死国と陸地続きにある毛利領、中つ国。
死国と中つ国との間には国境があり、両者間を行き来するには一つの大きな門を通るしかない。
だがその門は年に二回、呪い憑きや犯罪者を押しこむために毛利側から開けられる以外に開かれる事はなかった。
巨大な朱門。
それは死の地へと送る三途の川。
死国から脱出を図る龍馬達はその朱門をまもなく視界に収めようとしていた。
(もうすぐ…もうすぐだ……)
死国から脱出を図るキャラバンの指揮を取っているのは龍馬。
彼女が立てた作戦とはとても簡単な物だった。
まず集めた干し草を門の周りに敷き詰める。
そして特別に耳が良い呪い憑きに聴覚で毛利側を探らせ、守りが薄い時に干し草に火をつけるのだ。
そうすれば門に火が燃え移ったと毛利側が勘違いし、消火のために門を開けるという作戦。
冷静に考えれば門が少々のぼや騒ぎ程度で燃えるはずがない。
焦って門を開けるよりも周囲の村や部隊から人数を集めて消火するのが効果的。
しかし人間とは時に合理的な行動を取るのが難しい生き物だ。
単純だが成功するはずだ。
このキャラバンを引き連れる龍馬には自信があった。
そして現状ではこれ以上良作というか、脱出の作戦を考えつかない。
「な、なんだ」
「ん? どうした、ゴン?」
「も、門の前に。鳥がいっぱい」
キャラバンの中で身体能力に秀で、視力が最も良いゴンが不信げな声をあげる。
一体何事だと龍馬が訊ねると門の前に不自然なほど沢山のカラスの群れがいるという。
龍馬がぐっと目を凝らしてみてみると、確かに黒い塊が門の前にあった。
「っち、不気味だぜ…」
だんだんと近づいてくるにつれてそれがカラスの群れだという事がわかる。
そのカラスの群れはピクリとも動かず、龍馬達キャラバンをじっと黒い眼で観察していた。
そして先頭を歩く龍馬が近づくと一斉に龍馬にカラスの視線が集中した。
「うおっ、キモ!?」
小さく声をあげてシュッと手裏剣をカラスの群れに投げ込む。
門の付近であるために大きな物音をたてられないが、手裏剣程度なら問題ない。
彫像のようだったカラスの群れは風船が弾けるようにして門を飛び越えて逃げていった。
「よし、邪魔はいなくなったな。じゃあ朱女吾留、よろしく頼むぜ」
龍馬はくるりとキャラバンに向き直り、朱女吾留という老人の名前を呼んだ。
朱女吾留という老人こそ耳が異常発達する能力をもった呪い憑きである。
しかし龍馬の呼びかけに答える声はない。
「どうした朱女吾留……って。本当にどうした。顔が真っ青だぞ」
不審に思った龍馬が朱女吾留の姿を探すと、すぐに姿は見つかった。
しかし朱女吾留はキャラバンから一定の距離を取り、門に近づこうとしない。
それどころかブルブルと青い顔で躰を震わせている。
龍馬に理由訊ねられた朱女吾留は恐怖に震える声で悲鳴をあげた。
「無理、無理だよ…人数なんてわかるはずがない…
兵隊沢山いるよ……100や200じゃない、800人よりもっといるよ…‥」
「なんだと!?」
それは龍馬が予想していた数よりも遥かに多いものだ。
JAPAN中から流刑者が集められ、死国へと送られる時でも500そこそこといったもの。
それが通常の警備で減ることはあっても増える事なんてあるはずがない。
〈ギギギギギギギギ……〉
「な!? は?!」
龍馬の混乱に拍車をかける物音が響き渡る。
それは龍馬だけでなく、譲やゴンといった主要人物も目を見張って驚愕させられた。
それはそうだろう。
門が。決して年に二回だけしか開かれない門が。
龍馬達の目の前で重厚な音を響かせて開き始めたのだから。
「いや、本当に遅かったね。待ったよ」
人一人が通れる程度に開いた門の向こう側から一人の男が現れる。
頭髪は短くザンバラに揃えられ、顔はよくもなく悪くもなく普通の面。
ひょろりとした躰でとても武士には見えない男。
「ああ、皆ありがとう。もう門は閉めてくれて構わないよ」
その男の指示で開かれ始めた門はゆっくりと閉じ始める。
せっかく門が開いたというのに龍馬やゴン達は誰一人身動きが取れなかった。
それはそうだろう――門の向こう側には鎧兜を身に纏い、完全武装した兵隊達の海が見えたのだから。
「さてと。君が龍馬で間違いないかな?」
門から現れた男がにこやかに笑いながらキャラバンの先頭である龍馬に握手を求めて手を差し出す。
「お、おう」
この一連の出来事に不意打ちされた龍馬は目の前の男が誰かもわからないまま、曖昧に頷いて手を握り返すしか出来なかった。
■
「いやー、長かったな」
祐輔が死国門の前で出待ちを始めてから約三日間が過ぎようとしていた所だった。
門の向こう側に配下のカラスを配置し、自分と毛利で借りてきた兵士は毛利側で待機。
いい加減こちらから出向かなければならないかと考えていた所で門の前に人影ありとカラスが告げてきたのだ。
「じゃ、門開けて」
「了解っすぅううう!! アァァァアニキィィイイ!!!」
祐輔の言葉に野太い男達の声が答え、ギギギと重たい門が数十人がかりで開かれる。
一度兵士を借りに毛利へと戻った祐輔だったが、何故か一般兵モヒカンからアニキと呼ばれていた。
まったくもって意味がわからないが、言う事を聞いてくれるならいいかと祐輔は割り切った。
けっして考えるのを怖くなって放棄したわけではない。多分。
重厚な門が祐輔一人分だけ開く。
門が開いた先には大勢の人間が古いぼろ布を纏い、女子供を守るように屈強な男達が囲っている。
そして主要人物であろう先頭を歩く一団は呆けたように祐輔を凝視していた。
「いや、本当に遅かったね。待ったよ」
その先頭の集団の、更に一番前を歩く中性的な少女に祐輔は外行き用の笑顔で笑いかける。
明石はいわば前哨戦。今回の死国交渉こそが祐輔にとって本番なのだ。
ある程度シミュレーションが出来た明石と違い、まったくこちらは反応を予想できない。
「さてと。君が龍馬で間違いないかな?」
死国の戦力、呪い憑きの力は毛利と遜色ない精鋭だ。
非戦闘員がいる状態では力を発揮しきれないが、彼等だけなら織田の将軍達にも迫る力を発揮する。
これから魔人との苦しい戦いの中で是非とも欲しい人材なのだ。
「お、おう」
まだ衝撃が抜けきっていない龍馬の手を取り、祐輔は握手する。
こうしてトップと握手をするというのは現代でもわかる通り、心理的に重要な意味を持つ。
友好的な態度で祐輔は龍馬と交渉を開始すべく努力するのだった。
■
シンクロニシティという言葉がある。
直感、第六感と言い換えてもいいが、それは言葉を介さずに相手を読み取る行為。
言い方はどれでもいいが、龍馬は祐輔と握手した瞬間に祐輔が呪い憑きであると悟った。
「お前、呪い憑きだな…? 偶然こっちに送られてくる時期と被るってわけじゃねぇし。
お前一人のために門が開かれるはずがねぇ。お前なにもんだ?」
「…よくわかりますね」
「わかるさ。お前は俺らと同じ匂いがするからな」
祐輔からにじむ同種の匂いを感じ取った龍馬。
同じ呪い憑きであるというのに毛利兵に指示すらしていた。
龍馬にとって祐輔に抱く感情は不信でしかない。
一方祐輔は祐輔で少し驚いていた。
呪い憑きであるというのはそんな簡単に感じ取れるものなのかと。
それと同時に龍馬の目に映る猜疑の思念に困ったとため息をつく。
祐輔はここに交渉をしにきたのだ。
龍馬にもたれた感情は交渉で有利に働くはずがなく、邪魔でしかない。
しかしこれだけの人数がいる中で龍馬しか口を開いていないという事は原作通り龍馬が実権を握っていると見ていいだろう。
「自分もわけあって呪われてしまいましてね。自業自得なんですが。
本来ならここに押し込まれる筈でしたが、運良く毛利家に拾われまして。
今日は貴方方にいい話があって話し合いをしに来たのですよ。代表は貴方でよろしいんで?」
「拾われただと…?」
「その辺はおいおい話し合いで説明しましょう。出来れば一対一で話したいのですが」
あちらで話をしませんかとより門に近い場所を指差す祐輔。
対して龍馬は次々と詰め込まれる祐輔の情報に処理が追いついていない。
呪い憑きであるというのに毛利で拾われ、兵士を使える立場まである。わけがわからない。
「ちょっと。黙って聞いていれば好き勝手言ってくれるじゃない」
「あなたは?」
あたまに疑問符を浮かべて思考停止している龍馬を見かねたのか、キャラバンの一団から着物を着崩したエロイ姉ちゃんが前に出る。
ほほぅ、これは中々…などとやましい事を考えながら祐輔は女性の胸から目を話せない。
「川之江美禰。私の名前さ。あんたこそ名乗りなよ。あんまり私らを嘗めないで欲しいね?」
「これは失礼を。俺は森本祐輔。毛利からある程度の権限を預けられてきました」
「へぇ…毛利の、ね。なるほど、あそこの殿サマはたしか呪い憑きだっけ。
それならあんたみたいな呪い憑きでも暮らしていけるかもねぇ? ……それとそろそろ胸から視線外しな。露骨すぎるよ」
「すんませんっした!!!!」
完全にバレてる。
祐輔は龍馬からターゲットを美禰へとうつし、腰を70度にして頭を下げる。
謝り慣れているというべきか、それは洗練され見事な美しさを持っていた。
「い、いや。そこまで謝らなくとも…変な奴だね」
まさか男で侍が女である自分にこうまで謝るとは。
変な奴と美禰がクスリと笑う一方で、祐輔は頭を下げつつも相手を観察する。
(彼女が川之江美禰、か…やっぱり死国の頭脳はこの人かね。
さりげなく毛利の情報を龍馬に渡しているし、立ち直るまでの時間まで稼いでいる。
こりゃ龍馬に入れ知恵される前に引き離してさっさと交渉したほうがいいな)
最近加速度的に腹黒くなっている祐輔。
よもや見事な謝罪の裏でこんな事を考えているとは思うまい。
「ま、そんなわけでして。ここに押し込まれている皆さんに大事な話を、ね」
「ならここで話な。私等の事は私等全員が決める」
「いやはや、そういうわけにもいかないわけで。
俺はそちらの代表者である龍馬殿とサシで話す必要があるんですよ。
それが嫌なら結構、俺はすぐにひっこみます。この劣悪な環境の中に死ぬまで閉じ込められてもらいますよ」
「………」
「………」
からみ合う視線。
両者共に険悪な表情はしていないが、内心はどうやら。
会話に入っていけない譲やゴンは固唾を飲んで見守るしかできない。
「いい、美禰。俺が話してくる」
「けどね、龍馬」
「いいからさ」
一歩も引く気のない両者を見かねて龍馬が二人の間に割って入った。
ヒラヒラと手を振り心配すんなと美禰に告げ、祐輔に向き直る。
「じゃあ話を聞こうじゃねぇか」
「話が早くて助かりますよ。ではあちらで」
祐輔は死国門に連なる外壁の一部分を指差し、そこへ誘う。
こうしたちみっちぃ事は苦手なんだがなと毒づきながらも龍馬は祐輔に従った。
■
「かくかくうまうまうまというわけで毛利にお世話になってるんですよ」
「ほー…まるまるさんかくというわけでな。運がいいな、お前」
何事もまずはお互いを知ってからというわけで。
祐輔は自分を信用してもらうため、簡単に自分の境遇について龍馬に説明した。
自分が呪い憑きである事、偶然毛利のご息女を助けた事、拾われた事。
龍馬も同じ呪い憑き。
それがどれだけ大変な事であるか、珍しいケースであるかも理解できる。
そのため最初の頃と比べて幾分顔の険が取れていた。
(そろそろかな…)
ほどよく空気は暖まった。
これならある程度は話してもすぐにキレられたりはしないだろう。
そう祐輔は判断して龍馬に話を切り出した。
「そこで毛利から一つ提案があるんですよ。
今魔人という恐ろしい存在が復活したのは説明しましたよね。
こちらとしては魔人と闘う際に死国の皆様に協力して頂きたいのですよ」
「ならまずは俺達をここから出せ。話はそれからだ」
「んー、それはそれで難しくて…まずは話を詳しく聞いてくれませんか?」
とにもかくにもまずは死国から解放しろ。
そう要求をしてくる龍馬を軽くいなし、祐輔は話を続ける。
何も考えずに龍馬達を解放すればそれこそ猛然と喉笛に噛み付いてくるだろう。
「最初に龍馬殿やキャラバンの皆さんを無条件で解放する事はできません。これは断っておきましょう」
「――あぁ? オイこら、ふざけてんのか」
「無条件ではと言ったじゃないですか。そんなに怒らないでくださいよ」
みるみる内に眉が釣り上がって行く龍馬。
機嫌が悪くなっているのは見ての通りだが、一応まだ話を聞く態勢は崩していない。
これは話を切り出す前にこちらの情報を渡しておいて正解だったなと祐輔は胸を撫で下ろした。
「こちらには非戦闘員である女や子供、老人を保護する用意があります。
暖かい食事、寝床を死国門の付近ですが作りましょう。もちろん毛利側に。
ですが龍馬殿やゴン殿のように戦闘員は簡単に門を通すわけにはいきません。こちらも貴方方が恐ろしいんですよ。反乱を起こされたらたまりません」
内容を補足するなら、祐輔は非戦闘員を毛利側に集め難民キャンプをつくろうというのだ。
龍馬達のキャラバンにおいて脚を引っ張っているのは子供や老人などの非戦闘員。
ならば彼等を保護すれば龍馬達は死国門の中でも苦しいだろうが生活できるだろうという判断。
「もちろん龍馬殿達にも食事の配給を行ないます。
定期的に投石機でそちら側に米や食料を投げ入れます。そちらは不毛の地と聞きましたので」
決戦の前に痩せ細られたらたまらない。
そのため門の内側にいる龍馬達に対する支援も祐輔は忘れていない。
これだけの食料や物資をどうするのかという疑問は当然だろう。
ない袖は振れない。食料や資源は雨水のように無限に湧いてくるわけではない。
だがここで明石との降伏条件に繋がるのだ。
明石を臨時の食料や資源の備蓄基地とし、そこから死国へと回す。
作物の収穫は男手が減ったとはいえ、今期に限れば女子供や老人でも充分に出来るだろう。
多くの成人男子が戦死した今、明石での余剰食料はそれなりにあるはずだ。
それを死国の難民キャンプや支援に積極的に回す。
それが祐輔がこの一連の流れで考えついた策だった。
「貴方方主戦力の皆さんは向こう側にいてもらいますが、それもご了承願いたい。
もっともずっとそのままというわけではありません。有事のさいに前線に出て頂く事を前提条件。
そして戦で充分なほどに活躍して頂ければ死国門の外に領地を約束しましょう」
「……オイ」
ここで原作の知識が生きてくる。
死国勢がある程度の戦力を持っている以上、門の外に一旦出れば他国からの介入は少ない。
また原作通りにわざと奪われるように見せかければ毛利に対する批判も少なくすむだろう。
「もっとも、それは魔人の件が片付いてからになるでしょうが」
「オイ」
ただでさえ血気盛んな国どうし、最悪ザビエル戦を前に戦をする可能性もなくはない。
ここで原作通り温和に進むだろうと見るのは楽観視すぎる。
「おい!!」
「…なんですか?」
ここまで意図的に無視し続けてきた祐輔だが、龍馬が声を張り上げたのを見て限界かと話を切り上げる。
こういった話は一貫性を持たせて説名したほうがわかりやすい。
そう思った祐輔だったのだが、龍馬が青筋をたててキレかけているのを見て流石に止めたのだった。
「なんなりと質問をどうぞ。俺の話はここまでなので、何でも質問して下さい」
どーぞどーぞと祐輔はWelcomeとばかりに龍馬を促す。
そんな祐輔の態度に尚更龍馬は腹が立ったのか、それは怒声に近い声だった。
「それは―――それは、俺達にお前の犬になれって事か!? あア!?
しかも人質として家族を差し出せと!! お前らはそういうのか!!??」
「……否定はしませんよ。見方が変われば、そういう一面に見えるでしょう」
毛利側で保護するという名目で集める難民キャンプ。
それは激昂する龍馬の言葉通り、当面龍馬達が裏切らないようにするための保険。
彼等の結束は高いと見ていた祐輔が考えた外道と罵られても仕方ない策だ。
しかし毛利側にはあっさりと認められる。
この時代、同盟国相手に裏切らないようにするための保険として政略婚するのは当たり前。
お前当たり前の事何言ってんの? と逆に馬鹿を見る目で見られたくらいだ・
「ふっっっっっっっっっっざけんじゃねぇえええええええ!!!」
「うがっ!?」
龍馬がいきなり怒鳴り散らしたせいで祐輔は思わず耳をおさえる。
それはとんでもない声量で、少し離れた場所にいる譲やゴンもビクリとしたくらいである。
それを至近距離で耳に叩きつけられた祐輔は頭がキーンとしてくらくらした。
「人質差し出して俺達はてめぇらが用意したおまんま食えってか!?
ふざけんな!!! 俺達は呪い憑きだがな、鬼畜生じゃねぇんだ!! 身内裏切れるかってんだ!!!」
「ちょ、おま、落ち着いて…何も聞こえないからね、マジで」
耳が麻痺して聞こえない祐輔に対して怒鳴り続ける龍馬。
しばらくこの構図が続いたが、流石に龍馬もこのまま怒鳴っても意味がないと悟ったらしい。
ハァハァと肩を上下させて鋭い眼光で見据える龍馬に多少ビビリつつ、祐輔はやっと回復してきた聴覚を再始動して確認をする。
「つまり交渉は決裂という事でいいですね?」
「ったりまえだ、このゴミ野郎。つまらねぇ話聞かせやがって。
てめぇも呪い憑きなら、わかるだろ。俺達はこんな糞みてぇな場所から這い上がる。
施しは受けねぇ。自分たちの手で上がり詰めてやるさ」
それはこの交渉が失敗であるという事を。
龍馬が誇り高い事も知っていた。この地が余所者に厳しく、仲間の結束が強固な事も。
しかしこの条件以外では死国門に龍馬達を閉じ込めるしか方法がなくなる。
それゆえ祐輔はこの交渉(シナリオ)を決めた。
―――――失敗するという結末すら、交渉の中に入れ込んで。
「そうですか」
いとも簡単に龍馬から目線を外し、くるりと少し離れた位置にいるキャラバンに向き直る祐輔。
まるでもう興味を失ったと言わんばかりの行動に龍馬は口をつぐむ。
(何をする気だ…?)
交渉がしたいと来たわりにはあっさりと引き下がりすぎる。
肩透かしをされたと同時に沸々と嫌な予感が龍馬を包む。
そしてその嫌な予感は正しかった。
「よく聞いてください、皆さん!! 毛利は貴方方を条件次第で迎え入れる準備があります!!
門の向こう側には暖かい食事、外敵に怯える事なく眠れる住居、肥えた土地が!!!」
「んな!?」
先程の龍馬に負けないくらいの、喉が張り裂けるくらいの大声で祐輔が呼びかけたのだ。
龍馬と二人で話をしたいと言って伝えた内容を。
「これは嘘でも冗談でもない!! 明日から一週間、毎日食事を門の向こう側から投げ入れさせよう!!
我々は敵ではない、貴方方の味方です!! 貴方方が条件さえ守れば喜んでこちら側に招き入れましょう!!!」
何故祐輔がこんな行動を取ったのか。
それは人間という生き物の性質を逆手にとったもの。
人間とは苦痛よりも快楽のほうが抗う事が難しい。
これが拷問であれば死国の人間全てに耐性があるだろう。
だが暖かい食事を毎日与えてくれる存在、鬼や妖怪に怯えずに過ごせる日々。
その甘い毒はまるで蜜のようにねっとりと、心の弱い者から侵食される。
その毒に犯された者は不満がたまれば声高々に叫ぶだろう。
何故毛利と手を結ばないのかと。龍馬達がいくら条件を説明しても聞き入れないだろう。
龍馬達が今の地位を奪われないため、ウソをついているのではないかと勘ぐって。
「てめぇ…!」
してやられたと龍馬は祐輔を睨みつける。
やられてから気づいた。祐輔の目的は龍馬達の間に亀裂を生じさせる事なのだ。
「すみませんね。こっちも失敗するわけにはいかないんで」
毎日のように食事が投げ込まれれば、毛利側が本気だと信じる人間も増えるだろう。
毛利側に呪い憑きや厄介者の自分たちを迎え入れる準備があるのだと。
だがその援助も一週間で打ち切られる。
龍馬の秘策は祐輔に見破られ使えず、いつまでも突破口は開かない。
憧れの向こう側を阻む門の前でいつまでも生活しなければならないのだ。
仮に死国の集落に戻ったとしても再起しようという気力はおきまい。
人間というのはただの絶望より、希望を打ち砕かれたほうが神経的ダメージは大きい。
龍馬はリーダーという地位を剥奪され、次のリーダーに龍馬ほどのカリスマはあり得ない。
「それでは俺はこの辺で。一週間後、同じ時間にもう一度来ます。
その時に交渉の返事でも聞かせてくださいよ」
「………」
「そして最後に一つ。干し草でぼや騒ぎ、本当に火をつけても門が完全に燃えるまで一日はかかります。
ぼや騒ぎに乗じてこちら側に乗り込むなんて作戦、通じると思わないで下さいよ。
俺がいる限り門を抜けるには正面突破しかないと考えておいてください」
つまり祐輔のシナリオがここまで進められた時点で龍馬はツミなのだ。
ここで龍馬が一発逆転の秘策でも考えつかなければ。
これで終わりだと祐輔は去っていく。
その忌々しい背中を龍馬達に見せつけて。
龍馬は黙って歯噛みしながらその背中を見送るしかなかった。
■
「え、あれ、ちょ、え? お、俺だよー?
ほらほら、カラスの合図に気づかないのかなー?」
しかしその背中がしょぼくれた物に変わるのはすぐだった。
祐輔があらかじめ決めておいた合図をしても門が開く気配はまったくない。
今までの余裕の表情から一転、冷や汗を流しながら祐輔は必死に門を叩く。
「え、ちょ、ワロエナイよ!? 見捨てられたの、え!? ウソん!!??」
バンバンバンバン。
祐輔が手で門を叩くたびにキャラバンや龍馬からの視線は冷たくなる。
ああ、こいつ捨てられたんだな。哀れな。やっぱりね。そんな視線に。
祐輔の冷や汗は留まるところを知らない。
何故なら祐輔は自分に自信がないのである。
「もぅ勘弁してくださいよぅ、イジメないでくださいよぅ……」
シクシクシク。
さめざめと祐輔が本気で泣き始めた時。
ようやく死国門がゆっくりと開き始めた。
「だーーっはっっはっはっは(笑!!! こいつマジ泣きしてやがる!!!
ひーーーーー!!! おもしろすぎる!!!」
死国門の毛利側には腹を抱えて大爆笑した吉川 きくの姿が。
実は毛利の兵を貸しだしたのに帰りが遅いので、きくが偵察にきたのである。
タイミングがどんぴしゃだったので、どうせだから祐輔をからかおうという事になったのだ。
「………」
「あはっ、あははははははははは!!! はぁはぁ…わりわり、あんまりにも情けねぇ面してたからさ」
呆然とした顔で見上げる祐輔。
その目に涙の跡がついているのを見て流石に悪いと思ったのか、笑いながらきくは謝った。
「よがっだーー!! ずっどごのまま死国でずごずのがどおもっだーー!!
現代人の俺にごんなどごろでずごぜるばず、ないわぼげーー!! ぜっだいイジメられで野だれ死ぬわーー!!
あいじでるーー!!」
「うわっ、汚ねっ!? この、くっつくな!!」
だがその笑いも再度嬉し泣きしながら祐輔に抱きつかれ、きくの笑顔は崩れ去る。
最後はまったくしまらない終わり方で祐輔とその一行は去っていった。
■
「なぁ…あいつ、本当に毛利の使者なのか?」
「そうっぽいぜ。なぁ姉ちゃん?」
「ああ、ありゃ毛利の三姉妹の次女だよ。
その姫さんとあれだけ仲良くしてるって事は…あいつもお偉いさんの一人に間違いってわけみたいだね。
それにしても向こうも嫌らしい条件を出してきたもんだ」
「聞いてたのか?」
「おいおい龍馬、こっちには朱女吾留がいるんだぜ?
お前らの会話なんて丸聞こえだっつーの。で、なんで嫌らしいんだ?」
「あんたね……聞く限りじゃ龍馬の考えた作戦は見抜かれてたんでしょ?」
「…そうなるな」
「ならその作戦で門を抜けるのは無理。それ以外の方法は?」
「………」
「ない、んだろうねぇ…なら向こうの条件をのむか、こっちが引くしかない。
けどこっちが引いたら、もう一度何かしようっていう気力は湧かないと思う」
「まずいじゃん」
「まずいな」
「だからそう言ってるでしょうが、この馬鹿二人!!」
ゴチンゴチンと龍馬と譲の頭に鉄拳が入れられる。
「これからどうするか考えないとねぇ…」