クレインはナイフで封筒を開き、手紙を取り出した。
『拝啓、エレブ大陸は雪の降る季節になりましたがエトルリアは暖かいそうですね。羨ましいぞこんちくしょう。ベルンは小便が凍り付くほど寒いです。リキアやサカの寒さは息が白くなる程度だそうですが、イリア地方では冬将軍が到来し、今年も多くの凍死者を出すことでしょう。嘆かわしいことです』
時節の挨拶に苦笑し、クレインは手紙を読み進める。
『ところで、私は野郎と手紙をやり取りしても楽しくないと思うのですがクレインはどうお思いでしょうか。毎回話題を探すのが面倒なので、部下に代筆させても構いませんか?』
「いやいやいや、友人への手紙を代筆させるなよ」
思わず独り言が出てしまう。
あいつらしい、とは思う。これがただの冗談ならまだ愛嬌があるのだが、あの友人なら本当にやりそうで怖ろしい。
「あっ、おにいさま! それ、おてがみ?」
「ああ、そうだよ。ナーシェンからの手紙だ」
「ナーシェンの? わたくしにもみせてー!」
ごくごく自然な妹の言葉だったが、クレインはそれを聞いて頬を引きつらせた。
間違った言葉遣いを連発している手紙を妹に見せるのは躊躇われる。
「いいかい、クラリーネ。人様の手紙は勝手に見たら駄目なんだよ?」
「かってじゃないよ。お願いしてるんだよ?」
ぐっ、と言葉に詰まる。追い詰められたクレインは手紙を鍵のついた引き出しに仕舞おうとした。
その直前に、続きの文面が視界に入り込む。
『ですが、今回は話題があったのでそれで残りのページを埋めてみようと思います。唐突なのですが、私ことナーシェンはエリミーヌ教会より破門されました』
「……………」
「おにいさまー? おにいさまー!」
破門。
妹の声が右耳から左耳へと通り抜けていく。
エリミーヌ教会が。ナーシェンを。破門した。
「……はぁ!?」
『いやぁ、相変わらずふざけた宗教ですね。いきなり破門といわれても何が何やら。あの教会の司祭どもは頭が沸いているとしか思えないです』
何が何やらわけがわからないのはこっちの方だ。
ふざけているのも、頭が沸いているのもお前だろう。
『つきましてはヨーデル様に取り次いで貰えないでしょうか。
ベルンで最も美しい男ナーシェンより』
【第2章・第1話】
そこは、薄く雪の積もった平原だった。
「ここに、何があるというんですか?」
イアンは辺りを見回し、拍子抜けといった様子で肩をすくめる。
が、ナーシェンはそんな配下の態度を毛ほども気にせず、両手を広げて高々と叫んだ。
「わからないのか、この神立地を!? 二十キロ圏内に鉄を有する鉱山があり、付近に川が流れており、かつ地下水にも恵まれ、北部には良材の源になる森林が広がっている。ここに都市を造れば間違いなく発展するのだ!」
「はぁ、そうですか」
ナーシェンは興奮しながらいかにこの土地が素晴らしいかを説明するのだが、イアンの反応は冷淡なままだった。おかしい。不思議に思ったナーシェンは眉を寄せる。
「ここ、エリミーヌ教会の私有地ですよ」
「………………………」
荘園制、という仕組みがある。
貴族や聖職者が土地を所有し、領民に貢納(税)を強いる体勢である。
さて、エリミーヌ教である。
この宗教は教会を建てれば、その周囲の土地を自分たちのものだと主張する奇妙な性質を持っている。
この土地が荘園である。
無論、エリミーヌ教の連中は教会を建てる際には、ちゃんと領主に許可を貰いに行く。司祭たちも許可が貰えなければ、その土地での布教は諦める(が、エリミーヌ教はエトルリアの政治に深く食い込んでおり、これが原因で政治的に不利になることはままある)。
当然だが、村の中心に教会の建設許可を出す領主は存在しない。
教会の周囲には村が出来上がっているが、これは後から移り住んだ者たちの集落なのである。
「え? ちょ、ここ、ただの原っぱだよ?」
「昔は教会が建っていたそうですが、戦争で更地になったそうです。野晒しにされていますが、正式な土地所有権はエリミーヌ教が持っています」
「んな馬鹿な!?」
眩暈がした。ナーシェンはふらつき、へなへなと地面に座り込む。
「私の都市計画が……。ナーシェン様のナーシェン様によるナーシェン様のための街が……」
ベルンの雪は、ちょっぴり塩辛かった。
―――
「却下、ですな」
バルドスの第一声が、それだった。
「オスティアに比肩する大都市を造る、という着想自体は悪くない。ならば、別の土地を用いればいいでしょう。わざわざエリミーヌ教会と事を構える必要はありますまい」
「でもなぁ、別の場所となると、発展するまで十年はかかるんだよなー。あの場所ならたった八年でベルンの第二都市まで発展するんだぞ」
「二年しか変わらないではありませんか」
その二年が問題なんだよ、とナーシェンは心の中で舌打ちする。
国が富めば兵も強くなる。強力な軍事力にはとにかく金がかかるのである。
たった二年というが、この二年は大金よりも貴重な時間なのだ。時は金なり、である。ゼフィールが世界征服に乗り出すタイミングがイマイチわからないが、軍備が整わないまま泥沼の戦場に送り出されるのは勘弁である。
言わば、ナーシェンの都市計画は『生き残るための富国強兵』を目的としているのであった。
なおも食い下がろうとするナーシェンに、バルドスは無情に言い放つ。
「どうしてもと言うのなら、家督を継いでからにしなされ。今はまだ、この領地はナーシェン様のお父上のもの。あなたは、代理なのです」
「………………」
「ご自重下され。エリミーヌ教と事を構えたとなれば、首都にいるお父上はどうなるとお思いですか。事は国家問題にも成りかねないのです。ゼフィール様は侯爵家の当主といえども場合によっては切り捨てますぞ」
バルドスはどこまでも正論だった。反論の余地はどこにも見当たらない。
事実、ナーシェンは先走りすぎていた。
悔しいが、今のナーシェンは無力だった。
「そうか」
ナーシェンは目を閉じた。
「ジェミーちゃんファイアー!」
「ぬぅぅぅぅおぉぉぉぉおおお――っ!」
動機は不純だが、この都市計画は決して独り善がりなものではなかった。自分だけではなく、領民すべてが幸せになれる。そんな街を造りたかった。そんな街を造るつもりだった。
だが、それもただの善意の押し付けだったのかもしれない。
「すまなかった。言われるまで気付かなかったよ。どうやら、私は――んなぁ!?」
――勘違いしていたらしい、と続けるつもりだった。
目を開いた時、目の前のバルドスが真っ赤に燃え上がっていたのである。
「ふんぬぅぅぅぅぅ―――っ!」
老将は便所で力んでいる時でも出せない壮絶な唸り声を上げていた。
ナーシェンは仰天して椅子からずり落ちる。
「な、ななな何事だぁっ!?」
「あ、やっと気付いた」
「じぇ、ジェミー!? お前は何をやってるんだよ!?」
叱るべきか、それとも爆笑すべきか、よくわからない光景にナーシェンは混乱しながらもジェミーに問い質す。ジェミーは悪びれた様子もなく、燃え盛る老将をサンダーで吹き飛ばしながらこう答えた。
「だってこの人、ナーシェン様をいじめてたじゃない」
「いや、いじめるってね、君……」
家臣に虐められる主君って何だろう、とナーシェンは思った。
いや、正しくはバルドスはナーシェンの父親の家臣であって、ナーシェンの直臣ではないのだが。
「まぁ、いいか」
ナーシェンは嘆息する。
火達磨になったバルドスを見ていると何もかもが馬鹿らしく思えてきた。
「ふははははっ、あの生臭坊主め。今に見ていろ!」