ハイルダン砦の周囲を、50騎の飛竜がローテーションを組んで巡回していた。
ジードは大空から大地を見下ろし、敵軍、あるいは味方の影を探し回っているところである。これは哨戒任務であり、エトルリア軍に雇われたイリアの天馬騎士が偵察に飛んで来ることもあり、中々油断できない任務だった。
「……む。あれは」
ジードは地上に黒々とした集団を見つけた。ベルン王国軍の旗をかざした精兵たちである。
その集団の上空を、およそ300騎の飛竜が舞っていた。ゲイルが率いているベルン王国近衛騎士団竜騎士隊であった。
「お味方到着!」
ジードは叫びながら飛竜プリンタルトを旋回させる。プリンタルトは身体が大きく、ジード以外に乗りこなせない暴れ馬ならぬ暴れ竜だ。先の会戦でも敵軍の背後を強襲し、騎兵20騎を蹴散らしている。
名将が操る名馬が有名になるように、名飛竜の名も大陸に広がっていく。竜騎士ジードと名飛竜プリンタルトの名前は売り出したところだが、すでにちょっとした注目を浴びていた。名飛竜プリンタルトの名が世に広まるのも時間の問題だろう。
ちなみに、このネーミング、言わないでもわかるだろうがナーシェンによるものであった。自分が飛竜に乗れないためか、腹いせにとんでもない名前を与えてしまったのである。
「行くぞ、モンブラン!」「ザッハトルテ、高度を下げろ!」「パンナコッタ、突撃だ!」「頑張れ、シューアイス!」と叫ぶ竜騎士たちにナーシェンの顔面の筋肉が大変なことになったりしたが、自業自得としか言いようがなかった。
【第4章・第11話】
そんなこんなで本隊が到着する。
ジェミーは大声を上げて砦に戻って来る兄を見て、思わず溜息を吐いた。ナーシェンと砦内に集まっていた諸侯たちが、彼女にゆっくりと頷いてみせる。「さあ、行ってこい」というような表情だ。無性にイラッとするのだが、今のジェミーは彼らに逆らえない。
砦の正面の門に向かうジェミーに、こっそりと後を追うナーシェンや腹心たち、竜騎士S、アルフレッド侯爵を筆頭とする諸侯たち。異様な光景に合戦の準備に勤しんでいた兵士たちがビビッていた。
「お帰りなさい、お兄様」
「おお、ジェミー。わざわざ出迎えてくれたのか!」
ジードは嬉しそうな顔をするが、職務を思い出して周囲を見回した。妹の出迎えは有り難いが、このような報告はまずジードの上司のフレアーに届けられる。いくらジェミーがナーシェンの腹心とはいえ、形式を無視して報告を伝えてしまうとフレアーの顔を潰してしまう。
だが、そのフレアーがどこにもいない。当然である。フレアーはナーシェンの背後に隠れているのだから。
「お兄様、やっと帰ってきてくれたんですね。女を待たせるなんて、お兄様は罪なお人です……」
「……………は?」
ジードは自分の耳が遠くなったのかと、両手で耳をほじくっている。ジェミーは何度もエルファイアーの魔法でジードを消し炭にしてやりたくなったが、まだ台本が残っていた。
そう、あれは二時間前に遡る。本隊を待っている間、暇を持て余したナーシェンやその他の諸侯たちが王様ゲームを始めたのである。五本のクジを引いて王様と奴隷を決め、王様が奴隷に恐怖の罰ゲームを命じるという最悪な遊びだ。
今回は大人数が参加できるようにナーシェンルールが採用され、三回ハズレを引かなければ離脱できるというルールになっている。離脱した者の代わりに別の者が入るようになっているため、すでに大半の騎士が巻き込まれていた。ナーシェンは五十回も居座り続け、しかも二回に一度はアタリを引くという、まるで詐欺のような強運を見せ付けていた。
実際にはクジの棒切れの小さな傷を覚えているナーシェンのイカサマゲームなのだが。
そして、ジェミーにハズレが回ってきて、ニッコリと笑みを浮かべるナーシェンに台本を押し付けられたわけである。
「お兄様、ジェミーはお兄様をお慕いしています……」
「そ、そんな……俺たち、兄妹だぞ……?」
「お兄様! 私たち、実は血が繋がっていないという設定があったんです!」
「な、なにぃぃぃぃ―――! なら、あんなことや、こんなことをやっても構わないのか!?」
唐突な告白に、ジードが血相を変えて妹に詰め寄った。
隠れて見物していたナーシェンたちが「あちゃ~」と頭を抱える。どう考えてもアウトだろ、あれは。
ジードが文字通り灰にされる。
「ゴホン。……よろしいか?」
先行してきたベルンの武将ゲイルが気まずそうに咳払いした。
―――
「決戦予定地はハイルダン砦の西北にある平原がよろしいかと思われます。左右には渓谷があり、回りこまれる心配がありません。迎え撃つ形になります」
ナーシェンが地図に指を下ろす。諸将の目がそこに吸い寄せられた。
ゲイル将軍が「なるほど」と頷く。
「敵が崩れたのを見てから攻勢に出るわけですか……と近所の子どもが言っていました」
だが、マードック将軍がそれに否定的な顔をする。
「兵数はほぼ同じ。ならば、敵の弱い場所を積極的に攻撃するべきだと思うのだが」
「流石はマードック将軍。しかし、敵もロアーツ隊の脆弱さには気付いておりましょう。私ならばロアーツ隊の背後にパーシバル将軍を置き、ロアーツ隊が崩れたと見るや、すかさず穴を埋められるようにしておきます。ダグラス殿なら、その程度のことはやっているかと」
「確かに一理ある」
「序戦は防衛に徹した方がよさそうですね……と近所の子どもが言っていました」
ゲイルの発言はスルーされた。
「すでにできる限りの調略は行っていますが、こちらに寝返るような強欲貴族は見返りを要求してくるので、戦後扱いに困ることになるでしょう。空手形を発行するということもできますが、何度も使える手ではありません」
「トリスティア侯爵を駆逐する時にも使っていますからね……と近所の子どもが言っていました」
マードックがゲイルを睨み付けた。ゲイルはバンダナを汗でびっしょりと濡らしながら答える。
「い、いえ……近所の子どもが言っていたわけではないのです! ……と近所の子どもが言っていました」
「貴様、私を馬鹿にしているのか?」
「滅相もない! ……と近所の子どもが言っていました」
「ゲイル……」
マードックの目が怒りを通り越して可哀想なものを見るものになっている。
何だか大変なことになっているが、その間ナーシェンは腹を抱えて机をバンバン叩いていた。ひどい軍議である。それもこれも、ゲイルが王様ゲームに巻き込まれて、「今日一日、語尾に『と近所の子どもが言っていました』を付けろ」というク○ナドの便座カバー的な罰ゲームを押し付けられた所為なのだが、ナーシェンは知らん顔をしていた。
謀将ナーシェン恐るべし。ゲイルはこの言葉を胸に刻むことになる。
そんなこんなで作戦が決定し、エトルリア本隊が国境を越えて侵攻してきた。