「あー……諸君らは今まで平民だったが、とりあえずは従騎士として登用させて貰う。一代限りで世襲は許されないが貴族だからな。ブラミモンド家の家臣として恥ずべき行動は慎むように」
「ナーシェン様。新兵の教育は是非ともこの私に……」
「貴様は消えろ、ブラッド。後日何人か灰汁の強いはねっかえりを見繕ってやるから」
新規に200人も登用すると、何人かは反抗的な者が出てくるものである。普通は海兵隊っぽく「いいか、今日から貴様はウジ虫だ。喜べ、サル以下だ」と教育して、反骨精神を叩き折るのだが、ブラッドに任せれば従順になるだろう。人身御供でもある。
ナーシェンはゴホンと咳払いしてから、緊張を表情に滲ませている者たちを見回した。
「騎士に求められるのは武略だけではないからな。礼儀作法や芸術にも通じておかなければならない。教養のない騎士など、当家には必要ない。そんな奴ら、山賊と変わらないからな。それを心得て精進を忘れるな。わかったか」
「「「はい!」」」
「いい返事だ。さて、堅苦しい話はここまでにしよう。明日からは厳しい訓練が待っているが、今日はそれは忘れて楽しめ。大いに飲め。諸君らが当家に忠誠を誓うなら、私は君たちに様々な形で報いよう。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
【第7章・第4話】
イアンが使用人たちに混じって城の掃除をさせられたり、羽目を外しすぎたブラッドが地下牢に放り込まれたりして新兵増強はつつがなく終了した。彼らの憎悪は新妻との新婚生活のために休暇を取っていたフレアーに向けられたり、空気と同化して上手いこと仕事から逃げ出したスレーターに向けられていたが、それはまた別の話。
翌朝、ナーシェンは例のごとくロイに殺されてから目を覚ました。
三竜将はゲイルに譲ったのに、何だかんだ言ってこうしてロイに殺されるのである。「おのれナーシェン!」は聞き飽きた。どうしてエレブ大陸の巨悪にされるのだろう。ナーシェンは不思議で仕方がなかった。
この悪夢もさんざん見てきたため、もう慣れてしまっている。とは言え、滝のような汗が流れるのは何時ものことだった。最初は妻たちに何かの病気かと心配されていたが、今では心得たもので、何も言わずに布で汗を拭ってくる。
「ナーシェン様、お身体にお触りはありませんか?」
「……いや、問題ない」
ナーシェンが身体を起こすと、ジェミ-は器用に身体にシーツを巻き付け、ナーシェンの衣服を棚から取り出した。両腕を広げると、バサッとローブがかけられる。
朝風呂に向かう。
ナーシェンは風呂好きだった。日本人としての血が、そうさせるのだろう。
……いや、血は流れていないか。
「ふぅ……」
底に鉄を貼り付けた風呂桶を何時でも盾にできるように側に置いてから、ナーシェンは湯船に沈み込んだ。水面に移る顔が、ゆらゆらと揺れている。西洋人じみた顔。それが、ふとした拍子に日本人のものに変貌することがある。
ナーシェンは水面を手でなぎ払った。だが、そこに移っているのはかつての顔だ。
「忌々しい。他ならない、私自身が」
舌を打つ。まだ執着しているとでもいうのだろうか。
「ナーシェン、背中を流しにきたわよ」
「ぶっ!」
恥じらいながら風呂場に入ってきた正妻の姿に、ナーシェンはむせた。咳き込んだ。
ゲホゲホと咳き込むナーシェンに、リリーナが不安げな顔をして、慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫? もしかして、迷惑だった?」
「いや、そんなことはない。お前は私の妻だろ。遠慮はいらないさ」
「そ、そうよね。ごめんね、ナーシェン」
抱きついてくるリリーナを受け止める。ナーシェンは暴走しそうになる理性を抑えつけるのに苦労した。それも、リリーナのあどけない顔を見ているとすぐになりを潜めたが。
「えへへ。あったかいね」
「ああ、そうなんだけど。何だかなぁ……」
湯船に移っている顔は、何時の間にか、金髪の青年に戻っていた。
――――
『灰色の狼』ダヤン。サカの出身として、一度は会っておきたかった。
なるほど。確かに、用意された椅子に座しもせず、鋭い猛禽のような目で主君を睨み付ける様は、一部族の長に留まらないものがあった。神騎兵ハノンの再来とうたわれるのも頷ける。
目の前の男が、サカ草原の神殿(と言っても風化しており、遺跡と言っても差し支えはない)に奉納されている『疾風の弓』ミュルグレに触れることができる、唯一の人物らしい。しかし、この男は「分不相応な欲は持つものではない」と、ミュルグレに触れたことはないと言う。稀代の英雄、人格も申し分なく、サカの民の尊敬を一手に引き受けている人物だった。
ナーシェンの護衛に就いていたフィルは、英雄の貫禄に気圧されていた。
だが、ナーシェンは警戒心を剥きだしにして座りもしないダヤンを一瞥すると、勝手に椅子に腰掛けて足を組んだ。乱暴な振る舞いだが、この青年がすると気品が損なわれないのが不思議だ。
ナーシェンは喉を塗らすためか、紅茶を一口すすると、おもむろに口を開いた。
「武器防具、食料ほか物資の提供」
ダヤンは眉を寄せた。
「………………何故だ?」
「有り体に言えば、サカに統一王朝でも作られると、こちらが困るからですよ」
「心配は無用。モンケにそれほどの器はない」
「モンケにはなくとも、エトルリアの力を背景にすればそれが可能になるのです」
「貴様はサカをどうするつもりだ?」
フィルは戸惑った。飛び飛びの会話に理解が追いつかない。同席していたサラも首を傾げていた。
しかし、この二人には意志が通じているらしい。ナーシェンに敵意が向けられるのも、ダヤンがナーシェンの思惑を見抜いているからだろう。
「率直に言わせて貰う。貴様にとって、サカの内輪揉めなぞ興味もなかろう。エトルリアがサカを属国にすれば、批難を表明してからサカを蹂躙すればいいだけのはず」
「わかっているのに惚けるつもりですか? モンケがエトルリアの支援を受けた時点で、サカの命運は決定付けられているのですよ。それが理解できない貴方ではないはず」
そう、それは――。
「ベルンの支配下に入るか、エトルリアの支配下に入るか」
「………………下げたくない頭を下げることになるとはな」
そして、ダヤンはようやく席に着いた。不機嫌そうな態度を崩さないまま。
最後までフィルたちには理解できない会談だった。
「私たちはよき友人になれそうだ。貴方の英断は、後世に称えられることになるでしょう」
ナーシェンは薄っすらとした笑みを浮かべた。
――――
その時、ナーシェンは表面上は余裕を保っていたが、内心では冷や汗をだらだらと流していた。老齢に差し掛かっているのに、そこらのオッサンよりも若々しい。カレルもそうだが、サカの民というのは若作りなのだろうか。
そして、この威圧感。
ゼフィール王には及ばないが、この老人にも間違いなく王としての貫禄が備わっている。
しかし、交渉が上手く運んでよかった。
このままではジュテ族がサカを治めるのは時間の問題だろう。だが、エトルリアの後ろ盾を得ている時点でベルンの侵略の口実になる。
支援を受けるか受けないか、二者択一のように見えるが、ダヤンには選択肢はひとつしかない。
『ベルンの支配下に入るか、エトルリアの支配下に入るか』
サラの持つ人脈で接触することはできたが、平時ならナーシェンとの会談に応じることはなかっただろう。ナーシェン側に引き込めたのも、エトルリアの圧政よりはベルンの統治の方がマシだと考えたからだ。ベルンがサカに暴政を敷いたら、この男はオセロをひっくり返すかのようにエトルリアに寝返るか、ゲリラ化するだろう。今後の戦略展開の頭の痛い問題だ。
さて、あとはベルトラン兄弟だが……。
(あれは戦術家としては優秀そうだが、戦略家としては二流のようだな)
もっとも、大陸の地図を広げて戦略を展開できる者など、両手の指で数えられるほどだが。下手をすれば、片手で足りてしまうだろう。二流でも、十分に評価に値する。
彼らの不幸は、ナーシェンを敵に回してしまったことだった。