「はっはっふー……はっはっふー……」
リリーナは自分の手を引いて走っている少年を見上げた。先ほどの言動や、部下を引き連れていることから、少年が良家の士族だということはわかった。三枚目っぽさが先行していて、あまり意識しないが、一応、美少年である。
「待て! そこの金髪!」
「待てと言われて立ち止まる馬鹿がいるかよ、ハゲ!」
「おのれぇぇぇぇえええ! 貴様、覚悟しておけよ!」
追っ手の衛兵は最近頭髪が薄くなってきていることに日々恐怖していた。何時ハゲと呼ばれるかわからない。なので、頭髪を寝かせてバーコードにしていた。それが、少年を追いかけるために全力疾走し、落ち武者のように乱れていた。兜は髪が薄くなるかもしれないのでしていない。
リリーナは衛兵の形相が怖ろしくて顔を背ける。
「むっ」
「きゃあ!」
と、少年が急に方向転換した。別の衛兵が前方に回り込んだのである。
さあ、もう袋のネズミだぞと言いたげな彼らに、少年は涼しげな嘲笑を送ると、急な方向転換に体勢を崩していたリリーナを抱いて酒場に飛び込んだ。
「あっ――」
お姫様抱っこ。
父以外に、リリーナにそのようなことをした者はいない。
衛兵たちが酒場に踏み込む。
その時には、少年は酒場に隠された地下通路に侵入していた。
【第3章・第5話】
「あー、バテた……。運動不足も甚だしいな」
ナーシェンは少女を床に降ろすと、ソファに倒れ込んだ。
ここ、オスティアでは、一般には知られていないが、結構な数の地下通路が引かれている。それなりに余裕のある商人たちが有事の際に家財道具を隠したり、持ち出したりするためのものである。オスティアの上級役人たちはこのことを知っているだろうが、ナーシェンたちを追跡していたのは衛兵のような下級役人だった。
「あの……」
「ああ、そうか」
ナーシェンは上体を起こした。
少女が、心細そうに胸に手を当てて、おずおずとナーシェンを見つめている。
「ここはリーヴン家の別荘だ。万が一にも下っ端の役人たちが踏み込める場所じゃないから、とりあえずは安心してくれ。ほとぼりが冷めるまで三日ほどかかるだろうが、まぁ、それは自業自得ってことで」
リーヴンはオスティアの豪商で、ナーシェンの来訪をどこから嗅ぎ付けたのか、いきなり数冊の書物を手に現れ、写本を頼みたいと言い出した。ナーシェンが金になると見ると即行動するほどの、行動派の人物である。
ナーシェンが『学校日和』などの数冊の書物を友好の証にプレゼントしようとすると、リーヴンは手を横に振って「すでに持っているので」と言い、さらに「偉大なる文豪ナーシェン様直筆のサインを」と頭を下げてきて、ナーシェンをギョッとさせたりしたのは余談である。サイン入り『学校日和』を手に入れて歓喜したリーヴンはオスティアの秘密を洗いざらいナーシェンに話してしまった。と言うより、向こうが勝手に話してきたのだが。
「あの……あなたのお名前は?」
「あ、忘れてたな」
少女の言葉に、ナーシェンは照れ笑いを浮かべると、ソファから立ち上がり、部屋に用意されていたティーセットを広げ始めた。
「私の名はナーシェンだ。これでもベルンのしがない貴族なのだがね、オスティア訪問はお忍びなので、あまり吹聴しないでくれよ」
「ナーシェン。あの、北国の獅子……」
絶句している様子の少女に、ナーシェンは紅茶を勧める。
「ん? 紅茶を飲むのは初めてか?」
平民にはまだ敷居が高いのかなー、とナーシェンが考えていた時だった。
「わたしはリリーナ。オスティア侯爵家の娘よ」
「………………………」
ナーシェンはカップをテーブルに戻し、両目を擦った。言われてみれば、面影が……ある、のか?
原作をプレイした時の記憶が薄れていて、子どもの頃の顔なんてわかるかよ! と逆ギレしそうになるナーシェンだったが、彼は覚えている。
速さ、幸運、移動をドーピング、エイルカリバー×3、フォルブレイズ、特効薬持ちリリーナが竜殿を単騎駆けしたところを。移動20のリリーナ、今では反省している……。
(じゃなくて、こいつはロイの恋人だろうが! いや、待てよ?)
「あなたは何時も自分でお茶を淹れているの?」
「時間があれば、な。忙しい時は部下にやらせているが」
「そう。あまり貴族らしくないのね」
「よく言われる」
「あっ、ごめんなさい。あなたのことを貶しているわけじゃないんだけど……」
「いや、別に気にしてるわけじゃないが……」
ナーシェンの腐った脳味噌が回転する。ここでリリーナに点数稼ぎしておけば、もし後に大変なことになっても、リリーナがナーシェンの助命を嘆願してくれるのではないだろうか。
と言うより、ここで嫌われたら「お父様を殺したナーシェン、死になさい」→エイルカリバーになる。「お父様を殺したのも、きっと事情があったのよ」と言わせるためにはどうすればいいのか。
ナーシェンの灰色の脳細胞が結論を弾き出した。
―――
北国の獅子ナーシェン。
侯爵なのに、すでに公爵を越えた領地、兵力、経済力を持つベルンの怪物。
リリーナは純粋に驚いていた。
荒れくれ者たちの尻に落書きしたり、ソファでへばったり、自分の手で紅茶を淹れたりと、その行動や言動はまったく貴族らしくなかった。なのに、高価な衣服は着慣れた感があり、どこかチグハグな印象を見る者に与えている。
「君は、現在のこの世界のことをどう思っている」
そのナーシェンが口を開いた。
「大国では不正・汚職が横行し、商人はそんな貴族にくっ付いてこぼれた利権に群がっている。割を食わされているのは平民ばかりだ。知っているか? オスティアの周辺の村にも、その日の食べ物に困っている者がいるんだ」
「………オスティアにも?」
「光があれば影がある。まぁ、影はあまり目立たないがな」
リリーナは両手を胸に当てた。リリーナは発展した都市がオスティアのすべてだと思っていた。その周りの村も、他国より発展していると勝手に考えていた。
「責めているわけじゃないから泣きそうな顔をするな」
「……あっ」
ナーシェンが手の平をリリーナの頭に置いた。
リリーナはナーシェンの顔を見上げる。意思の強そうな瞳が鋭く光っていた。
「わ、わたしは……助けたい。この大陸に住む人たちの生活を。不当に苦しめられている貧しい人たちを」
「よくできました」
ナーシェンは屈みこんで、リリーナの手の甲にキスをした。
騎士が主君に忠誠を誓う時の儀式。
「私が、君の想いを支えよう。リリーナの騎士として、ね」
冗談めかして笑うナーシェンを見て、リリーナは頬が熱くなるのを感じた。
―――
ナーシェンは「エトルリアに負けても殺さないでくれ。私は有能な内政官だから所領や爵位は没収してもいいけど、失職後はオスティア家に仕えさせて」と言っていたのだが、正しく伝わったと考えているのは本人だけだった。
死亡フラグは叩き折れ、別なフラグが根を張ったりしていると――。
「見つけたぞ、ナーシェン!」
アストールが窓を破って華麗に登場した。
グルリと回転しながら、シュタッと効果音を立てて着地するアストール、何がしたい。
「リリーナぁぁあ! 今助けに行くからなぁぁあぁあ!」
一方、衛兵から報告を受けたヘクトルはヴォルフバイルを背負って城から飛び出そうとして、エリウッドとオズインに羽交い絞めにされていたりする。