「あー……金がねえ金がねえ金がねえ」
先日の山賊退治から二ヶ月。あの戦で兵士たちに報酬を支払ったため、財政が一気に圧迫される羽目になった。減税は上手く行っており、先日の山賊は包囲殲滅しているから、あと半年は山賊が出没することはないだろうが、だから何だという話だ。
また父がパーティーをするとでも言い出したら、腹を切る覚悟で諌めなければならないだろう。
それほど、財政が逼迫しているのである。
「やはり、宝物庫の剣を売り払うしか……いや、しかし首斬りは……」
ブツブツと独り言をしているナーシェンを見て多くの侍女が気味悪がったというが、ひとりの侍女――先日のパーティーで庇い立てられた彼女が周囲の誤解を解こうとして、さらなる誤解を生んでいたりすることに、ナーシェンはまったく気付いていない。
問題は、領内に主だった特産品が見当たらないということだ。
武器生産は発達していると言えるが、これはベルン全土で言えることである。ベルンは鉄製の武器から銀製の武器まで、あらゆる武器が手に入る怖ろしい国なのだ。エトルリアが魔法の国なら、ベルンは武器の国といえるのである。
まあ、それは今はあまり関係ないか。
とりあえず、どうにかして、領内にある武器を売りさばけばいいのである。
ナーシェンは目を細めて書類を睨み付ける。この領内の武器の需要は、はっきり言って供給とつり合っていない。職人たちが全力で働けば、多くの在庫が出るはずなのだ。その在庫が出ていないのは、買い手がいないことが丸わかりなため、職人たちがダラダラと仕事をしているからだ。
「街道の整備と関税の撤去が課題となるな……。父上はウンとは言わないだろうが……」
他の領地、あるいは他の国から商人を呼び込める地盤を作り上げ、余剰生産を売り払う。その地盤さえあれば、領地は勝手に発展するはずなのだ。オスティアの発展理由はそこにあるとナーシェンは考えていた。
道三や信長の楽市楽座に通じるものがある。
だが、結果的に税収が増加すると言われても、父の石頭ではまるで理解できないだろう。
「あー、胃が痛むぜ」
キリキリと痛み出した腹を擦っていると、突然執務室のドアが蹴破られた。
「ナーシェン様ー! 遊びましょうよ!」
「むぐっ――!」
その声に、ナーシェンの胃袋から熱いものが一気にせり上がって来る。
勘弁してくれ、と涙ぐむナーシェンの視界に映ったのは、八歳程度の少女だった。ファイアーの魔導書を振り回しながら執務室の机に飛び乗る少女。名前をジェミーという。
「お、おいっ! す、すみませんナーシェン様! 後で言い聞かせておきますから……」
「い、いや、構わないよ、ジード。私もそろそろ休憩しようかと思っていたところだ」
先物投資のような感覚で金を出してくれそうな商人を頭の中でリストアップしようとしても、一人も名前が出てこないだろう。
乾いた笑みを洩らす主君に、ジードは心底申し訳なさそうに頭を下げていた。
そう言えば、この二人がやって来てからもう二ヶ月になるのか。
ナーシェンはこっそりと当時のことを思い返す。
【第1章・第4話】
それは山賊退治の事後処理の最中の出来事だった。
ナーシェンは例のごとく執務室でバルドスと顔を突き合わせ、金銭面の問題、中央の政治に夢中になっている父への報告、他の諸侯への政治的な配慮、村の復旧に出す人員、戦災孤児化した子どもたちの処遇などを真剣に話し合っていた。
ナーシェンとバルドス、数名の書記官だけでは捌けないほどの仕事の山に、彼らは眩暈がして気を失うかと思ったと後に証言している。
そんな中である。
「あのー、ナーシェン様を訪ねてきた方がいるのですが……」
「ああん? こんな忙しい時に誰だよ!?」
激しく議論が交わされ戦場よりも鬼気迫った迫力のある光景に兵士は息を呑んだ。
「は、はぁ……。その、トラヒム侯爵家の騎士なのだそうで」
「トラヒム侯爵が?」
ナーシェンは眉をひそめた。今回はただ山賊を追い払っただけである。他の領地でも頻発している出来事だ。わざわざこうして遣いを送ってくる理由がわからない。
「まぁ、とりあえず会ってみるか」
「ナーシェン様、お召し物は……」
「わかっている。先に着替えるよ」
墨で汚れた服で侯爵家の者を迎え入れられるほどナーシェンは恥知らずではない。
煌びやかな金の刺繍の入った赤い服の上からマントを羽織り、自室を出ると、控えていた侍女が客を待たせている部屋まで先導する。
「ナーシェン様、トラヒム侯爵家のお方がいらっしゃったそうですが……」
「ああ、そうみたいだな」
そう言った時、ナーシェンは気付いた。
先導していた侍女が、先日トラヒムに粗相をした者であることに。
「いや、わざわざ先日の失態を責めにきたわけではないだろう。代わりに差し出した着替えは、あの時トラヒム卿が着ていた物よりも高価なものだったからな。君の心配することにはならないだろう」
「そうですか……」
侍女がホッと安堵するのをナーシェンは見ていなかった。トラヒム卿へ差し出した着替え一つがあれば二十人の兵士の報酬が払えるのである。無論、騎士ではなく一般兵の報酬であるが。
そんな二人の様子を物陰から見ていた他の侍女が「身分違いの恋よー」とキャーキャー騒いでいたそうだが、それは二人の与り知らぬことであった。
それはさておき、
「遅くなって申し訳ありません。私がナーシェンです」
「ほぅ。これはこれは。私はトラヒム侯爵の配下のイゼルドと申します」
壮年の男――悪く言えばハゲ頭のオッサンだった。が、トラヒム卿と同じく歴戦の戦士といった様子で、その肉体は筋骨隆々の一言で表せる。若い頃はさぞモテたのだろうが、今ではただのオッサンだ。
「で、そのトラヒム侯の騎士が何の御用で?」
「それがですな、我が主君は今回の騒動に心を痛めておりまして、戦災孤児を当家で引き取ろうというのです。この世界はただの子どもが何の後ろ盾もなく生きていくには少々厳しい。心優しき主君はそのことを憐れに思い、こうして私を遣わした次第です」
「ほぅ。これはこれは、わざわざ遠路はるばるご苦労なことです」
言いながら、ナーシェンは頬を引きつらせた。
これは言ってしまえば慈善事業の押し付けだ。
しかも、領内に居住している人々は領主――ナーシェンの父のものである。いくら孤児だからといって、それを自分たちに寄越せとは常識知らずな。他の領主なら渡りに船とばかりに押し付けてきただろうが、自分は違う。
ナーシェンは膝の上で拳を握り締めた。
「そこまで民のことを思いやっているなら、さっさと減税したらどうです? 孤児を保護する余裕があるなら、まずは自分の民に慈善の手を差し伸べるべきでしょう」
「ぐっ……我が領内では公正な税金がかけられておりますよ。今さら減税などを行えば、ますます民を付け上がらせるだけです」
「公正な税金ですか。話は変わりますが、トラヒム卿は今年度に入って、すでに六回も軍勢を動かしているようですね」
「そ、それが何か!?」
狼狽するイゼルドの顔を見ていると、なぜだかナーシェンは苛立った。
ナーシェンは椅子を蹴飛ばしながら立ち上がる。
「生活苦から暴動を起こした民衆を付け上がっていると見るのはあなたの勝手だが、私はそのような輩に大切な民を引き渡すほど愚かではないぞ!」
「なっ、なぁっ!?」
ナーシェンは怒りで顔を真っ赤に染め上げて息を詰まらせるイゼルドを鼻で笑い、彼の前から颯爽と消え去った。
去り際に衛兵に命じておくのも忘れない。
「心優しきトラヒム卿がこのような厚顔無恥な輩を遣いに寄越すはずはない。こやつは騙りだ。さっさと屋敷から叩き出せ」
「了解しました」
「ま、まて! 私はトラヒム侯爵家の騎士だぞ!」
人畜無害なそこらのオッサンの方がまだマシだ、と思いながらナーシェンは溜息をついた。
―――
「アウグスタ侯爵、ベルアー伯爵、カザン伯爵の回答まで同じだとはな」
「トラヒム卿も節操がないですね」
ナーシェンが吐き捨てるように言うと、イアンは同調するように笑みを浮かべた。
まだ二十歳にも満たない騎士であるが、山賊退治の際には見事二十人のソルジャーを指揮し、屋内に隠れていた山賊を殲滅した功績を持つ。槍だけでなく剣の腕もそこそこ立つらしく、最近は外出の際には護衛として随伴させている。
が、今日はただの外出ではない。
二人はトラヒム卿の領地へ向かっている馬車に乗っていた。
「それで、トラヒム卿は何をしているんですか?」
「まだ確証はないが、孤児を使ってあくどい商売でもしているのだろうと目星を付けている」
「あくどい商売、ですか?」
「ああ」
ナーシェンは景色を楽しみながら頷いた。
そろそろ収穫の時期になる。太陽の光を浴びて黄金色に輝く麦畑は、この世のものとは思えないほど美しかった。
「子どもといっても使い道はあるんだ。貴族が使用人として買い取ることもあれば、売春宿が買いに来ることもある」
「それは、男子でもですか?」
「男でも使い道はあるんだよ。娼館を運営するにも男手は必要だ。それに、衆道もある」
衆道という言葉に、イアンは「うへぇ」と呻いた。
「西方三島にも販路はある。そこに売り払われた子どもは鉱山で生涯を終えるだろうな」
「なんで……なんでそんなことが許されるんですか?」
ナーシェンは両目を閉じた。
「誰も許しはしない。ただ、そこに需要があるだけだ」
やがて、馬車がトラヒム卿の領地に到着する。
ナーシェンは潜入させていた密偵と合流すると、トラヒム卿の屋敷の隠された入口から内部に忍び込んだ。貴族の邸宅には城塞のようなものもあるが、トラヒム卿の屋敷は簡素なものだった。無論、民衆の住居とは比べるべくもないが。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
そう考えながら忍び足で屋敷を歩いていると、真夜中なのに庭先から金属同士がぶつかり合う甲高い音がしていた。
「わかっていたさ……」
「ナーシェン様?」
「わかっていたんだ」
トラヒム卿が本当に慈善事業のために孤児を引き取ったのではないことは、わかりきっていた。
それでも、わずかに期待していたのだろう。
だから、落胆しているのだろう。
「これが、この世界のやり方か」
ナーシェンは拳を握り締める。
庭先では、剣を渡された子どもたちが互いに殺し合っていた。