外は豪雨。
ヨーデルを追い出す訳にもいかず、宿泊して貰うことにして、ひとまずナーシェンは待っていて貰ったアウグスタ侯爵、ベルアー伯爵、カザン伯爵と会うことにした。
「では、トラヒム侯爵が関与しているかはわからないと?」
「その通りです。この件については、これ以上は語らない方がよろしいかと」
「……かもしれんな」
アウグスタ侯爵が表情を曇らせながら言った。
ゼフィールが父を暗殺しようとしたというのは、まったくの冗談ではないのである。
ゼフィールは即位以後、ひたすら軍拡に走っているが、そのことを不安に思い、反対している声がある。
傍目から見れば戦争する気満々なのである。
ナーシェンの父は軍拡に反対していた訳ではないが、トラヒム卿が軍国主義に万歳していたトラヒム卿にベルン北部の主導権を握らせれば、大きな力を持った味方の出来上がり――と言うわけである。
「となると、戦争状態になっても、国王が止めない可能性もありますね」
「まず、止めないだろうな」
ベルアー伯爵はまだ二十代後半だが、眼鏡の奥の目には理知的な光が宿っていた。
答えるアウグスタ侯爵は六十代。親子ほどの年の差である。
アウグスタ侯爵がどうかな、とナーシェンに目を向ける。
ナーシェンとの年の差は祖父と孫ほどである。
「確実に、戦は起こるでしょう。トラヒム卿は動員兵力で劣る我々を、軽く踏み潰せると考えているはずです」
「舐められたものですな」
ククッ、と笑うのはカザン伯爵だった。
壮年の男性である。
彼が味方についてくれたのはナーシェンにとって幸運だった。
カザン伯爵は大勝利はしないが大敗北もしたことがない。
戦争をしても目立った武功を収めないため、周囲からは凡将と思われているらしいが、ナーシェンは名将だと思っている。
敵軍を全滅することのできるが、逆に全滅させられるかもしれない武将は信頼できないものである。
「しかし、少しばかりトラヒム卿に流れた者がいますね」
「どうせ流れを読めない馬鹿どもだ。戦場にいても役には立たんだろう」
トラヒム卿に流れた者たちを入れて、奴らの動員兵力は700。
こちら側が400。倍ほどの開きがある。
国力の差ではない。トラヒム卿が無理な徴兵を続けている結果だろう。
「ともかく、今回は我らに逆心がないことを理解して頂ければ幸いだ。我々はお父上が亡き後も、ナーシェン殿の旗に集まるので、まぁ心配はするな。若者の面倒は、年寄りが見るものだからな」
「恩に着ます」
祖父ほどの歳の離れた老人が太鼓判を打ってくれる。
ナーシェンはホッとした。とりあえず、四面楚歌という様相は免れそうだ。
「では、こちらから人質を差し出さないといけませんね」
「おお、そういえば!」
アウグスタがベルアーの言葉に大きく頷いた。
なぜか、嫌な予感がしてならない。
ナーシェンは背中が濡れているのを感じた。
「では、うちの孫娘を貰ってくれんか?」
「私にも娘が一人おります。どうです?」
「ほぅ。では、こちらからも一人、娘を差し出しましょうか」
「いや、ちょ、おま……」
ナーシェンが椅子からずり落ちるのは三度目である。
たしかに、こちらの世界では一夫多妻が認められているが、ナーシェンはまだ十三歳だ。
こいつらもヨーデルも何を考えているのだ。気が狂っているとしか思えん。
【第2章・第7話】
ガタン、とジョッキが机に叩き付けられる。
「しかし、何なんだ……。一体私が何をしたって言うんだよ……」
「うおぉー、いい飲みっぷりですね」
竜騎士のひとりが感心したように言う。
ナーシェンは「うるさいやい」と声を震わせて呟き、机に突っ伏した。
ナーシェン十三歳、自棄酒である。加減を間違えると急性アルコール中毒で倒れるのだが、こちらの世界ではお酒は法律で規制されていないし、新米騎士も普通に飲まされる。
新米騎士たちの洗礼、歓迎会の翌日、ベッドから三日も抜け出せなかった者もいるらしい。
確実に急性アルコール中毒であるが、ナーシェンは「手加減してやってね」と言うことしかできなかった。
ちなみに、アウグスタ侯爵たちは別室でバルドスと、ヨーデルも追加してしんみりとお酒を楽しんでいるらしい。最初はナーシェンも向こうで飲まされていたのだが、三人の娘の押し売りに辟易して、こっそりと抜け出して来たのである。
「しかし、何で私なんかに大切な娘を嫁がせようとするんだろうなぁ?」
人質……というのは理解できるが、ナーシェンは人質を差し出されなければ彼らを信用できないほど狭量ではない。自ら要求するなんてもっての他だ。
と言うか、人質なんて面倒臭いもの、押し付けないで欲しい。
「アウグスタ侯爵は孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていると聞いたことがありますけどね」
「うぇ、あの『鉄壁将軍』が? 似合わなねー」
「ちなみに、七歳になったばかりですよ」
「リグレ公爵の娘さんは今年で五歳だとか」
「ベルアー伯爵のお嬢さん十一歳ですけど」
「むむぅ。ギリギリだよなぁ」
周囲の騎士たちが盛り上るのを尻目に、ナーシェンは胃薬をお酒に突っ込んだ。
薬草をすり潰しただけのものなので、そもそも効果があるのかよくわからないのものである。だが、偽薬効果というものがある。適当な飲み方をしても、ちょっとは効くだろう。
「ん、どうしたんだ?」
ナーシェンはギョッとした。周囲の騎士たちがジッとナーシェンを見つめているのである。
「い、いやぁー、なんでもないで――」
「ナーシェン様って幼女に大人気ですよね」
新米騎士が口をすべらせる。
瞬間、空気が凍りついた。
「あっ、こら!」
慌てて先輩騎士が新米騎士を叱るが、すでに遅い。
「いいんだ……。いいんだよ、別に……。私もね、そうだと思ってたんだよ……」
ナーシェンが完全に机に突っ伏せる。
よよよ、と泣き始める主君に、騎士たちは顔を見合わせた。
「お前慰めろよー」「やだよー」的な空気が辺りに広がる。
―――
そんなナーシェンの姿を、物陰からひとりの少女が見つめていた。
「お兄様……」
ジェミーである。
彼女は酒を一気飲みしてぶっ倒れ、騎士たちに介抱されているナーシェンから視線を外さない。
「ナーシェン様、誰かと結婚しちゃうのかなぁ……?」
「ジェミー、お前……」
ジードはそんな妹の健気な言葉に胸を打たれる。
まさか……いや、ありえない……などという衝撃に胸を打たれたのである。
「いや、お前、八歳だぞ? いや、九歳になったばかりか。だからと言って……」
「ジェミーちゃんサンダー」
「ぶふぇっ!」
トカンと吹き飛ばされた兄の方を振り向かず、ジェミーはそっと溜息を吐く。
「……いや、ナーシェン様はもう十三歳じゃないか。普通なら、どこかの貴族と縁談を結んでいるはずだぜ? あの人がその手の話を避けてたから、許婚が居ないだけで、本来なら」
「ジェミーちゃんファイアー」
「ぶふぉっ! いや、だからさ……ナーシェン様はやめとこうぜ。もっといい人が……」
「お兄様」
ジェミーがつまらないものでも見るかのような目をする。
ジードに人差し指を向け、小脇に抱えていた魔道書を広げる。
「そ、それは、お前にはまだ扱えないはずのエルファイアーの魔道書!」
「それ以上、その汚らしい口を開くと、わかってるわよね?」
「しょ、正直スマンかった……。今では反省している」
「ジェミーちゃんエルファイアー」
「いやだ! まだ死にたくない! た、たすけ……うぎゃぁ!」
ジェミーの辞書に容赦という単語は刻まれていなかった。
小火騒ぎが起こったり、業火達磨のジードという二つ名が生まれることになるのはオマケである。