20+ブラドノックの魔力分のダメージを与える。減算できるのはモンスターレベルだけ。きっちり決まれば、その瞬間に勝負が付いた様なモノだろう。
気配を探るに、砦の中が少しばかり騒がしくなった様にも感じる。攻撃を受けた。それが、他の魔神やその眷属にも伝わったのだろう。だが、この攻撃方法の良いところ、卑怯なところに、容易にどこから攻撃されたか分からない事がある。こちらに気が付く前に、ケリを付ける事だって難しくない。だから今の内に一気にたたみかける。
次はサシカイアの番。
既に精霊に対する語りかけは終えている。こちらはシースルーなんて便利な魔法を使えないのでトンネルで壁に穴を開けて視界を確保。見るだけなので、威力を絞って小さな穴にしたから、これを発見されたとしても、敵の反撃をあまり考えなくて良いだろう。更に、本命に呼びかける。
「──っ!」
ぎょっとした様に、サシカイアの脇にいたニースが身を引く。
サシカイアの横に、巨大な獣が現れていた。大地の精霊王ベヒモス。
「それでは先生、お願いします」
どおれ、とは応じなかったが、ベヒモスはのそりと一歩前に出て、その前足を振るった。勢いよく大地に叩き付ける。
「──うわっ」
サシカイアは思わず感嘆の声を出してしまった。
それは、奇妙な眺めだった。
地震大国日本。あたりまえに、サシカイアらには地震の経験がある。だから、ある意味地震には慣れている。いるのだが、これは酷く奇妙な地震だった。
目の前の壁やその向こうの大地、建物は恐ろしいくらいに大きく揺れている。だと言うのに、自分たちの立つ大地は全く揺れていないという、局所限定的な地震。そんなモノは見た事も聞いた事もない。自分でやっておいて感嘆してしまう、非現実的な光景。すごいモノである。精霊魔法、その名もズバリ、アースクェイク。
こちらはライトニングバインド同様、18ラウンド継続して与えるという凶悪なダメージもさることながら、もう一つ付随的な効果を期待していた。
それは、建物の倒壊。普通の建物であればひとたまりもなく崩壊、条件次第では土砂崩れや崖崩れも起こりえる。そう言うレベルの地震なのだ。
さすがに砦や城という様な、堅牢な建物まで崩壊させるのは難しい。難しいが、元々老朽化が進み、更に先だってにも大地震でダメージを受けていた砦である。アースクェイクの魔法単体では無理だとしても、累積ダメージで構造物破壊となる事を期待しても良いだろう。多少、虫が「良い」考えかも知れないが、虫が「良すぎる」程ではないだろうし。
そうなってくれれば、もし万が一、マリグドライがライトニングバインドに耐えきったとしても、束縛されてほとんど逃げようのない状態、建物の崩壊に巻き込てひとたまりもないはず。うまくいけばケルベロスなんかもぺちゃんこになってくれるだろう。だから、是非に壊れて欲しい。
と思っている矢先に、塔が崩壊した。根本からへし折れる様にして倒れていく。それも、運が良いことに、建物の方に向かって。
塔の直撃を喰らって、盛大な土煙を上げて崩壊していく建物部分。これならば、地下部分も酷いことになっていること、ほぼ確実。
「よおし」
とにかくこれで大体ケリが付いただろうと、ガッツポーズをするサシカイア。
「あれ? ちょっと、やばくないか?」
と、ブラドノックが水を差す様に指さすのは、一行の目の前にある防壁。
防壁も魔法の範囲内。かなりやばい感じに揺れていた。いや、確実にやばい。その証明みたいに、脇に防壁を構成していた巨大な石が落下してきた。軽いサシカイアが衝撃で飛び上がってしまうくらいの巨石だった。命中したら一発でぺちゃんこだろう。
どうやら、こちらの累積ダメージも相当なモノだった模様。
「……」
「……」
顔を見合わせる二人。
「おおぃ。早く逃げた方が良いぞ」
シュリヒテの声は、遙か後方から。見れば、他の連中は既に安全な距離を取ってこちらを見ている。
「ちょ、おまえら」
「良いから逃げるぞ」
あまりに薄情な仲間に文句を言おうと口を開くブラドノックを黙らせて、サシカイアは後ろも見ずに逃げ出した。
直後、二人の背中めがけて防壁が盛大な音とともに崩壊した。