「そこに置いている石材は邪魔になるぞ! 運搬係、何をやっている!」
アウグスタ侯爵嫡子アルフレッド子爵の声が轟いた。
ジェミーは引切り無しに届く報告に混乱するしかなかったが、アルフレッドの脳裏には現在の作業の進行状況が図面に描かれているらしい。築城の名手というナーシェンの見立ては間違いではなかったと言うことか。
「ジェミー殿、職員室の間取りはこのようなものになりますが、よろしいですか?」
「あ、はい。その広さで十分だと思いますけど、他の部屋が狭くならないですか?」
「予備のスペースを使うので問題ありません。ナーシェン殿が建設予定地を広めに設定しておいてくれたお陰ですね。まぁ、今回は期限を気にしなくてもいいので、割と楽ですよ」
これで余裕を持たせているのか。ジェミーは絶句する。
たしかに、数時間で野戦陣地を用意しなければならない状況よりは心理的な余裕もあるだろうが。
「それに、我が領地から工兵隊を二十人ほど持ってきているので」
「優秀な家臣をお持ちなのですね。主君が見れば『私も工兵が欲しい』と言い出すでしょうけど」
後方支援部隊に力を入れているアルフレッドは、ナーシェンと考え方が似ているのだろう。
だが、政務について語り合っていたかと思えば、何時の間にか娘の自慢話になっていたり、アウグスタとアルフレッドの二人で娘の押し売りを始めたりして、流石のナーシェンも裸足で逃げ出すしかなかったと言う。
「ところでジェミー殿。うちの息子の嫁に……いえ、何でもありません」
ジェミーが懐から取り出しかけた魔道書に、アルフレッドは笑みを凍らせて引き下がった。
【第3章・第6話】
「ふははははっ、ようやく見つけたぞ!」
と叫ぶ男は、あまりカッコよくなかった。
新たに登場した男は、ガラス片が額に突き刺さり、ぴゅーぴゅーと血を噴き出していた。
ナーシェンは怯えているリリーナを庇いながら、男を睨み付けた。
「貴様、何者だ?」
「オスティア家の者だ。リリーナ様を迎えに来た」
「私がそれを信じるとでも?」
ナーシェンはリリーナを誘拐しに来たと言われても疑問に思わなかっただろう。
それほど、目の前の男は胡散臭かった。
「あ、アストール!?」
と、背後でリリーナの叫び声が。
アストール……アストール……ああ、あいつか。
原作の十年前なのに、もうオスティア家にいるのか。あの盗賊は。
イグレーヌと支援会話させた時には、思わずドラゴンナイトの集団に単騎突入させてしまったあの男か。
「あの、砂漠で女をやり逃げした奴か」
「何でそこまで知っ――ふっ、何のことだかさっぱりわからんな!」
「最低だな、お前」
後ろでリリーナが首を捻っているが、箱入りで育てられた五歳の少女には、やると言われても何のことだかわかるわけがないだろう。
アストールが剣を抜いた。
「リリーナ様を誘拐した罪、万死に値すると思え」
「待って、アストール! ナーシェンは私を誘拐したわけじゃないの!」
「いいえ、リリーナ様。ナーシェンはリリーナ様を誘拐したんです。そして、娼館の裏に打ち捨てられるのです。じゃないとヘクトル様に殺されるんでね、ゲヘヘッ」
「……アストール」
主君の娘から可哀想な物を見るような目で見られても、アストールは動じない。
ナーシェンも覚悟を決めた。音を立てて剣を抜く。
細身の剣。
ナーシェンはカレルに言われたことを思い出した。
『正直、君に才能があるとは言えない。晩年までひたすら剣を振っていれば、あるいは……。だけど、君にそのようなことをしている時間はないだろう。だから、敵と遭遇すれば迷わず突け。敵の剣はよく見て躱せ。私はそのための技だけを叩き込む』
とにかく突く。ガトチュ戦法である。
一方、アストールの剣は反りの入ったシャムシールのような形をした剣だった。
おそらく、キルソード。斬られれば、まず致命傷になる。
「行くぞ」
アストールの声が不気味に響く。
瞬間、彼の姿が虚空へと消え去った。
――上か!
ナーシェンは細身の剣を弓のように引き絞った。
このままでは、相打ちになる。二人とも心中する気はないので、攻撃の勢いが失速した。
リリーナを庇いながら場所を変え――ナーシェンは気付く。
アストールがリリーナに危害を加える理由はない。別にナーシェンが庇う必要はない、と思うのだが、リリーナはナーシェンにしがみ付いている。
「き、貴様って奴はあぁぁぁぁあああ!」
「うぉっ! 危ねぇ! 死ぬ! マジで死ぬ!」
「うるさい、死ね! 死ね!」
アストールがナバタ砂漠での黒歴史を知っている人物など生かしてはおけないとばかりに剣を振るうが、ナーシェンはギャグ補正と言うべき凄まじい回避率で剣筋を見切っていく。
だが、十三歳の体格で振るう剣には限界があり、アストールの素早い剣技に段々と押され始めた。
「ふっはっはー、これで終わりだ!」
「――っ、闇よ!」
その剣先がナーシェンの胸に届く直前、ナーシェンは叫んだ。
アストールが影に吹き飛ばされ、壁に縫い付けられる。
「ふぅ、手札を一枚切らされるとはな」
「ナーシェン様、やはりここでしたか」
「おお、イアン。遅かったな」
ナーシェンは壁際で怯えていたリリーナの頭を撫でると「お別れだ」と呟いた。
―――
「結局、知識人のスカウトはできませんでしたね」
「まあな。でも、武器の販路を作れたのだから、目的の半分は達成できたと見るべきだ」
オスティアには別の者を向かわせればいい。それに、知識人はエトルリアにもいるだろう。
ナーシェンは馬車に揺られながら、溜息を吐いた。アストールのような、一流の使い手との戦いは、この世界に来てから初めてのことだった。カレルと何度か手合わせしていなければ、まず初撃で心臓を貫かれて死んでいただろう。
ナーシェンは今回のことはアストールの暴走と見ていた。オスティア家が自分の存在を危惧しているなんて、想像もしていない。
そして、後日ヘクトルがナーシェンのことを罵った時、娘リリーナの機嫌が悪くなったり、密かにナーシェンと文通していたりするのを知ったヘクトルの脳の血管が切れそうになっているなんてことは、ナーシェンの知る由ではなかった。
ともあれ、オスティア家とナーシェンの間に生じた亀裂が修復するまでには、およそ十年の歳月がかかることになる。
「あっ、そうだ。アラフェン砦の近くに孤児院はないか?」
「調べないことにはわかりませんけど、どうするつもりですか?」
「援助金として2000ゴールドを送っておこうかと思ってね」
「……どう言うことで……いえ、やっぱやめときます」
主君の行動は何時も意味不明なので、イアンは特に口を挟まなかった。
ニノとジャファルについては、ナーシェンも探しているのだが一行に進展はない。ニノとジャファルの後日談で、黒い牙の残党に狙われて、結局は散り散りになってしまったとあった。子どもたち(おそらくルゥとレイ)は黒い牙に追われたままでは守れないと思い、孤児院に預けられたのだろう。
原作でニノのファンになったナーシェンとしては、彼女を助けてあげたいという思いはあるのだが。
―――
「ジェミーちゃんファイアー」
「ぬわーーーーーーーー!」
領地に帰還したナーシェンが学舎建築を計画するのみならず、完成させてしまっているのを見て、ナーシェンは思わずジェミーに抱きついてしまったのだが「まだ建てなくてもよかったんだけどな。知識人のスカウトはまだ終わってないし」の余計な一言がジェミーの脳の血管をプッツンさせてしまった。
さらに後日、ナーシェンに届いた手紙を整理している最中、リリーナという者からの手紙を見つけ、ジェミーは無言で魔道書を手にナーシェンの執務室に突撃したと言う。
火達磨バルドス、業火達磨ジード、消し炭ナーシェン。
ある者はナーシェンは火計の天才だと勘違いしたそうな。
第3章 完