物心付いた頃から父親から、それこそ蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。同じ城にいても顔を合わせるのは月に一度もなく、妹と話していると頬を殴られる。
そんな幼年時代を送ってきた青年――名をゼフィールといった。
父は息子の才能を疎み、勉学や武芸などで並々ならぬ結果を残しても、それを未熟だと罵った。稀代の賢者さえ褒め称えたゼフィールの才能は、デズモンドにとって妬ましいものでしかなかったのである。
成人するまで純真さを失わなかったのは、奇跡ともいえよう。
しかし、この頃には青年の心はすでに壊れそうになっていた。
ある日のこと――。
「父上、思えば私は父上との会食は初めてでございます」
若き日のゼフィールは、二人きりで食卓を囲んでいた。
本来なら長大なテーブルを跨いで向かい合うところだったが、デズモンドのはからいによりゼフィールは父の側に寄ることを許されていた。
最初こそゼフィールは瞳に喜色を満たしていたが、やがてその瞳はどんよりと光を失っていった。
「……はよう食え」
食卓に並べられた山海の珍味。ゼフィールは震える手でそれに触れた。
ゼフィールは指輪をしている。銀製であった。それが、変色していた。
怒りと悲しみ、悔しさにゼフィールは涙する。
「父上。……これが父親が息子に食わせる最初の料理ですか!」
「貴様、わしがわざわざ用意してやったものを、食えんと申すのか?」
「いいでしょう! ならば、食らってみせましょう!」
ゼフィールは堰を切ったかのように胸の中のものを吐き出した。
「これが父親の所業なら、息子である私はすべて受け止めてみせましょう! ですが、お覚悟めされよ!」
「覚悟とは何ぞ?」
「貴方の背を見て育った私が、生き延びれば何をするのか。それを覚悟せよと申しているのです」
「………………」
手に握りしめたものを口に放り込む。遠のく意識の中、ゼフィールが見たのはデズモンドの笑顔だった。皮肉にも毒を食らったがために、ようやく父親の笑顔を見ることができたのである。
【第7章・第2話】
草原。ひとえにそう呼ばれるサカの大地だが、潤沢な草葉が生えている土地はそれほど多くなく、実際は砂漠と変わらない不毛の大地が広がるばかりであった。各部族の抗争で幾多の血が流されてきたのも、そのためである。
ここにクシャナ族が抜けた穴を埋め合わせするように、テリトリーを広げた部族がいた。
ルル族。
元々それほど好戦的ではなく、和を重んじる部族であった。クシャナ族の非戦闘員追撃を唯一止めようとした部族でもあった。そのためサカ最大の部族、クトラ族からの信用を受けて、クシャナ族の領地を任されることになったという理由があった。
その部族が今、火にさらされていた。
「おのれ、ジュテ族め――!」
突然の奇襲だった。火矢がゲルに突き刺さり、多くの非戦闘員が焼け出された。迎撃の準備が整った時には、敵の騎兵が集落に入り込んでおり、すでにまともな戦闘にはならなかった。
ルル族の族長は悔しさに歯を噛み締め、流された血の量に涙する。
ジュテ族の騎兵が、ルル部族の女性の髪を引きずっているのが見えた。だが、壊滅状態のルル族には、それを止める術はない。
「何故だ! 何故、このようなことを!?」
「ほう、まだ逃げ遅れた者がいたか。……おや、貴様はルル族の長ではないか」
奇遇ですなぁ、と笑っているのは、ジュテ族の族長モンケだった。
モンケは友人と談笑するような調子で、ルル族の長に話しかける。
「貴様は昔から要領が悪かったからなぁ」
「………………何故だ?」
「何故と問うか。今更だがな、それもわからんのか」
モンケは笑う。それは、狂信者の笑みだった。
「サカは、新たな統治者を必要としているのだよ。それも、他国と渡り合えるほどの頑強な政体を持つ統治者だ。これは、サカ統一戦争の序幕だ」
「……貴様、英雄になったつもりか!?」
モンケは答えず、弓を引いた。
野蛮な部族統治。他国からは侮られ、攻め込まれれば滅びを待つしかない国。いや、これを国と言えるだろうか。「侵略する者には団結して戦う」という部族の掟だけでは、戦乱を生き抜くことはできない。
「英雄願望もあるだろう。だが……」
モンケはサカを統一する必要があると考えた。他ならぬ、自分の手によって。
――
ナーシェンに立ち向かった宿敵は星の数ほど存在しているが、その中でも英雄と呼ばれる者――例えば『フェレの竜公子』ロイ、『亡国の貴公子』クレイン、『王国の盾』ダグラスを筆頭とするエトルリア三軍将などが上げられるが、ちょっと歴史に詳しい者なら、まずこの者を上げるだろう。
――ベルトラン兄弟。
ベルトラン子爵、兄のゲクランと弟のエマヌエル。
元は男爵家という下級貴族の出身でありながらロアーツに重用され、主にサカ地方への計略を担当した謀将である。