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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/08/25 23:54

「――ふむ、おおよその話は承知した」
 九国からここまで、直属の兵を引き連れて俺たちを護衛してくれた小野鎮幸に京へ出向く経緯を説明する。
 俺の話を聞き終えた鎮幸は腕を組んで考え込んだ。
「これより先、三好の兵が京までついてくるとなると、これ以上大友の者が筑前どのらと同道するのは避けた方がよかろうな。ここまでならば護衛で済むが、これ以上となると、筑前どのと大友家の間に格別な親しみがある、と勘ぐられるかもしれぬ。したが、三好の話は本当に信用できるのかの?」


 鎮幸の疑問に、俺は迷うことなくうなずいた。
「当主の弟が直々に出てきたところから察するに、今回の招請にこちらを害する意図はない、と考えて良いかと思います。まあ、安宅どのが口にしたこと以外に何か秘めた目論見があるのは間違いないでしょうけどね」
「それがわかっていて、あえて相手の招きに応じるか。今に始まったことではないが、筑前どのはこの手のことになると途端に大胆になるな。そういう御仁であればこそ周りに人が集まるのであろうが、集まるのが決まって妙齢のおなごばかりとなると、気疲れも多かろうて」
 がはは、と豪快に笑う鎮幸。重秀が同行することになった件を茶化しているのは明らかであり、俺は反論もできずに茶を飲んでごまかすしかなかった。


 笑いをおさめた鎮幸はごほんと咳払いし、表情を真剣なものに改める。
「さて、筑前どのの艶福家ぶりはさておくとして」
「いや、その言葉の選択は明らかに間違ってます」
「そうか? わしにはそう間違っているとも思えんが、ま、それはともかく、わしらは今少し堺に留まり、畿内の情報を集めることにする。筑前どのが宗麟さまからいただいたものは、この店に預けるという形で良いのだな?」
「はい。あれだけの量の品、持ち運ぶには重すぎますから。投資という形で預けておきますよ。この先、物入りになった時に返してもらうことにします」
 宗麟さまからいただいた金品は清右衛門らに渡した分をのぞいてもかなりの額にのぼる。人数分の馬を用意し、道中の諸経費(宿泊費、食費、関所での賄賂、その他もろもろ)を差し引いてもなお余る。これを越後まで持っていくとなると、馬車の一つ二つ用立てなければならず、危急の際に重荷になってしまうだろう。


 いざとなればうち捨てれば良いわけだが、せっかくの贈り物を物取りやら山賊やらに奪われるのは業腹なので、世話になったこの店にあずけて活用してもらうことにしたわけだ。返してもらうのがいつになるかはわからないし、投資となると大損する可能性もあるわけだが、まあそうなったらそうなったでかまわない。少なくとも賊に奪われるよりはマシである。
 それを聞いた鎮幸は大きくうなずいた。
「ならば、荷は仲屋に運び込んでおくことにしよう。それとな、今も申したように、わしらは今しばらく堺に留まる。京で、あるいは道中で変事が出来した際、わしらの力が必要であればすぐに駆けつけるゆえ、遠慮せずに使者を寄越してくれよ。数が必要とあらばここで兵を募ってゆくでな」
「そんなことをしたら、三好家に目の仇にされてしまいますよ?」
「なに、筑前どのの窮地を救うためとあらば、宗麟さまも道雪さまもその程度のことは問題とされまいて。むしろ、逆の行動をとった時こそ我が身が危うくなるわ」
「――お心遣い、ありがたく」


 俺が神妙に頭を垂れると、鎮幸は「気にするな」というようにばんばんと肩を叩いてきた。
「何事もなければそれで良いのだ。達者でな、筑前どの。ここで別れれば、日ノ本の西と東、気軽に行き来することもできぬで、今生の別れとなるやもしれぬが、なんとはなしにそうはならん気がしておる。また共に戦場に立てる日を楽しみにしておるぞ」
「鎮幸どのもお達者で。ただ、上杉家のそれがしと、大友家の鎮幸どのが同じ戦場に立つとなると、日ノ本に大きな異変が起きた時くらいでしょうから、共に戦場に立つ日は来ない方が良い気がします」
「ふむ、それもそうか。では、再び会える日を楽しみにしておる、ということにしておこう。また敵城潜入などもしてみたいのだがな」
 もう一度豪快な笑いを響かせた鎮幸は、そういって俺たちの旅路の無事を願ってくれた。



◆◆



 鎮幸の願いが天に届いたのか、京への道中で血なまぐさい変事は起こらなかった。
 天気も基本的に良好であり、周囲を三好の兵に囲まれているような状況でなければ、もう少し都への旅路を楽しむことができただろうと思う。
 途中、一度だけ夕立に見舞われたが、河川が氾濫するような激しいものではなく、あらかじめ吉継から注意を受けていたこともあって、衣服を濡らさずに済んだことをつけくわえておこう。
 ちなみに、この吉継の特技に重秀は感心しきりであった。


「鉄砲に雨は天敵ですから。天候ひとつで戦況ががらりと変わってしまうことはままあります。私も何度か危ない目に遭いました」
 照れたように失敗談を話した重秀は、表情を改めて吉継に問いを向けた。
「不躾な質問かもしれませんが、何か秘訣のようなものはあるのですか?」
「秘訣、ですか。そう呼ぶべきかはわかりませんが、石宗さま(吉継の師であった角隈石宗)は『目を凝らし、耳を澄ませよ』と仰っていました。風や空がかわるとき、徴候は必ず現れるもの。それを素早く的確に読み取ることが肝要なのだ、と」


 重秀はそれを聞いてふむと考え込む。
「術の類で未来を視るわけではない、ということですか」
「はい。徴候に気づかなければ、あるいは読みあやまれば、天候の変化を知ることはかないません。そこには当然、見る者の知識や経験も関わってきます。たとえば私は雪に慣れていませんので、雪が降る気配を素早く感じ取ることはできないでしょう」
 穏やかに言葉を紡いでいく吉継は、その特徴的な外見を隠すために白い頭巾をかぶっている。
 この頭巾、九国にいた時のそれと違って、顔中を覆い隠すものではなく、フードのような形をしていた。正面から向き合えば、紅い双眸や銀色の髪をはっきりと見て取ることができる。
 当然、重秀は吉継の容貌が他者と異なることに気がついていたが、初対面時からこちら、まったく意に介していなかった。強いて気にしないようにしているわけではなく、本気で気にしていないらしい。
 その証拠というべきか、重秀は一行の中で一番年齢が近い吉継によく話しかけ、吉継の方も重秀の為人に好感を覚えた様子で、短い道中ではあるものの、二人の間に親しみがかよっている様子がよくわかる。


 考えてみると、これまで吉継の周囲に近しい年頃の子はいなかった。
 強いていえば道雪どのの養子である誾が近いといえば近かったが、誾は男児であったし、立場が立場なので気軽に話せる間柄にはなりえなかった。
 その意味で重秀の同行は、俺や吉継にとって予期せぬ幸運であったかもしれない。周囲にひねた大人ばかりがいるのは、吉継の成長環境に良いとは言いがたいし。


 ああ、そういえば吉継が俺をお義父さまと呼んだとき、重秀がえらく驚いていたな。
 後で聞いたところ、「おとうさま」という呼びかけを聞いた重秀は、俺が吉継の実の父親であると勘違いしたらしく、俺の推定年齢が十以上低かったと慌てて脳内で訂正作業を行ったそうな。
 自分(重秀)と吉継はほぼ同じ年齢=自分の父親と俺の年齢もだいたい同じ、と。


 つまり、俺は一瞬で三十路を越え、ヘタすると四十路ではないか、と判断されてしまったことになる。
 それ自体は、まあ勘違いの延長といえなくもないので別にいいのだが、ショックなのは重秀が俺を見て「よくよく見れば……」と納得してしまったことである。
 俺ってそんなに老けて見えるのか、と地味にへこんだ。十代女子には二十歳以上はみんなおじさんに見えるというあれか。長恵にはけらけらと笑われるし。ちくせう。


「それだけ貫禄が出てきた、ということでしょう」
 とフォローしてくれたのは秀綱である。その心遣いはありがたかったが、秀綱の口元が微妙に緩んでいた気がするのは、俺のひがみ根性がなせる業であったのや否や。
 もちろん重秀には俺の実年齢も含め、吉継との関係は説明した。といっても細かい事情までは説明しなかったし、重秀の方も聞いてはこなかった。複雑な事情があることを察してくれたのだろう。
 気遣いが出来て、胆力もあって、ちょっとだけうっかり屋。俺の中で鈴木重秀のイメージはそういう風にかたまりつつあり、その重秀と吉継が仲良くなっていくことに、安堵に似たものを感じてもいたのである。




 そんなこんなで道中は平穏に進んだのだが、残念なことに――あるいは予想どおりというべきか、京に入った途端、平穏は俺たちの前から駆け足で逃げ去ってしまった。
 兵火自体はとうにおさまっているとはいえ、京の街並みには乱の爪痕がまだ色濃く残っている。街中の気配も不穏で、見かける人間の大半が三好家の兵とおぼしき者たちばかりであった。
 俺たちに向けて、街路の陰や、戸を閉ざした家々の窓から怯えた視線が向けられているのがわかる。京の町人の目には、冬康率いる部隊は新たな兵乱をもたらすものとして映っているのかもしれない。


 そういった視線をくぐりぬけるようにして俺たちが案内されたのは、京における三好家の拠点となっている屋敷だった。
 一言で屋敷といっても敷地は広大で、おそらく中にいる兵士は百や二百ではないだろう。門構えは見るからに頑丈そうであり、周囲には深い堀がめぐらされている。くわえて、四方の塀際に築かれた櫓の上では、兵たちが厳しい顔つきでたえず周囲を警戒していた。防備の堅さはそのあたりの砦をはるかに上回るといってよいだろう。


 冬康は先触れの使者を出していたらしく、たどりついた俺たちを迎える将兵の態度は丁重であったが、中には訝しげな眼差しを向けてくる者もおり、どうやら何者がやってくるのかを周知徹底しているわけではないらしかった。
 義賢や冬康といった三好一族が上杉家の重臣を招いたと知られれば、三好家内部に不穏な空気が流れる恐れがある。そのあたりを慮ったのだろうが、してみると今回の件、俺が考えていたよりもはるかに家中を動揺させているのかもしれない。


 つつがなく中へと招き入れられた俺たちは、当座のこととして客間の一つに案内された。
 どうやら三好義賢は宮中に出向いているようで、戻ってくるまで旅塵を落とし、ゆっくりしていてほしい、というのが冬康の言葉だった。
 その言葉どおり、三好家に仕える侍女や小姓がぴたりとくっついてあれやこれやと世話を焼いてくれたが、たぶんこれは勝手な行動をしないように、という言外の意思表示でもあるのだろう。


 室内に腰をおろした俺は、あえて楽観的に口を開いた。
「ま、刀剣突きつけられて、余計なことをするなと云われるより遥かにマシだな」
「それはそのとおりですが、屋敷の警戒の厳重さを見るに、いつそのような状況に置かれても不思議はないように思えます」
 吉継の懸念は他の同行者たちも等しく感じていたものらしく、無言のうなずきが返ってくる。
 たしかに町中の雰囲気は不穏そのものだったし、三好家の将兵も殺気立っているようだった。冬康じきじきの案内があったから何の問題もなく京に入れたものの、そうでなければ関所や見回りの兵士に咎められていたかもしれない。
 天下の将軍が配下の兵に殺されて、まださして時が経っていないことを考えれば、むしろよくこの程度の混乱でおさまっていると考えるべきなのかもしれないが、さて。



 俺は腕を組んで考えに沈んだ。
 これからどうするべきかはすでに道中で考えてある。京についたら謙信さまたちが宿泊していたという三条西家を訪れようと思っていたのだ。堺で出してもらった使いの人は、入れ違いになってしまったのか、ついにここまで会えずじまいだった。
 しかし、この感じでは三好家から外出許可は出ないだろう。
 むろん、三好家に行動を掣肘される筋合いなどないので、強引に出て行くこともできないことではないが、それをやってしまうと三好家との仲が険悪化してしまう。結果、今後の京や畿内での行動が著しく制限されることになるだろう。今の段階でこちらから喧嘩を売るのは悪手であった。


 ただ、吉継のいうとおり、こちらから売りつけずとも状況の変化にともなって向こうが牙をむいてくる可能性は十分にある。冬康の言葉が事実であれば、三好家内部でも反目や対立があるようだし、用心を欠かすことはできないだろう。
 そうやって考えを推し進めていくと、最終的に出てくる答えは、用心しつつもじっとしているしかない、というものになる。少なくとも義賢なり冬康なりの口から謙信さまの行方を聞きだすまではそうするのが最善だろう。




 とりあえずそのように結論づけたものの、俺の中には自分が出した答えに対するかすかな焦り、ないしは不満があり、この不純物は俺の内心をちくちくと針で突ついてきた。
 相手は謙信さまの情報を切り札として、こちらの行動を掣肘しようとしている。その思惑にまんまと乗せられていることがわかっていながら、乗せられるしかない今の状況がどうにももどかしい。
(主導権は握るものであって、握られるものじゃないな)
 表向きは平静を装いつつ、内心でため息を吐いた。
 三好家に所在を掴まれた上、相手がこちらを警戒しているとわかったからには、こうするのが一番手っ取り早いと考えたから京まで来た。ヘタに逃げれば三好軍に狩りだされる怖れがあったし、鎮幸らにも迷惑をかけたであろうから、この考えが間違っていたとは思わない。が、こうして相手の懐に飛び込んでみると一抹の不安を禁じえなかった。将軍に刃を向けるような相手に、常識的な対応を期待してもよかったのだろうか、と。


「師兄」
 不意に長恵に呼びかけられ、俺は我に返った。結果として、暗い方向に傾きつつあった思考から解放される。
「どうした、長恵?」
「いえ、なにやら師兄の目もとに暗い陰が見えた気がしましたので。何か気鬱になることでもあったのかな、と」
「む、いや、別に気鬱になっているわけじゃないが」
 自分で決めたことである以上、ついてきてくれた人たちの前で不安な表情を見せるわけにはいかない。俺はつとめて何気なく応じた。
 ……いや、まあこうして問いかけられている時点で見抜かれているのは明らかなんだけど。


「ふむ」
 長恵は少しの間、探るような視線を向けてきたが、はじめからそれほど気にしてはいなかったようで、すぐに問いをおさめた。いささか物騒な言葉を添えて、ではあったが。
「それならばよろしいのですが、念のために申し上げておきます。この程度の守り、私とお師様ならば斬り破ることは易きこと。ご承知おきくださいね」
「ぬ? いや、待て待て、別に荒事に持ち込むつもりはないぞ」
「そういう手段もある、ということです。姫さまと鈴嬢(重秀のこと)もいらっしゃること、慎重に事にあたるのは当然ですが、それを気にするあまり自縄自縛に陥っては意味がないと思うのです」
「むぐ」
 一言もなく黙るしかなかった。


 まさか長恵に諭される日が来ようとは。いやまあ、内容はといえば「いざとなれば力ずくでもおっけーです」というものなので、諭すというのはちょっと違うかもしれないが、それでも俺の中の迷いを見抜いた上での献言であるのは間違いない。
 素直に感謝した。
「気をつけよう。それと、ありがとうな」
「なんの。師兄には是非とも無事に越後に帰りつき、私の願いをかなえてもらわねばなりません。そのためにこの長恵、全身全霊をもって師兄を支える所存です」
 キリッとした表情で力強く言い切る長恵。
 ちなみにこれが鍛冶師のことで俺との賭けに勝った件だというのは云うまでもないだろう。
 むろん約束を反故にするつもりはなかったが、ここまで気合を入れられると、どんなお願いが待っているのか戦々恐々としてしまう。ある意味、三好家の動向よりもこっちの方が気がかりなくらいだった。まあ半分くらいは冗談だが。


「…………いったい何を願うつもりなんだ?」
「それは秘密です」
 これもこのところ定型化しつつあるやり取りだった。
 周囲から苦笑まじりの視線を向けられ、俺が場をごまかそうと咳払いした直後。



 不意に、屋敷がざわめいた。

 
 
 それまでも十分に物々しい雰囲気であったが、その質がかわったとでも云おうか。家人が慌しく走り回る音や、忙しげな呼びかけの声がそこかしこから響いてくる。
 秀綱と長恵、それに吉継と重秀もすばやく刀を手元に引き寄せた。前の二人にいたっては、今この場に狼藉者が侵入してきたら、抜く手も見せずに斬って捨てそうな迫力がある。
 他方、俺は落ち着きを取り戻していた。
 何事もない時には先を危ぶみ、事が起きるや平静を取り戻すというのも妙な話だが、実際そうなのだから仕方ない。
 一応、理由もある。三好家が俺たちに刃を向けるつもりなら、わざわざこんな風に騒ぎ出すはずがない。おそらくは三好家にとっても予期せぬ事態が生じたのだろう。


 刀を鞘から抜き放つ音や、甲冑のこすれあう音などは聞こえてこない。戦支度の気配がないことから察するに、誰かがこの屋敷に攻めてきたというわけではなさそうだ。差し迫った危険はない。
 ただ、それにしてはずいぶんと聞こえてくる声が慌しいのが気になった。どことなく切羽詰っている様子すらうかがえる。
 となると、どこかの大名が国境を侵したか、あるいは謀反でも起きたのか。いずれにせよ火急の事態が起きたのは間違いなさそうであった。



「お義父さま、どうなさいますか?」
「とりあえず大人しくしていよう。そのうち誰かが何か云ってくるだろう。念のため荷物はすぐに持ち出せるようにしておいてくれ」
 俺の返答に吉継と重秀が同時にうなずいた。
 ちなみに重秀はやたらと頑丈そうな木箱を背負って持ち運んでおり、中には幾つかの工具と共に分解状態の鉄砲が入れられている。銃身に鈴木家の家紋である『三つ足烏』と愛山護法の文字が記されたそれは、重秀自身がつくりあげた逸品であるそうだ――いや、重秀が自分で「逸品です」と胸を張ったわけではないのだが、あの鈴木重秀が手ずから製作して大事にしているのだから逸品でないはずはない、と思う次第である。


 他にも火薬やら何やらが詰まった胴乱(ポーチみたいなもの)など、かなりの数の荷物を持っている重秀だが、別段、顔色ひとつかえずにそれらを持ち運んでいるあたり、見かけによらず結構な力持ちでもあった。
 ただ、さすがにその状態では自由自在に刀を振るうというわけにはいかない。従って、秀綱にはいざという時は重秀を守ってくれと伝えてあった。護衛で雇った相手を護衛するとか、たぶん本人に聞かれると「子供扱いされた」と気分を損ねてしまうと思うので、あくまで内密に、である。




「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
 何気なく呟いたその言葉。さして深い考えもなく、この状況にはぴったりだと思ったので口走っただけだったのだが、返って来た反応は素早かった。
「――残念。そのどちらでもないわよ」
 その人物はいつの間にか襖のすぐ外まで来ていた。
 失礼するわ、との声に応じて作法どおりに開かれる襖。開かれた襖の向こうにのぞいた艶やかな黒髪と鮮麗な美貌を見て、俺の口からこぼれでたのは感嘆――ではなく、心の底から辟易したうめき声であった。


「……げ」
「あら、久方ぶりに顔をあわせたというのに、はじめの一言がそれなの? 越後の軍師さまはずいぶんと礼儀知らずになられたようね。久秀、がっかりだわ」
 口ではそう云いながらも、たいして気を悪くした様子はない。
 動作の端々に気品を滲ませながら、松永久秀はしずかに部屋の中へと入ってきた。
 




◆◆





「本願寺が!?」
 本願寺軍が淡路島を急襲した。
 そのことを久秀から聞いた俺は、思わず声を高めてしまった。
 対する久秀の顔に動揺の色はない。もちろん、このことをあらかじめ知っていた久秀が、今聞いたばかりの俺よりも落ち着いているのは当然の話なのだが、それにしても少し平静すぎる気がした。


「そ、いま屋敷が騒がしいのはそのせいよ。石山の兵はもとより紀州の傭兵も動かしたみたいだから、兵の総数が一万を下回ることはないでしょうね」
「……大軍による奇襲、ですか。戦況としてはかなりまずいと思うのですけど」
「まずいわね。冬康さまが淡路にいらっしゃればともかく、今いるのは留守居の将だけだもの。紀州の傭兵を動かしたってことは、たぶん熊野の水軍にも声をかけているでしょうし、そうなると海の上での優位も失われる。これをまずいと云わずして、何をまずいというのかしらというくらいの戦況ね」
「にしては、えらく落ち着いてますね、久秀どの?」
「ここで久秀が慌てたところで、あちらの戦況が良くなるわけでもないでしょ?」
「まあ、そらそうですが」


 再会の挨拶もそこそこに始まった俺たちの会話に、周囲から怪訝そうな、あるいは戸惑ったような視線が幾つも向けられてくる。
 俺たちの中で久秀の顔を見知っているのは秀綱のみであり、その秀綱にしたところで久秀と膝をつきあわせて話をしたことがあるわけではない。まして噂や風聞でしか松永久秀のことを知らない吉継たちが、眼前の少女と噂の謀将との落差に戸惑うのは当然といえば当然のことであった。
 いや、もしかしたらそれ以前に、三好家の重臣である久秀と俺がえらく親しげなことに困惑しているだけかもしれんけど。
 そうだとしたら訂正したい。切実に訂正したい。傍目から見れば親しげに見えるかもしれないが、その実情は言葉という刃による苛烈な斬りあいの真っ只中なのだ、と。



「まあ、これは今の颯馬には関わりのないことだし、謙信たちの行方に比べたらさして興味があることでもないでしょ?」
 その言葉を聞き、自分の表情がかわったことを不覚だとは思わなかった。
「――ご存知なのですか」
「知っているから来たのよ。本来ならもう少しもったいぶってあげるところだけど、私と颯馬の仲だもの、それはなしにしてあげるわ」
「……ありがたき幸せ、というべきですかね」
「むしろ大喜びしなさいな。で、結論からいうけど、今、謙信たちは近江にいるわ。南近江の六角家。越後の一行は今、彼の地の当主である六角義治の下にいる。もっとはっきりいえば幽閉されているの」


 ぎり、と奥歯が鳴った。
「六角家が、何故?」
 もちろん六角家の名前は知っていた。しかし、当主の顔も性格も知らない俺には、あの家が謙信さまたちを幽閉している理由がわからない。少なくとも、先の上洛で六角家と上杉家が敵対したという事実はないはずだった。
 それに六角家は義輝さまに近しい勢力だったと記憶している。将軍家の処遇や畿内の支配権をめぐり、三好家と対立を繰り返してきた歴史もあったはず。当然、兵を交えたことも一度や二度ではないだろう。京から逃れてきた謙信さまを匿うのであればともかく、幽閉する理由がない。
 久秀が云っていることが事実であれば、だが。


 そんな俺の疑念に気づいているであろうに、久秀の語調はかわらない。
「一言でいえば、唆されたのよ。管領職を餌にして、ね。うちの事情は冬康さまから聞いたかしら?」
「おおよそのところは」
 俺が低声で応じると、久秀はくすりと微笑んだ。
「なら、わかるでしょう? 亡き公方さまの忠臣であった謙信を、ここで是が非でも討ち果たしておきたい者は誰か。たとえ口約束であれ、管領職を餌に持ち出せる権勢の持ち主は誰か。六角家と誼を結ぶことで、揺らぎつつある立場を強くしておきたい者は誰か。そして、この三つを兼ね備えた者は――ね、颯馬。誰だと思う?」
「……三好三人衆」
「正解」
 腰に差していた扇を取り出した久秀は、それをそっと口元にあてた。自然、その動作を目で追ってしまった俺の視界に、紅をさした唇が鮮やかに映し出される。濡れたように光る唇からは目に見えんばかりの色気が漂っていたが、あいにく、それは俺の心に何の影響も及ぼさなかった。


 俺は久秀の挙げた条件をもう一度考えた。
 三好家の内部事情がどうあれ、実際に義輝さまを手にかけた三人衆を謙信さまが許すことはありえない。つまり、謙信さまが生きているかぎり、三人衆は報復の危険に晒されることになる。三人衆が謙信さまの排除を目論むのは容易に推測できた。


 六角家が三好家の事情を把握しているかは定かではないが、三人衆が三好家の中枢に座しているのは隠れもない事実である。その三人衆から管領職を餌に共闘を持ちかけられた場合、六角家はどう反応するのか。
 冷静に考えれば、事情を知っていようがいまいが、将軍弑逆を実行した家に協力するなど百害あって一利なしというものである。だが、当主が目先のものしか目にはいらない浅薄な人物であれば。あるいは、それらを承知した上でなお三好家と手を結ぶ利益があると判断したのだとすれば――軍勢を持たない謙信さまを捕らえることは、さして難しいことではないかもしれない。


 京から出された三人衆が、家中における立場の危うさを自覚していたのは想像に難くない。とすれば、挽回の手を考えないはずがない。従容として処罰をうけいれるような連中であれば、そもそも義輝さまを討ったりはしないだろう。
 当主との仲が悪化した場合、他家と誼を通じるのは常套手段である。まして、その行動が将来の大敵をのぞくことに繋がるのだとすれば、ためらう理由の方がない。


 久秀が口にしたことは十分に起こりえることであった。
 しかし、問題は久秀がそれを知るにいたった経緯である。久秀ほどの智者だ、各地に情報網を張り巡らせているのは確かだろうが、それにしても詳しすぎる。
 ここまで明確に三人衆や六角家の動きを掴んでいるのなら、さっさと三人衆を排除して後の憂いを断っておくこともできたはずだ。少なくとも、俺ならそうする。
 あるいは史実的に考えて、三人衆の動きを利して三好家を分断させるつもりであったのか?
 それもないことではないと思うが、だとすれば、ここでこうして俺に情報を与える理由がわからない。久秀にしてみれば、謙信さまが討たれたところで何の痛痒も感じないだろう。まさか言葉どおり、俺との仲に免じて秘中の秘を明かしたわけでもあるまい。


 考え込む俺を見つめる久秀の顔は、なんというか実に楽しげであった。女の子の笑顔を面憎いと思ったのはいつ以来だろう。
 そんな内心を読み取ったのか、ついに久秀は堪えかねたように笑みをこぼした。
「ふふ、久秀がどうやってこのことを知ったのかって思ってる? いくら久秀でも千里眼は持ち合わせていないわ。義賢さまの命令で三人衆の動きには目を配っていたけれど、六角家の内情までは掴んでいなかった。まして京を出た謙信の動きなんて久秀にわかるはずもない。なのにどうして知っているのか? その答えはね、別の人から教えてもらったのよ」
「別の人……それはどなたですか?」
 久秀さえ掴んでいなかった情報をいち早く掴んでいた人物。
 その人物の名を問うた俺の顔を、久秀はじっと見つめた。
 そして、不意にぐいっと身を乗り出して顔を近づけてくると、俺の耳もとに唇を寄せ、囁くように呟いた。  



「その方の名前は一乗院覚慶さま。公方さまの妹君 足利義秋さま、と云った方がわかりやすいかしら?」
 


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