足並みを崩されて攻勢に出たところで、行き成り戦えるようになるわけではない。防衛戦を続けてきた兵士たちは、敵が尻尾を巻いて逃げて行ったのを見ており、このまま守っていれば勝てると思い始めていた。エトルリアの兵士は死ぬ覚悟ができていなかった。
クレインやセシリアはまだ若く、その手の心理がよくわかっていなかった。
「ロアーツ隊、離脱して行きます!」
「……馬鹿な!」
敵側の方が士気が高く、セシリア・クレイン隊とダグラス隊を合わせた兵数ではとても戦いきれない。烏合の衆とはいえ、ロアーツ隊が抜けた穴は大きかった。
クレインは頭を抱えた。
「ロアーツ殿が反転してマードック隊に攻撃を仕掛けていれば挟撃が成っていたというのに……。いや、逃げた味方のことを考えても意味はない。無謀な突撃を行い全軍を危険にさらしたロアーツ殿の失態は明らか。ロアーツ殿も、この上は言い逃れはできないだろう」
「クレイン将軍! ナーシェン隊がロアーツ隊の追撃を諦め、マードック隊と合流しています!」
「なんだと?」
ゾクリ――と寒気がした。
クレインから向かって左側にマードックが率いる王国軍、中央にベルン東部・南部の連合部隊とファルス隊、右側にナーシェンが指揮するベルン北部同盟軍が広がっている。
鶴翼の陣。
ナーシェンが意図して組んだ陣ではなく、また、この世界では知られた戦法でもないが、敵軍を包囲殲滅することに長けた陣形であることは、聡明なクレインが少し考えれば理解できた。
クレインは配下の騎士に弓隊の指揮を任せると、セシリアの魔道部隊まで馬を飛ばした。
撤退だ、撤退。今すぐにでも撤退しなければ全軍が壊滅する!
「セシリア将軍!」
ダグラス将軍のアーマーナイト軍団は敵兵の果敢な突撃を受けて身動きが取れなくなっている。撤退といわれても、どうにもならない状態だった。この上は、そのダグラス隊を捨て置き、他の味方を逃がさなければならない。
【第4章・第13話】
ナーシェンは敵勢の動きを見て「ふぅん」と感心したような声を上げた。
「中々やるじゃないか。今のセシリアの将器では、この指示は出せんだろう。とすると、ダグラス殿が自ら志願したのか、あるいは………」
クレインの洟垂れが指図したのか。
「フレアーに『貴様はゲイル殿の指揮に入れ』と指示を送っておけ。証拠に私の剣を持っていくように。それと、ゲイル殿には『貴殿には撤退する部隊を追撃して頂きたい』とも伝えておいてくれ」
ナーシェンは腰から剣を引っこ抜いて、伝令の竜騎士に投げ渡すと、戦場に取り残されて踏ん張っているダグラス隊を見た。味方に捨てられて死を悟ったのか、敵のアーマーナイト隊が死兵と化して猛烈な抵抗を繰り広げている。
「カレル!」
ナーシェンは馬上から周囲を見回しながら叫んだ。
「剣士隊にランスバスターとアーマーキラーを持たせてアーマーナイト隊を崩してこい!」
その叫びを聞いた剣聖は欠伸混じりに呟いた。
「働いたら負けのような気がするんだけどね」
カレルは「人殺しは、悲しすぎる……」とか気取った台詞を吐きながら、宿舎で食っちゃ寝しているだけだった。いい加減に働かないと、発酵させた乳製品の実験台にしてやる、とナーシェンが考えていると、のっそりと剣士隊が動き出す。
「くそっ、逃げやがった。あのニート侍」
ナーシェンはカレルを虐める口実を失って、ちょっぴり残念だった。この二人、虐めたり、仕返ししたり、仕返しされたり、さらに仕返ししたりと、よくわからない主従関係を構築していた。
それはともかく、剣士隊の突撃でアーマーナイト隊に穴が開き、そこにイアンの騎兵隊が突撃。傷口を押し広げる。そこにベルアー伯爵が歩兵を押し込み、ダグラス隊が半分に分断されてしまう。半数の兵にダグラスの指示が届かなくなり、それら兵士は瞬く間に討ち取られていった。
1000の兵士を4000でいたぶるのだから、こうなるのは必然といえるのだが。
セシリア、クレイン隊には追撃部隊の竜騎士を率いたゲイルが大損害を与えるだろう。魔道士、弓兵は立ち止まらなければ攻撃できない。関ケ原の島津の撤退のようなことをされると、流石のゲイルも追い続けるのは無理になるだろうが、あの甘ちゃんたちが味方に何度も死んでくれと言えるとも思えない。
「ま、今回はこの辺が潮時かな」
ナーシェンは今回の戦で諸将に知将っぷりを見せ付けたことにより、ある程度の自己顕示欲を満足させた。ナーシェンの智略は大陸一。すげえ、超カッコいい――とばかりに諸将から尊敬されることだろう。
―――
そんなナーシェンの思惑とは裏腹に、諸将はナーシェンの智謀に恐れおののいていた。
クレインは親友の冷徹とも言える采配ぶりに鳥肌を立てており、もう二度と戦いたくないと思っていた。
セシリアは予想できないナーシェンの策略に怒りメーターが振り切れており、ナーシェンの名前を聞くだけで頭に血が上りそうになっていた。
パーシバルはナーシェンを油断のできない好敵手と見ていた。
ダグラスはエトルリアを滅ぼす者が現れるなら、ナーシェンのような者だろうと考えた。
マードックは今回の戦いがナーシェンの手の平の上で繰り広げられていたことを悟ると、ナーシェンへの警戒を改めた。
ゲイルは王様ゲームを吹っかけられないようにナーシェンを避けていた。
―――
そして戦が終わり――。
エトルリア側から和議の使者が送られて来たのが、エトルリア軍の敗走から二ヶ月後であった。小額の賠償金の約束と、今回の戦を画策した諸侯(スケープゴート)の首が送られてきたが、ゼフィールは威圧的に賠償金の増額を吹っかけ、それができないならベルンはいつでもエトルリアに侵攻する用意があると言い渡した。
そんなこんなで交渉が難航し、和議が成ったのは戦争から半年後であった。
「はははっ、ええ、そうですね。エトルリアで最も怖ろしい将ですか? それは決まってますよ。もちろんロアーツ殿です。あの時、撤退したロアーツ殿を追撃していたら、我が軍は全滅しておりました。ロアーツ殿には必勝の策があったんですよ」
ナーシェンはわざとらしく身震いしてみせる。
エトルリアの王都アクレイア。その王宮で捕虜引渡の使者として赴いたナーシェンは、持て成しの宴で、ある貴族から尋ねられてこう答えた。
その答えに諸侯たちは首を傾げる。ロアーツは敗戦の責任者の筆頭に挙げられ、宰相の職を解かれて謹慎中であり、今も言い逃れを続けているが、苦しい身の上なのは誰もが知っている。
そのロアーツを、ナーシェンが恐れていると?
「ロアーツ殿がリキアを経由した奇襲攻撃を画策したのでしょう? あれは見事でした。このナーシェン、まさに目の覚めるような思いでした。それに、ロアーツ殿が率いている諸侯は何れも歴戦の将兵。私たちはロアーツ隊と戦えば負けるとわかり、弱い箇所――エトルリア王国軍を叩くことにしたのです」
「まさか、そのようなことが……」
「ロアーツ殿も哀れなものです」
「と言うと?」
「戦争をやりたがっていたモルドレッド王と三軍将に振り回されて、戦をする気のない諸侯を説得し、ようやく戦場に到着したかと思えば敵にも味方にも相手にされず、形勢不利と見るや味方の損害を抑えるために撤退したというのに、エトルリアはその忠臣に敗戦責任を押し付けようとしているからですよ」
諸侯たちはナーシェンの言葉に引きこまれるようなものを感じた。
「それに、一兵も失わずに撤退したというのに、尻尾を巻いて逃げ出したと、その功績まで捻じ曲げられているのですから」
エトルリアの貴族たちは、言われてみれば確かにそうだな、と思い始めた。
こうしてロアーツは悲劇の英雄という、誤った人物像が作り上げられていく。
諸侯や民衆たちの間から、モルドレッド王の専横に対して批難の声が上がり始め、やがてロアーツは宰相に返り咲いた。アルカルドもその功績を讃えられ、西方三島の総督という重職が与えられる。
さて、本題の捕虜交換であるが、ナーシェンはこの捕虜の値段にちょっとした手を加えている。
エトルリアの足を引っ張るだけの貴族に「強敵だったため、できればエトルリアに返還したくない」と高値を付け、今回の合戦で寝返らせることができなかった強敵には「この者は槍を交えることなく一目散に逃げようとした雑魚であるため、捕虜としての価値もない」と安値を付けた。
役に立たない貴族に「二十人の兵士を屠った」とか「一騎打ちに勝った」などという嘘の功績を引っ付けたために、戻って来た彼らは近衛騎士団でも大きな顔をすることになる。本人たちは嘘だとわかっているのだが、自分の功績を嘘だと言うような者はいなかった。
また、安値を付けられた能力のある者はいわれのない敵前逃亡の汚名を着せられ、活躍の場を与えられることはなくなった。輜重部隊の護衛などの後方支援に使われるだけで、槍働きの機会を失ったのである。
反吐が出るほどの汚い策である――の感想はモルドレッド王のものである。
ちなみに、捕虜を買い取るにあたって現金で支払えないというエトルリアが価値のある宝物を差し出すことになったので、その目録を作成するために、わざわざナーシェンがエトルリアに赴いたのであった。
こうして、今回の戦は幕を下ろす。
しかし、完全に幕を下ろしたわけではなかった。
エトルリア軍の進軍を見逃したリキア諸侯に、これから数年はベルン王国が強気の外交政策を取ることは間違いなかった。オスティアを含む各諸侯がベルンに贈り物を送ったが、そのようなものでゼフィールの機嫌がよくなるわけはなく――。
事態は“オスティア公女の嫁入り”に発展することになる。
第4章 完