ナーシェンの領地は、今、空前絶後の大発展を遂げていた――という描写は前にも使ったような気がする。その発展は今現在も続いている。「なんということでしょう」というナレーションが入りそうな変貌っぷりに、行商人たちが「毎年この街を見るのが楽しみなんですよ」と思っていたり、出稼ぎに出て行った若者が「出稼ぎに行く意味ねーじゃん」と肩を落としていた。大都市には人が沢山住んでいて、その人の数だけドラマがあるのである。
そんな都市の名前をナーシェサンドリア。
地中海の花嫁アレキサンドリアは、たしか征服王イスカンダルが付けた名前だっただろ。というナーシェンのうろ覚えの知識から、ナーシェンも自分の作った都市だからという理由でそんな名前にしてみたらしい。
そのままナーシェンという都市名にするのも芸がないのでナーシェサンドリアにした。
ネーミングセンスの欠片もない男である。
その都市の中央に、領主館と学問所がある。
領主館というが、もうこれは城である。アルフレッド子爵が建てた城は威厳に溢れ、隣にある喫茶ナーシェン一号店がみじめに見えるほどであった。
その城の城門から伸びる大通りに、学問所が建てられている。
今年度から十歳以上、十五歳以下の平民200人(ただし、長男または長女のみ)への初等教育が行われることが決定していた。三年の就学後、学問所を卒業する時には『初等教員資格』が与えられ、ベルン北部同盟の各地において学校を営む権利が認められる。
「エトルリアの動向が怪しい、か」
ナーシェンは城の執務室で、資料を捲りながら首を捻った。
ジェミーは壁にかけられているエレブ大陸の地図を示しながら答える。
「ずっと前からのことですけど、エトルリアは対外政策で下手ばかり打ってきたじゃないですか」
「まぁ、あの国は領地発展以外、戦略展開のしようがないからな。金集めに執心している諸侯の戦意は薄く、とても外征に出れる状態ではない。モルドレッド王も頭を悩ませていることだろう」
「それが、最近は数年前にベルンのものだと落ち着いたはずの鉱山の採掘権を主張したり、軍拡についてどう釈明する気かと説明を求めてきたり、まるでこちらを挑発しているみたいなんですよね」
ジェミーが納得できないといった様子で首を傾げた。
「パーシバル将軍、セシリア将軍を得て調子に乗っていると言うことか?」
「かもしれません。でも、ひとりの将軍にできることも限られています」
「……敵はエトルリアだけと言うことではないのかもしれないな」
ナーシェンは表情を曇らせた。王子ミルディンを失った国王が意気消沈するのは原作の一年前である。今のところ、モルドレッド王は実に優秀な国王であった。
「草原の部族サカがエトルリアの要請に応えるとは思えん。リキアとイリアが怪しいか?」
「早急に調べさせておきます」
「いや、やめておこう。内偵はベルン西部の貴族に絞っておけ」
この際、リキアとイリアの連中は、敵に回っても構わない。それよりも、ベルン西部の貴族の裏切りの方が怖ろしい。関ヶ原で、どれだけの武将が西軍を裏切っているのか。万全の布陣で迎え撃った西軍が敗れた理由も、味方の裏切りである。
【第4章・第3話】
「せいやぁ!」
アレンの豪快な槍捌きを、ランスが細身の槍で冷静に受け流している。
石突で吹き飛ばされたアレンに、ランスが槍の穂先を突きつけた。
ロイは二人の家臣たちが鎬を削っている様子を眺めながら、書物を広げていた。昔は屋外で本を読んでいると誰かに咎められたものだが、最近では本が安く手に入ることもあり、わざわざ注意する者はいなくなった。
さて、その手にある書物、著者はもちろんナーシェンである。
時々アレンなどが十八禁版を勧めてくるが、ランスやセシリアがロイの手に渡るまでにすべて処分することに成功している。ランスは『戦国槍男』を紙吹雪になるまで引き裂き、焚き火にしていた。その後、アレンはセシリアに「エッチなのはいけないと思います!」と怒られていた。ロイも叱られた。ロイは悪くないのに。
今、ロイが読んでいるのは『ファミリー・プラン(全年齢版)』であった。前作の『運命/夜(全年齢版)』の後書きに『最近は政務が忙しく、執筆の時間が取れない』と書かれていてロイを残念がらせたが、半年で次回作を送り出すあたり、ロイはナーシェンのことを尊敬している。
十八禁作品については、コメントを差し控えさせておく。
このような名作を書ける人が、どうしてあのようにエロに走るのか、ロイにはさっぱり理解できない。女性の場合はどう思うのかなとリリーナに尋ねてみたところ、リリーナも顔を赤く染めて「まあ、あの人だから……」と言っていた。その後セシリアに殺されかけた。
「ロイ様、そろそろ勉学の時間になります」
と、後ろで弓の手入れをしていたウォルトが声をかけてくる。
現在、ロイたちの教育係を勤めていたセシリアは本国に呼び出されて不在であるが、だからと言って勉学をサボっていい理由にはならない。オスティア家お抱えのシスターのセーラが、ロイの教育係に任命されていた。
「セーラさんか。あの人、軍略については何も教えてくれないからなぁ。エトルリアの文化ばかりじゃないか」
「まぁ、何時か役に立つこともありますって」
「それより、剣の訓練の方がいいなぁ」
ウォルトは苦笑する。ウォルトは、ロイと同年代の、心の内まで語り合える乳母兄弟である。
「身体は剣でできている、ってね」
「痺れますね」
ロイ、八歳。
フェレの竜ことロイがその名を轟かせるまでには、まだ七年の歳月が必要であった。
―――
同時刻、エトルリアの東部。
エトルリアの東部とベルン西部は大陸中央に位置し、土の肥えた肥沃な大地を有している。そのため、過去幾度となく戦乱に見舞われてきた。ベルンとエトルリアとの戦も、大抵はこの地の小さな貴族の小競り合いから始まっている。
「準備が整えば、本国の騎士団500が国境に展開する用意があります。それを追って、各諸侯の兵を含めた本隊の2000が速やかに編成され、子爵の領地まで向かう手はずになるでしょうな」
「……それで、我が領地は取り戻せるのですかな?」
「ベルンの奴らも、たかが子爵家の所領のために全面戦争を起こす勇気はありますまい」
エトルリアの宰相ロアーツは薄っすらと笑みを浮かべた。
その対面に座っているのは、ベルンの元子爵ブレン卿である。
ブレンは不正を問われてゼフィールに追放された馬鹿貴族だった。不正をするならバレないようにやれ、というのがエトルリアの考え方だ。ロアーツはブレンがどれほど戦場で働けるとしても、ブレンのことを無能と断じるだろう。
屋敷を訪問して来た時には辟易とさせられたが、このタイミングで来てくれるとは、ロアーツは天が自分を味方してくれているのではと舞い上がったものだ。ロアーツはすぐさま国王に報告し、出兵の許可を取り付けてきた。
最近エトルリアの内部では不満が溜まってきている。度重なる貴族の不正で国力が消耗しており、税金の徴収が滞っているのである。自業自得も良いところだったが、そのため戦争を起こして他国の領地や宝物を奪いたいと考えている貴族どもがモルドレッドの頭を悩ませていた。
ベルンとちょっと戦って、身の程を知ればいいのだ。
モルドレッドはそう考えていた。全面戦争になるとは考えていない。
だが、ロアーツは別の考えを抱いていた。
ロアーツの所領はエトルリアの東部にある。今回の戦争で、あわよくば自分の所領を増やそうという魂胆だった。
「ブレン殿、ご心配致しますな。貴方にはエトルリアが付いております」
「おお! それはありがたい!」
満面の笑顔を浮かべるブレンに、ロアーツはにんまりと笑う。
誰が貴様に領地など与えるものか。戦争で勝利しても、適当な罪を捏造して処分してやるとも。