前回の合戦でナーシェンにいいようにやられたエトルリアだったが、モルドレッドは敗戦の責任を幾つかの諸侯に押し付けて処断してしまい、責任の所在をうやむやにしてしまった。さらに、貴族の領地を王族領に組み込み、賠償金をそこから捻出するという強引なやり方で対処する。
そのようなやり方では、王族領に組み込まれた領地の統治能力が落ちて、あまりいいことはないのだが、モルドレッドにはこれしか手段が残されていなかった。それを冷徹に行ってしまうモルドレッド王が凄い。流石は大国の元首であった。
一方のベルンだが、前回の戦争でエトルリアを直接的に支援したリキアの諸侯に、ゼフィールは何の手も下さなかった。リキアの諸侯の大多数が強い者になびくだけの弱小貴族と化しており、ベルンが大軍を引き連れてリキアに侵攻すれば、一瞬で寝返るということをゼフィールは知っていたのである。
ただし、エトルリアの進軍を見過ごしたということで、その責任はリキア全体に被せられることになった。オスティアを締め上げるためのゼフィールの策略であった。
さて、捕虜引渡の使者を勤め上げたナーシェンはベルンに帰還する。
二週間ほど領地を空けていたのだが、季節の変わり目だったらしく、ベルン北部は夏季に入っていた。ちなみに、ナーシェンは十八歳になっている。ジェミーが十四歳。ロイ、リリーナが九歳になったわけだ。
原作まで、残り六年。
段々と胃薬の量が増えてきているナーシェンは、今日も死亡フラグを叩き折るために頑張っている――と言いながら、今日もエロゲを小説化していたりする。
【第5章・第1話】
――ブラミモンド公爵、北国の獅子ナーシェン。
他国では悪辣極まりない謀略家として恐れられているが、ベルン国内では王国の危機を救った英雄として祭り上げられている謀将である。
近頃、ベルンの宮廷ではこのナーシェンの扱い方について、激論が繰り広げられていた。
議論の内容は『ナーシェンの婚姻』についてである。
「ブラミモンド公爵にギネヴィア様が嫁がれればベルン王国は安泰かと」
「そうだな。これは良縁であると思われるが?」
ベルン南部のグレゴリ侯爵が、豊富な口髭をもごもごさせて、ベルン王国の宰相バレンタインに語るのだが、周囲の者は首を横に振った。グレゴリに賛同を示したのは西部のファルス公爵ぐらいである。
年に一度の大評定が終わり、恒例の宴も終わった後であった。
彼らは気になるナーシェンの行く先を話し合うために集まった有力な諸侯である。
「何か問題でも?」
「確かに、よき縁談かと思われる。だが、ゼフィール様が承知せんよ」
ファルス公爵が質すと、バレンタインは搾り出すようにこう言った。
「ナーシェン殿にギネヴィア様を与えれば、ブラミモンド家は王国の一門に連なり、ナーシェン殿はベルンに忠義を尽くすだろう。地理的にエトルリアへの国防の盾になってくれるのは間違いあるまい。だがな、ギネヴィア様が嫁げば、世間はゼフィール様がナーシェン殿に人質を差し出したと見るだろう。王国の権威に傷が付くのだ」
「……それほどまでに、ナーシェン殿の名声が高まっているのですか」
「そうだ。それに、ナーシェン殿にギネヴィア様を与えたら、ベルンにもうひとつの王朝ができかねん。ナーシェン殿にその気がないのはわかっているが、それができる能力があるというのが問題だ」
バレンタインはやれやれと首を振った。グレゴリとファルスは納得したように頷いた。
―――
大評定の後、ナーシェンは王都に留め置かれた。仕方がないのでナーシェンの父が使っていた屋敷に滞在することになったのだが、ナーシェンの父や使用人が斬られた場所で寝泊りするのは気味が悪い。それはナーシェンとジェミーの共通の感想であった。
権謀術数溢れる王宮の近くである――と言うことだけで、ナーシェンの気は休まらない。ナーシェンはそのようなことをジェミーに語り出した。
「急に暗殺部隊が送り込まれるかもしれないからなぁ」
ナーシェンは風呂上がりに牛乳を飲みながら、急遽運び込んだベッドに腰を下ろす。家財道具を売り飛ばしたため、ほとんど空っぽの殺風景な屋敷であり、声が微妙に響いていた。
「でも、何故ナーシェン様が留め置かれたのでしょうか?」
ジェミーも湯浴みの後であった。十四歳になって、その身体つきは大人のものに変わり始め、男を狂わせるような色気が出ているのに、ナーシェンは顔色ひとつ動かさない。
いや、よく見ればナーシェンが意図的に目を逸らしていることに気付けただろう。だが、ジェミーは変に無表情なナーシェンに、やっぱり自分のことなんて眼中にないのかと落胆した。
「大評定の後、エトルリア戦の論功行賞が行われただろ。私への褒章はエトルリアの宝物『ひかりの剣』『スレンドスピア』『ノスフェラートの魔道書』『サンダーストームの魔道書』で購われているが、換金しても1万ゴールドに満たない物でしかない」
「ファルス公爵は後継者が戦死したベルン西部の貴族の領地を報酬に与えられていますからね。ナーシェン様への報酬が少ない気がするんですけど……」
ナーシェンがその程度のことで不満に思うわけはないだろうが、何かありそうだった。
ぐだぐだと国政についてのナーシェンの愚痴を聞いていると、王宮から使者がやってきて今すぐ参内するようにと命じてきたので、ジェミーはすぐさまナーシェンの準備を手伝った。
こうして出立したナーシェンがあんな話を持ち帰ってくるとは、この時のジェミーはまったく予想していなかった。
―――
「貴様、ギネヴィアが欲しいか?」
「………あ、えっと」
どう答えろと! ――とナーシェンは内心で叫んだ。
要らない、と答えたらゼフィールは「我が妹を要らないと言うのか!」と怒り出すかもしれない。
欲しい、と答えたら本当にギネヴィアが嫁いでくるかもしれなかった。
貴族というものは、結婚も義務である。その程度のことはナーシェンも承知している。
ナーシェンは政略結婚という単語に、現代人にありがちな嫌悪感を感じることはなかった。かつての世界の自由恋愛などは、所詮はこの三、四十年の間に定着した新しい概念である。
婚姻とは政治の延長であり、家と家同士の結び付きを強めるためのものだ。そこから得られる利権は見逃せない。
だから、ギネヴィアとの婚姻を喜べと?
(いや、それはちょっと私には重たすぎるっす……)
ゼフィールの妹という時点でアウトだ。この王様を義兄上と呼べというのか。
世界を滅ぼしたがっているキチ○イと縁戚を結ぶなんて嫌すぎる。
痛み出した胃袋を押えるナーシェンに、ゼフィールが段上で詰まらなさそうに呟いた。
「……命拾いしたな」
それはまさか、ここでギネヴィアを欲しがっていたら何らかの罪(たとえば謀叛とか)を被せられて処刑されていたというわけだろうか。いや、ナーシェンはゼフィールの部下としてまだまだ有用だからそれはないだろう。
とは思うのだが、ゼフィールなら本当に実行してしまいそうで怖ろしい。
ガクガクブルブル震えていると、ゼフィールが玉座から立ち上がった。
「アポカリプスかオスティア公女。貴様に片方をくれてやろう」
「………まことに御座いますか?」
「嘘は言わぬ」
「ならば、オスティア公女を」
即答だった。
それほどリリーナを欲している……というわけではない。すべては冷静な計算による受け答えである。
建国以来、ずっと封印されてきたベルンの国宝である魔道書を、たかが小競り合いの功績で諸侯に授けるなど有り得ない。つまり、アポカリプスはエサだ。ナーシェンが闇魔法が使えるという話はゼフィールの耳にも届いているだろう。
神将器の威力は大軍に匹敵する。たとえるなら仮想戦記の流れをぶち壊してしまう原爆である。
そんなものを欲しがる者を、ゼフィールが生かしておくわけがない。
「よかろう。しばらくは使ってやる」
騙し騙され――ナーシェンとゼフィールの主従関係であった。