バルドス率いるソシアルナイト隊、フレアー率いるドラゴンナイト隊、スレーター率いるアーマーナイト隊。この日、ナーシェンの邸宅に、騎士に叙勲された者と、その騎士に指導を受けている従騎士が集まっていた。
場所は庭先である。
そこには、なぜか幾つものテーブルが並べられていた。
騎士たちは整列し、テーブルの上に飛び乗った主君を仰ぎ見た。
「諸君」
この少年の声は、なぜだかわからないがよく響くのである。先頭の者から最後尾の者まで、すべての者がその声に耳を傾けた。
「これより私が言うことを三回復唱せよ」
どのような重要なことを言うつもりなのだろう。騎士たちはゴクリと生唾を飲み込んだ。
身構える騎士たちに、ナーシェンはこう呼びかける。
「ナーシェン様は美しい」
「「「………………」」」
無反応。
ナーシェンは額に青筋を浮かべ、傍らの少女に声をかけた。
「ジェミー」
「はーい」
その言葉を待っていたのか、少女はファイアーの魔道書を振り回しながらテーブルに飛び乗った。
瞬間、すべての騎士が身を竦ませる。
「「「ナーシェン様は美しい!」」」
「「「ナーシェン様は美しい!」」」
「「「ナーシェン様は美しい!」」」
異常な光景だった。だが、それも仕方がないことだ。
先日のバルドス丸焼き事件はまだ彼らの記憶に新しい。かつては寡兵でエトルリアの軍勢を何度も退けてきたバルドス。その用兵ぶりから『鬼謀の男爵』と恐れられていたが、先日の事件以来、その異名で呼ばれることはめっきり少なくなった。
今では『火達磨男爵』である。ナーシェンが爆笑しながらそのことを伝えると、当人は相変わらずの冷たい眼差しのまま「左様ですか」と答えたという。が、流石の彼も怒りを隠し切れず、眉間をピクピクと痙攣させていた。
竜騎士隊に混じってその光景を見ていたジードは、所在なさげに肩を落とした。
「俺の妹って、何なんだろう……」
八歳の幼女である。
【第2章・第2話】
ナーシェンは騎士たちを睥睨してから、こう呟いた。
「アーマーナイト隊の連中が、最もやる気を感じさせなかった」
残念そうに溜息をこぼし、ナーシェンは背後を振り返る。
そちらでは侍女たちが整列し、ナーシェンの命令を今か今かと待っていた。
「記念すべき犠牲者第一号はスレーター、君に決めた」
その声を聞いた侍女のひとりがスレーターの前に進み、ティーカップを差し出した。
スレーターは不審げに眉をひそめながらカップを受け取る。
飲めばいいのか? と首を傾げるスレーターに、侍女はにっこりと微笑みながら頷いた。
「ふむ、では失礼して……ぬっ」
違和感は口にした瞬間に広がった。スレーターの指先から力が抜け、カップが地面に落下する。
がしゃん、と重たい音がした。
ナーシェンは地面にぶっ倒れたアーマーナイトを眺め、顎に手を当てた。
「ふむ。まぁ、予想通りといえば予想通りだな」
「麻酔の原料になる薬草から作った茶ですから」
侍女のひとりが残念そうに呟く。件の侍女である(説明するまでもないだろうが、トラヒム卿の以下略)。
彼女の村では薬草の調合が盛んなのだそうだ。その代表的な産物が『きずぐすり』である。こちらの世界でも漢方に似た文化が存在しているらしい。
そんな彼女の知恵を借りて、領内からありとあらゆる植物を集め、とりあえず茶にしてみた。
ここに集められた騎士および従騎士たちは、その毒見および実験台だった。
「アーマーナイト隊整列。これは美味い茶が見付かるまで続けるからなー」
瞬間、すべての兵士が回れ右をした。
「ジェミーちゃんサンダー!」
そして阿鼻叫喚の地獄絵図が描かれる。
感電してぶっ倒れた騎士たちの図、復活した兵士たちが順番に侍女たちに毒茶を盛られる図、本気でゴートゥーヘルしかけている騎士が山のように積み重なっている図。
ジードは涙を浮かべながらこう言った。
「もうやだ……この騎士隊……」
―――
エレブ大陸には茶の文化は広まっていない。食の細った病人が飲む薬湯に中国茶に似たものがあったが、趣向品にはなっていない。
ナーシェンは前の世界の紅茶のようなものがあれば、必ず流行すると考えた。
前の世界で千年以上も愛されてきた飲料なのだ。
ナーシェンは「これが人の業というものか」と中二病っぽい台詞を呟きながら、ようやく見つけ出された茶葉を眺めた。山奥の水の綺麗な場所に生えるススキに似た草である。発酵させても楽しめるという、ぶっちゃけ紅茶と同じ葉っぱだ。
もう名前も茶にしてしまおう。青いものは緑茶、発酵させれば紅茶。その方がややこしくない。
「君たちの犠牲は忘れない……」
犠牲になった騎士たちも、燃え滾る憎悪の心を忘れないことだろう。
それはさておき、ナーシェンはどうやってエレブ大陸全土に茶を広めるか考えることにした。
まずはやはり、茶葉に等級をつけて差別化を計るべきだろう。
貴族や神官などの高値で、かつ継続的に購入してくれるであろう優良顧客の茶葉と、庶民が気軽に手を伸ばせる価格帯の茶葉に分ける。こうすることによって、ただの貴族趣味には終わらせず、全体的な利益の底上げを狙う。
その前提として、大規模な農園を用意する必要がある。
著作権や特許などの概念が確立していない大陸では、茶産業の独占は難しい。そのため、市場競争に打ち勝つことを考えなければならない。貴族用の商品は品質を、庶民用の商品は低価格を実現させるための最も簡単な方法は、管理された大農園を運営することである。
こうして得られた利益は都市計画の予算に回される。
投入できる資金が増えれば、神立地でなくても発展速度を上げることもできるはずだ。
「うん、我ながら完璧な作戦」
ナーシェンは自画自賛し、金のなる木に見えてきた茶葉に頬ずりした。
―――
エレブ大陸南西のミスル半島。茫洋たる砂漠に覆われており、ほとんど人の住めない大地の深部に、大賢者アトスが造り上げた『理想郷』があった。
人と竜が共存するナバタの里。
だが、今となっては竜と呼べる者はたった一人を残すのみである。
人と竜との決戦で神将器と竜の膨大な力がぶつかり合い、世界を崩壊させるほどの力が秩序を崩壊させ、世界は竜にとって生き難いものになってしまった。竜石がなければ竜の姿を取ることができなくなった。
秩序の崩壊で戦う力を失った老人は、砂嵐の中を歩いている少女を見つけた。
「また、外を出歩いておったのか?」
「……はい」
物静かな少女である。
老人は自分が話しかけなければ、この少女が何も話さないことを知っていた。
「たしか、『闇』だったか?」
「……あ、はい。半年ほど……前から」
「その『闇』はまだ変わっておらんのか?」
「はい……。ずっと暖かい『闇』のまま……。『闇』なのに……暖かい……」
老人にはよくわからなかったが、この少女は何か特別な力を持っているのだという。
半年ほど前、彼女は遥か遠くで『闇』が生まれたと呟いた。『闇』とは不吉な、と老人は思ったが、少女はその『闇』について語る時、普段よりも楽しそうにしていた。
表情も言葉も普段のものと何ら変わりないのだが、老人にはわかった。付き合いだけは無駄に長いのである。
「その『闇』が我らに安息をもたらしてくれればいいのじゃが……」
老人の脳裏に浮かんだのは、封印された一人の少女だった。