ベルンの三竜将就任は年に一度の大評定のついでに行われたらしいが、エトルリアの魔道軍将就任の際には大規模な式典が行われた。こう言うところに質実剛健なベルンと、見栄っ張りなエトルリアの性格がよく現れている。
セシリアは呆れながらも、エトルリアの一員なので従うしかなかった。
オスティアの駐在武官だったセシリアが、突如呼び出されたかと思うと、空位だった魔道軍将に任じられ、しばらくは目がさえて眠れない夜を送っていたが、連日の式典には辟易とさせられていた。最近はよく眠れている。貴族の眠たくなるお話のお陰で。
「……あ」
「おやおや」
人知れず出てきた欠伸に、セシリアは慌てて両手で口を押えた。
その様子を王宮付きの魔道指南役、エルクに見られ、セシリアは赤面する。
「どうやら疲れているようだね。そんなに皆の話は退屈だったかな?」
「いえ、退屈というわけではないのですが、どの方も同じような話ばかりで、少しばかり眠たくなってしまいました」
「それを退屈というのだよ」
「あっ、そうでしたね」
セシリアは慌てて周囲を見回すが、周りの貴族や各国からの招待客はそれぞれ他の話に気を取られていて自分の声は届いていないようだった。
よかった、と彼女は安堵する。
セシリアの魔道軍将就任祝いなのに、当事者が苦痛に感じていることを周りに洩らしてしまうのは礼儀を失っていた。
「だが、まあ、それも仕方のないことなのだろうね」
「どういうことですか?」
エルクは周囲を見回し、小さく呟いた。
「この中の何人が君の魔道軍将就任を喜んでいると思う?」
「それは……」
セシリアは答えに悩む。
国内の貴族は自分の縁者を魔道軍将に押したいというのが心情だろう。
招待された他国の貴族は論外だ。敵になり得る者に好意を抱けるわけがない。
「だから、師匠は魔道軍将の就任を拒んでいたのですか?」
「そうだね」
エルクは気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「僕の妻は改易された貴族の娘でね。僕も師匠の後押しを受けて爵位を賜うことができたけど、その政治的地盤は極めて弱い。わずかな失態で魔道軍将の肩書きと爵位さえも失ってしまう恐れがあったんだ」
セシリアは思い出す。
この師匠が他の誰にも負けないぐらいの愛妻家であったことを。
「だが、君が無事に魔道将軍に就任してくれた。これで、晴れて僕は自由の身というわけだ」
「もう、私にすべて押し付けたつもりでいるんですね! 酷いです」
「あはは、それはすまなかったね」
もう最後になるのかもしれない師弟のやり取りに周りの者が微笑ましげに目を細めていた。
そんな中、一人の青年が進み出る。
「お初にお目にかかる。ベルン国、ブラミモンド公爵ナーシェンだ」
「は、はぁ。先日魔道軍将に就任致しました、セシリアと申します」
すでに貴族たちの挨拶は終わっている。
他国からの挨拶は一まとめにされていたので、彼は遅れてきたと言うことだろうか。
どうして今頃挨拶に来るのかと、セシリアは不思議に思って首をかしげていた。
そんなセシリアに、ナーシェンと名乗った青年は優雅に微笑んだ。
「失礼。先ほどオスティア候に掴まってね。危うく斬り殺されそうなところを、君のところへ逃げさせて貰ったところだ。流石のヘクトル殿も、今回の主役に恥をかかせるわけにはいかないらしいね」
見たところ、青年の年齢は十七歳前後である。
自分と同年代ということか。
その時、セシリアはようやくナーシェンという名前を思い出した。家督を継いでから瞬く間に領内を発展させた若者がいる、と。
ナーシェンは警戒するセシリアを歯牙にもかけず、悠々と周囲を見回した。
「ふむ、どうやら私は歓迎されていないようだ。汚職役人を叩き切ったことが災いしたのかな?」
「――っ、それは」
「亡命先の繋ぎ役にならない私に用はないということらしい。間違っているかな、セシリア殿?」
「………………」
「まあいい。話は変わるが、悲しいことに我が国でも山賊稼業が流行っているようでね。放置していても害悪にしかならないので捕まえるのだが、彼らの半分はこう言うのだよ。『エトルリアから逃げてきた』とね」
硬直するセシリアに、ナーシェンは続ける。
「言っておこう。私はこの国が嫌いだ」
セシリアは押し黙った。
「将軍になるのなら、この国の不正を正してくれたまえ。では、私は失礼するよ。このまま貴女と話していると、ダグラス殿にくびり殺されそうなのでね」
クツクツと笑いながら踵を返すナーシェンの背中を、セシリアは目が離せなかった。
ダグラスは、その青年を射殺しかねないほど睨み付けていた。
「あの人、ダグラス将軍に何を言ったんですか?」
「それが……将軍の前で『この国の腐臭は酷い。これでは王子が生き難かろう』と」
なるほど。それでは冷静沈着なダグラスも怒り出すはずだ。
ナーシェンはその後、リグレ公爵家のクレインと親しげに挨拶を交わしていた。
【第4章・第2話】
「おいっ、見世物じゃねーっていってるだろうが! 離れろこのガキッ!」
馬厩に戻ると、ジードが群衆に囲まれていた。子どもたちは飛竜を見物しに来たようだ。貴族の子弟ばかりなので、無駄にプライドばかりが高く、ジードも殴ったりできないらしい。
面白い光景だったので離れた場所で見物することにした。
護衛の騎士は飛竜で上空から敵が襲撃しないように監視している竜騎士が二名。
あとは、馬上の騎士が五名である。
「ナーシェン!」
子どもたちに囲まれて幸せそうなジードを見守っていると、ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた。
ナーシェンを呼び捨てにする者はあまりいない。
振り返ると、美しく成長した少女がそこにいた。
「クラリーネか。久しぶりだな。また美しくなったようだ」
ナーシェンの言葉に、クラリーネはポッと頬を染める。
このやり取りは貴族の子女が集う時の決まり文句なので、決してナーシェンが天然ジゴロというわけではない。
むしろ、この程度のことで動揺するクラリーネがおかしいのだ。
「お久しぶりですわね。また背が伸びたんではなくて?」
「かもしれない。だが、私も十七になる。もう成長も終わっただろう」
「もう、その程度で満足してしまうんですの? まだお兄様には届いておりませんわよ?」
「別にクレインと勝負しているわけではないが、そうだな、同じ男として追い抜いてみたいとは思う」
すでにクレインはリグレ公爵家の政治を任されており、中々の手腕を発揮しているという。
その手並みを伝え聞き、ナーシェンは何度か参考にさせてもらったことがあった。しかも、悔しいことに男としての魅力さえクレインに負けている。
「背丈はともかく、クレインの甘いマスクは思わず落書きしたくなってくるほどだがな」
「……男の嫉妬は醜いですわよ」
そうは言うが、一応は兄の容姿が褒められていると思ったのか、クラリーネは怒らなかった。
「さて、そろそろジードが失神しかねないのでな。お暇させて貰うよ」
「もう行ってしまわれますの?」
「次に会えるのは何時になるかわからないが、楽しみにしているよ」
「わたくしもですわ」
馬のところに向かうナーシェンの背中に、クラリーネが声をかける。
「まだ飛竜には乗せてくれませんの?」
「君は魅力的だが、一人前のレディになるにはもう少しかかりそうだ」
「……次に会った時、一人前のレディになったと言わせてみせますわ」
楽しみにしている、とナーシェンは口の中で転がし、馬の背に飛び乗った。
……言えない。まだ飛竜に乗れないなんて言えない。
ナーシェンは冷や汗をダラダラと流しながら、颯爽と馬で駆け抜けた。
翌日、身体を冷やして風邪を引き、領地に戻るのが遅れたナーシェンであった。