近隣の村を、小さな馬がゆるりと進んでいる。
背には身体が引き締まった騎士と、十代前半の少年が乗っていた。
「うげぇ……気持ち悪い……」
「自業自得です。まったく、加減を弁えないからこうなるのです」
その冷たく突き放される言葉は、二日酔いでダウナーになっているナーシェンにとって、キルソードの必殺攻撃よりも鋭くナーシェンの心に突き刺さった。
「あ、うぇ……馬、ゆらさな……」
今にも吐きそうなナーシェンの様子を見て、イアンは馬を止める。
「……ちょっと、休憩しますか」
イアンは溜息を吐いて、ナーシェンを馬から引き摺り下ろした。
木陰でくたばっているナーシェンの手には、紙の束が握られている。簡単な領内の地図である。
「しかし、これだけの距離すべてに道を敷くんですか?」
「い、いや……全部……じゃ…なぃ…けど」
イアンはこれまでかなりの距離を馬で進んでいる。どれだけの費用がかかるか、イアンには見当も付かなかいのだろう。
ナーシェンは騎士程度の俸給では想像もできんだろうな、と苦笑する。
苦笑した瞬間に頭痛が走り、ナーシェンは奇妙な呻き声を上げた。
「と、ともかく……だ。父上が、亡くなれ……ば……宝物庫が……自由にでき……うぇ……」
「ナーシェン様、誰が聞いているかわかりませんから、迂闊にそのようなことを口走らないで下さい」
二日酔いのために思考が回らなくなっている。
ぐだぐだである。
「白い宝玉が、十個ばかり、ある、からな……」
ナーシェンは呻いた。
もういいです、とイアンが止める。
今日か明日にも父の訃報が届きかねない状況だが、ナーシェンの父はまだ生きている。なのに、すでにナーシェンは父親を死んでいるようなものとして扱っていた。
今回は街道の整備計画である。
宝物庫の白い宝珠を売りさばけば、十万ゴールドほどになる。その資金で、領内のインフラを一気に改善しようという話である。
ナーシェンの父が生きている間にそれをやってしまえば、普通なら斬首では済まないだろう。ナーシェンは唯一の後継者のため、命だけは助かるだろうが、それからは政治の世界から遠ざけられるはずである。
だから、今のところは計画だけで、実際に工事に着手していない。
死ねばすぐに工事を始める。そういう手はずになっている。
「私は酷い男だ。……そう思わないか?」
「ええ、そうですね」
「……ちょっとは否定せんかい」
事実ですから、と淡々と呟く家臣が猛烈にムカついたナーシェンであった。
【第2章・第8話】
ベルアー伯爵は小さく息を吐き出した。
十三歳の若造には思えない男だった。昨年のパーティーで突然の減税政策の理由が知りたくて問い詰めたことがあったが、あの時はまだナーシェンの器量はわからなかった。というよりも、断定するのを避けたというべきか。
「うちの娘を嫁がせても惜しくはない男だったな」
ナーシェンが頑なに固辞して、最終的には逃げ出してしまったが、ベルアーは他人の目がなければ追いかけていただろう。
人質としてではなく、お互いの家のためになるいい縁談のように思えたのだが、惜しいことをしたものだ。
それにしても……。
「ベルン北部同盟か」
酒席でナーシェンが話を逸らすために話してきたのだが、それを聞いてベルアーはナーシェン側について正解だったと確信した。
この人なら、トラヒムごとき三下に後れを取ることはないだろう。
まだ構想を練っているところらしいが、ベルン北部同盟とは、加入した領地すべてに街道を整備し、山賊が出ればお互いの利害なく協力して撃退し、さらに関所を完全に撤廃する――という計画らしい。
商人の往来を活性化させ、お互いの領地を発展させるのが初期段階。
最終的にはリキア同盟に匹敵する結束力を持たせたい、とナーシェンは酒をすすりながら語っていた。
これが上手くいけば、不毛の大地だったベルン北部が生まれ変わる。
これまで動員兵力の少なさに肩身の狭い思いをしてきたが、商業の一大地域として発展すれば保有できる軍事力も増え、他の地域に劣らない軍隊を整えられる。
この計画は、必ず成功させなければなるまい。
「そのためには、あの方を勝たせてやらなければな」
ベルアー伯爵は眼鏡の奥の瞳を細め、小さな笑みを浮かべた。
―――
丸一日かけて領内を半周してきたナーシェンは、屋敷に戻るとベッドに直行した。
流石にすべて周り切ることはできなかったが、地図にはあらかた目ぼしい場所はチェックしてある。明日で領地の検分は終わるはずだ。
「じゃ、明日もまた頼む」
馬に揺られていたためか、まだ酔いが抜け切っていないが、言葉遣いはマシになってきた。
まだ頭がガンガンするが、頭痛薬は勿体ないので飲まないでおく。薬も貴重品なのである。
「まぁ、明日で終わるなら構いませんが……」
「何を言ってるんだ? 明後日はベルアー伯爵の領地、来週はカザン伯爵の領地だぞ?」
「は?」
その後、ナーシェンは「ふざけんなよこのやろー」とイアンに蹴飛ばされた。どうやら侍女のひとりと恋仲になっているらしい。
ふん、仲間騎士からのやっかみで村八文にされたらいいんだ、とナーシェンは思ったが、別にイアンでなければならない理由はないので別の者に頼むことにした。
「しかし……死ぬ……マジで死ぬ……」
ベッドで産婦のようにフッフッフーと息をしていると、部屋の扉をノックされる。
「あのぅー、カレルって人が訪ねてきてるんですけど……」
「……………………え?」
屋敷の玄関で待たされていた剣豪は、罰の悪そうな顔をしていた。
彼の背後には、三十人ほどの子どもが居心地悪そうに肩身を寄せ合っている。
「で、これ何?」
酔いもあってか不機嫌そうに尋ねるナーシェンに、カレルがだらだらと汗を流しながら答えた。
「いや、その……」
何でも、カレルはあれから定期的にトラヒム卿や他の貴族の屋敷に忍び込み、虐げられている子どもたちを拉致……もとい救出してきたそうだ。わざわざご苦労なことである。
義賊かお前は、とナーシェンは突っ込んだ。
それで、何人も子どもの面倒を見なければならなくなったのだが、あまりにも人数が増えすぎて生活が立ち行かなくなったそうな。
馬鹿かアンタは、とナーシェンは突っ込んだ。
「で、私に何をしろと?」
「大変言い辛いんだけど、引き取って貰えないかと思ってね」
「思ってね、じゃねえよ。自分の行動の責任ぐらい自分で取れ」
冷たく言い放すナーシェンに、カレルが悲しそうな目を向ける。
君なら何とかしてくれると思っていた、というような目である。
が、ナーシェンは騙されない。こいつは戦場では死神もかくやというような目をするのだ。
運次第ではあるが、神将器エッケザックスを持ったゼフィールですら瞬殺してしまう鬼人である。特効薬とデュランダルを持たせればではラスボスすら単騎で撃破できるはず。
ナーシェンはくるりと背を向ける。
「あ……」
「働かぬ者喰うべからず。剣術指南役として、うちの騎士たちに稽古をつけてやれ」
「そ、それは……」
「子どもを食わせるだけの給料は出す」
その言葉に、カレルの瞳がパッと輝いた。
「すまない、ありがとう」
「礼はいら……ん……うぇ……」
胃の内容物を吐瀉するナーシェンに、カレルの瞳が一気に濁った。