輿入れの儀式は厳かな雰囲気で進行し、ヨーデル司祭が神のもとに二人を祝福すると、ナーシェンとリリーナは接吻させられた。
身長的にナーシェンがリリーナを抱き上げて、誓いのキスをするわけだ。
嬉しくないと言えば嘘になるが、九歳児とそういうことをするのは倫理的に抵抗があった。もちろん、リリーナはつるつるでぺったんなのでナーシェンが欲情するようなことはない。
「恥ずかしいぞ。ちょー恥ずかしい。まさか、衆目でキスさせられるとはな……」
「冠婚葬祭のどちらもエリミーヌ教の権威が及んでいるので、こればかりは仕方ありますまい。婚姻において式を行わないのは、独自の文化を持つサカ地方ぐらいでしょう」
ナーシェンが色々な意味で肩を落としていると、アルフレッド卿がなみなみと葡萄酒を注いだカップを両手にやって来る。この時代では陶器製や硝子製の食器はあまり使われていない。大抵の食器は金属でできている。
カップをぶつけると、ガコンと音がするわけだ。
「ところで、リリーナ姫はどうなされているのでしょうか?」
「ああ、ドレスが着慣れないらしくてな。着替えてくるってさ」
堅苦しい場ならともかく、この場は北部同盟派の諸侯たちが好き勝手に騒ぐための場になりつつある。先ほどはカザン伯爵、グレン侯爵にからまれて酒瓶を口に突っ込まれているゲイルを見かけたほどだ。
ファルス公爵などの宴のノリについていけない諸侯は祝儀に訪れていた王国宰相のバレンタインの周囲に集まっていた。反対に、グレゴリ侯爵などのノリのいい諸侯は一気飲みなどで場を盛り上げるのに一役買っていたりする。
「しかし、天真爛漫な姫君ですね。ベルンが武力を背景に強奪したようなものなのですが、あのような笑顔を浮かべられるとは……」
「あれが、民から慕われていたリリーナ姫の気性なのだろうな」
だが、それだけでは国は治められない。リリーナがオスティア太守になれたのは、大戦争に幕を下ろした立役者のひとりだったからだ。それがなければ、女性だという理由でリキアの諸侯たちから侮られ、リキア同盟が崩壊していただろう。
ベルンがリキアの内乱に介入して、リキア地方を切り取るという手もあるが、内乱が発生すると決まっているわけではなく、確実性が足りないため次点の策になる。ナーシェンとリリーナの子どもをオスティア家に入れて、緩やかに吸収した方が確実性があった。
「ヘクトルが養子を入れれば……ふむ、その何処の馬の骨ともしれぬガキは、リリーナと比べられることになっただろうな。忠誠心の高い騎士たちが反感を抱く。配下の心を掌握できていない国など、赤子の手をひねるに等しい。つまりこれは、三十年計画のオスティア攻略になるのか。ゼフィール様はどうお考えだろうか」
いや、世界征服を企んでいるゼフィールは、そのようなことは念頭に置いていないだろう。
火竜に国をプレゼントするとして……具体的には、ひとつの王朝で大陸を統一、その後、皇帝の権力を竜族に譲渡するということになるのだろうか。
「竜の貴族化、人の家畜化――そうなるのか?」
ナーシェンは考え込む。
そんなナーシェンを、周囲の諸侯たちは「やれやれ、仕方がないな」とばかりに生暖かな目で見守っていた。
【第5章・第4話】
侍女に手伝われて着替えを済ませたリリーナは、ようやく身軽になったためか軽い足取りで屋敷の廊下に飛び出した。侍女の案内がなくとも、聡明なリリーナはすでに城の見取り図のようなものを頭の中に描いていた。
「ふぅん。城下はオスティアに勝るとも劣らないものだったけど、城はオスティアのものより小さいのね。いかにもナーシェンらしい城だわ」
ナーシェサンドリア城は、オスティア城のように、幾万の敵軍を押し返すような防衛力こそ持っていないので、内部の構造は比較的簡単だった。リリーナが生まれ育ったオスティア城は、慣れた者でさえ迷子になることもあり、政庁としてはあまり好ましいものではない。
文官が遭難すれば政務が滞るからだ。
要塞としての城と、政庁としての城を両立させるのは難しい。
その理想的な城を作るとすると、天文学的な金銭が必要になってくるだろう。それに、そのような城は諸侯のひとりであるナーシェンが持つべきではない。周囲の諸侯、あるいは国王ゼフィールに警戒されるだけだからだ。
「あら、リリーナ様ではありませんか」
通路の向こう側からやって来た少女のことを、リリーナは覚えていた。ナーシェンとの対面時に、涙目でありながらこちらを睨み付けていた少女だ。周りの祝福ムードの中で、珍しく敵意のようなものを見せていたので、鮮明に記憶に残っている。
「たしか、筆頭書記官のジェミーさんでしたね」
「はい、リリーナ様。それとも、奥方様と呼んだ方がよろしいでしょうか?」
「どうぞお好きなように。これから仲良くしましょうね、ジェミーさん」
「ええ、よろしくね」
表向き、友好的な挨拶を済ませた二人の内心は、黒々としたもので渦巻いていた。
リリーナを探していた侍女が二人を見付け、思わず回れ右をしてしまったほどである。
ジェミーはニッコリと、曇りのない――作り笑顔を浮かべた。
「ところで、この城の居心地は如何でしょうか。いえ、伺うまでもなかったですね。ひとりも味方がいないのですから、不安なのは当然のことでしょう。ナーシェン様の“温情”で不自由のないよう気を配っていますけど、至らぬ点があれば言って下さいね」
対するリリーナも、笑みを作る。
「それはわざわざご丁寧にありがとう。でも、みんな親切だから、全然不自由していないわよ。むしろ、こっちの方が居心地がいいくらい。それに、もし酷い仕打ちを受けても、私にはナーシェンの“愛情”があるから心配いらないわ」
「……………左様でございますか」
「ええ、左様よ」
竜虎相討つの構図で乾いた笑い声を発する二人。異様な緊張感を漂わせながら、二人は宴の間――城のホールへ向かっていた。通りすがる使用人たちが失神、失禁する中、とりとめのない世間話という名の嫌味の押収を繰り返す。
そして、ナーシェンのところに到着したところでアイコンタクトで休戦協定。現金なものというか、何気に意思疎通しているところが凄いものである。
「今回の婚儀、大変めでたいものですね。ところで、後妻を入れるつもりはないのでしょうか」
杯をちびちびと飲んでいるナーシェンに、ベルアー伯爵がしきりに話しかけている。
「私の娘は美人ですよー。と言うか、ここ数年は『お前は将来ナーシェン殿に嫁がせるからな』と言って育ててきましたから、娘は他の男に見向きしなくなってしまいまして」
「それは貴方の教育方針に問題があるだろう」
ナーシェンは呆れてはいたが不快ではないらしく、その苦笑は何かを面白がるようなものだった。
リリーナはジェミーの方に向いた。目が合った。
「まぁ、ベルアー殿の気持ちもわからんでもないがな。卿の子どもは女性ばかりで、後継者となる男児がいない。となると、婿を取るか、娘を嫁がせた家から子を貰うしかないわけだ」
「たしかにそれもありますが、それ以上に私はナーシェン殿を買っているのです。ただの種馬に目に入れても痛くない娘をやるつもりはないのですよ」
「ふぅ。ベルアー殿もアルフレッド殿も、ずっとこの調子だ」
ナーシェンは疲れたように溜息を吐く。この調子では、何人妻を娶れば良いのだろうか――と考えているのだろう、とリリーナは思った。
「この前のことだがな、カザン伯爵の領地の調査に赴いた時『熱い風呂を用意している』と格別の歓待を受けたんだ。で、風呂に入ったんだが、そこにカザン殿の娘さんが居てな。必死に逃げたよ。まったく、親子揃って何考えてるんだか……」
ビキリ、と空気が凍った。
「寡黙なカザン殿らしいやり方ですな。参考にさせて貰いましょう」
「勘弁してくれ……」
ベルアーが愉快そうに笑っている。
リリーナとジェミーは目配せした。ファイアーの魔道書を取り出して背後からこっそりと歩み寄る。
「おっ、リリーナとジェミーじゃないか。どうした、もう仲良くなったのか?」
「ええ、仲良くなりましたよ。仲良くせざるを得なかったんですよ。ある一点において、ね」
「少しお話しましょうか」
「………………お二人さん。その手にある魔道書はナンデスカ?」
二人の笑顔に不気味なものを感じたのか、ナーシェンとベルアーは背中をじっとりとした汗で濡らした。